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  • 112 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog蓮池や折らで其のまゝ玉まつり 芭蕉 玉まつりは魂祭とも表し、いわゆる先祖を祀る盆行事のことであった。池の蓮を折りとることなくそのまま盆の供花とすると言った意味で、蓮池に盆の風情が立ち込める初秋の句となっている。

  • 178 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog生身魂ひよこひよこ歩き給ひけり 細川加賀 生身魂とは父母主人、親方などの目上の者、この方に子供や目下の者が饗応したり贈り物をするなどのお盆の行事である。その生身魂がひよこひよこ歩いておられた、と敬語こそ使うが揶揄しているのである。こ

  • 140 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blogすのこふめばはたと鳴きやむきりぎりす 虚子 すのことは、竹や板を間をすかせてはった床との、見事な定義を得た。そしてその下にいるキリギリスはギッチョともいい、それは大きくスイッチョと鳴く。そのキリギリスがすのこを踏むとはたと鳴きやんだ

  • 111 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogはつ龝(あき)や海も青田の一みどり 芭蕉 はつ龝で初秋という意味であるらしい。龝これであきと読むとは、はじめての漢字であった、この字はさらに穐とも書き、いわゆる秋のこととなる。漢字の深さに改めて見入ることであった。初秋の海の青も広がる

  • 139 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog暁や盥の中の秋の水 虚子 この句、盥の中の水に秋という季節を特に感じている。しかも宵、夜中に続く未明の刻、つまり暁どきをや切れで詠嘆して見せるに及んでなんとも不可解な俳句となっている。比較的大きな盥に汲み置かれた水は何のための水であ

  • 177 『名句の所以』(著:小澤實)から

     Ryo Daimonji Blog巣を歩く蜂のあしおと秋の昼 宇佐美魚目 この句の蜂はカネバチ、スズメバチだろうと思う。大きな巣になるのでたいがい駆除されることが多い。数匹が、あるいはうじゃうじゃと巣を歩く景はすぐに目に浮かぶ。しかし足音となると聞いた気もするがそれ

  • 110 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

      Ryo Daimonji Blogよき家や雀よろこぶ背戸の粟 芭蕉 まことに良い家だ。家の裏には豊かに粟(あわ)が実り、雀たちも喜びついばんでいる。新宅を祝う挨拶句である。(明治書院 新芭蕉俳句大成)下五「背戸の秋」との説もあるようですが「背戸の粟」が具体的でいいよう

  • 138 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog経箱の底に蟲なく清涼寺 虚子 元句には經箱とあったが経箱で、お経を入れておく箱のことだそうな。その経箱の底に蟲が鳴くとは、俳人への思はぬサービスで虚子さんがこれを見逃がすはずがない。清涼寺は嵯峨にある立派なお寺でまだ行ったことがない。

  • 176 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog石の上に秋の鬼ゐて火を焚けり 富澤赤黄男上五中七、「石の上に秋の鬼ゐて」作者の生活圏の石なのか全く観念上の石なのか、何故秋の鬼なのか冬や夏ではいけないのか。そしてその鬼は火をたいた。この石は日本国を意味し、秋の鬼はやがて来る太平洋戦

  • 109 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog何事の見たてにも似ず三かの月 芭蕉 確かに三日月は、詩歌連俳にて舟・黛・弓など多くのものに喩えられてきた。しかし、どんなものよりも実際の三日月は美しい。(小学館 芭蕉全句)この句の下五の季語「三かの月」早速歳時記で確認するのだが、この

  • 137 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog泥ながら露けき歯朶の山路かな 虚子 泥路ではあるけれど露おおい歯朶がおおう、山路であることだなあ。と訳してみた。泥に逆説の接続詞「ながら」を上述のようにかけて読み込んでみた。

  • 175 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog糸電話古人の秋につながりぬ 摂津幸彦 糸電話で遊んでいるうちに、古人の秋につながったと言う。携帯電話の現代、世界中から電話がかかる時代である。あながち古人に電話がつながったとしても不思議ではないのかもしれない。糸電話と言うおもちゃの電

  • 108 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogあの雲は稲妻を待たより哉 芭蕉 豊作を告げる稲妻を待つ人へ、あの雲は稲妻が来るよとの便りなんだなあ。この句は、雲をたよりと例えている。稲妻を誰が待ち、誰への便りだというのか、その省略が乱暴に感じる。とはいえ、稲妻が豊作をもたらすと今

  • 136 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blogけさの秋もの静かなる端位かな 虚子 家にいてできるだけ涼しい窓辺や縁側に身を寄せている。そういえば今日は立秋で秋の始まりだ。そう思うだけであたりにも静けさが広がるようだ。夏の季語「端位」秋の季語「けさの秋」、季重なりを使い夏から秋

  • 174 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋 確かに立秋を過ぎた夏野は朱色ぽいし、初夏の夏野は光に溢れ白色にちかい、これは僕の夏野のイメージだ。 この句は頭の中で夏野をイメージして白いという。具体的に何を詠んでいるのかわからないが、 観念

  • 107 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogたびにあきてけふ幾日(いくか)やら秋の風 芭蕉 旅に飽きを感じるようになってから幾日経ったことだろう、秋の風が吹くようになった。連日の猛暑でうんざりする夏日であるが、今日(8/7)立秋と聞くと何やら日差しも弱く風も爽やかに感じる。この句、た

  • 135 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog手も足もおしうづむ砂の清水かな 虚子 砂に横たわりその上から砂をかける温泉を何かで見たことがある。そう言うことの一種であろうと思うのだが、砂の清水とあって何がしかの説明がないと意味がわからない。手も足もおしうづむほどに砂の清水をかけら

  • 173 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogかほ洗ふ水の凹凸揚羽くる 杉山久子 この句のポイントは中七「水の凹凸」である。つまり顔を洗っているのだが、その場所である。私は作者の家周りの清水流れる裏手の手洗い場と解した。洗濯場を兼ねる小さな流れでもいい。その凹凸で顔を洗っていると

  • 106 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog灌仏の日に生まれあふ鹿の子哉 芭蕉 因みにこの句の季語、「灌仏・灌仏会」は、講談社 新日本大歳時記、角川俳句大歳時記に春。「鹿の子」も共に夏。小学館 芭蕉全句は季語を「鹿の子」として夏とする。鹿の子が主季語、灌仏の日が従季語と納得する

  • 134 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog常盤木の落葉ふみうき別れかな 虚子 常盤木の落葉、すなわち常緑樹の落葉をふみで夏を言うのだが難しい季感である。その別れに人間の感情が具体的に読めない。率直にうっとおしい別れであったなあ、と詠嘆していると解するほかない。

  • 172 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog耳は葉に葉は耳になり青葉闇 堀本祐樹 昼でも暗い青葉の茂みで耳は葉になり葉は耳になる。と青葉闇を介して植物と同化する感覚を詠んでいる、と解した。確かに何某の葉は形状が耳に似ていてこの例えは理解できる。互いの存在を聴覚で感じようとする若

  • 105 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

      Ryo Daimonji Blog一ッぬひで後に負ぬ衣がへ 芭蕉 旅の途中であろうか、重ね着の一枚を脱いで背におうた。そう言えば衣更の季節であった。これで、私の衣替えとしよう。何気ない所作に衣更と言う季感を思う。俳人の俳人たる所以のところである。素敵なウイットとい

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