きょうの詩は私達の住み家となっている里山の森の荒みに思う私の思い森は住み家里の森は人の社会と同じ多種多様な樹木などで成り立ち互いが共存しバランスを保っているいまその森が病んでいる森の至る所で樹木が倒れ荒廃し森が泣いている森は人の手が入らないと荒れて人が関わることで維持されすべての民の住み家となる。森は住み家
きょうの詩は、春を彩った蒲公英の咲終わりによる旅たちの思いどこへそろそろ旅立ちの頃だね彩を喪い白髪になった君に話しかける「君はどこに向かって旅立つのか」問う私に何も答えず旅立ちの日和を待ち誰に知られることなくひとち・・がさよならも告げず住む場所も定めず風に乗って空に舞い漂い知らない地に下りひとり春を待つ。花の終えと旅たち
きょうの詩は、四月終りに降る雨にみる私の思い。四月終わりの雨末の雨は何を散らし何を咲かせるのか思う花を散り、立夏に見る花は咲く雨は咲きをsaveし、長く持たせる雨となるのか思い仰ぐ雨空は暗く新緑が久しぶりの雨をむさぼり、顔を化粧し映えとなって明日は華となって咲くのか・・・「見たい」雨が化粧を落とし、素顔の返る四月の終わり。四月終りの雨に思う
きょうの詩は新緑の美しい四月の終わりに咲くさくらをみての思い。森のなかで新緑の萌える森を歩きながら里の桜に誘われるように咲いた桜もいまは彼女たちと同じように新緑となって森を新緑で蔽い日差しを和らげる森のなかに散らばる無数の桜の花びらあれ・・・これは桜か仰ぐ新緑の広がりのなかで咲く桜をみて森の春から夏のChangeを知る。新緑の森のなかで
きょうの詩は蒲公英で占う私の恋占い花占い春の日差しが注ぐ草原に寝そべって風になってみる蒲公英の花その旬を過ぎ白髪になった彼女に願う私の花占いすべてが飛べば思いは満たされ少し残れば心離れの気配でたくさん残れば私に関心はなく恋は終わりああ、未練が・・・いま花の綿毛を飛ばしながら重ねるのはときめく恋占いでなく散り行く哀しい私の生。蒲公英で花占い
きょうの詩は、ひとがもつ二つの心に思う善と悪人がもつ善と悪この二つは生を受けた時から持ち初めは家族の愛で制御を学び自立することで自身が二つを制御しひとりの人間として二つの責任を負い自らがひとりの人間として他人を守り生きる責任を負う。二つの心
きょうの詩は、四月の終わりに降る雨にみる私の思い温の雨は春から夏にResetを促していく雨が私の春の想い出を忘れさせ、夏を見る勢いはなくああ・・・雨か降る雨に暖かさはなく、名残の冬を見て少し肌寒いな今までのあの夏日を忘れる寒空と小雨雨は冬の侘びか、それともいたずらか過ぎる月日の流れに哀しみ私の思いを優しい抱擁で消してくれる雨。はるのあめ
きょうの詩は、私がよく歩く参道の谷間の斜面で咲く山吹の花をみての思い花にみる気品谷を覆う新緑の下で細くしなやかな枝に付く蕾が谷あいに差し込む日差しに優しくKissをされ恋に目覚める花たちが見せる黄金色の上品なほほ笑みその凛とした花に重ねるのは小花からこぼれる崇高な美しさ。谷間の山吹
きょうの詩は、桜散り後の新緑の日陰で咲く別名Iris、射干の咲にみる私の思い日陰もの陽光を避け鋭い葉で私を守り日陰で花を咲かせる射干仲間は日差しを浴び咲くのに対し私は日陰で私の美を貫く「あなたは素直じゃないね」と言われながら私は私と反抗しかわいいIrisと呼ばれるでも・・・そう言われても私はIrisにはなれない。別名Iris
きょうの詩は、桜の咲きにラブコールを送りながら一度見れが直ぐに冷めるひとの性に思う桜の散りに見るああ桜が・・・咲きが終わり視界から花が消え代わりの新緑を見て思う花のはかなさに思うのは花の散りに見る寂しさでなく逢瀬に見る心の冷めの早さ想い出を切り替えるそのドライさ人の悲しみも四十九日というが戒めは花にあらずで一度見れば日常に返り新たな出会いに走る人の性を花の散りで知る。桜の散りに思う
きょうの詩は、私が思い重ねる春の出会いとわかれを咲くさくらに重ね想う詩春の出会いと別れ春は出会いと別れの季節というが私がいつも春に重ねるのは冬を消し萌えて咲く花との出会いであり散りに見える別れ今では私の出会いと別れはうせて春に見る花に出会いと別れを重ね恋の別れのように心に傷を負うこともなくいまは春の出会いと別れを桜の咲きと散りで知る。出会いとわかれ
きょうの詩は、いつも山のpeakで咲く一本の山桜の咲をみ過ごし思う想い旬を逃す里から咲く桜が里の山に移るころ「山の桜も咲いているか」思い、いつも咲く場所に向かえば桜は散り、既に葉桜となって樹木を蔽い花の終わり告げているああ、私の一春の恋がこの時点で終わり会えるのは来春か逃した桜との逢瀬を悔いながら寂しさを葉桜に重ね心焦がす。咲を追がして
きょうの詩は、さくらの散り後を雨後に例え思う想い。さくらの雨後さくらの咲きに多くの人が魅せられ集い見とれた花にも終演が訪れると潮が引くように人は去りさくらの下は寂しい砂浜の広がりとなりいまは歩く人も少ないさくら並木花は雪となって舞い散り薄ら地表を淡雪で染めページのめくりの中で彩を失い朽ちるように消え花なき後に初心な木の葉が華となって萌え花との思い出が消えるさくらの雨後。花のうご
きょうの詩は昨夜の雨が止み、夜明け間の間で目覚めうつろいのなかで思う無音に思う詩朝の無音夜の雨が残り、雨音を引きずっているかうつろいの夜明けのなかで拾うのは私の好きなショパンの音色でもなくしくしく泣くすすり泣く雨音でもなく無音の雨後の静寂ああ・・・雨が止み、生気が一時なりを静める境目か動き始めるものは何もなく光のさざなみを待つ夜明けの静かな境目。---間で
きょうの詩は旅たち、その旅たちに思う私に想い旅立ちきみの旅立ちは知らない町を歩く旅かもしれない目的はあるが、手法も分からずこれから得て私を創るために自らが選択し良き友人を得て試行錯誤し周囲に守られながら私の容を創っていく私の旅立ち私の新たな旅はこの旅立ちから始まる。旅たちに思う
きょうの詩は、さくら咲くなかで吹く南風にみる私の思い風は南風さくらの樹の下に立って花を見れば日差しを散らす風がざわついて少し寒い花冷えかな・・・思うほどの冷えはなく風がどこかでたたいているバチの音が聞こえ寒くなるのかな・・・思う遊風に唇を奪う強引さもなく今日の南からの風。春の南風
きょうの詩は、さくら咲くなかで名所には人が集うけれど、それ以外の桜は人知れず咲いて散る想いに思う待ちぼうけさくらがいろいろな場所でほほ笑み笑みを見せる中私はひとりで咲いて微笑を見せても訪ねてくる者はなく一週間待って人の集う声も聴かずひとりわあ・・泣きながら涙を落とす私さくらってきれい声も聴かずの寂しい待ちぼうけ。さくら咲くなかで
きょうの詩は、人の生きるなかで訪れるわかれ、そのわかれにはいろいろなわかれがあり、そのわかれに思う私の思い。わかれ何て寂しい三文字の言葉なのか人はこの言葉に人生を左右され病み苦悩し挫折し嘆くわかれこの生きるプロセスのなかのわかれは負う傷口は浅いが愛する人との永遠のわかれは深くいつまでも病み悔いを引きずり心をむしばむさようならでもそれは生きるのに二与えられた容の消滅。わかれに思う
きょうの詩は、空の気まぐれで開花が遅れ「まだ見ぬきみはまだか」思うなかいつの間にか咲いた桜にみとれる。いつのまにか春とはいえ氷空の気まぐれの中桜咲く春はまだ先かと思えばいつのまにか私の待つ桜が微笑を見せ春のMaineは私でしょうSepiaの空間を染める桜ああ桜が・・・いつのまにか至る所で「私、奇麗でしょう」ほほ笑む町の桜たち。さくら
きょうの詩は、私の住む町でも三月には咲をみるソメイヨシノの咲は遅く後数枚で四月か、思うなかでみた数輪の微笑みに思う三月の終わり。終わる三月終わる三月に思うのはああ・・・三月が終わり明日は四月か思う中で冬が桜に横恋慕し咲きを妨げて昨日も今日も無口で今日も笑みが見られないか後数枚めくれば四月になる思う中で逢えたソメイヨシノのほほ笑み優しい素顔の笑みに見るのは忘れていた初恋のときめき。終る三月
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きょうの詩は私達の住み家となっている里山の森の荒みに思う私の思い森は住み家里の森は人の社会と同じ多種多様な樹木などで成り立ち互いが共存しバランスを保っているいまその森が病んでいる森の至る所で樹木が倒れ荒廃し森が泣いている森は人の手が入らないと荒れて人が関わることで維持されすべての民の住み家となる。森は住み家
きょうの詩は「ひとめ」そう思うのはひとでなく夏の山野草の花への思いひとめそう思う人が私にはいてその人に会うため心ときめかせ六月を心待ちしひとめ思う人が私の求めるユリユリなら至る所で咲いているじゃない違う…そのユリでなく私が「ひとめ」そう思うのは山野草のユリ彼女が消えると再会は難しく、会えは七年後そう思うから夏になるとひとめ会いたくなる。「ひとめ」思う
きょうの詩は、降る雨にみる怒りとひとのおごりに対する思いをみる詩雨にみる思い降る雨に私と同じ怒りを見て思うのは雨の素直さ雨は怒りをダイレクトに伝え、一気に暴走し破壊しRESETしながら流れ回帰させる雨その人のおごりに怒りで戒めようと注意を促すがそれを無視する私に向かって怒りで回帰Resetする雨の優しさ。雨にみる思い
きょうの詩は私がよく歩く森のなかに立つ、一本の樹木がみせる一コマをみての思い一本の樹木人知れず立つ一本の樹木きょうも訪れの少ない境内に立つ樹木が得意げになるのが萌からの新緑、青葉からの黄葉彼女が描くプロセスとワンシーンはすてきでいつも切ない恋心をわくわくさせああ…この素顔から萌え広がり深く染まる大きな包容力で怒りを遮りホッとする木陰を一本で阻む包容力を森に立つ一本の樹木にみる。一本の樹木
きょうの詩は梅雨空の下で映える一葉の美しい桜を見ての思い梅雨の桜花を終えた樹木の葉が全体を覆い一葉の緑梅がみずみずしい桜その桜の樹の下に集う者はなく今日も寂しげで日差しが桜に声をかけ「呼ぼうか誰かを」誘うが・・・日差しはまだ…梅雨色で逃れてくる者はなく「先か…」私の梅雨化粧はみずみずしく美しいのに誰も私に振り向いてくれない。梅雨の桜
きょうの詩は6月の梅雨入りで降る雨にみる私の思い雨の6月梅雨入りか・・・この雨が森に潤いを齎し、うまい水が生まれその水で美味しい米が作られ、果実などが育まれ私もこの雨から心身に潤いを受ける6月の雨「いいね」そう言いたいけれど「おいおい少し降り過ぎじゃない」これは驕る私に対しての怒りであり、哀しみか降る雨に対し私は何も言えずああ・・・「きょうもよく降るな」で終わる水無月。6月の雨
きょうの詩は、いままで過ごしたなかで私にとり心残るひととなっているのが、ひとでなく里山で咲くささゆりに対する思い。心残るひと長く生きていると心に残る想い出が多く、心に残る人は多い。その中で一年に一度しか会えないひとが、里山でひっそりと咲くササユリ。花は野山で咲くのに七年以上を要し、会えるササユリが私の心残るひと。消えたら会えるのは七年先。でも会えるとは限らない想い出のひと。心残るひと
きょうの詩は何れ私にもくる、生あるものに必ず平等に来る永遠のわかれに思う会えないわかれひとのわかれにはいろいろなわかれがあるなかで一番悲しく寂しく後悔に抱かれるのが愛おしいひととのわかれ寂しく哀しく募る思いは感情を揺さぶり回帰するが唯唯想い出を拾いしのぶ生あるものすべてに訪れる永遠のわかれなまじ思考があるがゆえにやむ命のうせというわかれ。最後のわかれ
きょうの詩は終わった五月に対する私の思い終わった五月五月の中で私が求める花は新緑の中で燃えるヤマツツジツツジなら街でも見られるじゃないでも違うんだね私が求めるのは小さな赤い花その赤がいいそれが五月で叶わず閉じの末まで待って求めたのはサツキ叶わぬ思いをサツキに重ね、五月が終わるああ終わってしまったと六冊目を開く。五月の思い
きょうの詩は好きになってわかれたあの人の想い出を、季節の花に重ね想う私の思い。嫌な人人は出会いと別れを繰り返し私は何も分かっていないと悩む人との別れ今、別れの思いを花に変え私の好きな人を花に重ね思い出を追うように季節ごとに咲く花を求めるが季節ごとに咲く花は私の浮つく心を見抜き弄び見抜き季節ごとに一コマ…で私の思い出を詰め勝利を満面の笑みで弾けさせる嫌な人。嫌なひと
きょうの詩は6月が旬の紫陽花を宴に例え書いた花に対する思い。6月の宴素焼きの器で甘露の雨水を受けほろ酔いし少し飲み過ぎたかな・・・ほんのり顔を赤らめ酔った姿が美しい器の数々そろそろ紫陽花の季節かな・・・その個性その表情は多種多様で雨後の度毎に酔いを深めきょうはこの器で明日はこの器でと杯を変え宴の場を盛り上げる多彩な器の宴が愛おしい。咲を宴として
きょうの詩は降る雨に、ひとの感情を重ね想う雨の降り雨に思うああ・・・今日も雨か降る雨に今では人と同じような感情を見て雨は時には怒りを見せて降るがその源は人間にあるのか考えさせられる雨はすべての生をつかさどる命の源本来それぞれに対し愛しみを込められながら降っていた雨を人々がその環境を変えたことで今では感情をあらわにして雨を見て思う「おまえ今日は随分機嫌が悪そう」と思う雨。降る雨に思う
きょうの詩は私の恋についての思い恋に思う私恋それは私がひとが持つ性恋なくともひとは生きられるが恋は情熱情熱は生きるための活力でを失えば覇気が消えひとは人間を失う唯何となく煩わしいことも捨て生きるそれもありかでもひとは恋を追い求めないと容を失うそうひとの恋は人対人でなく人対四季の自然な恋もいい。私が思う恋
きょうの詩は、私が生を受け過ごすなかで生じる悩みを、解消する気分転換に思うに思う私の気分転換ひとは生を受けるとその時点から悩みを負う。それは成長に従って悩みの対象は広がり、「私は悩みなどない」そう思うひとは少なく、大抵のひとが悩みを抱え込む。それは思考と言葉を持つひとの宿命で、それがゆえにひとの心は荒み、Stressを抱え込み、「いまを変えよう」思うなか、私は悩みを解消するため、野山を歩くことで悩みを吐き出し、空にするResetが私の気分転換。私のReset
きょうの詩は、街の公園で咲く小さな花群をみて想う私のバラへの思い初夏に咲くバラ私がよく気分転換に訪れる街中の公園のバラ小さな囲みの中で群れ咲くバラを見て初夏か・・・知り花色はイレブンくらいであるがそのひとりには育ての愛が込められて彩の個性は少ないが花の色と数は多様で咲きに私たちの子育てをみて楽しくうれしくなる街で咲くバラたち。初夏に咲くバラ
きょうの詩は、私がよく使う二つの言葉に対する私が思うこと。二つの言葉私たちが使う一対一で「好き」「愛している」使う二つの言葉はいまは日常会話となって二人の関係を深めるが本来は「好き」と「愛している」とは対象が違い「好き」「愛している」は一対一の限定に対し「愛」はすべてのものが対象に対し「好き」「愛している」は最愛の人に使い「愛」は生あるものに対して使う思いやりや慈悲の心。二つの言葉に思う
きょうの詩は私が思う愛についての思い愛に思う愛は生あるものが持つCoreとなる心ひとは彼らと違い言葉と判断で自らの愛を温かい包容力で優しく包み和ませるのがひとの愛愛は利を求めずすべてのものに対し相手を労り傷ついた心を癒やし優しくあやすように温もりを伝えて元気にする人の愛愛は温もりで思いやりであり生きる喜びの道となるのがひとの愛。ひとの愛に思う
きょうの詩は初夏の街で咲いて散った、花の終りを旅たちに変え思う私の思い散りという旅立ち私の思う散りというツツジの旅立ちその旅立ちは恋して楽しい逢瀬を数日過ごし別れを予感しああ旅立ちか・・・知り涙し散るツツジの容のうせ笑顔が消え生みとなった木の葉が化粧し美しい顔で「またね」と告げる花の旅立ち。ツツジの散り
きょうの詩はミモザに付けられた花言葉を重ねて思う私の思いアカシアの思い私は一つの恋で終わるのではなくひとりに恋しながらもうひとりとの恋を楽しむ私その花の思いなど知る由もなく魅力的な花と繊細な一面に鮮やかな黄花ポンポンのような花を着物の胸元から軽く垂れる様子ははかなく心の満たされない私の思いはあなたにひそかに求める私。花言葉に思う
きょうの詩は私がもち思う「好き」という言葉に対する私の思いSUKI好きという思いは人が持つ性であり感情感情は人が生きるためのツールで人を対の形に作る反が歪みを生み思いを暴走させ制御を失う一面も持つ好きという人の思い思いはその人が持つ個体差で違いそれはその人の魅力であり美しさ好きは人のコアとなる心で好感に変換され互いが惹かれ求め合う性を生む。「好き」その言葉に思う
森の寂寺がたたずむ森のなかは静かで時間が止まってみえる流れは緩やかでそれに反して私の鼓動は速く恋するときめきの鼓動となり寂を壊す私の心音無粋だその無粋な鼓動を鎮めるのは日差しを遮る森の厚化粧の空間。森のなかで
花の戸惑い町の至る所で夏の花が咲いて私は見ごろと微笑む花たち香りは薄く夏の花たちが鮮やかな花彩でみせてそのなかのひとりをみて咲くのが早くない思う花に重ねる夏の戸惑い。夏花に思う
夏の花私が好きなアジサイのアナベル花の色は白とピンクいつもみるのは白でピンクはいまだに会えない愛しいひとそのひとは感情をたかぶらせることなく何人にも染まらないむくでその白亜の美しさが薄汚れた私の心を雨と共に洗い流す。紫陽花のアナベル
わたし私は愛する二人から生を受けいまを生きているふたりの愛で私という形を作り多くの関わりあう人たちから愛を受けて糧となる彼等の恵みで生を育みいまの私があるそのいまがあるのは彼等のおかげでその感謝でいまが在りありがとうで私は明日を生きる。私が在るのは
ある想いきょう思う想いは人でなく夏のアジサイそのひとは日本の花でなく西洋アジサイのアナベル色は白とピンク一目でいいそう思いながらいまだに会えないピンクのアナベル一度でいい想いつつ過ぎる夏の想い。一目
森の樹森のなかに立つ一本のケヤキ見た目はでかくでかい割には格好のいいひとりでこれがケヤキかそう思い新緑のケヤキにみとれる夏の青その深緑のテラスに集うものはなく辺り一面を夏の寂が漂う。夏のケヤキ
初夏の桜の堤で花の消えた初夏の桜並木には訪れる人は少なく長い沈黙の時が流れる静寂の一時その樹木の下で座り耳を澄まして命の声を拾うが邪念で固まる私には何も聞こえない。桜の樹の下で
一枚のArt森のなかの小路に立ってゆっくり空をみながら窓の下に広がる森の表情を追いArtに見立て一枚・・区切りBestな一枚を選ぶなかで出会うBestな一枚は私の失せた恋心に再び火を付ける。森は一枚のArt
初夏の花走り梅雨が森に潤いをもたらし雨後の日差しがつぼみに話しかけ優しい新緑の広がりが百合を抱きしめ温める初夏その暖かさのなかで花は恋心をふくらませ淡いpinkの姿態を少しうつむきかげんに咲かせるその姿は控えめで愛くるしく優しい微笑みで私の想いをもてあそぶ。初夏のササユリ
私の想いで人は月日を重ねながら成長して一期一会を重ねながら想いでをつづり一冊の本になりその本は校正なしの一冊で時にははがし破いて修正を重ねるごとで私の一冊となり初めはつまらない一冊が年月を重ねるごとに私の想い出になる。想い出
いま思うのはいま私が思うのは籠のなかに閉じこもり失せた旅への想いああ・・・知らない街を歩いてみたい思う気持ちと裏腹に行動に移れない私いま消えた想いと情熱を思い「さあ行こう」その一歩が出ない私を窓から流れ込む初夏の風が「さあまずは街を一緒に歩こう」風が私の耳元で誘う。燻る情熱
紫陽花の社交場初夏の街の至る所で紫陽花が一人二人と微笑むなかでまだあどけない子もいれば薄化粧のおしゃま少女もいるまだまだ化粧の美しいひとは少ないが色とりどりのドレスを花がまとい日を追うごとに華やいでいく紫陽花たちの雨後の社交場。夏花の宴
私が思う恋恋か・・・関係ないないな恋を男と女の性として捉えるから相手を失うと終わる私達も動物と同じ本能をもっているがそれをControlする術を持つ出会いイコール恋でなく互いは惹かあうことで恋が生まれるそれはあくまで自然体から。思う恋
私の換気人はソフトとハードで構成されいまを生きているそのソフトは意外とトラブルという弱点を持っているがソフトは更新と交換ができず維持のメンテナンスが生じる怠ればショートし壊れる人のソフトそれを維持するため私は換気とリセットで更新を繰り返す。私の気分転換
想い出の人誰もが忘れられない思い出の人を心のなかに残しているそれは生涯表に出ない私の心のCoreに閉じ込められて私はいまを生きているそれがいま朽ちるなかで時折うずいてああ・・・切ない思い浮かべるあの人との時間それは私が心に閉じ込め消したふたりの想い出の一時。心に残る人
好きと恋私達が使う好きと恋の言葉好きだからといって恋にはならないひとが求める恋はひとの性で好きとは心の部分この二つは混同され錯覚し狂いを生む言葉いま恋し好きになり恋の形を作り二つが私のCoreを生す。二つの言葉
五月の椛色々な場所で初夏の美をみせる椛がちやほやされるのが秋でその私が春の萌えから初夏に移るといまの私は蚊帳の外ああ・・・何で生える所は違っても私も同じ椛そう思うと哀しいいま菜種梅雨と初夏の心地よい風で春を洗い彩化粧で潤う私も見てと椛が誘う。初夏の椛
消える私公園のなかで際立つ一本がみせる香りの存在感樹木の花は個性と色と香りで存在感を示すが足を止め仰ぐものはないいま彼女の満面な笑顔から香りがこぼれるその香りを拾い見上げるものはなく笑顔も消え渇いた涙が樹の下に散らばる。フサアカシアの散り
風に乗って堤で咲き終えたタンポポが花びらを綿毛に変え新たなる出会いを求めて風を待つ私吹く風は気まぐれでいつ来るかわからないあなたを待ち続ける風が来れば風に必死にしがみついて飛び降りた地で私の生が再び始まる。ある花の旅たち
初夏色染まり散り色あせぬ花びらに別れた女性(ひと)の想いでをかさねる色とりどりのバラ咲く色とりどりの園は多くのひとに愛されるが私もそのひと(女性)りなのに愛されずひとり寂しく散る花もあるその花はどこで咲いても恋化粧は美しく魅惑の微笑みで私を誘う。初夏のバラ