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きみの靴の中の砂 (サヨナラ —— 旧goo blog版) https://blog.goo.ne.jp/disinfectant1953

このサイトは "Creative Writing" の個人的なワークショップです。テキストは過去に遡り、随時補筆・改訂を行うため、いずれも『未定稿』です。

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2022/04/07

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  • 人は、人のものになんてならない

    去年の夏、あるカジュアルなパーティーにイチ子とふたりで出かけたとき、グラス半分ほどのシャンペンで気分の良くなったきみが——ヘプバーンの熱狂的なファンのイチ子が、映画の中のオードリーと同じ台詞をいつか使ってみたいと言ってたっけ。どの場面のどの台詞かは聞かなかったけれど、もしかして、今のが、その台詞?「人は、人のものになんてならないのよ」【TheLovin'Spoonful-SheIsStillAMystery】人は、人のものになんてならない

  • ルルーシュに似ているかも知れない

    映画の演出家森淳一の過去の作品を思い出してみると、一貫してロー・キー好きなのがわかる。これは誰かからの影響か、本人の嗜好か、教育によるものか。詳細なプロファイルが見当たらないので、これ以上の推測はできないが、それ故、興味は更に増した。画角、アングル、ズーミングなど、圧倒的な画面へのこだわりはルルーシュに似ているかも知れない。つまるところ、オイラ好みの作家であるということだ。ルルーシュに似ているかも知れない

  • いったいいつだったか...

    準備万端、朝から行く気満々だった花火大会も、夕方が近付くとあの人混みが想像され、今年もまた出掛けるのが次第に億劫になってきた。最後に花火に行ったのって、いったいいつだったか...。いったいいつだったか...

  • 才能を磨き続けること

    世阿弥の秘伝書『風姿花伝』に『不失花』という三字一句がある。レ点を打って「失せざる花」と読む。ここでいう花はフラワーのことではなく、「華がある」のハナ、つまり才能を指す。例えば、若い女性の華やかさなど世の中の多くの美は、多分に一過性のものであって、経年とともに失われていく。しかし、才能は磨き続けている限り失われることはない。故に、休むことなく『トレーニング・練習・訓練・稽古』を続けることこそが最も重要であると秘伝書は伝えている。才能を磨き続けること

  • 終業式の帰りだったかもしれない

    写真をアルバムに整理する習慣が希薄だったせいで、古い写真は、二、三年ごとに小箱に乾燥剤と共に放り込んでおくだけだった。そんな小箱も一箇所にまとめて置かれることはなく、家中のいろんな収納から出てくる。撮影年度も何も記録していないので、写真を見て判断するしかないが、今となっては、それはそれである種の楽しみになっている。写真から判断すると、鞄がまだ新しく見えるので高一の頃の水口イチ子だろう。ケヤキの葉も落ちた初冬の岬公園——二学期の終業式の帰りだったかもしれない。【イタバシケ-恋のサバイバー】終業式の帰りだったかもしれない

  • コンバースを洗っているのが見えた

    水口イチ子は幼稚園の頃からウチの母によくなついていて、夏休みなど、自分の家にいるよりウチに遊びに来ている時間の方が長いくらいだった。お互いの家は垣根のない芝生の庭続きで、行き来するにも庭を横切るだけで済んだ。玄関に靴を脱ぐことはなく、もっぱら台所か縁側から自分の家のように勝手に上がった。ぼくもイチ子もひとりっ子で、親同士も念願の性別の違う子供がもうひとり出来たようなもので、それが一層親しい近所付き合いの理由にもなった。*朝から庭でイチ子の声が聞こえる。起きて二階の窓から乗り出すと、イチ子が陽射しを避けて、テラス際の給水栓からビニールホースを引っ張り、家の陰でコンバースを洗っているのが見えた。【SandraReemer-I'llNeverLoveThisWayAgain】コンバースを洗っているのが見えた

  • 突然の夏

    『突然の夏』【DaveMason-OnlyYouKnow&IKnow】突然の夏

  • 夏の頃の記憶しかない

    京都へはもう何度も行ったけれど、思い出してみると、何故か夏の頃の記憶しかない。もしかしたら、ぼくは、本当に他の季節には行ったことがないのかも知れない。梅雨の終わり、ほんの一瞬雨が止んだ京都駅。夏の頃の記憶しかない

  • 曲名が思い出せない

    由比ヶ浜にあるこの古い家はエアコンがない時代の作りなので、夏の日中は家中の窓を開け放てば対流で自然に風が通る工夫が随所に施されている。大昔の木造小学校などと同じく各部屋、廊下の上下に小窓があり、冷たい空気が下の窓から入り、熱い空気は上の窓から屋外へ逃げて行く。日陰に水を打っておけば日向側に生じる上昇気流で風は殊更よく抜ける。深夜1時を回ると、乾いた、実に快適な陸風が家の中を吹き抜けていく。日中の海風、夜の陸風と、常に風が吹く立地だから、風の強い日は暴風・防砂を兼ねた生け垣の間を縫って砂は家の中に入り込む。これは宿命としてあきらめないとならない。そんな自然現象は仕方ないとして、家の出入りの際の素足に付いた砂は、工夫で減らすことが出来る。上がり框と地面の二段にスノコを敷き、砂落としの厚手のマットを置いておくの...曲名が思い出せない

  • この町の匂い

    夕暮れの港を歩く。昼食に添えられたシラスの、潮の匂いが今も鼻腔を漂う。この香は、この海辺の町そのものの匂いなのかもしれない。【Ronny&TheDaytonas-IfIHadMyWay】この町の匂い

  • またしても文体のことなど

    昔から一部の研究者・読者の間に不文律として、小説以外の文章が面白い作家の書く小説はつまらないというのがある。デビューしたての頃の五木寛之が、某御大作家から「雑文は面白いが、小説はそれほどでもない」と言われたとどこかにあった。これは、今活躍中の有名作家の中にもいる。また、小説の文体の色調が明るい作家は、実は性格が根暗であり、逆にそれが暗いと性格は明るいというのも読んだことがある。前者に遠藤周作、後者に吉行淳之介が例として挙げてあった。またしても文体のことなど

  • すべてをゼロにして...

    長年慣れ親しんだ趣味も、ある時、『こんなことをしていて何になるんだろう』と思うことがある——今更、すべてをゼロにして、まったく放棄するなんてできもしないのに…。【CliffRichard&TheShadows-FortyDays】すべてをゼロにして...

  • 遠く近く蝉の声が聞こえている

    昨日の午前11時、東京都立南部地域病院のバス乗り場にして玄関前。週日の公立病院にしては点景も写り込まず、不思議に長閑な時間があった。遠く近く蝉の声が聞こえている。この一帯は多摩丘陵の裾際にして山、谷、沢の付く地名が多い。ここは中沢。遠く近く蝉の声が聞こえている

  • 幸せは毎晩やって来る

    現代人は幸せであるのが当たり前のように思うのか、自分が幸福の中にあっても、その有難味に気付くのには中々にして鈍感である。だが、その反対に、不幸とも言えないほどの些細な不運に見舞われただけであっても直ぐに気落ちしがちに見える。日常に潜む、よくある簡便な幸せにもっと敏感になることが出来たら、今、人生が良い方に変わりつつあると発展的に思えるのではないだろうか。苦労続きの人生だった老年のオジサンの中には、仕事が終わった後、ひとりの部屋でコンビニ弁当を開くとき、その晩酌のたった一本の缶ビールに幸福を感じられる『達人』が少なからずいるのを知っている。彼には、幸せは毎晩やって来る。幸せは毎晩やって来る

  • ワードセンス、もしくは語彙力のこと

    WordSenseという言葉がある。話したり書いたりするときに使う『最も相応しい言葉を直感的に選択する能力』のことを指す。日本語の訳語で一番近いのは『語彙力』か。誰だったか、『生活を共にするならワードセンスの似ている人がいい』と言っていた。共同生活する条件としては、ないよりはあった方がストレスの軽減に役立ちそう。文献なり小説なりを読んでいて、文体が不思議としっくりくる著者がいる。それも言ってみれば、著者と読者のお互いの語彙力、ワードセンスが半ばシンクロしているのが理由と言える。ワードセンス、もしくは語彙力のこと

  • 腰越、稲村ヶ崎の向こうに沈む夕陽は...

    夏の花、夾竹桃が生け垣に花盛り。桃色の八重咲きよりも、白い、可憐な一重咲きに心が動く。*午前中、坂ノ下の波消しブロックに座っていて閃いた——海でいち日遊んで、夕方またここへ来ようと...。この空模様なら、腰越、稲村ヶ崎の向こうに沈む夕陽は、きっと朱に燃えて、手を伸ばしたくなる程美しいに違いないと思ったのだった。【TheHollyridgeStrings-Wendy】腰越、稲村ヶ崎の向こうに沈む夕陽は...

  • 用途が特定・限定されるもの

    ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、その主著『森の生活』に「暖炉で燃やす薪は、人を二度暖める」と書いた。薪割りで一汗かかせ、それを燃やし、部屋と身体を暖めてくれるというわけだ。世の中に存在するもので、用途・役割が複数考えられるものは多い。しかし、人は、そんなことを考えることもなく(そんな暇もなく)、当たり前のように日常を生きる。用途が特定・限定されるものを厳密にあげつらおうとすると、むしろこの方が難しいのに気付く。用途が特定・限定されるもの——それって、一体どんなものがあるだろう❓思い浮かぶのは、旧来の、食パンを縦に二枚焼くトースター。一方、現代に普及しているオーヴン・トースターは一応万能で焼けるが、前者の食パンを立てて焼く伝統的なトースターは、それのみしか用途がないーーだからか、後者は、メーカーのカタログ...用途が特定・限定されるもの

  • ありがちな警句

    『急ぐべからず、されど休むべからず』——急ぐな、しかし、サボるのもいけない——なんと言うことはない、ありがちな警句だが、末尾にゲーテとあると、にわかに印象が変わってくる。ありがちな警句

  • 名声に背を向ける人

    約束された名声に背を向ける人達がいる——彼女もまた、そういったうちのひとりだった。【TheBuffaloSpringfield-Mr.Soul】名声に背を向ける人

  • アメリカン・ポップスが聞こえていたせいか

    「葉書くらいの大きさのスケッチブックを上着のポケットから出して、立ち止まって鉛筆デッサンしている絵描きのオジサンって、昔は、いっぱいいたよね」とイチ子がデッキのベンチに掛けて誰かの画集を見ながら言う。そう言われてみれば、事実、確かにそうだ。イチ子は、何を切っかけにそんなことを思い付いたのか——庭のウッド・デッキまでコードを延ばしたHomePodminiから五十年位前に流行ったアメリカン・ポップスが聞こえていたせいか。そんな『絵描きのオジサン』を巷で見なくなってからも、毎年、美術学校からは一定数の学生が卒業していくというのに、これは一体どういう事だろう。写生と写真は別物だから、デッサンがデジカメに吸収されたという説は簡単には信用できない。【TerriClark-Kodachrome】古いアメリカン・ポップスが聞こえていたせいか

  • お金というものは使わなければ嫌でも貯まる

    人生百年と言われる中、リタイア後に、年金生活がままならない世代がバンバン増えつつある。現役時代には多くの人が、少なくとも同業者の平均年収程度を満たしていたはずだがら、歳をとって「お金がない」のは、生涯余程の不幸がなかった限り、人生のどこかでボタンをかけ違えたことになる。そういう人は自分のせいとも言い難く、「世の中が悪い!」という言い分になろう。それにも一理はあるが、それは、お金の本質をわきまえてない言い方だ。収入に関わらず、お金というものは使わなければ嫌でも貯まるし、使えば嫌でも無くなる——たったそれだけのこと。お金というものは使わなければ嫌でも貯まる

  • 夜半、突然の驟雨

    夜半、突然の驟雨——パラパラ...、バラバラ...、と庭のナンテンの木立が音を立てる——まるで、夏の子供達が、露地を駆けていく靴音のようだ。夜半、突然の驟雨

  • ゼロがひとつ足りないわよ

    偶然の一致か、日本の一般的な古書店と英国のそれとはほとんど同じ形態の店作りで小商いの域を出ない。ところが米国の古書店となると日本では極めて特殊な部類に入る稀覯本専門店が主流となる。それなら昔出た本を安価に読む手立てはないのかというと、そういうのは図書館へ行けば備わっていることがコンセンサスとなっている。だから日本と違い、古典でも複数冊、ベストセラーとなると十冊、二十冊が書棚に並んでる。図書館と読者の距離が一番近いのは、システム的にやはり米国ということになりそうだ。ところで、この間、こんなコラムを読んだ。「アメリカの古書市(業務用のマーケットで、シロウト個人が足を踏み入れるようなところではないらしい)にイアン・フレミングの007シリーズ第一作『カジノ・ロワイヤル』の初版が13万ドルで出品され、デイーラー達は...ゼロがひとつ足りないわよ

  • ソウルから東京新宿にやって来て野垂れ死に

    芥川賞に比する韓国の文学賞に李箱賞というのがある。文学好きなら欧米の文学賞のひとつやふたつは聞いたことがあるだろうが、隣国の文学賞を知る者は少ない。李箱は、イ・サンと読む。併合後のソウル出身なので、半島出身日本人と表現してもいい。朝鮮語でも日本語でも著作があり、27歳でソウルから東京にやって来て、野垂れ死にが如く新宿区で亡くなったと言えば多少馴染みがあっても良さそうなものだが、そうならなかった理由は民族的なことなどでは毛頭無く、作品の高尚さにある。当時の日本人の評価は、天才か否かの両極であり、常人の理解を遙かに超えた。尤も稲垣足穂が変なオジサンに見られる国だから、李箱の評価が分かれるのも有り得る話だ。理解するに難しいが、私は、彼を天才に分類したい。さて、その李箱賞だが、短編・中編が対象である。受賞者は記念...ソウルから東京新宿にやって来て野垂れ死に

  • ハンバート氏がその夏の炎天下

    ハンバート氏がその夏の炎天下、庭の芝生を刈る手を休めては飲んでいたロンドン・ドライジンのオレンジジュース割りを作ってみた。彼がそれをステアしたかどうかは、ナボコフは書いていない。ハンバート氏がその夏の炎天下...

  • 決定する動機

    芸術家にとって、降りてきた閃きを発展させ、作品に昇華させようとするとき、『いかなる技法の選択が、そのときの自分にとって最も有効であるか』を決定する動機は何か。【Magic-OhCalifornia】 決定する動機

  • イワタバコの切り通し

    梅雨のさ中、明月院の人いきれを避け、禅宗の古刹浄智寺の土壁に沿って進むと、その先は細い山道となって小尾根を越える。*梅雨明け間近の七月半ば...。荏柄天神下の切り通しでイワタバコの崖を見つけて、イチ子さんが「あっ」と小さな声を上げる。【NancyBoyd-Alover'sconcerto】イワタバコの切り通し

  • モデレートに降る雨

    深夜、モデレートに降る雨が、庭の灌木の茂みに柔らかな音を立てる。雨音も、心地よく聞こえる瞬間があるものだ。今夜、七月最初の夜。モデレートに降る雨

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