chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
田舎住まい https://blog.goo.ne.jp/onime_001

吸血鬼テーマーの怪奇伝奇小説を書いています。田舎ではスローライフをたのしんでいます。

ソニー・ロリンズは三度カムバックしたといわれています。 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」の二人をめざしています。 ということはだいぶ歳もくたびれていますが、精神には衰えはありません。 なにせ吸血鬼作家ですから。 よろしくご愛読のほど。ズズイットおねがいします

オニメ
フォロー
住所
栃木県
出身
栃木県
ブログ村参加

2007/08/13

arrow_drop_down
  • 桜紅葉はまだかいな。 麻屋与志夫

    10月28日土曜日雨があがったので、午後、散歩にでた。千手山公園の群葉にへんかがでた。いつも四季をつうじて緑の葉をつけている樹はべつにして、桜の葉は色あせて淡い灰紫色になった。もうすぐ、桜紅葉が見られるだろう。紅葉した桜の葉が落ちつくせばこの里に冬が訪れる。街の西にある岩山がごつごつした岩肌をみせることになる。男体山の冠雪はいつごろになるのだろうか。晩秋の景色をたのしみながら思考を重ね聖母幼稚園の脇をとおり、母校の門の前まで歩いた。桜紅葉はまだかいな。麻屋与志夫

  • たどり着きて今だ山麓。 麻屋与志夫

    10月28日土曜日朝から雷雨たどり着きて今だ山麓。わたしの恩師は木村学司先生だ。劇作家であり小説家で浪曲の原作者だった。NHK『浪曲劇場』という番組をもっていた。「暇があったら、いやいそがしくても一冊でもよけいに本をよむことだよ」と雑誌デビューをようやくはたしたばかりのわたしを導いてくださった。『二一世紀の会』に誘われた。「わたしの故郷の友人です」と紹介された。弟子ではなく友人。先生の気配りに恐縮した。この会には当時人気絶頂の徳川家康の山岡荘八。村上元三。俳優の大友柳太郎、江戸や猫八の諸氏が参加していた。わたしは志なかばにして家庭の事情で田舎にもどってしまった。それからというものは、六十年、生活苦とたたかいながら生きてきた。この歳になってようやく文学以外のことには頭をつかわなくてすむようになった。今朝は、...たどり着きて今だ山麓。麻屋与志夫

  • 超短編24「比喩間野 伊戸子ともうしますだぁ。」

    10月21日比喩間野伊戸土曜日超短編24「比喩間野伊戸子ともうしますだぁ」遠野将平はおどろいた。SNSでつぶやいた。塾の教師を引退した。じぶんと同じだ。場所ばかりとってもはや読むことも利用するともなくなった蔵書。売却しようかな、とふともらした。とたんに、驚くではないか。古本屋さんから高価出張買取のPRがべたべた画面に張りついてきた。SNSマーケッティング敏速さには身の毛もよだつ。将平は部屋からでる。インターホーンがなっている。妻が帰って来たのか。むぞうさに、玄関をあけた。おどろいた。若い女がほほえんでいる。どことなく妻が若いときに、知りあった頃の彼女に似ている。?????……。「比喩間野伊戸子ともうしますだぁ。」肌だってIPS細胞で人肌よりもなめらかであたたかいですだ」なんだかおかしな口調だ。言語修復がひ...超短編24「比喩間野伊戸子ともうしますだぁ。」

  • 短編小説24 断捨離 麻屋与志夫

    10月20日金曜日「蔵書、古本屋さんにきてもらって処分したら」秋の彼岸で帰省した娘がすすめる。「サンリオの文庫本なん高いらしいいわよ」「村上春樹、初版本がそろってるじゃないの」妻と娘が口をそろえる。このところ彼女たちは、断捨離推進派。「塾の黒板も売れるんじゃない。椅子も机も什器いっさい買い取ってもらえるものは売り払いなさいよ」90歳で教壇を下りた。無収入となったわたしは無用の長物。粗大ごみになってしまった。元気ハッラツとしているわが家の女たちが眩しい。短編小説24断捨離麻屋与志夫

  • 「もう死んじゃうよ」麻屋与志夫

    10月17日火曜日「ショウチャン」老婆に呼びとめられた。銀座の街角だ。「ほら、同級生のムッチャンだよ」覚えがない。古い記憶のページをぱらぱらとめくった。「ほら、食べさっせ」なつかしい故郷の言葉だ。彼女は店頭のミカンをひょいと取りあげて彼にすすめた。「みんな同級生は死んじゃったもんね」「ムッチャンはげんきそうだ」名前で呼びかけられて老婆はすごくうれしそう。ミカンのあまずっぱい味が口の中に広がる。「話しかけてくれてありがとう。また声をかけてよ」「もう死んじゃうよ」「そんな弱気なこといわないで元気じゃないか」老婆はうれしそうにほほえんでいる。深いしわがかがやいている。歩きだして、ヒョイと振りかえる。彼女はまだ手をふっている。「武藤青果店」という古びた看板が遠い視野のなかに浮かび上がる。そしてその脇に、鹿沼銀座通...「もう死んじゃうよ」麻屋与志夫

  • はかなくさく秋海棠 麻屋与志夫

    10月14日土曜日淡いピンクの秋海棠の花がすきだ。朝露が花びらの裏に宿っている。下向きに咲く花なので花芯には宿れない。わたしはそれでも、露に嫉妬した。陽で透きとおった淡い花弁にとまっていられる。でも、おまえの命は陽が高く上るまでだ。やがて、おまえは蒸発して天に昇ってしまう。だが、雨となり雪となりあるいはまた露となってわが庭に降りてくる。そのときまでこのいじらしい花はこの庭にあるだろうか。もうこの庭には咲いてしないかもしれない。いや、この庭もわたしも存在していないかもしれないのだ。だからこそこの一瞬の出会いたいせつにおもいたいのだ。「ゴハンデスヨ」朝食の準備ができたと妻がキッチンでよんでいる。こうして一日がはじまる。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで...はかなくさく秋海棠麻屋与志夫

  • 杖をついて、かえって転倒の危険がある 麻屋与志夫

    10月10日火曜日今日は暖かになる。天気予報だ。昨日は寒がりのルナのために暖房をした。室温15℃。猫にはさむすぎる温度なのだろう。いまはなきブラッキーは15℃になるとわたしの寝床にもぐりこんで来た。二階の書斎に寝ていた頃の話だ。いまになってみると幸福だったなあ。健康になんの不安もなく、夜中に電気をつけて本を読むことが出来た。いまは妻と同室なので電気をつけての読書は遠慮してしまう。家庭のことはなにもやらないわたしのために。男がやらなければならない仕事もこなして、夜は疲れ切って寝ている。トイレに行くときも音を立てないように気配りしている。気配りといえば――杖をこのところつくようになった。転ばぬ先の杖という。べつに杖なしでもあるけるのだが、なんども転倒している。杖がないと不安なのだ。つかれてくるとつい杖にたよっ...杖をついて、かえって転倒の危険がある麻屋与志夫

  • 祭りの後の秋の雨 麻屋与志夫

    10月9日月曜日祭りがおわった。にぎやかなお囃子の音がきこえなくなった。秋の雨が降りだした。なごりおしそうに街のはずれで叩いていた遠い太鼓のひびきもとだえた。秋の夜。街のざわめきが空気のぬけた風船のようにしぼんでしまった。昨夜は下痢。昨年のいまごろも二月くらい下痢が続きなやまされた記憶が鮮明によみがえった。注意していたのに。なんとしたことだ。眠られぬ夜をすごした。朝。雨は降りつづいていた。青白い馬が、げんなりと首を垂れたような街に秋雨がふりそいでいる。読書の秋だ。わたしは反省をこめて……。むかし読んだフィリップ・ソレルスをはじめヌボーロマンの作家の本を。五重塔のように積みあげた。べつにぜんぶ目をとおすわけではない。あれほど豊潤な熱意もって読みぬいた本だ。いまは、かわききった頭になった。再挑戦して読もうと思...祭りの後の秋の雨麻屋与志夫

  • 老夫妻の間の友情のようなものは 麻屋与志夫

    10月7日土曜日老夫妻の間の友情のようなものは、友情のもっとも美しい芸術品である。三島由紀夫今日は街の祭日だ。朝からお囃子の響きで目がさめた。明日が本祭りでにぎやかだ。動く陽明門といわれる屋台が何台もでる。そこで、朝からの夫婦の会話。長崎の祭りの実況をテレビでみながら。「優雅なまつりよね。この街の祭りはガサツであまりすきではないわ」「長崎の祭りは衣装にしても、出し物にしてもりっばすぎる。こんな豪華な祭りを見るのは初めてだな」「わたしは静かなのが好き。お祭りはあまりすきではない」「おれもきらいだ。おれは雑踏のなかにでると、すぐ喉をはらす」ともかく、この歳まで夫婦でいる。予定調和ではないが、話がよく合う。夫婦としての話がすごくたのしい。それは恋人同士のときからだ。聞き上手、話し上手の妻を相手にしているのだから...老夫妻の間の友情のようなものは麻屋与志夫

  • 秋深く、ひとり歩む文学の道 麻屋与志夫

    10月6日金曜日散歩から帰って少し寝た。最近とみに疲れやすくなってきた。なんとかいままでの体力を維持したいと散歩をしたりバーベルを持ち上げたりしている。だが急におそいかかってくる歳の波にのみこまれそうです。寝ていて見る夢はともだちの夢。功なり名を遂げたともだちもいる。無名のまま亡くなった友人も多い。一将功なりて万骨枯る。なんだか古臭い表現でごめんなさい。万骨のなかに入らないようにGGは精根をかたむけています。あいかわらずお座敷のかからない小説をかきつづけています。夢にでてくるともだちはもはやこの世にはいません。語りあったり、励ましあった彼らが残ってはいません。残っているともだちもいるのだろうが便りは絶えはています。寂しいです。GGの泣き言に朝からつきあっていただいて恐縮です。いま、イジメが話題になっていま...秋深く、ひとり歩む文学の道麻屋与志夫

  • 刈り残された彼岸花 麻屋与志夫

    10月5日金曜日不意にビューンと音がする。草刈り機だ。この季節になると、まるで年中行事のように。街のいたるところで、空き地で雑草の草刈りをする。ともかく空き家が多い。庭は草が生い茂っている。草刈りをするのは賛成だ。ただ、わたしが知らないだけで。雑草と片付けてしまうがきれいな花をさかせているものもある。刈り取られてしまうのは。なにかかわいそうな気がする。真紅の彼岸花が雑草の中に混じって咲いていることもある。キバナコスモスが咲き誇っていることも。それらもみんな、刈り取られて無残な姿をさらしているのはかなしいものだ。今朝、散歩にでたところ――。空き地で草刈りをしていた。少し色あせはしてきた。だがそれでもまだ赤く咲いていた彼岸花を。狩りのこした作業員の方がいた。その後ろ姿から後光がさしているようにかんじた。麻屋与...刈り残された彼岸花麻屋与志夫

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、オニメさんをフォローしませんか?

ハンドル名
オニメさん
ブログタイトル
田舎住まい
フォロー
田舎住まい

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用