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  • 【7月16日】

    デカメロンを5日分読みました。そのあとはこの頃日本史中世づいているので鎌倉幕府誕生と中世の真相というのを図書館で借りてきて読み始めました。真相なんて言葉は学術本にはありませんで、発行が日経BP社ということで平易な本となってます。【7月16日】

  • 【7月15日】

    小澤征爾の名前は日本人に永遠に残っていくと思いますが、山本直純の名前はどうでしょう。真に天才の音楽家でした。作曲家・指揮者・ピアニスト・エンターテナーでした。普通の日本人にクラシックを馴染ませてくれた人です。なんと言っても寅さんの全作品の音楽担当、さだまさしとの交友、一年生になったらーの名曲、8時だよ全員集合の登場マーチ、森永チョコレートのCM(大きいことはいいことだーー)、NHK大河のテーマ曲、え、それもこれも直純さんの曲だったのーという人です。そして自ら出演したオーケストラがやってきたは楽しい番組でした。クラシックの曲も多く書いているので、もっと再評価されるべき人でありますね。「山本直純と小澤征爾」柴田克彦朝日新書【7月15日】

  • 【7月14日】

    世界文学全集ものをこのごろ読んでいませんが、先日デカメロン(全3巻)の1冊(上巻)を買っておいたので、挑戦し始めました。中世(日本は鎌倉時代)のイタリア、ペスト禍で街から別荘に避難した10人の男女が暇つぶしに1日1話10日間で100話を語るというものです。今日は第一日5話まで読みました。1話はそんなに長くないので、全体としては長編ですが、好きな時にポロポロと読めますね。デカメロンだけではなく新書で山本直純と小澤征爾も並行しています。小澤征爾は多くの人が知るところの大指揮者ですが、山本直純はある年代以上の人ならば知っているという指揮者・作曲家ですね。この二人は大の親友であり、小澤征爾は山本直純に対して指揮は彼の方が上であると尊敬しています。ほぼ同年代の二人の生まれから指揮者としての成功の足取りを書いています...【7月14日】

  • 【7月13日】

    中央公論6月号の続きをよみました。日本史の話の他に、現代の政治事情とか国内のルポルタージュとか久しぶりに読んだ総合誌は面白かったです。【7月13日】

  • 【7月12日】

    中央公論6月号の特集が逆転の日本史ということで、最近はかつての悪人と評価された人たちのみならず高評価の人たちの見直しなどが進んでいるというもので、中央公論なんて本当に久しぶりに読んでいます。それは新しい資料が出てきたりとか、集中的に研究されたりとかしての結果のようです。足利尊氏と後醍醐天皇との関係とか、織田信長の天下のこととか、坂の上の雲で司馬遼太郎に無能と言われた乃木将軍とか面白いです。【7月12日】

  • 【7月11日】

    昨日、美女たちの日本史を読み終えて、夕食後読み始めた山のミステリー異界としての山を読み始めて、今朝の退院までの間に読んでしまいました。ミステリーといっても推理小説ではなく、とかく山に接して暮らしていると色々と不思議なことが起こります、ということを収集した本です。(管理人のいない)避難小屋で一人で宿泊していると、人(その付近で亡くなった遭難者が多い)が見えたりとか、引き止められたのに無理やり登山を強行して遭難しそうになったところ、幽霊のようなものに導かれて避難小屋にたどり着いたとか、そういうお話ですね。医者なのに山小屋に連れ込まれた瀕死の登山者を、今日は休日だからと診ることを拒否した医者の話(登山者は死んだ)もありました。「定本山のミステリー異界としての山」工藤隆雄ヤマケイ文庫電子版【7月11日】

  • 【7月10日】

    歴史小説というジャンルでは男性中心のものがほとんで、かの司馬遼太郎も女性が主人公のものを聞いたことがありません。戦国時代までは女性がかなり歴史の表舞台にあって、歴史を動かしてきたことは事実。永井路子はそういう女性を掘り起こして、歴史小説全集まで出ました。NHKでのトークでこの全集からいくつかの作品を語り、終了後エッセイ化したものを読みました。へえと気づきを与えてくれる話でした。「美女たちの日本史中央公論社電子版」永井路子ゴマブックス【7月10日】

  • 【7月9日】

    鎖骨整形の手術をうけまして、全身麻酔をしたあと回復に3時間余。そのあとは朦朧とした頭でトイレに立ちましたが、左腕に痛み止めの麻酔注射がされているので、アームスリング(昔でいう三角巾)から外れたら、ただの肉棒がぶら下がっているようで、我ながら気持ち悪かったです。手術のまえの待ち時間に、Kindoleで読んだのが(山小屋と同じくこういう時はKindoleに限ります)杉本苑子の美女たちの日本史。歴史上に名を残した女性の話です。【7月9日】

  • 【7月8日】

    朝ランをしていましたら転倒してしまいまして、左肩甲骨をバキバキに折ってしまい、明日は再建手術となってしまいました。左手がいうことをきかず、時折骨が皮下神経を触るので激痛があって、やれやれな1日でした。図説室町幕府をトボトボと読んでいました。明日は全身麻酔をかけたあと、ぼーっとしていなくてはならないでしょう。【7月8日】

  • 【7月7日】

    日本史づいていまして、図説室町幕府なる本を読んでいます。室町幕府というのは南北朝の延長にあって応仁の乱などはありますが、日本史でも地味なところですよね。この時代は日本文化の基礎ができたとは言われていますが、派手さがないので大河にもなりにくいです。このところ鎌倉府、古河公方、千葉氏などの本を読んだので、関東から離れて京の動向をということで読み始めました。【7月7日】

  • 【7月6日】

    田んぼの苗もここのところだいぶ伸びてきました。現代の稲作は消毒を1回行いますがあとは水管理をしっかりすれば、秋にはお米ができ、田んぼに人が入っているのを見ることは多くないですが、江戸時代は苗作りから田んぼ作りまでとても手間暇がかかって、これから夏を迎えて雑草取りに追われる毎日で、田んぼ漬けでした。農民は休みなく働いていたということがよくわかりました。そして面白かったのが、結髪で、江戸時代の男女は鬢つけ油を塗っているので髪型はいつも整然としているのですが、あまり洗髪をしないので、汗や埃で臭気が漂っていたそうです。それを香料でごまかそうとするので、余計に複雑な悪臭がしたそうです。幕末の京都で新撰組が芸妓を捕らえて取り調べたとき、頭髪の異臭で耐えられなかったという話が残っているそうです。江戸でも御殿女中ですら日...【7月6日】

  • 【7月5日】

    ビックコミックオリジナルです。セシルの女王はヘンリー8世の6人の妻の生き様が終わり、1ヶ月のブレイクがあって、エドワード王子とメアリ女王の話になっていきます。セシルとエリザベス女王との話はまだまだ先ですね。【7月5日】

  • 【7月4日】

    江戸時代は駅前商店街などはありませんから、日々の食品とか日用品などをお店を探して買うことになります。実際はお店に買いに行くよりも、行商が裏長屋の奥まで売りにくるのを買うのですね。売るものを細分化していて、一人の行商は一つのものを売っているわけで、江戸の町中は行商の売り歩く声で実に賑やかだったのではないかと思います。時代劇を見ていると、夜暗くなって家に戻ると火打石で行燈に簡単に明かりを灯すシーンがありますが、火打石の火花でそんなに簡単に灯心、ローソクに火がつくものかと不思議に思っていました。そこのところは付木売りという行商が付木を売って歩いていたのです。マッチのようなもので、柿葺き(こけらぶき)の板のような薄い小片の板の先に硫黄が付いていて、火打石の火花をそこに移すと発火して燃え、その炎を行灯などに移して点...【7月4日】

  • 【7月3日】

    先日、大江戸復元図鑑武士編を読みましたが、今度は庶民編を借りてきました。裏長屋、町奉行、町年寄などの話から始まりました。作者の画がわかりやすくて面白いのがこの本の特徴です。【7月3日】

  • 【7月2日】

    最近は図書館に足繁く通っているのですが、(文学作品の)書架を眺めていると、かつて名のしれた作家の単行本が静かに資料のように並んでいて、一方でこの作家の作品がこれしか並んでいないのかと思ったりもします。職業作家は食うために売れる本を書いてきたわけですが、売れなくても純文学を書き続けるという人は今やいないのでないでしょうかね。ただでさえ本が売れないというご時世で、作家も大変です。また出版社を通さずにネットで作品を発表する人もいますね。かつてのベストセラー作家とその作品は今はどう評価されているんだろう、と文芸評論家の小谷野淳の本を読みましたが、面白かったです。発表当時の評価と今になっての評価とが、時代の流れですっかり変わって、この一作品で名を残した作家もいるし、数多く発表しても埋もれてしまった作家もいます。それ...【7月2日】

  • 【7月1日】

    千葉一族の歴史を読了です。著者は高校生の時から千葉氏にハマり在野の研究家として幾星霜という人です。日本中の千葉氏の末裔を訪ね、中国にも行っています。面白かったので千葉市郷土博物館に行ってもっと知りたかったのですが、10月までリニューアル閉館中でした。残念。そういえば江戸東京博物館も長期の閉館中で、オープンは来年とのことです。「千葉一族の歴史」鈴木佐編著戎光祥出版【7月1日】

  • 【6月30日】

    引き続き千葉一族の歴史を読んでいます。千葉県に住んでもいない限り、千葉一族に興味を持つことはないと思うのですが、本当に全国に系譜や伝承が広がっていることがわかります。前5千円札の新渡戸稲造も千葉氏の末裔だそうですよ。【6月30日】

  • 【6月29日】

    千葉常胤は千葉六党と呼ばれる本宗家と庶流を生みました。本宗家は北条氏についていたので、小田原合戦で秀吉に敗れ滅亡しましたが、三党は大名として残ることができました。一つは名前を伊達と変えて伊達家の重臣として大名になり、一つは相馬中村藩として伊達に対峙しつつ大名となり、一つは東氏の流れをくむ郡上八幡で初代の藩主となった遠藤氏で、藩主の妹は有名な山内一豊の妻となりました。その他には徳川の重鎮土井利勝が佐倉藩主となってから旧千葉氏の一族は仕官がなり、身と徳川家も積極的に千葉氏を引き受けたのですね。【6月29日】

  • 【6月28日】

    桓武平氏の流れをくむ千葉氏は千葉常胤の時に大きく発展します。常胤は頼朝に大きな信頼を得て父のように慕われたそうです。常胤は多くの庶流を生み、日本各地に領地をもらい、のちにそこに土着するようになります。土着した先でも千葉氏はそれなりに繁栄をして、へえという感じです。【6月28日】

  • 【6月27日】

    鎌倉時代から戦国時代まで存在感があった千葉氏のことを読んでいます。ずばり、千葉一族の歴史です。千葉氏は桓武平氏の流れで、平姓を桓武天皇からもらった高望王(桓武天皇の孫、または曾孫)は平高望と名乗りました。桓武天皇には大勢の子供がいたので、高望王は将来の出世や収入が望めないと考えて、臣籍降下し関東に下り関東を地盤として栄えたということです。その子は8人兄弟ですが、平良文の流れが千葉氏の流れになります。ちなみに良文の兄である良将は将門の父です。【6月27日】

  • 【6月26日】

    雑誌東京人が江戸川乱歩邸の特集をしていたので読みました。江戸川乱歩邸は池袋の立教大学の敷地にあります(邸そのものが立教大学に譲られました)。大正関東地震の頃に作られた家なので痛みが激しく、大改修が行われこの5月に完成しオープンされました。有名な土蔵の書庫は外からしか伺うことはできませんが、住まいの方は尋ねることができます。色々な乱歩にまつわる話も載っていて面白かったです。ちなみに、乱歩の孫の平井憲太郎氏は鉄道模型雑誌とれいんの代表者です。【6月26日】

  • 【6月25日】

    図書館の書棚を眺めていたら地下水の本。ちょっと面白そうだったので借りてきました。地下水・湧水の疑問50というタイトルです。水は淡水と塩水がありますが、淡水は2.5%でしかなく、そのうちの70%は氷河などの氷で人類の利用できる水の99%が地下水だそうです。地下水はどこからくるのか、どこへ行くのか、どこにあるのか、地下水の全てが書いてあります。【6月25日】

  • 【6月24日】

    知行取り以下の武士は拝領屋敷を分割して借地経営や畑を作ったりしていましたが、大岡忠相(大岡越前守)の与力の屋敷を借地した一人の儒学者が青木昆陽で、それが大岡の知るところとなり、そのことでサツマイモが関東に広まることになったのだそうです。維新後の徳川家は800万石から70万石の静岡藩に縮小されましたが、3万人近い幕臣は新政府に仕えるか、自分で商売農業をするか、無報酬で静岡藩に仕えるかと選択があったのですが、思いの外に新政府に仕えるものが少なく(武士の意地ですな)、さりとて静岡藩も5000人ほどのお抱え余力しかなかったので、大変だったそうです。「鬼平の給与明細」安藤優一郎ベスト新書【6月24日】

  • 【6月23日】

    江戸時代の武士の給与模様が書かれた鬼平の給与明細を読んでいます。鬼平(長谷川平蔵)は池波正太郎の小説で有名ですが、どのような所得があったのかは作品には書かれていません。平蔵の父親は大阪西町奉行まで進みましたが、ある意味でできる人だった平蔵は妬まれたのか火盗改メまでしか進めませんでした。時の老中首座松平定信の覚えも悪かったようです。平蔵は小説にもあるように若い頃はヤンチャな遊びで江戸下町界隈をならしていて、その経験で悪世界を知っていたというのは事実のようです。金も使い方を心得ていたようですが、さすがに破産寸前までいったようです。でもうまく乗り切ったのは事実らしい。平蔵は旗本の中でも決して石高の多い人ではありませんでした(400石)。それでも知行取り(領地を持っていた)だったのでうまくやって行けたのですが、そ...【6月23日】

  • 【6月22日】

    一昨日届いた(街の本屋さんではなくアマゾン)ビックコミックオリジナルを読んでおりました。太田垣康男のSFが面白かったです。現代の司法調査官が江戸時代にタイムスリップした公事師の弁も面白くなってきました。【6月22日】

  • 【6月20日】

    地上に星座をつくるは石川直樹が雑誌新潮に毎月掲載したエッセイで、2012年から2019年までのものからセレクトされています。ヒマラヤとカラコルムに通い、8000m峰全座登頂したのは記憶に新しいです。ユーコン川をカヌーで下ったり、北海道の流氷がオホーツク海で生まれるところを見に行ったりとなんでも見てやろうという精神が旺盛です。子供達と写真を通しての交流を深めることもやっています。写真でも土門拳賞を受賞しています。ヒマラヤでの目標が一段落して、これからの行動に注目する写真家です。「地上に星座をつくる」石川直樹新潮文庫【6月20日】

  • 【6月19日】

    南アルプス北岳と仙丈ヶ岳の間の谷を刻む野呂川に両俣小屋があります。一人で切り盛りする小屋番の星美智子さんは今年で45年になります。43年前の1982年8月に台風10号が日本列島に大きな爪痕を残したのですが、この時両俣小屋は完全に増水した野呂川に飲み込まれてしまいます。当時は大学のワンダーフォーゲル部が元気で、この小屋にも5つの大学がテントを張っていました。台風が来ることがわかっていても、合宿の完遂が彼らの目標だったので、もっとも山深い小屋に来てしまったのですね。孤立した小屋からの脱出記なのですが、小屋番の星さんの頑張りで、小屋を捨てて3000mの山を超えて安全な小山で避難することに成功しました。そのドキュメントですが、現在、最も行きずらいところにある山小屋だと思いますね。できた時は南アルプス林道を使えば、...【6月19日】

  • 【6月18日】

    41人の嵐を読んでいます。南アルプスの両又小屋の有名小屋番が1982年の小屋番2年生の時に経験した台風の記録です。山の中で暮らしたいと志願して両又小屋の小屋番になり、電気もない当時の小屋での暮らしは本人(女性です)の満喫するものでした。大学のワンゲル部が夏合宿に訪れ、小屋周辺で幕営し賑やかな山となったある日、台風10号が中部山岳地帯を直撃しました。その本人によるドキュメントです。【6月18日】

  • 【6月17日】

    4時に起きて4時半に小屋を出て鳳凰三山(地蔵岳、観音ヶ岳、薬師岳)を縦走し加えて高嶺という山も登ってきました。山を降りてから、ノベル賞を取った大村先生が地元(韮崎市)に恩返ししたいというので温泉を掘って、それが日帰り施設になっているのでそこに寄って汗を流しました。露天風呂からは茅ヶ岳や奥秩父の山が見えてゆったり浸かってきました。そこには蕎麦屋も併設されているのでそれもいただいてきました。ということで今日は活字お休みです。【6月17日】

  • 【6月16日】

    南アルプスの鳳凰三山に登るべく、今日は地蔵岳手前の鳳凰小屋に泊まっています。登山の小屋泊ではKindleを持って行って読みます。山小屋は電灯が暗いので紙の本を持って行っても読めないのですね。なので電子ブックに限ります。登山中には木暮理太郎の著作集を読んでいますが、今日は読み終えました。明治終わりから大正昭和の登山家です。東京の浅草に通称12階という日本一の高層建築がありました(関東大震災で壊れてしまいましたが)。ここに登って関東平野を巡る山々を観測して山座同定していました。高層建築などない時代で、空気も澄んでいるので、とんでもなく遠い山々が見えているんですね。「木暮理太郎著作集」Kindle【6月16日】

  • 【6月15日】

    石川直樹は高校2年生の時、独りでインド、バングラディシュを旅行し、一浪後に東京芸大に入り博士課程を出て美術の博士号を持っているという写真家にしては変わり種の経歴です。よくあるのが雑誌社の写真部、有名写真家の弟子から独立なのですが、博士号を持っている写真家っていないのではないでしょうか。写真を撮るためにヒマラヤ8000m峰を14座登ったわけですが、だからと言って山岳写真家というのでもないのですね(勿論登山家でもない)。麓の少数民族の祭礼とか日常を撮ったりなど、民俗学的写真も多いのです。日本でも沖縄、知床、能登などを巡ってその土地ならではの写真を撮っています。6×7というほとんど使われない中判写真は石川直樹ならではの世界に満ちています。【6月15日】

  • 【6月14日】

    写真家石川直樹のエッセイ集、地上に正座をつくるを読んでいます。石川氏は今どき珍しいフィルムオンリーの写真家で、かつプラウベルマキナ670というもうとっくに製造していない(つまり中古になります)中判カメラです。ヒマラヤの8000m峰に登るときはサブとして防水型の写ルンですを持って行くそうです。機械は壊れるので単純なこのカメラがピンチを救ってくれるそうで、これで撮った写真集もあるので、写ルンです恐るべしです。【6月14日】

  • 【6月13日】

    過日山陰を旅行した時に倉吉に立ち寄ったのです。倉吉はSLと古い町並みで有名なところだので寄ったのですが、里見氏終焉の場所ということを知って驚いたのです。なんで安房の里見氏が山陰で?と不思議に思いました。里見氏は秀吉の全国覇権の中で、上総を切り取られ安房一国9万石の大名として残ることになり、安房を守るために必死に秀吉につくし、関が原でも頑張った結果鹿島3万石を加増され12万石になったまでは良かったのですが、嫁を貰った将軍家宿老の大久保忠隣失脚に伴って伯耆に転封となり、そのままなし崩し的に縮小され最後は滅亡となってしまいました。幕府にとって江戸湾入り口に外様大名がいるということが不都合であり、北への守りとしての鹿島に領地があるのも不都合というのはわかりますが、伯耆にまで追いやって最後は無くしてしまうという理由...【6月13日】

  • 【6月12日】

    戦国房総史の本にはまっていますが、図説戦国里見氏で小弓公方の次は安房の雄、里見氏の興亡です。南総里見八犬伝で名前が全国区になっていますが、最後は悲劇の大名家となります。でも秀吉の小田原征伐までは安房だけではなく、上総、下総東部を領域にして北条氏と戦い続け、水軍で江戸湾や香取の海(当時は霞ケ浦から常磐川(利根川の前、鬼怒川など)、印旛沼、手賀沼がつながっていました)の覇権ももっていました。もともとは鎌倉公方の重鎮で足利御一門という格でもあります。【6月12日】

  • 【6月11日】

    小弓公方の本を読み終えました。副題は戦国北条氏と戦った房総の貴種。とにかく戦国時代というのは内訌(うちわもめ)が実に多いですね。食うか食われるか、下克上の戦国時代は兄弟でも寝首を掻かれる時代です。自分を転覆しようとしていると感じたら即行動して、先に命を奪うというのはしょっちゅうで、信長も政宗も弟を殺していますよね。現代から見れば一族みんなで頑張ればと思いますが、感覚が全く違います。ヒトは有史以来権力のために血を地で争ってきたのですね。足利義明も兄に対する反抗で古河公方に対して小弓公方となるのですが、最後は国府台合戦で古河公方方の北条氏綱に打ち取られます。内房線の八幡宿駅の近郊には義明が一時御所とした場所(現在は八幡宮がある)があったり、墓があったりと郷土史を読むと身近なところにある歴史の面白さに触れること...【6月11日】

  • 【6月10日】

    先週は戦国の房総の話を読みましたが、そこに出てきた小弓公方が気になって、図書館から本を借りてきました。小弓公方足利義明という本で、戦国北条氏と戦った房総の貴種という副題です。小弓というのは現在の京葉線の終点蘇我駅の南方向にあった地名で、今はおゆみ野、生実という地名で残っています。城跡は宅地開発で発掘作業後壊されてしまいました。ここに、16世紀中葉に古河公方足利高基の弟、足利義明が小弓公方として対立したのです。そして関東をまとめて鎌倉公方に成り立とうと燃えていました。結論から言えば北条氏に滅ぼされてしまいます。ところがこの義明の孫は生き延び、古河公方と血を一つにして、徳川家康にその貴種性で取り立てられ(なんといっても足利尊氏=源氏の流れですから)、喜連川藩を起こしたのです。5000石でありながら10万石格と...【6月10日】

  • 【6月9日】

    図書館に行ったら、技術特集コーナーがあって、潜水艦の本があったので借りてきました。歴史群像の別冊図解ものでその歴史、構造、兵器などが順追って解説してあります。地上戦では昨今のウクライナ戦争でドローン攻撃がすっかり従来の戦闘を変えてしまいましたが、潜水艦はしばらくは革新的な変革は起こりそうになく、深く静かに潜行してその時が来るのを待つというのは変わらないでしょう。「歴群[図解]マスター潜水艦」白石光ワン・パブリッシング【6月9日】

  • 【6月8日】

    今日は積読の中から2冊をピラピラとめくってさわりを読みました。一冊は写真家の石川直樹のエッセイ集地上に星座を作るです。彼は(登山家としてではない)写真家として初めて8000m14座を登った人です。登山の過程でネパールやインド、バングラディシュの人たちを撮ってきました。もう一冊は世界文学の名著、デカメロンです。訳者の平川祐弘氏によれば、デカメロンは砂時計のくびれにあたる作品なのだそうです。ギリシャ・ローマなどの古典のエッセンスを集約し、近代文学への転換をもたらしたものという意味だそうです。それは過去から現在への砂の流れであるというのですね。【6月8日】

  • 【6月7日】

    また図鑑ですね。先日は面白地形図から3D地形を作った図鑑を読んだばかりですが、こちらは地学的な観点からの地形図鑑です。列島の成り立ち、地質のことも解説しているので、日本列島の勉強にはこちら方が楽しいと思います。何冊も似たような本を読んだおかげで、ようやく日本列島の成り立ちが理解できるようになってきました。やはり文章だけではなく、3D図鑑は役立ちます。「3D地図でわかる日本列島地形図鑑」高田将志監修成美堂出版【6月7日】

  • 【6月6日】

    旅行の間にアマゾンから届いていたビックコミックオリジナルを読みました。アマゾンでもビックコミックオリジナルは電子版が出ていて、かなり昔ものも読めるんですね。今どきほとんどの人は電子版なのかもしれません。でも紙版がいいなあ。【6月6日】

  • 【6月5日】

    往復1000kmも走って1泊旅行なんてちょっと忙しかったです。せっかくなんで三陸でもう1泊したかったですね。ということで今日は活字は休養日です。【6月5日】

  • 【6月4日】

    気仙沼まで来ております。初めての気仙沼です。休暇村に泊まっています。家から500km近くのドライブです。震災伝承館に行って3・11のことを改めて学んできました。気仙沼は津波でほぼ街が壊滅しましたが、その後復興され、特に道路はきれいに整備されています。夕食後ホテルの読書室で3・11の写真集を眺めていました。【6月4日】

  • 【6月3日】

    戦国の房総と北条氏を読了。この本は岩田書院というところが出していますが、マンションの一室で社長一人で全てをこなしている出版社です。日本史中堅どころの研究者の成果を本にしている会社です。書籍が売れなくなって、こういう学術系の本はますます苦しいですね。社長も歳を取ったので、在庫を(処分価格で)処分して、倉庫費用を抑えつつ今しばらく頑張るというところだそうです。城取合戦と内訌に明け暮れた上総と下総東部の国衆達は、北条氏と里見氏が手打ちをしたことで、北条氏傘下に入ることでつかの間の平和を得るところとなります。しかし、秀吉の小田原攻めで全ての国衆は敗者となり、領地は(徳川に)召し上げとなりました。多くの国衆は土豪というよりもそれなりの家系を持っていたので、一部ですが後に徳川旗本として家は残ったようです。最後に、家康...【6月3日】

  • 【6月2日】

    戦国時代(概ね天文年間)の房総半島での大名、国衆達の動きの話は、あちらの陣営に付いたりこちらの陣営に付いたり、かと思えば一族の内訌があったりで、房総だけの話ではないのですが、目まぐるしく動きます。あちらこちらに城跡がありますが、江戸時代のものはわかるのですが戦国時代のものはほとんど知らなかったので、これはこういう流れで在った城なのかと改めて勉強になります。【6月2日】

  • 【6月1日】

    地元の地誌という感じで戦国の房総と北条氏を読んでいます。不明を恥じるのですが、下総の千葉氏、安房の里見氏は知っていましたが、上総にいたのはだれなのかというのを知りませんでした。甲斐武田の庶流である真里谷武田氏と庁南武田氏なのですね。両家とも甲斐武田から鎌倉公方の重鎮としていたのですが、鎌倉府が永享の乱で衰亡したことで古河公方に認められ上総に移ってきたのだそうです。その後小弓(おゆみ)公方を立てて房総支配を目指しましたが、真里谷武田氏はその後衰えていきます。一方庁南武田氏は戦国時代にふるいませんでしたが、上総に根を下ろし、医術で生き残り、現代も甲斐武田の父系男系を唯一保った(甲斐武田氏の祖から32代目)家が病院などを経営しているそうです。千葉って武田だったんだあと思いました。【6月1日】

  • 【5月31日】

    歴史の本をよく読みますが、信長がどうした秀吉がどうしたという歴史ものはこの頃読まず、戦国以前の細かな話を図書館で拾うようにしています。戦国時代までは守護大名(県知事)の下に国衆という現在の市長レベルがいて、その下に土豪がいました。大名は国衆をまとめないと両国経営ができません。住んでいる千葉県は安房、上総、下総の三国がありますが、守護大名はいなくて相模、武蔵を根城とする北条氏を巨魁とし、下総の千葉氏、上総の武田氏(甲斐とは違う)、安房の里見氏が領地を安堵してもらったり、背後についてもらったりしていました。ただ里見氏は北条氏とやりあう仲でしたね。一口に千葉氏と言っても、頼朝の頃の千葉氏からどんどん庶流が出て、千葉氏と名乗らないケースもあり、誰だどうだかわからなくなります(名前に胤が付くとそうかなと思います)。...【5月31日】

  • 【5月30日】

    最近は新聞もテレビのニュースも見ず、情報はSNSからという人が多くなっています。いわゆるオールドメディアは、かつては真実の報道ということに使命を感じていたはずですが(現場は今でもそうかもしれませんが)、下から上へ原稿が上がる段階で取捨選択され、色付けされているので、SNSのほうが素の情報という感じも受けます。でもSNSはフェイクも多く、受け取る側のリテラシーが求められます。特に災害時は情報が混乱することから、SNSを拠り所にする人も多いので、ここにデマ情報が流されると一気に広がってしまいます。デマは人類の発展と共に存在していたはずで、古代も現代も同じです。人間心理を突いているのですね。「本当のSOS」を埋もれさせないために何ができるのかという観点で、NHKのキャスターから転身し、自らの報道チャネルを運営し...【5月30日】

  • 【5月29日】

    文化庁が3・11を機に歴史の中の復興の記録を残すということに本腰を入れ、民俗知保存に力を入れるべく活動しているますが、2016年の江戸博物館での講演会を記録した本で副題が遺跡に刻まれた復興の歴史ということです。古代も近世(江戸時代)の人たちも、田が洪水にあったり、噴火にあったりしても、直ぐに逃げださず(程度によりますが)、復興を目指していたことは遺跡発掘をするとわかるのだそうです。日本列島は自然災害の巣ですから、日本民族はそれとの戦いの歴史でもあったわけです。次の(巨)大地震地震がどこで起こるのかは全くわかりませんが、災害を防災ではなく減災にすることが必要かと思います。「日本人は大災害をどう乗り越えたのか」文化庁編朝日選書【5月29日】

  • 【5月28日】

    日本列島に住んでいる限りは災害から逃れることはできません。大陸の東端に位置し、4枚のプレートがぶつかっているところということで、気象災害や地震・火山は世界的に見て多いところです。でも3万8千年前に日本人がここで暮らし始めたときは火山以外には災害に遭うことは少なかったのではないでしょうか。狩猟採取の生活では、いつでも住居を動かして危険から逃れることができました。定住を始めて、田畑や集落を持つと、そこで水害や地震の影響を受けるようになり、それを災害というのです。日本中の遺跡から災害の遺構が数多く見つかり、日本人がどうやって復興してきたということを2016年にえどはくカルチャーとして講演があり、それをまとめたのが日本人は大災害をどう乗り越えたのかという本で、苦難の歴史がわかる本です。【5月28日】

  • 【5月27日】

    日本の中世というのは圧倒的に管理されていない社会なのだそうです。強い者には自由度が高いのですが、弱い者は顧みられないということ。朝廷(公家)は日本を統治しているように見えて、実はその意志に欠けていて、貴族社会の継続が全てであり、幕府(武家)は御家人との関係が全てであったのです。歴史の表舞台に出てくる(名前のある)人は強者であり、摂関政治が終わり院政が始まると、皇室も公卿たちもかなり自由にお楽しみをしたので、ご落胤のような人が多数いました。皇室では親王・内親王宣下(ようは認知ですね)がされないと皇室の一員と認められないので、それ以外のお子達は名前もなく逼塞していたのです。もっとも色々な事件とかが重なって皇統が怪しくなるとこういう子たちに出番が来ることがり、改めて宣下がされたりします。現代日本では皇室の行く末...【5月27日】

  • 【5月26日】

    また図鑑です。地図研究家の今尾恵介氏の最新刊でこれも図書館で見つけてきました。今尾氏は地形図を丹念に読んで、鉄道や道路が何故こういうルートになっているのかとか、人の生活との関連などを著書にしてきましたが、この本は個性的な地形(著者は地形名所と言っている)を取り上げて3Dグラフィックと地形図(新旧比較したり)でその面白さを伝えています。地理院のWEB地図でも立体化して見ることはできるのですが、3Dグラフィックは植生などの色も着いているのでより立体的に見えます。まあ日頃地形図が好きな人向けではありますね。「不思議3D地形図鑑」今尾恵介朝日新聞出版【5月26日】

  • 【5月25日】

    大江戸復元図鑑<武士編>を読了。徳川時代の武士の仕事、あり様がよくわかりました。この本の出版社はもう廃業していて、この本も絶版。図書館でしか読むことができません。江戸時代を知りたいと思えばこの本はおすすめです。庶民編もあるので読んでみる予定です。「大江戸復元図鑑<武士編>」笹間良彦遊子館【5月25日】

  • 【5月24日】

    今日も大江戸復元図鑑。半分ほど読み終えました。時代劇ではわからない武家社会の身分差がすごいですね。足軽って武士の最下層ですが、幕府では同心と呼びます。奉行所に登場する人たちは同心が主です。たかが足軽風情という言葉がありますが、同心は足軽なんですね。ですから身分の高い武士と遭うと道端に引いていなくてはならないんですね。高貴な武士は偉そうに町を歩くわけです。その高貴な武士も、太平の世が続いて甲冑のつけ方もわからなくなって、さらに黒船騒ぎとなると庶民を兵隊にした(長州など)軍勢に負けてしまうわけです(もとより甲冑など鉄砲には役立たずですが)。【5月24日】

  • 【5月23日】

    大江戸復元図鑑を読んで時代物を読む、見るをするとリアルさが実感できますね。特に映像は決まった撮影所(ほとんどは京都の太秦)なので旗本屋敷を描くとき、実際は石高の大小で違う門構えを描けません。また200石の旗本は結構台所事情が苦しかったのですが、地方の藩士たる200石の方が暮らし向きは良かったということ、そして同じ200石でも江戸町奉行の与力はお目見え以下で旗本よりも格は下でありながら、奉行所への付け届けがあって、1000石の大身旗本並みの実収入があったのだそうです。武士は格が命ですが、実入りがあった方がいいですよね。【5月23日】

  • 【5月22日】

    図書館で書棚を眺めていたら、面白いものにぶつかり借りてきました。大江戸復元図鑑<武士編>というものです。見開きで一項目あって右ページに解説、左ページが著者自身のイラスト画があります。庶民編もあって、どちらを借りるか迷ったのですが、先に武士編を借りました。1冊6800円もしますから図書館様様です。著者は2005年に89歳で亡くなっていますが、学者ではなく甲冑の研究を主にしていた在野の方ですが、文学博士ももっています。著作は多く図鑑類も何冊かあり、知られた方だったのでしょうね。味のあるイラストです。【5月22日】

  • 【5月21日】

    日本列島5億年の成り立ちを、それがわかるところの写真(名勝が多い)を中心に解説した図鑑のような本です。地球史を365日にすると、日本列島の歴史は5億4千万年前カンブリア紀から始まるそうで、それは11月下旬となります。ただその頃は大陸の東端の部分だったのですが、2000万年前に地溝帯となって分離を始め、日本海が割れ始めたのです。それまでもイザナギプレート(今の太平洋プレートにあたる)からの付加体がくっついていて、南アルプスはその頃(白亜紀)の付加体でできていて、北岳の御花畑は付加体の多様性によるものだそうです。日本海ができてからは、火山、フォッサマグナ、付加体が日本列島に化粧を施すことになりました。そのかつての様相が今に残るところを写真で紹介していますが、そういうのは殆どが名勝です。「日本の地質と地形」高木...【5月21日】

  • 【5月20日】

    ビックコミックオリジナルですが、「ミワさんなりすます」が新しい展開になって面白いことになっています。そして「セシルの女王」の再開ですが、楽しみにしていました。「バックホームブルース」も「れむ」その他読み応えのあるものが多くなっています。【5月20日】

  • 【5月19日】

    昭和という時代は大戦争をまたいでいるのでその経緯を知るための記録が多くあります。特に戦前の日本は天皇が国の頂点に存在しましたから、政治と軍部と天皇がどう絡んでいたのかが大きな解明の点となります。天皇については側近の日記が多く存在、公開されていますし、宮内庁から昭和天皇実録が出ておりこれが公式なものとなっています。それらとは別に昭和天皇独白録が1990年に文藝春秋に掲載されました。これは戦後昭和天皇の御用掛としてマッカーサーとの間の通訳なども務めた外交官寺崎英成の記録が、娘が住むアメリカで見つかったことにより発表されました。寺崎英成は開戦当時アメリカ大使館に勤務していて開戦回避に努力していた人です(その時アメリカ人の夫人と結婚しました)。この記録は寺崎を含む5人の当時の側近が開戦から終戦にかけてのことをイン...【5月19日】

  • 【5月18日】

    頼朝が自分自身の武家の棟梁としての地位を確立るための努力と鎌倉の地位向上の努力を知ることのできた本でした。富士の巻き狩りというと、曽我兄弟の仇討ちとか長男頼家が鹿を仕留めたとかで有名ですが、実は信濃の三原野(みはらの)と那須でも巻き狩りを行っており、腹心のみを周りにそえて東山道の通り道である上野と下野の御家人にしっかりとアピールしたりしていました。同じ源氏の足利と新田にアピールする狙いがあったようです。富士の巻き狩りは腹心以外の参加も認めたので仇討ちが起きてしまいました。と、まあ大河ドラマではわからない幕府の地盤作りがわかった本でした。「頼朝と街道」木村茂光吉川歴史文化ライブラリー【5月18日】

  • 【5月17日】

    頼朝と街道の二日目です。富士川の合戦は平家対源氏の有名な戦いで、水鳥の羽音に平家が驚いて逃げたというものですが、事実はちょっと違っていて、富士川の戦いの前に同じような場所で甲斐源氏の武田と戦って、平家が殆ど敗戦だったのだそうです。富士川の戦いは実はこの前哨戦で事実上終わっていてました。頼朝はやる気満々でしたからそのまま富士川の先を目指そうとして、千葉氏や上総氏、三浦氏に諫められ鎌倉の背後の常陸佐竹氏を討つべしと言われ、富士川で引き返したということになっていますが、頼朝は戦いの主人公が甲斐源氏だったので、存在感を示すために常陸討伐に向かったというのが真相だということです。吾妻鏡や平家物語ではそうは言ってませんが。【5月17日】

  • 【5月16日】

    NHKの大河、鎌倉殿の13人がやっていた間は鎌倉時代の本をけっこう読んだのですが、最近はご無沙汰で。それでも図書館で頼朝と街道という本を借りてきまして、鎌倉政権の東国支配という副題のものです。頼朝が石橋山の合戦で敗れたあと、房総半島をぐるっと回って再び勢力を挽回し鎌倉に拠点を作るにあたって、政治的な動きというよりも、どうやって街づくりをしたか、物流を考えたかという見地から書かれたものです。鎌倉に居を構えた当時は東北の平泉という大経済圏があって、都と平泉は東山道から関東北部(上野、下野)を抜けて奥大道(おくのおおみち)を使ってつながっていました。鎌倉は全く外れたところにあったわけです。家康が関東入府した時ですら大湿地の南関東ですから、鎌倉は東海道のどん詰まりだったわけですね。頼朝が平泉を討伐したのは、義経よ...【5月16日】

  • 【5月15日】

    東京でもっとも有名な山は高尾山ですが、京都に高雄という有名な地名があり、実はここに由来しているそうです。高雄には真言密教の別格本山神護寺があり、高尾山も不動をまつる密教の山です。京都の真言密教集団が関東進出の拠点として作られたらしいのです。小田原北条氏の武蔵の拠点として近くに八王子城があるのですが、北条氏は別名慈根寺(じごじ)城としたそうです。そして高尾から相模湖界隈には桂、与瀬、醍醐、嵐、小原などあたかも京のような地名が残っているのでありますね。何気に登る山にはかくも色々な言われがあり、今までの山登りは地形、地学を中心にして風景を見ていましたが、地理学的な観点をもって登るのも山の楽しさを倍増させてくれるものだと思いました。「山の名前で読み解く日本史」谷有二青春出版社【5月15日】

  • 【5月14日】

    山歩きをするので山名が気になります。どうしてそういう名前なのか、ということですね。今日も図書館に寄って山の名前で読み解く日本史というタイトルを見つけたので借りてきました。頼朝の時代、秩父・武蔵野の覇者畠山重忠がいました。武甲山の近くに妻坂峠というのがあり、関八州展望台のそばに顔振峠というのがあり、どちらも行ったことがあるのですが、これが畠山重忠とゆかりがある峠だそうで、行った時は峠のいわれなど気にもしていませんでしたが、この本を読んでゆかりを知って古峠には色々曰くがあるのだなと思いました。先日歩いた奥秩父の雁坂峠もそうでしたし。【5月14日】

  • 【5月13日】

    東京湾は閉鎖海域で元々水質は良くなくヘドロが溜まりやすいのです。大正昭和の沿岸の工業化で一気に悪化しました。しかし、公害対策が進み江戸前の魚も美味しく食べられるようになりましたが、閉鎖海域では凄いことなのだそうです。さて家康がずぶずぶの南関東の水を抜いて田畑を増やそうと、利根川の東遷事業を行い、それは実現し東京湾から銚子に出口を変えています。表層はそうなのですが、実は地下水脈の利根川(+渡良瀬川)が東京湾に注いでいて、この水のおかげで水質の改善が早く進んだのだそうです。見方を変えると東京の地下は水が豊富で地盤が悪いということです。こういう地下水脈が閉鎖海域に注いでいるのは伊勢湾とか有明海とかがそうだそうです。浮世絵から色々なことがわかっていくのですねえ。面白い本でした。「江戸の秘密歌川広重の浮世絵と地形で...【5月13日】

  • 【5月12日】

    日本は国土の7割が山であり、そこには豊かな森林資源がありましたが、エネルギーも木材しか頼るものがないので、古代から山の資源はどんどん切り取られてきました。関西は古代から日本の中心だったこともあって気が切り出され、周囲の山々は禿山だったそうです。戦国時代は頂点を迎え、今は新幹線が緑の野を駆け抜ける関ヶ原も、あの合戦の時は禿山だったそうです。小早川秀秋の裏切りも全軍からよーく見えたということで戦況が一変したのです。江戸時代末期は本当に日本の森林資源は限界を迎えていたそうです。自然破壊という言葉は存在していない時代でした。黒船がやってきて木材に変わるエネルギーとして石炭が登場したのは僥倖でした。明治の頃の奥多摩や叡山ケーブルは木立一つない状況の写真があります。それから100年が経ち、植林が進んでそれが育ったおか...【5月12日】

  • 【5月11日】

    地形が作った日本史という観点でベストセラーを出している著者は、国交省で本省局長(めちゃめちゃ偉い)まで勤めた方で、河川のプロであり、神奈川の宮ケ瀬ダムを作った人でもあります。退官後は歴史にまつわる本をだしていますが、今回の本は江戸の秘密というもので、浮世絵を読み解きながら歴史を探るというものです。家康は秀吉に関東移封をされましたが、その頃の江戸(関東)は荒川、利根川の氾濫平野でほとんどが湿地帯。ですから、西からやってくる人は横須賀から房総半島に渡り北上していたのです。関東は宝の山だと秀吉におだてられていましたが、体よく湿地帯に囲まれたところに追い込まれたというのが実際でした。その家康が江戸で最初にやったのが小名木川という隅田川から江戸川(利根川)への運河を作ったことでした。兵員輸送のため海岸から内側を一直...【5月11日】

  • 【5月10日】

    元素の教科書を読み終えました。地球上には天然の元素としては原子番号94番のプルトニウムまでがあり、95番から118番までは人工元素です。アジアで初めて新元素を作った日本は113番のニホニウムがあります。人工元素を作るのは相当な費用(施設)と時間が必要です。ニホニウムは30番の亜鉛と83番のビスマスを衝突させ核融合で作られました。一口に衝突といっても加速器を使って亜鉛の原子核を光速の10%まで加速してビスマスの原子核ぶつけるのですが、原子核の大きさは1兆分の1㎝で衝突して融合する確率も100兆分の1ときわめて小さく当てづらいのですね。そのため大量の原子核をビームして当て続けるという地道な作業となりました。1秒間に2.4兆個照射しますが、2003年9月に実験を開始し、24時間体制で翌年7月にようやく「1個」の...【5月10日】

  • 【5月9日】

    元素の教科書を読んでいます。ブルーバックスに元素の話があるのを買って持っているのですが、図書館でより一般的な元素の話があったので借りてきました。恒星から水素とヘリウム以外の元素が作られるのですが、鉄までの話でそれ以降の元素は超新星などが作ります。そして宇宙に散った元素がまた太陽系のような恒星系につかまって惑星となり、そこから生物が生まれるわけで、生物が元素をどう利用するのかをしるためにもこういう話は面白いです。【5月9日】

  • 【5月8日】

    予定通り理太郎の道を逆に歩き、往時を偲びながらの山行となりました。2000m以上では5℃以下の気温でしたが、下界に降りると20℃を超えていて、また降りるにつれて木々が芽吹き、葉がしっかりし、桜も咲いてと冬から初夏への移ろいが感じられました。今日は活字お休みです。【5月8日】

  • 【5月7日】

    奥秩父の百名山甲武信ヶ岳に登りに来てまして、山のすぐそばの甲武信小屋を今日の宿としています。2400mのこの小屋の周囲は雪が残り、ここに来るまでは軽アイゼンがないとこれません。去年の今頃は石楠花が満開だったそうで、今年は雪深い5月となっているそうです。この奥秩父をこよなく愛したのは明治の登山家小暮理太郎です。地形図がまだ整備されていない時代に、登山装備も今とは全然違い、食事は米を持って上がり毎度毎度炊くのでありました。小暮理太郎の雁坂峠から甲武信ヶ岳に至る縦走を書いた小品が印象的で、明日はそのコースを逆にたどります。今日は早くに小屋に着いたので、理太郎の作品集を読んでおりました。【5月7日】

  • 【5月6日】

    雨の一日、またブルーバックスで宇宙論、宇宙の物質の起源を読んでいます。宇宙論というよりも宇宙に存在する4つの力と素粒子の関係、物質の起源に力をおいて書かれた本で、日本の二つの研究所から10人の科学者が10章を各々執筆しています。身の回りの物質は原子でできていますが、原子はこの宇宙でいかにしてできたのか、という話から始まってクオークの話、量子と場の話などですが、どの章も簡潔に書かれていてわかりやすいです。ただ、どの宇宙論でもそうですが、素粒子のスピンのはなしになるとだいぶもやもやしますね。【5月6日】

  • 【5月5日】

    共産主義思想家の「人間社会の最高段階として共産主義社会が初めてロシアで生まれた」などという主張が、彼らの脳内だけの創作物であるということがすぐにわかる(以上後書き)本でありました。ロシア革命はチャーチルの策動に始まり、ドイツ、アメリカ、フランス、ロシアのいくつもの錯誤の連鎖によってレーニンにとってまったくラッキーに起こすことができたのです。歴史にIFは禁物とはよくいわれますが、著者はIFをすることによって歴史から学ぶことができるというスタンスです。20世紀初頭のヨーロッパを巡る各国の駆け引きを日本は冷静に分析できていたのでしょうか。そうではなかったのでしょう。一部にリベラルな人がいたのかもしれませんが、石橋湛山の書籍を読んでいてもこのあたりを深く考察できていたかどうか。21世紀の今、ようやく解析できている...【5月5日】

  • 【5月4日】

    虚像のロシア革命は75%まで進みました。教科書歴史ではロシアの3月革命でロマノフ王朝が廃されメンシェビキの臨時政府ができたあと、ボルシェビキのレーニンが主導権を握り共産革命へと進んだということになります。そのレーニンはスイスを中心に活動を行っていましたが、帰国のチャンスは巡ってこず、一時はすっかり諦めていました。が、ドイツの革命商人がレーニンを帰国させて戦争継続をする臨時政府から露独講和へもっていくことを画策、独政府に提案し認められ、密かにスイスから列車を使ってドイツ・スウェーデン経由で帰国させます。しかし、なかなかロシア国民には受け入れられなかったところ、英国がトロツキーを(判断ミスで)ロシアに帰国させてしまいます。これでボルシェビキが一気に優勢になっていったということで、ロシア革命はレーニン自身の力で...【5月4日】

  • 【5月3日】

    早いものでもうビックコミックオリジナルの日となりました。今号はまた新連載が始まって、これはおじさん(お爺さん)でも読める漫画となっています。セシルの女王がまだ休載中です。昭和天皇物語は太平洋戦争が佳境に入ってきて、敗戦の坂道を下っています。【5月3日】

  • 【5月2日】

    英国はどうして良好関係だった独を悪の専制国家として(自分は善の民主国家)第一次大戦を戦ったのでしょうか。戦前は英国内では大陸のことには関与しないという空気でした。ところが北アイルランド問題が起きてしまいます。これは現代にも尾を引いている問題ですが、これが平和裏な解決がつかず、内戦にもなりかねない状況になってしまいました。国内がごたごたしているときに為政者がすることは国外に国民の目をそらすことです。チャーチルはまさにこの手を使い、対独参戦をするのです。そして世界一の海軍力でドイツの港湾封鎖と商船の破壊をおこない、ドイツへの食糧などの物流を止めます(明らかなルール違反です)。一方でドイツはいかにひどい国かを世界に喧伝し、米国の参戦を促し、中立国とされていたベルギーの中立も反故にします。さらにドイツの暗号の解読...【5月2日】

  • 【5月1日】

    最近は歴史の見直しが進んでいます。学校の教科書に書かれていたことも、昭和の時代のものと比べるとだいぶ変わっています。現代史においては米英ソによる歴史が教科書の主流でしたが、20世紀後半から新たな文書の発見とか公文書の公開とかで、歴史観を変える必要が出ていると思います。日本人は英国というと紳士の国というイメージを長年もってきましたが、実は英国こそが世界をグダグダにかき回してきたと言えます。紳士のイメージとして「チャーチル神話」があり、日本人はチャーチルが好きで、彼の本はよく読まれています。このチャーチルが20世紀前半の世界をかき回してきた張本人であったという検証がなされています。第一次世界大戦はセルビアで起きた小さな戦争で終わるべきものであったものが、露仏の思惑とチャーチルの冷酷、狡猾、出世欲で世界大戦にな...【5月1日】

  • 【4月30日】

    今月もまた大相撲が始まりますが、平安時代に相撲が執り行われていました。ただ、現代のような土俵と決まり手があるのではなく、殴る、蹴るがOKの総合格闘技のようなものであったそうです。さて平安時代は圧倒的な身分差があり、下衆は絶対に殿上人になることはありえず、その殿上人になるのもほんの何人かでありました。前例にもとづいて儀式と政務をひたすら執り行う公卿たちは現代にも通じるものがありますね。一方で、天皇の睡眠場所である内裏に平気で人が侵入すた記録があるなど、警護が甘い意識というのは平和ボケの現代日本につながるものがあるのではないかと思ったりします。「平安京の下級官人」倉本一宏講談社現代新書【4月30日】

  • 【4月29日】

    かなり前の話、Yahoo!のアンケートでどの時代に住みたいかというのがあって、平安時代が一位だったそうです。源氏物語など雅な時代が想像されるからだと思われます。平安時代は日本史上だけでなく世界史上でもまれな平和(平安)な時代だったそうです。国内に異民族もなく、海外からの攻勢もなく全く安閑としていた時代だったのです。国家による死刑も無かった時代だそうです。でも、この時代に生まれるとほとんどの確率で農民としての人生を送らざるを得ず、それは相当に厳しい生活だったということです。仮に宮廷に生まれても不健康と権力闘争の中に生きなければならず、これも厳しい生活でした。平安時代の下級官人の実態を描いたのが平安京の下級官人という本で、面白く快調に読み進めています。【4月29日】

  • 【4月28日】

    彼女たちの山の後半は流行語にもなった山ガールと雑誌ランドネの関わり、そして山小屋の管理人、山岳ガイド、大学山岳部、スポーツクライミング、アルパインクライミングの各ジャンルから活躍する女性をインタビューして構成しています。山というとつい最近までは男の世界でした。そこを今井道子さん、田部井淳子さんらが壁を切り開き、後進に道を開いてきました。登山界の最先端にいる人はまだまだ少ないですが、すそ野は確実に広がってきています。「彼女たちの山平成の時代、女性はどう山を登ったか電子版」柏澄子山と渓谷社【4月28日】

  • 【4月27日】

    最近の山はシニアブームですが、山ガールという言葉もかつて流行ったように、女性登山者も多いです。彼女たちの山は日本の女性登山の先頭を走った5人の女性をまず取り上げて、女性登山の創成期のことを綴っています。山野井妙子、田部井淳子、谷口けい、野口啓代、遠藤由加の5人は日本はもとより世界に名を連ねる5人です。山野井妙子は夫の山野井泰史と共にヒマラヤに足跡を残しました。田部井淳子は女性初のエベレスト登頂を果たしました。谷口けいは初のピオレドール賞を受賞しました。野口啓代は東京オリンピックでスポーツクライミング複合で銅メダルを取った第一人者です。遠藤由加は無酸素で8000m峰を登った山野井妙子と同時期のアルピニストです。【4月27日】

  • 【4月26日】

    先日は野村泰紀の宇宙論でマルチバースの話を読みましたが、それは現在宇宙の生成から将来像の中で出てくる話でした。今回の不自然な宇宙はこの宇宙の物理定数がなぜ桁数が大いに違っていて微妙なバランスであるのかというのは何故かというところからマルチバースでないと理由がつかないという話なのでした。プランク定数というこれ以上小さいものはないというサイズから、無限大の空間を持つ宇宙の話とがどうつながるのか。読んでいくとなるほどと納得します。この宇宙では138億光年彼方よりも遠いものは観測することはできないのですが、その先にもこの宇宙と同じ構造が無限に広がっていて、空間体積が無限であれば、全く同じ性質のクローンユニバースがこのマルチバース内のどこかに(しかも無限個)実在する、これが意味することは、そこには全く同じ地球があっ...【4月26日】

  • 【4月25日】

    またまた宇宙論です。不自然な宇宙です。重力と原子中で陽子と中性子に働く力とは40桁も違うというのは何故か。もし同じ力だったら、物を落とした時あっという間に原子レベルで壊れてしまうというのです。これでは生命は存在できません。色々とある物理定数は今を生きるのに都合よくできているのですね。これが不自然だというのです。定数の違う宇宙が他にあってもおかしくない。それが自然というものだというのです。他にある宇宙、それがマルチバースの考え方です。【4月25日】

  • 【4月24日】

    宇宙のしくみの話というのは地球から始まって太陽系の話になって、恒星の話、生命のいる星の話、天の川銀河の話、もっと大きな宇宙の話ときて、宇宙の大きさのところまでくると、それは宇宙の始まりとつながって、宇宙の始まりというのは超ミクロで素粒子の話になり、最後に宇宙はこの先どうなるのかということで終わります。おまけとして宇宙ロケットの話、惑星探査の話が付いています。昨日も書きましたが、小学生よりも中高生、大人が読んで面白い本です。「宇宙のしくみとはたらき図鑑イラスト授業シリーズ」渡部潤一日本語版監修東辻千枝子訳創元社【4月24日】

  • 【4月23日】

    今日も図鑑を借りてきました。NewtonPressではなくアメリカの図鑑の翻訳です。ペンギンランダム社のHowSpaceWorksの翻訳で宇宙のしくみとはたらき図鑑です。図鑑というと小学生向けのイメージがありますが、これは大人向けですね。盛られていることは結構高度です。木星の衛星イオとエウロパの構造や金星大気の構造なども載っていて面白いです。Newtonよりも文字が多いです。【4月23日】

  • 【4月22日】

    千葉の教科書を読み終えました。理科の部、地球史、千葉県の(地質的)成り立ちと社会の部、歴史が面白くためになりました。「千葉の教科書」JTBパブリッシング【4月22日】

  • 【4月21日】

    Newton大図鑑シリーズの天気と気象の大図鑑を読みました。新しく知るというよりもビジュアルを楽しんだというところです。イギリスの雨が降ったらやみ、またすぐ降るという特性は低気圧の台風のような渦によるものということで、日本の低気圧とはちょっと違うなということはわかりました。図鑑というのは小学生の頃はよく読みましたが(このところ集中して借りていますが)、グラフィックがきれいになって面白いです。「天気と気象の大図鑑」Newton大図鑑シリーズニュートンプレス【4月21日】

  • 【4月20日】

    ビックコミックオリジナルには「んば」というはっきり言って年寄りには訳の分からない作品があります。山中にいる妖怪のような、現代版楳図かずおのへび女ような気持ちの悪い変態動物の話なのですが、どうも筋が見えません。若い人はマンガだから読めるという作品のようですが、読みはしますがついていけません。「鉄ぼん」なんかは安心して読めますね。【4月20日】

  • 【4月19日】

    富士山噴火の歴史を読んでいます。和歌や紀行文などの文学作品を探って、富士山の噴火を研究した本です。日本人は文字を使えるようになってから多くの記録を残してきました。朝廷による記録のほかに、平安以降は個人の紀行文などが多数書かれそれが残っています。そういうのを探り出して読み解いていく作業を行ってできた本ですが、それによって富士山の噴煙がいつ上がっていたか(活動していたか)を探っています。宝永の大噴火までは時折見せていた噴煙がこの噴火以降はピタッと収まっています(多少の熱異常はありますが)。まだまだ若い富士山がこのまま収まり続ける訳がありません。【4月19日】

  • 【4月18日】

    富士山の噴火の歴史を読んでいます。富士山は理科年表にも載っている噴火記録というのが公称の噴火なのですが、それ以外に富士山はどういう活動をしていたのかというのを文学作品から読み解いていこうというものです。多くは和歌にその記録が書かれいるのですね。古くは竹取物語で富士山が登場し不死の山という表現ですが、山頂から噴煙が出ている様子が描かれています。古代はけっこう富士山頂から噴煙を上げていた期間が長く、頼朝も義経も富士山からの噴煙を眺めていたのです。【4月18日】

  • 【4月17日】

    澤田ふじ子さんという作家は全然知らなかったのですが、著書は時代劇でかなりの数に上っています。娘は澤田瞳子さんと言って親子二代の時代劇作家で直木賞を取っています。澤田ふじ子さんの代表作は他にあるらしいのですが、今回(山行の往復で)読んだのは江戸時代に占い師を(寛政3年朝廷から陰陽頭に任じられ幕府から命じられ)統括する土御門家、その譜代の家が触頭として占い師の査察を行ったというのを背景にした時代劇です。京都を舞台にして会話が京都弁なのでそこが面白いです。鬼平のように悪を憎み弱者に心を寄り添うという主人公の作りとなっています。それにしても山から下りてきた河口湖畔は桜まつりの最中とはいえ(桜は満開)、インバウンドが殆どで、河口湖駅までのバスも95%はインバウンド。そして富士急河口湖駅もほとんどがインバウンドの人た...【4月17日】

  • 【4月16日】

    山に来ております。雪の富士山を見に三つ峠山に登ってそこの山荘に泊まっています。ここは富士山の絶景ポイントなので、宿泊者はカメラを持っています。行きの中央線で土御門家・陰陽師事件簿という時代ものを読んで来ました。【4月16日】

  • 【4月15日】

    宇宙を構成するのは4%の通常の物質、23%のダークマター、そして73%ダークエネルギーです。ダークエネルギーとは真空のエネルギーともいわれます。真空のというのは我々のいる空間から物質、ダークマターを取り除いた本当の真空に存在するエネルギーというもので、なかなか理解しづらいものですが、このエネルギーのおかげで宇宙は加速膨張をしているというのです。加速膨張というのは観測された事実なので、このエネルギーは一空間当たりの大きさを量子力学的に計算することができます。ところが、計算で求めた値と観測された値とでは120桁(120倍ではない)も違う(小さい)のだそうです。これをどう考えるべきなのか色々検討され、超ひも理論とマルチバース(多宇宙)という考えが有力視されています。我々の宇宙は10の500乗個もある宇宙の一つで...【4月15日】

  • 【4月14日】

    宇宙論の本は何冊も読んでいて、もうこれでいいかというと著者によって表現が違って判らなかったことがわかったりします。ブルーバックスのなぜ宇宙は存在するのかを読んでいます。カリフォルニア大学バークレー校の教授をしている野村泰紀氏が著者です。宇宙論の先端にいる人ですね。宇宙はビッグバンで始まったというのはけっこう知られていると思いますが、ビッグバンの前はどうだったのか、なぜビッグバンは起きたのかというとなかなか胸に落ちる解説を読んだことは無かったのですが、この本は明確に教えてくれました。また宇宙論では必ず出てくる宇宙が平坦であるということの説明、宇宙の揺らぎの話(宇宙創成の初期はほぼ完全に一様であり、どれくらい一様かというと1/10万の揺らぎでしかなかったということです。例えると完全な円が描けたとして円周率を測...【4月14日】

  • 【4月13日】

  • 【2月12日】

    側用人というのは徳川綱吉から始まりましたが、将軍と老中をつなぐ取次、秘書官のような役目でした。でも歴史ではなかなか評価されていなくて、間部詮房とか田沼意次とか政権にいた時はいいのですが、その後は失脚という流れでした。その中でも柳沢吉保は忠臣蔵で悪役になっていますが、綱吉薨去のあとは潔く身を引いて大和郡山で柳沢家は代をつなぎました。自分は柳沢吉保が好きで、歴史コーナーでは評伝を探しますが、なかなか置いてないんですね。今日は図書館で1冊見つけたので借りてきました。吉保を前向きに評価する本で(当然ですが)早速読んでいます。【2月12日】

  • 【4月11日】

    千葉の教科書を読んでいます。網羅的に千葉の解説をしているのではなく、理科、社会、国語、美術、算数というジャンルで千葉を案内しています。本屋の店頭には山川出版社の千葉の本が山積みになっていたのですが、その脇に関連本としてちょこっと置いてあって、こちらの方が面白そうだったのでこちらを買ってしまいました。今まで見たことのない図表、写真がいっぱいあって理解が進みます。今日は理科と社会の途中まで読みました。【4月11日】

  • 【4月10日】

    平安時代が始まった西暦800年代は本当に地震と噴火の世紀でした。地震は東日本大地震級の貞観地震と南海トラフの仁和地震、噴火は富士山が2回に十和田火山と九州南端のあの端正な開聞岳です。その他にも内陸の大地震が相次ぎました。そして疫病は天然痘です。何回も波状攻撃があって、現代人がタイムトラベルしたらあっという間に感染して死んでしまうでしょう。その他にインフルエンザもあったようです。そして気候変動もあり、灌漑施設のない時代でちょっとした雨と日照りで旱魃・水害となり飢饉となりました。それでもたくましく生きてきたんですねえ。「天変地異と病災害とどう向き合ったのかシリーズ古代史をひらく2」川尻秋生責任編集岩波書店【4月10日】

  • 【4月9日】

    天変地異と病に戻っています。古代は疫病にはまったく無力でした。大陸との交流が深まると西の方から疫病がやって来ます。律令時代は都に租調を全国から運んできましたが、秋冬になりと毎日5000人の運脚・役夫がやって来たそうです。そこで西からの疫病をばっちり受け取ってしまうということです。帰りの食料を調達できなくて多くの運脚たちは飢餓に陥ったそうです。そして帰れば地元に疫病をばらまきます。飢餓にはなりませんがパンデミックが広がる構図は同じです。また疫病は歴史も動かしました。藤原4兄弟の揃っての病死や、藤原道長が偉くなったのも父親や兄弟の病死のおかげでした。縄文時代はヒトが密集せず、移動していましたからこういうことは起こりにくかったようです。パンデミックは農耕定住の負の部分なんですね。【4月9日】

  • 【4月8日】

    動物園+遊園地=東武動物公園に行ってきました。動物園の売り物は昨秋に子供が2頭産まれたホワイトタイガー、遊園地の売り物は木製コースターです。ホワイトタイガーは休日は長蛇の列ができるようですが、今日は学校も始まった平日で開園直後だったので気持ちよく見られました(パンダを見るような列の感じ)。木製コースターは上下の動きよりも、木製からくる振動がすごくて、頭がシャッフルされてしまいました。ということで今日は活字休養日でありました。【4月8日】

  • 【4月7日】

    東日本大震災(M9.0)が起きた折、1000年前の貞観地震がクローズアップされました。こちらはM8.6といわれ、津波もほぼ同じところまで押し寄せました。この地震はこの時自分も初めて知ったのですが、東北では研究が進んでいました。津波の状況なども含めた調査報告がなされる寸前に東日本大震災は起きてしまいました。東電がこの調査書を圧力を加えて書き換えさせたのは裁判で明らかにされました。この貞観地震の起きた9世紀は天地異変の世紀で、この地震の後十和田火山が噴火しました。また18年後には南海トラフの巨大地震が起き、八ヶ岳が山体崩壊をして千曲川を堰き止め、湖ができそれがやがて崩壊して信濃国が水没しました。2011年の18年後って2029年です。さらには5年前には富士山が貞観噴火を起こしていて、西湖と精進湖を作りました。...【4月7日】

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