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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • 鯵の開き

    宅急便が届いた。思ったよりも重く、手にした箱は冷えていた。あ、クール宅急便か。 学生時代、自分は容姿が劣る事を十分認識していた。それが僕を引っ込み思案にしていた。特に女性はやたらに眩しく見えた。お洒落な学校だった。もう誰もが制服姿の女子高生ではなく大人の女性だった。アクセサリーや香水の香りが更に僕を緊張させた。自分は全く委縮した肉の塊だった。彼女達が近くを通り過ぎただけで下腹部に熱いものを感じた。頑張って話しかける。自分でもわかるほどに顔が赤くなっていた。いくつもの憧れが風船のように大きく膨らんで来たが、途中で萎むか、手を離れて飛んでいってしまった。…本当はもう少し前向きなはずなのにな、という…

  • 壁飾り

    引っ越した高原の家にはこれまで飾っていなかった絵を飾った。簡素な部屋にしたいのに妻が作った額入りの刺繍や飾っていなかった絵も飾るとなんだか急に所帯じみてしまった。そこで居間から絵を外して、代わりに寝室と自分の書斎に飾った。 自分の部屋には妻の刺繍、南アルプスを描いた甲府盆地の絵、そしてデュッセルドルフのライン川の西岸の森の絵を飾った。迷った挙句に、そこに一枚の絵を追加した。本物は遠くウィーンの美術館にある。複製画も買えるわけもない。それは多分写真をスキャンしたのだろうか、ポスターだった。それを額に入れて壁に掛けたのだった。 西洋絵画など子供の頃は興味が無かった。しかし中学や高校の美術の教科書は…

  • さんぽ

    あんまり元気に歌わないでね。そう男性が声をかけている。車椅子で歌うのは女性だ。年齢からみて父と娘か、いや、祖父と孫か。もう一人の女性も付き添っていた。父と娘そしてその娘。言い換えれば母子とその父親、祖父と子と孫。そんな関係だろう。車いすの女性は年齢がよくわからない。二十代にも三十代にも思えた。 彼女はしかし繰り返す。「♪あるこ、あるこ、わたしはげんき」と。場違いで調子のはずれた呑気な歌声は病院の白い壁に少しだけ反響していた。僕はその歌を知っていた。諳んじている。それどころか僕も大声で歌ってきた。森に棲み、傘をさして空を飛ぶ。ときに猫型のバスにもなる。幼い姉妹は森でそんな大きな妖精に出会う。彼は…

  • た・ね・い・ぬ

    フゴゴゴ…。ふと目が覚める。妻のいびきかと思う。そうかも知れない。少し眺める。するとウガガガと聞こえた。横たわったお腹が大きく膨らんだ。息を吸ったのだろう。・・なぁるほどそうか。夢でも見ているのか。どんな夢なのだろう。そう、半年か。そんなに経つのか。 最近顔つきが変わったね、と妻は言う。それは僕も感じていた。柔和と言うか安堵というか。安心が落ち着きさを呼んだのだろうか。 犬の一年は人間の六年とも七年とも聞く。すると半年では約三年か。彼にとりその三年間は大きな変化だったのだろう。もう昔のことは忘れたのか。 彼が生まれて五年間過ごしたのはブリーダーの施設だった。運営者が高齢となり犬を手放した。それ…

  • 赤提灯

    学生時代の仲間に部屋に赤提灯を飾っている奴がいた。もしかしたらそれは何処かの店先からかっぱらってきたのかもしれなかった。夜になりそれを室内で点灯させるのだからまるでその四畳半は怪しげな飲み屋になる。実際そこに男どもが安い焼酎やそれを割るためのコーラ、それにスナック菓子を持ち込んでは他愛のない話をしていた。時としてそこは雀荘にもなった。 部屋の主は何故かあぐらもかかずに足を女性の様にくずしている。紫のジーンズをはいた彼はニコニコ笑いながら煙草の煙で輪を作っていた。煙草の煙と酸欠になりそうな部屋。話のネタは時に猥雑で、それがますますその部屋の魅力を作っていた。 その当時の僕のアパートの隣室には宮城…

  • 表情

    人間には喜怒哀楽がある。それが表情として現れる。それはしかめっ面よりは満面の笑みのほうがよい。周り全てが幸せになるから。しかしそうもいかない。人間は感情の動物だ。 山にも表情があると知った。引っ越した我が家の窓からは深田久弥の言葉を借りるなら「碧芙蓉」そして「極めて印象的なオベリスク」。甲斐駒と鳳凰三山、この二峰が目の前にドンと屏風の様に並ぶ。僕は毎朝挨拶をしている。 毎日飽きずに見ていると、知った。彼らには表情がありそれが変わっていくのだった。山が人間の様に感情を持つとは思えぬが、何故日によって顔つきが違うのだろう。この地に越して来た時、これら南アルプスの峰にはまだその肌には残雪を見た。冬の…

  • 寄り切りの軍配

    坂道の途中の変速は好きではない。特にフロントの三枚。ダブルレバーを触るときに少し緊張する。チェーンがインナーに落ちるタイミングと足を動かすタイミングに僅かな隙間があるのだろうか。チェーンが脱落してしまう。ペダルは空回りになるがそれは良い方で、時にインナーとボトムブラケットの間の隙間にチェーンが落ちてしまう。クランクはもう回らない。初めてそれを経験したときに分からずにペダルを強く踏んだら、なんとリアディレイラーの取り付けエンドが曲がってしまった。 以来登り坂の変速はトラウマだ。坂道が来るのはわかっているのだからギアを早めに落とせばよいのだ。遅れたら少し戻るなり道を横切るなり安全確実な場所で変速す…

  • かがやく道

    音楽に気軽に接することが出来る、手軽に静かに本が手に取れる。そんな街に憧れている。それにはもちろん、東京や横浜が良いのだろう。世界屈指のオーケストラが、ソリストが来日するし音楽会など毎日どこかで行われている。ドームには大物バンドも来日する。しかし有名無名を、プロ・アマを問わなければ音楽に触れる機会はとても多い。大型書店も健在だ。 この地に引っ越す前から役所や観光案内書に行っては様々なパンフレットを手にしてきた。それは音楽会の下調査でもあった。その地に根差した管弦楽団も、若手のソリストによる音楽会も多かった。むろん友人がトランペットを吹いている吹奏楽団もあり、ビッグバンドのライブ、フェス、高原音…

  • 晴耕雨製・ラジオ作り

    新しく住み始めた高原の天気のサイクルはなかなか読めない。晴れる時は思い切り晴れるが降る時はしっかり降る。風が強い日もあれば弱い日もある。海抜九百メートルの地では雲は目線より少しだけ高いだけだ。三千メートル級山岳に南北を挟まれている。南には300mの標高差で富士川が谷を東西に刻んでいる。その谷の上部に雲が出来るとそれがここでは目線の高さになる。時としてこの地は細かい雨に包まれるがそれが低気圧の雲によるものなの谷から生まれた雲によるものなのかはわからない。 ここ数日、夜から朝にかけて激しい雨が降り、昼は快晴という日が続いていた。また一日雨という日もあった。この地に来てから食材の買い物のパターンを変…

  • 森のカフェ

    アカマツがゆっくり風に揺れている。僕はそれを飽くことなく見ている。どのくらい時間が経ったのか、それも定かではない。 高さは三十メートルあるだろうか。真直ぐに伸びてその頭部に葉がある。巨人の使う歯間ブラシに見えなくもない。ムーミン谷に住むニョロニョロとも思える。そんな彼らはゆっくりと風に身を任す。木が揺れているのか、大地が揺れているのか、天が動いているのか、分明ではなかった。ただ大きな力が、そこに在った。 森のカフェのテラスで僕は思う。これまでの自分の生きざまは何だったのだろうかと。管理職で会社と部下の板挟み。無能力の自覚。適応障害。精神安定剤と抗うつ剤の日々。精神科の白い壁。早期退職。癌の発病…

  • 僕達のベーグル

    ベーグル。調べてみると東欧が発祥らしい。しかし初めてそれを知ったのは間違えなく米国だった。ゲート周りに漂うキャラメルポップコーンとシナモンロールの甘い匂いとそれはセットになっていた。シカゴ・オヘアかサンフランシスコ。そのあたりの空港だろう。通路にワゴンを出して売られていた。プレーンもありサンドイッチもあった。アメリカでサンドイッチを頼むのは辟易していた。マンハッタンのサンドイッチ屋で気軽な朝食をと思い街角のスタンドに寄ったが何を挟むか?という質問に答えられなかったからだ。オムレツも然りだった。全てと言えばよいのだがそうもいかない。不愛想に思える店員の事務的な問いに戸惑った。以来苦手になってしま…

  • 父と娘

    長女が学生の頃は毎年正月休みに二人でスキーに行っていた。運転が面倒くさいので日帰りバスツアーで長野は菅平方面のスキー場だった。気楽なもので娘と二人で帰りのバスの中ではずっとビールを飲んでいた。プッシュプッシュと蓋が開きするめや貝ひもを食べる。明らかにバスの中で僕らは浮いていた。又登山にも連れて行ってくれと言うので登山道具店に行き装備を買った。何度も山に登った。ゴルフや駅前の赤提灯も二人で行くこともあった。僕は傍目に二人の関係がどう見えるのか、少し不安だった。そこで聞かれもしないのに注文を取りに来た人に自分達は親子なんですが・・などと釈明していた。 次女と二人で出かけるとしたらそれは音楽会だった…

  • 朱の花びら 甲斐からの山・三方分山

    余りに可憐なものを目の前にするとどんな思いがするのだろう。落ちたものなら良いだろう。僕はそれを無意識に拾っていた。そして手帳の間に挟んだ。 さらに等高線を稼いだ。ブナの新緑は見事だ。空気が緑色だ。そしてそれは自分を透過していく。血液は喜び自分は生まれ変わる。そんな林に花を纏う樹が共に茂るとそこにコントラストが生まれる。それぞれの色彩が競い合う。まるで色の舞踏会のようだ。曇天の中を歩くのはは本来好きではないがこの季節の雨上がりの翌日などは夢幻を進んでいくようにも思える。霧の粒子なのか雲の粒子なのかもわからない。粒子にはムラがあり薄くなり濃くなる。絶えず動いている。それが肌に触れる。気持ち良いがい…

  • ルーズな奴ら

    高原の地に移り住んでから車に乗り走る距離が格段に増えた。都会の住宅地では十分も歩けばコンビニもスーパーもあった。この地では車で三分、歩いて二十分だろうか、小さいが必要なものは何でも揃う店がある。しかし自身の病院や犬の病院、色々な食品、衣料、ホームセンター等に行くならば車で二、三十分は必要だ。信号停止も渋滞もないのだから所要時間は同じでも走行距離は二倍以上ありそうだ。 車の中では大きな音で音楽を聴く。クラシック、70年代までのブラック、70年代までのロック・・。バンドでは低音楽器を担当する自分はやはり無意識に低音をブーストしてしまう。そんなふうにベースとバスドラがズンズン響くと運転は楽しい。 S…

  • 分水嶺

    甲府から自宅へ帰る途中だった。駿河湾に流れ出る富士川はこの地に遡るまで幾つにも分かれる。本流は釜無川と呼ばれる。それに沿った道だった。甲府には修理のために自転車を車に載せて店に訪ねて行った。プロの手によりそれは直ぐに治った。自分はサイクリストを名乗りながらもチェンリング一つ自力で外せなかった。さすがプロだという感心と、自分は何もできないし直そうという気概もない、そんな敗北感が混じりあい自分を運転に集中させなかった。釜無川に沿って緩く登る国道二十号線は決して楽しいルートではない。特に自分が乗っているような旅をする自転車・ランドナーに乗るのなら多少遠回りでも旧街道や並行して走る農道や里道が楽しい。…

  • 私のベーグル

    友から手作りしたベーグルを頂いた。とても美味しい。簡単だよ、と友は言う。トライしないわけにはいかない。 ネットには様々なレシピがある。最も楽そうなレシピを選んだ。生地作り、一次発酵、形作り、茹で上げ、二次発酵、焼き上げ。そんなステップと知った。材料はイースト菌以外は全てある。それを買い求める。が、なかなか着手出来なかった。怖かったのだろう。 妻はパンやケーキ作りが趣味だった。過去形にしたのはもう十年もそれを食べた記憶がないからだろう。しかし娘たちが高校生辺りになるまでは良く作っていた。それを受けて彼女たちも又クッキーを焼いていた。僕はただ、食べるだけだった。 本当に作れるのだろうか。物は試しと…

  • 図書の旅40 マイ・ブラームス

    ●マイ・ブラームス 舟木元 文芸社2006年 この1600字の文章の題を考える時に僕にはこう浮かんだ。「美男子なのに得をしない」と。普通に考えるとハンサムは得をする。醜男は眉目秀麗な男子を見てため息をつくだろう。羨ましい、と。ではその得とは一体何だろう。 図書館で借りてきた本の表紙を見て妻は言うのだった。「あら、イケメンね」と。成程、それは僕も否定しない。愁いを帯びたナイーブな青年に見える。彼の肖像画は多いが、たいていは髭もじゃの不愛想な初老から老人の物が多いだろう。有名なイラストには後ろ手を組んだ髭を生やした小太りな初老の男性がネズミを連れて散歩する、そんなシルエット風のものもある。ネズミは…

  • やる気スイッチ・スープカレー

    北杜夫氏は自分の好きな作家だが、彼を人気作家にのし上げた1965年の書「どくとるマンボウ航海記」はいったい何度読んだのか。水産庁の調査船の船医として彼は船に乗り込み航海に出た。彼にとり初めての海外だ。スリランカのコロンボに立ち寄った時の話は今も記憶に残りある料理を思い出させる。そして何故か汗をかく。コロンボで本場のカレーを食べようとレストランに出かける。出てきた料理は日本の物とは全く違い、鳥のモモ肉に赤っぽい汁がたっぷりかかっている。完全に赤唐辛子の色。しかし辛い物が大好きなマンボウ氏はこんなもんに負けるかと一口すする。口中がヨウコウロの如き。ビールと水でうがいをしては断末魔の吐息をついた。と…

  • 二台の車

    全く不思議だと思う。自分と妻の間に生まれた子供は半分自分で半分は妻。しかしそれは受精卵の話であとは自らが細胞分裂を続け十ケ月後に「オギャア」と世に出てくる。そこからその子は母と父を最も重要な影響を与える因子として成長していく。ある時は母に似てある時は父の生き写しとなる。それは外見ばかりでなく、その子の嗜好や思考にも及ぶ。 二人の娘がいる。自分には数えられない程悪い点があり、少しだけ良い点もあるかもしれない。カードの赤が良い点、黒が悪い点とする。すると二人にはそれぞれハートとクラブが、ダイヤとスペードが遺伝している。赤と黒は二分され、自分の醜さも、そして僅かに感じる憎めない点が違う形で二人には見…

  • ご主人のベーグル・奥様のジャム

    友人の家までは車で三分だろうか。しかしそれは都会の距離感ではない。渋滞も信号も無いのだから距離にすれば二キロだろう。彼から借りたものがありそれを返しに行った。白砂利のアプローチの奥に車があった。あ、ご在宅だな、と嬉しくなる。 簡単な挨拶だけと思うのだがいつもここに伺うとデッキに招かれコーヒーをご馳走になってしまう。それはイタリアンローストのエスプレッソだった。今日は玄関で失礼しよう、いつもそう思っている。しかしこの地の魅力を教えてくれた友人からは多くの事を教わるのだった。それにかこつけてコーヒーを戴きに行っている、と実は知っている。彼は趣味人で手先の器用さも加わり日々を楽しまれている。「手作り…

  • 幸せの小道具

    大学生の頃、憧れの女性が居た。少しだけアンニュイな空気、そんな女性だった。キャンパスですれ違うと軽いめまいを覚えた。胸が高まるが口下手な自分は話しかけるのに勇気を必要とした。幸いに友人を介していつか仲良しグループが出来た。その中心に彼女は居た。その中で彼女自身は気負いなくいつも透明だった。 彼女は雑貨が好きだった。学校帰りに一緒に渋谷を歩くとパルコやハンズ、LOFTや無印良品の店に入っては雑貨を見るのだった。正直自分には興味が無かった。雑貨より彼女の近くにいるとドキドキする。その気持ちに惹かれていた。 雑貨にもいろいろあった。いずれもセンスの良さが問われるだろう。透明なガラス細工、いや、木の香…

  • 冷えたワイン

    青空の下で飲むビール。美味いなぁ、と思ったのはテキサスだっただろうか。ドライカウンティが多いテキサス州だが自分が良く行った街は酒が許されていた。空港から仕事先には当然レンタカーを借りる事になる。早く仕事が終わったならば少し早い夕方にテックス・メックスでも食べるだろう。ファヒータにタコス、ブリトーにワカモレ、チリコンカン。流石にメキシコと国境を接しているだけある。テキサス風メキシコ料理は実に楽しめる。そこに欠かせぬのはビールだ。乾いた空気、青い空。ビールはコロナでなくとも、ミラーやクアーズ、バドワイザーでも十分美味しい。サムアダムスなどは置いていないのだ。むしろ軽いそれらのビールが似合うだろう。…

  • 旅の途中

    高原の駅で各駅停車を降りた。そこは終着駅だった。僕は北東からの上り列車に乗っていた。その駅は新宿まで続く幹線路線の駅で、特急も止まる。そして信濃へ向かう数両編成の高原列車の始発駅でもある。水が良いのでウィスキー醸造工場がある。天然水とよばれる何社かの飲料の採取地でもある。山へ向かえば別荘地帯になりそこにはリゾート施設がある。そんな場所への送迎バスが駅にやってくる。登山客・ゴルフ客・家族連れと様々だ。 ホームにはサイクリスト姿の男性が居た。リフトを使わずに階段を登って行った。通路で追いついた。 何処を走るのですか?と聞くと、ごめんなさい日本語が分かりませんと困り顔だった。綺麗な英語だった。確かに…

  • 清里、いま・むかし

    清里に始めてきたのは何時だろう。1985年頃だっただろうか。オートバイのツーリングだった。そこは八が岳山麓の海抜1200mあたりの高原で、長閑なローカル線の駅があった。その記憶は薄いがその数年後、なぜそこが脚光を浴びたのだろうか、広くない駅前通りには多くの土産物屋や芸能人の店、奇抜な建物などが軒を並べていた。アンアン・ノンノンには特集が組まれ若い女子に人気のある街だった。女子がいるなら当然男子も来る。高原の街はそんな男女に溢れていた。家族経営のペンションが多くあった。 そんな頃に当時の彼女と泊ったことがある。寒かったので冬だったのだろう。スキーをしに行ったのだろうか、よく覚えていない。ペンショ…

  • 体を馴らせばよい

    愛車の注文の際は色々と悩むものだ。タイヤの幅はどうしよう。ブレーキは何にするか。ギア比は1:1欲しいな・・。しかし一番の関門はサイズかもしれない。510か520かずっと悩んだ。510ではちょっと小さいか。勿論それ迄に乗っていた車のサイズも参考になる。色々悩むのも楽しいものだ。 二台の自転車がある。敷地も狭く並べる事も無かったが引っ越してデッキで並べることが出来た。一台はそう悩んで作ったもの。もう一台は「売ります買います」掲示板で手に入れた一台。 サイズは510、そんな風に掲示板に書かれていただろう。パリ北部の街へ見に行くと大柄の男性が自転車を押してきた。上野公園の西郷さんと犬のように見えた。彼…

  • 怒涛の練習

    高原の地に転居して初めて練習場へ行ってみた。この練習場は高速道路のパーキングエリアのすぐ裏にあるので前から気になっていた。まずは下見をした。赤松の林にドライビングレンジがまっすぐ伸びていた。全部芝だ。二百四十ヤードのレンジはパースリーの本番のコースにも思えだ。 斜面を切り崩したり、かろうじて見つけた広場に高い柵を建てたような、ビルの三階を利用したような、そんなこれまでの都会の練習場とは全く違う、自然に溶け込んだ気持ちの良いところだった。ここでドライバーを打てば自分でも二百三十ヤードは行くだろう、そんな幻想をいだいた。 一時間打ち放題では、かつて通っていた都会の練習場と変わらぬ金額、いや百円ほど…

  • 一冊の出会い

    えー、懐かしいな。彼は嬉しそうに手に取り奥付を見た。これ、初版だね。1992年。第一作の初版か。良く持ってましたね・・。 ハイキング、縦走、テント泊、テレマークスキーでの登山、サイクリング・・・。これらの趣味をひとくくりにするのは容易ではないが纏めて言えばアウトドア趣味と言えるだろう。それを充実させるために多くの趣味が派生する。ギアとしての自転車、絵画、写真、アマチュア無線など。それはあたかも大きく枝分かれし辺りを緑色に染めるようなブナの樹の如しだ。秋には紅葉し冬には落葉し新緑には燃える。ブナは季節ごとの表情が豊かだが絶えず変わっていく。同様に個々の派生した趣味の重みもまた時に変わるものだが、…

  • 限りない物

    中学の友人 A君宅は帰り道に立ち寄るには丁度良い場所にあった。路面電車の郊外線で四駅乗って通学していた。専用軌道とはいえ路面電車の延長だから四駅とて歩くことも可能だった。学校から歩き、三駅目に彼の家はあった。 A君は今で言えば少し早熟でかつアイロニカルだった。彼の部屋には大きなオーディオセットがありそこで井上陽水やかぐや姫。そしてNSP、ふきのとう、赤い鳥。そんな音楽を僕に聞かせてくれた。彼はまたフォークギターを弾いていた。ヤマハとモーリスの二本だった。なぜ二本必要なのかわからないが、モーリス持てばスーパースターも夢ではないからね、とコマーシャル通りに言うのだ。と言いつつ彼はヤマハを取っては井…

  • ようこそメゾン・ド・フォレへ

    高原の地には友人がいる。もう二十年来か、いやそれ以上のつきあいだ。とある山の会で知り合った。その頃彼は埼玉県住まいだったはずだがいつからだろう、この高原にご夫婦で移住されていた。信州や甲州の山の帰りに僕は時折立ち寄った。山のついでだったのか、友の宅に寄るついでに山があったのかは定かではない。また彼はサイクリング雑誌の編集子をされたこともあり、自転車に詳しい。彼が所有するランドナーは自分の参考になった。ランドナーはフランス発祥の自転車だが彼はそれをイタリアンパーツ主体で組み上げられていた。自分は日本のパーツだった。しかし彼は良い自転車だね、と褒めてくれた。それは嬉しい事だった。 何でも手作りして…

  • 良いとは思ったが

    彼は自費出版の良いカモだな。そう出版社は思ったのだろう。忘れた頃に原稿の進み具合はどうですか?と連絡を送ってくる。何かをまとめたい。形にしたいという思いはあるが何も具体化していない。それに高額な自費出版が良いかもわからない。辛うじていくつもある投稿コンテストへの応募がよい目標になっている。 自分が高原の地へ転居して通う事に決めた病院は湖の畔にある。フォッサマグナとは中央構造分離帯、大規模な断層。そう地理で学んだ。そんな地殻の割れ目にその湖はある。日本地図を見るならばそこはまさに、へそだった。 病院でのガン検査を終えて湖の辺のベンチに座った。体に放射性物質を投与し全身のガンの有無を調べるという。…

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