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【丹後:宮津&京丹後】天橋立を臨む一色氏の居城・宮津八幡山城へ登る。
2023年3月19日(日)快晴[1/2]1.宮津八幡山城址形 態山城址難易度★★---比 高155m整備度☆☆☆☆-蟲獣類-見応度☆☆☆--駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ65m / 75m所要時間10分 / 15分指 定-遺
2023/05/02 14:47
【出雲*月山富田城】山陰屈指の名城!尼子五代の山城へ登る。
戦国時代、神々の国・出雲から覇を唱え、11ヶ国に及ぶ領土を支配した尼子一族。滅んでもなお求め続けられ、山中鹿介をスポークスマンとして再興軍が結成された。戦国時代に最も熱かった地、出雲の月山富田城へ登る。
2023/04/16 20:51
【出雲*尼子十旗】戦国尼子氏の中枢ともいうべき家臣団の城々を巡る。
西国11ヶ国の太守・尼子氏。その本拠地出雲に点在する尼子十旗は、尼子氏の中枢ともいうべき家臣団である。尼子を支え、尼子に支えられた十旗の城々を巡る。
2023/04/07 21:50
【三河:岡崎&安城の城】徳川家康のルーツ、三河松平氏ゆかりの城々を巡る。
最後の天下人・徳川家康のルーツである松平氏は、松平郷から岩津→安祥→岡崎と本拠地を変えた。それらの城々は、都市化された市街地にあっても今もしっかりとその痕跡を遺している。三河一向衆の中心地・本證寺や、足利一門・吉良氏の居た西尾城と併せ、西三河の城々を巡る。
2023/03/05 22:21
【南紀の城‐熊野路part2‐】熊野国を支配した国衆たちの城々を巡る。
広大な領域を持つ紀伊国は、もともとは北の紀伊と南の熊野の2ヶ国だった。紀伊と熊野の国境、南紀白浜からみなべにかけて、戦国期当時の遺構が残る城々を巡る。
2023/02/25 20:20
【西播磨:相生&赤穂の城】名門・赤松氏の史跡が良好に遺る有年山城は必見!
戦国大名が生まれる前の守護大名の時代。西播磨の名門・赤松家の二代目当主・赤松則資は、千種川を見下ろす大鷹山に山城を築かせた。その遺構が良好に残る有年山城は必見!
2023/02/19 14:55
【伊勢:津&亀山の城】3つの山をトライアングル状に連絡させた縄張りを持つ細野城を始め、伊勢の城々を巡る。
伊勢の戦国史において、北の長野氏、南の北畠氏と並び称された両者は、南北朝から戦国期にかけて200年間戦い続けた。比高60mの低い3つの山をトライアングルのように連絡させた細野城は、高さより曲輪同士の連携を重視した戦国期らしい縄張りだ。細野城を始め、伊勢の城々を巡る。
2023/02/13 22:39
【南丹の城ー丹波路part1ー】将軍足利家と共に栄え滅んだ、丹波の国衆たちの城々を巡る。
丹波を支配した八木城の内藤氏。三好長慶に与し、足利義昭を支え、織田信長に逆らったため城を失った。最後の当主・内藤ジョアンはその後豊臣秀吉の近臣・小西行長に仕え活躍し、晩年はキリスト教禁止令によりフィリピンのマニラでその生涯を終えた。激動の戦国時代を生きた内藤氏の本城・八木城へ上る。
2023/01/10 23:13
【近江:湖南の城】豊臣家のキーマン・豊臣秀次の近江八幡山城を歩く。
豊臣家のキーマンだった豊臣秀次。彼の死により豊臣家は徐々に滅びの道をたどったと言っても過言ではないだろう。秀次の足跡が残る数少ない遺構である近江八幡山城を歩く。
2022/12/30 10:11
【北予:今治の城】村上海賊が支配した瀬戸内海の要塞・能島城に上陸する。
村上海賊の名で知られる三島村上氏は、芸予諸島を支配することで九州と畿内を行き来する船を全て把握し、瀬戸内海の治安を維持した。その全盛期を築いた能島村上武吉の城、瀬戸内海の要塞・能島城に上陸する。
2022/12/10 23:00
【南予:宇和の城】伊予南部の戦国大名“戦う貴族”西園寺実充の城へ登る。
伊予南部の戦国大名“戦う貴族”西園寺実充は、従来の居城・松葉城から、肱川の対岸の山に新たな本城・黒瀬城を築いた。大規模な普請を行ってまで本城を移した理由は何だったのだろうか? 現地に足を運び、その謎に迫る。
2022/12/07 23:36
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