1531年8月22日、孝景率いる朝倉勢8300は越前から加賀・江沼郡に侵攻、現地で光教寺勢と合流し、北上を続ける。超勝寺・本覚寺勢はこれに抗し得ず、手取川のラインまで撤退せざるを得ない。大河を天然の掘に見立て、北岸で食い止めようとしたのだ。 しかし10月27日には朝倉勢の先遣隊が手取川を渡河、北岸にいた超勝寺・本覚寺勢と一戦交え、700~800人を討ち取るという戦果をあげ、ここでも大勝するのだ。 朝倉勢は更に番田・士室・藤塚など、北岸一帯の諸村に火をつけるなどして暴れまわる。だが天候が急変したこともあり、渡河していた部隊を一旦、南岸に引き上げさせることにする。大河である手取川が増水してしまうと…