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2022/10/30

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  • 「アインシュタインと原爆」AIの未来に戦慄が走った

    人は他国より優位に立とう、他国よりビジネスを成功させようとの思いと倫理的抑制力を比べた場合に絶対に倫理的抑制力が勝ることは無い。この映画は終始このことを訴えている。何故か?人に科学の未来を正確に理解できる能力が与えられていないことか、未来に対する倫理的抑制力を真剣に考えることは自分の仕事では無いと多くの人がすましているからか。アインシュタインも自分は「E=MC2を発見しただけだ」とまさか原爆を広島長崎に落とすとは想像もしなかったと回顧している。この映画はAIの未来に対しても色々と考えさせられる。取り返しのつかないことになった後、「AIの未来が地球を救うと信じていただけだ」と天才ビジネスマンが回顧するような事態だけは避けたい。3万年前と言われる認知革命以来ここまできた。深刻に倫理と科学を相剋させる事態には無...「アインシュタインと原爆」AIの未来に戦慄が走った

  • ライステラス 無性に懐かしい風景

    バリ島は3毛作が当たり前だからいつの瞬間を捉えても苗や実りの穂が同時に見られる。日本人から見たら幻視的なこの風景を見るためにバリに行くのかもしれない。苗を植えたばかり。収穫期を迎えているテラス。少し成長した苗。緑いっぱいで。肥沃な土地に見えるが。この水利スパックをめぐってバリ文化は発達してきた。ヤシと水田、これが稲作の原風景かもと。ライステラス無性に懐かしい風景

  • 打ち寄せる海藻の正体は不明だが

    ある日のサヌールビーチで緑を輝かせた海藻が打ち寄せられていた。人が集めたのか、打ち寄せられたのかも不明だがその色の鮮やかさに記録しておきたい気になった。かつて石垣島で似たような海藻を見たことがある。化粧品の材料に使うと聞いた。それに似ているがどうも回収している風がない。これだけあれば加工しがいがあるのだが。そんな下世話なことを考えながら海岸を歩いた。まだまだ俗気が抜けないな、わたしも。打ち寄せる海藻の正体は不明だが

  • 像の研究

    バリに行くたびに街角や寺院あるいはホテルの中庭でいろいろな像に目がいく。これはガルーダ。これはレゴンダンサー風天女。これもよく見かけるな。シンバル風を演奏する。子供に見えるのだが。悪鬼と戦う勇壮な守神。何やらニューギニア風の紋様が。葉陰から静かにこちらを見ているのは猿か。おだやかな母子像。バリらしく頭に子を乗せる像。不思議な像。ガネーシャ像は竜と並んで入り口階段のサイドによく使われる。水音を聞いていると催眠状態になる。平和で穏やかな像。猪ちゃん。いや豚だろう。猿の親子。三大女神の揃い踏みだろうか。三神を並べてリズムを作り出す。不思議なピース。像の研究

  • 今回のバリ滞在で気づいた小さなこと サマサマ(sama、平等な)

    今回密かにバリのヒンドゥと仏教の繋がりの一端が何か分かれば良いなあと考えていた。熱射病で2度もヘロヘロになりながらも大きな収穫はあった。それはバリでよく使われるサマサマという言葉だ。平等は、「へいとう」と読まないで、「びょうどう」と読む。前者は漢音だが、後者は呉音の読み方である。漢音でなく、呉音の読み方がなされるということは、「平等」が仏教用語であることを意味している。それは、サンスクリット語のサマ(sama、平等な)、あるいはその名詞形であるサマター(samata、平等)の漢訳語である。バリ人はテレマカシ(ありがとう)とサマサマ(どういたしまして)をよく使う。サマサマをどういたしましてと訳すると平凡だがsama、平等と訳すると意味が一段と深い哲学色、仏教色を帯びてくる。何かを人にしてあげることは平等だよ...今回のバリ滞在で気づいた小さなことサマサマ(sama、平等な)

  • バリに行くたびに出会う人

    サヌールビーチのハイアットに近い舗道でとある門を眺めていた。誰かがこちらに声をかけたような気がした。ハッとして振り返る。多分こんな顔をしていただろう。いつの間にかすぐ近くにあの人が立っていた。笑顔で何かを指さす。その指先はサリドマイドではないか、その手を見てすぐに思い出した。毎年このあたりで出会う人だ。その示す方向を見ると門の石垣の隙間に何かがいる。なんだろうと目をコラスと海蛇ではないか。満潮でやってきて干潮で戻り損ねたのだろう。次のチャンスまでここで待ち続けるのだ。珊瑚礁の残骸で壁を作っているので多様な珊瑚模様が楽しめる。まるで顕微鏡写真のように見える。微生物が作る微の世界は似てくるのだろうか。その人は門をバックに写真を撮ろうかと誘っているようだった。でも自分の写真を撮ることに興味がないので断る。でもこ...バリに行くたびに出会う人

  • 「カラマーゾフの兄弟」 カラマーゾフ的なものと聖性

    2024-02-2209:30:14追記親鸞と近いものを感じる。ゾシマ長老は死体が腐臭を発し、イリューシャは病死するが腐臭を発しない。作者はこの腐臭の在りなしで何を言いたかったのだろう。親鸞も自身を鴨川に流せと書き残す。ゾシマ長老も賭博癖や浪費癖に苦しんだ作者ドストエフスキーの分身と言える。2013-05-1517:50:05初稿子どもが領主の大切な犬に石を投げて怪我させたことが領主の怒りを買い、翌早朝、寒い中でその子の母親を含めて領民を並ばせて見学させ、その前で子供を裸にして逃げろとけしかけ、領主が猟犬に追えと命令し、犬たちが子供をずたずたにして殺す。母親はその残虐な光景をただ見ているほかはない。イワンがアリョーシャに、領主は退役将軍で農奴制度廃止も意に介せずで領民の生死を我が物としている実話として話し...「カラマーゾフの兄弟」カラマーゾフ的なものと聖性

  • 小林秀雄「カラマアゾフの兄弟」

    今読み返してみると驚くべきことが書いてある。アリョオシャはリザと結婚するが、グルウシェンカの誘惑から、リザを捨て、「人生否定と犯罪との荒々しい生活期を経て」僧院に逃れ、多くの子供達を相手に静かな生を終える。また堕落させるつもりだったらしい。ドストエフスキーのカラマゾフの兄弟は親鸞の「善人なおもて往生す、いわんや悪人おや」と共鳴しているな。紀野一義の膨大な録画をYouTubeで何回も見通した後にそんな感想を持った。初稿2017-12-2622:34:05ドストエフスキーのカラマゾフの兄弟で著者はまえがきでながながとアリョーシャが主人公だと説明し、最後まで読んでもらえばわかるともったいぶりながら、最後まで読んでもアリョーシャは善人でさほど陰影のある人物でもなく、なぜドストエフスキーはこのような前口上を延々と述...小林秀雄「カラマアゾフの兄弟」

  • 今回の滞在でちょっとしたエピソード

    これはなんだと思いますか。ウブドのハヌマン通りで見かけたホームステイ掲示ボードです・ウブドのハヌマン通りを一歩入るとホームステイで埋め尽くされていると言っても過言ではない。行き先がわからなくならないようにこうしたボードが路地の入り口2箇所立っていた。こうしたボードが立っていなくても無数にホームステイが立ち並ぶ。今回はこうしたホームステイの一つに滞在してみた。民家を多少改造したような宿でおばさんが旅人の朝飯などの面倒を見る。ご近所の相場を聞いてみるとだいたい三千円見当だった。朝飯が勝負どころらしい、割と充実したものが出てくる。お隣さんと隣接していて自然と顔があい、簡単な挨拶を交わす。ある日、お隣に若い韓国人女性が泊まった。朝から朝市に行ってきたと言ってマンゴスチンを3個くれた。翌日にはどこかに去ったがこうし...今回の滞在でちょっとしたエピソード

  • バリ島に在る信仰の本質は何か まだまだ道は遠い

    バリの信仰の本質とは。何やら真っ正面すぎたど直球の問いかけに答えてくれるにはまだまだ時間がかかりそうだ。しかし何かしら掠ったものをメモしておこうと思う。これはマーガレット・ミードとグレゴリー・ベータソンが100年ほど前に表したバリの写真集にある、墓を掘る男。厳密には墓ではなく火葬までの一時保管所というべきで、日本のように個人としてある墓ではない。亡くなった後に火葬に付すまでの期間ここに埋める。こうしてみると相当深い、この男性の頭までの深さだから1.5メートルから2メートルくらい掘るのだろう。大人が堀り、子供達がその様子を凝視していることが目を引いた。バリの子供たちはすでに死生観をこうしたビジュアルな形で受け継いでいく。日本の即身仏やエジプトのミイラがこの地では生まれなかったのは腐敗しやすい高温の土地柄のせ...バリ島に在る信仰の本質は何かまだまだ道は遠い

  • バリの神木

    今回の滞在では特に樹木に目が行った。体調が悪くヨレヨレになりながら歩いた寺院の3大樹木。これをみるたびに元気が出た。南国にもこうした硬い木ができる。なぜだろう。懐かしさを感じさせる木肌。マングローブシルエット今回ナンバーワン2位バリの神木

  • 日本の神社の源流を探していたのかもしれない

    今回のバリ、清水に関心が向かっている。山水画風の写真にも関心が向かう。浄瑠璃を思い浮かべていた。これも完全に心は和風のバリ。出雲大社を連想させる。先祖帰りの風景。日本の神社の源流を探していたのかもしれない

  • 地縁を感じたバリ滞在

    今回のバリ長期滞在で帰国寸前の最後の数日間は大変な危機だったと言えるかもしれない。10日ほど熱が下がらずいよいよカシイブ病院で診察の準備までした。病院へ行くために海外医療保険の準備も整えて朝に自分でも熱が下がっているのが自覚でき、バリ在住のAさんが送ってくれたオムロン体温計で測ってみたら熱が下がっている。これで熱が下がっていなければカシイブで即刻入院になっただろう。一旦入院すると10日くらいは退院できない。(バリで入院を経験した人たちの話からの推測だが)すると先に帰国していた妻が看病に再来しなければならず、2ヶ月の延長ビザも期限切れで延長ペナルティーも相当な額になる。入院費も保険で150万円までカバーできるが色々な話を総合すると軽くオーバーしてしまうらしい。まさに危機一髪で入院を免れた。体調が悪い時に困る...地縁を感じたバリ滞在

  • 人生の出来事 提婆達多と創価学会

    仏教界の最大の嫌われものといえば提婆達多と相場が決まっている。この提婆達多について興味深い話を聞いた。彼は釈迦教団の有力者で非常に能力の高い人だった。教団の発展にも尽くした。釈迦も舎利弗などを使わしてその能力を称えたほどだ。ところが釈迦が老いてくると教団運営に非難を初め、釈迦は教団運営から離れて自分に任せろと言い出した。なぜそんなことを言い出したのか。教団の戒律が生ぬるいと言い出したのだ。人里離れた森林に住すべきであり、村邑に入れば罪となす。乞食(托鉢)をする場合に、家人から招待されて家に入れば罪となす。ボロボロの糞掃衣(ふんぞうえ)を着るべきであり、俗人の着物を着れば罪となす。樹下に座して瞑想すべきであり、屋内に入れば罪となす。魚肉、乳酪、塩を食さず。もし食したら罪となす。街に住むな。林の中に住め。肉や...人生の出来事提婆達多と創価学会

  • 今回の長期滞在で改めて日本人旅行者の少なさに驚く

    今回の50日で旧知の日本人にお会いした以外には誰一人日本人にお目にかからなかった。いつもなら街角やビーチで何組かにお目にかかる、あるいは話す声が聞こえてくるのだが今回はただの一度もその経験がなかった。実に見事なばかりだ。スミニャック、サヌール、ウブドと例外なくだ。そして韓国人が増えている。ロシヤやスラブ人系の人々がさらに増えてきている。色の白さと大柄な体格、明らかに英語ではない会話の切れ端などでそう判断している。極寒の地から来ればまさに天国のように感じるのかもしれない。ロシアのウクライナ侵攻で忌避してきた層がバリの特定の集団地を作っているとも聞いた。円安のせいもあり今後も日本人旅行者は激減し、来バリ層は確実に変わっていく。のちにコロナとウクライナ侵攻、円安でバリの観光客筋は確実に変化したと書き記されること...今回の長期滞在で改めて日本人旅行者の少なさに驚く

  • もう無謀な事はすまいと反省など

    今朝8時40分に50日ぶりの日本の土を踏んだ。自分でそう記して見て大層な感慨に浸っているなと少し冷やかして見たくなる自分もいる。よくぞ無事帰還出来た。病み上がりの目には車窓に広がる寒々とした風景もなかなかのものなのだ。散々寒いぞと言われていて覚悟していたせいか成田はそれほどの厳しさではなく、同じ便の若い女性はTシャツ一枚でスタスタと歩いて行く。わたしも薄手のセーターにジャケットと言うとても2月上旬の成田の防寒体制ではない。コットンシャツを何枚も重ね着して京成ライナーに乗り込むとなんとか自宅まで耐えられそうな感じがして来た。町田に11時40分到着して連れ合いと寿司を食べる。本当にこの一月ろくに食事らしいものにありついていないのだ。ランチ定食だがとにかく胃に放り込むように食べた。熱いシャワーを浴びてベッドに入...もう無謀な事はすまいと反省など

  • バリ島回復日記その3 善人なおもて往生をとぐいわんや悪人おや

    なぜか歎異抄のこの一節が眠りほばなの脳中に飛び込んできた。そして自らの若い時の啓示に近いある出来事を思い出していた。いずれ詳しく語る時がくるだろうが今はその記憶の再来で深い慰謝を得た。神仏に生かされた人生だったのを鮮明に意識して感謝した。キリスト教であれ構わない。非寛容な神は遠慮したい。こんな記憶やことばが出て来たのは熱病の回復期のせいかもしれない。それにしても親鸞のこの言葉いかに多くの人の人生に火を灯し涅槃へと導いてきたことことだろう。そして尚自らの遺体は鴨川の魚に食わせよと言い残したその高貴な気合い。エゴが肥大して権力を追求する新興の輩が次々と世を去る昨今、戦後の下品な拝金の腐臭、信仰風潮が一掃される事を願う。親鸞と言う宗教の先達をもつ事が出来た日本人でよかったとしみじみと思う旅の空でした。さまざまな...バリ島回復日記その3善人なおもて往生をとぐいわんや悪人おや

  • バリの回復日記その2

    色々なことが頭に浮かぶ回復期、今朝も朝食に出掛けて、ガルマンの後片付けをして先ほど宿に戻った。そしてベッドでゴロゴロしながらのんびりと時間の移り行きを楽しんで見よう。バリの朝食がなんだか高くなっている。わたしのcafeでの相場感はユッツでこの20年来アメリカンブレックファーストで550円だ。ジュースも生フコーヒーも付いている☕︎今回の滞在ではジュースとコーヒーは別という店ばかりだ。だから軽く1000円を超えてしまう。もちろんわたしが好んでフレッシュジュースをオーダーすることでプライスアップに貢献している。コロナ以降の欧米勢の出店と観光客の変化がこんなところに影響を始めている。ご近所のワンコの吠え声がカンに触る。どこへ行っても現地のワンコに歓迎されるわたしは南米の猛犬でさえ手なづけて来た。バリでもあまたの宿...バリの回復日記その2

  • バリの回復日記

    8日間も熱で寝込んでいたら平熱に下がったからといってネジを巻かれたように元気に動き出せるかと言うとそうは行かない。今朝は一昨日美味しかったカフェに行ってみたが今日はやすみだという。開いている近くの店に入ったが特色の無い店で今朝は朝飯ハズレ。薄いトーストとジャムとバターケースのてんこ盛りでベーコンも卵もついていない。何が味覚を喜ばせるか考えたこともないのだろうか。聞けばオーナーはインドネシア人だという。これでジュース2杯で900円、だから外国資本の美味しいカフェにシェアをどんどん奪われていく。体の回復に応じておかしかった味覚もようやく元にもどった。レトルトのスープが結構いける。冷製パンプキンスープを飲みたい。いや冷たいトマトスープでもいい。バリの回復日記

  • さあ何を食べようかな

    今日は平熱2日目の微妙な時期、心は何でも食べたいのだが実際の胃袋君は8日間のお休み状態だったので我が真に欲するものを聞き出すのはなかなか難しい。明け方に素麺を美味い缶つゆでズルズルと食うことが頭を締めた。そうか炭水化物を体は欲しているのか、しかもきっちり出汁の効いたつゆで。それではパパイヤ日本食材店まで出向こうとすると雨が断続しており一向にゴジェックがつかまらない。そうか今日は遠出するなと言うことかとすんなり納得して近所のpopularに。美味しそうなポテトが飛び込んでくる。ポテトフライもいいな。オリーブオイルでフライにして塩で食うと炭水化物欲求も叶いビールのつまみにもなるかな。横にマッシュルームがある。これも美味そうとカゴに入れ、そこまで喰えるのかと言う内面の声を押し切る。まず厚めの短冊に切る。オリーブ...さあ何を食べようかな

  • 8日ぶりに平熱になって嬉しい

    昨日カシイブ病院へ行くため海外医療保険の準備を東京海上に整えて、熱を測ってみたら36.3に下がっている。37.3から一気に平熱だ。念オムロンの実測タイプで10分再度計り直すがやはり平熱に。病院にその旨を伝えて受診を中止する。ここの日本人対応スタッフは感じの良い対応だ。8日間の熱は一体何だったのだろう。デング?高熱を発するとあり該当しない。コロナ?咳や痰が一切ないので該当しなさそう。インフルエンザや風邪?かもしれないがダラダラと長すぎる。熱中症?既に経験済みの身からするとこれがしっくりくる。いずれにしても入院で帰国便に乗れないとチケット変更やビザなど手続きが発生する。ほんの間一髪で避けることが出来た。古くからのバリ在住日本人友人Aさんには連日に渡り日本食のデリバリーで手厚くお世話になりました。何も喉を通らな...8日ぶりに平熱になって嬉しい

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