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四季の旅人 https://blog.goo.ne.jp/rogu-0322

四季の自然を中心にして書いています。

時には人などに関わることを書くことがあります。

rogu
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八幡市
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福井市
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2006/11/04

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  • 森は住み家

    きょうの詩は私達の住み家となっている里山の森の荒みに思う私の思い森は住み家里の森は人の社会と同じ多種多様な樹木などで成り立ち互いが共存しバランスを保っているいまその森が病んでいる森の至る所で樹木が倒れ荒廃し森が泣いている森は人の手が入らないと荒れて人が関わることで維持されすべての民の住み家となる。森は住み家

  • 「ひとめ」思う

    きょうの詩は「ひとめ」そう思うのはひとでなく夏の山野草の花への思いひとめそう思う人が私にはいてその人に会うため心ときめかせ六月を心待ちしひとめ思う人が私の求めるユリユリなら至る所で咲いているじゃない違う…そのユリでなく私が「ひとめ」そう思うのは山野草のユリ彼女が消えると再会は難しく、会えは七年後そう思うから夏になるとひとめ会いたくなる。「ひとめ」思う

  • 雨にみる思い

    きょうの詩は、降る雨にみる怒りとひとのおごりに対する思いをみる詩雨にみる思い降る雨に私と同じ怒りを見て思うのは雨の素直さ雨は怒りをダイレクトに伝え、一気に暴走し破壊しRESETしながら流れ回帰させる雨その人のおごりに怒りで戒めようと注意を促すがそれを無視する私に向かって怒りで回帰Resetする雨の優しさ。雨にみる思い

  • 一本の樹木

    きょうの詩は私がよく歩く森のなかに立つ、一本の樹木がみせる一コマをみての思い一本の樹木人知れず立つ一本の樹木きょうも訪れの少ない境内に立つ樹木が得意げになるのが萌からの新緑、青葉からの黄葉彼女が描くプロセスとワンシーンはすてきでいつも切ない恋心をわくわくさせああ…この素顔から萌え広がり深く染まる大きな包容力で怒りを遮りホッとする木陰を一本で阻む包容力を森に立つ一本の樹木にみる。一本の樹木

  • 梅雨の桜

    きょうの詩は梅雨空の下で映える一葉の美しい桜を見ての思い梅雨の桜花を終えた樹木の葉が全体を覆い一葉の緑梅がみずみずしい桜その桜の樹の下に集う者はなく今日も寂しげで日差しが桜に声をかけ「呼ぼうか誰かを」誘うが・・・日差しはまだ…梅雨色で逃れてくる者はなく「先か…」私の梅雨化粧はみずみずしく美しいのに誰も私に振り向いてくれない。梅雨の桜

  • 6月の雨

    きょうの詩は6月の梅雨入りで降る雨にみる私の思い雨の6月梅雨入りか・・・この雨が森に潤いを齎し、うまい水が生まれその水で美味しい米が作られ、果実などが育まれ私もこの雨から心身に潤いを受ける6月の雨「いいね」そう言いたいけれど「おいおい少し降り過ぎじゃない」これは驕る私に対しての怒りであり、哀しみか降る雨に対し私は何も言えずああ・・・「きょうもよく降るな」で終わる水無月。6月の雨

  • 心残るひと

    きょうの詩は、いままで過ごしたなかで私にとり心残るひととなっているのが、ひとでなく里山で咲くささゆりに対する思い。心残るひと長く生きていると心に残る想い出が多く、心に残る人は多い。その中で一年に一度しか会えないひとが、里山でひっそりと咲くササユリ。花は野山で咲くのに七年以上を要し、会えるササユリが私の心残るひと。消えたら会えるのは七年先。でも会えるとは限らない想い出のひと。心残るひと

  • 最後のわかれ

    きょうの詩は何れ私にもくる、生あるものに必ず平等に来る永遠のわかれに思う会えないわかれひとのわかれにはいろいろなわかれがあるなかで一番悲しく寂しく後悔に抱かれるのが愛おしいひととのわかれ寂しく哀しく募る思いは感情を揺さぶり回帰するが唯唯想い出を拾いしのぶ生あるものすべてに訪れる永遠のわかれなまじ思考があるがゆえにやむ命のうせというわかれ。最後のわかれ

  • 五月の思い

    きょうの詩は終わった五月に対する私の思い終わった五月五月の中で私が求める花は新緑の中で燃えるヤマツツジツツジなら街でも見られるじゃないでも違うんだね私が求めるのは小さな赤い花その赤がいいそれが五月で叶わず閉じの末まで待って求めたのはサツキ叶わぬ思いをサツキに重ね、五月が終わるああ終わってしまったと六冊目を開く。五月の思い

  • 嫌なひと

    きょうの詩は好きになってわかれたあの人の想い出を、季節の花に重ね想う私の思い。嫌な人人は出会いと別れを繰り返し私は何も分かっていないと悩む人との別れ今、別れの思いを花に変え私の好きな人を花に重ね思い出を追うように季節ごとに咲く花を求めるが季節ごとに咲く花は私の浮つく心を見抜き弄び見抜き季節ごとに一コマ…で私の思い出を詰め勝利を満面の笑みで弾けさせる嫌な人。嫌なひと

  • 咲を宴として

    きょうの詩は6月が旬の紫陽花を宴に例え書いた花に対する思い。6月の宴素焼きの器で甘露の雨水を受けほろ酔いし少し飲み過ぎたかな・・・ほんのり顔を赤らめ酔った姿が美しい器の数々そろそろ紫陽花の季節かな・・・その個性その表情は多種多様で雨後の度毎に酔いを深めきょうはこの器で明日はこの器でと杯を変え宴の場を盛り上げる多彩な器の宴が愛おしい。咲を宴として

  • 降る雨に思う

    きょうの詩は降る雨に、ひとの感情を重ね想う雨の降り雨に思うああ・・・今日も雨か降る雨に今では人と同じような感情を見て雨は時には怒りを見せて降るがその源は人間にあるのか考えさせられる雨はすべての生をつかさどる命の源本来それぞれに対し愛しみを込められながら降っていた雨を人々がその環境を変えたことで今では感情をあらわにして雨を見て思う「おまえ今日は随分機嫌が悪そう」と思う雨。降る雨に思う

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