水平は沖へひらけて大晦日庸晃午前8時40分、今年最後の勤務を終わりJR垂水駅へ。人のまばらなホームのひとりとなる。車内の乗客も十数人。流石に大晦日である。帰路へ。ゆっくりと電車は発車。じっくりと一年のいろんな思いが脳裏をめぐる。否なこと。嬉しいこと。いっぱいいっぱい思えば尽きないのだ。5分ほどで須磨駅。電車は海沿いに走る。風は強いが海は比較的緩やか。沖の方に目を向けると和歌山の島島が浮かぶ。さらに遠くへ心を移すと海は一面の広さを魅せて永遠であるかに私の眼に飛び入る。なんとなく落ち着きのある心を私にくれることに嬉しさがこみ上げてくる。今日は大晦日。沖へ開けてゆく海は水平である。まるで未来へ開ける明日が、そこにあるかに海面は、さらに沖へ、太平洋へ海水はながれてゆく。いまこの光景に40年ほど前の京都・鴨川を東へ...今年のご愛顧ありがとうございました
俳句は連想言葉の集合体である。またパーツ言語の集合体でもある。それぞれのパーツがいくつか組み合わさって完成されているもの。それぞれのパーツを組み合わせるには、それぞれの言葉と言葉のパーツを合わせる接着剤がいる。この接着剤が上手く機能しなけば、俳句は完成品にはならない。接着剤は心である。感覚の基本とも言える心情でもある。では、その心、心情は、どのようにして生み出すのだろうか。生み出すといっても思考の積み重ねによってではない。それらはしっかりと、物を見ていれば、そこに一つのヒントを得ることが出来る。徹底して物を見尽くさねばならない。例えばだが、卓上に置かれた「林檎」を見て、みなさんは何を感じるのだろうか。…その味を感じる人。色を眼に呼びこむ人。その形の特徴を受け入れる人。まだまだいろんな事を思って「林檎」を見...一句の成否を決める連想言葉とは何なのか
脚がバネでも大寒のど真ん中庸晃(2010年4月19日記述)歩きながら冷えは私の耳を狙って通過するのだが大寒の風は切れることもなくどんどん押しかけて心まで凍ることの多い朝は今朝ばかりではなかった。朝5時半、勤務のため家を出る。国道2号線を渡りJR甲子園口駅に着く。口にはマスク、手には厚めの手袋と寒さを封じるのだが今年の大寒は容赦ないのだ。68歳と言う私の年齢ばかりに起因しての凍る心、何しろ凍る思いの通勤である。だがこの寒さにも負けない樹木もあり些か私を喜ばせて嬉しくもなる…寒椿、この燃えるような花の色は私への微笑を投げかけてくれるような表情にも思える。国道の街路樹としては不思議なのだが、なでこんなところに寒椿の樹が在るのかもわからぬが、私には暖かい心をくれている嬉しさである。いま一歩前へと踏み出すエネルギ...結核に侵されながらも心は純粋…俳人新里純男
俳句黙読に関し、その緊張感・臨場感の持続時間は一分間以内である。この間に俳句そのものが理解・もしくは心に受け止めるだけのもの…緊張感・臨場感が得られなければ、その句は選句から除外されるのでは、と最近になって私は思うようになった。このように思考するに至った理由だが、時代に於ける環境の急速な変化がある。時代の流れに沿ってわれわれが順応してゆくのに大変な心配りが考慮されなければならない生活の毎日であるからである。翻って、いまここで伝統俳句より現代俳句へと、俳人の心変わりが増えている原因も、この緊張感・臨場感を思うと理解出来る私になっていた。ここには人間關係への配慮がなされなければ生きてはゆけない心理の彩がある。句の表現においても顕著なまでに心の動きが見えていなければならないのである。心が浄化されていなければ受け...俳句にとっての緊張感・臨場感とは…
もう6月。…そんな事を思っている午後の事。あなたからの句文集「星辰図ゆるやかなれば」が届きました。編集が意外なほど斬新で中永公子さんらしいと思った事実が本物であったからです。いろんな方面で活躍されている事は、「青玄」時代を知る私には再認識することになったからです。多種多芸といっても、その原点が俳句のもつ思考性にあり、感性にあることを思えば、並々ならぬ努力の積み重ねと積極性にあったのだろうと思っています。句文集の上梓、おめでとうございます。貴重なものですのに、贈呈下さり感謝しています。改めて本を開くと、次の句が目に飛び込んできました。戦争ははじまりませんよ手籠にねぎ中永公子懐かしさでいっぱいです。たしか「青玄」人中賞応募の作品ではなかったかと思うのですが、鮮明に記憶していました。とても新鮮です。未だにその時...俳句アーチスト…中永公子さん…句文集
絵ではなく八月六日原子雲庸晃(2007年8月20日記述)その日の夏雲は瘤ではなかった。瘤になろうともしなかった。大きく大きくふくらんでは力を加え漲らせては雲は増えてゆく。だが私はそこに八月六日の雲を見ていた。勤務地の神戸市垂水区の街から見る海の彼方に浮き上がる雲。水平線のそこに盛り上がる雲。私の視線には原子雲にしか見えなかった。私の戦時体験…爆撃の街中を逃げ走り、そしてばたばたと倒れ身を伏す市民の身体から血が吹き上がる鮮烈な姿を5歳時に見た記憶は永久に消えないだろう。この私には原子雲にしか見えなかった理由である。ヒロシマ、その世界にまで名を馳せる原爆投下地。広島市内を流れる七つの川のデルタには未だに怯え叫ぶ市民の声が音叉となっていることがあると言う。原爆ドームの傍に添った夏日にも悲しげにとどろく姿を伝える...八月六日の広島をルポルタアジュした俳人上野敬一
樹樹も初夏ひとつ色して天も地も庸晃(2007年5月22日記述)小満の日も過ぎて朝夕の感覚が人の心を刺激する頃ともなりそれぞれの生活にも潤いが増したかにも思えるようになった。朝は4時半ごろには少しあたりが明るくなり、もう5時半ごろには太陽が東の空に出る。時間の感覚が一気に早くなって街は活気をおびてきた。だが曙は廻りにうすぼんやりとした雰囲気を醸し出しファンタジックな幻想を作り出す。樹も街も海も山も全てを幻想の中に置く。ゆっくりとした時間の中にあらゆるものの全景をほのぼのと置く。この時期の特徴は今の小満の時にこそ味わえるファンタジックなのだと思う。この感覚を会得しようと須磨浦海岸に足を運んだ私であった。暗い世界から徐々にうすぼんやりとあたりの全景が浮かびあがってくる。この雰囲気この感覚…これなんだこれなんだ、...私の俳句の黎明期は85歳の老俳人の句から
葉桜の揺れて上下す老樹だが庸晃(2007年4月27日記述)飛花落花は瞬く間にその激しさを増し桜の春の賑わいは終った。そして人々はその情緒が何であったかを忘れてしまうのだ。あの燃え上がった心の中にとどめた騒がしさは何であったのだろうと思う。久しぶりに今日は武庫川の河川敷を歩いてみた。人々の散々する風景には変りないのだが、そこにある心の中の風景とは些か違っていた。花見をする場所を巡っての競う騒がしさはなかった。極自然な状態で自然を味わっていた。河川公園の傍の桜は新緑の賑わいを漂わせ私を迎えてくれた。そしてそこには優しい風が流れ新緑の揺れる葉音が耳に快く届く。そのシンフォニーを私は母に貰った耳で聞く時を得られたのだ。自然は素晴らしい。葉桜ではあるが風を受けるたびに上下に枝を振る。見ると古木である。幹には傷がいっ...詩的現実を最も大事にした俳人桂信子
時々ではあるが何故俳句を作っているのか、と自問自答している私に吃驚して夢より覚めることがある。夢より解かれて現実の世界に戻っても、しばらくは私を責めている全く別のもう一人の私が居て、思考の続く時間に悩まされることがある。これまでの長い月日に会得した日常のなかに何の不思議も思わないで俳句を作ってきた私であった。だが、ときに俳句を作ることに何の意義があるのだろう、何の価値観があるのだろうと思ってきたことも事実である。生活に追われてきた多忙な日々も必死で専念する俳句であった。…何故、俳句を作るのか。それは私自身になれる、私自身を取り戻せるから、と言う俳人の言葉。なるほどと思う間もなくその人は言う。…生きるのに疲れた時、俳句は癒しの栄養素になります。真剣に物事に集中して、毎日の現実と闘っている俳人の事を思っていた...俳句は…心遊びで心を癒す
俳句を面白くさせることを考えていると、ひとつの思考が私なりに見えてくることがある。十七音と言う言葉の制約は、言葉の扱いにおいて不自由のように思われているが、実は真逆である。本当は想像の翼を広げる自由を鑑賞者に与えているのかもしれない。言葉ほど観念的なものはない。説明的な言葉の思考を、その言葉の主体にすると、観念の丸出しになってしまう。…そのことを考えると、小説的な、或いは散文的な展開は好ましくはないのである。その主体が凝縮された言葉そのものでこそ、十七音のもつ言葉の思考は想像の翼を広げる。言葉は開かれた未知の世界へ旅立つのだと思う。言葉とは意味を正すものではない。不思議な情感を喚起して人々の心へ定着する入口であるのかもしれない。そしてその先への展開は、決まった固定観念ではなく、人それぞれの想像へと、その言...俳句…その構造変化させる面白さ
文学作品に作者の個性を際立たせて表現することを私性の文体と言うのだが俳句にもそれに類する表現スタイルがある。日常の生活状況の中で私を中心とした視点に全てを集約させ物事を捉える感覚作品である。どのような状況下にあっても、私の目と心を通しての表現である。…そこで最も大切になってくるのが、私でしか表現出来ない物を見る心を言葉に変える事である。普段はあまり思考していることはないだろうが、作者独特の感覚言葉が俳句を書く時には必要になってくる。造語の有無が俳句を深みのあるものへと導くのである。造語とは今までに使用されていない言葉を作者が独自に生み出した新語なのだが、それだけに理解しにくい言葉になりやすいのである。俳句だけに限られた言葉ではないので、私たちの身の回りには一杯ある。所謂、流行語と言われるものが、その言葉に...俳句言葉の一つである…造語の成否
私の句集「風のあり」から心に残る句を紹介させていただきます。一枚の鏡の水をあめんぼうこの句は平成20年の4月の終わりごろの句。武庫川の川岸に澱みがあり、生息する小動物を見ていての心の中を擽る動きをとらえたものである。そこでは澱みの水が一面となって1枚の鏡になりきっていました。その上で戸惑いながら生きてゆかねばならない「あめんぼ」の生きている姿に私は心を曇らせていました。そして暖かい心の視線を向けていました。風音の足音に似て5月くる5月の季語…青嵐とか夏嵐とかを使わないで表現しようと思った句である。日々の生活感を臨場感で表現しようと苦心に苦心を重ねてまとまった句。苺だが自爆時刻を待っている神戸観光農園(神戸電鉄二郎駅近くの観光農園)へいちご狩りに娘夫婦と妻と私で、2時間ばかりを楽しんだときの句。真っ赤に熟し...俳句の言葉はこころの言葉…その1
海霧のとどまる午前春来たる庸晃(2006年3月10日記述)JR山陽神戸線須磨駅を過ぎるあたりから海と出会う。右に淡路島、左にかすかに霞む和歌山県、そして新設の神戸空港はこの海にある。毎年この時期になると海霧が発生して真っ白になる。海水の温度が低いのに空気中の温度が高くなり水蒸気が発生して真っ白になる。海の霧である。春の訪れである。梅の季節から桜の開花へと人の心を繋ぐのであろう。この頃になると人は野や山、そして郊外へと心の旅に出る。でもその春を心の内に秘め俳句と必死に闘い、やがて結核に打ちのめされ彼の世へと旅立った俳人の居たことはあまり知られてはいない。ねむい春日の触手肺から腐る僕新里純男街は桜の季節で行方不明の僕新里純男無思想の歯で噛む林檎鉄の硬さ新里純男冬日は父性の温さで白い孤児の家新里純男肺に積った商...結核と闘い俳句に命を預け彼の世へ…俳人新里純男
・理性が先行すれば感性が鈍る毎日、毎日いろんな俳句の総合誌、それに同人誌を読んでいて不思議に思うことがある。現代という社会生活のなかに生存していながら、社会感覚や生活感覚のうすい句のなんと多いことか。個人の生活を詠うにしてももっと心の底へつき刺してくるエスプリがあってもいいのではないか。不思議でならない現象なのである。短詩形をはじめとして、文化的な創造の遅れはなんとしてでもとりもどさねばならない。いまの生活が理性を先行させるために感覚的なことがらを考えるゆとりもないのかもしれない。自然に身についてしまった生きるための技術は文化的創造を遅らせてしまったのだ。いまや大メーカーのオフイスは理性先行族のあつまりだそうである。しかしその多くが無用の人間になりつつあるとか。びっくりするのだがこのような本があちらこちら...俳句現代派の句体
みずかきになれぬ指入る薄氷庸晃(2008年1月8日記述)見渡す限りの水面に冬鳥たちは快く楽しくその冬の一瞬を遊んでいるのかにも思える午後の武庫川であった。朝の気温がマイナス0.5度。早朝の武庫川の風景が見たく何時しか歩みはじめていた。風は北から南へと吹きつけ身体は深深として耳や目に浸み込んでくのだが、私はしっかりと只今を見て鳥たちの動きを心に刻んでいた。目を遠くより近景に向けるとそこにはきびしい現実があった。川岸の部分は流れが全くなく一面の白。凍っていて光っているのだ。あっと驚き目を瞑ったときだった、そこには脚が氷の中にあり、身動き出来ない鳥の姿があったのだ。じっとしていて不動の姿勢にはなんとも言えぬ我慢が鳥自身にも存在していて、私への啓発のようにも思えてくるともう私には我慢どころではなかった。…鳥には水...一句の中に命の真をこめる俳人桂信子
毎日、毎日いろんな俳句の総合誌、それに同人誌や結社誌を読んでいて不思議に思うことがある。現代という社会生活のなかに生存していながら、社会感覚や生活感覚のうすい句のなんと多いことか。個人の生活を詠うにしてももっと心の底へつき刺してくるエスプリがあってもいいのではないか。不思議でならない現象なのである。短詩形をはじめとして、文化的な創造の遅れはなんとしてでもとりもどさねばならない。いまの生活が理性を先行させるために感覚的なことがらを考えるゆとりもないのかもしれない。自然に身についてしまった生きるための技術は文化的創造を遅らせてしまったのだ。いまや大メーカーのオフイスは理性先行族のあつまりだそうである。しかしその多くが無用の人間になりつつあるとか。びっくりするのだがこのような本があちらこちらで出回っている。商品...昭和30年代若者俳人を育てた俳人…鈴木石夫と伊丹三樹彦
水禽の眼のなか春の僕がいる庸晃(2007年3月14日記述)武庫川のその河口は大阪湾へそして上流は宝塚のまだまだ上流の大阪府へとさかのぼってあるのだが、その大きい川幅を見せて私の心を楽しませてくれるのは8キロほどの都心を流れている部分である。この川の上には大きな幹線道路が沢山走っていて騒音と汚染はあるはずなのに毎年のように冬の使者はくる。南より臨港線、国道43号線、旧国道、国道2号線、山手幹線とあり、さらに幹線でない道路も沢山ある。そして鉄道は南より阪神電車、JR,阪急電車、新幹線と大変な環境のど真ん中を川は流れているのだ。だが冬から春へ鳥達は確実にバトンタッチをしてそれぞれの生活を楽しんでいる。大陸へ帰れなかった鳥や常駐している動物もいて大変な賑わいである。浮島に上がって人から餌をもらうヌートリア、一日中...ポリオ障害を苦にせず新しい俳句へ…俳人坂口芙美子
春光の剣射すとき垂水港庸晃(2007年3月7日記述)2月28日より垂水漁港は大変な賑わいである。イカナゴの解禁日を向かえ一挙に漁港は活性化した。垂水(たるみ)はJR神戸線三宮駅より約20分西へ明石大橋のすぐ見える位置にあり、淡路島はすぐ目の前、そのためこの場所は海峡である。大型船の行き来するなど大変危険な往来を余儀なくされるのだが、いまはイカナゴ漁のため逆に大型船の方が遠慮がちにあるかに見える。毎年この地区はこの日より春が始まるのだ。待ちに待ったイカナゴの解禁日であった。くぎ煮の匂いが朝から町中を駆け巡る日でもあった。この名前はこの垂水より生まれ全国へ拡がった名前の発祥の地でもあり、各家庭はそれぞれの親戚や友人へくぎ煮を作り手作りの味を送っている。宅急便の車が急にこの地区に集中して多く見られるようになるの...青春期の愛をテーマに魅惑の俳人鈴木明
青年の人体火照る蝉しぐれ庸晃(2007年7月24日記述)駅の弧線橋を渡るとそこに海があり大きな歓声が沸き起こっていた。海水着姿の青年少女が闊歩する町…ここは須磨海水浴場である。JR須磨駅を下車、そのまま改札を出ると海水浴場である。この駅は朝から若者で賑わうのだが、その姿も殆どが着衣などのない水着姿があたりまえで極自然な振る舞いにびっくりすることしばしばである。考えてみれば脱衣所を借りるにも高額の料金が発生すのだ。この季節ここは歓声の坩堝であり日頃の憂さ晴らしをしているのかもしれない。また日常の画一化された社会での不満を忘れるためなのかも。青春万歳。青春万感。青春最高。私は彼等に万感の心を持って歓迎していた。たとえ通勤時の朝であってもこの光景を非常識だとは思いたくはない。こうしてこの若者は心の素直さを精一杯...金子兜太の印象深い一句
大雷雨鬱王と会うあさの夢赤尾兜子昭和49年作。オリジナルを尊ぶ兜子にとってこれほど顕著に個性のはっきり出た句もなかったのではないかと思う。見たものを体の中を一回通すとき、目の中から入ったものを頭の中の頭脳に持ち込むとき、ここで思考がどのようにでも作られる。よってオリジナルは規制を否定する。それが兜子の場合は「第三イメージ論」であった。言葉そのものもつ、所謂、機能ともいえる部分について、言葉には「指示するもの」と「指示されるもの」の二つの力が働くのだと言い放つ兜子理論に私は当時とっぷり漬かっていた。そして「渦」の20代の若者はかなり強烈に感化を受けていた。私もその中の一同人であった。これはソシュールの言語理論にヒントを得てのもの。当時佐藤鬼房は子規の理論に触れて説いている。「子規は現実非現実の総合統一を力説...俳人赤尾兜子の世界
上手なまとめ方をしている俳句なのに、なるほどと納得も出来る俳句なのに、良い作品だとは思えない事がある。そして句会でも高点句になっているのに感動できないことがある。何故だろうかとずーっと私の心のなかで何時も疑問を感じ、随分長い期間悩みを持ち続けてきた。しかし本当は良い作品であるのかもしれないと思う事もある。一瞬の思いであったとしても、なんとなく良くない俳句だと思った事実には、それなりの理由があるのではと思い、思考してみることにした。いま私は川野夏美さんの「悲別(かなしべつ)」の曲を聴きながら、この稿を書いている。函館本線の俗称「悲別」駅、廃線になってしまった「上砂川」駅である。この曲には人間の営みの自然があります。この曲の歌詞には人間の心が蓋されずに表現されています。…日本人独特の感覚として自然や人間の営み...四角い箱に四角い蓋をしてはいけない…俳句理論
俳句が魅了されるには秘訣がある。俳人の個性を調べていてわかった事なのだが、その特色と思えることの一つに俳句にも多種多様な表現文体があるのではと思えることがある。その事のほどが読者を魅了するのだとも思えた。散文の文章には書き手の独特な味が読むものの心を掴むのだが、俳句のような短文にも、この味と思える表現文体はあるのだろうと考えようになった。正確な言い方をすれば句体と言えるのかもしれない。たった一行だけの文体…それを句体と言う。今の俳句の時代には、あらかじめ作り方というものが決まってしまっているのではないかと思ってしまうのだが、いろいろ過去へ時代を戻してみるにつけ、新しいハウツーなるものを考えなければならない時がきているのかもしれない。相対的に俳句そのものがおもしろくなくなっている。今の俳句の世界には作り方の...俳句にも文体と言える…句体がある
俳句の個性とは…そのように思って俳句の道を50年余も歩いてきた。だが、私にとっての俳句の道の始めは、高校生のときだから遠い昔である。…にも関わらず、いったい何を学んできたのだろうか。未だに何も会得していないのだ。そしてその多くは俳句の味を、何一つ見出してはいないことだった。味といっても人には、それぞれの好みがあるのだ。単純に言ってしまえば好きな俳句、それほど好きでもない俳句。この区別が俳人一人ひとりの選句には出る。私は、その基本的な相違を考えたいのである。この稿で述べたいのは、どうして俳句に好き嫌いが出てくるのかを考えたいのである。大きく分別すると、写生と写実の把握の仕方に、その方法の相違は起因するように思えることだった。写生…自然あるいは事物のありさまを見たままに写し取る。写実…あらゆる事象をありのまま...写生と写実について
メタバース(三次元の仮想空間)。この言葉がマスコミで出始めてから世の中は一変した。最初はゲーム機器の開発から始まったのだが、自分の居住空間までメタバース(三次元の仮想空間)に置き換えての思考へと、特に若者をはじめ中年層にまで広がろうとしている昨今である。何故だろうと思う。自分たちの理想とする住みやすい場所を求め、現実では不可能な部分を可能にする場所を心に持ちたいと動き出したのだ。言わば幻想である。虚景である。これは目視では見えていない部分なのである。私にとっては、この思考は伊丹三樹彦の「隠れているものまでも見えるように書く」と言う俳句思考を呼び覚ますことになった。今回は、この微妙に揺れ動く心の理想が、どうしてメタバース(三次元の仮想空間)に繋がったかを書きたいと思う。何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある...俳句におけるメタバースとは
茫然と梅花の白をみつめいる庸晃(2007年2月8日記述)人間の一生を考えていてふと思うことがある。幼年期、少年期、青年期、壮年期、晩年期と経てゆく過程で生まれたままの素直な心はその社会経験を得てどれ程変化してゆくものなのか。とてつもない過去に帰り私自身のことを考えてみる。純朴な精神は多くの競争社会の中でづたづたにされ、打ちのめされ、放り出されて最後には自分自身を見失っているのではないか。私はその中をくねくねと曲がりぶっつからずに避けては通り過ぎて来た。だがいまどれ程の純粋さを保って生きているのか。眼前の咲き始めた梅の白花を見ながらずーっと思っていた。自然はその寒暖の厳しさとも闘いながら毎年開花の季節を迎える。咲き誇る自信に溢れその純朴は人の目を吸い寄せる。真っ白な純粋はひたすらにひたすらに美しい。私は茫然...純心さ故に鬱病になり自死した俳人赤尾兜子
馬酔木の花がこんなにも可憐で美しいものとは思ってもみなかったのには些かの驚きであった。手にとってゆっくりと眼の傍で見ていると親しみのような思いにかられたのにはその白さ故の純粋さなのかもしれなかった。昨夜来雨が降りその雨粒の光を花びらの上に乗せては真珠のような美麗さを保つ姿に吸い寄せられていた自分自身でもあった。私の通勤路の何時もの道にひっそりとあった樹木なのだが名前のわからないままその花の咲くのを今か今かと待っていたのだったが…。いまその花の名前が馬酔木だとわかったものなのである。純白ではあるが日に日にその白は更に一層の磨きがかかったように美しさを増す。ふと人生の全てを思ってしまった。国道2号線の傍にあり排気ガスや汚染物との闘いにも負けず無事に花を咲かせたものでもある。いろんな周りとの摩擦をくぐり抜け今日...一生涯純粋を貫いた俳人伊丹三樹彦
句を作ることの意味や意義は何なんだろう。…ここ数日私は、このなんとも漠然としていて、どうにも訳のわからぬ思考にとりつかれていた。考えても思慮深く思い巡らしても、一向に考えが前進しなかった。ところがである。ある日だった。思いもしてはいなかったのだが、それが見事にその思考を解く機会に恵まれるこになる。それは…「現代俳句」9月号に目を通したときだった。そこには次の文章が書かれていた。句会で全く振るわなかった日。しょぼりしている私に「貴方は貴方らしい句を書けばいいのよ」と言って下さった先輩がいて救われた気持ちになった。「自分らしい句とは何か?」という命題を突き付けられていることに気が付いたのだった。それは「自分とはなにか?」という根源を問われている事に他ならない。この文章は第三十六回現代俳句新人賞受賞者のなつはづ...俳句は「私自身」の存在を確認するもの
最近になってのことだが人生の蓄積など何処へ行ってしまったのだろうと思うことがある。…殊に俳句においてはこの人生の蓄積が重要に思えるときがある。ただ何の変哲もない風景でも見事にその人独自の風景を描き出す。潜在意識を健在意識に高めて俳句鑑賞者の心をつかんでしまい虜にしてしまう。この心技は大変なことなのだがいとも簡単にしてしまう俳人もいるのだ。私の尊敬する俳句人の一人でもある故人の鈴木石夫先生は…そのような人であった。鈴木石夫先生の作品をひろってみよう。かまきりの孤高は午後の風の中 大寒や三途の河に橋はあるのか春の夜の手脚静かに折りたたむくわんのん様も臍出し秋の風起る場合によっては朝顔も木に上る鬼の子と言はれひたすらぶらさがる母の日は神も仏も暇でして風峠雲をちぎって捨てておくたましひの独り言また雪が降る裏山に名...句心即ち人心は俳句の基本的思考
枝骨ぞ遂に今年の梅咲かぬ庸晃(2007年2月22日記述)ずーつと以前から気にかけていたのだが我が家の庭に置いてある鉢植えの梅は咲かなかった。すこしばかり枝の艶が薄れて白っぽくなって来たので梅の木の鉢を日当たりの良い場所へ移動させていたのだが、そんな効果などなかった。益々色白に成り果ててしまい、先日の春一番で枝枝はめちゃめちゃになり、風と共に何処かへ逃げ去ってしまう。跡形などはなくなってしまった。この梅はこの地に引っ越しした昨年の4月には特別な心持で大切に移動させたものだった。何しろ5年もかけて大切に育ててきたものである。いま地面に倒れた鉢を見つめながらこの梅の命を追慕していた。母の魂梅に遊んで夜は還る桂信子…そうなんだ、生と死を常に意識し、何時も自然の中に佇む心のうつろいを自分自身に問いかけ続けた俳人…桂...生と死を意識し自分を問い詰めた俳人桂信子
凩か丸岡樹三子という俳人庸晃(2007年1月7日記述)1月5日午後11時JR甲子園口駅で下車、傘を開くと突然の暴風雨、目の前を遮られ歩けなくなる。なんと台風並みの風雨の中にいたのだと翌朝の新聞で知る。その時開いた傘は骨が折れていた。これは凩なのか。それにしてもへんな天気である。…と思っていたのだが、実はもうひとつ考えていたことがあった。丸岡樹三子…昭和43年1月5日初出勤の朝に倒れその夜遅く病院で息絶えた俳人のことである。まるで凩のような俳人であった。ここ1ヶ月ほど前から資料を調べていたので、もしやすると何らかの暗示なのかとも思う。丸岡樹三子には随分と教えられることがあり、句作りの牽引者でもあった。これからその一部を書くのだが凩にも勝る凄いエネルギーのかたまりのような女流俳人であったと思う。もとの一人に耳...全てのエネルギーを俳句に費やした俳人…丸岡樹三子
行く夏の水平線ぞ白い船庸晃(2006年10月5日記述)JRの神戸線須磨駅を過ぎる頃になると海が広がる。車窓より目を遠くに向けると一面に開けた光景が遮ることはない。燦燦ときらめく反射はなくなり落ち着いた波の上を船舶が行き来していた。夏は過ぎ去っていた。通勤途上に殆ど見ているのに何故か気のつくこともなかった。それほどに季節の移りは微妙に変化していたのだ。波は平面に見えていて夏の力強さはない。だが俳人は僅かな変りにも敏感であらねばならない。そして私も必死な目を海面に向けて開く。するとそこには水平線があった。過去より今に至る間も俳人は作者の姿勢を大切にしてきた。いつも目の位置を何処に置くかによって作者の考えや思想まで表現しようとしてきた。古仏から噴出す千手遠くでテロ伊丹三樹彦千手観音を見ての実感だが、そこに佇む作...芭蕉の二物浸透論
俳句部門★9月入選句(2021年9月20日朝刊掲載)梅雨風の私語にぎやかに喋り行く★10月入選句(2021年10月4日朝刊掲載)花は火へ火へと変身曼珠沙華★11月入選句(2021年11月21日朝刊掲載)汗の子へ風のかたちの捕虫網句を作るとき気をつけなければならない事に規則などはないのだが、私が心がける事がある。何時もその句がキャッチコピーになってしまっていないかとも、どうしても思考してしまう。俳句には詩がなければ、とも思う。飲料メーカーなどの俳句募集で日常言葉が、そのままコピーになって入選するので、一般には、それが俳句だと思われてしまう。広告言葉は俳句ではない。選者の好みもあって、コピーライターの選になる。…俳句は私を表現する文芸である。短歌部門★6月入選歌(2021年6月7日朝刊掲載)レシピには新芽と若...神戸新聞文芸俳句・短歌入選歌(2021年)
「心」4号ありがとうございます。今のこのコロナの時期、編集会議を行ってみなさんの意見を集約され、雑誌を発行される意志の強さに吃驚しました。…全ては俳句に対する思考が、表現意欲の蓄積が、何時も一杯あるからなのでしょうね。それもこれも日々の日常のなかに俳句と共に私の生き方の強さが、生活の中に存在しているからなのでしょう。俳人としての個々の自覚が、この4号では、とても強く私には感じられました。形ではなく、私としての生き方のようなものが、4号全体を通じて強く感じられました。これは伊丹三樹彦先生の教えの中にもある「何故」と言う俳句を作る時に俳人個個人の自分に呼びかける意志の確認が、自己の表現を作っているのでしょう。何ゆえに俳句を作るのかと言う最も大切な心の確認が個々の句にはあるようにも私は思います。単なる目視ではな...俳句は人間力の凄さ強さを…象徴
我が家の天窓に漸くにして春日がそれらしく感じられるようになってきた。まだそれほど明るくはないか射光はそれなりにある。やっぱり春の雰囲気が眼に入ってくるようになった。心まで春になりきれていないのは人間であり私なのかもしれないと思う。日日の煩雑さと多忙の中で私は自分自身を見失っていたのだ。ふーと思い出したように足が郊外へ。そして気がついてみたら武庫川河川敷を歩いていた。そこに春の草花たちが芽を吹き出し私を呼んでいたのだ。立ち止まりゆっくりと眺める。ふきのとう、土筆、そして名を告げようとはしない春の草花たち。生きていることの実感を私に知らせて私への励ましを授けてくれるありがたさ。自然は暖かい心を力強く逞しく私に与えてくれる。その草はどの草も水の藍色をしていて地面から生きるために吸い上げているかにも思われる。それ...根性表現の俳人…戸田露生
私は新興俳句運動を書き人間としての根源を検証し共に原点を探ろうとしている。ここに登場する高屋窓秋は最も人間的でもあった。人間の一番弱いものを示していたのだ。そのために寡黙俳人でもあった。作品を作っているかと思えば沈黙してしまうという少しづつの亀裂をもっていた。「馬酔木」離脱の行動にしても余り語ってはいない。「惟うに、重大なる決意などというものは理由なしに訪れるものだと考える。決意そのものに価値がある。僕の場合もその決意は運命的に訪れた。そして僕はその決意のために行動する」。ちるさくら海青ければ海へちる高屋窓秋思えば窓秋のこの句、約束としての季語を越え、イメージとしてのかかすことの出来ない季の扱いであった。さくら咲き丘はみどりにまるくあるいま人が死にゆく家も花のかげ山鳩のふと鳴くこえを雪の日に鳩たちぬ羽音が...新興俳句運動についての検証
親睦の貌で笑む猫花の下庸晃(2009年4月11日記述)花の下の宴は人間ばかりではなかった。深夜の公園でのこと。声がするので傍によって見てびっくり。いろんな色の猫がいてじゃれあっていた。ここは昼間、人間様の宴で賑やかであったところである。私が見ている間にも猫は集まってきて何処にこれだけの数のものがいたのかと思われる。更に傍によっていってゆっくりと見る。実に楽しそうな猫たちの時間である。桜は満開に近く既に飛花落花が始まっている。昼間人間様の残した食べ物を嗅ぎつけよってきたのかもしれないが、ここには食べ物を争っての生存競争はなかった。実に優しいふるまいにただただ時間の過ぎるのも私は忘れていた。飼い猫なのか、野良なのか、互いの行動にしばしば感心感動する私がいたのだ。そうした行動にひとつひとつうなづき吸い寄せられて...昭和45年度現代俳句協会賞受賞俳人阿部完市
俳句は生きている実感、そしてその真実を如何にして記録してゆけるものなのか。俳句は可視の世界の現象だけではなく、不可視の世界に現れる心の変化を取り入れる必要があったのかも。心の中だけで出会う現象を記録してゆくことの大切さがあったのかもしれない。…ここに一俳人の文章を紹介したい。氷雨の東京駅に、上京した「歯車」誌の仲間、永井陽子を送ったことがあった。近づく成人式に、「出席しない、振袖を着ない」と二人で約束し新幹線の窓に手を振った。あれから四十年余り。歯車同期の卯年の女三人、論客で歌人として「噛みつきうさぎ」の異名を持った陽子は詩に殉じ、鳥取の繊細な妙子は詩に病み、才無き私だけが俗っぽくも孫を抱き、拙い詩を紡ぎ続けている。生と死を見つめ生き続ける俳人の切羽詰まったドキュメントである。この一篇の短編小説の書き出し...心はいつも眼心…
文明とは、文化とはいったい何なのか。…そう思って俳句の事を考えていた。俳句も立派な文明や文化のひとつではないかと思えるようになったのは最近である。長い間、俳句は文芸の一部で趣味的な私的なものに過ぎないと思う日々であったのだが…。先日読んだ書物には世界の各地で盛んになりつつある俳句の話が紹介され、しかも世界の文学になろうとしているという。こうなると、もう文化である。既成概念だけでの句作りは出来ない。改めて俳句を根本から見直したいと思うようになった。そこで工夫や苦心ともいえる思考を怠ると俳句作りの俳句になって単一化してきてつまらないものになる。例えば句会の席での最高点句といわれる類のものである。最大公約数的人気を得て最高点句になる工夫のない句などからは何も生まれはしないからだ。考慮すべきは出句者も、選をする側...俳句のコマ重ね・コマ割り…について(改訂版)
強風の吹かねば来ぬか春一番庸晃(2007年2月15日記述)14日朝24時間勤務を終えて施設を出ると身体ごと吹っ飛ばされる。不意打ちというただならぬ出来事。ふたたび両足で踏ん張るも身体はぐらぐらと揺れて不安定。なんとその時30メートルの風速であったとは…翌日新聞にて知る。春一番であった。だが私がこの強風に必死に耐えたのはほんの一瞬であっつたが一生を社会の強風と闘いながら生きた俳人がいる。門田泰彦「青玄」同人。その一生を結核と闘い暮らす日々。再起をはかりまた再発入院を繰り返す生活であった。その姿はまわりの人々に生きる勇気と活力を与え続けていた。いっそ強風とならば辛酸やわらぐ葦門田泰彦自分自身を「葦」と捉え自分自身を自ら放棄しようとしたその心…ここには人間のもろさを示している。生きてゆかねばと思う気持ち、そして...一生を社会の強風と闘いながら生きた俳人
如月の皿は純白見てしまふ庸晃(2007年2月5日記述)2月3日、今日は節分。長男夫妻が家内の作る寿司を食べに来るとのことで朝より忙しく動き廻っているのが気がかりな一日になってしまった。なにしろ人一倍心配症は私とて同じである。なんとかもてなしたのだが気に入られるものをと思うと苦心苦労がある。この日私は勤務であり午後11時ごろ帰ると食卓に大皿だけが置かれていた。なんとなく淋しげな皿を私は見ることになるなだが、まさに冬の夜の悲しさにも見える。皿の上に物が置かれていない不自然は寒夜だからよけいに淋しいのだ。端へかたずけようとして手を伸ばしたのだが、指の力が抜け床へ落としてしまう。ああ!。奇声を発したまま下を見ると木っ端微塵に割れていた。皿は割れても真っ白な色のまま。その純白は保たれていた。…暫く呆然としていたその...青春俳句とは清純な美しさ
見てるのは水面上の冬日向庸晃(2007年1月29日記述)大寒の最中なのに菜の花はほぼ咲きそろいミツバチが花集めに急がしい。季節の狂いは人間社会の動きの速さすら思ってしまう。日々のうつろいの中にあり走馬灯のように毎日が過ぎてしまう。しなければならないことの半分も出来やしないのだ。社会は辛らつな言葉や行動に溢れかえり心の休まる隙もないほど緊張を強いられる。殺人事件、強盗、詐欺、汚職とたえまなく報道されてくる社会。俳句を作っていったい何の価値があるのか考えてしまう。…武庫川河川敷を散策しながら思考をめぐらせていた。社会への貢献。地域への貢献の方がもっと充実感があるのではないか。ふと…そんなことを考えていたのだが。心のぽっかりと空いた部分を埋めるため、今日は或る男に会うためここに来たのである。河川敷の住人、それも...純粋性は俳句の心
橋燈に灯の入る冬の一気暮庸晃(2006年11月23日記述)国道2号線は京阪神の幹線道路で物流は24時間絶えることはない。南には国道42号線が北には山手幹線が走ってはいるが物流は2号線を行き来してその騒音は大変なものである。ために騒音と喘息の記事は新聞から消えることはない。だが私の地区は騒音も公害もない。唯一武庫川の上を渡る武庫川大橋は独特の橋である。欄干は丸く窓があり橋の灯は西洋風の雰囲気を醸し出していて大正ロマンのムードをもつ。私は暮れるのを待ってこの句を作った。そしてこの北側にはJR山陽線が走りその鉄橋は武庫川の上にある。電車の走る音は凄い。まして貨車となれば力強い音を川に落とす。このとき私は或る俳句を思い出していた。立冬の貨車鉄柱のそば通る桂信子昭和45年3月「草苑」創刊号の作品である。この句には定...俳句には緊張感が大切
俳句を読んでいて思うことがある。…その句を何回読んでも何を主張したくて作ったのか、何を伝えたかったのか理解できない句が最近多くなったように思う。これは作り方が拙くて充分に表現しきれなく伝達出来ていないのではないようにも思われる。作者が何を主張するのかを決めないで見たものを、そのまま作者なりの感覚に頼り句として表現しているのではないかと思えるのは私だけではないように感じる。受け取った感覚と主張するべきテーマとは別である。感覚が全てではない。だが、新鮮な感覚をそのまま写実する、と言う句の作法が普通であるように思われているのが現状であるのではなかろうか。上手い句であっても読者を魅了しきれないのは、何故だろうかと考えて、もう数年が経過した。どうやら、感覚はあっても、その句を受け入れられなかった理由を…やっと掴むこ...俳句にもテーマやレーマがある
私の周辺で囁かれる気になる言葉がある。俳句の最近の現状についてのことだが、只事俳句が多くなったと言う。…これは何故にそのように思えるのだろうか。感動したと言える俳句がなくなったと言う。把握内容も意味ももっともなのだが。感覚も理解出来るし、新鮮さもある。でも物足りない。これはいったい何になんだろうか。…いろんな人から聞く言葉であった。いろんな意見はあるにしても俳句が軽すぎるのであろうか、俳句の重みを言葉から受け取れないのであろうか。これは平易な言葉や表現を意味しているのではないように思われる。俳句の基本とも思える、俳句には、そこに詩と思える表現が存在しなくなってきているのであろうか。…そのように思って、いろんな資料を調べていると、私の思っているような言葉があった。俳誌「黄鳥」の代表者ー小西領南氏の言葉があっ...五・七・五の一行は…詩である
見ておれば純度濃くなる寒の水庸晃(2007年1月18日記述)1月17日は朝から雨である。阪神大震災から13年目を迎えるこの日私はJR三宮駅を通過勤務地の垂水駅へ向かっていた。車窓には雨が降りかかり粒をなして流れる。沢山の雨ではないがやはりそれは寒の水には変わりはないのだ。追悼の行われている神戸市役所横の東公園へ顔を向け追悼。当時を回想する。人々が絆で結ばれ合い助けあったあの頃の純粋さは何処へいったのだろうと回想していた。もはや人間の心を失ったかの昨今の索漠とし事件ばかり。雨の流れる車窓にその純粋さを求めていた。よく見れば殆どは汚れの混じった水滴だが中には透き通った水滴もある。この僅かの純粋に救いを求めねばならないほど私自身も汚れているのかもしれない。もう純粋を求める若き日のその心はないのか。再び問いかけた...心が純粋でなければ
あたたかな灯を撒き飾るクリスマス庸晃(2006年12月27日記述)神戸ルミナリエは21日で終わりになったのだが、まだ光りの万華は続いていた。それぞれの家の周りをイルミネーションで飾りクリスマスを楽しむことであった。それは駅前を美しく飾り続ける広告灯ではなくもっと優しい人間味の溢れたもの。もっと落ち着いたものでもありその煌めきは心の優しさなのだと思う。12月に入ると心待ちをしているかのように庭や家の壁に赤や青の灯の飾りを付け始める。そしてクリスマスが終ってもこの飾りを解こうとはしない家庭が多くなったようにも思う。やがては正月用の門松へと引き継がれてゆくことになるのだ。イルミネーション…光りダイオードの発明により小さな粒状のかたまりの連鎖は小刻みに点滅を繰り返す。この光りを目の中に呼び込んでいると不思議なほど...私個人のメモリアル㊶
暮れかけても地平は稲穂風を呼び庸晃(2006年10月8日記述)娘が嫁ぎ3ヶ月が過ぎた。家の中はしーんとして親子の口論バトルもない。我が家は思考優先家庭だったので個個の考えが渦巻いていた。夫婦ふたりだけの毎日。すこし淋しさが心の中に宿ろうとしていた。…そんな或る日、娘からの招待状が来た。さっそく夫婦で出かけてゆく。JR山陽線東加古川駅で下車、さらに歩くこと30分、やっと川崎重工業の社宅に着く。娘は笑顔で迎え主婦らしくなっていた。なんとも言えない成長にびっくり。また安心もした。社宅の窓より外を見ると地平が広がっていた。帰途JRの車窓からは延々と地平に稲穂が光っていた。正に秋日が西方に沈もうとして暮れかね稲穂は風の中にあった。句を作り、よく見るとこの句は字あまりである。導入部が6音ある。だが自然に出来た句で、む...俳句における破調は必然か
この文章は昭和37年2月1日「歯車」NO361・2月号に掲載されたものを採録いたしました。僕たちの若い仲間である酒井君が、第一句集「蝶の森」を出版されたことは、歯車の同人たちにとって、力強いかぎりである。百二十ページたらずのものではあるが、全編を貫いている彼の思想は、すくなくとも僕たちには共鳴するものであった。彼があとがきで述べているに、P・V・Dボッシュの文章の一部を借りて“同じようにぼくらも戦争の終ったとき八歳であったということについてやはり大きな意味があると思っている”と書いているあたり、彼も彼なりのひとつの戦争体験を軌にして、世に出た作家だといえる。そして八歳という年についても、僕は、やはり僕なりに意味があったと考えている。それは子供として、一番最初に社会を意識したころだったからだ。しかし酒井君は...酒井弘司句集「蝶の森」雑感
六月や余白なきまで文字詰まる庸晃(2006年6月18日記述)六月…このなんとなく嫌な雰囲気は避けては通れない。雨が多いと言うだけのことではない。⑥という数字は③と⑨の系列にある真ん中の数字。私はここ10年ほどシンクロ二ティなる研究をしているのだが、何かの事が起こるときは全てふたつ以上のものが同時に発生しなければ起こらない。だだのひとつでは起こらないと言う理論の実証である。即ちシンクロ(偶発による)によって起こると言う現象。九星…1白~9紫までの古代中国の考えを基に数字化して理論化する。ちなみに⑤は②と⑧系列の真ん中。①は④と⑦系列の真ん中。それぞれことが起こるときはこの系列によって起こるということ。六月の⑥は安定を意味し③の生成に対し⑨の発展を調整してプラスやマイナスに導くことをする。この過程でことが起こ...俳句に「取り合わせ」の妙味はあるのか
河川敷のふたり寡黙な愛の秋庸晃(2006年10月17日記述) 武庫川は秋のまっさかりである。土曜・日曜日になると家族総出でこの河川敷に市民は集まってくる。バーべキューの匂いと家族の歓声がいっぱいに広がり、正に休日天国をつくっている。そこらあたに秋の草花が咲き誇り私の心も和む…そんな一日の人々の暮らしの中に詩は探さなくともいっぱいある。毎日の生活の臭みがまだ完全になくなってはいなかった。純粋に物を見つめようとしていたにも関わらず、まだ抜けてはいなかった。ふとそこに見たものにこだわっていたのだ。何故か寡黙な男女ふたりが何時間も座り続けている光景。河川敷の一隅にもう心がつながっていないかもしれないふたり。私はゆっくりと目をつぶった。このまま眠れば多摩川心中犬ふぐり諧弘子諧(かのう)弘子。現在「野の会」にいる俳人...私個人のメモリアル㊵
日の出まで待てぬ発色曼珠紗華庸晃(2007年10月8日記述)電車はひたすら秋の野を走っていた。窓から見える外の風景はただ漠然と野には過ぎないが私が求めている風景ではなかった。期待しての秋彼岸の墓参ではあっったが、そこに少しぐらいは秋らしいものがあるのではないかと思っていた私がいた。電車は一山越えて街に出る。兵庫県の北東に位置する播州平野三木市である。ここは妻貞子の郷里でその父母の眠る墓地のあるところである。美嚢川(みのがわ)を渡るころより平野はビルの立ち並ぶ街へと変化。私たち夫婦は墓参のため神戸電鉄大村駅を降りる。墓地までの一キロほどを歩く。墓参のためではあるが、もうひとつの楽しみは曼珠紗華の咲き誇る風景を見る楽しみでもあったのだが、この野道を行くにも見当たらないのだ。草花のいくつかはあっても色あせてい...私個人のメモリアル㊴
コスモスの中へふたりの老いる旅庸晃(2006年10月22日記述)神戸三宮に最近オープンした「ミント神戸」の一階部分よりJR高速バスに乗る。妻とふたりの一日旅への始まりは何十年ぶりかのものである。別に取り立ててのことでもないのだがこれまではあまりにも忙しすぎたため、こんなひと時などなかったのだ。そう言えば何処かに出かけようと私は声もかけなかった。毎日の生活のなかで心のゆとりなどもなかった。妻の方より以前に約束していた場所に行こうとの言葉があり、淡路島・「夢舞台」への一日旅となった。明石海峡大橋を渡り島の高速道路を快適な秋の日差しを浴びて走る。そこは正に夢のような舞台そのものだった。山の斜面を舞台に見立て石段が並ぶそこに秋の花々が咲きほこる。眼下は海峡の広がる平面に水平線が浮き上がる。私達ふたりはふたりだけの...私個人のメモリアル㊳
今日までの戦後の俳句を調べていて分かったこと。それは言葉を最大限に広げる表現をしているにもかかわらず、その言葉は…殆んどが意味としての本来の役目を果たさず、その示唆は全く異なる意味に変革されていたのではないだろうかと思うことだった。これは俳句特有の言葉感覚を成すための文体であったのかもしれない。言葉とは…。いま、改めてそのことに言及してみたくなった。本来は意味を解らせようとして、或いは意味を知ろうとするために言葉があり、その言葉を使って喋ったり記述したりしてお互いのコミニュケートをするものだった。そして文学はその言葉を使って人間を表現するものだった。だが、俳句は、このような性質を有した言葉を巧みに操作して十七音にまとめあげるものであるにもかかわらず、ある一定の意味に定ったかたちを作るものではなく、ひとつの...戦後俳句を検証する
沖晴れの初夏よ喘息系の咳庸晃(2007年5月15日記述)毎年4月から5月になると身体の状態が正常でなくなるのだが今年は特にその度合いがひどかった。健康が崩れだすのは毎年のことなのだが咳の頻繁にでるのには困った。幼年の頃の喘息が老年になって出てくるとは聞いていたが正にその通りになった。もう一ヶ月以上も喘息系の咳に悩まされている。それでも通勤の途中に見る大阪湾は確実に初夏の色に全てを変えて眼に優しさを呉れる。電車から見る水平線は空と海の区別がつかない位に初夏なのだ。まるで天も地も海も一つである。果てしない未来がその先にあるのではないかとも思える。須磨、塩屋、垂水、と電車は西へ。すると遥か彼方に和歌山の山々が雄大に姿を現す。そのすがすがしい思いに目を寄せていると心の中が晴れ晴れとしてきて少しばかりではあるにして...私個人のメモリアル㊲
批判的リアリズムの誕生が如何に苦難の末の思考であったかを考えるとき、この運動が、その後の俳句界にとってどれほど新鮮であったかを思うと伊丹三樹彦(「青玄」主宰)の先見の目と、このことの重要性を思わざるを得ないのである。そのことは当時の十代、二十代の青年男女の俳句を愛好する数が殊のほか増えていったことでもわかります。このころ同じように鈴木石夫(「歯車」代表)も若者の育成に必死でした。私たちは、鈴木石夫、伊丹三樹彦の二人の頑張りにより、現代俳句発展の今があることに感謝しなければなりません。ここでは批判的リアリズムより生み出された、さらにその基本となる三本の柱を詳しく書いてゆくことにします。三リ主義…とは。感情のリリシズム態度のリアリズム形式のリゴリズムの三本の柱です。ここで当時話題になった作品を私なりに語りたい...現代俳人…伊丹三樹彦の業績
コスモスの一本ひとりぼっちなり庸晃(2006年10月14日記述)武庫川の河川敷を秋の風に誘われ北上すると宝塚市へ出る。武庫川は野鳥の天国でもある。季節によってその仕草もことなり、今の時期は大型の渡り鳥が多く川鵜などの日常は人間の姿にも等しい。終日、一定方向を向きっぱなしで動くこともない。微動だにしない時間を思案しているかに。そんな川面を見ながら私は北上するのだ。心癒しの一日は自然とともにある。そこで目をひくのがコスモスである。川面からカメラアイを180度ターンすると可憐な、それでいて優しく楽しい光景に出会う。ピンク、白、オレンジと多彩の自然は私の心をほぐしてくれる。でもひょろひょろと背の高い一本を見たとき私の心は一変した。なんとも言えぬ淋しさだけが私を襲い始めていた。ひとりぼっち。…そう、ひとりぼっち、そ...俳句における人間性とは
知も情も桂信子のような月庸晃(2006年10月10日記述)8月6日は十五夜であった。雲が多くて時々にしか顔を出さない月であったが午後9時頃になるとその元気な姿が満面な笑みとなる。見ていると吸い込まれてゆくような私をそこに感じていた。月が誰かの顔に見え、そこにはえくぼがあった。この微妙なうつろいは私の頭に残る。更に見とれていると「知」や「情」のようなものへと進む。一瞬「ああ!」と声をだす。そこに桂信子の姿を見ていが私にとっては信子の鋭い「知」や「情」はその後の句作りに影響を与えてきた。前衛華展の水入れ替えて寒い老人桂信子この句はまだ「青玄」時代のもの。従って分ち書きをほどこしている。「俳句」昭和38年5月号の特集「続現代俳句百人」に掲載の信子自選句である。これはこれまでの「情」の色濃い桂信子作品とは異なり知...私個人のメモリアル㊱
行く夏の水平線や白い船庸晃(2006年10月5日記述)JRの神戸線須磨駅を過ぎる頃になると海が広がる。車窓より目を遠くに向けると一面に開けた光景が遮ることはない。燦燦ときらめく反射はなくなり落ち着いた波の上を船舶が行き来していた。夏は過ぎ去っていた。通勤途上に殆ど見ているのに何故か気のつくこともなかった。それほどに季節の移りは微妙に変化していたのだ。波は平面に見えていて夏の力強さはない。だが俳人は僅かな変りにも敏感であらねばならない。そして私も必死な目を海面に向けて開く。するとそこには水平線があった。過去より今に至る間も俳人は作者の姿勢を大切にしてきた。いつも目の位置を何処に置くかによって作者の考えや思想まで表現しようとしてきた。古仏から噴出す千手遠くでテロ伊丹三樹彦千手観音を見ての実感だが、そこに佇む...芭蕉の二物浸透論
水平線そこに初秋の空港が庸晃(2006年10月2日記述)風は秋。なのにまだ日差しは夏なのかもと思う日であった。武庫川沿いに南下、2キロほど行くと河口に出る。はるばると広がる海がある。ここより眼前は海ばかり。時々は船舶が行き来する以外は海を遮るものはない。黄金色が海に降りて来て黄昏が心に宿る。その黄昏の中を切り開くように大型ジェットの飛体が舞い降りてゆくのだ。その先には横一直線の水平線が見えていた。薄くかすかではあるが見えている。関西空港である。水平線…ホリゾンとも言うが画面上に水平に置かれる視線とも思われる目の位置。一枚の紙面に中心となる目を向ける位置である。絵を描いたりデザインをするときは必ずこのことを考えなければならないのだが、俳句もまた写生より始まるとすれば必然のことである。このとき正視(目の高さと...視線の位置は抒情の位置
色混ぜて万華曼陀羅ルミナリエ庸晃(2006年12月13日記述)真っ暗な中に光彩を放つ長い万華、そこには予期せぬ夢が待っていた。混ざり合った光りたちはお互いを見せ合い助けあっているかに混じりあう。これは神戸のもつ華やかさでもあり、また暖かな町の心でもあろう。今年12年目を迎える「神戸ルミナリエ」は8日~21日までの開催で始まった。2週間で約500万人が訪れる。旧居留地一帯を光りのオブジェで奏でる。震災の鎮魂を記念しての開催ももう12年の月日が流れていた。JR神戸線元町駅は18時前になると急に人数が増えてくる。全国からの観光ツアーで、そのルートとしての人々があふれだす。イタリア人アートディレクター、ヴァレリオ・フェスティ氏の作品は光りの彫刻とも言われるほど繊細な光りのきめの細かさを表現。頭を少し上げるとその巨...カタカナ季語を調べる
ほんものの絆あたたか追悼誌庸晃(2006年12月1日記述)26日のことだった。午後8時ごろ電話のベルが鳴る。電話の相手は俳誌「歯車」の編集長大久保史彦さんからのものであった。実に40年ぶりの懐かしい声であった。元気な声には変わりはないのだが些かその声は淋しい声にも聞きとれるもの。それもその筈「歯車」の代表の鈴木石夫さんの追悼号を後継の代表をすることになった前田弘さんから私に渡して欲しいとの話。「歯車」代表としての鈴木石夫さんとは大久保さんは40年以上の編集者としての付き合いの会った人、悲しみや残念は計り知れないものがあろうと思う。私はことの仔細を知るにつけ、なんとも言えない申し訳のない思いにかられていた。編集を東京より関西に移すことになったとき鈴木石夫さんに全ての負担をかけるのは大変だからと相談したところ...俳人鈴木石夫を回想
春や春坂の上には精神科庸晃(2007年4月14日記述)神戸電鉄大村駅…兵庫県三木市大村…ここは妻の生まれ故郷である。金物の町として全国でもそのことの程は知られている町でもある。まだその田舎らしさをすこし残しているここへ夫婦で墓参に帰った。駅は無人である。切符は運転手が受け取る。駅の周りには櫻が咲き誇り静かな中にもまだ汚れきっていないその純白に私は酔った。駅より墓地への道には春の草花が春風に揺れては私たちを迎えてくれるのだ。何年かぶりの夫婦ふたりでの墓参である。墓石の並ぶ周りには土筆がゆったりと立ちその存在のほどを主張。私たちはしばらく見とれていた。花を墓石に飾り合掌すると鶯が鳴いた。…嗚呼と私は声を出した。だがその方向へ目を向けたときだった。春の日差しの真っ只中に坂がありその登りきったところに白い建物があ...私個人のメモリアル㉟
歳末の先のとがった風見たか庸晃午前6時に家を出て通勤のため電車の駅へ向かう。ふと見ると国道2号線の温度計は1度を示していた。やっぱり師走の月なのだと思い知らされる。体中が硬直して足が前には運ばない。腕に力を入れては身体を推し進めるのだが、もはや晩年の身体ゆえそう簡単にはゆかないのが現状。なんとも情けないわが身になってしもうたわい。信号待ちをしては何箇所かを抜けて駅へ。その間わが頬を風が殴打して行く。頬を風になされるまま前進も痛さが一層強く続くたびに完全に風の餌食になっていた。風の先っちょは刃物のように尖り私を戦死させている。ああ?そうなんだと思うことが脳裏にあった。耳がいたくて寒くて裏切りみたいな日暮伊丹公子「メキシコ貝」(昭和40年6月刊)55句のなかの一句である。…そうなんです。この句の原点らしきもの...句座って何なのだ?
背をまるめ青葉の下をゆく貧者庸晃(2006年5月25日記述)ああ!と声が出るとその男も、おお!と答えた。2年ぶりのことである。乳母車に乗せられるだけの資産の荷物を置きゆっくりと押していた。その男へ哲っちゃんと声をかけると顔を上げて笑った。私へ向かって…。やっぱり生きていたのだ。今日は天気がいいので武庫川の空気をいっぱいに吸いたくて家を出る。500メートルほど行くと土手があり、それを越えると河川敷である。河口から上流へと川を遡行して歩く。あっ…哲っちゃん。この男、2年前に小説にした「河川敷の哲っちゃん」であった。全くの偶然であった。乳母車を止め一段下の河川の水際へ行き荷物の一部を降ろしそれに火をつけた。生活の塵を燃やし過去を棄てると言う。河川敷はれんげ、蓬、タンポポ、それに青葉若葉の季節のいま、私はマイナス...私個人のメモリアル㉞
俳句作品と呼称されるものを見ていて、これは一行詩なのか短詩なのか、と考えてしまう場合がある。もっとも俳句は定型と言われる五・七・五の約束ごとはある。だが、現代俳句は非定型や多行形式もある。いろいろ幅広く自由な部分を含んでいて理解しにくく心を惑わす。…これらを作っているのは人間の思考範囲のなかなので、虚の言葉ではない。真実の言葉なのだが、なんとなく緊張感のこもらない粗雑な言葉が多くなっているのではないだろうかと思うことがある。どうなっているのだろうか。基本的に、何かがおかしいのではないかと思う日々である。根本的相違とは何なのか。俳句が美しいのは、その限られた音数のもつ緊張感と、生誕時より定められてもちつづけている切り捨てられた部分の不安感のせいであろう。だから僕は、ただそれだけに賭けた。(郡山淳一「自由の砦...俳句言葉と日常言葉は違う
・理性が先行すれば感性が鈍る毎日、毎日いろんな俳句の総合誌、それに同人誌を読んでいて不思議に思うことがある。現代という社会生活のなかに生存していながら、社会感覚や生活感覚のうすい句のなんと多いことか。個人の生活を詠うにしてももっと心の底へつき刺してくるエスプリがあってもいいのではないか。不思議でならない現象なのである。短詩形をはじめとして、文化的な創造の遅れはなんとしてでもとりもどさねばならない。いまの生活が理性を先行させるために感覚的なことがらを考えるゆとりもないのかもしれない。自然に身についてしまった生きるための技術は文化的創造を遅らせてしまったのだ。いまや大メーカーのオフイスは理性先行族のあつまりだそうである。しかしその多くが無用の人間になりつつあるとか。びっくりするのだがこのような本があちらこちら...感情は感覚に左右する
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