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2022/08/03

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  • 見えているものを使って見えてはいないものを表現

     ‥つぼみの中を表現したいんやけど、まだ咲いてはいない、開いてはいない花の中までわかるように表現しなければならんのや。俳句で表現出来るかね。上記の言葉は伊丹三樹彦からの私への問いかけの言葉である。この語りかけを思い出すたびに私は、作者自身そのものにおいて俳句を作り続けてゆくことへの自己矛盾が燻り、日夜の自己への苦しさを内へと閉じ込めていたのだろうとの思いに私も閉じ込められていた。そして私なりに自問の解けた句を知る日がくるのだが。それはまだ写俳運動を創始する以前の句に、その原点があるのではないかと思った瞬間だった。古仏から噴き出す千手遠くでテロ伊丹三樹彦この句は後に句集『樹冠』に収録されることになるのだが、三樹彦にとっては自己変心への糸口になった句ではないかと私の心の中に残る句となるのである。私がこの句を見...見えているものを使って見えてはいないものを表現

  • 浄化された作者の本心こそ俳句

    そうは言っても、心の浄化は出来るものではないのだ。汚れきった社会、世の中である。日常の生活の中で個人などは消耗品である。心を正すことなど出来るものではないだろう。だが、日常生活では真当な心を貫く事ができなくても、心を正すことは出来る。それが文芸なのかもしれない。俳句なのかもしれない。…そのように思った私であった。それは私を納得させる句に出会った時からであったようにも思う。朝顔やみんな大人になった家水野照子第五十二回現代俳句全国大会大会賞より。この句における素直になって過去を思いふりかえらせてくれる言葉「みんな大人になった家」には作者の人間が感じられるような表現になっている。家族一家の絆とも言える輪の中にある一本の糸のような繋がりがここにはある。俳句言葉の暖かさは、作者のヒューマンな心でもあろう。この純粋に...浄化された作者の本心こそ俳句

  • 新感覚の俳句を求めて

    私がポップ言葉…ってなんなのだろうと思うようになったのは随分と昔のことである。そしてそのことが俳句にも使用され、凄く心理の強さをくすぐる言葉なのだと思った時より、もう数十年が経る。ポップ言葉とは、商品販売におけるキャッコピーなのである。人の心を上手に取り込む誘いの言葉である。謂わば人と人とを結ぶための心を継ぐ言葉なのである。小学生に俳句について聞くと、いつでもどこでもつくれる、ことと答えが帰ってくると言う。そしてさらに聞くと、こころがおちついてくる、との返事。私は吃驚した。かって氷見市で小学生に俳句の指導をしていた谷内茂(やちしげる)さんの四十年ほど前の言葉を思い出していた。この心の存在そのものが…実はポップ言葉なのである。思っていること、感じていること、全てを内心から吐き出すように放出すること、その後に...新感覚の俳句を求めて

  • 句心とは人心の象徴なのかもしれない

    最近になってのことだが人生の蓄積など何処へ行ってしまったのだろうと思うことがある。…殊に俳句においてはこの人生の蓄積が重要に思えるときがある。ただ何の変哲もない風景でも見事にその人独自の風景を描き出す。潜在意識を健在意識に高めて俳句鑑賞者の心をつかんでしまい虜にしてしまう。この心技は大変なことなのだがいとも簡単にしてしまう俳人もいるのだ。私の尊敬する俳句人の一人でもある故人の鈴木石夫先生は…そのような人であった。鈴木石夫先生の作品をひろってみよう。かまきりの孤高は午後の風の中 大寒や三途の河に橋はあるのか春の夜の手脚静かに折りたたむくわんのん様も臍出し秋の風起る場合によっては朝顔も木に上る鬼の子と言はれひたすらぶらさがる母の日は神も仏も暇でして風峠雲をちぎって捨てておくたましひの独り言また雪が降る裏山に名...句心とは人心の象徴なのかもしれない

  • 私性の文体(句体)とは…

    伊丹啓子句集「あきる野」を読む。作者は伊丹三樹彦の長女。「青玄」廃刊以後の系統誌「青群」の顧問。かっては青春俳句の華やかな頃、大活躍した注目の俳人でした。「あきる野」は伊丹啓子の第三句集。句集「あきる野」ありがとうございます。何よりも句集の装幀が素晴らしいのには感動しました。この本の感覚は句集とは思わないでしょう。タイトルの書体も細アンチック体ですっきりとしていてとても繊細な思考を思わせる理知的な引き締まったものですね。本の表紙は本全体を象徴するもの。読者に読む意欲を喚起するもの。そしてこの装幀は…私性の主張の濃ゆい俳句を奏でるものともなっていますよね。さて、その私性とは、月蝕にわが身削れてゆくような伊丹啓子作者の目視の中に読者を引き込む感性は何を誰に向かって語りかけているかを、直感として知らせていて、こ...私性の文体(句体)とは…

  • 俳句はもっと政治意識を…若いころの抒情詩俳人坪内稔典

    しなやかに自力もどしの葦や冬庸晃(2008年12月16日記述)朝の光が一際一条の刃のように突き刺さって伸びてくるのにも暖かさなどはなかった。…そうなのだと気がつくまでもなく、今は冬であることを一瞬忘れている私でもあったのだ。歩きつつも前方の風景に目を配って更にその先までも見尽くそうとする私の心があった。ここは武庫川の河口にほぼ近い或る日の自然の姿に心を奪われている私なのかも知れないと思えるほど、その風景は素晴らしい力に満ちていた。いたるところ一面の葦の風景である。冬の葦。秋から冬へと季節の流れのなかで徐々に藍を失ってゆくときの色はさびしいものなのだが、今は全くの色彩などはないのだ。無彩色である。ただ一本の細い茎はあるとき細い棒にも見えることがある。木枯らしの通り道に生えたであろうこの葦は凄い風圧に押し倒さ...俳句はもっと政治意識を…若いころの抒情詩俳人坪内稔典

  • 光りと影のツイン

    伊丹三樹彦写俳展…おおオージー平成元年「青玄」430号(12月号)掲載の私の文章より…忘れじの文章としてここに採録いたしました。読んでいただければ幸いです。クリエイティブ俳句、クリエイティブ表現、クリエイティブ思考、クリエイティブフォト…と何回も頭の中を言葉がめぐってゆく。これはごく自然のことだった。作家の思想をくりかえしくりかえし広げてゆくものはマスメディアの中にこそある。この写俳展はたしかに指導的思考なのだ。十月一日~七日の一週間、大阪ニコンサロンで行われたた「おおオージー」を見ての感想は、“まさにクリエイティブ”へという心である。最初にぼくを迎えてくれたのは静岡帰りの三樹彦そっくりのミニチュア人形である。一瞬目を見張った。よく出来たもので首からはミニカメラを…というように暖かい出迎えにはこころ和む思...光りと影のツイン

  • 旅吟句のなかでの赤尾兜子の意識

    一筋の水をのこして夏流る庸晃晩夏光敷き詰め水面黄金比庸晃流れる水になんとも言いしれぬ感情をこめて見るようになったのは何時頃からであったのだろうかと思う。時々の変化によって見とれている私を別に不思議とも思えない日であった。今年はゲリラ豪雨とも呼称する雨によって大変な被害がこの夏を苦しめた。…ここ武庫川の下流は少々の雨量ではこの豊饒とも言えるものにはならない。私はここに常駐する水禽を見てはそれぞれの楽しみ方をする。ひとりぼっちの鵜、集団の中にいながら自分だけ目立とうとするカイツブリ、大空を舞いながら水面を伺い水中に嘴より飛び込むアジサシ、見ていて楽しむには充分である。嫌なことが頭の中に滞積してぬぐいきれないとき、何時もここに来て心を癒す。このことはもう二年になる。時に晩夏の頃は特別。暮れかけてゆく少し前の水面...旅吟句のなかでの赤尾兜子の意識

  • 俳句とは一生を句にこめる闘い

    みずかきになれぬ指入る薄氷庸晃見渡す限りの水面に冬鳥たちは快く楽しくその冬の一瞬を遊んでいるのかにも思える午後の武庫川であった。だが、朝の気温がマイナス1.5度。早朝の武庫川の風景が見たく何時しか歩みはじめていた。風は北から南へと吹きつけ身体は深深として耳や目に浸み込んでくのだが、私はしっかりと只今を見て鳥たちの動きを心に刻んでいた。目を遠くより近景に向けるとそこにはきびしい現実があった。川岸の部分は流れが全くなく一面の白。凍っていて光っているのだ。あっと驚き目を瞑ったときだった、そこには脚が氷の中にあり、身動き出来ない鳥の姿があったのだ。じっとしていて不動の姿勢にはなんとも言えぬ我慢が鳥自身にも存在していて、私への啓発のようにも思えてくるともう私には我慢どころではなかった。…鳥には水掻きと言う本来の道具...俳句とは一生を句にこめる闘い

  • 俳句は人間そのものの深さを知ることが出来る

    堀節誉句集「渋」を読む。俳句はたった一行の縦書きの言語、その言語から俳句は人間そのものの深さを知ることが出来るものになるとは…。私は句集「渋」に深く感激しています。節誉さんは「歯車」所属。…一句を仕上げるのに俳人は自己表現に苦心苦労するものなのですが、その苦心苦労を素直に受取り素直に表現されていますよね。自分に向かって素直にはなかなかなれないものなのですが、その素晴らしさが句に向かってゆくことの正直さでもあります。一句の持つ心の重さなのだとも思います。またこの心の重さは緊張感、緊迫感を読者に受け取らせて句の本物感にもなります。その素直さは一句の中心となり、人間を優しく暖かく包み込みます。つまり堀節誉さんの句を読み終るそのとき、読者は心が温まり心は優しく素直になれるのだと私は思います。…私がそのように思った...俳句は人間そのものの深さを知ることが出来る

  • 俳句の青春性を開いたパイオニア俳人荒池利治

    梅雨夕べ弓姿(なり)橋に灯のめざめ庸晃(2008年7月10日記述)一日中家にこもるのにはそれなりの理由があってのことだったが、あんまり考え事をしていると疲れるよりも腹が立つほどイライラが。…これが雨季の一つの現象であり人間を壊してしまうほど長い時間でもあった。天窓に音する雨の響きにソプラノやらテノールがあり、やがては太鼓にも匹敵する音が響いてくるともうじっとしてはおられなかった。雨が小降りになるのを待って家を出る。…ああ!あの弓なり橋に灯が入るのを見よう。私は何時の間にか武庫川大橋へと向かって歩みだしていた。国道2号線の尼崎市と西宮市との市境はこの橋の真ん中にある。ここは大阪と神戸を結ぶ幹線道路であり24時間ひっきりなしに大型車が行き来する。騒音とCO2の排気にさらされている。その下を流れているのが武庫川...俳句の青春性を開いたパイオニア俳人荒池利治

  • 現実をシニカルに抽象する俳人攝津幸彦

    発光の発信つづく森や梅雨庸晃(2008年6月22日記述)海沿いに電車は走っていた。ただ走るにあわせて海は眼前に曇りのときの暗さを増して私の視線の彼方にある。ここは大阪湾ではあるが須磨沖の海である。船舶の行き来の激しい場所。時にこの時期は霧などが発生して危険の場所を白色の貨物船が通過してゆく。私は何時も、この海を見ては通勤するのだが、この時期は、ここJR須磨駅を過ぎると海ではなくて、この反対側にある山側に眼を転じることを繰り返す。じっくりとした私の眼前に美しい森の姿があるからでる。見ることにより疲れた心の回復がもたらされることを充分に知りえているからであった。それはこの梅雨時期が一番美麗であり、その情緒は他では得られないものなのだ。…須磨浦公園。いまここは櫻若葉が青葉に変わろうとしていろんな美しさの色を発色...現実をシニカルに抽象する俳人攝津幸彦

  • 一句の成立に欠かせないものとは何?

    言葉は充分に機能しているのか…を問う。先日のことであるが夢の中でのこと。私は必死で句を作っていた。作っていたといっても正常な私の思考ではない。戸惑いながらの心の続く時間であった。何に戸惑っていたのかといえばその一句、どう纏めても俳句にはならないのである。何故か戸惑ったままの夢の中での俳句。そのまま目が覚め、やっと私が苦しみの中から解放されたのである。数日、夢の中での俳句作りのことが脳中にあった。…そしてそのことが理解できたのは一週間ほどしてからであった。何かと言えばそのとき思いついた俳句言葉について、その言葉がその俳句にとって必要であるのかどうか、言葉として充分な機能を果たしているのかどうかであった。そこでこの俳句言葉としての機能について考察しようと思った私である。言葉とは本来は物事の伝達のための具体的な...一句の成立に欠かせないものとは何?

  • 寂寥感こそ俳人桂信子独特の味の情感

    凩の頭上ゆくとき直立す庸晃(2008年11月19日記述)首の部分より入り込み冷えてゆく風は身体の大部分を通り抜けては歩く足を止める。18日近畿に木枯らし1号が吹いたと発表。神戸の瞬間最大風速15.8メートル。午後1時40分のことである。霜月のこの時期にしては30年ぶりのことであるとか。大半がまだコートなどの準備が出来ていない歩行者であった。私は仕事で施設の巡回中であった。看板類の吹き飛ぶ状態の中で必死に立っていた。頭上を抜け更にその先へと急ぐ凩。突然の寒さに身体が直立した。その先で見る駅へと急ぐ人の姿に眼を向けると人々は誰も走っている。後ろからの風に押されて走る姿なのかもしれなかった。…ただ、私は寒さで身が固くなり直立。突っ立ていた。時が経て施設ビルの14階へ。まだ施設の巡回中である。ここより見る神戸市垂...寂寥感こそ俳人桂信子独特の味の情感

  • 俳句現代派の文体…考察

    この文章は平成1年「青玄」421号2月号に掲載されたものを採録。・俳句作りのための俳句ではない文明とは、文化とはいったい何なのか?考えれば考えるほど生活そのものが、つまらなく思われてくるときがある。現実生活のなかにおける堕落度は文明や文化へも影響を与え、すべての人間をだらしなくさせているのだ。生きるための工夫もいらず、すぐ近くのものを利用してしまう生活は人間にとって文明を遅らせる結果にもなった。同じように俳句における工夫や苦心ともいえる研究もなくなってきている。ただ単に俳句作りの俳句になって単一化してきているように思えてならない。例えば句会の席での最高点句といわれる類のものである。考慮すべきは出句者も、選をする側ももっときびしい目と心であたらなければならないということだ。きびしさが薄らいだのは物が豊富にな...俳句現代派の文体…考察

  • 妥協を許さない純粋な俳句精神俳人室生幸太郎

    「暁」発刊冬に赤標置く表紙庸晃(2007年2月2日記述)刺激的と言えばこれほど驚嘆に感じたことはこれまでにないと思ったことに「暁」の創刊号がある。非常に象徴的な抽象形を紙面の左端に細長く縦に置く意味は何なのか。これからの俳句誌の進み方のようなものを感じるのだが、これはこの誌の代表でもある室生幸太郎氏のもっと具体的に対象へ切り込んでゆく俳句感とは些かかけ離れているような不思議な印象を受けるのだ。こんな曖昧なことは決して許さないのが私の知っている幸太郎氏であった。その厳しさは過去の俳句表現にはいくらも見られたことでもある。例えたかが表紙であるとは言えその創刊号の表紙は幸太郎氏の考えではないようにも思われる。…そんなことを思いながら室生幸太郎という俳人のイメージは私の脳裏に強烈に焼きついて離れない。いつでも妥協...妥協を許さない純粋な俳句精神俳人室生幸太郎

  • 俳句には視覚言語がある……

    一般にいうところの言語の問題を考えるとき、言語そのもののもつ意味としての高まりは本来の人間としての形がある筈であった。人間の原始言語にも等しいかに見られている自然言語は、われわれの生活そのものであった筈だ。鳥や獣の動作、鳴き声にさえも生活があるように、自然の中においての生活の自由さははるかなる陽のイメージであった。人類最古の言語と言われるヘブライ語といえども、これらは人間本来あるべき言語ではないのだ。われわれは今、お互いが客観を意識し、その枡の中で呼気しているものでもなく、幾何学的なアルファーの中で生活しているものでもない。言語的に考えればこの中間的な存在の中で生活している。人類本来の言葉はパラケルス流にいえば自然言語あるいは天成語で空に囀る小鳥や森に鳴く獣の言葉のようなものであった。言語そのものを幻想と...俳句には視覚言語がある……

  • 神戸新聞文芸俳句入選作品 (2016年)

    2016年の神戸新聞文芸俳句2月・4月・5月・7月・8月の入選句を紹介させていただきます。児島庸晃★2月入選句(2016年2月17日朝刊掲載)勝ち馬の鬣立てる寒風へ★4月入選句(2016年4月13日朝刊掲載)目に入れて〇実景は春の月★5月入選句(2016年5月26日朝刊掲載)南風貰ってパントマイムの木★7月入選句(2016年7月12日朝刊掲載)更衣ひっそりくぼむぼくのへそ★8月入選句(2016年8月1日朝刊掲載)微笑みて母の日の皺包みこむ句を書く事の喜びは、その句の思いがこころのままに表現出来たときの達成感である。物をよく見る事の心をもっと磨かねばならない。神戸新聞文芸俳句入選作品(2016年)

  • 神戸新聞文芸川柳部門入選作品(2021年)

    2021年神戸新聞文芸川柳1月・4月・6月入選句紹介させて頂きます。児島庸晃★1月入選句(2021年1月4日朝刊掲載)題…「脱ぐ」特選蛇口より脱皮始まる水ぞ今朝選者…矢上桐子さんの評は次の文章でした。「評」“蛇”口の脱皮かと思えば、脱皮しているのはどうやら水。透きとおる蛇ではないですか…あふれ出る水に生命力を感じられたのでしょう。「脱皮始まる」の臨場感。「水ぞ今朝」とたたみかける勢いに、作者の感動が伝わってきます。水にいのちを吹き込んだ作者の感性も、脱皮したかのようなみずみずしさです。あふれ出る水のイメージとことばのスピード感もマッチして、一句にうるおいが満ちています。★4月入選句(2021年4月26日朝刊掲載題…「夕」手を櫂にまだまだ歩く春夕べ★6月入選句(2021年6月16日朝刊掲載題…「駅」特選♭(...神戸新聞文芸川柳部門入選作品(2021年)

  • 伊丹三樹彦句碑を訪ねて…

    端枝に紅と白との梅しぐれ庸晃白梅へ杖の音してのぼり坂庸晃梅林の色も薫りも風運ぶ庸晃この文章は2008年3月7日の記述です。今日は早朝より梅を見に綾部山梅林に行って来ました。兵庫県龍野市の瀬戸内海側にある二万本の梅林です。主に梅酒や梅干用に昭和43年12月に植栽されたもので本来は観賞用ではありません。ですが、大きい花のピンクや白、小さい花の白やピンク、真っ赤なもの、青みががった白、黄色がかった白と多彩でした。ここには歌碑や詩碑、それに句碑と目を見張るものばかり。実はわが師でもある伊丹三樹彦の句碑を写真に収めるのが目的でした。頂上にある三樹彦句碑には二句が作者の自筆でありました。そぞろ歩は善相ばかり梅の花杖つくもよしどこまでも梅薫る作者中年期のもので、この地での嘱目句です。自己主張の最も普遍化された私性の強く...伊丹三樹彦句碑を訪ねて…

  • 意識の世界と現実の間を入ったり出たり俳人小泉八重子

    鵜は空へ欠伸ひとつの首伸びる庸晃(2007年9月5日記述)二級河川武庫川は西宮市と尼崎市の真ん中を流れる川である。この上を通る国道2号線にかかる武庫川大橋は大正ロマンを残す橋の様相を示し心を癒してくれる。橋はアーチ橋であり照明はランプの情緒。だが騒音は酷く大型長距離トラックの通過は頻繁である。この大正ロマンの橋と現代を象徴するトラックの矛盾は24時間変わることはないのだ。そしてこの橋の下を流れるのが武庫川である。ここには季節の鳥が棲みその潤いは多くの人々を慰めてくれる。…私はそこに鵜の姿を見たとき勇気付けられることしばしば。終日立っているのだが空へ首を長く伸ばし動くことはないのだ。微動だにしないその姿に忍耐を見る。それでもよく見ると怠け鳥もいて忍耐に耐えきれず欠伸をする姿もあり、これには私も人間同様の親近...意識の世界と現実の間を入ったり出たり俳人小泉八重子

  • 人生に躓き悩んだ20代後半私を励ました俳人阿部完市

     雨やんで青葉の上の艶の粒庸晃JR神戸線を三宮、元町、神戸と西へ西へと進むにしたがって左右は山と海ばかりになる。丁度山と海の間を電車は走る。海側をJR、山側を山陽電車が並んで走る。その両側に海と山の自然が私の心を慰め鎮めてくれる。…そんな毎日の通勤は四季を通じて楽しい。今のこの時期依然として咳は出っ放しで回復の望みはない。でも自然は正直であり辛かったり堪えられないときは症状を表にだす。どうしようもない時は死を選び枯れつくすし、すこしでも疲れればその樹木の至るところでこの艶をなくしてしまう。いま電車で走りながら見える須磨浦公園は緑より青葉にかわろうとしているのだ。いまの梅雨時期の光景は青葉の全てを雨がぬらして光を発し、見事な光沢を生む。人々にとってはうっとおしい気持ちを味わうのかもしれないが自然の中にいると...人生に躓き悩んだ20代後半私を励ました俳人阿部完市

  • 我が母のメモリアル

    私の母は102歳で天寿を全うしたのであるが、戦後の物資不足の時代の貧困と闘って生きてきた人であった。80歳を過ぎた頃より認知症になり施設暮らしであった。私は時々施設を訪問。近辺の散策へ連れて出ることを繰り返していた。そんなある日の記録が下記の私の詠んだ短歌である。囀りの言葉拾いに野へ母と母百二歳一歩二歩三歩上記の短歌は神戸新聞文芸・短歌部門の特選。2013年3月5日の朝刊に掲載されものでした。選者…尾崎まゆみ…さんの特選評を掲載いたします。〔評〕囀りは、しきりに鳥が鳴くこと。特に春の繁殖期の雄鳥の声を指すので、俳句では春の季語だという。母と、鳥の囀りが聞こえてくるのを楽しみに、散歩しているのだろう。長い冬の後にくる春は、何かが変わりそうな気がして、待ち遠しい。そんな希望に満ち溢れた春を、花の蕾ではなく、囀...我が母のメモリアル

  • 神戸新聞文芸短歌入選歌 (2018年)

    2018年の神戸新聞文芸短歌9月・10月・11月・12月入選歌を紹介させていただきます児島庸晃★9月入選歌(2018年9月17日朝刊掲載) 白扇をひろうにすこし母縮む昭和平成まだまだ生きる★10月入選歌(2018年10月22日朝刊掲載)その命自爆承知の蝉時雨この世へソプラノ発声中★11月入選歌(2018年11月26日朝刊掲載微笑みの顔ぞ人生楽しいか母百二歳口に紅する★12月入選歌(2018年12月3日朝刊掲載ひだりみぎ右へ→そこは秋こころ私語する風たちばかり目視から把握への過程で、感受したものが理屈にならないように試行錯誤したのであるが、やはり理屈になる。どうすれば感覚が素直になれるのか。迷いつつの過程途中の短歌であった。神戸新聞文芸短歌入選歌(2018年)

  • 心のこもった情感は何時も素朴

     水鏡鈴木石夫の忌のために庸晃(2007年6月10日記述)昨夜来の雷鳴そして強烈な雨とここ何日かは大変な天気ではあった。梅雨ではなくてマイナス15度の冷気が上空にあるとはなんとも不思議な6月ではある。紫陽花が咲きかけたその美しい色香に酔っているどころではない。天空からは雹がかたまりとなって降って来るとは思いも及ばない毎日であった。私はその雨と雨の寸暇を利用して近くの田圃を見に出かけてみた。こんな都会の真ん中にも田圃はあり子供達はバケツや網を持って生き物を追っかけまわしているのだ。まだ田植えとはならない水田だがそこには鮒や鯉の稚魚が固まっていたり蟹等は子供に遊ばれているようで意外と喜んでいるのは蟹自身かもしれないとも思う。自然の美しさや楽しさは結構身近なところにもあり私は子供達と数時間遊び愉快な時間の虜にな...心のこもった情感は何時も素朴

  • 俳句の心それは何時も純粋

     見ておれば純度濃くなる寒の水庸晃(2007年1月18日記述)1月17日は朝から雨である。阪神大震災から13年目を迎えるこの日私はJR三宮駅を通過勤務地の垂水駅へ向かっていた。車窓には雨が降りかかり粒をなして流れる。沢山の雨ではないがやはりそれは寒の水には変わりはないのだ。追悼の行われている神戸市役所横の東遊園地公園へ顔を向け追悼。当時を回想する。人々が絆で結ばれ合い助けあったあの頃の純粋さは何処へいったのだろうと回想していた。もはや人間の心を失ったかの昨今の索漠とし事件ばかり。雨の流れる車窓にその純粋さを求めていた。よく見れば殆どは汚れの混じった水滴だが中には透き通った水滴もある。この僅かの純粋に救いを求めねばならないほど私自身も汚れているのかもしれない。もう純粋を求める若き日のその心はないのか。再び問...俳句の心それは何時も純粋

  • 神戸新聞文芸俳句入選句(2013年)

    2013年の神戸新聞文芸俳句1月・2月・5月・9月・11月の入選句を紹介させていただきます。児島庸晃★1月入選句(2013年1月21日朝刊掲載)惑星に水あり芒の花五本★2月特選句(2013年2月25日朝刊掲載)寒月夜惑星の水買いにゆく(以下は選者特選句評です)寒月の煌々と照らす夜道を水を買いにゆく。コンビニに?それとも自販機に?それ自体は日常の風景。それを「惑星の」と措くことですこしSF的な要素が加わった。水の惑星、とは地球のことだが、遠い銀河系のどこかにおなじような水の惑星があって、やはりそこでも誰かが水を買いに行っているかも。あるいは火星や土星では地球産の水は貴重品で良質、と実は高価なものなのかも。水を買う行為を諧謔とするとつまらなくなる。(選者…わたなべじゅんこ…さん評)★5月入選句(2013年5月...神戸新聞文芸俳句入選句(2013年)

  • 現代俳句のパイオニア俳人伊丹三樹彦

    梅雨最中海の彼方が明るくて庸晃(2006年7月7日記述)妙な気持ちが私を急きたてていた。何故か朝からいらいらとして落ち着けないのだ。このところ仕事や家のことで疲れきっていた。…こんなときは家を脱出。私自身の自由な時間を求めて歩くことになる。その場所が武庫川河畔の散策なのだ。武庫川を下流へと歩くとその河口は大阪湾に出る。この河口部分には川の魚と海の魚の共存がある。そしてその先には大きく開けた海原があり、その先は明るく盛り上がる未来が見えているかの望みを感じさせてくれる。その未来を見ていると現在へ繋がる私の原点がそこにあった。昭和43年7月2日…この日ぼくは重大な決意をした。「青玄」伊丹三樹彦主幹と出会って以来はじめての体験だった。主幹の俳句に対する心意気と、真髄に接し弟子になろうと思ったのがこの日である。こ...現代俳句のパイオニア俳人伊丹三樹彦

  • 今日は震災忌…あれこれ私の思うこと

    あれから28年、私たちの生活は、そのことの意義や意味をどれだけの人々が今も共有しているであろうか。必死に生きてきた、生き抜いてきた人々。私もその一人だが、現実の社会は何の進歩もしていない。人間らしい行動は少しも良くなってはいない。28年前の震災当日の凄まじい人間の行動を思い出す。…震災当日、壊れた商業ビルの店舗より商品を盗み出す人々。いまも私の目の中にくっきりと存在。また壊れた高速道路から、まさに落ちかけようとする車によじ登り、その息絶えた人の服から財布を抜き取る光景。このような光景は数日続く毎日。だがこのような情景はマスコミでは報道されてはいなかった。そのような中で壊れた建物のなかではお互いを助け合うように励ます姿の優しさもあった。いま若者の中にあるパーパス(存在意義)やメタバース(三次元の仮想空間)が...今日は震災忌…あれこれ私の思うこと

  • 阪神淡路大震災忌に思う

     震災告ぐこころをこめて神戸発庸晃寒の真っ最中とは言えとても寒さの強い朝であった。手は悴み首のまわりは冷気に犯され頑なに重い頭を感じる朝であった。…あの時もそうだった。顔がひきつり口も開けないほどの強張りに緊張感が重なって脚も震えていた。1.17…この言葉が頭中にあった。もう28年忌にもなるのにあのときの記憶は新しいのだ。それだけ刺激の連鎖の毎年であったように思う。生きてきた記憶のままに毎年迎える心のありようは人それぞれあるであろうが、私にとっては以前に神戸新聞入選になった小説の世界である。殆どドキュメンタリーである。そこで得たものは人間の醜さと、それを越える暖かさであった。人は極限状態になったとき如何なる行動をとるのか、このことがテーマであった。このブログでも紹介し全文を載せた。なんとも言えない新たな感...阪神淡路大震災忌に思う

  • 阪神淡路大震災より28年私のドキュメント小説

    朝から明日が阪神淡路大震災より28年になることを報道。当時を振り返り、その悲惨と闘った人々の記録が如何に人間の強さで保たれていたかを知らせている。私も当時を体験したひとりとして、その本質をドキュメントとして小説にしました。神戸新聞1ページ全面に掲載されたもので読んいただけれとの思いで再掲載させていただきます。2003年神戸新聞小説部門入選作品をここに掲載いたします。(2003年2月17日朝刊掲載)阪神淡路大震災より28年私のドキュメント小説

  • 心の在り場所を求める俳人…杉本青三郎

    この度現代俳句協会より上梓された杉本青三郎さんは、現在「歯車」「豈」で活躍されている注目の俳人です。1958年生まれ。高校一年の頃より作られいたのですが、この間5年ほどの句作中断期間があり、この度第一句集上梓へとなったものです。句を書き続ける事の大切さが、こんなにも日日の心の整理であることなのだと知る事になるのだとは…青三郎さんの句集を開くまでは思ってもいませんでした。日日の記憶の中に目視される現実の光景は心の中に凄い記憶と記録を伴って展開される凄さになっていまね。それぞれの句を、じっくりと読み尽くしていると、現実の光景が目を通して得た現実…ネガティブが心に取り入れられた時点ではポジティブ…に変革されているからなのですね。それは所謂、青三郎さんの理想世界を表現する事だったようにも思えます。第一章から第六章...心の在り場所を求める俳人…杉本青三郎

  • 作者の意思を伝えるためには工夫が要る

    句会の席で…よく聞く言葉がある。披講の時間がきて最高点句が発表されると、その句についての合評で、問題視されるのが、伝達性の有無である。伝達性は知識や体験、それに句そのものの表現方法によって鑑賞の相違を生むものだが、はっきりしていることは、言葉だけでは作者以外の人に分からせるように思って作っても伝達は出来ていないということなのである。私が、俳句の伝達性について検証をしておかなければならないと思ったのは、「歯車」355号の…短い手紙…に書かれていた栗林浩さんの次の言葉であった。「私の検証⑪」を楽しく読ませて頂きました。やはり俳句の作り手に「感動」が必要なのでしょうね。感動して作った句があまり成功しない私なので疑問を持っています。大切なのは作者の感動よりも読者が十七文字から作者の思っていた感動以上のものを新たに...作者の意思を伝えるためには工夫が要る

  • 俳句は意味で作ってはならない

    目視して物を受け取る時、その感覚は意味で受け取っているのではなかろうか、と思う時がある。それらは頭で判断していると思われているのだろう。だが、実際は情感で物を見ているのである。俳句が意味の句の表現になってしまうのは、その意味が頭の中に残ってしまっているからである。俳句は情感の支えがしっかりしていなければ、ただの言葉でしかなくなる。俳句は意味で作ってはならないのである。…俳句が説明になっしまう理由でもある。鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし三橋鷹女句集「白骨」昭和27年より。鷹女の個性が最もよく出た句なのではあるが、心理表現の極みが言葉に惑わされているのではないだろうかと言うのが私の不満なのである。…と言うのはこの言葉「愛は奪うべし」が説明語になってしまっているのではないかと思ってしまう。わかりやすく言えば意味にな...俳句は意味で作ってはならない

  • 生と死の世界を必死に描ききろうとした俳人…桂信子

    曙やこころ在るかに梅の花庸晃(2010年2月2日記述)庭の隅っこに置いてひそかに花の咲くのを待っていたのだが、遂に梅は死に絶えていたのだろうか。枝の状態からはその様にも見えていなかったのだが。やはり期待してそのときを待っていた私の方に勝手な心があったのだろうと思う。去年よりかなりの心尽くしをしていたつもりなのだが、私に至らぬ無駄な部分があり、その枝に花はつかなかった。私の心がつたわらなかったのだ。その昔植物にも心が存在するのだと知ったことがある。心霊研究家として知られている工学博士の橋本健氏の話である。ウソ発見機技術学校での話。感情の変化による微妙な皮膚反応をグラフ上に記録するものだが、或る日自室のサボテンに火をつけてやろうと考えただけでウソ発見機の針が激しく跳ね上がったのだ。サボテンには感情があり、人の...生と死の世界を必死に描ききろうとした俳人…桂信子

  • 俳句へ賭ける情熱とその本心…俳人大久保史彦

    木の芽時死んだふりする気か立ち木庸晃(2008年4月11日記述)季節はやや寒むの春を進行中だが心の中では、なかなか春らしくならない毎日の中に世相までが冷え冷えとして高齢者にとっては嫌な4月になってしまった。介護保険、後期高齢者医療、日常品の値上げと全く暗いイメージの春なのである。人々は何に生きがいを見出して生きてゆこうとしてしているのか。ただ単に生きているに過ぎない日々に私たちは失望の心を繰り返して生きて行かねばならないのか。…ふと、そんなことを思いつつ、朝夕家の玄関を出入りしていて私を勇気付けくれるものがある。実は今住んでいるこの地に引っ越してきて2年を経たが、その時持参した山椒の鉢植え樹がいま芽を出し始めているのだ。いったんはもう死に果ててしまったと思っていた立ち木に過ぎない姿にあきらめていたのだが。...俳句へ賭ける情熱とその本心…俳人大久保史彦

  • ワッペン化してきた俳句や俳論

     この文章は昭和63年「青玄」417号掲載のものを採録しました。春から夏にかけて胸にワッペンをつけるのが流行のようである。ひまわりやあじさいやいろんな花の形が、人の眼をひきつけているようだが、誰もが同じことをすると個性がなくなるばかりではなく、それを見るのもいやになってしまう。これらはいまの日本の最先端にあるファッションのようであるが、このことは俳句界においても同じ、俳句に関するエッセイや、最新の奇異とも思える俳句が一般の文芸誌や週刊誌にまで出るようになった。このことが良いことなのか悪いことなのか考えてしまう。マスコミによって一方的に伝えられてくるものが、ただ良いことだと解釈しがちなのも事実なのである。すこしばかりしか判断力をもたない俳句実作者に、あたかもこれが本当で、真実なのだと教えられるのも困ったもの...ワッペン化してきた俳句や俳論

  • 俳句を面白くする心を動かす仕掛学

    その句を読者に呼びかけても受け入れてくれない人へ。俳句は面白くなければ…と言ったのは俳人としての鈴木石夫であった。この言葉が私の脳中に、未だに残っていて、時々思考する日々の私である。いま俳句はいろんな思考が氾濫していて行き場を失っている。俳句の方向性が見えてはいない。それだけに俳句そのものが多様性を求めてきていたのかもしれない。その結果はわけのわからない方向へ流れて形式だけが残っているかにも思える。やはり、突き詰めると…俳句は面白くなければ…と思う私の毎日がある。人間の心の在りようは、日々を楽しく豊かに生きている実感が暮らしの中になければならないのではなかろうか。その生活実感の感じられる俳句が、如何に楽しく味のあるものであろうかとも思う。面白さと言っても人間の生活実感がなければ、それは単純に面白みのふくむ...俳句を面白くする心を動かす仕掛学

  • …柿畑文生句集『亜流』俳句考…

    短詩形文学の魅力は何なのだろうとずーっと思考してもう五十年が過ぎる。その私の俳句人生よりも更に長年の含蓄を積み重ねてきたのが柿畑文生さんである。そんな柿畑さんから届いたのが句集『亜流』であった。そこには生きていること否生きてゆくことの大切さが俳句の味としてあった。存分に私を暖かくして全てを包み込んでいた。心を豊かにするのに俳句に勝るものはないのではないかと思えるようになっている私の時間があった。句集上梓、心よりおめでとう。よくここまで頑張ってこられましたね。思えば柿畑さんも私も俳句を始めたのは高校生であった。何に魅かれ俳句を始めたのだろうと思う。ひとことで言ってしまえば鈴木石夫先生の俳句人としての、或いは指導者としての魅力であったように思う。若者を一つの形にはめこまない心が、当時、形式に捉われる風習の中に...…柿畑文生句集『亜流』俳句考…

  • 俳句の言葉…に関するメモリアル

    ●俳句は言葉選び…発想●俳句は言葉作り…構成●俳句は言葉並べ…アレンジ上記の三つの思考が私の俳句に関するメモリアルである。児島庸晃●俳句は言葉選び…俳句は言葉遊びであることを、主張しだしたのは坪内稔典であったが、まだ彼が「青玄」にいた頃から私とはよく討論をした。当時、「青玄」発行所近くの文化住宅の二階に「青玄クラブ」がありここでの夜を徹しての激論をすることがあった。そのときの一つが「俳句は言葉遊びである」論であった。ここには山内進(のちに「草苑」に同人参加し侘助と改名)や坂口芙民子(のちに「日時計」発行人)ともども激論になることあったが、その時の私の感触は、彼の言葉としては、少々説明不足があったようだ。本当の意味は言葉選びではないかとも思う。言葉選びをする時に自由に物事に拘らないで遊ぶような感覚で言葉を選...俳句の言葉…に関するメモリアル

  • 俳句を社会的ヒューマンとして捉えた俳人…室生幸太郎

    早早と日はまた昇る昭和の日庸晃(2008年4月24日記述)昭和の日…そう思うだけで泪が出る人もいるのではないかと私は思う。すぐに戦中戦後を思い出してしまうほど昭和と言うことばのイメージは重く暗い。天皇誕生日が転じての昭和の日ではあるが私の戦中戦後は終戦の玉音放送を告げるラジオに母たちが顔を向け泣いていた思い出につながるのだ。終戦を迎えたとき私は4歳と6ヶ月。それより先の九州より四国への疎開へとつながる。途上船上にあって米軍の集中爆撃にあい撃沈される船を見ながらの疎開であった。この様子は以前にブログで書いた。陸地の逃走においても機銃掃射の真下にいた。爆撃される音がやんだとき顔を上げると人々の身体から血が吹き上がっていた。しばらく恐怖で震えが止まらなかった。…そんなことを思いながら朝早く起き武庫川の河川敷を歩...俳句を社会的ヒューマンとして捉えた俳人…室生幸太郎

  • 俳句表現にはアナログとデジタルがある

    花野にもデジタル刻む死の置かる庸晃(2006年11月14日記述)花野は秋の季語である。…そう思いつつ歩いていたら花野の風景にぶっつかったていた。見ていると「花」と「花野」は区別されるものとの認識を得た。「花」は派手やかな潤いが漂い楽しいが「花野」に「野」がつくだけでただ広い視野の中における「花」は淋しい香りが匂う。秋の雰囲気をもって漂っているのかも。見ていると益々淋しくなるばかりである。「花野」にも時間はある。きらめいているかと思えば陰りを濃くする時間。生きたり死んだり。私は時計を見ていてふと思うことがある。世の出来事が走馬灯のように移り変わってゆくとき人間の感情はとどまることもなく、刻一刻の出来事へと進んでしまう。これは忙しいということでもなく、世の移り変わりが速いということでもないのだ。人間の心中にあ...俳句表現にはアナログとデジタルがある

  • その句には作ろうと思った『何故』がある

    令和元年9月22日午後6時、私は阪急電車伊丹駅にいた。夕べの光がやや弱くなりかけるのを顔に受けながら東南方向へ向かって歩く。私の俳句初学時代の恩師の通夜の会場へ向かって歩く。その俳人は伊丹三樹彦。不幸な幼少期をバネに現実社会と必死に闘い生き抜いてきた現代俳人であった。継母と言う現実を背負いながら自らも俳句の現代化へと果敢に挑み、伝統俳人たちの俳句論をも跳ね返し、どんなときでも自分自身を信じ新鮮な句を切り開いてきた99年であった。…その時、棺の中の三樹彦顔を見て私はびっくり。その顔とは微笑んでいるようにも私には思える。俳句に一生を尽くし終わった安堵があったのかも。なんとも言えない暖かな心が私にも生まれていた。私の多くの思い出の中で、特に記憶にあるのは古本屋の店主としての日々のころである。私の17歳から22歳...その句には作ろうと思った『何故』がある

  • 詩 的 言 語 に つ い て

    この文章は『草苑」第39号昭和48年5月に掲載されたものです。言語による沈黙の意味は大切である。毎日新聞昭和48年8月27日付誌上で、鷹羽狩行氏は俳句の現代化と古典への復帰は両立すべきものであり、無関係ではないことを述べている。このことは俳句がより伝統への詩型に近づきつつあることを示し、伝統のもつ精神的古典性を重んじてきたことを意味している。しかし若者はこの古典性に余り感心を示さなくなって来て、むしろ散文の傾向へ興味を示し始めているのだ。文庫本の売れゆきが活発になり、本屋は多忙だと言う。それに比べて短詩型関係のものは隅のほうの狭いコーナーにまとめられ、なげだされている。また一方では種田山頭火や尾崎放哉の作品が散文の愛読者にも親しまれている事実。このことは俳句が若者に無視されていないということなのだ。それも...詩的言語について

  • 俳句には自個の確認がなされなければ…

    この文章は昭和47年「歯車」9月1日発行105号に掲載されたものを採録いたしました。(児島庸晃)俳句のエネルギーを考えていたとき、いったい俳句は、その魅力の深淵をどこまでひっぱってゆけるものなのかと、一抹のさびしさを感じたことがある。前向きに考えてみても俳句の絶滅はありえるかもしれな。これは所詮俳句のような短い形式のようなものにとっては、読者に、その様子や、ムードを表現するにはほとんどのエネルギーがついやされてしまうからだ。作り手のエネルギーをこめるだけのゆとりが、どれだけ存在するものなのか、という疑問を考えないわけにはいられなかった。芭蕉の過去より、その表現の巧みさ、思想に類する方法の作品は見てきても、それらが人間の生死に、どれほどの力強さを、そして心の豊かさを植えつけただろうか。自然詠のなかにも生活的...俳句には自個の確認がなされなければ…

  • 俳句における目視とは何…

    目で物を視るのではなく心で物を視よ!私自身のことだが、私の俳句を作品と言えるレベルへ高めるのに意識そのものが高まらない時がある。何故だろうと思うことを、これまで何年も繰り返してきていた。…何時の頃からか私自身が試行錯誤を積み重ねてきていたようにも思う。ずーっと思いつめるほど苦しんできた。一体俳句って私にとって何だったんだろう。このことは私以外の俳句作品を見ても感動したり昂揚することはなかった。長い年月を経て理解出来たこと。…やっと私が納得出来たこと。それは私自身の思考に関わることだったと思うようになった。対象物を目視するときに私は私自身の両眼だけで物を見ていたのかもしれない。いま思うのだが、人間は感情と言う情感を豊かにすことが出来る頭脳をもっている。故に対象物を目視するときは、心で受け止め、心で感じる大切...俳句における目視とは何…

  • 自己主張を詩心に問い詰めた句風…俳人

    枯野にて石の点りの目立つ午後庸晃(2008年1月11日記述)何かの不思議な心に惹かれるように歩いていた。そこに遠くより光ってくる輝きに目を奪われるように私はさらに先へと歩を進めていた。通勤の途上、電車より見えていた其処へ何時かは行って見なければと思っていたのだが、平成19年は過ぎてしまい越年し10日も経ってからのことである。JR神戸線塩屋駅を下車、山側に歩くこと5分。あたり一面は斜面の上り坂。そして何もない風景の連なる小山が続くのだ。線路沿いに迫る斜面は脚にかなりの負担をかけながら尚登るそこに光るものはあった。枯れ野原にその存在を主張して石はあったのだ。寒晴れの陽射しはくっきりと照射されていた。石は静かに暖かそうな光に包まれていた。私が電車より見えていたのはこの石だったのか。日々の生活に神経を使い果たし疲...自己主張を詩心に問い詰めた句風…俳人

  • 文芸は社会の中で何ができたのか

    あんな血色のジュース立ち飲む米兵いる庸晃戦後の責任…それはひたすら働くこと。働くことによってのみ幸福になれると信じて生き抜くことが国民に課せられた義務でもあると思った時代。食べるものも着る物もない時代。村人は挙って畑を耕し山へ入り資材の大木を売ることに懸命であった。そんな敗戦の村にGIと呼ばれるアメリカ兵はやって来る。ジープに何人ものパンパンと呼称する女性を乗せ村中を走る。そしてガムを投げてみせる。「へーゆう」と言葉をはき棄てる。幼い私は無性に腹が立ち何回も睨み返していた。誇らしげにトマトジュースを飲むのだ。そのトマトジュースはやたらと血の色に見えていた。戦争に至る過程はいろいろあるにしても昭和5年ごろよりのプロレタりアートの作家たちはひたすら抵抗し続け階級闘争の武器になろうとしていた。ために俳句らしから...文芸は社会の中で何ができたのか

  • 澄みきった心と感覚・抒情に濡れて俳人鈴木 明

    前霞む雨の終日芽もつ葦庸晃(2008年5月14日記述)五月晴れと言う言葉は何処へいったのだろう。連日の朝の寒さや昼の強風にさらされながらの雨の降りしきることの昨今、どう考えても心の落ち着かぬ毎日である。索漠とした毎日の出来事の中に埋没して行く私たち。ニュースの中に流れてくる殺人事件、自殺、天然災害、絶え間なく変化する生活の中に生活必需品の値上げなど生きるに不安なことの多いことよ。…せめてもの心のよりどころとしての人間の暖かさはないものか。今日は天気も回復してなんとか皐月の季節らしくなってきたので、嫌なことは忘れられるように武庫川の河川敷に出向いてみた。水流は豊富にあり、水禽たちも楽しそうにくつろいでいるかにも見える。水温は平年よりもやや低いようであるが、大陸へ帰るのを忘れたかの通し鴨などの番もいて私に楽し...澄みきった心と感覚・抒情に濡れて俳人鈴木明

  • 私の生の証を俳句に託す俳人…桑原三郎

    秋蝶になる日へすすむ虫は藍庸晃(2007年8月28日記述)毎日の炎暑にも関わらず草も木々も元気に日々を過ごしているのには人の手による介護の結果でもあるのだろうと思えるようになったのには理由があった。朝晩その草や木々の疲労の度合いを目で確かめては気配りをしているのは妻の日課にもなっていた。だがその中でも百合は遂に開花することのなきまま背ばかり伸びてしまって枯れてしまった。いくら介護をしても効果はなく気配りを受けて答えてくれることはなかったのだ。いまその気配りを受け答えてくれたのは山椒の木であった。僅かに芽が出て期待を膨らませてくれたのは6月の終わりごろであったか。私の心を楽しませてくれるようになったのは8月のはじめの頃であったように思う。一杯に緑葉が賑わい、やがて青葉に変わった。その頃であった。葉っぱの裏に...私の生の証を俳句に託す俳人…桑原三郎

  • 俳 句 の 表 記 革 命

    ――ワカチガキ考察―― この文章は昭和43年12月1日「歯車」NO78号に掲載された私の文章を採録いたしました。(児島庸晃)●俳句実作者と読者先日「青玄」の19周年全国大会が200人近い参加者を得て神戸で行われたとき、伊丹三樹彦主幹は「私がワカチガキを始めて行ったとき、賛同者は三人しかいなかったが、いまは逆にワカチガキをしない人の方が三人ぐらいになってしまった」とユーモアをまじえて語られた。一週間後、詩を作っている若い仲間が、最近とくにふえているとの情報を聞きこんだ。僕は、さっそくその情報の主と、詩学研究サークルへ。すかさず、詩を作っている仲間たちへのアプローチを試みてみると、俳句は面白くないからという返事が返ってきた。とにかく現代詩の方が面白い存在なのだろう。俳句を作っているものにとってはきわめて不愉快...俳句の表記革命

  • 梅の季に思う…鬱の俳人赤尾兜子

    梅の村ハープ奏での雨になり庸晃(2006年3月12日記述)今日は朝から雨の一日になった。春になる前には雨が多く、そして雨の後には寒くなる。体の調子がガタガタと崩れる。頗る悪い。…こんなとき気分を良くしようと「雨」に目を向けても自分自身を勇気付けてみたくなる。雨に「ハープ」を奏でさせ「梅」を見る。果たして気分は良くなるものか。この鬱のまま…或る俳人を思い出していた。赤尾兜子…或る時期より鬱を抱え込み自死する。毎日新聞の記者でもあった兜子はその定年より鬱になる。大雷雨鬱王と会うあさの夢赤尾兜子昭和49年作。この句の前後の事を知る私にはその所作に怖さを感じていた。「渦」の同人でもあった私は、当時第三イメージ論を持ち出し語る兜子に凄いパワーを感じていた。物には…指示されるものと、指示するものがあり、この両者から導...梅の季に思う…鬱の俳人赤尾兜子

  • 酸素ボンベを引っ張り句会へ…俳人木村光雄

     空蝉の背割れへ風の入る音庸晃(2007年7月19日記述)24時間勤務が終わり施設を出ると突然蝉の鳴き声が耳低へ飛び込んでくる。疲れた神経には些か刺激が強すぎる状況である。一歩一歩踏みしめては駅へ向かう。考えてみれば蝉声を聞かなければ夏は来ないのかもしれないのだ。長い年月をかけて地中での成長をとげてはいるもののじっとあらゆるものに耐えて地上へ這い上がる瞬間を待つ。蝉の執念とも思える生命力を思うとき身の引き締まるような緊張感を蝉の声を聞くたびに感じてしまう。いまはまだ梅雨最中である。樹上まで這い上がった蝉は必死で生きるために鳴くのか。そして三日もすれば骸を道上に投げ出し転がる。いま自宅への帰途の樹の幹には沢山の蝉がしがみついてその日その日をじっと生きているかにも見える。そしてその傍には空蝉の生々しい姿があり...酸素ボンベを引っ張り句会へ…俳人木村光雄

  • 俳句のアドリブ表現とは何なのか

    俳句にとって俳句を書いてゆく行為はアドリブ表現以外にない。感情表現をするとき、感動は、その場、そのとき、思ったままの表現をしなければ二度とそのものずばりの表現はない。生存してゆくための人間生活を続けているかぎり、今日の感動は明日の感度と同じものではないのだ。今日だけの感動である。明日は明日の感動があるだろう。私は必死に思うのだ。生きているよろこびやかなしみをもっともたいせつにしなければならないのは、この純粋感動を出来るだけ長く、出来るだけ強くもちつづけていたいからではなかろうか。生活人としての意識や認識を社会へぶっつけて生きてゆくとき、なんらかの衝撃が起る。起ったときの社会に応じて、ひとびとは自分なりの行動をしてゆくのだが、アドリブは起った行動のなかにあって、いろんなひとたちに意志を示唆する。この示唆行動...俳句のアドリブ表現とは何なのか

  • 俳句における知覚語と観念語の相違

    ずーと昔のことだが、何故、俳句を作るのかと考えたたことがある。まだ私が二十歳の頃だった。そのもやもやは何日も答えの出ないものだった。長い苦悶の日々が続いた。…思い詰めた末の結論が、その頃「歯車」の指導者として大変なご苦労をされていた鈴木石夫先生に直接会って話を伺おうと思ったのである。大晦日の最終夜行汽車に乗り東京へ、その頃活躍していた荒池利治を誘って向かっていたのを今思い出している。東京駅に着いたのは朝の5時過ぎだった。まだ真っ暗の都会に立ち喫茶店を探した。その喫茶店で疲れていたのか熟睡してしまい従業員に起こされた思い出がある。午前10時、当時先生の住んでおられた駒込千駄木町に到着。一月一日元朝だった。玄関で出迎えていただいたのが先生の娘さん(小柚子さん)だった。小学2年生の頃だったと思う。正月早々失礼な...俳句における知覚語と観念語の相違

  • 俳句の三題、それは 愛と 死と 旅と

    筋のごと水をのこして春に入る庸晃(2008年2月8日記述)見渡すところまでの川の尻尾を探して目に緊張感を感じている時間はほんの数秒であった。川の先端を目で追いながらまだまだ先のほうまでも見ようとして目に緊張感を与えていたのだが、そこで視野から川の水はポツリと消えた。その先に至るや水はなかった。涸れ果ててただの石の原っぱに見える。…私は今日、私の少年時代を過ごした思い出の場所を求めてやって来ていたのだった。兵庫県尼崎市園田地区、ここは私の中学時代の思い出の多き場所。この近辺には競馬場があり、また田能遺跡の歴史が存在、南北に走る川、藻川がある。私はこの川へ日々の悩みを棄てに来た。中学二年で愛媛の片田舎から転校してしてきた私は随分といじめにあっていた。ほぼ毎日のように服のボタンはもぎ取られ、ぼろぼろの服を手にぶ...俳句の三題、それは愛と死と旅と

  • わが句の背景(その1)

    考えるための枕辺花かざり庸晃(2007年7月31日記述)「渦」125号の同人作品欄に記載されている作品である。「渦」に同人参加して6年目の作品である。このとき生活にも精神的にも悩み苦しんでいた時期毎日がとても辛く来る日も来る日も思考錯誤の坩堝の繰り返しであった。そんな時期考え事はきまって夜になる。昼間の多忙な時間に振り回されているときはそれなりに過ごしているものの疲れ果てて寝る頃になるとひと日の嫌な記憶が蘇りなかなか寝付かれず考えごとが脳裏に残るのだ。少しは気分を転換しようと枕のそばに花を並べてみる。なんとなく落ちつくかの安らぎを得て睡眠に入る。…こんなことを繰り返した頃のものであった。春は鳥枝の先より日は暮れて庸晃同じく「渦」125号、20代~30代競泳特集への出句作品。当時「渦」では赤尾兜子による第三...わが句の背景(その1)

  • その俳句だが「俳句以前」を大切に…俳人桂信子

    新緑の下で終日口開けむ庸晃(2007年5月19日記述)雨がやむのを待って家を出る。昨夜からの雨は朝になってもやもうとはしなかった。夜になると咳がはげしくて寝入るのには時間を要するのだがいろんなことを考えては気持ちを紛らわしてはいようと頭の中にいっぱいの宿題を作ってみる。すこしはまぎれていていつかは寝てしまう。喘息なんて微妙に環境の変化を受けてしまうのだ。雨が降り出してくる前から天気の崩れはわかるもの。雨の降り止むのを待っていたのだ。午後になり武庫川河川敷に出る。新緑の下でのマイナスイオンを受けようと思っていた。去年もこの新緑よりの風を浴び口を終日開け続けることを2週間ばかりして正常に戻した。新緑には匂いがあり、時々その匂いの風からやわらかな優しさが寄ってくる。その時々に酔いしれては眠ってしまっているときも...その俳句だが「俳句以前」を大切に…俳人桂信子

  • 社会性を個人の方へ私性へと向けた俳人…和田悟朗

    嗚呼海峡東西南北春の霧庸晃(2007年4月4日記述)春というのに濃霧が発生。これはどうなっているのかと思うまもなくこんどは黄砂が飛んでくる。いま日本列島は何が起るかわからぬ恐怖のようなものが私たちを苦しめているのかもしれないのだ。3月になってからインフルエンザの流行と温暖化現象は我々の傍のものまで変えてゆく。本来霧は秋の季語であった。夏から秋へかけての温度の変化の激しいときに起る現象なのだが、先日明石海峡は船舶の航行が出来ぬほどの濃霧の海となった。海峡大橋をすっぽり包む濃霧を私はビルの15階から見る。けたたましい船の警笛が東西南北から聞こえてくる。正にすさまじい海の危険を知った。それでも船舶は目的のためには進まねばならないのだろう。…これと同じ様なことが俳壇でも言えることと思うのには時間を要しなかった。一...社会性を個人の方へ私性へと向けた俳人…和田悟朗

  • 俳句の言葉はこころの言葉…その2

    私の句集「風のあり」から6句ばかり紹介させていただきます。人間を濃ゆく点して花の駅この句は神戸市須磨区にある須磨離宮公園を訪れた時の句である。直接離宮公園を詠んだ句ではない。結婚した長女と待ち合わせして花見を見にゆくことになり、私と妻は家を出る。阪神電車甲子園駅より乗車。山陽電車月見駅で下車。4月も初めごろのこと。駅には、すでに長女は待っていたが、ここより須磨離宮公園までを15分ほど歩くのだ。この駅の周辺には櫻が咲き始めていた。見るとここで待っている長女そのものが別人のように輝いて見える。花の輝きに浮き立つように濃ゆく思える。人間を最も美しく思わせるのは櫻が…そうさせるのだろうと。さくらとは人間を不思議な世界へ導いてくれるものだと。駅で待っていた長女を見ていた。…このときの印象句である。風たちの私語にぎや...俳句の言葉はこころの言葉…その2

  • 青春期のうつろいの中にあるメルヘン詩人…関戸美智子

    落葉かと思う冬蝶一枚降る庸晃(2008年11月11日記述)川の水が一層蒼く見える頃の川は人の心のようにいろんな変化をすると解るまでそこに立っていた私であった。ここは夙川である。兵庫県西宮市のほぼ中央にあるこの川は北は甲陽園の高級住宅地へ、南は大阪湾へと流れている。この川の河淵は春は櫻の名所でもある。二年前この名所の名前を使用して「さくら夙川」と言うJR西日本神戸線の駅が出来たばかりである。私はここに暫く立ち、いま正に紅葉の始まりかけた桜葉に心を奪われていた。その色の微妙な味わいに心惹かれて見とれているのだが、そこにも葉の中にもいろんなものがあり心との葛藤を繰り返すことになっていた。桜葉はオレンジ色の深みを有するもの。ピンク色ではない。銀杏葉のように黄色でもないのだ。日々変化する色の深みはそれなりに一葉一葉...青春期のうつろいの中にあるメルヘン詩人…関戸美智子

  • 一俳人との出会いに人生を変えた俳人…たむらちせい

    夏風の水面ゆっくりシンフォニー庸晃(2007年6月14日記述)今日は朝から雨。やっと入梅との言葉を聞いたのだが何時もよりは一週間遅いのだとのこと。なんともへんな夏へと向かっているのかもしれない。でも風は既に夏の風なのだ。水面を渡る情緒は人の心をくすぐるに向いているほど楽しませてくれている。雨の中、わざわざ雨の中ではあるが渡り鳥の生活が見たくて甲子園鳥獣保護区に出向いてその姿や仕草を観察した。甲子園浜には県の指定による特別地区として鳥たちを守る保護の権利が与えられている。干潟には蟹が生息していて歩くにもそれぞれに趣があり精一杯生きている。死んだ蟹は干からびてはいるがその周りを多くの蟹が囲み大きな爪をいっせいに天に上げゆっくりとまわり、まるで葬式をして弔っているかの不思議な印象を受ける。実に暖かな心とそして自...一俳人との出会いに人生を変えた俳人…たむらちせい

  • その一句の背景を知ったとき…純粋俳人伊丹三樹彦

    飛来して翼ゆたかな鳥に冬庸晃(2008年1月28日記述)微笑は本物の優しさであった。鴎に餌を与えに夫婦で来ると言う。老夫婦は寄ってくる鳥たちに餌を撒いては優しい笑顔を見せていた。この幸せのために生きているのだとも言う。私は頷きながらその言葉に導かれていたのだが、その前方には渡り鳥たちの楽しい粋さがいたるところに見られるのだ。…そう、ここは西宮市甲子園浜の鳥獣保護区で環境省の指定地区なのである。毎年この大寒の時期になると大陸からの渡り鳥が一気にやってきて海面を埋め尽くす。鴫、鷺、鴎、鳰、鷹、そしてノスリ。今日、私はこのノスリを見るためここへ来たのであった。このノスリ、渡り鷹の一種ではあるのだが、なかなか見ることは出来ないとのこと。新聞により、その飛来を知り来たのであった。中国大陸からの飛来でこれまでは見るこ...その一句の背景を知ったとき…純粋俳人伊丹三樹彦

  • あけましておめでとうございます

    初日出て何事もなく平和な日庸晃午前7時初日は東の方向に雲の合間から姿を出す。2007年の日の出である。ダイヤモンドの輝きとまではいかぬも八方に光揮を放つ。明るい1月1日の朝である。私の目の中には一昨日来の新聞報道の写真が残っていた。フセイン絞首刑。何たる思想故の判断とは言え余りにも刺激の強い去年今年であった。独裁者の末路は全てこのようになるのか。イラクを支えるアメリカだって独裁国なのに。…まったく暗い頭のなかで目の前のダイヤモンドサンは何の関わりもないように日本の朝を輝かせている。日本の朝。ともあれ平成19年1月1日の朝の日本は平和である。根の白や1月1日雑木山庸晃この句は1973年ごろの私の作品である。「草苑」の同人時代のもの。西宮市の甲子園地区から見える六甲山の元旦の風景である。今日私は初詣に行く途中...あけましておめでとうございます

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