メインカテゴリーを選択しなおす
周りのことを何でも許し受容すると愚かに。愛と呼べるものはなに?
健全で素直な違和感や疑問が人を成長させるもの。『あの人は間違いない』とか、他人を無批判に信じることが人を愚かにします。信頼ではなく放縦です。これは教会でよく起こっています。でも、誰かを信じたい、信じて安心したいのも人情。『ただ信じる』のではな
形だけの祈り、儀式ばった祈りから心のどんなつぶやきもすべて神様が聞いてくれる、うなずき深く理解し共に担ってくれる、と思うことへ飾られた花より無造作に咲く野花の群れの中のひとつのように、そんな日常で祈る、自然に私は変えるのに10年以上、恐怖が無くなる
『聖書的』『聖書主義』に固執してカルト化する教会から外へ出る
牧師は教会員に経済的支援をされ生活を依存しています。役に立っていない場合、支援しなければいいだけです。什一献金を神への義務とか公然か暗黙のルールにしている時点で警戒すべきです。福音派聖霊派の教会からのカルト的な精神的支配の問題は数えきれない証言がネッ
良心・善意・正気を保ち、脅し・追い込み追い詰め・嘘をはっきり見分けて、実生活で充実した心で前向きになり自由に発想が拡がる方を向いて
幸せって、人と自分と家族の良心や善意を信じられること。信仰で言えば「神はキリストの十字架ゆえに人のありままを受け容れて愛する方」のはず。厳しくして強迫的に奉仕献金をさせて、できないことを責め裁くようなことをするのは神ではなく、人生を破綻させるのは神
『トラウマから逃れるために他人を犠牲にする連鎖』を意識できる弱さは幸い
毒親というワードが最近言われています。親的な信頼を寄せる人からの冷たさ無関心・突き放し・しごきなど信頼の裏切りからのトラウマがあると、無意識にいつも他人を試してしまいます。それも気を許せる信頼できる相手に対してや、下に見て自分に従うかついてくるか試したい
神キリストがそれぞれの人の現実に例外なく共にいて重荷を負うので、人は神と共にその現実を生きる。人の願望・理想と十字架
現実は苦しい。これは動かせません。人は現実から逃げたい、負いたくないという願望を誰でもどこかで持っています。カルトに近いほど、マインドコントロールで、現実を快適にすべき、そのために祈りと教会と聖書で救うべきという物語で理想と思わせようとします。無意識