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  • 90 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog鳥さしも竿や捨てけんほとゝぎす 芭蕉 一読、「鳥さし」とはなにかと思う。鳥を刺す猟師のことのようである。次に竿やの「や」の品詞は何か,係助詞と解して「けん」と連体形で受けているので良いように思うが、係助詞やの疑問、反語のニュアンスでは

  • 120 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog大木の五月雨の谷に横たはる 虚子 この句も前回の《五月雨の和田の古道馬もなし》と同じく明治27年6月24日『小日本』とある。この五月雨の谷も長野県飯田市南信濃和田のいわゆる秋葉古道のことではないか。いわゆる杉などの大木は意外と雨風に弱く

  • 156 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji三枚におろされている薄暑かな 橋閒石 「三枚におろす」とは魚の調理方法のことである。この句、薄暑がおろされているように読めるが、私は、なにがしかの魚が三枚におろされているところを見て詠んでいるのだと、解した。魚によってはあるいは包丁に

  • 89 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 芭蕉 蜂が牡丹の花蘂のふかくから分け出でて、即飛び立つのではなく一瞬の間をおいて飛び立つのである。そのふかくにより牡丹の大輪が見えるのであり、名残により蜂の動きの微細が見えるのである。

  • 119 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog五月雨の和田の古道馬もなし 虚子 この作品は明治27年6月24日『小日本』とある。この頃虚子さんは木曽路を経て京都に帰り、6月には『木曽路の記』を執筆されている『定本 高浜虚子全集 別巻 虚子研究年表(毎日新聞社)』。この和田の古道は、長野

  • 155 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji葉桜の中の無数の空騒ぐ 篠原 梵 葉桜の葉の間に見える空を無数の空と表現した。葉桜の量感を小さい隙間にの空に託したわけだ。その上に騒ぐ葉桜を空が騒ぐと転化して見せたところ、こういう表現は明喩と言っていいのか。無数の空が騒いで「いるようだ

  • 88 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogおもひ立木曽や四月のさくら狩 芭蕉 貞享ニ(1685)年四月、『野ざらし紀行』の旅をおえ、尾張から木曽路を経て江戸に帰る際、熱田で巻いた連句の立句「明治書院『新芭蕉俳句大成』」。 江戸へ帰る途中であるが、折しも少し遅いが木曽の春も遅いの

  • 118 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog家二軒笠取山の時鳥 芭蕉 笠取山(かさとりやま)は、埼玉県秩父市と山梨県甲州市の境、奥秩父山塊の主脈に位置する標高1,953 mの山。秩父多摩甲斐国立公園に含まれる(ウキペディア)。ネットで見る限り周辺に人家があるような気配はない。山裾へ降りて

  • 154 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog葉ざくらや人に知られぬ昼あそび 永井荷風 いきなりこの句、淫靡な気配を放つ。永井荷風をネットで見てみたが窮乏したり、病気になったりもしておられるが、基本裕福な育ちの人らしい。後年文化勲章も受賞してをられる。若い頃の遊興三昧も芸の肥や

  • 87 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog白げしにはねもぐ蝶の形見哉 芭蕉 この句は隠喩を用いた句である。即ち白げしが杜国、はねもぐ蝶が芭蕉を意味している。その前提として空米取引で罪を問われている杜国との会うに会えない不遇への哀感があると思われる。白げしに潜っていた蝶が飛ぶ

  • 117 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog旅の夜の菖蒲湯ぬるき宿りかな 虚子 菖蒲湯は五月五日の端午の節句にお祓いの意味を込めて菖蒲を入れて焚いた風呂のことである。旅の途中の宿の湯が奇しくも菖蒲湯であったらしい、がその湯がぬるかったと二十歳の虚子は呟いている。六月十九日の発

  • 153 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog五月わが部屋を光の箱にして 細谷喨々 私はこの句を読んで作者のことを考えた。五月といえば夏立つ頃で新緑溢れる光の季節である。作者はこのひかりを部屋全体で感じとっている。まるで中世の宗教画のようにも感じた。それと下五「箱にして」と受身で

  • 86 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog月華の是やまことのあるじ達 芭蕉つきはなの 俳諧の世界において、月とも花とも仰ぐべき真のあるじたちである。そしてそれは、俳諧の祖というべき山崎宗鑑・荒木田守武・松永貞徳のことである。貞享五年以前の作、無季とされる。この一句から山崎宗

  • 116 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog信濃路や蠶飼の檐端菖蒲葺く 虚子 こがいの えんたん しょうぶ ふく 信濃路の蚕を飼っている家の軒先のひさしに菖蒲が挿してあることだなあ。ほどの意味のようです。もとより私にすらすらこの句が読めたわけではなく、

  • 152 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog数多なる岬・崎・鼻けぶる夏 澤好摩 岬、崎は海中に突き出ている陸地のことで、この鼻も辞書にはないが、薩摩半島の先端を「長崎鼻」ということからも同様の意、と小澤實先生はおっしゃる『名句の所以』毎日新聞出版115頁。海中に突き出た陸地はこ

  • 85 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog団扇もてあふがん人のうしろむき 芭蕉うちは この句は団扇を煽ぐ、敬意を込めて仰ぐ、ということらしい。解説書によるとこの人とは盤斎法師といって後ろ向きの画像もあるようで、生きざまも世に背を向けて山里に隠遁した聖人であったようだ。熱田の

  • 115 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog子規鳴く傾寒し浅間山 虚子ほととぎすなく かたむきさむし(と私は読んだ)  あさまやま 浅間山は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある安山岩質の標高2,568メートルの成層火山。山体は円錐形でカルデラも形成され

  • 151 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogみづうみのみなとのなつのみじかけれ 田中裕明 この句は第五句集『夜の客人』に収められている。平成十七年一月ふらんす堂よりとあるので、平成十六年十二月白血病による死後のことである。この句の「なつのみじかけれ」は裕明そのものであった。付箋

  • 84 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog梅こひて卯の花拝む涙哉 芭蕉うめこひて うのはなおがム なみだかな 貞享二(1685)年四月の作。季語は「卯花」で夏。『野ざらし紀行』の旅の途中、其角参禅の師である大顚和尚が亡くなったことを知り、其角に送った追悼句。もはや見ることのできな

  • 114 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog短夜の闇に聳ゆる碓氷かな 虚子 碓氷峠は群馬県と長野県の県境にあって御地の交通の要衝のようだ。確かに山岳地帯であるが、私は不見識もあって聳えるという表現にはネット情報での峠のアーチ型煉瓦橋が印象に残るばかりであった。「短夜の闇に聳ゆる

  • 150 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog春雨といふ音のしてきたるかな 鷲谷七菜子 七菜子は大正十二年生まれ。山口草堂門。草堂の指名で「南風」を継承した、とある『名句の所以』53頁。 雨の音というのも、四季折々で趣にちがいはあるのだと思う。春雨といえば冷たさがちがう、そこに同

  • 83 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogいざともに穂麦喰はん草枕 芭蕉 貞享二(1685)年四月の作。『野ざらし紀行』途次の作。この句何やら檄を飛ばしているようでもあるが、「野ざらし」の同行者路通へのものとは思えない、おそらくは自分自身を鼓舞するような気持ちではないかと思う。「さ

  • 113 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog夏山の小村の夕静かなり 虚子 明治二十七年虚子二十歳の作。中七下五はまさに私の住む村そのものである。少子高齢化が進み、もはや小村の昼静かなりといったところである。上五「夏山の」には虚子二十歳の勢いにつられ、3000メートル級の日本アルプ

  • 149 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog春の家裏から押せば倒れけり 和田悟朗 和田悟朗氏は大正十二年生まれ。「白燕」同人代表。私は、自分の家を解体した経験がある。大きなユンボで四方から潰してゆくのを見ているのは辛いことであった。ユンボの舳先がくるり回り裏側から引き寄せるよ

  • 82 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog杜若われに発句のおもひあり 芭蕉 この句は貞享二(1685)年四月四日、鳴海の知足亭で巻いた連句の発句であるとか、庭の美しい杜若を見ていると、昔、在原業平が「唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」(『古今集』『伊勢物語』)と

  • 112 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

       Ryo Daimonji Blog大紅蓮大白蓮の夜明けかな 虚子 蓮は澤の彦根大会の吟行で初めてしげしげ見たのが初めてだった。白であった。紅は見たことがない。この句その上に大がついている。そういうたっぷりした蓮を見ればそれは満足できるというもんだ。その上に夜明け

  • 148 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogあたゝかや挨拶長き京言葉 田畑三千女 三千女は明治二十八年生まれ。高浜虚子門。「ホトトギス」同人。三千女は十二歳の舞妓の時に虚子に会い、虚子の小説『風流懺法』のモデルになった女性、とある(『名句の所以51頁』)。上五で京言葉を褒めているの

  • 81 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

      Ryo Daimonji Blog蝶の飛ばかり野中の日かげ哉 芭蕉 貞享二年(1685)笈日記とある。野には蝶ばかり、つまり蝶だけが飛んでいると逆説に強調しているものと解する。そして、その飛ぶ蝶が野中の影をなしていると解するか、日陰へと飛んでいると詠嘆しているとも解せら

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