疑われる理由を考えるべき-疑惑提起への適切な対応

疑われる理由を考えるべき-疑惑提起への適切な対応

一般の社会にあっても、疑いを提起しただけなのにも拘わらず、感情的な拒絶反応が返ってくることがあります。その大半は、‘疑われるのは侮辱である’、‘私を信じないのですか’、あるいは、‘このような疑いを持つとは、あなたを見損なった’といった反応であり、悪いのは、一方的に‘疑った側’ということにされます。一方が疑いを投げかけた途端、対立関係、もしくは、あたかも“加害者”と“被害者”があるかのような関係に転じてしまい、これまで良好であった人間関係が完全に崩壊することも珍しくはないのです。それでは、疑いの提起は、疑う側のみに非があるのでしょうか。この問題、所謂‘陰謀論’による疑惑封じにも通じています。確かに、大抵は何らかの‘よろしからぬこと’をめぐるものなのですが、自らが他者から疑われることは、不愉快なことです。です...疑われる理由を考えるべき-疑惑提起への適切な対応

2024/06/10 10:45