6月になった。わが家にあるカレンダーのうち2枚は日本のイメージとはやや違い、明るい印象の写真と絵画になっている。1枚目は「スペインアンダルシア地方のヒマワリ畑」であり、もう1枚は同じスペインの画家、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の『日傘』という若
社会現象、旅の話、読書の感想、歴史、ペット、芸術まで幅広い分野をフォローするブログです。
自宅周辺には大雨を調整するための人工池やけやき並木の遊歩道があり、四季折々自然を楽しんでいます。こうした自然を友にした散歩の途中、現代世相について諸々考えることがあります。2006年9月からスタートし、1400回を超えたこのブログは、そうした私の日常雑感をつづっています。
(美しく咲いた桐の花) 夭折した詩人、立原道造(1914~1939)の『夢見たものは……』という詩を好きな人は少なくないだろう。現代の日常生活と重ね合わせ、こんなささやかな幸せを求めたいと私も思う。だが先日、民間の有識者グループ「人口戦略会議」が発表した将来の日
昨日に続いて映画『オッペンハイマー』関連のブログを書く。この映画は、世界的に評価が高いという。新聞にも連日のように取り上げられている。この映画を見ていて一番気になったのは、相対性理論のアインシュタイン(1879~1955)のことだった。アインシュタインは戦後、
2579 被爆実態なしのもどかしさ 映画『オッペンハイマー』を見る
(霧が立ち込めた調整池) アメリカのユダヤ系理論物理学者、ロバート・オッペンハイマー(1904~1967)は「原爆の父」と呼ばれる。しかし、戦後は米ソ冷戦下の時代を背景に吹き荒れたマッカーシー主導の赤狩り(共産主義者または社会主義者、その同調者を逮捕、追放して弾
2578 「神出鬼没」「詩人」「ひた向き」と 3人の先輩と私
酒を飲んだ時など、昔を思い出すことがあります。記者としての駆け出し時代が特に懐かしいのです。小さな支局でした。支局長と私を含めた若者4人。3人はいずれも3、4歳ほど上で、私を生意気な弟のように感じていたのかもしれません。当時の私は支局長から「じゃじゃ馬
「原稿より健康」。これは現役時代の私たち社会部記者の「合言葉」だった。残業時間が慢性的に月100時間を超えていて、いつも病気になるのではないか、という不安を抱えていた。今、現役時代を振り返ると、よく耐えたものだと思う。同じ意識を作家の芥川龍之介(1892
「木の花は 濃きも薄きも、 紅梅。 桜は 花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし」(木の花は、濃いのでも薄いのでもコウバイ。サクラは花びらが大きくて、葉の色が深い緑で、細い枝に咲いているのがいい。
(わが家の庭の春の日の風景) 私たちは日常、さまざまな木を目にしている。今の季節で注目されるのは、何といっても桜だろう。私は毎朝けやき、クスノキ、セイヨウトチノキ(マロニエ)を見上げながら散歩をしている。作家の幸田文は時々「日本の代表的木を3本あげてみ
ソメイヨシノは散ったが、まだ遅咲きの種類の桜が咲いている。遊歩道の脇で、女の子たちビニールシートを敷いて、車座になっておやつを食べている。少し離れた小学校の正門にも立派な桜が咲き誇っていた。春爛漫、こんな季節。人はやはり外へと出る。にほんブログ村
チェロ奏者、パブロ・カザルス(1876~1973)は1971年10月24日、国連の日にニューヨークの国連本部で『鳥の歌』を演奏した。演奏を前に短いあいさつをした。それは後世に残る言葉になったことをこのブログでも紹介している。「鳥たちはピース(平和)、ピ
2572 せめて歌おう『歌の翼に』 桜に寄せる「詩」(うた)
薄黄色の桜が咲いている あまり目立たぬ遊歩道の一角 ソメイヨシノは散り始め ウコン(鬱金)かギョイコウ(御衣黄)か 見分けがつかない桜 すぐ後ろは保育園の庭 園児たちはこの桜を覚えてくれるだろうか
今、公私ともに内外の話題になっている大リーグの大谷翔平は、岩手県南部の奥州市水沢区(かつての水沢市)の出身だ。いつものように、地図を見て歴史を調べてみる。ウイキペディアの出身有名人の最初に出てくるのはアテルイ(阿弖流為)で、大谷は最後から2番目にあった
輸血のために血液型は必要だが、日常生活で血液型を意識することはほとんどないはずだ。ただ日本人の多くは、血液型と性格が関連するのではないかと思っているのではないか。関連するという前提で書かれた「モーツァルトの血液型」という作家、作詞家のなかにしれ礼(1938
2569 人間生活と時間制限 大リーグ・ピッチクロックと選手たち
ペルーの世界遺産、マチュピチュで「インティワタナ」という花崗岩による日時計の彫刻がある。太陽を縛るというような意味らしく、遺跡の一番上の位置に設置されている。このように、人類は日時計のほか水時計など工夫を凝らして時間を推測し、太陽、月、星の動きでも一
朝の散歩コースは、濃霧に包まれていました。はっきりと目に見えるのは、満開になったソメイヨシノの花だけなのです。画家のゴッホは、自然界の姿をさまざまな絵に描きました。彼は「人の心を高揚させ、慰めてくれる自然をつくりだしたい」(友人エミール・ベルナール宛の
(人影が少ない桜並木の雨の朝) ラジオ体操の第一と第二の合間の首の運動 ピアノ伴奏のメロディーは「ロングロングアゴー」(long, long ago) ベイリー作曲のイギリス民謡 何も知らず、小学生時代に笛でこの歌を演奏した うまいのは少数、ほとんどが下手、私もその一
散歩をしていたら、私がひそかに「小言幸兵衛」(古典落語に出てくる長屋の家主のこと)と呼んでいる大先輩がぶつぶつ何かを言いながら歩いていた。追いついて「どうしたのですか」と聞いたら、いつもの小言が始まり、散歩の間聞かされる羽目になった。それは「二階兄さす
(咲き出した海棠が雨に打たれて美しい) 時々、地図を取り出して眺める。それは机上で考える旅でもある。ある日は日本地図を、また別の日は世界地図を広げる。最近は世界地図の方が多い。目は紛争・戦争地帯に向く。ウクライナ、ロシアとその周辺、イスラエルとガザ地区
2564 「知りたい衝動より結果を考えて」 チャップリンの核への警告
「科学というものが、なんの責任感も慎重な考慮もなしに、おそるべき破壊の武器を、政治家や軍人の手にゆだねてしまった。おかげで地球上全生物の運命が、彼らの手中に握られてしまっているのだ」イギリス出身のコメディアン俳優で映画監督のチャールズ・チャップリン(188
最近、年賀状を別にしてはがきが届くことはあまりない。過日、ダイレクトメールに混じって一通のはがきが郵便ポストに入っていた。それは、かつての競争相手であり、多くの時間を共有した仲間、O君の死を知らせる奥さんからの訃報だった。この8年、会うことがなかったとは
散歩をしていて目に入る木々を見上げると、若葉が少しずつ増えてきている。新緑の季節なのだ。いつしか石川啄木の歌を口ずさんでいた。「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」(現代訳=やわらかい柳の青い芽が北上川の岸辺に見える、まるで望郷の涙を
「ブログリーダー」を活用して、遊歩さんをフォローしませんか?
6月になった。わが家にあるカレンダーのうち2枚は日本のイメージとはやや違い、明るい印象の写真と絵画になっている。1枚目は「スペインアンダルシア地方のヒマワリ畑」であり、もう1枚は同じスペインの画家、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の『日傘』という若
間もなく6月、雨の季節です。気分が落ち込む、いやな季節、という人が多いかもしれませんね。でも、木々の緑の濃さが増す目に優しい季節でもあるのです。モーツァルトの静かな音楽を聴きながら、これまでに出会った人たちのことを思うのもいいのではないでしょうか。そん
「人間は観念じゃない」。カミュの『ペスト』で主人公の医師、リウが新聞記者ランベールとのやり取りの中で話した言葉だ。カミュの実存主義、不条理の哲学を象徴した言葉といわれる。ここでいう「観念」は頭の中で考えた抽象的あるいは非現実的なものだというとらえ方であり
(吉兆といわれる彩雲) 人はそれぞれの生涯で多くの旅をするでしょう。観光や仕事だけでなく、様々な事情で旅をする機会も少なくないようです。旅先での出会いもあるはずです。そのことを再確認させてくれる小冊子を読みました。これまでこのブログで何度か紹介した『今
沖縄と奄美地方が梅雨入りしたと思ったら、台風1号になりそうな熱帯低気圧が南方海上で発生したというニュースをやっている。私の住む首都圏も近いうちに梅雨に入るだろう。そんなじめじめした天気が来る前にあるのが「麦秋至る」(むぎのときいたる)という「小満」の末
日本には二十四の節気と七十二候という旧暦がある。季節の移ろいを表す際、これがよく使われる。昨5月20日は、二十四節気のうちの「小満」だった。歳時記には「いのちがしだいに満ち満ちていくころ」とあり、さらに「草木も花々も、鳥も虫も獣も人も、日を浴びてかがや
(雨上がりの遊歩道) 大リーグ・パドレスの投手ダルビッシュ有が19日(日本時間20日)のブレーブス戦で好投し、日米通算200勝目(NPB93勝、MLB107勝)の勝ち星を挙げた。37歳。20年目(実質は19年)での大記録達成だそうだ。テレビのインタビューでダル
「柳絮」(りゅうじょ)という現象を見たことがある人はどれだけいるだろうか。春の季語で、北国の人には珍しくないかもしれない。ただ私が住む首都圏で、柳絮を見たことはない。私がこの現象を初めて見たのは中国の旧満州(東北部)ハルビンで、季節は7月の初めだった。そ
カール・フォン・リンネ(1707~1778)は、知る人ぞ知る人物といえる。スウェーデンの博物学者、生物学者、植物学者で、「分類学の父」と呼ばれているそうだ。分類学は、生物の種を区別し、類似した形質を手がかりにさまざまなレベルのグループに統合しそれらの類縁関係を解
(ウツギの花)「いやな季節は長く感じ、よい季節はみじかく感じる」。文化人類学の今西錦司(1902~1992)が『私の自然観』(筑摩書房)という本で、季節感についてこんなふうに書いている。たしかにそうだ。現在は新緑の初夏、梅雨に入る前にもう少し長く続いてほしいと誰
正岡子規→皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)→田中角栄元首相……。これを見てどんな印象を持つだろう。明治の俳人と皇族、そして政治家。何の脈絡もない。実はこの4人はかつて千葉市に存在した老舗のうなぎ店「安田」を訪れたことがある著名人なのだ。「安田」は201
愁いつつ丘(岡)に登れば花茨 江戸時代中期の俳人、与謝蕪村の句だ。蕪村が好きだと公言していた詩人の萩原朔太郎は「郷愁の詩人与謝蕪村」という蕪村論(『ちくま日本文学全集萩原朔太郎』筑摩書房)の「夏」の中で、この句を取り上げている。花茨は野いばら(野ばら)
(帰化植物のブタナが繁殖している) 伊藤環境相と水俣病患者団体8団体との懇談会で、患者団体の発言中に環境省側が発言をやめさせるため、マイクの音を切ったことがニュースになっている。患者団体が国への要望を伝えるはずの懇談が台無しになってしまった、このニュース
人にはそれぞれに歩んできた歴史がある。かつて通信社の社会部記者として多くの人に出会い、話を聞いた。東条寿三郎さん(1920~2003)もその一人だった。東条さんは、太平洋戦争の激戦地として知られるガダルカナルの戦いを生き抜いた流行歌(演歌)の作詞家だった。昨今、ガ
「ユズリハ」(譲り葉)という常緑の木がある。名前は、春に枝先に若葉が出たあと前年の葉がそれに譲るように落葉することに由来する。葉は楕円形で先端が尖っているのが特徴だ。そう多くはないが、時々見かける樹木だ。ユズリハと同様、春に葉が入れ替わる樹木といえばクス
(青葉が映える調整池) 見回してみれば、森羅万象それぞれおのれの物語を語っていないものはない。 流れる雲が語っている。 路傍の小石が語っている。 部屋の前のニレの木は目撃した百年の興亡を語っている。 馬の眼は悲しい話を語りかけている。 そのように、私も、
5月。新緑が青空に映える季節。だが、何となく気持ちが晴れない。そんな時、音楽を聴く。今朝も手近にあったCDをプレイヤーに入れて再生した。ヴァイオリニスト千住真理子の『感傷的(センチメンタル)なワルツ』(EMI・2013年9月録音。ピアノは山洞智)という名前が
ピアニストのフジコ・ヘミングさん(フジ子・ヘミング=本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ)が4月21日に亡くなりました。92年の生涯でした。このブログで以前、彼女が書いた絵本について書いています。フジコ・ヘミングさんのご冥福を祈り、この記事を
(人影のないパリの路地裏) ナチスドイツの独裁者ヒトラーが死んだのは1945年4月30日だった。ヒトラーの蛮行の歴史は、79年という長い年月が過ぎても消えるわけではない。ユダヤ人に対するホロコースト(絶滅政策・大量虐殺)は、人類の歴史の上で大きな汚点なの
(美しく咲いた桐の花) 夭折した詩人、立原道造(1914~1939)の『夢見たものは……』という詩を好きな人は少なくないだろう。現代の日常生活と重ね合わせ、こんなささやかな幸せを求めたいと私も思う。だが先日、民間の有識者グループ「人口戦略会議」が発表した将来の日
(ハルダンゲルフィヨルドの朝の風景。小さなカヌーが浮かんでいる) 今月の部屋のカレンダーは、マルコ・ボッティジェッリというイタリア人風景写真家が撮影したノルウエー南西部ヴェストラン地方のフィヨルドの幻想的風景だ。湖面には薄い雲がたなびく氷河が映り、そこには
(レースのカーテンを広げたようなオルレアの花) 田んぼの近くに住むという住民から、「カエルの鳴き声がうるさいので、騒音対応を」という持ち主に対する苦情があったというヤフーのニュースが話題になっている。嫌な時代になった。最近近所で似たような話があったが、こ
5月も最終週になり、間もなく6月だ。 六月を綺麗な風の吹くことよ 正岡子規(1867~1902)の5月から6月にかけての季節感を表現した明るい句だ。南方海上には台風2号が近づき天気は下り坂となり、九州北部から東海まで例年より早く梅雨入りしたが、こんな時こそ気持ちの上
(返り咲きしたオオデマリ)庭先の「オオデマリ」の花が咲いている。ゴールデンウイーク前には一度全部花が散っているから二度咲きであり、いわゆる「狂い咲き」、あるいは「返り咲き」(返り花ともいう)といっていい。この花の狂い咲きは多くは秋に見られるので、返り咲
「日米開戦は12月7日(米国時間。日本時間では8日)、広島に原爆が投下されたのは8月の、何日でしたか?」 米国の著名なノンフィクション作家、ゲイ・タリーズは、日本のノンフィクション作家、柳田邦男との対談(『事実からの発想』講談社)で、こんな問いかけをし
(ラナンキュラス、ゴールドコイン)2001年に『聖水』で芥川賞を受賞した青来(せいらい)有一の短編小説『鳥』の冒頭と最後は印象に残る似た言葉が繰り返し書かれている。「私の戸籍の父母の氏名欄は真っ白である。父の欄にも、母の欄にもその名は記載されていない。私の
(紫陽花が咲き始めた) 新聞の発行部数が減り続け、本も売れない時代になっています。多くの人はスマホをのぞき込んでいます。しかし、朝、配達された新聞を開くときや新しい本を買って、頁をめくるときの独特のにおいが私は好きです。かつては、私と同じように思う詩人が
「ノンフィクション作品のおもしろさが、第一に、事実の発掘(facts finding)にあることは、よくいわれる通りである。ここでいう事実の発掘とは、単に物事を詳しく調べるということだけではない。事実の意外性によって、取材者が抱いていた先入観や社会通念が打ち砕かれる、
(ウツギの花) 卯の花の匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて 忍び音漏らす夏は来ぬ 歌人で万葉集の研究で知られる国文学者佐々木信綱(1872~1963)が作詞し、小山作之助が作曲した唱歌『夏は来ぬ』の一節だ。この季節になると、よく歌われる曲だ。五節まであ
(ひっそりと咲くアザミ) 童話作家で詩人の宮沢賢治が亡くなったのは1933(昭和8)年9月21日で、37歳の生涯だった。ことしで没後90年になるのを記念して映画『銀河鉄道の父』(成島出監督)が制作された。このクライマックスは、息を引き取る賢治(菅田将暉)を抱きかかえて
(ヤマボウシの花) 夜になると、近所の家の水槽で飼育している蛙の鳴き声がうるさいぐらいに聞こえてくる。蛙が歌っているのだろう。今年の立夏は6日だった。今日8日は強い雨が降り、肌寒い。旧暦七十二候の立夏初侯は「蛙始鳴」(かわずはじめてなく=冬眠から目覚めた
(千葉県鋸山日本寺の大仏・薬師瑠璃光如来=座像の石仏としては日本一の大きさ) 今、地球には80億人以上の人たちがおり、それぞれに個性ある生き方をしている。『今しかない』第7号の「拝啓 お元気ですか」に描かれた人々もまた、懐かしい思い出の中に蘇った。前回の
「拝啓 お元気ですか」。人それぞれに、こんな言葉で呼びかけてみたい大事な人がいる。これまで何度かこのブログで紹介している小冊子『今しかない』第7号は、この言葉をテーマに、短い言葉で邂逅の思いが綴られている。鮮烈なきらめきを感じる言葉の凝縮に、私は引き寄せ
(ツルバラ・アンジェラ)一年で一番さわやかな季節といっていい。周辺を散歩していると、庭からかぐわしいバラの香りが漂ってくる。北原白秋の短い詩『薔薇二曲』を頭に浮かべながら歩く。調整池の周囲にある野ばらの白い花が満開になっている。現在、百花の女王はバラとい
(密集して咲くシラン) かなり昔の小学生時代の話だ。私の通う小学校近くに「鐘馗様」(しょうきさま)というあだ名を付けられた農家の人がいた。その顔は、中国の道教系の魔よけの神で日本の端午の節句の幟(のぼり)や五月人形になった魁偉な容貌である鐘馗のように怖
(イングリッシュブルーベル=ツリガネズイセン))「わたしは生まれ変わつても新聞を読むだろう。まともな言葉づかひの新聞を読ませてくれ」。作家・文芸評論家の丸谷才一(1925~2012)の『星のあひびき』(集英社文庫)というエッセイ集を読んでいたら、このような言葉が
(ラナンキュラスの赤い花) 国際化社会だ。世界の動きは逐一テレビやインタネット・SNSを通じて入ってくる時代。世界には様々な人がいる。その大半は戦いを憎み、人の世が平穏であることを願っている。スーダンの戦闘を伴う軍部内での対立で、外国人は退避した。しかし多く
(モチツツジ)「昨日は大失敗しましたよ」。朝のラジオ体操仲間の一人があいさつの後、こんなことを言い出した。財布を落とし、冷や汗をかいたというのだ。最終的に落とした財布は無事戻ってきて、知人は「日本はまだ捨てちゃもんじゃないと思います」と話していた。大阪で
(鮮やかに咲いたベニカナメの花) 全国の鉄道駅のホームで、様々な発車メロディが流れている。岩手県花巻市のJR東北新幹線新花巻ホームは宮沢賢治(1896~1933)作曲の『星めぐりの歌』だ。今年は賢治の没後90年になるが、賢治人気は依然高い。同時に、花巻や岩手にゆか
(満開の藤の花) このところ、自然に接することが多い。4月は百花繚乱の季節だから、様々な花々を見て、生きていることを実感する。毎朝、ラジオ体操に集まる広場の後ろの森では「キンラン」が増え、愛らしい黄色い花が咲いている。広場から1・5キロほど歩くと、2本の