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2022/08/03

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  • 武庫川河川敷は…花の公園

    黄金週間が始まりました。9連休。すごいなーと思う。私の20代は連休すらなかった。1週間の勤務。稀に日曜が休めるぐらい。それだけする仕事があったと言うのだろうか。だが誰も文句を言う人はいなかった。そのことが当たり前であった時代である。早速、今日戸外へ出る。もうマスクの人はいなかった。家族が多くて手作りの弁当を食べていた。一家の笑いがいっぱい。本当に心が休まる。一年中の快楽をいっぱい振りまいて…。私も心が安らぐ。一家の座している傍にはさつき花が満開、花の公園である。また薔薇も見事の集団。一家を囲むように美しい。ここは武庫川河川敷。もう満開の紫・紅・白のコントラストの中で家族の連休の優しい心は労りの気持ちを見せていた。以下は私の句である。谺して夏風仲間喋り行く対岸は幸置く色の薔薇並ぶ退屈な川鵜の夫婦昼寝時黄金週...武庫川河川敷は…花の公園

  • 武庫川河川敷は…もう初夏

    久しぶりに河川敷を歩いてきました。もう初夏。いろいろな花に囲まれての私の今日の朝の始まり。どれも明るい光彩の花弁に、目が飛び移り心が励まされました。ここは私の、かっては鬱を棄てる場所でもあったところ。社会の仕組みに取り残されて私の心がついてゆけないとき、ここへ来て一時の笑いを貰いに、自然にとっぷりと浸り、また現実へと戻って行った過去を、いま思い出しながら歩いては、もう晩年期。花びらの色の柔らかさに、再びの心を休ませています。歩きつつその花びらの元気に過去の私が煌めき映り、なんとも言えない寂しさの中に時々生まれる感情の移ろいに、いまの平穏な日々が、やっと人生なのかとも。その心を句にしてはいま独歩の安定を思いつつ。蝶旅へいま花びらの一つから光芒を包む新緑樹が薫る皐照り日光浴の午後の刻漣の細かく進む初夏はいまオ...武庫川河川敷は…もう初夏

  • 神戸新聞文芸詩部門入選作品紹介

    私の詩が入選になりましたので紹介させていただきます。(2023年4月24日朝刊掲載)初蝶現世へ生まれすぐには飛べないか蝶そっと暫く動かず花びらになる神戸新聞文芸詩部門入選作品紹介

  • 写俳とは

    あれはぼくの「青玄」復帰まもないころで、大阪句会の帰りであったと思うが、ゆっくり歩きながら考え込むように伊丹三樹彦主幹は言われた。「つぼみのなかを表現したいんやけど、まだ咲いてはいない、開いてはいない花の中までわかるように写真は表現しなければならんのや。俳句で表現できるかね」一瞬ぼくは立ち停まった。びっくりしたというよりも考えるところがあってのことであった。青玄人の幾人かが伊丹三樹彦主幹の写真に対するものの見方を複雑にしているのは、このへんのことだと思ったのである。見えていないものまで見えるように表現する。――これは批判的リアリズムの基本理念ではなかったか。やはり三樹彦先生は俳人なのだと思った。写真と取り組むときも、いつもは俳人の目を失ってはいない。これは大変なことだと思った。俳句と写真は総合作用なのだと...写俳とは

  • 前衛作品俳句考…その意味するもの(再掲載)

    前衛俳句を論考するに及びよく聞かれることがある。その俳句たるやもう亡び去ってどこにもないではないかと、よく聞かれる。確かに…そのように正面切って詰められると答えに困ってしまうことがある。答えと言っても理論らしく説明したところで解ってもらえるような単純なものでないのが前衛だと思っているので別に気にはならない。ただ言えることは誰にでも作れるものではない句。過去より現在までにおいて誰も作ってはいない句、その人のみの独特の発想なり感受で、その人でなければ絶対作れない句が前衛俳句だと、私は思っているから現在も前衛俳句は人それぞれにいっぱいあると思いたい。ところで当時、物議をかもした前衛俳句と呼称された作品が如何なるものであったかを紹介することから論考に入りたいと思う。雨をひかる義眼の都会死亡の洋傘島津亮帰る円盤孵る...前衛作品俳句考…その意味するもの(再掲載)

  • 隠れているものまで見えたように書く

    私の少年時代の俳句の師匠、伊丹三樹彦は、私達に俳句を作ることの意義や目的を、克明に示し続けた俳人だった。その目的とは俳句で私を語る、私の思いを詩情で奏でる純粋性を多くの若者に示す人であった。極限した言い方をすれば作者個々人の思考をはっきりと示すことであったように思う。謂わば生活俳句の実践であり、作者本人の思考に純粋性の方向性をもたすことであった。…これら一連の私の心を純粋に導く方向性を分かり易くすること、そのことそのものを私性の句体と言えるのだろう。「青玄」一〇〇号で主宰者・伊丹三樹彦としての立場での発言、その中で次のように明記されていた。隠れているものまで見えたように書くこれは従来からの見えているものを見えたままに書くと言う素朴リアリズムの思考に対しての発言であったのだ。つまり従来からの写実主義に対して...隠れているものまで見えたように書く

  • 分かち書き(一字空き)導入前後の情勢について

    切株はじいんじいんとひびくなり富澤赤黄男新興俳句時代にも個人としては分ち書きは行われていた。その頃の結社やグループとしてではない。ただ言えることはそのことの程の確固たる意味はなっかたようです。その頃は一字空きまたは空けと言う呼び方のようでした。語呂合わせのように、舌に転がせていて読み、切りやすいところで切っていたようです。神野紗希さんは「切株」の句について次のように語っている。「ひろびろとした大気の中で思い切り呼吸する」ための、小さな小さな風穴なのかもしれない。この空白を抜けて、切株のひびきは、無限に広がってゆく。上記のように述べているのだが、このことは…一字の空白を置くことは、ブレス(呼吸)をするための息継ぎなのだろうとのこと。だが、この考え方は、句の必然性にはならないように私には思える。…と言うのは俳...分かち書き(一字空き)導入前後の情勢について

  • 癒しのこころで俳句する

    毎日の生活のなかで他人の言葉に傷つき、社会から疎外された時、私たちはどうして自分自身を復旧回復させているのだろうか。ときどき思うことがある。私たちの青春はフォークソングに身を投じ音楽喫茶に群がっていた。いまでは喜多郎のシルクロードのテーマの音楽に惹かれ、姫神や富田勲の演奏に我を忘れて浸る。ここには安らぎと癒しの心が強くあり、そうして自分自身を慰めているのであろうか。このようなとき、俳句することの意義や意味はいったいなになんだろうと思う。もっと素晴らしい社会参加があるのではないかとも。もっと良い生き方があるのではないかとも。でも、私たちは俳句を書いてゆくことの持続性を思い、日々努力している。その魅力とはいったい何なんだろうと思う。そして、どうして短詩形に魅了されているのだろうかとも思う。いま俳句は生活の或い...癒しのこころで俳句する

  • 私性の文体(句体)は…俳人伊丹啓子

    句集「あきる野」ありがとうございます。何よりも句集の装幀が素晴らしいのには感動しました。この本の感覚は句集とは思わないでしょう。タイトルの書体も細アンチック体ですっきりとしていてとても繊細な思考を思わせる理知的な引き締まったものですね。本の表紙は本全体を象徴するもの。読者に読む意欲を喚起するもの。そしてこの装幀は…私性の主張の濃ゆい俳句を奏でるものともなっていますよね。さて、その私性とは、月蝕にわが身削れてゆくような伊丹啓子作者の目視の中に読者を引き込む感性は何を誰に向かって語りかけているかを、直感として知らせていて、この句の存在感を示しているのではないかと私には感じられました。その俳句言葉は「わが身削れて」。この俳句言葉にはパーパス(存在意義)があります。今は共生社会の中で生きてゆく時代。作者は何を誰に...私性の文体(句体)は…俳人伊丹啓子

  • 人間の心を感じる言葉…を示す俳人倉橋羊村

    象徴的表現の具体性は作者の内心と結びつき、もっと心の奥へ…人間の心を感じる言葉…を示すことにもなる。晩年の全景ならむ裸の木倉橋羊村句集『有時』(平成13年)より。この句には作者の歴史ともいえる時間の存在感の心を感じる言葉として強く表示されている。その俳句言葉は「晩年の全景ならむ」。ここには作者のこれまで生きてきた時間の懸命な一途な心の有様が克明に刻み込まれているようにも私には感じられた。その俳句言葉が「晩年の全景」であるのだろう。また同時に私が思うのには現実の在りのままの「晩年の全景」なのではないか、ふとそんな気持ちがする。「晩年の全景」は…人間の心を感じる言葉…でもあるのではないか。この句の目視は「裸の木」なのだが、ここに作者自身の人生を見つけてしまったのだろう。読者は句の中に人間の匂いを感じなければ、...人間の心を感じる言葉…を示す俳人倉橋羊村

  • 芭蕉には虚の世界があると言った俳人…森 澄雄

    俳人は神仏を信じなくてもいいが、「虚」を信じなければ駄目だ。でないと巨きな世界が詠めない。今の俳人は最も大事な「虚」が詠めなくなった。「虚にゐて実を行ふべし」の名言を芭蕉は残したが、詩の真実としては、「実」よりも「虚」のほうが巨きい。芭蕉の多くの句は、空想句つまり「虚」である。子規、虚子の言う写実ではない。しかし、虚でありながら実以上の「詩の真実」を見出したのだ。この上記の言葉は森澄雄さんが角川春樹さんに語った言葉である。森澄雄さんが語った内容は、『詩の真実俳句実作作法』(角川選書)という対談の中でのもの。一九八七年に出版された対談形式の中での言葉であった。果たしてこの発言を素直に受け止めなければならいほど写実がオンリーワンになっていたのであろうか。もっともこの写実至上主義であったのは昭和六十年代であった...芭蕉には虚の世界があると言った俳人…森澄雄

  • その一句には多くの削り落とされた言葉がある

    あなたが俳句の形式を選択したのであれば、全ての作品を俳句で書きましょう。最近目立って顕著になってきたのが、俳句を作っているあなたが、俳句作品ではなくなっていること。観念思考が先行して、意味だけが重要視され、説明言葉になっていて散文になってはいませんか。…これを正述心緒と言う。遠く病めば銀河は長し清瀬村石田波郷句集『惜命』(昭和二五年)より。この句は清瀬村での療養所生活で生まれた句である。清瀬村とは東京北多摩の奥地である。波郷は結核治療のため、この地で大切な生活の殆どをすごしているのである。この句では十七音よりはみ出し表現されてはいない言葉。表現上には出ていない言葉がある。それは「遠く病めば」の表現言葉の裏にあり、奥に秘められた言葉としてある「日常から」或いは「世間から」の言葉。「遠く」の俳句言葉の奥に秘め...その一句には多くの削り落とされた言葉がある

  • 俳句の想像力それにはアイデアの施しが

    発想とは発想力の有り無しにその多くを期待する時、俳人はそのどの部分に注目するのだろう。発想とも思える、思いつきは俳人と呼べる人は、どなたでも持っているのだが、一句を纏めるのに、新しさが含まれているのかいないのかの違いは何に由来するのだろう。ふと私は思う。次の句を見ていただきたい。如月や耳貸していて疲れる福島靖子「歯車」333号より。この句の特色は表現が従順ではないのである。「耳貸していて」なのである。身近にいるであろう人の話を聞いているのであるが、そのようには受け取らず「耳貸していて」なのである。多くの俳人は発想はしっかり出来ているのであるが、何かが足りないために新しくないのである。その足りていないものはと問い詰めてゆくとき、私はそのヒントらしきものがわかってきた。想像力なのである。想像力と発想力との違い...俳句の想像力それにはアイデアの施しが

  • 直情とそれを抑えようと意識…俳句とは

    俳句には、直情と、それを抑えようと意識する、批判的な心が何時も同居して作者の胸中を苦しめる。そのときの方向性を示すのが、動詞の存在である。ときに作者の思いとは全く違う情感を示し突然の直情を奏でて句を定着させてしまうことがある。…その修正に次の句を思い出す。峡深し夕日は花にだけ届く稲畑汀子ふたりして月の匂いの森に入る鳴戸奈菜秋は白い館を蝶が食べはじめ西川徹郎私はこの三人の句を思い出しては私を修正してきた。何れも動詞主体の句である。ここに採録した三句はどの句も終結部分に使われていて工夫することの意味が見事にその効果を示すものであると私は思ってきた。「峡深し」の句は二〇〇四年「俳句研究」年鑑自選句で出会うことが出来た句。この句を見た瞬間に私の常日頃の句に対する悩みがいっぺんに吹っ飛んでいた。いったいこれは何なん...直情とそれを抑えようと意識…俳句とは

  • イメージ俳句の実態

    名詞には従来からの固定されたイメージがあって、私たちの日常の生活のなかで何時も同じく変わることのない感覚がある。その感覚から生まれた俳句がイメージ俳句である。従来からの固定された名詞のイメージと作者独特の感覚による新しいイメージの対比が心の緊張感や臨場感を生むのである。蟬時雨餅肌の母百二歳金子兜太この句、二〇〇四年「俳句研究年鑑」自選欄より抽出。これは名詞主体の句である。何がこの句を面白くしているのか。勿論、名詞の言葉である。兜太独特の感性により句を支えているのだが、それは「餅肌の母」である。百二歳の母を見つめる兜太の心の緊張感が読み手に伝達されていての言葉の機能が果たされているのだ。全く新しくて従来の生活感覚ではないもの。新鮮な機能伝達を完璧にまで尽くした句である。病得てどんどん優しくなれる秋岩淵真智子...イメージ俳句の実態

  • 俳句の世界にもキャッチコピーはある

    昨今の句会の現状は、何人かが集まってその場所で行われる句会も、インターネットを使っての句会も、最高点句と言われるものは、挙ってキャッチコピーに類するものが多くなった。何故だろう。社会一般を通じて、新聞も街の看板も、必ず目立つようなコピーが大きく人目を惹く。そして人を吃驚させるような奇抜なものまである。いろんなアイデアを工夫してのコピーがある。先日も、昼寝と言う文字を印象づける意味もあってだろうが、昼寝の字そのものが横向きに書かれていて、人体そのものが横になって眠っているような感覚になる。これも一種のキャッチコピーなのである。俳句の世界でも、このキャッチコピーに等しいものもある。例えば、♀・♂、↓・∞、♭、☆、など。このような記号を音数に読み一句の中に登場してくる。いまやキャッチコピーが俳句の王道を突き進ん...俳句の世界にもキャッチコピーはある

  • 赤尾兜子のモンタージュ俳句の基本

    いま思えば兜子はモンタージュ俳句の基本を忠実に実践していたのであろうと私は思う昨今である。ここに私の記憶に残る思いを述べた記述があった。壮年の暁(あけ)白梅の白を験(ため)す赤尾兜子昭和46年「歳華集」の中に収録されたこの句。兜子の存在そのものを問いかける姿のなんと純粋で悲しく痛々しいことか。壮年期の始まりに汚れきったこれまでの人生を白い梅花に問いかける仕草こそ素直であり、より必死に生きてゆこうとする姿でもある。人間の一生を考えていてふと思うことがある。幼年期、少年期、青年期、壮年期、晩年期と経てゆく過程で生まれたままの素直な心はその社会経験を得てどれ程変化してゆくものなのか。とてつもない過去に帰り私自身のことを考えてみる。純朴な精神は多くの競争社会の中でずたずたにされ、打ちのめされ、放り出されて最後には...赤尾兜子のモンタージュ俳句の基本

  • 一番短い言葉…それが俳句

    心の不安定感をすこしでもすくなくしようと、日々の生活の糧になるのが、心を満足させる言葉なのです。多くの文芸言葉の中で、最も身近で関わりやすい言葉が俳句言葉なのです。何故かと言えば一番短い言葉であるから。それには、…人間の心を感じる言葉…が表示されているから。嬉しいことも悲しいこも寂しいことも、人間ならでの感情表現である。その感情を細かく克明に、より具体的に目視表現可能なのが短詩形であり、単的に集約されて理解しやすいのが俳句なのです。難しく考えないで欲しい。より具体的に克明に事実を感覚で受け取ればいい。それが一番短い言葉の本心なのです。感覚で受け取るとは、終戦直後の句ほど具体的に克明に事実を目視で感じとることが出来ている句はないのではないかと思った。それは人間の心を感じる句でもあった。その句とは昭和20年時...一番短い言葉…それが俳句

  • ヒロシマに原子爆弾が投下された記録より…俳人上野敬一

    絵ではなく八月六日原子雲庸晃1945年8月6日午前8時15分…ヒロシマに原子爆弾が投下された時刻である。毎年のようにめぐってくるこの事実を世界は忘却の彼方へと棄てようとして時が過ぎる。平和国家のように見える日本の隅々にまで原爆症患者はいて手術は繰り返し生き延びている。なんとも言えないこの悲惨をはじめて知ったのは高校生の時だった。当時の原爆体験を編纂した長田新氏の「原爆の子」だった。子供たちの原爆体験を纏めて一冊にしたものだった。六つのデルタからなる大田川に水を求めて入水し死んでゆく状態を当時5歳の子の眼に焼きついた記録であった。子供たちは原子爆弾をピカドンと言い、腸や脳、内臓の身体より飛び出した悲惨を語る。…私はこの幼い眼にとどまる語らいを今でも覚えている。戦争は人を殺すだけと言ったのは母だった。戦争を終...ヒロシマに原子爆弾が投下された記録より…俳人上野敬一

  • ヌーベルバーグ時代の俳句…ふたたび(再掲載)

    目視して物を受け取る時、その感覚は意味で受け取っているのではなかろうか、と思う時がある。それらは頭で判断していると思われているのだろうか。だが、実際は情感で物を見ているのである。俳句が意味の句の表現になってしまうのは、その意味が頭の中に残ってしまっているからである。俳句は情感の支えがしっかりしていなければ、ただの言葉でしかなくなる。俳句は意味で作ってはならないのである。俳句が説明になってしまう理由でもある。私の二〇代初めの頃、映画の世界にヌーベルバーグ(新しい波)と言う新しい表現の実感直感のフランス映画が、日本の若者の心を捉えていた。その代表的映画は、「勝手にしやがれ」。ジャン=リュック・ゴダール監督。ジャン=ポール・ベルモンド主演。その映画とは町の中をただひたすらに歩いて行くだけのもの。ベルモンド主演の...ヌーベルバーグ時代の俳句…ふたたび(再掲載)

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