冒険家・プロスキーヤーの三浦雄一郎、豪太によるアンチエイジング、 低酸素トレーニング、キッズキャンプ。登山ガイド・博士(体育学)の安藤真由子によるOUTDOOR塾。トレイルランナー宮﨑喜美乃による初心者向けのトレラン情報を発信。
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2019年3月30日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 1月、南米の最高峰のアコンカグアに挑んだ僕たちの遠征は強風によって停滞し、僕の父、三浦雄一郎の心臓のコンディションを危惧した山岳医の大城和恵先生がドクターストップをかけた。副隊長だった僕は医師の判断に従うように父を説得した。父の頂上への思いは非常に強く、この説得には全身全霊を込めなければならなかった。長い沈黙の後、父が言った。「豪太たちだけでも頂上に行ってくれ」 僕は父の言葉に従いアコンカグアに登ったが、その間、あんな形で父を山から下ろしたことをずっと気に病んでいた。冒険と父の命とをてんびんにかけたことが、ひどくおこがまし
2019年3月23日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 中岡亜希さんと出会ったのは10年前だった。彼女は遠位型ミオパチーという難病を患っていた。手足の先など、体の中心と離れた箇所から筋力が失われるという筋疾患である。 当時、塾の先生をしていた彼女には、生徒たちと一緒に富士山に登りたいという願いがあり、僕がそのお手伝いをしたのが彼女と知り合うきっかけだった。 当時から明るく、積極的な人だった。自分が富士山に登るために「ヒッポ(HIPPO)」というフランス製のアウトドア用車いすを見つけ、やがて障害者たちの可能性を広げるためにこれを輸入し、あわせて指導者育成事業も始めた。ヒッポは、
2019年3月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 最近、僕に関わりのある2つのプロジェクトに大きな進展があった。 一つは一般社団法人の健康ビジネス協議会とともに進めてきた「NWSプロジェクト」という事業で、「次世代のアスリートを新潟県から排出し続けるために」というスローガンとともに5年前に発足した。きっかけとなったのは平野英功さん。ソチと平昌の両冬季五輪のスノーボード男子ハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢選手の父上である。2014年のソチ大会直前、歩夢選手をサポートする体制作りについて、英功さんが僕に相談を持ちかけたのが始まりだ。 強い選手が活躍し続けるためには
2019年3月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、慶應義塾大学医学部の坪田一男教授と志賀高原へスキーに行った。坪田先生は日本抗加齢医学会の前理事長。大のスキー好きで、学会の催しのいくつかをスキー場で主催なさったほどである。今回もリフトが動き出してから止まるまでスキーに明け暮れ、2日を費やして志賀高原のすべてのスキー場を一緒に回った。 リフトに乗りながら先生は、近視を抑制するバイオレットライトの話を聞かせてくださった。バイオレットライトは太陽光に含まれる紫色の光のことで、光の色の違いを示す波長(電磁波の長さ)は360~400ナノ㍍。これはとても短い波長だそうで,これよ
2019年3月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎は「スキーは足につけた翼だ」という。雪は、空に浮かぶ雲が冷えて重くなり、地面に降り積もったもの。雪の上を滑るスキーは雲の上で遊ぶ僕らの翼というわけだ。特に深雪の中を滑ると、空を飛ぶような浮遊感を感じる。スキー場がしっかりと整地してくれたバーンを滑るのも爽快だし、ジャンプ台から飛躍するのもまさに翼ならではの技である。 スキーにはこうした楽しさがある一方で、「コブ」を滑ることの魅力は少し独特である。コブはスキーヤーがエッジに圧力をかけたときに掘れる溝と、そこにたまった雪との落差によって形成される。このコブを利用し
2019年2月23日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、白馬コルチナスキー場で行われたジャパン・フリーライド・オープン(JFO)に参加した。フリーライドとは、バックカントリーエリアと呼ばれるスキー場管理外、あるいは場内でも圧雪のされていない複雑な自然の地形を残したエリアで行われるスキー、スノーボードの大会である。 ライン取りの難度、エアとスタイル、滑りのスムーズさ、コントロールとテクニックといった項目が採点対象となる。エアは派手に飛べばよいというものでもなく、正確さ、スピード、ラインの創造性も重視する。間口が広いため、出身が競技スキーでもスノーボードでも、ライダーたちのル
2019年2月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 1月のアコンカグア遠征で、登頂を目指す僕の父、三浦雄一郎に対してドクターストップをかけたのは、チームドクターの大城和恵先生であった。 大城先生にはこれまで何度かこのコラムに登場してもらっているが、その内容は、主に山岳地帯で医療を提供する国際山岳医としての立場のものが多かった。しかし、先生の活動はそれだけにとどまらない。 山岳救助とその安全のための知識や技術の普及を目的とする国際山岳救助協議会(ICAR)に所属する大城先生は、欧米の救助技術や情報を全国の警察と共有しながら、救助活動のアドバイスや応急処置の指導にあたっている
2019年2月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今回のアコンカグア遠征の目的は登頂だけでなく、親子でスキーを履いて山頂付近を滑ることだった。 だが父の三浦雄一郎にドクターストップがかかり、その目的はかなわなかった。ヘリコプターで下山した父をニド・デ・コンドレスのキャンプ地で見送った翌日、僕たちは頂上に立った。標高差1500㍍を一気に登り、またニドまで下りる過酷な道のり。山頂付近のスキーどころではない。戻ったときは精根尽きていた。 ところがニドで酸素をゆっくり吸って、ひと晩、体を休めると、僕は自分が十分に回復していることを実感した。登頂翌日の1月22日。遠征隊は標高5500
2019年2月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎にドクターストップがかかり、アコンカグア(標高6960㍍)登頂の夢を果たせなかった。遠征隊は1月20日にキャンプ地ニド・デ・コンドレスまで下り、父はそこからヘリコプターで下山した。 ニドに残った僕はその夜、ほとんど眠れなかった。父を説得して登頂を断念させた僕が、父に代わり隊を率いて山を登る。想像もしないことだった。だが頭の混乱は、闇夜の中で準備を進めるうちに静まった。登頂という一点に集中すれば物事が単純に思えてくる。気持ちが楽になると体も軽くなるようだった。 21日未明出発。足がよく動く。前日に父と下った
2019年1月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 1月20日の朝食後、大城和恵ドクターが僕を呼び止めた。「夜中のお父さんの息づかいを聞いた?」 ここは標高6000㍍のプラサ・コレラキャンプ。アコンカグア遠征隊の中で僕と先生だけが、父の三浦雄一郎と同じテントに寝泊りしていた。86歳の父の体と酸素の吸入具合をチェックするためで、夜間、尿瓶に排尿する父の激しい呼吸を僕も耳にしていた。 僕たちはヘリコプター飛行を経てここに来た。本来は高所で上り下りして体を順化させるのが手順だが、父はそれだけで体力を使い切る深刻な恐れがあった。だがヘリを使ったことで父の体は高所に順応できず、補
2019年1月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎にとって今回のアコンカグア(標高6960㍍)遠征は33年ぶりの再訪である。この稿を書き送った日本時間の17日現在、僕たち遠征隊は同4200㍍のベースキャンプにいる。ここで父はふと「アコンカグアはこんなに大きな山であったか」と漏らした。 これまで数々の冒険を経験した父も、やはり加齢で体力が衰えている。同年代の人からすると筋肉量は抜きんでているが、不整脈などによる心肺機能の低下が認められ、それが高度順化にも影響している。 33年前、父は僕の兄である三浦雄大を伴ってアコンカグアに登った。当時の兄は20歳の現役ス
2019年1月12日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 ともにアルゼンチン国内にある首都ブエノスアイレスからメンドーサへの移動便は、南米大陸を横切って東から西へ飛ぶ。機内から窓を眺めると、ひたすら平たんな土地を豊かな農場が埋めていた。山らしい山が見られるのはメンドーサに着いてから。アンデス山脈の東側の入口に当たる都市がここである。 南北に7500キロを走る世界最長のアンデス山脈は、縦に伸びる3つの山脈が重なるように並んだ帯状の造りになっている。僕の父、三浦雄一郎以下この遠征隊が目指す南米最高峰アコンカグアにいたるには、うち2つの山脈を越えなければいけない。メンドーサを出発し、
2019年1月5日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎とともに、南米最高峰アコンカグアに向けて出発した。羽田空港をたったのが1月2日。機中では久しぶりに穏やかな時間を過ごした。 今回のような遠征には、大きく分けて2つの準備がある。1つは必要な装備をそろえること。もう1つは山に登るための肉体的な準備である。後者には特に細心の注意を払い、僕らはこの2年間、父の体力や持病の不整脈の様子を見さだめてきた。 その最後のチェックとなったのが、年末に北海道大野記念病院で行った精密検査である。今回の遠征にも同行している国際山岳医の大城和恵先生が診断してくれた。86歳になった
2018年12月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 来年1月のアコンカグア遠征に向けて、父の三浦雄一郎と僕は現在、東京・代々木にある低酸素室で高度順化に努めている。低酸素室とは、酸素濃度を薄めて高所環境に近づけた部屋のことである。 高所トレーニングというと、一般的には高所で走ったり登山をしたりというイメージを抱かれるかもしれない。もちろん、体を動かすのも高度順化の一部だが、部屋の中で安静にしていたり、ごろごろ寝ていたりするのも立派なトレーニングである。 低酸素室に入るとき、僕たちはパルスオキシメーターという機器を指に装着する。この装置が指先に光を透過させることで、血中
2018年12月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 12月3日。86歳になった僕の父、三浦雄一郎が来年1月に南米最高峰アコンカグアに登り、スキーで滑走するという計画を記者会見で公表した。一緒に遠征する僕も同席したこの会見には、多くの報道陣が集まって記事や番組で取り上げてくれた。父の挑戦が今でも人の注目を集めていることを改めて確認できた。 父はこれまでも、遠征前に必ず記者会見を開いてきた。その活動をひろく世に知ってもらうために。高齢になったいまも危険な挑戦を続けることに共感する人がいる半面、同じくらい反対意見がある。それは当然のことだと僕たちは受けとめているし、そのうえで、こ
2018年12月1日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎とともに挑む、南米最高峰の山アコンカグア(6960㍍)遠征が1ヵ月後に迫っている。今回はただ登るのではなく、スキーも滑る。そのための雪上トレーニングも必要で、それを先日の北海道合宿で行った。 札幌は例年より大幅に初雪が遅れ、トレーニングの舞台となったサッポロテイネスキー場もオープン前だった。僕たちには好都合だったのかもしれない。もし営業していたら、こんなに堂々とスキー場の真ん中を歩いて登れなかっただろう。 今回は体力トレーニングに加え、装備の確認も目的の一つであった。スキーの滑走面にシール(逆毛のついた滑り
2018年11月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 友人がキリマンジャロを登るというので、トレーニングにつきあって神奈川の丹沢にある大山を登ってきた。江戸時代、年間20万人が「大山詣(まい)り」に来山したとされる信仰の山である。 行ってみると、沿道は霊験ある山の来歴を示して、多くの土産物屋や茶屋が軒を並べていた。女坂を登り、阿夫利神社下社に着いたところで、雨が強く降りだした。急いで茶屋の一軒に立ち寄って雨宿り。お団子やコーヒーを注文すると、店のおばちゃんが大山のことをいろいろ教えてくれた。おもしろかったのが「大山は富士山のお父さん」という話である。 驚いたことに、富士
ピアニストの脳と筋肉(写真提供: Tomoko Hidaki)
2018年10月6日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 ピアニストの市川高嶺さんのリサイタルを東京文化会館で鑑賞したのは8月のことである。彼女はプロのピアニストでありながら大のスキー好きで、僕たちのスキーキャンプのお手伝いも良くしてくれる。 これまでにも、彼女のリサイタルには何度か行ったことがあるが、とりわけ今回、市川さん自身が特別な思いを抱いている東京文化会館での演奏に僕も居合わせることができたのは、光栄なことだった。ここでリサイタルするまでには厳しい審査があり、ピアニストとして真価を問われるのだ。そのため市川さんは開催が決まった1年前から好きなスキーを控え、生活の大部分をこ
2018年11月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 10月、新潟県阿賀野市で「健康と温泉フォーラム」が開催された。このフォーラムは、温泉地の自治体や観光関連企業が集まり、医療や環境の専門家も加えて意見を交わす場である。僕は以前から阿賀野市などでのアンチエイジングの活動に携わっていることから、ゲストスピーカーとして参加した。 温泉の効果にヒートショックプロテイン(HSP)がある。僕たちの体を作っているタンパク質は、高温によって変質しやすい。しかし同時に、細胞が熱などのストレスにさらされると、細胞を保護するタンパク質も増えていく。これがHSPである。HSPは高温や活性酸素、
2018年11月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕は毎年2回、地元逗子で豪太会というのを開いている。鎌倉、逗子、葉山の山から逗子海岸まで歩き、バーベキューをするというイベントで、今年で8年目、通算16回目になる。 逗子一円には山々が点在し、登山ルートやトレイルがいたるところにある。これらの山道には鎌倉時代から人の通いがあって、元をただせば修験道だったり関所が設けられていたりして、歴史がある。こうしたトレイルの入口の多くは住宅街の脇やお寺の裏にあって、目立たない。そこから一歩入ると、深い森がひろがっていたりする。 つい先日の豪太会は東逗子駅に集合し、神武寺や鷹取山を
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