日本の中世というのは圧倒的に管理されていない社会なのだそうです。強い者には自由度が高いのですが、弱い者は顧みられないということ。朝廷(公家)は日本を統治しているように見えて、実はその意志に欠けていて、貴族社会の継続が全てであり、幕府(武家)は御家人との関係が全てであったのです。歴史の表舞台に出てくる(名前のある)人は強者であり、摂関政治が終わり院政が始まると、皇室も公卿たちもかなり自由にお楽しみをしたので、ご落胤のような人が多数いました。皇室では親王・内親王宣下(ようは認知ですね)がされないと皇室の一員と認められないので、それ以外のお子達は名前もなく逼塞していたのです。もっとも色々な事件とかが重なって皇統が怪しくなるとこういう子たちに出番が来ることがり、改めて宣下がされたりします。現代日本では皇室の行く末...【5月27日】