ピアニストのフジコ・ヘミングさん(フジ子・ヘミング=本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ)が4月21日に亡くなりました。92年の生涯でした。このブログで以前、彼女が書いた絵本について書いています。フジコ・ヘミングさんのご冥福を祈り、この記事を
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自宅周辺には大雨を調整するための人工池やけやき並木の遊歩道があり、四季折々自然を楽しんでいます。こうした自然を友にした散歩の途中、現代世相について諸々考えることがあります。2006年9月からスタートし、1400回を超えたこのブログは、そうした私の日常雑感をつづっています。
足弱の我に手を借す人のあり新宿駅の朝の雑沓 「この方は60歳くらいの男の方でした。きっと、見かねたのでしょう。とても嬉しゅうございました。また、眼鏡をはずして本を読んでいるおばあさんの私に“本当にあなた読んでいらっしゃるのですか”と問いかける人もあり
新聞の俳句・短歌欄を見ていると、心にぐさりとくる句と歌がある。作者の信条が、素人の私にも伝わるからだ。ここに同じ作者に短歌と俳句がある。いずれもロシアの「シベリヤ」(シベリアのこと)という地名が、限られた字数の中に入っている。そこには作者の辛い人生が込
2559 朝から晩まで大谷…… すさまじいテレビの集中豪雨的報道
昨年来、大リーグの大谷翔平に関するテレビの報道はすさまじい。野球だけでなく結婚のこと、通訳のスポーツ賭博のことと連日連夜、テレビから集中豪雨のように流され続けている。かつて、評論家の大宅壮一はテレビの低俗ぶりを「一億総白痴化」という言葉で表現したが、そ
「ばかやろう」という言葉の使い方は難しい。基本的には相手をののしる場合に使うのだが、パワハラやモラハラと受け取られるから最近は学校でも職場でも家庭でも、この言葉は聞くことが少なくなっているのではないかと思っていた。だが、そうでもなかった。25日に自民党の
2557 通信社の大誤報で全米歓喜騒ぎ 第一次大戦の休戦速報
パレスチナ自治区ガザでの戦闘休止と人質解放に向け、イスラエルとイスラム組織ハマスの交渉が仲介国のカタールで続いている。交渉がまとまるのかどうか、世界の目が注がれている。休戦の歴史で思い浮かぶのは第一次大戦だ。この戦争はそう長く続かないと多くの人が見てい
人間には潜在能力がある。それだけでなく「手負い猪」(ておいじし)という言葉を思い浮かべたのは、大相撲春場所で幕尻(幕内の一番下位の東前頭17枚目)の尊富士(たけるふじ=24)が13勝2敗で優勝したテレビ中継を見ていた時だ。新入幕力士が優勝したのは110年
(この海の遠くには……) 今日3月23日は「中国からの日本人引き揚げが再開され、その第一船が舞鶴港に入港した日です」と、朝のラジオで放送していた。1946(昭和21)年(4月上海、6月葫蘆島)に始まった中国からの引き揚げは、中国の内戦と共産党政権誕生、朝
2554 「大谷通訳解雇」で汚された朝 ラジオ体操仲間が引退
毎朝、近所の広場でラジオ体操をやっている。夏の多い日には40人近く、厳寒の冬でも20人前後が集まって来る。そのうちの一人は、散歩を兼ねて1丁目から会場の5丁目まで片道25分くらいかけて歩いて通ってきている。もちろん本名を知っているが、私は勝手に「1丁目
映画『河は呼んでる』(2550回のブログ参考)の原作・脚本を担当したジャン・ジオノは、フランスでは著名な作家だ。代表作ともいえる短編『木を植えた男』は、ノンフィクション作品と読むこともできるが、フィクションだ。だが、世の中には実際に世界各地で実際に木を植え
写真は時代(社会)を映す鏡、といわれる。知人から4枚の写真が送られてきた。いずれもモノクロの「昭和」を意識させるものだ。中でもマスコミ(通信社)の職場で撮影したと思われる1枚は、当時の記者たちの姿を浮かび上がらせる貴重な写真といえる。この写真を見ながら
「10年ひと昔」という。「世の中は移り変わりが激しく、10年もたつともう昔のこととなってしまう。また、歳月の流れを、10年をひと区切りとして考えること」(小学館『デジタル大辞泉』)という意味だ。確かに私自身、10年前のことを聞かれても思い出すのはなかなか
今月、2回にわたって「川」にまつわる話を書いた。今日はその続きで、映画と歌でよく知られた川のことに触れてみる。『河は呼んでる』という往年のフランス映画がある。66年前の1958年に公開の映画だが、映画の内容より、同名の主題歌を覚えている人の方が多いかも
2549 菜の花の季節は春怨思慕 のどかな日本の原風景の中で
「春怨思慕」(しゅんえんしぼ)という言葉を使ったのは、詩人の萩原朔太郎だ。『郷愁の詩人与謝蕪村』という「蕪村論」の中で春の句に関して、こう表現した。春怨は「若い女性が春に抱く物思い」で、思慕は「恋しく、なつかしく思うこと」(以上、広辞苑)という意味だ。蕪
2548 人間にもほしい「瞬膜」 悲しみと涙の連鎖「3・11」
人は一生で何度涙を流すのだろうか。それぞれの年齢、性、生活環境、性格などによって千差万別なのかもしれない。いずれにしても、人生は涙とは切っても切れない縁があるのだ。今日は3・11から13年目。あの大災害と原発事故によって、本当に沢山の涙が流れたのは間違
2547「 想い出は帰らず」というが…… 仙台・広瀬川とともに
「広瀬川 流れる岸辺 想い出は帰らず」という歌い出しのさとう宗幸の『青葉城恋唄』(星間舩一作詞、さとう宗幸作曲)は、1978(昭和53)年に発売となり、大ヒット曲になった。仙台市の風景を描いた叙情的なこの歌は、私の好きな一曲だ。広瀬川はこの歌で一躍全国に
(プラハを流れるヴルタヴァ川)ドイツ生まれで日本に帰化した歌といっていい「ローレライ」が、ふらりと入った喫茶店で流れていた。ドイツの代表的な川であるライン川にまつわる伝説を基にした歌だ。ドイツ人にとってラインはドナウ(全長2860キロ)、エルベ(同109
2545 戦火の地と地震被災地を思って…… 子規の会の名句集
(千葉・館山にて。アロエの花が咲いている) 私が末席に座る句会がある。正岡子規がかつて房総を旅した際に立ち寄った鰻屋で初めに開催して11年が過ぎた。当初名前はなかったが、子規と鰻屋との縁から「子規を語る夕べの会」と名付け、いつの間にか「子規の会」に固定
2544 文化人が怪物・バケモノと批判 ブギウギ歌った少女美空ひばり
好き嫌いは別にして、戦後を代表する歌手といえば「美空ひばり」(1937~1989)だということに、反対意見はほとんどないかもしれない。ひばりが歌手として本格デビューしたのは、1949(昭和24)年1月の日劇レビューで、現在NHKで放送されている連続ドラマ『
(満開のミモザ) 時々、テレビで国会中継を見る。しばしばイライラが募る。なぜか。昔から言われているように、政府側に座る大臣たちに共通して人間味が欠けているからだ。言い換えると、誠実さ、正直さが全く感じられないのだ。その背景の一つにあるのは、政界は世襲制だ
離島への旅をすることが好きな人は結構多いようだ。共同通信で大先輩だった向一陽さんの『離島を旅する』(講談社現代文庫)には、全国の離島の魅力が紹介されている。とはいえ、人口減少に伴う過疎化現象は離島にも大きな影響を与えているに違いない。かつて私が何度か訪
テレビで国会中継を見ていたという友人からメールが届いた。そこには2つの川柳が添えられていた。 政倫審大根役者勢揃い 政治家は殊勝な顔で二枚舌 友人の率直な感想と言える川柳だ。川柳は人情・世相・風俗などを風刺しユーモア的に描くのが特色だという。最近の新聞
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ピアニストのフジコ・ヘミングさん(フジ子・ヘミング=本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ)が4月21日に亡くなりました。92年の生涯でした。このブログで以前、彼女が書いた絵本について書いています。フジコ・ヘミングさんのご冥福を祈り、この記事を
(人影のないパリの路地裏) ナチスドイツの独裁者ヒトラーが死んだのは1945年4月30日だった。ヒトラーの蛮行の歴史は、79年という長い年月が過ぎても消えるわけではない。ユダヤ人に対するホロコースト(絶滅政策・大量虐殺)は、人類の歴史の上で大きな汚点なの
(美しく咲いた桐の花) 夭折した詩人、立原道造(1914~1939)の『夢見たものは……』という詩を好きな人は少なくないだろう。現代の日常生活と重ね合わせ、こんなささやかな幸せを求めたいと私も思う。だが先日、民間の有識者グループ「人口戦略会議」が発表した将来の日
昨日に続いて映画『オッペンハイマー』関連のブログを書く。この映画は、世界的に評価が高いという。新聞にも連日のように取り上げられている。この映画を見ていて一番気になったのは、相対性理論のアインシュタイン(1879~1955)のことだった。アインシュタインは戦後、
(霧が立ち込めた調整池) アメリカのユダヤ系理論物理学者、ロバート・オッペンハイマー(1904~1967)は「原爆の父」と呼ばれる。しかし、戦後は米ソ冷戦下の時代を背景に吹き荒れたマッカーシー主導の赤狩り(共産主義者または社会主義者、その同調者を逮捕、追放して弾
酒を飲んだ時など、昔を思い出すことがあります。記者としての駆け出し時代が特に懐かしいのです。小さな支局でした。支局長と私を含めた若者4人。3人はいずれも3、4歳ほど上で、私を生意気な弟のように感じていたのかもしれません。当時の私は支局長から「じゃじゃ馬
「原稿より健康」。これは現役時代の私たち社会部記者の「合言葉」だった。残業時間が慢性的に月100時間を超えていて、いつも病気になるのではないか、という不安を抱えていた。今、現役時代を振り返ると、よく耐えたものだと思う。同じ意識を作家の芥川龍之介(1892
「木の花は 濃きも薄きも、 紅梅。 桜は 花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし」(木の花は、濃いのでも薄いのでもコウバイ。サクラは花びらが大きくて、葉の色が深い緑で、細い枝に咲いているのがいい。
(わが家の庭の春の日の風景) 私たちは日常、さまざまな木を目にしている。今の季節で注目されるのは、何といっても桜だろう。私は毎朝けやき、クスノキ、セイヨウトチノキ(マロニエ)を見上げながら散歩をしている。作家の幸田文は時々「日本の代表的木を3本あげてみ
ソメイヨシノは散ったが、まだ遅咲きの種類の桜が咲いている。遊歩道の脇で、女の子たちビニールシートを敷いて、車座になっておやつを食べている。少し離れた小学校の正門にも立派な桜が咲き誇っていた。春爛漫、こんな季節。人はやはり外へと出る。にほんブログ村
チェロ奏者、パブロ・カザルス(1876~1973)は1971年10月24日、国連の日にニューヨークの国連本部で『鳥の歌』を演奏した。演奏を前に短いあいさつをした。それは後世に残る言葉になったことをこのブログでも紹介している。「鳥たちはピース(平和)、ピ
薄黄色の桜が咲いている あまり目立たぬ遊歩道の一角 ソメイヨシノは散り始め ウコン(鬱金)かギョイコウ(御衣黄)か 見分けがつかない桜 すぐ後ろは保育園の庭 園児たちはこの桜を覚えてくれるだろうか
今、公私ともに内外の話題になっている大リーグの大谷翔平は、岩手県南部の奥州市水沢区(かつての水沢市)の出身だ。いつものように、地図を見て歴史を調べてみる。ウイキペディアの出身有名人の最初に出てくるのはアテルイ(阿弖流為)で、大谷は最後から2番目にあった
輸血のために血液型は必要だが、日常生活で血液型を意識することはほとんどないはずだ。ただ日本人の多くは、血液型と性格が関連するのではないかと思っているのではないか。関連するという前提で書かれた「モーツァルトの血液型」という作家、作詞家のなかにしれ礼(1938
ペルーの世界遺産、マチュピチュで「インティワタナ」という花崗岩による日時計の彫刻がある。太陽を縛るというような意味らしく、遺跡の一番上の位置に設置されている。このように、人類は日時計のほか水時計など工夫を凝らして時間を推測し、太陽、月、星の動きでも一
朝の散歩コースは、濃霧に包まれていました。はっきりと目に見えるのは、満開になったソメイヨシノの花だけなのです。画家のゴッホは、自然界の姿をさまざまな絵に描きました。彼は「人の心を高揚させ、慰めてくれる自然をつくりだしたい」(友人エミール・ベルナール宛の
(人影が少ない桜並木の雨の朝) ラジオ体操の第一と第二の合間の首の運動 ピアノ伴奏のメロディーは「ロングロングアゴー」(long, long ago) ベイリー作曲のイギリス民謡 何も知らず、小学生時代に笛でこの歌を演奏した うまいのは少数、ほとんどが下手、私もその一
散歩をしていたら、私がひそかに「小言幸兵衛」(古典落語に出てくる長屋の家主のこと)と呼んでいる大先輩がぶつぶつ何かを言いながら歩いていた。追いついて「どうしたのですか」と聞いたら、いつもの小言が始まり、散歩の間聞かされる羽目になった。それは「二階兄さす
(咲き出した海棠が雨に打たれて美しい) 時々、地図を取り出して眺める。それは机上で考える旅でもある。ある日は日本地図を、また別の日は世界地図を広げる。最近は世界地図の方が多い。目は紛争・戦争地帯に向く。ウクライナ、ロシアとその周辺、イスラエルとガザ地区
「科学というものが、なんの責任感も慎重な考慮もなしに、おそるべき破壊の武器を、政治家や軍人の手にゆだねてしまった。おかげで地球上全生物の運命が、彼らの手中に握られてしまっているのだ」イギリス出身のコメディアン俳優で映画監督のチャールズ・チャップリン(188
(密集して咲くシラン) かなり昔の小学生時代の話だ。私の通う小学校近くに「鐘馗様」(しょうきさま)というあだ名を付けられた農家の人がいた。その顔は、中国の道教系の魔よけの神で日本の端午の節句の幟(のぼり)や五月人形になった魁偉な容貌である鐘馗のように怖
(イングリッシュブルーベル=ツリガネズイセン))「わたしは生まれ変わつても新聞を読むだろう。まともな言葉づかひの新聞を読ませてくれ」。作家・文芸評論家の丸谷才一(1925~2012)の『星のあひびき』(集英社文庫)というエッセイ集を読んでいたら、このような言葉が
(ラナンキュラスの赤い花) 国際化社会だ。世界の動きは逐一テレビやインタネット・SNSを通じて入ってくる時代。世界には様々な人がいる。その大半は戦いを憎み、人の世が平穏であることを願っている。スーダンの戦闘を伴う軍部内での対立で、外国人は退避した。しかし多く
(モチツツジ)「昨日は大失敗しましたよ」。朝のラジオ体操仲間の一人があいさつの後、こんなことを言い出した。財布を落とし、冷や汗をかいたというのだ。最終的に落とした財布は無事戻ってきて、知人は「日本はまだ捨てちゃもんじゃないと思います」と話していた。大阪で
(鮮やかに咲いたベニカナメの花) 全国の鉄道駅のホームで、様々な発車メロディが流れている。岩手県花巻市のJR東北新幹線新花巻ホームは宮沢賢治(1896~1933)作曲の『星めぐりの歌』だ。今年は賢治の没後90年になるが、賢治人気は依然高い。同時に、花巻や岩手にゆか
(満開の藤の花) このところ、自然に接することが多い。4月は百花繚乱の季節だから、様々な花々を見て、生きていることを実感する。毎朝、ラジオ体操に集まる広場の後ろの森では「キンラン」が増え、愛らしい黄色い花が咲いている。広場から1・5キロほど歩くと、2本の
海外には大小様々な邦字紙(日本語新聞)がある。そのうちの一つがフィリピン・マニラで発行されている「日刊まにら新聞」だ。この新聞の創刊者、野口裕哉氏はコロナ禍さ中の2020年8月、74歳で亡くなった。それから間もなく3年。昨15日、友人、知人たちが集ま
(ナニワイバラ) 東京のある小学校での出来事。6年生、21人のクラスの担当になったのは新任の男性教師だった。その挨拶。「先生はみんなの名前を覚えるのが苦手だから、最初に名前を名乗ってから話をするように」。これはNHKラジオ「まい朝5時台ニュース/たより」とい
(自転車の姿がない時間帯の遊歩道) 自転車に乗る場合、今月からヘルメットの着用が努力義務(罰則はない)になった。自転車の人のヘルメット着用率は数パーセントしかないという。事故によって頭を損傷する可能性があるとして、道路交通法(63条の11)が改正になった
(キバナモクレン) 今朝、ラジオ体操仲間と「黄色いモクレンの花が咲いた」ということが話題になった。四季折々、身近な自然に目を向ける人たちが少なくない。NHKでは植物学者牧野富太郎(1862~1957)をモデルにした『らんまん』という、朝のドラマが始まった。春爛漫の季
(今朝の「山笑う」風景) 故郷やどちらを見ても山笑う 正岡子規「山笑う」というのは、俳句の春の季語だ。歳時記には「春の山の明るい感じをいう。北宋の画家、郭煕(かくき)の『林泉高致』の一節「春山澹冶(たんや=あっさりしてなまめかしいさま)にして笑うが如し」
散歩道に薄黄色の桜の花が咲いていた。図鑑やネットで調べてみると、2つの品種「ウコン桜」(鬱金桜、右近桜)と「ギョイコウザクラ」(御衣黄桜)のどちらかと思われた。特徴は2つともよく似ているが、花びらの色(ウコンは黄色に近く、ギョイコウは黄緑)から見て、前
ライラックといえば、ヨーロッパ原産の花でフランス語ではリラという。冷涼な気候を好むから、日本では明治中期に渡来した北海道に多いといわれる。散歩道にもうこの花が満開になっているのを見つけた。何とも気が早いと思うのだが、地球温暖化に自然は敏感に反応している
(穂が下を向いたクヌギの花) 毎朝の散歩コースに小さな森がある。その近くには大雨などの際、下流の川の水量を調整するための人工池(調整池)が設置されている。人があまり近づかないこともあって、この池には四季折々渡り鳥が優雅な姿を見せる。しかし、森の方は雑木と
桜の下に人あまたつどひ居ぬ なにをして遊ぶならむ。 われも桜の木の下に立ちてみたれども わが心は冷たくて 花びらの散りおつるにも涙こぼるるのみ。 いとほしや いま春の日のまひるどき あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。 萩原朔太郎
満開の桜が、南からの強い風によって散り始めました。このところ雨の日も多いようです。そして、卒業シーズンですから、まさに唐詩選の「花発(ひらけ)ば風雨多く 人生 別離足(おお)」し」の季節といえるようです。『黒い雨』で知られる作家、井伏鱒二の名訳「ハナニア
(日本の優勝を祝うように満開になった遊歩道の桜) 野球のWBC決勝で、日本チームが野球大国米国を3-2で破り、3大会14年ぶり3度目の優勝を飾った。野球(ベースボール)の発祥国といわれる米国(一部英国説もある)では、かつて少年たちは憲法と野球を習得することで
日本の美術界に大きな足跡を残した一人として挙げることができるのは、東京芸大の前身、東京美術学校の初代校長、岡倉天心(1863~1913)だ。天心は明治時代後期、茨城県北茨城市五浦に活動拠点を移し、現在も旧宅観瀾亭(かんらんてい、大波を見る東屋の意味)と呼ばれる
(満開の木瓜の花) 私は社会部の駆け出し記者時代、新宿警察署を拠点とする「4方面クラブ」に所属していました。その当時、8社の記者がいましたが、その一人に音楽をこよなく愛する記者がいました。自身もヴァイオリンをやり、定年後、かつて私も住んだことがある仙台で
(開花した美しい陽光桜) 自然界のスケールに比べれば人間ははかなく、小さな存在だ。その一人である私は12年前の3.11という大災害に、うろたえたことを忘れることができない。今日も近くの森からウグイスの鳴き声が聞こえ、街路樹のハクモクレンの花が咲き始めた姿が目