四季の動き、社会現象、国際関係、旅の話、読書の感想、歴史、ペット、芸術、スポーツまで幅広い分野をフォローするブログです。
自宅周辺には大雨を調整するための人工の調整池やけやき並木の遊歩道があり、四季折々自然を楽しんでいます。こうした自然を友にした散歩の途中、現代世相について諸々考えることがあります。2006年9月からスタートし、2700回を超えたこのブログは、そうした私の日常雑感をつづっています。
ドイツの詩人で作家のゲーテ(1749~1832)は、アメリカを描いた短い詩を書いている。19世紀初めごろの、ヨーロッパに住む人たちの見方を代弁したような詩だ。アメリカに対する「希望」を感じさせる内容で、現在の姿とはかなり異なる印象だ。それから2世紀近く、アメリカは分断社会といわれ、トランプ旋風が吹き荒れ世界から奇異な目で見られる存在になりつつある。
白樺アジサイの道 新聞の朝刊に「米、イラン核施設空爆」という横書きの大見出しが躍っている。2025年6月23日。80年前のこの日、太平洋戦争・沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わった。糸満市摩文仁の平和祈念公園では沖縄戦の戦没者追悼式があった。そこで祖母が沖縄戦で受けた苦しみをテーマにした「おばあちゃんの歌」という「平和の詩」が、小6の孫によって読まれた。私はこの時間帯、千葉県佐倉市の「宗吾霊堂」にいた。ここで、時代は変わっても庶民が苦しみを味わうことを考えていた。
大谷翔平の故郷岩手山の風景(盛岡市内にて) デッドボール(死球)は「アメリカ野球の文化」という言葉が目に付く。大リーグ(MLB)ドジャースとパドレスの4連戦で8つの死球があり、双方が故意だ、いや手元が狂っただけだと言い張っている。死球はけがを伴う危険な行為だ。それを許す土壌の先には戦争があるといっていい。危険な投球を許容するかのような「文化」という言葉を安易に使いたくない。
2798 第二次大戦終結80年の節目 フランクル『夜と霧』再読
フィンランド・ヘルシンキの街並み(記事とは関係ありません) 今年は第二次世界大戦が終結して80年の節目になる。戦後、世界の人々はこれで平和が戻るかと思ったはずだ。だが、その願いはかなわないまま21世紀も四半世紀を過ぎつつある。80年前、ナチス・ドイツのアウシュヴィッツから解放されたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(霜山徳爾訳・みすず書房)には、死の恐怖の日を送って自由を取り戻した戸惑いと喜びが書かれている。今、世界は再び混迷と争いの渦中にある。こんな時こそ、フランクルの本を読み直したいと思う。
北海道の6月の風景(富良野にて) NHKの朝の連続ドラマ「あんぱん」で「柳絮」(春の季語)が舞っているシーンがあった。日中戦争の一場面として演出したのだろう。私が住む地域(関東南部)では柳絮を見ることはできない。だが、ボタン雪が舞うような映像を見ていたら、以前中国東北部で見た柳絮(ヤナギ科の植物が開花後綿毛のついた種を飛ばす現象)の幻想的風景を思い出した。
氷河が溶けて小さな湖が(ノルウェーにて) 梅雨をもたらしている梅雨前線が日本付近で消滅したと、気象予報士がテレビで話していた。そして、このところ梅雨明けしたような猛暑が続いている。私が住む関東地方で梅雨明けが早いと判断されたのは3年前の2022年で、気象庁は6月27日に梅雨明けを宣言した。結果的にはこれが修正されるのだが、当時のブログを読み返すと「何と6月なのにとため息が出ました。猛暑到来に半夏生の花も驚いているかもしれません」と書いていた。今年は梅雨の戻りがあるのだろうか。
以前、何回かに分けて「明日は明日の風が吹く」という言葉について、このブログで書いたことがある。できれば、楽しくおかしく日々を過ごしたい。だが、私自身だけでなく、世の中の動きを含め思い悩むことも少なくない。そんな時、「明日は明日の風が吹く」と言ってみる。島崎藤村も『千曲川旅情の歌』(2節)で、似たようなことを書いているではないか。
ネムノキは不思議な木です気温の微妙な変化を感じる植物なのでしょうか2度咲きは珍しくありません去年は何と3度咲きを見ました⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄名前の由来は眠る木です夜の闇が来ると葉が合わさるのですまるで眠るように見える就眠運動ですゆえに合歓木と名付けられました⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄夜、マメ科の植物は葉が閉じるのです花芽の形成を月の光などで阻害されないために葉から熱が逃げないようにあくまでも仮説で正解は分かりません⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄比叡山中で目に付くネムノキ延暦寺を目指す信者や千日回峰の行者をレース編みのような葉と薄い紅刷毛の…
トルコに「ナスレッディン・ホジャ」という人物を主人公にした民話がある。ホジャはトルコだけでなく中東一円で愛されている「笑い話」の主人公だ。伝説の人か実在したのかは分からない。ただその「小話集」は「トルコのイソップ童話」ともいわれ、笑いと皮肉に満ちていて、読むだけでストレスの解消になる。イスラエルとイランの武力衝突が世界の人々に危機感を抱かせている中、『赤松千里訳『ナスレッティン・ホジャ202小話集』(ORIENT)を開いた。
2792 今朝も聞こえた「ピース」の鳴き声 きな臭い世界の動きの中で
新聞の一面トップ。「イスラエルがイランの核施設を攻撃」という大見出しが躍っている。テレビは、イランがイスラエルに向けミサイル数百発を発射したというニュースを大々的に報じている。中東の軍事大国同士の武力による応酬。これ以上拡大しないことを世界の人々は願っているはずだ。早朝、物騒なニュースに接した後の散歩途中、野鳥の鳴き声を聞いた。この季節の「鳥の歌」である「ピース、ピース、ピース」だ。
2791 米騒動は「政災的」要因も 米の商品物化で大飢饉の歴史
梅雨に入りアジサイが美しい 米の価格が急騰ししかもスーパーから米がほとんど消え、「令和の米騒動」といわれる問題が起き、政府の備蓄米に消費者が列を作っている実態は、今年の十大ニュースになるだろう。凶作でもないのにこうした問題が起きた裏でうごめく存在があるに違いない。江戸時代、東北では何度か飢饉が起き、多くの人々が犠牲になった。実はこの飢饉も冷害という自然条件だけで起きたわけではなかった。現在の米騒動も、かつての東北の飢饉と共通する政治の失敗を感じざるを得ないのだ。
2790 『アンネ』の思いに寄り添う 83年前に日記が始まる
沖縄のサガリバナに似たギンバイカの花 『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクが父親から買ってもらった日記帳に初めて日記を書いたのは、13歳の誕生日である1942年6月12日、今から83年前のことだった。2年間に及ぶ隠れ家での生活。そこには思春期の少女の赤裸々な思いが書かれているのはよく知られている。世界は自国第一主義が横行し、強者と弱者が分断状況にある。そんな時だからこそ、強く生きたいというアンネの願いに寄り添いたいと思う。
2789 「天分があると思うとダメになる」 謙虚なルノアールの人生
花菖蒲が咲き誇った風景 「芸術家と言うものは、自分に天分があると思うと、だめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われるものだ」。フランスの印象派の画家、オーギュスト・ルノワールの言葉だ。巨匠という存在になっても、自分を謙虚に見つめる。こんな画家が私は好きだ。芸術家に限らず、「つけあがって」しまった人間が目立つ現代。よけい、ルノワールの姿勢が気になる。
花菖蒲の季節です 外来語で俳句の季語になった言葉もかなりある。その中で「麦酒・ビール」(ほかにも関連で黒ビール、生ビール、地ビール、ビアホール、ビアガーデン、缶ビールなどがある)は私の好きな季語の一つになる。中には日本酒を好み「ビールはどうも……」という人もいるようだが、飲み屋に入って「まずビール」という人が圧倒的に多いのではないか。
2787 歴史に「if」はないが…… エゴン・シーレとヒトラー
街中に清流が流れるチェスキークルムロフ(エゴン・シーレが一時住んだ) イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区での容赦ない攻撃ぶりを見て、イスラエルの大部分を占めるユダヤ人に対するナチスドイツのホロコーストを思い浮かべる。アドルフ・ヒトラー(1889—1945)によって、徹底した絶滅政策の対象になった人たち。それが今は逆の立場に立っているように見える。ヒトラーという一人の人間が世界に暗黒の歴史を作ったことは言うまでもない。歴史に「if」はないことを承知の上で、彼が別の道を歩んでいたならホロコーストもなかったし、現在のガザでの戦闘もなかったかもしれないと思ったりする。
2786 蘇る青春時代の別れ 『白い花の咲く頃』を聴く(郷愁シリーズ)
白い花のアジサイ 昔、何気なく聞き、あるいは鼻歌にした歌にはいい歌詞のものが少なくない。例えば、『日本の歌300』(講談社+α文庫)を開いてみると、「白い花の咲く頃」(作詞:寺尾智沙、作曲:田村しげる、唄:岡本敦郎)という歌があった。その歌い出しは「白い花が 咲いてた」だが、別れの寂しさを描いているものの歌詞を最後まで読んでも何の花かは出ていない。それがまた、この歌の魅力なのかもしれない。
ハルシャギクが美しい 「腐草為蛍」=腐草化(ふそうか)して蛍となる=は、草が腐って蛍になるという昔からの俗説だ。蛍のことを「くちくさ」と呼ぶのは、この説に基づくものだという。蛍を観察していると、たしかに水辺周辺の草の中から光を放ちながら蛍が出てくる。中国の古典にあった言葉が日本にも伝わり、今でも旧暦二十四節気の「芒種」の次候(七十二候の一つ)として、「腐草為蛍」(蛍が飛び交うころ)がある。今年は6月11日~6月15日に当たるそうだ。この時期は梅雨入りの季節でもある。
早くも咲き出したアメリカディゴの花 昔の覚え書きを見ていたら、クラシック音楽について書いてあるのが見つかった。ブルックナーやマーラー、ベートーヴェン、モーツァルトら有名作曲家に触れている。それは、私にとっての「音楽の風景」なのかもしれない。私はいい加減な音楽愛好者だが、クラシックのCDを集中的に集めた時期がある。以下の覚え書きは、そんなころに書いたものだ。
2783 傷つけ幸せにする単純な文法 言葉に関する11歳少年の名言
白百合が咲いた 「言葉ってものは/傷つけもするし幸せにもする/単純な文法です」。大岡信の「折々のうた三六五日』(岩波文庫)の今日6月5日分に、ブラジルのヴィニシウス・T・リベイロという11歳の少年のこの言葉が紹介されている。確かにその通りであり、最後の「単純な文法です」がいい。大岡は「11歳の少年がなんと切れ味のいい警句を吐くことか。小癪といいたいほどである」と書いている。こんな子どもがいることに私は頼もしさを覚える一方、大人として恥ずかしささえ感じてしまうのだ。
アジサイの季節になった 一枚の写真を見ると、複雑な思いになる。1984年6月、勤務していた通信社の中国取材班の一人として3週間にわたって中国各地を取材した。その最初の取材が人民大会堂で当時の中国副首相、李鵬(1928—2019)へのインタビューだった。日本に対する中国政府の見解を聞くのが目的のインタビューは約30分で、終わった後取材班と副首相は記念写真を撮影したのがそれである。それから4年後李鵬は首相となり、1989年6月3日夜から4日未明にかけて発生した第二次天安門事件の当事者になった。李鵬は最高指導者鄧小平(1904—1997)の指示のもと人民解放軍を出動させ、天安門広場に集まった学生・市…
高台から見たスロベニアのブレッド湖 スポーツに関する動きが大きなニュースになった。元横綱白鵬の宮城野親方(40)が9日付けで相撲協会を退職すること、プロ野球で戦後一番の人気選手で巨人の監督を務め、国民栄誉賞と文化勲章を受章した長嶋茂雄さんが今日3日、89歳で亡くなったことだ。2つのニュースに対し、驚きをもって受け止めた人は少なくないだろう。2人は、分野は違っても日本のスポーツ史に大きな足跡を残したといえる。
2780 味わいある窓から見た風景 絵と写真のセーヌとテカポ湖
ニュージーランド「善き羊飼いの教会」から見たテカポ湖 窓から見る外の景色は、なぜか味わいがある。「ピクチャーウィンドウ」(屋外の景色を絵画のように見立て、枠取りするように設けられた窓)という建築用語もある。以前、海外で窓から印象に残る風景を何度か見た記憶がある。フランスの画家、ピエール・ボナール(1867—1947)の《セーヌ川に面した窓(ヴェルノン)》も窓から見えるセーヌ川を描いた作品だ。大学の法学部を出て弁護士資格を持ちながら絵画の世界に入ったボナールは、日本美術に感化された画家だった。
北海道ではライラックが咲くころリラ冷えが来る 今日は5月の末日、31日。爽やかな季節のはずだ。だが、午後4時の気温は15度ちょうど。3月に戻ったような寒さ。晩春、一時的に寒くなることを寒の戻り、という。しかし明日からは6月、そろそろ衣替えの時期なのに。この寒さを何と呼べばいいのだろう。
友人の絵「富士山と月」 「赤富士」は、富士山が、夏の朝日に赤々と染まる現象だ。俳句では夏の季語になっている。これに対し「青富士」はあまり使わず、季語にもない。だがこの「青富士」を使った句がある。私の家にも友人が描いた2枚の富士山の絵がある。今年の富士山の山開きは山梨側が7月1日、静岡側は同10日だ。入山料が徴収される青い富士は、今年も外国人でにぎわうのだろうか。
十和田市現代美術館カフェ&ショップの壁画「オクリア」 大相撲の大関、大の里の横綱昇進が決まった。初土俵から13場所というかつてないスピードで綱を締めることになった。天才なのだろう。私が知る限り角界で一番美しいと思った力士は第48代横綱大鵬で、その次は58代の千代の富士だった。大の里はこの2人に並び、美しい土俵入りを見せることができるだろうか。野球なら大谷翔平がやはり抜群に美しい。
2776 混乱の21世紀の象徴 トランプ政権とハーバード大の対立
雨上がりの爽やかな空 古い話だが、1950(昭和25)年に遡る。当時の吉田茂首相が東大の矢内原忠雄総長を「曲学阿世の徒」と非難したことがある。「曲学阿世」とは、真理を曲げた不正な学問のことで、中国の歴史書「史記」にある「学を曲げて以て世に阿る無かれ」からきている言葉だ。「曲学して世俗におもねり人気を得ようとすること」(広辞苑)、と言う意味だ。アメリカのトランプ政権とハーバード大学の対立のニュースを見ていて、戦後の歴史に刻まれたこの言葉が頭に浮かんだ。
2775 あの人たちはどんな人生を 青春時代への想像の旅(郷愁シリーズ)
つつじとブラシノキのコラボ 時々、昔の友人・知人はどうしているだろうと思うことがある。例えば高校時代の列車、バスで一緒だった人たちを思い出す。いずれもがもう長い間、会ったことはないし、消息も知らない。だが、元気に年輪を刻んできたに違いないと信じたい。この人たち(4人)はどんな人生を歩んだのだろうか。想像の旅へと出かけたい。
花が咲かなかった桐の木 政治家を筆頭に、この世界にはおかしな人間が増えている。それと歩調を合わせるように、自然界も次第に変調を来している。昨今、世界の動き、日本社会を見ていると、そう思わざるを得ない。自然界の変調は気象の狂暴化現象だ。そのほかにも正常ではない自然の姿を目にする。その一例。今年、私の散歩コースにある桐の木は花が咲かなかった。
かなり以前の話になる。海外に転勤する友人に、一冊の本とトラベルウォッチ( 旅行用の小型目覚まし時計)を記念に贈ったことがある。どんな理由だったのだろう。当時の備忘録を読み返してみた。それは作曲家、團伊玖磨さん(1924—2001)の旅に関するエッセー集を読んだことがきっかけだった。その備忘録には、以下のようなことが書いてあった。
鋸山の眼下には東京湾が見える 夏山や一足づつに海見ゆる 旧暦5月(現在の6月)、小林一茶(1763—1827)は江戸から房総半島の木更津に舟で渡り、安房方面を旅したという。夏山を登る途中、一歩一歩進んで行くと、海が見えてくる、という光景を描いたものだ。私にとって「郷愁」を誘う一句である。少年時代を鮮やかに思い出すからだ。海は見えない、故郷の「低山」の話だ。
2771 「あの時の苦労が心の支えに」 『今しかない』11号から(2)完
上向きに咲くスカシユリ:ロリポップ 「苦労人」という言葉がある。「多くの苦労を経験し、世の中のことや人情に通じている人」(新明解国語辞典)のことである。米の値段が高騰している中、講演で「コメは買ったことはない。支援者の方々がたくさんコメをくださる。私の家の食品庫には売るほどある」などと話した農水相が辞任(事実上の更迭)に追い込まれた。二世議員で苦労を知らずに政治家になったこの人に、『今しかない』を読んでほしいと思う。そんな政治家が多すぎる時代だ。前回に引き続き『今しかない』11号の「苦労から得たもの」を紹介する。(一部要約・抄)
2770 「苦労から得たものは」 『今しかない』11号から(1)
白のシャクヤク(ボタン同様、ややピンクがかって見える) 「苦労」という言葉を辞書で引く。「困難な条件下で何かをやろうとして肉体的(精神的)に多くの労力を費やすこと」(新明解国語辞典)、「苦しみつかれること」「骨を折ること。心配。労苦」(広辞苑) この世の中、10人いれば10人、100人いれば100人、さらに……。一部の例外を除きそれぞれの人生では、必ずこの言葉が付きまとう。人生を振り返って、苦労したことによって豊かな実りを迎えた人もいるだろう。このブログで紹介している社会福祉法人の小冊子『今しかない』第11号は、「苦労から得たものは」という特集だ。掲載された短い言葉には、苦労を経て獲得した人生…
2769 人と時代の営みを叙事詩に 高橋郁男著『風信』を読む
《人と時代の営みの一端を、現実と想像の世界とを糾(あざな)いながら、散文詩風に綴ります。折々の、風の向きや風の便りをのせた『風信』のように》元朝日新聞記者(素粒子、天声人語担当)のコラムニスト、高橋郁男さんが詩誌「コールサック」に長期連載した『風信』という小詩集の狙いについての短い説明だ。この小詩集がこのほど『叙事詩「風信』 というタイトルで一冊の本にまとまり、6月初めコールサック社から出版される。世界と日本、古代から現代までの人間の営みに関する話題を、選び抜いた言葉と鋭い視点で批評した文字通りの叙事詩といえる。 にほんブログ村
4、5月は「花の季節」といっていいだろう。草も樹木も次々に花を付ける。今は街路樹のユリノキが満開だ。そして間もなくタイサンボク(泰山木)の白いやや大きな花を見ることができるだろう。山本健吉編『句歌歳時記 夏』(新潮社)を開いたら、タイサンボクを詠った句と歌が目に付いた。空に向かって大きく伸びるタイサンボク、その花は人に生きる力を与えてくれるような存在だ。
金沢文庫・称名寺の黄色の花菖蒲 立夏が過ぎて夏至があと1カ月余に迫り、夜明けが次第に早くなりつつある。夏の早朝は気持ちがいい。子どもたちは朝が苦手かもしれないが、逆に高齢者は朝が友だちといっていい。散歩やラジオ体操で交わされる「おはよう」という言葉も、すがすがしさを感じる。山村暮鳥(1884~1924)は、この言葉を「一日のはじめに於て」という詩で歌った。詩の後半にこの言葉はある。5月も中旬、今日は雨模様の一日だ。 みろ太陽はいま世界のはてから上るところだ此の朝霧の街と家家此の朝あけの鋭い光線まづ木木の梢のてつぺんからして新鮮な意識をあたへるみづみづしい空よからすがなきすずめがなきひとびとはか…
森で控えめに咲くスイカズラ 「無告の民」という言葉を聞いて、私はトランプ・アメリカによって追放された不法移民や戦争、内戦で国を追われた難民を思い浮かべる。手元にある先輩編集者のエッセーにも、同じタイトルの文章が含まれていた。かなり以前のもので、こちらは日本の無告の民について触れたものだ。以下はその全文。 「無告の民」この言葉には、一種の哀れさとともにいとおしさが感じられる。と、いうと私がいかにも無告の民でないような感じに受けとられるかもしれないが、もちろん、私とても市井の片隅に暮らす無名の人間であれば「無告の民」には違いない。辞典によると、無告の民とは、苦しみを訴えるところのない人や、寄辺ない…
2765 「うどんの花を見たい」と言った官僚 うそのような本当の話
調整池の森に咲くガマズミの花 佐賀県唐津市で農業を営みながら農業をテーマにした小説やルポを書いていた山下惣一さん(1936—2022)の『村に吹く風』(新潮文庫)を読み直していたら、信じられない話が書かれていた。うそのような本当の話である。1989(平成元)年に出版された本だが、昨今の米価格の高騰の背景を考える上で、参考になる。
2764 釈迦の不戦の教えと現代 世界で一番貧しい大統領逝く
平泉・中尊寺境内 ロシアとウクライナの戦争になって3年余。停戦をめぐって駆け引きが続いている。古来、戦争は勝者にも敗者にも犠牲は大きい。「勝者は怨み(恨み)を招き、敗者は怨み苦しむ。そのいずれでもなく、こころ寂静(しずか)な者こそ、日々の暮らしは平安そのもの」。こんな言葉(法句経——「ダンマパダ」第201偈=げ)がある。ロシアが何の交渉もなしにウクライナに軍事侵攻した今回の戦争。両国の国民には「恨み」の思いが長い間残るに違いない。
目に優しいバラ・アンジェラ 「こんな夢を見た」。夏目漱石の『夢十夜』は、このような書き出しで人間と夢に関する不気味で不思議な10の話が展開されている。言うまでもなく、人間は夢を見る動物だ。では他の動物はどうだろうか。最近の研究によると、人間と同じ霊長類だけでなく、魚やクモも夢を見る可能性があるという。だが、動物たちに、こんな夢だけは見てほしくないと思う。
モミジの白い花 現在、日本の人気スポーツの一つである「野球」が「ベースボール」といわれた明治時代、俳人の正岡子規はこの競技に熱中し、新聞にその魅力を紹介した。それから1世紀以上の時が経過し、本場の大リーグで大谷翔平をはじめとする日本人選手が活躍していることを子規は想像できただろうか。
風にそよぐアザミ 散歩コースにある調整池の一角にアザミの花が咲き始めた。気が付くのが遅かっただけかもしれない。春の季語(夏の季語は夏薊)になっており、春咲きと秋に咲くものがあり、種類も70~80種と多く、かなり長い間、目にする野の花だ。調整池のアザミは風にそよぎ、目に優しい風景を演出していた。そんなアザミをめぐって、小川未明は悲しい童話を残していた。軽い時代が続いている命について、考えさせられる物語だ。
2760 ひめゆりの塔での不快な思い出 歴史の書き換えとは?
今は静かな沖縄の海だが…… 歴史の改ざんをテーマにした作品といえば、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』だろうか。「ビッグ・ブラザー」率いる全体主義国家に真理省記録局と言う部門があり、歴史の改ざん作業を進める。1949年に発表された近未来小説だ。自民党の西田昌司参院議員が沖縄の講演でひめゆりの塔の展示内容について「歴史の書き換えだ」と語ったという。根拠薄弱な発言で、西田氏こそ歴史を歪曲して書き換えようとしていると言われても仕方ないだろう。歴史の改ざんをしたいと思う人間は古今東西存在する。ウクライナに侵攻するロシアのプーチン大統領もその一人ではないか。 にほんブログ村
白い小さな花がびっしりのエゴノキ 夕方、目の前が急に暗くなりました。空を見上げると、あの人の顔に似ている雲が出ていました。怒っているような、それでいて笑っているような、何とも不気味な雲です。今にも雨を降らせるような黒い雲。それを私はトランプ雲と名付けてみました。⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄ この雲から漫画やコメディドラマの光景を思い浮かべました。「ちゃぶ台」返しです。食事に使う4脚の台です。若い世代は想像できないかもしれません。ねじり鉢巻きにステテコ姿の頑固親父。何が気に入らないのか、夕ご飯を食べようとしたとき、これをやったのです。⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄ 親父…
小高い山から見たある都市の風景 君あしたに去りぬゆうべの心千々に何ぞ遥かなる。 君を思うて岡の辺(おかのべ=丘のあたり、ほとり)に行きつ遊ぶ。岡の辺なんぞかく悲しき。 これは、誰の詩だろう。詩に詳しい人には常識だろうが、江戸時代の俳人で画家の与謝蕪村(1716~1784)の作なのだ。詩人の萩原朔太郎(1886~1942)は「この詩の作者の名をかくして、明治年代の若い新体詩人の作だと言っても、人は決して怪しまないだろう」(『ちくま日本文学全集 萩原朔太郎「郷愁の詩人 与謝蕪村」』)と書き、蕪村の斬新な発想に驚きを示している。朔太郎より前には正岡子規が蕪村を再評価している。蕪村の瑞々しい感性は、こ…
白い花のヤマボウシが満開 子どもの日。かつては柏餅と粽(ちまき)を食べる習慣があった。連休を利用して故郷に帰省して、柏餅を食べている人たちもいるだろう。柏餅は夏の季語であり、中には哀切を帯びた句もある。以下の3句はその代表かもしれない。この句を読みながら、私もたくさん柏餅を食べた子供の頃を思い出している。 にほんブログ村
2756「HOME SWEET HOME」よ 憂いと悲しみの目をした大統領
美しい夕焼け 「HOME SWEET HOME」は、「愛しいわが家」あるいは「楽しきわが家」という意味だ。アメリカの第16代大統領、エイブラハム・リンカーン(1809~1865)がこの言葉を愛したという。南北戦争(1861~1865)に勝ち、奴隷を解放したことで知られるリンカーンは観劇中に拳銃で撃たれ暗殺された悲劇の人でもある。日本では同名のイングランド民謡が『埴生の宿』として愛され、映画にもなった竹山道雄の『ビルマの竪琴』(新潮文庫)でも重要な役割を果した。
2755 田中投手の老いとの闘い 劣らぬ優美と力強さの魅力を
人間だれしも老いることは避けられない。それを精神力でカバーする場合もあるが、スポーツ仙選手の場合、肉体の衰えは致命的だ。プロ野球で大投手の目安といわれる200勝まであと2勝に迫っている36歳の田中将大投手(巨人)の最近の投球を見て、彼も選手として晩年を迎えていると思わざるを得ない。故野村克也が楽天監督時代に田中のことを「マー君、神の子、不思議な子」と表現した言葉は遥かな昔のように感じるのは私だけでないだろう。
朝、散歩をしていると、「チョットコイ、チョットコイ」と鳥の鳴き声がする。4月はウグイスとともに、この鳴き声がよく聞こえた。コジュケイという野鳥だ。今日から5月。今度は「トッキョキョカキョク」という鳴き声の野鳥の出番になってくる。ホトトギスである。昔の人は「テッペンカケタカ」と聞こえたらしいが、昨今は私のように「特許許可局」(特許庁はあるが、この呼称の官庁はない)と聞く人も少なくないようだ。初夏の到来を告げる野鳥であり、5日が立夏だ。(写真は高尾山で見つけたシャガの花) にほんブログ村
長田弘(1939~2015)の「ベルリンの本のない図書館」という詩は、ナチス時代のドイツのベルリンで起きた歴史的な焚書(ふんしょ)事件の現地を描いたものだ。ナチスを率いたヒトラーが自決したのは80年前の4月30日で、今日は「図書館の日」だそうだ。長田の詩(詩の一部は後掲))を読み返し、活字の大事さを改めて感じている。図書館こそ文化の宝庫なのだと思う。(30日は空気が澄み、富士山がよく見えた。高尾山より) にほんブログ村
2752 昭和とはどんな時代だったのか ブラックユーモアの叙勲
いつもの喫茶店に入った。顔見知りの先客がいた。毒舌氏と私がひそかに呼んでいる先輩のKさんで、コーヒーを飲みながら新聞を手にしている。Kさんは私に気が付くと手招きした。相席すると、いつもの長広舌を振るい始めた。私は注文したアメリカンを飲みながら、その話に聞き入った。ほかに客はいないのでマスターも一緒に聞いている。(写真はオオベニウツギ) にほんブログ村 ⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄
「五風十雨」(ごふうじゅうう)という言葉がある。5日に1度風が吹き、10日に1度雨が降るという意味から転じて、天候が順調で農作物に都合がいいことを指す。さらに、世の中が平穏無事であることのたとえにも使うといわれるが、昨今はこの言葉を引用した記事や本を読んだことがない。世界の気象もおかしいし、世の中自体も平穏さとは程遠い現状にあり、使いたくとも使えないというのが実態だ。 にほんブログ村
「名も知らない草に咲く、一茎の花は、無条件に美しいものである」。日本のアンデルセンといわれた児童文学者、小川未明(1882~1961)は、『名もなき草』というタイトルのエッセーで「美しいもの、いい音色、正しいものは無条件に理屈を超越して人間の感情に迫る」と書いている。駆け引きと不正義が横行する現代社会。未明の短いエッセーを読んでいつの時代でも、生きる上で何が大事かを求める心は変わらないことを痛感する。 にほんブログ村
2749 津田梅子の「親父の背中」 2人のパイオニア育てた開明人
私は「親父の背中」を見たことがない。私が生まれて間もなく父親は戦死したからだ。太平洋戦争末期のフィリピン戦線でのことで、今日が命日だ。父親がいないことに私は何の疑問もなく、母と祖母が父親代わりになってくれたこともあって、寂しいと思ったことはない。だから理想の親父像を持ったことはない。ただ、さまざまな本や資料を見て、ある人物に畏敬を抱いている。新5千円札の肖像になった津田梅子(1864~1929)の父親だ。 にほんブログ村
池の端に咲くヤマフジ 私の住む街の真中にかつての里山がそのまま自然公園として残っている。4月も下旬となり、このところ最高気温は25度を超える夏日も記録し、急に新緑が目に付くようになった。公園を歩くと、山野草や樹木が「よく来たね」とでも言うように、出迎えてくれた。この季節は家にこもるより、やはり外を歩くべきだと自然が教えてくれる。 にほんブログ村
陣馬高原にて トランプアメリカが世界を相手に仕掛けた「関税戦争」。中でも米中の争いは果てしないほどにまで至ってしまった。あきれるばかりのアメリカの政策は、世界中を巻き込んでいる。かつては世界をリードしたアメリカは、今や斜陽の国に陥ってしまったのか。米中の戦後史を振り返ると、断絶状態を打開した日本のスポーツ大会を舞台にした「ピンポン外交」がある。このような劇的な打開策はないのだろうかと思う。
樹々の若葉の光り揺れだすメヌエット 音楽を俳句に取り入れた加藤千世子(1909~1986)の句だ。夫は人間探求派の俳人、加藤楸邨(しゅうそん)。散歩をしていて、樹々の若葉が萌えている風景を見ると、体が軽くなりスキップをしたくなるような思いがする。今朝は夫婦とみられる高齢者が2人でよもぎを摘んでいた。(蓬がある斜面) にほんブログ村
2745 根室の行商も無駄ではなかった 津村節子と吉村昭のつらい思い出
前回に続き『北の話 選集』(北海道新聞社)の心に残ったエッセーをもとに書いてみたい。今では大作家となった夫妻の若い時代のストーリーだ。芥川賞作家、津村節子(1928~)の「思い出の根室」と言う話だ。津村の夫は同じ作家の吉村昭(1927~2006)だが、このエッセーでは名前は出さず、ただ「夫」とだけ書かれている。2人は、作家として著名になる前に根室で苦労したという。この苦労が2人には作家としての肥やしになったことは想像できる。(緑が濃くなった調整池の森)
「生まれてから5年がその人の人生の方針(生きる上での視点)を決める」と書いたのは、作家の池澤夏樹だ。1945年7月北海道帯広市で生まれた池澤は、この町で5年間を送った後東京に移った。5歳の目でも帯広と東京の風景の違いを覚えており、特に帯広の異質性が好きだった池澤は「外の視点」でものを考えるようになったという。池澤と同年代の私は、18歳まで生まれ故郷の福島を離れなかった。その後の仕事の拠点となったのは東京だが、故郷との異質性を感じたのはいつの頃だっただろうかと考えている。今回はやや「かたい話」です。 JUGEMテーマ:コラム
ウワミズザクラ ラジオ体操は第1と第2の間に首の運動がある。今朝は首の運動の際のピアノ伴奏曲として『春の小川』が演奏されていた。『故郷』で知られる高野辰之(作詞)と岡野貞一(作曲)コンビによる小学唱歌だ。この詩は東京代々木周辺の昔(明治末期ごろ)の風景を描いたもので、モデルは付近を流れていた河骨川(こうぼねがわ)だった。ここは最初の東京五輪の際に下水道の一部になり、現在は当然ながら当時の面影はない。 にほんブログ村
「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」ということわざが昔からある。『故事ことわざ辞典』(東京堂出版)には「桜の枝は折るがよく、梅の枝は切るがよい」という説明が出ている。さらに『続故事ことわざ辞典』(同)には「桜折る馬鹿柿折らぬ馬鹿」(桜の枝を折ると枯れる。柿は刃物を嫌う)ということわざも紹介されている。満開の桜が散り始めた。地球環境の温暖化が進む中、日本の春を彩る桜は、今後も華麗な花を咲かせ続けることができるのだろうか。(美しい枝垂桜) にほんブログ村
2741 庭師から画家への転身 素朴派のアンドレ・ボーシャン
海棠の花が美しい ロシアに軍事侵攻されたウクライナ。政府は兵士の追加動員を進め、いつ動員されるのかと苦悩している若者が少なくないというニュースを見た。戦場では死と隣合わせになるのだからその苦悩は当然といえるだろう。部屋にあるカレンダーの4月は果物が描かれた素朴な絵だ。作者は第一次大戦に召集されたことがきっかけで絵の道に進んだ画家で、その生き方はこの世界ではさまざまな人生があることを教えてくれている。 にほんブログ村
美しい雲 仏には 桜の花を たてまつれ わが後(のち)の世を 人とぶらはば(仏となった私に桜の花を供えてほしい。私の後世をだれかが弔ってくれるならば) 辻邦生の名作『西行花伝』(新潮文庫)は、この歌で終わっている。西行の弟子藤原秋実(あきざね・実在せず、作者のフィクションと思われる)らゆかりの人たちの目で、西行の生涯を描いた作品は、満月が白く光る夜、満開の桜のもとで73年の生涯を終えたことが書かれている。当然、桜に絡んで、よく知られた西行の「あの歌」も出てくる。
日本の春、一斉に桜が咲く季節。美しさ、華やかさに包まれ、心躍る人が多いのではないか。「予祝」(よしゅく)という言葉がある。辞書を引くと「あらかじめ祝うこと。前祝い」(広辞苑)とある。満開の桜の下で楽しむ「花見」も実は予祝だという。どんなことかといえば、稲の実り、豊作を引き寄せようという農民の前祝いなのだ。そう聞くと、米の値上がりが続く今年こそ、満開の桜に豊作と米価の安定を託したいと思う。(満開の桜を見ながらそぞろ歩きの人たち)
2738 因縁の「硫黄島の星条旗」写真 国防総省サイト削除・復活
太平洋戦争の激戦地、硫黄島を石破首相が先月29日、アメリカのヘグセス国防長官とともに訪れ、日米合同の追悼式に出たことはニュースで見た。あの激戦から80年。この戦いで米軍の勝利を象徴したといわれる6人の兵士が米国旗・星条旗を摺鉢山山頂に掲げる写真、いわゆる「硫黄島の星条旗」をめぐっては、さまざまなエピソードが付いて回っている。最近も国防総省のウェブサイトが一時削除したあと、復活させるなど物議を醸したばかりだ。
桜と霧とビル 四月なのに手袋をする寒い朝歩いて数分の憩いの場所調整池に面して桜が咲いている辺りは霧が立ち込めている陽光に映える桜はすがすがしい見上げる私の顔に一枚の花びら 出がけに読んだ新聞米トランプ政権が相互関税発表の記事一面から社説まで溢れている川柳の中心もトランプ氏「偉大なアメリカ」「解放の日」三文役者のような台詞が虚しい 桜が私に問いかける君は私を見て何を考えてきたかと私が答えるあなたは人間に利用され続けてきましたねあなたには戦争と平和が付きまとうのですね 桜が私に話すどんな時代でも私は花を咲かせてきた人の喜びも争いも見てきた今はいい時代になったでも時々変な人間が現れるのを知っているで…
JUGEMテーマ:人生論 イタリア生まれのオペラ作曲家、ジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868)は、37歳で引退した。この後の人生を、ロッシーニは何をして送ったのだろう。それは「食」である。ロッシーニは若くしての引退だが、定年後にスペインのバルセロナで豆腐屋を始めた元新聞記者がいる。豆腐という「食」へのこだわりが、動機だ。彼が書いた本『バルセロナで豆腐屋になった ——定年後の『一身二生』奮闘記』(岩波新書)を読んだ。(バルセロナ市内の風景) にほんブログ村
JUGEMテーマ:アジアのニュース ミャンマーで中部の都市マンダレー近郊を震源としたマグニチュード7・7の大地震が発生した。軍事政権の発表では死者は1600人以上、3400人以上のけが人(29日現在)が出ており、残念なことだが被害が大幅に拡大するのは確実とみられる。ミャンマー国民の苦しみは想像に余りある。(写真=こんな平和の光景はいつ見られるのだろうか・ベトナム南部にて) にほんブログ村
JUGEMテーマ:ヨーロッパ 人の一生は、その時代に大きな影響を受ける。戦乱の時代、平和な時代、双方が交互にある時代……。そうした環境下で生き抜き、歴史の一員になっていく人々。その一例として私は第二次大戦時代の音楽家(特に指揮者)に興味を持つ。この人たちがこの混乱の時代をどう生きたのか。その姿は、時代を超えて人間とは何者かを考えさせてくれるのだ。(写真=クロアチアにて) にほんブログ村
春風のとり乱したる弥生哉 正岡子規の句だ。アメリカ・トランプ政権が日本車を含む全輸入車への関税を25%上乗せする(内訳は乗用車が2・5%から27・5%に、トラックが25%から50%)と発表した。「保護主義の暴走」という言葉が合う、驚くべきアメリカ第一主義の発表だ。子規の句通り、多くの国で取り乱している関係者は少なくないだろう。 にほんブログ村 この句を紹介した『笑う子規』(天野祐吉編・南伸坊絵、ちくま文庫)は、子規のユーモアあふれる句を集めている。この句について、天野は「春は悩ましい、狂おしい。風まで、取り乱した人の姿を思わせるように吹き荒れる。そういえば、八百屋お七が恋に狂って放火したのも、…
2732 標的になったジャーナリスト 歴史の現場労働者の危機
パレスチナ・ガザで朝日新聞通信員がイスラエル軍の攻撃によって死亡したという記事が朝日朝刊の一面トップに出ていた。ガザ当局の発表では戦闘が始まって1年半で207人のジャーナリストが犠牲になったという。戦争取材は危険そのものであることは言うまでもないが、戦争では間違いなく、ジャーナリストも標的にされているといえるだろう。 にほんブログ村 朝日の通信員はムハンマド・マンスールさん(29)といい、海外メディアがガザに入って取材することが困難なため、自らも避難民となりながら最前線で取材したジャーナリストの一人だった。私がかつて在籍した通信社でもガザ地区取材には地元のジャーナリストが通信員として働いていた…
2731 八重桜に映える藍色の空 核とともに天空に浮く地球の歌
核弾頭五万個秘めて藍色の天空に浮くわれらが地球 昨日のブログで紹介した宮城県気仙沼大島の歌人、小野寺文男さんの短歌の師である加藤克巳(1915~2010)の歌だ。3月も今日を入れてあと1週間。今朝は藍色の空が広がっていた。しかし、この地球には悪魔の武器である核弾頭が数多く存在することに憂いの思いが募るのだ。 にほんブログ村 加藤のこの短歌は、大岡信著『折々のうた 三百六十五日』(岩波文庫)の3月25日分として登場する。加藤の作品は難解といわれる。大岡の短い解説——『加藤克巳全歌集』(昭60)所収。大正4年京都府(綾部市)生まれの作者は、昭和12年大学在学中に第一歌集『螺旋階段』を出した。当時の…
空に海に胎動のときがめぐりきたらむ 春一番の潮けむり この歌は宮城県気仙沼市の大島で漁業と民宿を営みながら短歌を作っていた小野寺文男さんの歌集『冬の渚』(砂小屋書房)の「春かすみ」の中の一首です。「空に海に胎動(ものごとの始まり)のとき……」と言う言葉から、私は春の息吹、自然界の躍動を感じるのです。早朝、散歩コースの調整池には霧が立ち込めていました。しばらくして太陽が昇って来た自然の姿を見ていますと、ふとこの歌の風景が蘇ってきました。 にほんブログ村 小野寺さんはこの島で生まれ、太平洋戦争に召集されたあと、1945年9月に復員。その後島で父親とともに漁業に従事しました。短歌が心の支えとなり、歌…
静かな春の日です池の周りを歩いていました後ろの森からウグイスの初音が聞えてきました小さな鳴き声ですいつもの年より遅いと遠慮しているのでしょうか⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄ 耳を澄ませましたもう少し大きな声でと注文してみましたもう一度小さな声その後で少しずつ大きくなっていきましたウグイスも鳴き方の稽古をしているのでしょうか ⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄静かな春の日です森の木々が薄緑や橙色の葉を出し始めました太陽に向かって挨拶をしているようです私たちもこの季節を待っていたのですと森が輝いているように見えます⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄⬄ 故郷の春を思い出…
沖縄県本部町に住む友人がいる。かつての海洋博跡地にできた沖縄美ら海水族館で知られる町だ。友人が本土~奄美大島を経てこの町に移り住んで26年。最近、友人が経験した一つのエピソードをフェースブックに載せていた。今回はその話を転載する。「人情紙のごとし」と言われて久しい現代。でも、沖縄には本土では考えられない人情が残っていた。(写真をクリックすると大きく見えます) にほんブログ村 先日のこと、高木になりすぎた庭木を剪定してもらっていた最中に伐採した枝が屋根に落下し、その衝撃で不運にも瓦が割れてしまったことがありました。枝を落とした庭師さんを責めるわけにはいきません。ケガしかねないリスクをおかして高木…
「踏襲」という言葉がある。「前人のあとをそのまま受けつぐこと」(広辞苑)、「それまでのしきたりややり方を変えずに、そのまま受け継ぐこと」(明鏡国語辞典)——という意味だ。石破茂首相が当選1回の新人議員15人と懇談し、1人10万円の商品券を配った問題。岸田文雄前首相も同様のことをしていたと報じられている。これこそ、踏襲なのだろう。本来この言葉は特に悪い意味で使われるわけではないが、今回ばかりは悪しき踏襲といっていいだろう。(写真をクリックすると大きく見えます) にほんブログ村
ちょうど1年前のブログで、大リーグドジャースの大谷翔平に関するテレビ報道について書いていた。「朝から晩まで大谷…… すさまじいテレビの集中豪雨的報道」というタイトルだった。それほどテレビの大谷報道は異常だった。あれから1年が過ぎ、やはり同じ現象が続いている。それだけでなくテレビのCMも大谷を起用したものが続出し、彼が野球選手からタレントになったように勘違いしてしまうほどだ。(写真をクリックすると大きく見えます にほんブログ村 昨夜、東京ドームでドジャースとカブスの大リーグ開幕戦があった。これを日本テレビが生中継した。多くの野球ファンが日テレ及び系列局の画面を見たに違いない。驚いたのはイニングの…
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