孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
始発バスに乗って、河原町三条バス停に降りて、通り横切って 本能寺と天性寺の間の道 姉小路通りを西に向かう。南側は天性寺の築地塀 北側は本能寺の借家が建ち並ぶ。 中程に河原町三条に在った本屋がここに移
作家 浅田次郎氏が ラジオ番組で語っていた事。聞く人によっては 随喜の涙の出る様な内容が含まれていたので紹介したい。 浅田次郎氏の作品の読み始めは、確か高倉健氏の出演 映画化された小説 『鉄道員』(
上段に構えて、天下国家の事を論じるより、日常の些事・京都の少し旧い話を書いている方が筆が進む。天下国家のご大層な事でも、庶民の見る眼と言うスタンスだから 何を書いても何等問題は無いのだが、そこそこの
町名や通り筋名と言うのは、必ず其の云われ 歴史が有るモノだと思う。京都の町名を始め特定の場所の事を沢山記事に載せているが、其の地の町名を歴史・事物・事跡 全く何一つ残っていないのに 町名だけが長く生
英国国王 エリザベス二世が、来日され京都にお泊りになった事が有った。柳居子が御所の東 上京区に住んで居た頃の話である。 自転車で帰宅路 寺町丸太町に大勢の警官が出て 丸太町通りを渡る事が出来ない。何
判っている様で、案外其の内容を知らない言葉。常に使う言葉だが何を意味する言葉か 断片しか知らない言葉に『冠婚葬祭』が有ろうかと思う。冠・婚・葬・祭 一字毎に意味が有り 四字熟語に入れるのには躊躇いが
昨日 三週間ぶりに整形外科に出掛けた。自分で注射をするという薬が無くなって本来 連休前に行くべしが休み明けになった。整形外科一番乗りを目指すのなら 毎朝の珈琲屋の早々の退散を余儀なくされる。診察開始
コロナ禍以降の 仕事・商売 もっと広い意味で営み其の物の在り方が、大きく変わってきた。我慢すれば元に戻ると考える時期を過ぎると、全く別の価値感を創りだすのも人間の面白い所 コロナが終息しても以前と同
庭師に入って貰う程大層では無いのだが、猫の額よりは少し広い庭が有る。選定をしなければならない木が三本 以前は四本在ったのだが 余りに樹高が伸びて、隣家の雨樋に落ち葉が詰まるので切り倒して今三本 又地
何度か取り上げている我が稼業の事だが、本サイトへは新しい読者も増え続けていると思われるので、改めて書く。 日本の理容のルーツは『髪結い』式亭三馬の著す『浮世床』髪結いさんが 明治の欧化政策の延長で
目玉と言う言葉 商店街や個々の商店で、客の気を曳くための特価品と解釈している。目玉が飛び出すという使い方をすると予想外の価格に驚く様 目上の人の事を言う時にも使うのだが、新聞第一面に『首相 目玉政策
何紙かが取上げているが、『京舞篠塚流』の襲名披露公演が、明日 先斗町歌舞練場で開催される。当初四月に開催の予定が、コロナ禍の影響で、明日の開催にこぎつけた。席の間隔を空けるとか 密を避ける目的で、入
今迄見た映画の中で,一番古い記憶は 父親に連れて行って貰った イタリア映画『自転車泥棒』だった。監督はV・デシーカーと覚えている。配役とかストーリー展開等は、詳しく理解の出来る年齢には達しては居なか
パソコンを仕事場に導入する様になって、客待ち稼業の所在の無いイライラと言うのが無くなった。 客の来ないのが常態となっても一向に逼迫感も無ければ、新たな取り組みと言う様な情熱も失せてきている。周辺同業
権力と権威の二重構造だった京の町が、徳川幕府が江戸開府となって、京都の町が寂れたかと言うと そうでは無かった様だ。二重構造の一つが東に移っても 権威は些かも衰えなかった。そもそも江戸の総大将は、『征
時々 『典型的な京都人ですね。』と、言われる事が有る。褒め言葉でも無ければ 見下す言葉でも無いから、肯定も否定もしない。 以前 目付きの険しさから『刑事さんですか?』と何人もの人に言われた事が有っ
朝の珈琲屋で出てくる話題は、天下国家を論じる事も有るが、天下万民 万庶民の事が話題に登る事が多い。古参は床屋だが 医者・呉服屋・銀行OB ・学者・物書き・パソコンに滅法強い後期高齢者も居る 素人向きに
安倍首相の退任に対しての 公式の記者会見なり コメント・メッセージ等の発表の有無に付いては知らないが、一昨日出された談話 『敵基地攻撃 結論先送り。』を読んでいて 自身の退任に臨んで、国民に知らす
フェイスブックは、親切と言うのかお節介と言うのか 繫がりのある人の誕生日を絶対忘れず器械的に教えてくれる。もうじき誰々さんの誕生日ですよという事前情報 今日は誰さんの誕生日 お祝いのメッセージを送り
人と人との関係は、直接会話で築き上げていくモノと考える。今の時代 旧い考え方とされるかも知れないが、直接の会話と言うものは、書かれた物を読んだり 昨今のネット情報 諸々の受発信のIT手段だけで、立派な
明治の欧化政策には。庶民の生活に直接影響のある『お達し』と、言うのが有った様だ。廃刀令は強制力が有ったのかも知れない。明治新政府によって行われた刀狩 徳川家恩顧の士分が、何時までも刀ぶら下げていては
十年ひと昔という言葉が有る。十年を一区切りにして それ以前の事は昔の事と言う様な意味かと思う。対して十年一日と言う言い方も有る これは期間十年に捉えられる事無く 長い間同じ状態 物事が変わらない や
朝の珈琲屋へ時々やって来て、柳居子の座る常連席に、皆の顔色伺いながら遠慮がちに座る御仁が居る。斎藤光さんと言って、青森県弘前の出身で 京都精華大学で教鞭を取っている。 何の研究をしているのか 今一つ
日曜日は出掛ける先多く 必然多くの人と会話交わしたり お話を聞く機会も多い。ブログのプリント版を配達したり 遠くにいる友へ送ったり 夕方 お邪魔したのは 茶道 裏千家のお茶の先生 木村慎太郎
朝の珈琲屋へ出掛ける時は、薄雲が軽く掛かって雨を思わす空模様では無かった、当然の事ながら傘は持たずに出掛けた。来店歴五十年を越えると、七時の開店準備中お構いなしに もう席に座り新聞拡げたり書き物をした
元気に過ごしている筈と思っていた友が、おおきな事故を起こして入院中だとか、暫く顔を見ないなぁと気に為っていた友が、冥界入りした事を 一日に二人の消息を聞く。『ああ そうか。』と、軽く聞く事が出来るの
特別自慢する事でも無いのだが、生まれ育って今も同じ場所で仕事場を構え、ご近所から見える客人 客待ちで一日の大半を過ごす店の近辺では、顔が売れているというより 古参 昔からの顔が罷り通る。友人と一緒に
歴史を辿るというのは、残された遺物や遺跡を見て感得する事も有るが、其れは歴史の一部分。残った事 残された事も 其の事に意味が有るのだが、其々の時代 人々はどの様な営みをしていたのだろうか? 今の時代の
韓国大統領の末路 最高権力者の座から 落ちた・落された其の末路が、歴代悲惨な事と書いた事が有る。李承晩大統領の亡命に始まって テロ 収監 自殺等々 寿命を全うした人が居ない。否 金大中氏が居た 彼と
長ずると喜怒哀楽の情も、若い時ほどには表に出てこないモノである。新聞記事を読んでいて、涙零す画像写真を見ても、其れなりの思いが働くのだが、自分自身の目頭が熱く成る様な記事は絶えて久しい。 8月30
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋