症状の原因は、些細な出来事だけれど、これまでで一番うれしい出来事ということになっています。 この点がどうしても理解できないということかもしれません。 これまでもっと大きな出来事が実現していてうれしいと
症状の原因は、些細な出来事だけれど、これまでで一番うれしい出来事ということになっています。 この点がどうしても理解できないということかもしれません。 これまでもっと大きな出来事が実現していてうれしいと
あくまで極めて強力な反応(抵抗)が現れた場合 1,ハートセラピー(セッション)とセルフの効果の差 2,同じ程度の強さの反応でも、課題の違いによる効果の差 (原因かその周辺に関する課題か、そうでないか
ネットで検索して少し調べただけですが、幸福否定理論に依拠して心理療法を行っているのは、静岡の渡辺先生だけのようです。 幸福否定理論に依拠した心理療法の発展のためとも期待して心理療法としてのハートセ
心配したり、不安になったりすることは、いわば大きな罪悪ですね。 そういう意味では、暢気以上の幸福はそれほどないわけでしょう。 そういう意味では、暢気療法はすべての人に当てはまる療法でしょうか。
結局、現行の心理療法はすべて児戯に等しいようです。 ほぼ自己治癒力に頼るしかなく、 せいぜい自己治癒力が発動するきっかけを与えるに過ぎないようです。 症状(問題)が軽ければ、それでいいのですが、心理
主体的に考えることによって葛藤が強くなったことになります。 つまり考え方が間違っていたから葛藤が強くなったわけです。
心理療法や心理学の世界だけではなく、どの分野の研究者も一般化普遍化したがるようです。 しかし人間として共通に成り立つことはむしろ少なく、 個人個人千差万別全く天と地ほども違うと考えた方が良さそうです
従来、感情の演技での反応(抵抗)が強いのは、幸福否定が大きいからと説明されてきましたが、 そうではなく葛藤が強いからと考えることにしました。 したがって症状の原因は葛藤が強い出来事というふうになりま
症状の原因となった出来事の記憶は必ず消えているのかどうか、おそらく判明していないのではないかと思います。 しかしまた確かめようがありません。 少なくとも治った例の大半で原因が突き止められ消えていたこ
やはり理論はあまり関係ないようです。 どういった理論に基づいて感情の演技の課題を設定するかはそれほど問題ではないようです。 とにかく極めて強力な反応(抵抗)が出るようにすればいいだけのようです。 むし
安易に大丈夫と思うと発症するようです。 30過ぎてかなり落ち込むということは、かなり煮詰まっているということ。 安易に、大丈夫とか何とかなるとか思わないこと。 大丈夫じゃないかもしれないが、何とかなら
夏目漱石は、症状の原因は「自分に噓をつくこと」だと考えていたようです。 この場合の自分とは自己や自我ではなく「自然」と言い換えています。 一旦嘘をついてしまうとその後なかなか回収するのは大変です。 漱
「主体的に考える」とは、「身の程をわきまえない」ということかもしれません。
感情の演技で、一旦、ある課題で極めて強力な反応(抵抗)が現れると、これまで一度も極めて強力な反応が現れなかった課題でおこなっても、極めて強力な反応が現れるようになります。 これは何を意味しているのでし
セルフハートセラピーを始めてほぼ2ヶ月になりました。 これは実験的な意味合いでも行っています。 感情の演技は、症状の原因かその周辺の課題でないと、極めて強力な抵抗(反応)が生じない限り、かなり強い反応
現在、セルフハートセラピーをやっています。 通常は、抵抗が極度に強い課題を自分で見つけるのは極めて困難だし、 見つけられたとしても、感情の演技を続けるのが困難なため、 セルフはほぼ無理なのですが、
やはり大きな変化を導くには、 本人がたいして重要視していないことを、重要視していないのは幸福否定が強いから、それは「本心」の願望だから、と理屈付けして、課題にするのは良くないですね。 幸福否定理論をそ
1,幸福否定により発症している例が多くある。 これは事実です。 2,(ほとんど)すべての人には幸福否定の習性がある。 これも確からしく思われます。 しかし幸福否定(が関与しているがそれ)によらない発
症状の原因は、状況と心(幸福否定などなど)の関数ですから、 そして心理療法の目的は心を変えることでしょうから、 状況を変えれるような方向に心を変えていかなくてはなりません。 ハートセラピーのやり方で
感情の演技は、幸福否定には関わりなく、願望実現ツールの一つと考えた方が良いかもしれません。 どの程度強力なのかは未知数ですが。
夢をみればまた隠れあうこともできるが妹よ 江戸はさきごろおわったのだ
夢をみればまた隠れあうこともできるが妹よ 江戸はさきごろおわったのだ 「ドン・キホーテ」
主体的に考えると言っても、如何様にも解釈できるわけです。 感情の演技で極めて強い反応が持続するのは、 意識ではなく本心が解釈している主体的という状態に対して極めて強い抵抗があるということでしょう。 本
試しに感情の演技を自分でやってみたところ、極めて強い反応が現れました。 頻繁に寝落ちしてしまいます。 「主体的に考える」ことに極めて強い抵抗があることがわかりましたが、 「主体的に考える」の意味がど
イエローサブマリンの少年と統合するということは、別の言葉で言えば現実逃避するということでしょう。 サブマリンの少年にとって壁の中で夢読みすることが、現実逃避であり天職になるわけです。 その場しの
超越することとは、過去と現在の自分をご破算にすることでもあるでしょう。
感情の演技で、幸福に対する抵抗により生じる反応は、ストレス反応だという説があるようです。 ストレス反応というより葛藤反応だとするのがより正確と思われますが、 そうすると、葛藤理論(村上春樹療法)によ
主体的に考えるようになると「抵抗」が起こるようです。 つまり「主体的に考えるようになったこと」が症状の原因になることもあるわけです。 これには2つのパターンがありそうです。 1,抵抗が起こり主体的
北村透谷は、イエローサブマリンの少年と共に現実に生きたいと言いました。 しかしそれは不可能でした。 村上春樹は、まずサブマリンの少年と分離して、その後壁のある街で一体化し、半身は街に残り、残りの半分
良いことも悪いことの同時発生で発症するという説が正しいとしたら、 そのメカニズムはどうなるのかという疑問が出てきます。 例えばストレスで発症する場合と幸福否定で発症する場合とでメカニズムは同じなの
感情の演技は原因と関係あるなしに関わらず有効のようです。 極めて強力な反応が出た場合に限りですが。 課題を設定するに際し幸福否定理論は必ずしも考慮しなくても良さそうです。 反応の強さは矛盾の強さに
イエローサブマリンの少年は、「壁」と呼ばれた少年でしょう。 「壁」と呼ばれた少年は、 よろこびもこころよさも美しさも消えた、 すきとおった街に住んでいます。 少年の手のひらには言葉がひしめき、
ハートセラピーと従来の幸福否定理論に基づいた心理療法の違いは、 後者が「進歩」という観点を重視しているところです。 これはおそらく後者の心理療法家の笠原先生や渡辺先生が、 自身が能力がかなり高く
ハートセラピーのもう一つの違いは、「変わっている」のを簡単には幸福否定と結び付けないという点です。 それは、笠原先生は「まともな人」なため、クライアントの「変わっている」のが気になり、つい幸福否定と
イエローサブマリンの少年と統合しようとすると、かなり体調が悪くなるようです。 危機的な状況ともいえるでしょう。 これは幸福否定の一種という気もしますが、本当のところはわかりません。 しばらく続けてみ
「進歩」を重要視するのがダメなのではなく。 人によって、努力することによって進歩する人と、 暢気に構えていることによって、結果的に進歩してしまう人の 2つのパターンがあるのかもしれません。
大事なことは行動することですね。 それも適切に。 「街のその・・・」でも自分(の片割れ)を信じて跳ぶことが推奨されています。 この場合は自分を信じるということなので、比較的簡単な描写で終わっています
肯定療法を始めました。 人に迷惑かけたことも良かったこと。OK 人を欺いたことも良いこと。OK 人に冷たくすることも良いこと。OK (人に迷惑をかけるなどすると当然嫌われますが、) 嫌われることも良いこ
幸福否定理論では技法としては一つ「感情の演技」だけで、極めて強い抵抗(反応)が現れない限り、効果はほとんどありません。 他の心理療法では、何かもっと効果的な技法があるのかもしれませんが、なさそうです。
葛藤は原因だろうと思われます。 症状や問題が発現する時は、 「落ちて、それ以上に上がって、またやや落ちて、結局元のあたりになる」 ということだろうと思われます。 結局元のあたりに落ち着いたとはい
「村上春樹」療法と感情の演技法は、並立するものでしょうか? 暢気療法は、簡単に言えば「幸福とは暢気なこと」というふうに幸福否定理論を変えただけなので、感情の演技法と並立できるわけですが、当ては
「街とその・・・」は、かなり暢気な小説です。 なので「村上春樹」療法の書き割りには暢気療法が潜んでいると考えてよさそうです。
発症するのは、基本的に「ほっ」とした時です。 昔から志望校に合格した直後の発症など一部のケースで「気のゆるみ」とされていましたが、本質を突いていそうです。 ただし気のゆるみが原因なのではありません。
現実を変えるには、イエローサブマリンの少年と統合して再分離するだけでは足りず、壁の内と外の主人公が統合した後、さらに少年時代の記憶をかきかえる必要があることが仄めかされています。
イエローサブマリンの少年は、弱く頑ななため現実には生きられない心のことでしょう。 しかし純粋なため優れた認識力を備えた心でしょう。 かって谷川雁が「詩的認識力と人格的理解力は相殺し合わないものか」(
症状や問題の原因は、性格傾向などの心と外界状況と脳などの身体的なものとの3つの関数ですね。 その内、心理療法で扱えるのは性格と状況ですが、性格のどの部分が症状や問題と深く関連しているのか見極めるのが難
「村上春樹」療法では、イエローサブマリンの少年との統合に対する抵抗は、 ある出来事が起こった時に理由のない嫌悪感が生じる場合に現象化していると思われます。 ちなみに「街とその不確かな壁」に基づいた
小説では壁の内から戻った「影」の現実がかなり肯定的に描かれていますが、これは問題や症状が軽いからだと思われます。 (一部恋愛の問題では解消しきれていない様が描かれていますが) 重い場合は、壁の内での状
昔「嫌われる勇気」というような本が流行ったことがありますが、 これは分人主義があってこそ成り立つことです。 裏の顔が嫌われるだけなら、 それほど勇気を出さなくても、割と平気で出来ます。 勇気というほ
小説では少年Aとの統合は、割とあっさり出来てしまっていますが、 心理療法に於いてはここが一番山場になるでしょう。 まず少年Aを見つけ出さないと始まりません。 次に小説でもそう描写されていますが、本人は
「街とその不確かな壁」では、イエローサブマリンの少年は壁の内に取り残されるわけですが、 彼には壁の内という現実と切り離された状態でするべきこと(夢読み)があります。 つまり一度落ちた人は、壁の内に分離
少年A(イエローサブマリンの少年)と統合するのは、隙間時間に行うと良いようです。
表の顔と裏の顔を持つのが良さそうです。 裏の顔が表の顔と違うのは、あまり良くないことという通念がどうしてもあります。 その辺を克服するのが良さそうです。 もちろん人を騙すために裏の顔を持つのは良くない
「街とその不確かな壁」では人の心は4つの象限に分かれています。 少年A(イエローサブマリンの少年)、少年B(17歳)、大人A、大人B(壁の内で夢読みしている) それぞれ本体と影があるので8つですが。 こ
やはり心の葛藤を弱めることが一番大事で、 葛藤を放置したまま幸福否定を弱めることに囚われていると、 効果は限定的になるということでしょう。
本心(表面的な)と意識があまりずれていないときは、幸福否定理論が当てはまり、 ずれが大きい場合は、当てはまらないのだと思われます。 また、深いところの本心は到達ほぼ不可能なため、何とも言えないのだ
「暢気」療法は、いちおう幸福否定理論を適用して心理療法を行っているうちに、派生して出てきた療法です。 しかし「暢気でいられること」が発症や症状持続の原因とは考えにくいようです。 また感情の演技は
結局、心理療法といっても、現実を変えないとダメだろうという立場です。 しかし、現実を根本的に変えることはそう容易ではないので、ハートセラピー自体が成り立ちにくいわけですが。 現状、効果があるのは3割
ダブルバインド状況を克服するためには、 原因となるものを具体的に詰めていって、 少しづつ解決していくのも一つの方策ですが、 もう一つの方策は、「暢気になれるようにする」のが、 ざっくりとし過ぎです
ハートセラピーでは、症状や問題の原因として根本的なものは、 心の葛藤や不安、虚しさなどと考えます。 ストレス状況や幸福否定も関与していますが、総合的に考慮します。 これは昔から言われていたことで、
感情の演技で、どんな課題で行っても、かなり強い反応が持続することはよくあります。 そうなると、はたして強い反応は強い抵抗があるために出るのか、疑問がでてきます。 感情の演技では、願望実現を課題にし
ダブルバインド理論が正しいとしても、 人は様々な葛藤を持って生きていますから、 そのうちの何が症状に深く関係しているのか見つけ出すのはなかなか困難ですね。
ダブルバインド理論では、状況と心の引き裂かれ度、ある状況と別の状況の引き裂かれ度、心の一部と他の一部の心との引き裂かれ度を重要視します。 そのため、セラピーではまずひとつに状況を変えることに重点を置
新しいダブルバインド理論では、本心の幸福を重要視する幸福否定理論と違って、現実の幸福を重要視します。 本心の幸福は無意識の領域ですからもちろん本人にはわかりません。 そしてセラピストにもわからないので
急性の症状は幸福否定理論が当てはまることが多いようです。 その際は感情の演技においても、極めて強い抵抗が現れなくても、かなり強い抵抗でも大丈夫です。 長引いている場合は他の要因も考える必要があること
たしかに雨期は待たれている。 やがて水滴は確実に河ぞいにやって来て、 眼球のように一度拡大してから消えるだろう。 水滴と一体化すれば症状は消えるのかもしれません。
従来的な方法では洞察は不要でしたが、 ダブルバインド理論で行う場合、洞察が必要なことがあります。 そのかわり、抵抗をがんばって克服する必要がなくなり、 ツボが見つかると、短時間で解決します。 ただしツ
彼の場合、「何事があっても動じない」ということが本心のよろこびなのかもしれません。 だから幸せの方向に進んでいくと、動じない程度が低くなるので、動じなさを強くするためには、不幸せの方向に進んでいって
発症の原因は、おそらく、良いことと悪いことの同時発生です。 幸福なこと(うれしいこと)とストレス(つらいこと)が同時に発生した時に発症すると思われます。 これまでどんな心理療法も一方の側面だけにし
幸福否定理論が当てはまる例も、ストレス(トラウマ、ショック)理論が当てはまる例も、認知の歪み理論が当てはまる例も、いちおうダブルバインド理論によって説明できます。 ダブルバインド理論は単にさまざまな理
ハートセラピーの方針を変更しました。 ・まず最初は、幸福否定理論に基づいて抵抗(反応)が極めて強いテーマを見つけることは変わりません。 ・次に最長6ヶ月くらいしても見つけられないときは、幸福否定理
まったく暢気にしていられないような状況で「暢気にしていられてうれしい」という感情の演技で、極めて強い反応が起こるのは、 幸福に対する強力な抵抗があるからなのか、 ただ単に現実の状況と望みがあまりにもか
感情の演技療法では、感情の演技で極めて強い反応(抵抗)が現れれば、 数ヶ月継続するとかなり好転することが多くの例で確認されていますから、 別にダブルバインド状況が軽くならなくても良いのかもしれません。
金銭的な問題でセッションは中止しているのですが、 自宅で感情の演技を1日平均2~3回ほどですが続けているそうです。 そのためかどうか、暢気な気持ちは少し高まってきているそうです。 あとは暢気にしていら
暢気にしていられない。 しかし、どうしていいかわからないので、せめて暢気にしていたい。 これはかなり辛いダブルバインド状況です。 症状の原因が、 「仕事がうまくいかなくても暢気にしていられた幸せ
静岡の渡辺先生の研究によると、 感情の演技での反応の強弱は、セラピストの側の意識によって大きく違うようになるようです。 反応の強弱は、セラピーの効果に大きく影響してきます。 そうすると、例えば
感情を伴わせたポジティヴなイメージ療法は、結局、感情の演技療法と同じですから、 やはり極めて強力な反応(抵抗)が現れない限り、 いくら続けても大きな効果はないということになりましょう。 5年10年と
イメージ療法、感情療法、ポジティヴ療法というものがあると思います。 感情の演技療法は、それらを発展させたものと考えた方が良さそうです。 この場合、課題が本人が意識で望んでいることにしか適用できないので
友ら去りにしこの部屋に、今夏花の 新よそほひや、楽しみてさざめく我等
感情の演技を一人で行うのは、危険です。 しばらく行って、おそらく半年ほど、 かなり強い反応(抵抗)が現れても、 寝落ちしたり、すっかりやるのを忘れてしまったりと 極めて強い反応が現れない限り、 その
味わい療法とは、症状をじっくりと味わうことによって、改善に導く療法です。 痛みや不快感、不安などを、おいしい料理のように楽しく味わい続けるわけです。 「痛みを感じてうれしい」という感情の演技をするのに
ハートセラピーは、感情の演技を3ヶ月から6ヶ月継続しないと効果が現れないわけですが、 継続できる方は3割程度です。 感情の演技は多くの方にとってとても辛いものです。 短期間のうちに、寝落ちしてし
人は自分のために生きるべきであるとのことです。 それは義務だと言えるでしょう。
彼の場合6年半ほども経って初めて寝落ちするという極めて強い反応が現れ、しばらくして中止になりましたから、速断するのは躊躇われます。 本人には自宅で感情の演技を続けるよう進言しているので、 も
ハートセラピーを最後の手段のように考えて長く継続される方がいますが、それは禁物です。 ハートセラピーにそこまでの力はありません。 1年ほど続けて効果が見られない時は、速やかに中止して、他の療法を試して
幸福否定理論や感情の演技療法を理解できる人は、ハートセラピーが合わない可能性が高いです。
ハートセラピーは「感情の演技」療法と同義ではありません。 抵抗の強い課題を見つけて、いくら「感情の演技」をしつこく続けても ツボに嵌まっていないと(病気の原因かそれに近い課題でないと) 病気は治りませ
しかしごく限られた例だとは言え、7年間もセラピーを受け続けて効果が1ミリたりともなかったというのは、一体どうした事でしょうか。 感情の演技をするのは、かなり苦しそうだったですが、その苦しみはまったく
「無職でも暢気にしていられること」に極めて大きな抵抗が見られ、その方向で治療を進めることにしていたのですが、 事情が変わり暢気にしていられなくなり仕事をしなくてはならなくなったそうです。 しかし
ハートセラピーで効果がほぼ現れない人の割合は、7割程度なわけですが、 その原因として考えられるのは、 1,病気の原因が幸福否定ではなかった。 2,治療者と患者が合わなかった。 3,治療者の能力不足
わが草木とならん日に たれかは知らむ敗亡の 歴史を墓に刻むべき われは飢ゑたりとこしへに 過失を人も許せかし 過失を父も許せかし これが萩原朔太郎の白鳥の歌です。 無惨というほかありません。 本当に
幸福否定により病気になるわけですが、 その時、病気になるかならないかは、偶然によって決まるようです。
一般的に言えば、努力するのは、幸福になりたいため、と言えるでしょう。 しかし実は、努力しているのは幸福否定の現れの場合があるようです。 つまり、努力するのが辛い場合は、努力すると幸福から遠ざかるという
まだ忘れていた記憶が出てきたわけではないので原因は不明なままですが、 もし暢気になれたことが病気の原因だとすると、 6年以上の長きに渡る治療の効果がなかったことの説明がつきます。 一応「本心では
これまでの自分も、これからの自分も、愛されなくてはならない。ぼくはぼく自身に、加担しなくてはならないのだ。
進歩・向上・成長したり愛情を認めたりすることと、暢気になることは、重なることも多いですが、全く反対になることも多いと思います。 例えば40代になって親の脛をかじっているのに暢気な人は、ふつうの価値観で言
福永武彦の「草の花」には、幸福否定により固定観念を捨てきれない人物の苦闘するさまが、優れた造形をもってリアルに表現されています。固定観念を捨てようとしてある程度捨てられると病気になるみたいです。
例の人ですが、「暢気になれたこと」が、今までで一番強い抵抗が現れます。 演技の途中で寝落ちするようになりました。 7年近くやっていてこれまで一度もなかったことです。 もしかしたら治療が一気に進むので
幸福否定理論では進歩向上することが一番幸福(本心でうれしいこと)という前提に立っているような気がしますが、 それよりも一番の幸福は、暢気であることという気がします。 進歩向上することより、暢気であ
●ストレス説と幸福否定説病気の原因として、心理的なものでは、ストレス説と幸福否定説があります。一見まるで逆なわけです。二通りの原因がある可能性もないわけではないですが、やはりどこか不自然です。しかし、
やはり病気の原因は、幸福否定やストレスや身体的なものや様々なことが複合していると考えた方が良いですね。
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症状の原因は、些細な出来事だけれど、これまでで一番うれしい出来事ということになっています。 この点がどうしても理解できないということかもしれません。 これまでもっと大きな出来事が実現していてうれしいと
あくまで極めて強力な反応(抵抗)が現れた場合 1,ハートセラピー(セッション)とセルフの効果の差 2,同じ程度の強さの反応でも、課題の違いによる効果の差 (原因かその周辺に関する課題か、そうでないか
ネットで検索して少し調べただけですが、幸福否定理論に依拠して心理療法を行っているのは、静岡の渡辺先生だけのようです。 幸福否定理論に依拠した心理療法の発展のためとも期待して心理療法としてのハートセ
心配したり、不安になったりすることは、いわば大きな罪悪ですね。 そういう意味では、暢気以上の幸福はそれほどないわけでしょう。 そういう意味では、暢気療法はすべての人に当てはまる療法でしょうか。
結局、現行の心理療法はすべて児戯に等しいようです。 ほぼ自己治癒力に頼るしかなく、 せいぜい自己治癒力が発動するきっかけを与えるに過ぎないようです。 症状(問題)が軽ければ、それでいいのですが、心理
主体的に考えることによって葛藤が強くなったことになります。 つまり考え方が間違っていたから葛藤が強くなったわけです。
心理療法や心理学の世界だけではなく、どの分野の研究者も一般化普遍化したがるようです。 しかし人間として共通に成り立つことはむしろ少なく、 個人個人千差万別全く天と地ほども違うと考えた方が良さそうです
従来、感情の演技での反応(抵抗)が強いのは、幸福否定が大きいからと説明されてきましたが、 そうではなく葛藤が強いからと考えることにしました。 したがって症状の原因は葛藤が強い出来事というふうになりま
症状の原因となった出来事の記憶は必ず消えているのかどうか、おそらく判明していないのではないかと思います。 しかしまた確かめようがありません。 少なくとも治った例の大半で原因が突き止められ消えていたこ
やはり理論はあまり関係ないようです。 どういった理論に基づいて感情の演技の課題を設定するかはそれほど問題ではないようです。 とにかく極めて強力な反応(抵抗)が出るようにすればいいだけのようです。 むし
安易に大丈夫と思うと発症するようです。 30過ぎてかなり落ち込むということは、かなり煮詰まっているということ。 安易に、大丈夫とか何とかなるとか思わないこと。 大丈夫じゃないかもしれないが、何とかなら
夏目漱石は、症状の原因は「自分に噓をつくこと」だと考えていたようです。 この場合の自分とは自己や自我ではなく「自然」と言い換えています。 一旦嘘をついてしまうとその後なかなか回収するのは大変です。 漱
「主体的に考える」とは、「身の程をわきまえない」ということかもしれません。
感情の演技で、一旦、ある課題で極めて強力な反応(抵抗)が現れると、これまで一度も極めて強力な反応が現れなかった課題でおこなっても、極めて強力な反応が現れるようになります。 これは何を意味しているのでし
セルフハートセラピーを始めてほぼ2ヶ月になりました。 これは実験的な意味合いでも行っています。 感情の演技は、症状の原因かその周辺の課題でないと、極めて強力な抵抗(反応)が生じない限り、かなり強い反応
現在、セルフハートセラピーをやっています。 通常は、抵抗が極度に強い課題を自分で見つけるのは極めて困難だし、 見つけられたとしても、感情の演技を続けるのが困難なため、 セルフはほぼ無理なのですが、
やはり大きな変化を導くには、 本人がたいして重要視していないことを、重要視していないのは幸福否定が強いから、それは「本心」の願望だから、と理屈付けして、課題にするのは良くないですね。 幸福否定理論をそ
1,幸福否定により発症している例が多くある。 これは事実です。 2,(ほとんど)すべての人には幸福否定の習性がある。 これも確からしく思われます。 しかし幸福否定(が関与しているがそれ)によらない発
症状の原因は、状況と心(幸福否定などなど)の関数ですから、 そして心理療法の目的は心を変えることでしょうから、 状況を変えれるような方向に心を変えていかなくてはなりません。 ハートセラピーのやり方で
感情の演技は、幸福否定には関わりなく、願望実現ツールの一つと考えた方が良いかもしれません。 どの程度強力なのかは未知数ですが。
金銭的な問題でセッションは中止しているのですが、 自宅で感情の演技を1日平均2~3回ほどですが続けているそうです。 そのためかどうか、暢気な気持ちは少し高まってきているそうです。 あとは暢気にしていら
暢気にしていられない。 しかし、どうしていいかわからないので、せめて暢気にしていたい。 これはかなり辛いダブルバインド状況です。 症状の原因が、 「仕事がうまくいかなくても暢気にしていられた幸せ
静岡の渡辺先生の研究によると、 感情の演技での反応の強弱は、セラピストの側の意識によって大きく違うようになるようです。 反応の強弱は、セラピーの効果に大きく影響してきます。 そうすると、例えば
感情を伴わせたポジティヴなイメージ療法は、結局、感情の演技療法と同じですから、 やはり極めて強力な反応(抵抗)が現れない限り、 いくら続けても大きな効果はないということになりましょう。 5年10年と
イメージ療法、感情療法、ポジティヴ療法というものがあると思います。 感情の演技療法は、それらを発展させたものと考えた方が良さそうです。 この場合、課題が本人が意識で望んでいることにしか適用できないので
友ら去りにしこの部屋に、今夏花の 新よそほひや、楽しみてさざめく我等
感情の演技を一人で行うのは、危険です。 しばらく行って、おそらく半年ほど、 かなり強い反応(抵抗)が現れても、 寝落ちしたり、すっかりやるのを忘れてしまったりと 極めて強い反応が現れない限り、 その
味わい療法とは、症状をじっくりと味わうことによって、改善に導く療法です。 痛みや不快感、不安などを、おいしい料理のように楽しく味わい続けるわけです。 「痛みを感じてうれしい」という感情の演技をするのに
ハートセラピーは、感情の演技を3ヶ月から6ヶ月継続しないと効果が現れないわけですが、 継続できる方は3割程度です。 感情の演技は多くの方にとってとても辛いものです。 短期間のうちに、寝落ちしてし
人は自分のために生きるべきであるとのことです。 それは義務だと言えるでしょう。
彼の場合6年半ほども経って初めて寝落ちするという極めて強い反応が現れ、しばらくして中止になりましたから、速断するのは躊躇われます。 本人には自宅で感情の演技を続けるよう進言しているので、 も
ハートセラピーを最後の手段のように考えて長く継続される方がいますが、それは禁物です。 ハートセラピーにそこまでの力はありません。 1年ほど続けて効果が見られない時は、速やかに中止して、他の療法を試して
幸福否定理論や感情の演技療法を理解できる人は、ハートセラピーが合わない可能性が高いです。
ハートセラピーは「感情の演技」療法と同義ではありません。 抵抗の強い課題を見つけて、いくら「感情の演技」をしつこく続けても ツボに嵌まっていないと(病気の原因かそれに近い課題でないと) 病気は治りませ
しかしごく限られた例だとは言え、7年間もセラピーを受け続けて効果が1ミリたりともなかったというのは、一体どうした事でしょうか。 感情の演技をするのは、かなり苦しそうだったですが、その苦しみはまったく
「無職でも暢気にしていられること」に極めて大きな抵抗が見られ、その方向で治療を進めることにしていたのですが、 事情が変わり暢気にしていられなくなり仕事をしなくてはならなくなったそうです。 しかし
ハートセラピーで効果がほぼ現れない人の割合は、7割程度なわけですが、 その原因として考えられるのは、 1,病気の原因が幸福否定ではなかった。 2,治療者と患者が合わなかった。 3,治療者の能力不足
わが草木とならん日に たれかは知らむ敗亡の 歴史を墓に刻むべき われは飢ゑたりとこしへに 過失を人も許せかし 過失を父も許せかし これが萩原朔太郎の白鳥の歌です。 無惨というほかありません。 本当に
幸福否定により病気になるわけですが、 その時、病気になるかならないかは、偶然によって決まるようです。
一般的に言えば、努力するのは、幸福になりたいため、と言えるでしょう。 しかし実は、努力しているのは幸福否定の現れの場合があるようです。 つまり、努力するのが辛い場合は、努力すると幸福から遠ざかるという