西欧哲学、西欧史、キリスト教、社会主義などの読書メモです。 最近はフランス史とキリスト教、社会主義に重点を置いています。
フランスの投票が、国民議会の場合には750人の議員に分散しているのに、 直接選挙の大統領の場合には1人の個人に集中している。 国民議会の国民に対する関係は、抽象的なものであるが、 大統領の国民に対する関係は個人的なものである。
第1次フランス革命とさかさなのが1848年の革命である。 プロレタリア党は小ブルジョア的民主党のつけたりとしてあらわれる。 プロレタリア党は小ブルジョア的民主党によってうらぎられ、見すてられる。 この民主党の方はブルジョア共和党の肩によりかかる。 ブルジョア共和主義者は自分でしっ...
第1次フランス革命では立憲派の支配のあとにジロンド派の支配が、 ジロンド派のあとにジャコバン派の支配がつづいた。 これらの党派は、いずれも自分よりももっと進歩的な党を頼りにした。 どの党も、革命をせいいっぱいに指導したあげく、 ついに、もはやそれ以上革命について行けず、 ましてそ...
憲法関係法は、秩序の友たちの手によって生みだされたが、 そこではかのすべての自由は、ブルジョアジーがこれらの自由を享受するにさいし、 他の階級の同一の権利のためにじやまされない、というように調整されていた。 彼らが「他のもの」に対してこれらの自由を全く禁止するか、 あるいはそれの...
ネッケルについていえば、彼は自分の人気がしだいに衰え、 銀行家たちとの緊密な協定にもとづいた、 その財政政策が愛国派によって非難されていることを知っていた。 議会が金融業者の満足できない借り入れ金の利子の利率しか認めず、 その結果、この起債は失敗に終わった。 起債の失敗の責任はネ...
人権および市民権の宣言は、直接民主主義的な文面を含んでいたが、 国民議会は代表制的な統治機構を組織し、 立法府が国のほとんど絶対的な主人であった。 ただし、フランス革命はアンシャン・レジームに対しては革命的であり、 貴族の免税特権に対しての「租税の仕組み」の改革だけでなく、 聖...
穀物取引の自由は、貧民の貧窮を食いものにして、 富む者すべてに与えられた犯罪的な白紙委任とみなされていた。 そして、かりに重農主義的経済理論家の主張が正しいにしても、 農業の発展が土地所有者と大商人の利益となり、 その反対に、貧民が少なくとも当座は発展の全犠牲を払ったことは明白で...
ブルジョアジーとキリスト教の関係は、歴史的に対立と調和を繰り返してきました、 中世ではカトリック教会が富の蓄積を否定し商業活動を制限しました。 しかし中世末期に商業で台頭したブルジョアジーは、 教会と対立しつつ力を伸ばします。 16世紀の宗教改革では、カルヴァン派が勤勉と蓄財を肯...
当時のフランスのブルジョアジーの多くは、 ヴォルテールの影響をうけてキリスト教から離れ、 概して「自然宗教」のほうに惹かれていた。 この「自然宗教」はフリー・メーソンによってもまた唱導されており、 その無味乾燥な欠点はルソーの感情的吐露によって緩和されていた。
ブルジョアジーはネッケルに期待をかけていた。
ジロンド派にはカルヴァン派の銀行家がいる。 大商人、製造業者は強硬な保護貿易論者である。 手工業者は資本主義に敵対的であった。 後にサン・キュロットの供給源となるのが、 この階層である。 サン・キュロットとは貧困層である。
ナポレオン3世の時代のパリの大改造は、ブルジョアジー出身のオスマンが担っている。 パリのオペラ座の豪華趣味の装飾は、ブルジョアの美意識に迎合したものになっている。 カルヴァン派は禁欲的であるらしいのですが、ブルジョアは豪華趣味なのですね。 だからブルジョア即カルヴァン派ではない...
15、16世紀には、地理的大発見と植民地開拓と恒常的金欠に悩む、 王制の財政的措置に刺激されて、 ブルジョアジーが資本主義の発展とリズムを共にしながら飛躍の道を辿り、 18世紀になると、金融と商業・工業の先頭に立って、 国家の前進と行政に必要な資金を王政府に提供するまでになる。 ...
プロテスタントの教会の壁は、白い石の地肌のままである。 すべてが収斂していく聖域の奥には、装飾を施した祭壇ではなく、 台所のテーブルのような粗末な木製のテーブルがあるだけである。 その上には十字架も燭台も聖なるパンを入れた聖櫃も載っていない。 知的活動に熱心なリヨンは、プロテス...
『アルビジョア戦争』は、北フランスと南フランスの決戦であって、 宗教的対決は表向きの口実に過ぎなかった。 この戦争は、カタリ派というさほど大きくもない一つの宗派の根絶を口実にして、 フランスで最初に真の自由を謳歌真実の輝きを放ち、 真の宗教の道を探求した南フランスという地方を、...
ロマネスク芸術とゴシック芸術、クリュニー修道会とシトー修道会
『ロマネスク芸術』の普及に主役を演じたのがクリュニー修道会であったのに対し、 『ゴシック芸術』において、重要な役割を果たしたのがシトー修道会である。 1150年ごろに全盛期を迎えた『ロマネスク芸術』と、 12世紀にそれを引き継ぎ、14世紀末まで続いた『ゴシック芸術』は、 年代学...
兵士たちは平穏な一般市民を脅かす、 テロリストや無政府主義者として告発された。 これに対し、兵士たちは自分たちが王党派から、 攻撃されていると主張した。
フランス革命の1989年の人権宣言では、 圧政への抵抗が表明されていた。 1993年憲法では、圧政への抵抗を、 最も神聖な権利、最も不可欠な義務であると、 定義することで、さらに先へと進んだ。 1995年憲法は、圧政への抵抗を削除して、 法の遵守が主張された。
(ピュウリタン革命において)、 1648年にはブルジョアジーは、近代的貴族と結んで、 王権、封建貴族ならびに支配的教会と闘った。 (フランス革命において)、 1789年にはブルジョアジーは、人民と結んで、 王権、貴族ならびに支配的教会と闘った。 ↓ マルクスの語る、ブルジョアジ...
かつては(フランス革命の)、 ジャコバン党員とよんでいた者を、 今日ではひとは共産主義者とよぶ、 とエンゲルスは言明している。 ↓ ジャコバン派とカルヴァン派と共産主義の関係は、 フランス革命で理解しにくい点の1つだと思います。
「カルヴァン派の信者は、しばしば君主政に対して批判的な立場を取ることがありました。 特に、イギリスのピューリタン革命(清教徒革命)では、 カルヴァン派の信者が中心となって君主政に反対し、共和政を樹立しようとしました。 この革命は、1642年から1651年にかけて行われ、 最終的に...
カトリック教会と君主政の敵は、 理神論者、自由思想家(リベルタン)、詐欺師、ユダヤ人とプロテスタントである。 ↓ フランス革命は、ユダヤ人(最初はセファルディム、後にアシュケナージ)の信仰を認めます。 大雑把に言って、セファルディムとはアジア系、 アシュケナージとは白人のユダヤ人...
人権宣言は「すべての市民またはその代表」が法の制定に参加できることを、 「人民主権」の権利と定めていたが、 直接参加の線をどこに引くべきかは不明確であった。 最終的に議会は、すべての女性と成人男性のおよそ5分の2を排除した。 後者は3日分の賃金額に相当する租税を支払えないほど貧...
パンの値上がりは、貴族の地主たちが意図的に、 穀物供給を差し控えた結果であると広く考えられた。 ネッケルの運命が食料そうゆうと抵抗運動を、 暴力的な反乱行為へと変えた。 「ネッケル氏の打倒を必死になって目論む諸侯たちが、 彼をより効果的に失脚させるため、意図的に穀物を退蔵して...
1788年8月には、フランス国家は実質的に破産に陥った。 その打開策の一つとして、ネッケルを首席大臣として呼び戻した。 彼は1781年に解任された際、たとえ不正確だとしても、 民衆からは国庫を黒字化したと信じられていた。 ネッケルはラモワニョンの提案した司法改革を素早く退け、...
フリーメーソンの普及は、貴族的エリートの規範から外れたところにある 独特なブルジョア文化の表現の一部をなしていた。 (フリーメーソンについては情報が錯綜しているので、 あくまで1つの見方にすぎませんが。) 科学、進歩、理性、啓蒙、自由、百科全書、消費文化、世界市民、 人間に普遍...
ネッケルは、ルイ16世が任じた唯一人の貴族出身でない大臣であった。 ↓ ネッケルは貴族ではなく、カルヴァン派のブルジョアであり、 フランス革命の、反貴族という特徴を示しているのかもしれません。
ルイ14世によるナントの王令廃止(1685年)以降、 18世紀を通じて王政によるプロテスタント弾圧が繰りかえされたが、 「啓蒙の世紀」が後半に進むにつれて弾圧政策への疑義が広まり、 ルイ16世は1787年には「寛容王令」に署名し、 プロテスタントに信仰の自由は公認しなかったものの...
ルイ16世時代の財務総監の1人、フランス革命前夜に活動したネッケルは、 ジュネーブの大銀行家の家に生まれ、プロテスタントであり、 東インド会社に関する投機で、巨額の富を築いた。 東インド会社は、アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社。 ネッケルは、穀物の自由取引をはげしく...
人とその妻は二人とも裸であったが、互いに恥ずかしいとは思わなかった。 エデンの園の中央にある木の実を食べると、神のように善悪を知る者となる。 彼女は実を取って食べ、一緒にいた夫にも与えた。 すると二人の目が開かれ、自分たちが裸であることを知った。 彼らはいちじくの葉をつづり合わせ...
主は、地上に人の悪がはびこり、その心に計ることが常に悪に傾くのを見て、 地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。 主は言われた。 「私は、創造した人を地の面から消し去る。 人をはじめとして、家畜、這うもの、空の鳥までも。 私はこれらを造ったことを悔やむ。」 だが、ノアは主の...
フランスの「19世紀には原則として、農民や労働者の子供と、 弁護士や医者の子供がともに学ぶことも、 男女が同じ場所で同じ教育を受けることも想定されていなかった。 19世紀のフランスは、子供の教育の指導権をめぐって、 カトリック教会と国家の間でヘゲモニー(覇権)争いが怒った時代で...
フランスの「カトリック勢力は一枚岩だったわけではない。 ローマ教皇権の介入をできる限り排除しなければならなかった。 この点で、イエズス会士は、 入会時に「教皇への服従」の誓いを立てていたため、 常に微妙な立場にあった。 世論はイエズス会士を「教皇の手先」とみなし、 彼らへの反感の...
フランスの、1685年のナント王令の廃止、すなわちプロテスタント信教の禁止による、 数千人の亡命者が、外国で海運業を営むことによって、 「ロンドン、アムステルダム、ニューヨーク、ボストン」などを結ぶ、 カルヴァン派の交易ネットワークの素地を作った。 カルヴァンの実践は「ジュネー...
「カペー家の(12世紀の)ルイ6世とルイ7世の宮廷で活躍した、 サン=ドニ修道院長シュジェールは、ここを王家の墓所に相応しい聖堂にするために、 聖堂の改築に着手する。 彼は、規模拡大のために身廊を延伸し、新たな玄関部分となるファサードを新築し、 さらに古い身廊に接続するかたちで新...
「新しく学ぶフランス史」より 「フィリップ4世の子は…いずれも短命で、 男子の後継者を残さなかった。 1328年、王位はフィリップ4世の弟シャルルの家門、ヴァロワ家に渡る。 この王位継承に意を唱える者たちによて、 1337年に戦端が開かれる。これがいわゆる百年戦争である。」
アルビジョア十字軍、アナーニ事件、アビニョン捕囚とノガレの関係
アルビジョア十字軍(1209~1229年)と、 アナーニ事件(1303年)、 アビニョン捕囚(1309年~1377年)を結ぶ重要人物として、 ギヨーム・ド・ノガレという人がいます。 ノガレの祖父は、ローマ教皇インノケンティウス3世が呼びかけた、 『アルビジョア十字軍』により、異...
はっきり覚えていないので、誰かに調べてほしいのですが、 ミシュレによると、古代ローマ帝国の愚かな皇帝とされている人たちは、 ガリア(ケルト)のドルイド教を信仰したから、 キリスト教から低い評価を与えられているのではないか?という。 ガリア人(ケルト人)はローマ共和国の、ユリウス...
トゥールのグレゴリウスによる「フランク史」から引用 「あなたに読書のための文法を教え、論争の問題提起の方法を指導し、 修辞学における韻律の作り方、幾何学における地面や線の割りふり方、 天文学の星の運行の観察、代数学の数の性質、 音の調べをうつくしい言葉の抑揚にぴったりあわせる術...
レジリエンスとは心理学の用語で、 「同じようなストレスフルな体験をしても、 心理的・社会的に不適応に陥る者もいれば、そうでない者もいる。 深刻な危険性にもかかわらず、適応的な機能を維持しようとする現象」 のことを指し示します。 しかし『感情の歴史』という歴史書によると、 レジリ...
イエスは、神を受肉した人間でした。 神は移り変わる物ではない。人間は生まれ、死ぬものである。 イエスは、十字架にかかり、死ぬまでの間は、 ただの肉体にすぎませんでした。 十字架にかかるまでに、数々の奇跡を起こし、 死後、三日目に復活するイエスは、神だったのです。 イエスは、「...
クローヴィス1世(481年にメロヴィング朝を始める) はカトリック教徒の妻の影響により、カトリックに改宗しました。 以下、メロビング朝の時期のカトリックの概観をしてみます。 1,アリウス派との論争 カトリックでは三位一体(父、精霊、子は同格)であるのですが(アタナシウス派)...
ドストエフスキー「罪と罰」で、 ラスコーリニコフが、なぜ二人目の殺人を犯したのかは、 金持ちの強欲な老婆だけでなく、心の清い者を殺すことで、 悪魔にとりつかれていたことを、表現するためではないか?と僕は推測しています。 https://ks-novel.com/crime_an...
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