Ryo Daimonji Blog命二ツの中に生たる桜哉 芭蕉 貞享ニ(1685)年の作『野ざらし紀行』。前書きに「水口にてニ十年を経て故人に逢ふ」とある。「命二ツ」とは芭蕉と土芳のことである。その再会の感激を水口の桜に託しているのだ。この時代に二十年を超えて逢うということ
Ryo Daimonji Blog 咳をして死のかうばしさわが身より 山上樹実雄 「かうばしさ」こんがりこげたような、よいにおいである。とある。多くの人は火葬で死を終える。が、それは死んで後のことである、生きている間に咳によってこうばしさを感じることが果たしてあるだ
Ryo Daimonji Blog梅若菜まりこの宿のとろろ汁 芭蕉 歳時記によると梅は春で若菜が新年、とろろ汁が秋ということになる。もっともとろろ汁は芭蕉の頃は季語と認められていなかったらしい。ともあれ新春気分満杯でうきうきする上に大好物のとろろ汁で止められては参る
Ryo Daimonji Blog 今朝も亦焚火に耶蘇の話かな 虚子 外仕事の衆が朝のミーティングがわりに火を焚きしばし話を交わすことはよくするところだ。どこからが仕事なのかわからないような話なのだが、確かに気の流れがあって大将が仕切っている。そんな話にここんとこ
Ryo Daimonji Blog 女人咳きわれ咳つれてゆかりなし 下村槐太 講演会やコンサート会場で開演前に人につられるように咳が続くことがある。状況はわからないがこの句、女人の咳につられて咳をした自分を詠んでいる。しかもその女人とは縁もゆかりもないのだ。声を交わ
Ryo Daimonji Blog 大津絵の筆のはじめは何仏 芭蕉 この句は、元禄三年(1690年)大津で乙州宅にて。『俳諧勧進帳』路通編(元禄4年・1691年刊)所載。大津絵をググッてみるが仏様の絵より鬼の楽しい絵が多かった。中に鬼の絵がティーシャツにプリントされたものがあった
Ryo Daimonji Blog 闇汁の杓子を逃げしものや何 虚子 闇汁は何かで聞いたことがある、電気を消して鍋のものをわからなくして一度箸にかけた物は口に入れなければならない。ふんどしやカエルなどオエーとなるようなものを持ち寄り食べる遊びとか。もちろん肉野菜と
Ryo Daimonji Blog せきをしてもひとり 尾崎放哉 京都府須知高校で口語自由律俳句サークル「みずぐるま」に入いっていたことがある。有季定型句も自由律俳句もよく知らぬまま俳句に親しんでいった。尾崎放哉はシンガー尾崎豊の少年性と通じるものを感じる。みずぐる
Ryo Daimonji Blog 比良みかみ雪指しわたせ鷺の橋 芭蕉 この句は、元禄三年(1690年)大津で乙州宅にて。初出は『翁草』里圃編(元禄8年・1695年刊)芭蕉一周忌追善集。 上五の比良みかみは比良山と三上山のことで、山を二つ続けることは珍しいということだ。鷺の橋は
Ryo Daimonji Blog我を迎ふ舊山河雪を装へり 虚子 後書きに大正三年一月松山に帰省とある。故郷の山をありがたいと言ったのは石川啄木であるが虚子はこの句で故郷の山河が自分を雪で装って迎えてくれるとあたかも丁重に人に対するように詠んでいる。しかもただの山
Ryo Daimonji Blogしづかなるいちにちなりし障子かな 長谷川素逝 最近では障子はサッシに代わり一般ではあまり使われなくなっているのかもしれない。我が家ではそれなりに使っているがこの句のような落ち着きがあるかは疑問だ。つまりこれといった困りごともないが
Ryo Daimonji Blog薦を着て誰人います花の春 芭蕉 花たけなわの春の日に薦を着て、しょぼくれて座している人は誰でしょうか。私です。と解してみた。はたして、花の昼は「華やかな新春」新年のことであった。「薦をかぶってどなたがいらっしゃるのでしょうか」と解説が
Ryo Daimonji Blogその日その日死ぬる此身と蒲團かな 虚子 大正2年虚子39歳の時の作品とある。「ホトトギス」200号となり虚子盛んなりし頃である。この頃に病を負っていたかは、勉強不足でよくわからないが、朝日文庫の略年表で見る限りそんな気配はない。人間は誰
Ryo Daimonji Blog 金屏風何んとすばやくたたむこと 飯島晴子 会場撤収の作業の瞬間を捉えられた。イベントというのは会場を仕舞うまでが勝負。設営と異なり係は一点に集中し、動く「はやく」。あの優雅に会場を気品で演出した金屏風が、たたまれる瞬間にこの句でも
Ryo Daimonji Blog76 少将のあまの咄や滋賀の雪 芭蕉 大津に弟子の智月を訪ねてこの一句。この「少将のあま」とは鎌倉初期の女性歌人、藻壁門院少将のことであるらしい。「雪の降る滋賀で藻壁門院少将の咄など智月さんとしたことだよ。」ほどの句意のようだ。 下五の
Ryo Daimonji Blog 死神を蹶る力無き蒲團かな 虚子 冬場防寒のため蒲團や毛布を重ねることはよくするところだ、それが重く寝苦しくなることも然りである。作者、それ以上に懊悩することもあり眠られぬ床となったようだ。えいくそ!布団を蹴り飛ばして起きてみた。頼
Ryo Daimonji Blog 重き書は手近に置いて冬籠 佐藤紅緑 「重き書」重量で言うなら僕の書では大のつく歳時記、それに美術の歴史書も重い。内容の重さで言うのなら生きてきた時期による。まさかこの句、いずれにしても持ち運びの労の故に手近に置いてゆっくり籠ろうと
Ryo Daimonji Blog 長嘯の墓もめぐるかはち敲 芭蕉 句の意味だけをつなぐと、空也念仏衆よ歌人、木下長嘯子の墓にも巡るのですか。と言うことになるのだろうか。 ネットによると、空也僧が空也上人の命日の 旧暦11月13日から大晦日までの48日間、鉦を鳴らしたり、竹
Ryo Daimonji Blog 初雪やいつ大仏の柱立 芭蕉. 大仏が建立されるということで世間はとても喧しいのだが、住宅で言うところの棟上に当たるのだろうか、大仏の柱立てはいつになるのか、もう初雪も降ったと言うのに気が気ではない。と解釈してみたのだが。大仏殿は
Ryo Daimonji Blog 牡蠣啜るするりと舌を嘗めにくる 坊城俊樹 ずばり生牡蠣を食べたときの食感が詠まれた。「海のミルク」とも言われるほどに滑らかな食感をするりと舌を嘗めにくるとは、なんともセクシーな表現ではないか。私は、昔の養殖法を聞いてから牡蠣が苦手
Ryo Daimonji Blog 霜降れば霜を楯とす法の城 虚子 法の城、私は仏法で固められた気高い寺院と解した。その寺に霜が降り、かかっている様を霜が楯のように守っているのだと詠まれたものと解する。自然の霜が守ると言えば、なんとも堅牢な美しさではないか。
Ryo Daimonji Blog 初時雨猿も小蓑を欲しげなり 芭蕉 猿の一風景が写されている。猿という人に似た動物はいつもキョロキョロと辺りを伺い物欲しげにしているものである。季語初時雨が初冬の寒々とした季節を捉えており、なおさらこの猿の表情をありありと伝えるの
Ryo Daimonji Blog 魴鮄に紺青の夢ありにけり 大嶽青児 魴鮄という魚いわゆる流線型の美しい魚とは言えない。深海魚とは言わないにせよ相当深いところにいて胸鰭が二つあって捕食のために歩く魚と評されている。この魚に夢があると言われれば何やら応援したくなる、
Ryo Daimonji Blog 三世の佛皆座にあれば寒からず 虚子 三世の佛とは、前世、現世、来世とおわすべき佛、すなわち仏教で言えば釈迦牟尼仏とでも言えば良いのだろうか。その時代に尊師が皆それぞれの座にあれば、つまり衆常の護持する寺にあれば、世が寒にあろう
Ryo Daimonji Blog 丈六にかげろふ高し石の上 芭蕉 「丈六」とは仏身の一丈六尺の大きさを言ったらしいが、その仏像が結跏趺坐されているところから、「あぐら」のことを「じょろく」その座り方を「じょろくをかく」と言ったりするようだ。してみるとこの句は
Ryo Daimonji Blog 鰰に映りてゐたる炎かな 石田勝彦 居酒屋などで酒のあてに鰰を頼むと目の前で焼いてくれたりする。それを眺めながらまずはちびり、日本酒をひやでコップ飲みする。炎の勢いが過ぎ、おいおい燃えているではないか、百も承知の兄さんが頃合いを
Ryo Daimonji Blog 垣間見る好色者に草芳しき 虚子 垣間見る、物の隙間からこっそりと覗き見ることなのだそうだが、好色者の草を見るとは陰毛を見ると言うことで、しかもそれが香ばしく結構である。と言うことなのか。とまれ辞書に従い直訳してみたが、ググってもヒッ
Ryo Daimonji Blog 春立てまだ九日の野山哉 芭蕉 この句の九日が正月一月の九日であることに大方の異論はないようだ。それにしても正月の日の経つ感覚は不思議だ。今日も実際三日なのだが今年は日が経つのが遅く感じられて仕方がない。それが五日を過ぎると急
Ryo Daimonji Blog 冬の波冬の波止場に来て返す 加藤郁乎 「冬の」のリフレイン、冬の波が冬の波止場に来るのは当たり前ではないのか。波止場と一口にいってもその用途によって幅が広い。まずは漁港、客船ターミナル、それにコンテナ埠頭など。この句は活気あふれ
Ryo Daimonji Blog 座を挙げて戀ほのめくや歌かるた 虚子 晴れ着に身を包んだ男女が知り合いのお宅の奥座敷に会することとなった。気分は既に新年会、お節の昼食会もひと段落、お茶の後みんなでかるたをすることとなった。年末の句会あたりで二人の間を飛び交って
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Ryo Daimonji Blog命二ツの中に生たる桜哉 芭蕉 貞享ニ(1685)年の作『野ざらし紀行』。前書きに「水口にてニ十年を経て故人に逢ふ」とある。「命二ツ」とは芭蕉と土芳のことである。その再会の感激を水口の桜に託しているのだ。この時代に二十年を超えて逢うということ
Ryo Daimonji Blog夕暮の汐干淋しやうつせ貝 虚子 明治27年3月20日「小日本」とある。この頃虚子は碧梧桐と行動を共にしていたようだ。虚子二十歳の作品である。夕暮のしおひ狩り(と解する)に空の貝があつた淋しいことだと、虚子若き日のノスタルジーと読んだ。
Ryo Daimonji Blogはりつけにあらず寝釈迦は寝給へり 及川貞 キリスト教の尊師キリストは磔で死んだ、多方仏教の尊師釈迦は寝るように死んだ。いずれがという評価を言っているのではない、その違いを俳句に詠んだのだ。そしてその穏やかな寝姿にお釈迦さまへの敬愛の念
Ryo Daimonji Blog菜畠に花見皃なる雀哉 芭蕉 菜の花畑で、人が花見をしているような顔で飛び回っている雀だよ、ほどの意味であろうか。菜の花の美しさ、可愛さを俳句にするのは意外と難しい。その上に鳥類の中でも可愛い雀を擬人化で付け加えるのも可愛さのつきすぎの
Ryo Daimonji Blog行春や心もとなき京便 虚子 この句の中七「こころもとな・し」は①待ち遠しくて心がいらいらしている。が一番ピッタリくる。下五、京からの便りと、もじどおり読む。しかし誰からの、どういう便りなのかさっぱりわからない、京からのということでその
Ryo Daimonji Blog崇徳院しづもる讃岐西行忌 上﨑暮潮 崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の争いは崇徳上皇の讃岐への遠流で終わる(1156年 保元の乱)。この時の崇徳院の恨みは日本三大怨霊の一人として知られるげな。この霊をしづめたのが西行とも言われ、西行の陰徳が偲ば
Ryo Daimonji Blogつゝじいけて其陰に干鱈さく女 芭蕉 この句上六中五下八の破調句である。この言葉の流れに「女」の無骨な性格をいいとめている『高柳芭蕉』。との解釈もあるとする。貞享ニ(1685)年『野ざらし紀行』である。「旅店に腰を懸けて」。の前書きがあるよ
Ryo Daimonji Blog湯婆の都の夢のほのぼのと 虚子 上五「たんぽ」で冬の季語であるが、ここは「ゆたんぽ」と読んで良いと解する。このゆたんぽから、みやこの夢をほのぼのと思う。との俳意とするならいくら虚子さんとはいえあまりに甘い一句であると思う。出典は俳句全
Ryo Daimonji Blog火に乗せて草のにほひす初諸子 森澄雄 諸子のおいしい食べ方は、炭火でこんがり焼き上げ酢味噌、生姜醤油でいただくのがいいらしい。ところがこの句その時に草の匂いがする、という。水中にすむ諸子が焼き始めると草の匂いがするげな、こんどそんな機
Ryo Daimonji Blog辛崎の松は花より朧にて 芭蕉 辛崎は滋賀県大津市、唐崎あたりのことのようだ。琵琶湖に向かって立つ松が詠まれている。曖昧さをよしとする美感で、花よりもぼやけて見える夜の松の情趣を繊細に捉えている。琵琶湖に向かう松もさることながら、私は丹
Ryo Daimonji Blog花吹雪狂女の袖に亂れけり 虚子 和装の女性が桜吹雪の中を袖を振って舞っている。そしてその女性は狂女だという。桜の根元には死体を埋めたり、狂う女性を踊らせたり、さまざまにその美の表現がこころみられる。美しさに怪しさが漂うとき、狂い踊る女
Ryo Daimonji Blog生別もいづれ死別や春の水 山本紫黄 この作者、生別死別といった大変重い事を俳句でさらりと詠まれた。他の句にも〈来ぬ女こそわが女冬日の浜〉とか、〈てめえの靴はてめえで探せ忘年会〉とかあった。 生き死にを俳句にすることはいいのだが、その
Ryo Daimonji Blog山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 この句の命は中七の「ゆかし」であった。辞書をみると、①何となく知りたい、見たい、聞きたい。と好奇心をさす。②何となくなつかしい。何となくしたわしい。心がひかれる。③上品ですぐれている。とある。貞享
Ryo Daimonji Blog朝櫻一度に露をこぼしけり 虚子 俳句で一瞬を詠むのは常套である。風が吹いたのか鳥が飛び立ったものか、ともあれ一度に葉についた露が落ちたのであるしかも朝のことである。「こぼしたことだよ」と軽く一瞬の過去を詠嘆して見せる、これもまた19歳の
Ryo Daimonji Blog山笑ふ胎動ときにへその裏 仙田洋子 まるで中学生に戻ったかのように女性の身体図を見てみた。「へその裏」と言えば当然子宮のあたりだ、妊娠中の胎動の感覚を具体的に自分の体で詠んだ。そしてそれが俳句になっている。「胎動」の具象化に成功して
Ryo Daimonji Blog我がきぬにふしみの桃の雫せよ 芭蕉 貞享二年(1685)『野ざらし紀行』。京都市伏見西岸寺の盛りの桃の花を任口の高徳になぞらえて、私が着ている衣に桃花の雫を滴らせて欲しい(高徳に浴したい)と当時八十歳の老僧任口上人への挨拶句としたもの。(『新
Ryo Daimonji Blog更けゆくや花に降りこむ雨の音 虚子 1893(明治26)年虚子19歳作とある。この花はわが邦にあり、そこへ雨が降り込むという。がしかし、降り込んでいるのは音だという。この表現になるほど虚子19歳の非凡な感覚表現の若さを感じる。
Ryo Daimonji Blog東山三十六峰みな笑ふ 清水基吉 清水 基吉は、俳人、小説家で東京都渋谷区に1918(大正7)年に生まれている。1931年(昭和6年)東京市立第一中学校(現:九段高校)に進むが胸を病んで中退し、1938年(昭和13年)から4年近く、各地に転地療養し、その間
Ryo Daimonji Blog樫の木の花にかまはぬ姿かな 芭蕉 難しい句である。まづ場所は京都市鳴滝とある(「芭蕉全句」小学館)。次に「かまはぬ」かかわるとの意味に従う、つまり桜の花にかかわらない、枝ぶりである。先の林和靖に例えた山荘主を樫の木に類えている、らしい。
Ryo Daimonji Blog月の夜に笠きて出たり鉢叩 虚子 この場合の笠は、被りもんを意味するんだろう。月の夜なんで雨避けではなく帽子みたいなファッションなのであろう。鉢叩なる季語では、十一月初旬から大晦日までの寒い夜である。空也念仏が聞こえてきそうな年末の通
Ryo Daimonji Blog 命二つの中に生たる桜哉 芭蕉 この二つの命とは芭蕉と土芳のことであるらしい。この二人が20年振りに大津水口で再会したのだった。貞享二(1685)年『野ざらし紀行』所載。芭蕉と土芳の別々に生てきた二つの命の中に桜は春になると咲き抜いて今目の
Ryo Daimonji Blog 春山の名もをかしさや鷹ヶ峰 虚子 この句の春山を下五鷹ヶ峰のことだとすると、これは京都市北区の鷹ヶ峰を指すのであろうか、この現在地は北区鷹峯赤坂に始まり北鷹ヶ峰、南鷹ヶ峰など20を越える地域からなり、このことを面白いというのであれば
Ryo Daimonji Blog 生別もいづれ死別や春の水 山本紫黄 この句の中七「いづれ死別や」に「どうせ死ぬんやから」と生を前向きに捉えるきっぱりした勇気と解したい。「生を明らめ死を明きらむるは 仏家一大事の因縁なり」と曹洞宗経典「修証義」は始まる。春の水のよ
Ryo Daimonji Blog 斯く翳す春雨傘か昔人 虚子 この句を読んで「春雨じゃぬれて行こう」という台詞がうかんだ。月形半平太が傘を差し掛ける舞妓に言った台詞とあるが、この句の昔人はどんなふうに翳したものであろうか、ともあれ相合傘にせよ春雨にさす傘には風情が
Ryo Daimonji Blog 大比叡やしの字を引て一霞 芭蕉 比叡山に霞が細く一筋、しの字のようにたなびいている。と言ったことのようだ。これには『一休咄』(寛文八年)の典拠があり、一休さんが比叡山の僧に大文字で、長々と、読み易くと乞われて書いた書が比叡山から麓
Ryo Daimonji Blog ものの芽のあらはれ出でし大事かな 虚子 ものの芽であったり木の芽であったり、春は、芽吹の季節である。言い換えれば春のあたりまえの現象である。北原白秋は薔薇が咲くのをなんの不思議ではないがとその美しさを詩ったが,虚子はそれを大事であ
Ryo Daimonji Blog 火にのせて草のにほひす初諸子 森澄雄 諸子が琵琶湖で有名なことは知っていた。それと子供の頃の雑魚とりでも諸子はいた。大きいのがいないので僕たちの中でのお魚ランクは低かったと思う。この句火で焼いて食べるのか、一人キャンプでやれば一口
Ryo Daimonji Blog うきふしや竹の子となる人の果 芭蕉 憂きことの多い人の世に、人生果てて竹の子となる人もあることよ。と充てておこう。死後竹林に埋められ竹の子になったという小督なるそれは美人の琴の名手を踏まえた一句であった。『平家物語』天皇と小
Ryo Daimonji Blog うなり落つ蜂や大地を怒り這ふ 虚子 私はこの句の蜂にカネ蜂をイメージしているが、正式にはスズメ蜂が正しいようだ。上五うなり落つは、殺虫剤などで落ちる時に見たことがある。そしてまさに怒り狂って這い回るのである。中七のや切りがよく効
Ryo Daimonji Blog 山笑ふ胎動ときにへその裏 仙田洋子 十月十日母は己が腹を痛め、我が子をなす。この句その痛みとは程遠く笑う山に囲まれ,幸せに胎動を見つめている。具体的に己が腹の部位を下五で示したところクールでいいのだ。
Ryo Daimonji Blog 衰や歯に喰あてし海苔の砂 芭蕉 昭和30年代になるが、ご飯に小さな石が混じってガリッとすることが時々あった。この句では海苔を食べた時のようだ。お米や海苔に砂が混じることはよくあることで珍しいことではない。その歯応えに芭蕉翁は自身の
Ryo Daimonji Blog 巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ 虚子 巣の中の蜂を見ての句だが蜂の頭の部分をかぶとと表現した。この表現で蜂の存在感が際立った。刺すという蜂の危険に満ちた顔の動きがまざまざと見えるのだ。
Ryo Daimonji Blog 東山三十六峰みな笑ふ 清水基吉 近代以降、「三十六峰」を具体的に特定しようという試みが度々行われているようですが、京都盆地の東に位置する北は比叡山から南は稲荷山まで、南北12kmにわたって連なる山々の総称のようです。その山々がみな笑う
Ryo Daimonji Blog 山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 貞享ニ(1685)年の『野ざらし紀行』京都から大津に出る小関越えと言う道での作。「山道を歩いてきて、菫をみつけた。なんとなく心がひかれた」という句意らしい。この句の中七「何やらゆかし」との表現がいつ
Ryo Daimonji Blog 木々の芽のわれに迫るや法の山 虚子 この句の「法の山」が松ヶ崎の妙法の「法」の山をさすのか、一般的にいう山中の修業寺をさしているのか私にはわからない。その山の木々の芽が私に迫ると具体的な印象を言っているので、私は前者と解した。
Ryo Daimonji Blog 目を入るるとき痛からん雛の顔 長谷川 櫂 あの細い絵筆で雛の顔を描くのだ。あの精緻な作業を見ているとよくぞまあ仕事として続けられるもんだと感心する。それを痛いと感じているのだ。いくら人形とはいえ、その目、鼻、口と辿っていくとまるで
Ryo Daimonji Blog 奈良七重七堂伽藍八重ざくら 芭蕉 奈良七重と柔らかく「な」の音で起こし、さらにしちどう伽藍と七で繋ぐ。そして八重ざくらと八でまとめる。土地柄の柔らかな都の風が漂う中さらに重厚な寺院の七堂伽藍を見せる。そして、その景はピンク濃く咲く
Ryo Daimonji Blog 踏青や古き石階あるばかり 虚子 「踏青」春芽生えた青草を踏みながら、野山を散策すること、野遊びと歳時記である。「古き石階あるばかり」と言われてもそう言うところってどこにでもあるわけで、ただ、上五をトウセイと音読みするところ緊張す
Ryo Daimonji Blog 下萌えぬ人間それに従ひぬ 星野立子 春になると野にも庭にも草々が芽を出す。そういった春の息吹に人間も我知らず従っている。作者は中七で人間と広く構えるが、私は「私は」と己の中に強く下萌の感覚が高揚することを詠んでいるのだと解した
Ryo Daimonji Blog 春なれや名もなき山の薄霞 芭蕉 「名もなき山」「名もなき花」「名もなき俳人」と思いつくままあげてみた。名もないけれど、美しい、素晴らしい、と逆説的に褒める常套表現である。春だからであろうか、名もなき山に薄霞が立ち込めているよ。貞享