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冒険家・プロスキーヤーの三浦雄一郎、豪太によるアンチエイジング、 低酸素トレーニング、キッズキャンプ。登山ガイド・博士(体育学)の安藤真由子によるOUTDOOR塾。トレイルランナー宮﨑喜美乃による初心者向けのトレラン情報を発信。

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2021/08/19

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  • 冒険の理由

    2019年3月30日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 1月、南米の最高峰のアコンカグアに挑んだ僕たちの遠征は強風によって停滞し、僕の父、三浦雄一郎の心臓のコンディションを危惧した山岳医の大城和恵先生がドクターストップをかけた。副隊長だった僕は医師の判断に従うように父を説得した。父の頂上への思いは非常に強く、この説得には全身全霊を込めなければならなかった。長い沈黙の後、父が言った。「豪太たちだけでも頂上に行ってくれ」 僕は父の言葉に従いアコンカグアに登ったが、その間、あんな形で父を山から下ろしたことをずっと気に病んでいた。冒険と父の命とをてんびんにかけたことが、ひどくおこがまし

  • 障がい者も一緒にスキー

    2019年3月23日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 中岡亜希さんと出会ったのは10年前だった。彼女は遠位型ミオパチーという難病を患っていた。手足の先など、体の中心と離れた箇所から筋力が失われるという筋疾患である。 当時、塾の先生をしていた彼女には、生徒たちと一緒に富士山に登りたいという願いがあり、僕がそのお手伝いをしたのが彼女と知り合うきっかけだった。 当時から明るく、積極的な人だった。自分が富士山に登るために「ヒッポ(HIPPO)」というフランス製のアウトドア用車いすを見つけ、やがて障害者たちの可能性を広げるためにこれを輸入し、あわせて指導者育成事業も始めた。ヒッポは、

  • 次代担う選手育てる

    2019年3月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 最近、僕に関わりのある2つのプロジェクトに大きな進展があった。 一つは一般社団法人の健康ビジネス協議会とともに進めてきた「NWSプロジェクト」という事業で、「次世代のアスリートを新潟県から排出し続けるために」というスローガンとともに5年前に発足した。きっかけとなったのは平野英功さん。ソチと平昌の両冬季五輪のスノーボード男子ハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢選手の父上である。2014年のソチ大会直前、歩夢選手をサポートする体制作りについて、英功さんが僕に相談を持ちかけたのが始まりだ。 強い選手が活躍し続けるためには

  • 太陽光と近視

    2019年3月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、慶應義塾大学医学部の坪田一男教授と志賀高原へスキーに行った。坪田先生は日本抗加齢医学会の前理事長。大のスキー好きで、学会の催しのいくつかをスキー場で主催なさったほどである。今回もリフトが動き出してから止まるまでスキーに明け暮れ、2日を費やして志賀高原のすべてのスキー場を一緒に回った。 リフトに乗りながら先生は、近視を抑制するバイオレットライトの話を聞かせてくださった。バイオレットライトは太陽光に含まれる紫色の光のことで、光の色の違いを示す波長(電磁波の長さ)は360~400ナノ㍍。これはとても短い波長だそうで,これよ

  • コブを滑る奥深さ

    2019年3月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎は「スキーは足につけた翼だ」という。雪は、空に浮かぶ雲が冷えて重くなり、地面に降り積もったもの。雪の上を滑るスキーは雲の上で遊ぶ僕らの翼というわけだ。特に深雪の中を滑ると、空を飛ぶような浮遊感を感じる。スキー場がしっかりと整地してくれたバーンを滑るのも爽快だし、ジャンプ台から飛躍するのもまさに翼ならではの技である。 スキーにはこうした楽しさがある一方で、「コブ」を滑ることの魅力は少し独特である。コブはスキーヤーがエッジに圧力をかけたときに掘れる溝と、そこにたまった雪との落差によって形成される。このコブを利用し

  • フリーライドの魅力

    2019年2月23日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、白馬コルチナスキー場で行われたジャパン・フリーライド・オープン(JFO)に参加した。フリーライドとは、バックカントリーエリアと呼ばれるスキー場管理外、あるいは場内でも圧雪のされていない複雑な自然の地形を残したエリアで行われるスキー、スノーボードの大会である。 ライン取りの難度、エアとスタイル、滑りのスムーズさ、コントロールとテクニックといった項目が採点対象となる。エアは派手に飛べばよいというものでもなく、正確さ、スピード、ラインの創造性も重視する。間口が広いため、出身が競技スキーでもスノーボードでも、ライダーたちのル

  • 山岳医療を科学する

    2019年2月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 1月のアコンカグア遠征で、登頂を目指す僕の父、三浦雄一郎に対してドクターストップをかけたのは、チームドクターの大城和恵先生であった。 大城先生にはこれまで何度かこのコラムに登場してもらっているが、その内容は、主に山岳地帯で医療を提供する国際山岳医としての立場のものが多かった。しかし、先生の活動はそれだけにとどまらない。 山岳救助とその安全のための知識や技術の普及を目的とする国際山岳救助協議会(ICAR)に所属する大城先生は、欧米の救助技術や情報を全国の警察と共有しながら、救助活動のアドバイスや応急処置の指導にあたっている

  • アコンカグアでスキー

    2019年2月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今回のアコンカグア遠征の目的は登頂だけでなく、親子でスキーを履いて山頂付近を滑ることだった。 だが父の三浦雄一郎にドクターストップがかかり、その目的はかなわなかった。ヘリコプターで下山した父をニド・デ・コンドレスのキャンプ地で見送った翌日、僕たちは頂上に立った。標高差1500㍍を一気に登り、またニドまで下りる過酷な道のり。山頂付近のスキーどころではない。戻ったときは精根尽きていた。 ところがニドで酸素をゆっくり吸って、ひと晩、体を休めると、僕は自分が十分に回復していることを実感した。登頂翌日の1月22日。遠征隊は標高5500

  • 失敗に学ぶ

    2019年2月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎にドクターストップがかかり、アコンカグア(標高6960㍍)登頂の夢を果たせなかった。遠征隊は1月20日にキャンプ地ニド・デ・コンドレスまで下り、父はそこからヘリコプターで下山した。 ニドに残った僕はその夜、ほとんど眠れなかった。父を説得して登頂を断念させた僕が、父に代わり隊を率いて山を登る。想像もしないことだった。だが頭の混乱は、闇夜の中で準備を進めるうちに静まった。登頂という一点に集中すれば物事が単純に思えてくる。気持ちが楽になると体も軽くなるようだった。 21日未明出発。足がよく動く。前日に父と下った

  • 下山決断 父との対話

    2019年1月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 1月20日の朝食後、大城和恵ドクターが僕を呼び止めた。「夜中のお父さんの息づかいを聞いた?」 ここは標高6000㍍のプラサ・コレラキャンプ。アコンカグア遠征隊の中で僕と先生だけが、父の三浦雄一郎と同じテントに寝泊りしていた。86歳の父の体と酸素の吸入具合をチェックするためで、夜間、尿瓶に排尿する父の激しい呼吸を僕も耳にしていた。 僕たちはヘリコプター飛行を経てここに来た。本来は高所で上り下りして体を順化させるのが手順だが、父はそれだけで体力を使い切る深刻な恐れがあった。だがヘリを使ったことで父の体は高所に順応できず、補

  • 遠征の分岐点

    2019年1月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎にとって今回のアコンカグア(標高6960㍍)遠征は33年ぶりの再訪である。この稿を書き送った日本時間の17日現在、僕たち遠征隊は同4200㍍のベースキャンプにいる。ここで父はふと「アコンカグアはこんなに大きな山であったか」と漏らした。 これまで数々の冒険を経験した父も、やはり加齢で体力が衰えている。同年代の人からすると筋肉量は抜きんでているが、不整脈などによる心肺機能の低下が認められ、それが高度順化にも影響している。 33年前、父は僕の兄である三浦雄大を伴ってアコンカグアに登った。当時の兄は20歳の現役ス

  • アンデスとヒマラヤ

    2019年1月12日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 ともにアルゼンチン国内にある首都ブエノスアイレスからメンドーサへの移動便は、南米大陸を横切って東から西へ飛ぶ。機内から窓を眺めると、ひたすら平たんな土地を豊かな農場が埋めていた。山らしい山が見られるのはメンドーサに着いてから。アンデス山脈の東側の入口に当たる都市がここである。 南北に7500キロを走る世界最長のアンデス山脈は、縦に伸びる3つの山脈が重なるように並んだ帯状の造りになっている。僕の父、三浦雄一郎以下この遠征隊が目指す南米最高峰アコンカグアにいたるには、うち2つの山脈を越えなければいけない。メンドーサを出発し、

  • 事前調整に細心

    2019年1月5日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎とともに、南米最高峰アコンカグアに向けて出発した。羽田空港をたったのが1月2日。機中では久しぶりに穏やかな時間を過ごした。 今回のような遠征には、大きく分けて2つの準備がある。1つは必要な装備をそろえること。もう1つは山に登るための肉体的な準備である。後者には特に細心の注意を払い、僕らはこの2年間、父の体力や持病の不整脈の様子を見さだめてきた。 その最後のチェックとなったのが、年末に北海道大野記念病院で行った精密検査である。今回の遠征にも同行している国際山岳医の大城和恵先生が診断してくれた。86歳になった

  • 低酸素トレーニング

    2018年12月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 来年1月のアコンカグア遠征に向けて、父の三浦雄一郎と僕は現在、東京・代々木にある低酸素室で高度順化に努めている。低酸素室とは、酸素濃度を薄めて高所環境に近づけた部屋のことである。 高所トレーニングというと、一般的には高所で走ったり登山をしたりというイメージを抱かれるかもしれない。もちろん、体を動かすのも高度順化の一部だが、部屋の中で安静にしていたり、ごろごろ寝ていたりするのも立派なトレーニングである。 低酸素室に入るとき、僕たちはパルスオキシメーターという機器を指に装着する。この装置が指先に光を透過させることで、血中

  • 記者会見の決意

    2018年12月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 12月3日。86歳になった僕の父、三浦雄一郎が来年1月に南米最高峰アコンカグアに登り、スキーで滑走するという計画を記者会見で公表した。一緒に遠征する僕も同席したこの会見には、多くの報道陣が集まって記事や番組で取り上げてくれた。父の挑戦が今でも人の注目を集めていることを改めて確認できた。 父はこれまでも、遠征前に必ず記者会見を開いてきた。その活動をひろく世に知ってもらうために。高齢になったいまも危険な挑戦を続けることに共感する人がいる半面、同じくらい反対意見がある。それは当然のことだと僕たちは受けとめているし、そのうえで、こ

  • 南米最高峰、父と挑む

    2018年12月1日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎とともに挑む、南米最高峰の山アコンカグア(6960㍍)遠征が1ヵ月後に迫っている。今回はただ登るのではなく、スキーも滑る。そのための雪上トレーニングも必要で、それを先日の北海道合宿で行った。 札幌は例年より大幅に初雪が遅れ、トレーニングの舞台となったサッポロテイネスキー場もオープン前だった。僕たちには好都合だったのかもしれない。もし営業していたら、こんなに堂々とスキー場の真ん中を歩いて登れなかっただろう。 今回は体力トレーニングに加え、装備の確認も目的の一つであった。スキーの滑走面にシール(逆毛のついた滑り

  • 「山の神様」の世界

    2018年11月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 友人がキリマンジャロを登るというので、トレーニングにつきあって神奈川の丹沢にある大山を登ってきた。江戸時代、年間20万人が「大山詣(まい)り」に来山したとされる信仰の山である。 行ってみると、沿道は霊験ある山の来歴を示して、多くの土産物屋や茶屋が軒を並べていた。女坂を登り、阿夫利神社下社に着いたところで、雨が強く降りだした。急いで茶屋の一軒に立ち寄って雨宿り。お団子やコーヒーを注文すると、店のおばちゃんが大山のことをいろいろ教えてくれた。おもしろかったのが「大山は富士山のお父さん」という話である。 驚いたことに、富士

  • ピアニストの脳と筋肉(写真提供: Tomoko Hidaki)

    2018年10月6日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 ピアニストの市川高嶺さんのリサイタルを東京文化会館で鑑賞したのは8月のことである。彼女はプロのピアニストでありながら大のスキー好きで、僕たちのスキーキャンプのお手伝いも良くしてくれる。 これまでにも、彼女のリサイタルには何度か行ったことがあるが、とりわけ今回、市川さん自身が特別な思いを抱いている東京文化会館での演奏に僕も居合わせることができたのは、光栄なことだった。ここでリサイタルするまでには厳しい審査があり、ピアニストとして真価を問われるのだ。そのため市川さんは開催が決まった1年前から好きなスキーを控え、生活の大部分をこ

  • ストレスは体を強くする

    2018年11月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 10月、新潟県阿賀野市で「健康と温泉フォーラム」が開催された。このフォーラムは、温泉地の自治体や観光関連企業が集まり、医療や環境の専門家も加えて意見を交わす場である。僕は以前から阿賀野市などでのアンチエイジングの活動に携わっていることから、ゲストスピーカーとして参加した。 温泉の効果にヒートショックプロテイン(HSP)がある。僕たちの体を作っているタンパク質は、高温によって変質しやすい。しかし同時に、細胞が熱などのストレスにさらされると、細胞を保護するタンパク質も増えていく。これがHSPである。HSPは高温や活性酸素、

  • おいしさのスパイス

    2018年11月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕は毎年2回、地元逗子で豪太会というのを開いている。鎌倉、逗子、葉山の山から逗子海岸まで歩き、バーベキューをするというイベントで、今年で8年目、通算16回目になる。 逗子一円には山々が点在し、登山ルートやトレイルがいたるところにある。これらの山道には鎌倉時代から人の通いがあって、元をただせば修験道だったり関所が設けられていたりして、歴史がある。こうしたトレイルの入口の多くは住宅街の脇やお寺の裏にあって、目立たない。そこから一歩入ると、深い森がひろがっていたりする。 つい先日の豪太会は東逗子駅に集合し、神武寺や鷹取山を

  • 富士登山の強い味方

    2018年10月27日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 10月24日。僕は父の三浦雄一郎とともに富士山の佐藤小屋にいる。今回の合宿に先立って降雪に見舞われ、五合目付近まで雪が積もっていたが、小屋の当主である佐藤保さんが「小屋まで一緒に車で登りましょう」と申し出てくださった。 通常、富士山の登山シーズンは7月の初旬から9月の初旬までである。10月になると、ほかの富士の山小屋は閉まっているが、唯一、富士吉田五合目にある佐藤小屋だけは通年で営業している(登山シーズン以外要予約) 風雪の厳しいことでは、冬季の富士山はヒマラヤに優るといわれている。富士山は日本の最高峰であり、独立峰

  • 飢餓なき世界をめざして

    2018年10月20日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 国連WFPという組織をご存知だろうか。WFPとはワールド・フード・プログラム(世界食糧計画)の略で、飢餓のない世界をめざす国連の支援機関である。このWFPの顧問についている僕は、先日、都内で授賞式を行った「WFPチャリティー エッセイコンテスト」で特別審査員を務めた。 このコンテストは6年前から毎年行われていて、応募1作品につき、発展途上国の子供一人の給食4日分(120円)が協力企業から国連WFPに寄付される。「おなか空いた、なに食べよ!」とテーマを掲げた今年は過去最多となる1万9291通もの応募があった。おかげで、貧

  • 山は最高のホスピタル

    2018年10月13日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 来年のアコンカグア登山に向けて、ただいま父の三浦雄一郎とともに富士山の佐藤小屋に山ごもりをしている。僕は富士山を身近にあるヒマラヤだと思っている。標高4000㍍近くで高所順化ができる山は、国内にはほかにない。 こういう場所に父が来ると、最初の2~3日は必ず持病の不整脈の症状が出て、血圧も高くなる。酸素が少なくなると、体が危険を察知して交感神経が過剰に働き、心臓の脈動が不安定になるのだ。 だが低酸素状態が数日続くと、体は適応をはじめる。低酸素誘導因子が働き、酸素を運ぶ赤血球を増やしていく。一度収縮した肺の毛細血管が拡張

  • ラガーマンの絆

    2018年9月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 サンゴリアスといえば、トップリーグに加盟するサントリーのラグビーチーム。そこでコーチを務めていた林雅人さんが春に僕たちの事務所を訪ねてきた。 僕と林さんの出会いは12年前に遡る。チームの士気を高めるため、サンゴリアスの選手50人ほどで富士山に登ったことがあった。その時に頂上までガイド役を務めたのが僕。その後、慶大のラグビー部監督に就任した林さんは、そこでも部員たちを連れて富士山を登ろうと考えた。しかしながらこの計画は、決行目前の合宿中に部員の一人が大けがを負ったために一頓挫してしまった。 止まったままの時間をまた動かした

  • 北海道地震に直面して

    2018年9月22日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 母が札幌に住んでいて、北海道地震の直後は安否が気遣われてならなかった。震源地に近い苫東厚真火力発電所が緊急停止し、これにより電力の需給バランスが崩れて、ほかの発電所も連鎖的に停止して北海道全域がブラックアウトした。 母が住んでいるのは札幌市中央区のマンションの8階だった。停電でエレベーターも使えなくなり、足の悪い母は外に出るのも苦労した。 電車も飛行機も不通となり、心配した僕たち家族は唯一運行していたフェリーで母を東京に連れてくる手段を思案した。しかし、楽天的な母は「そのうち電気はもどるわよ」といってフェリーには乗らず、

  • 富士に吹く風

    2018年9月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、友人たちと富士山へ行った。ただし登頂には至らず、富士南東の側火山である宝永山周辺を散策して帰ってきた。今回は20人を越える一行で、おのおのがこの日の登山のために都合をつけて集まったことを思えば、誠に残念な成りゆきだった。 登頂断念の理由は風である。富士宮ルートの起点となる富士宮口五合目でバスを降りると、いきなり体を持っていかれそうな強風が吹きつけてきたのだ。 予定では2日間の旅程を組んでいた。初日は九合目まで登って万年雪山荘に宿泊し、翌早朝に登頂してご来光をながめて下山するはずだった。しかし天気予報を確かめた僕は

  • 発見される工夫と努力を

    2018年9月1日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 警察庁によると、昨年の山での遭難者は3111人、死者、行方不明者は354人で、いずれも過去最多に達したそうだ。山岳事故や遭難の捜索と救助は、金銭的にも高くつく。多くの場合、遭難者やその家族は1日につき百数十万円の費用負担を求められる。 その負担額を登山家同士の相互扶助で軽減するのが日本山岳救助機構合同会社(jRO)だ。入会金2,000円で会員を募り、1人2000円の年会費と事後分担金を国内の山岳にまつわる活動(登山、ロッククライミング、スキー、スノーボード、マウンテンバイク、トレイルランニング)で発生した病気や事故、遭難の救

  • 生贄の祭事

    2018年8月18日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕たちが7月一杯までトレーニングを行っていたチリのバジェネバドスキー場は、標高3000㍍以上の高所にあった。そのスキー場の最高地点であるトレス・プンタス(同3700㍍)からはエル・プロモ山を一望できる。 同5430㍍におよぶこの峰は、この地域ではひときわ高く、チリの首都サンティアゴからもよく見える。古代インカ文明からの聖山とも言われている。 1953年、その山頂で一人のラバ使いが幼子のミイラを発見した。調べてみると、約500年前に埋葬された8歳の男児のミイラであった。保存状態は完璧で、きれいなローブを重ね着して、コカの葉

  • チリ合宿

    2018年8月4日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕たちが今回の合宿地に選んだのはチリの首都サンティアゴの東方、アンデス山脈にあるバジェネバドスキー場である。最高地点の標高は3700㍍。富士山の山頂でトレーニングするようなものだ。 僕たちがこの合宿地を選んだのは昨年のこと。父の三浦雄一郎がチョオユー(標高8201㍍)のスキー滑走を目標としていた頃だった。チョオユー遠征自体は今年になってチベット登山協会が8000㍍峰に立ち入る登山者に年齢制限を設けたため断念したが、その事前合宿として計画していたチリでの高所トレーニングはそのまま実現したわけである。 チョオユーへの出発は9

  • カントリーリスクと父

    2018年7月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 チベットの奥地にある世界第6位の高峰、チョオユー(標高8201㍍)。85歳でその山頂からスキーで滑り降りることを目標に、父の三浦雄一郎は5年前からトレーニングと準備を重ねていた。しかしその計画は今年になって頓挫した。チベット登山協会が、75歳以上の登山者に8000㍍峰への立ち入りを禁じたのである。 このように、その国の内情で目的の山に登れなくなったり、遠征が延期されたりすることを「カントリーリスク」という。僕たちもこれまでの遠征で、いくつかカントリーリスクを経験していた。 チベットのシシャパンマに登った2006年のこと

  • エベレストに登る医師

    2018年6月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 5月17日、日本人初の国際山岳医である大城和恵先生がエベレストに登頂した。大城先生は僕の父親である三浦雄一郎の遠征にこれまで何度も同行し、遠征隊のメンバーたちの健康管理に気を配ってくださった。父が80歳でエベレストに登頂したときは、不整脈持ちの父のためにキャンプ2(標高6400㍍)まで一緒にのぼり、下山も一緒だった。 北海道大野記念病院に勤めながら北海道と富山県、そして全国の警察山岳遭難救助アドバイザー医師として活躍し、登山関連のマニュアルづくりや遭難防止対策を手がけている。8000㍍峰のマナスルや欧州各地の名峰を難ルート

  • 冒険心、動物にも?

    2018年6月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕のスキーシーズンは先日の富士山をもって締めくくられた。僕たちミウラ・ドルフィンズのスタッフである五十嵐和哉さんと連れ立って、登山とスキー滑走に励んだ。 富士山の冬季や春の残雪期登山は、ヒマラヤ登山に負けないほどのリスクがある。富士山は独立峰であるため風の影響を強く受ける。風は方向も強さも不安定でとても危険だ。冬季は積雪量も多く、急斜面に降るので雪崩の恐れがある。春は春で、残雪の上の石や岩が温度の変化や風によって落下する。また寒暖の差の激しいこの時期は、一度解けた雪が夜間に凍り、早朝は一面スケートリンクのようになる。ヒマラヤ

  • アウトドア活動の意義

    2018年4月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、父の三浦雄一郎がスペシャルアドバイザーを務めるジャパンアウトドアリーダーズアワード(JOLA)の表彰式が行われた。JOLAはアウトドア活動を通じて生きる力を身につけることを目的に、次世代につながる活動に励む個人を顕彰している。2016年発足。今回で2度目の表彰式には、北海道から沖縄まで77人の応募があった。 応募者は表彰式前の選考で8人に絞られた。選考委員の一人にプロの登山家である竹内洋岳さんがいて、冒頭「選考にあたり多くの時間をかけ、真剣に選考委員たちで話し合い、今回の表彰式に至った」とあいさつしていた。 独自

  • モーグルと能楽の所作

    2018ネン4月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 現在、フリースタイルスキーには5つの種目がある。モーグル、エアリアル、スロープスタイル、ハーフパイプ、そしてスキークロスである。スピードを競うスキークロスをのぞけば、すべて技の難易度や完成度、美しさを競うジャッジスポーツだ。 僕の場合は、コブ斜面を勢いよく滑り降りてジャンプを決めるモーグル競技に夢中になり、冬季五輪の2大会に出場した。モーグルのターンは、激しい起伏の中でもスキー板が雪からはなれないスムースな接雪技術、激しいコブの突き上げにも負けない安定した上半身がハイスピードの滑りの中で要求される。 世界レベルの競技

  • 宝の持ち腐れ

    2018年4月14日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、新潟県かぐらスキー場のスキーイベントに参加した。宿泊先は、山の中腹にある和田小屋という名の山小屋である。一日スキーを楽しんでから、ここでスキー場の営業部長である中沢稔氏と雑談をしていたところ、中沢氏の携帯電話に一つの連絡が届いた。スキー場の外を滑る人、いわゆるバックカントリースキーやーの男性2人が道に迷っているというのだ。 近年はバックカントリーへの関心が高まり、かぐらスキー場でもコース外を滑るスキーヤー、スノーボーダーが増えている。そのため中沢氏はスキー場からコース外へと安全に行き来できるようにゲートを設けている。

  • ユーモアと危機管理

    2018年4月7日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、僕らはサッポロテイネスキー場でスキーキャンプを開いた。小学生から高校生までを参加対象とするこのキャンプで、父の三浦雄一郎が毎回話す逸話がある。それは青森出身の父の友人である3人の猟師さんが知床の流氷でアザラシ猟をしたときの話。 氷の下を泳ぐアザラシは時折、息継ぎのための流氷の隙間から顔を出す。物影に隠れた猟師は、そこを狙って鉄砲でアザラシを撃つ。 そのときも、3人の猟師さんはアザラシが顔を出すのを腹ばいになってじっと待っていた。それでおなかが冷えたのか、やがて彼らは便意をもよおし、仕方なくその場で用を足した。さら

  • 自由求む飽くなき精神

    2018年3月31日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 友人の元井益郎さんが5月にエベレスト登山に挑むというので先日、壮行会を開いた。 以前も紹介したように、元井さんは実年齢から18を引いた数字を「本当の自分の年齢」として自分の脳に言い聞かせているという独特のアンチエイジング法を実践している人物だ。ちなみに、彼によると「辰(たつ)年で東京五輪が開催された年(1964年)」生まれだ。 僕とは10年前に知り合った。以来、山に魅せられた彼は一緒にヒマラヤのカラパタール、富士山の村山古道(田子の浦から26時間かけて富士山頂上に行く過酷な登山)を登り、昨年は一緒に北米大陸デナリに登っ

  • パラに見た人の可能性

    2018年3月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 2月の平昌冬季五輪の後はスキーヤーとしての仕事が立て込み、毎日、雪の上に立っている。平昌パラリンピックはその合間を縫ってのテレビ観戦だった。 先日、滞在先のホテルで見たアルペンスキーの1種目、視覚障害者によるスーパー複合(スーパー大回転と回転を1本ずつ滑る)には本当に驚いた。視覚障害のある選手が前を滑るガイドスキーヤーの導きに従いながら旗門をくぐり、タイムを競う。 ガイドと選手は無線のマイクでつながれている。そこから聞こえるガイドの指示を頼りに、選手たちはものすごいスピードで旗門間隔の短い回転コースを的確に滑っている。

  • 文武両道のスキーヤー

    2018年3月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 韓国の平昌では五輪が終わり、パラリンピックが大詰めを迎えているが、「次」を目指す取り組みはとうに始まっている。先日、4年後の北京冬季五輪に向けた選手育成を目的に「ナスターレース・ユースジャパンカップ」が苗場スキー場で開催された。 前走にはアルペンの古今の名選手が登場した。ひとりは平昌五輪に出場したばかりのオリンピアン、石井智也選手。ひとりは、かつて4度にわたってワールドカップ(W杯)大回転の種目別総合優勝に輝いたスイス人、ミヒャエル・フォングリュニンゲン氏である。 初日のレース後、主催者と子供達を交えたウェルカムパーテ

  • 五輪 もう一つの主人公

    2018年3月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日閉幕した平昌五輪でフリースタイルスキーのテレビ解説を受け持った僕は、ちょうど20日間を会場のフェニックス・スノーパークで過ごした。 僕が携わる冬季五輪はこれで7大会目である。モーグルの選手として2大会(1994年リレハンメル、98年長野)、解説者として5大会(2002年ソルトレークシティー、06年トリノ、10年バンクーバー、14年ソチ、18年平昌)。五輪の主役はもちろん選手たちだが、開催国(開催都市)もまたもう一つの主人公だと僕は感じる。過去7大会で訪問したそれぞれの国に特徴があり、それぞれの楽しみを与えてくれた。

  • スキークロスは情報戦

    2018年3月3日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 平昌五輪が閉幕した。解説者として現地にいた僕の最後の仕事が女子スキークロスであった。 スキークロスは通常4人同時にスタートして様々な障害物を乗り越えながらゴールを目指し、うち上位2名が次のラウンドへ勝ち進む。日本ではまだなじみの薄いこのフリースタイルスキー種目に、日本勢として唯一出場したのが梅原玲奈選手。彼女はもともと日本屈指のアルペン選手であった。ターンに定評があり、過去に回転や大回転で全日本を制している。 その梅原選手が雪上の格闘技ともいわれるスキークロスを始めたのは、1人ずつ滑るアルペンと違って「自分だけに集中できな

  • ワックス、静かなる進化

    2018年2月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 平昌五輪のテレビ解説のため現地で取材を続けているうちに、金谷浩司さんと再会することができた。 金谷さんは全日本チームのサービスマンとして、フリースタイルスキー・女子ハーフパイプの小野塚彩那選手と女子スキークロス代表の梅原玲奈選手のスキー板の整備を担当している。これらはフリースタイルスキーの中でも、特にスキーの仕上がりに左右される種目といえる ハーフパイプはパイプを半分に切ったようなコースを滑り、垂直に切り立った壁のふちを使って飛び上がる。この雪の壁がカチカチに硬い。滑り上がる時、その硬さに負けずにエッジがしっかりとかかる

  • 受け継がれたもの

    2018年2月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 平昌五輪のフリースタイルスキー。12日夜、モーグル会場のフェニックス・スノーパークでは男子決勝3回目に勝ち残った6人の選手が最後のメダル争いを前にして、体を動かしたり、自分の滑りのイメージづくりに励んだりしていた。 そのひとり、原大智選手は2回目の滑りで最高得点を出していた。最後の3回目では最終走者となり、メダルが目の前にちらついている。常人であれば、まともな精神状態ではいられないはずだ。 僕はゴールエリア近くにあるテレビの解説席に座り、出走直前の選手の様子を映し出す国際映像をモニターで見ていた。すると「もう楽しくてし

  • 五輪の秘めたる力

    2018年2月3日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、長野県高山村にある「YAMABOKUワイルドスノーパーク」で毎年恒例のスノーシュー体験会を行った。快晴に恵まれ、リフトを降りると正面に北信5岳を望むことができた。中心にそびえる飯縄山が目に入り、20年前の長野冬季五輪が思い出された。 あの山の麓にある飯綱高原スキー場は長野五輪フリースタイルスキーのモーグル会場だった。1998年2月8日に予選が行われ、勝ち残った男子16人、女子16人の選手が11日の決勝でメダルを争った。当時僕は28歳。現役選手として最後の五輪という覚悟で決勝に望んだ。数千人の観客が会場を埋めていた。そ

  • 五輪で味わった緊張

    2018年1月27日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 2月9日の平昌五輪開幕まで2週間を切った。僕はフリースタイル競技4種目の解説のため現在、多くの選手やコーチから話を聞いている。今月20日にカナダでワールドカップ(W杯)初優勝を飾った堀島行真選手(中京大)の話しも電話で聞くことができた。昨年、堀島選手はフリースタイルスキー世界選手権のモーグルとデュアルモーグルの両方を制した。これは過去にも成し遂げたことのない偉業である。 あれから彼がどのように過ごしたかを一通り聞いた後、「がんばって」と結んで電話を切ろうとすると反対に堀島選手に質問された。 「オリンピックって緊張しますか

  • けが乗り越え輝く選手

    2018年1月20日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 毎年恒例の「K2キャンプ」が先日開催され、僕も顔を出してきた。スキーとスノーボードにおけるトップライダーが集結するキャンプである。 ゲレンデやバックカントリーで道具を一日中試乗する。その後の夜の意見交換も楽しみの一つである。話が弾んだ相手がスノーボードのプロライダーである田中幸さん。彼女はスロープスタイルの公式練習中に大けがを負った話を僕に聞かせてくれた。 その日は晴れていて、コンディションは良さそうだった。キッカー(ジャンプ台)は過去に試したことのないもので、常であれば台を横から見たりインスペクション(下見)をしたり

  • 経験から雪崩を予報

    2018年1月13日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 北海道のニセコ地区では現在、防災科学技術研究所の雪氷防災研究センターによる雪崩研究が行われている。研究チームは新潟県長岡市から来ていて、ニセコ雪崩調査所所長の新谷暁生さんが経営するペンション「ウッドペッカー」に居候している。名古屋大学大学院の西村浩一教授の研究チームで、西村教授にとって新谷さんもまた興味深い研究の対象である。 新谷さんは一流の登山家であり、世界を股にかけるシーカヤックの乗り手である。同調査所の所長としても過去に何度も当欄に登場している。 ニセコのスキー環境は、世界有数のバックカントリースキーの名所として

  • スキーが上達するコツ

    2018年1月6日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 恒例のキッズ・スキーキャンプを今冬も開催した。もう40年以上続いているキャンプは、小学生から高校生まで幅広い年齢の子供達を対象としている。 当然、スキーが上手な子も不慣れな子もいる。僕が一番苦労するのは子供達に話を聞かせることである。特に小学生は集中力が続かなかったり、すぐにふざけたりして、こっちが伝えたつもりででもちゃんと理解できていないことがある。スキーは自然とつき合うスポーツであり、重要な話が伝わらないと事故につながりかねない。 そこで今回は、僕たちスノードルフィンズの古参メンバーにしてプロスキーヤー、そして一般社

  • 情熱あふれる冒険者

    2017年12月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、星野誠さんの7大陸最高峰登頂祝賀会を行った。星野さんとの出会いは3年前。僕たちミウラ・ドルフィンズが主催する登山学校「IPPO塾」に星野さんが参加したときだった。数回のレクチャーの後、最後に塾生と一緒に富士山に登った。その登山の最中、星野さんは「どうしたらエベレストに登れますかね」と相談してきた。 星野さんはメガネ屋のオーナーで、聞けば登山経験はほとんど皆無。エベレストとは、そんな人が簡単に登れる山でもない。だが、口調は軽いものの星野さんの目は真剣そのもので、こちらをにらみつけてくる。このままにしておけないと思い、

  • 成功の裏に「逆算の考え」

    2017年12月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 友人に誘われ、シンクロナイズドスイミング日本代表の井村雅代ヘッドコーチの講演を聞いてきた。 申すまでもなく、井村コーチは指導者として夏季五輪のメダルを6大会連続で確保して日本をシンクロ強国にした功労者である。北京、ロンドンの両五輪では中国チームを指導してやはり目でダルに導いた。その後、日本のコーチに戻ってリオデジャネイロ大会もデュエットとチームで銅。メダルの行進が途切れない。 井村コーチはメダル獲得を前提にすべての計画を立てる。遠い目標に達するために、その時々で何が必要かを考える。練習は、選手が課題をできるようになるま

  • 運動と学力 密接な関係

    2017年12月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 ソチ五輪スノーボードの銀メダリストである平野歩夢選手のお父さん、平野英功さんが地元の新潟県村上市にスケートボードパークを作った話を前週にしたが、今回もそれに関連した話をしようと思う。平野選手はここでアスリートとしての下地を作った。いまも多くの子供達が練習にいそしんでいる。たが最近は老朽化の兆しが見え、選手育成や子供の活動の場となる新たなパークの建設を市が進めている。 村上市は僕にも縁のある場所だ。毎年、スポーツを通じて人と町が元気になるための講演を僕はこの地で行っているのだ。新パークのより良い使い方、遊びや運動を通じた建設

  • 次世代につなぐために

    2017年11月25日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 スノーボードの平野歩夢選手といえば2014年ソチ五輪の男子ハーフパイプ銀メダリスト。ソチの開幕目前に、僕は父親の平野英功さんと会った。当時の平野選手はすでにワールドカップ(W杯)優勝などの実績を積み上げていた。 この活躍は父親の手に支えられていた。英功さんは出身地である新潟県村上市の旧公民館を改修し、本格的なスケートボードパークをつくった。息子はそこで幼いころからスケートボードに熱中し、養った感覚をスノーボードに生かしていたのだ。 だが海外の強豪を相手にするにはそれでも十分ではなかった。毎年新しい技が生まれるスノーボ

  • 子供とスポーツ

    2017年11月11日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 10月下旬、岡山市の環太平洋大学で「第14回子ども学会議」が開かれた。テーマは「子供とスポーツ新時代」。僕の父、三浦雄一郎のエベレスト登頂にまつわる展示も催され、僕も参加させてもらった。 冒頭の講演で講師を務めたのは元陸上選手の為末大氏。400㍍ハードルを得意とした彼は、日本人で初めて陸上短距離種目の世界選手権メダリストとなった。背の高い選手が有利とされるハードル種目で、身長170㌢の為末選手が次々と背の高い外国選手を抜いていく光景に感動したのを覚えている。 講演で為末氏は、子供たちとスポーツとの関わりについての話を

  • ネパール高所合宿の成果

    2017年10月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 ネパールのナムチェバザールでの合宿の終盤、父の三浦雄一郎は85歳の誕生日を迎えた。数十年来のつき合いがあるシェルパや、日本からトレッキングに来ていた友人たちと合宿の打ち上げをかねてお祝いをした。長期にわたった今回の合宿は、体力的にも精神的にもきついものだった。気を緩めた父の顔を見るのも久しぶりだったように思う。 トレーニングの三大原理というものがある。過負荷の原理(普段よりも強い運動を行うことによって鍛えられる)、可逆性の原理(トレーニングをやめると元に戻る)、特異性の原理(鍛え方によって効果が変わる)。これらに加えて

  • 高所トレーニングの工夫

    2017年10月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎、そして国際山岳医の大城和恵先生と一緒に、ネパールのナムチェバザールに来ている。ここは標高3450㍍、富士山でいうと8合目の標高だ。来年のチョ・オユー滑走計画まで一年を切ったいま、父の体力を抜本的に鍛えるためにナムチェに滞在してトレーニングすることにした。 これまでの僕たちの高所トレーニングでは、目的地を決め、そこにたどり着くことを成果としてきた。目標として高い標高を設定し、長距離を歩く。それができるのがこのやり方の利点だが、これだと一人でも具合が悪くなると先に進めなくなる。次の行程を考えると、それほど強

  • 「挑戦」する意義 伝える

    2017年10月14日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の三浦雄一郎は北海道のクラーク記念国際高等学校の校長を務めている。先日、その開校25周年イベントで、生徒向けの〝記者会見〟が開かれた。全国54ヶ所の拠点を合わせると、クラーク高校の生徒は総勢1万1000人。その代表69人が会見に出席し、取材活動を通じて父の所信を全国のキャンパスへ伝えるとともに、プロのマスコミ関係者に記事を評価してもらうという社会勉強を兼ねた試みだった。 父と僕らはヒマラヤ山脈のチョー・オユーをスキーで滑降するという来年の挑戦のために準備してきた。会見で述べたのはその所信であり、高校生向けの模擬会見と

  • 欲求は相対的なもの

    2017年9月30日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕たち夫婦にとって3人目の子供が生まれた。これまで4人ですんでいた家が5人になったので、家の中の整理と断捨離を決行した。 ものを整理して思い出したのは、今年春に遠征した米アラスカのデナリの光景だ。デナリでは原則、滞在のための荷物をすべて自分で持っていかなければならない。3週間の登山を計画した僕たちは食料、燃料、登山道具など合計220㌔の荷を4人で手分けして登った。要らないものは切り詰めるだけ切り詰める。下着上下は1人2着まで。白夜だからヘッドライトは不要。トイレットペーパーも1人1個で済ませるというほどの徹底ぶりであった

  • 科学的トレーニングとは

    2017年9月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、友人たちと開いた食事会に、スキークロスの日本代表選手である梅原玲奈選手が来てくれた。梅原選手とはソチ五輪のときに知り合った。彼女が聞かせてくれた話はとても的確でおもしろく、テレビ解説者を務めた私にとって役立つ情報ばかりであった。 いまの彼女は来年の平昌五輪に向けてトレーニング中である。この日も国立スポーツ科学センター(JISS)から夕食会に駆けつけた。この日はエクササイズバイクに乗って1時間、血中乳酸値を2ミリモルにしてトレーニングを行っていたという。 強い運動を行い、それに対して酸素が十分ではない場合、筋肉内の

  • 停滞を楽しむ

    2017年9月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕たちミウラ・ドルフィンズが神戸YMCA、サントリーとともに瀬戸内海で開催しているアドベンチャーキャンプは今年で10年目になる。小学3年生から6年生の子供達が小豆島南西の余島をカヌーで出発して9㌔離れた無人島の葛島に渡り、そこで2泊するカヌートリップキャンプである。このルートになって7年目、これまでも大変なことは多くあったが、今年は特に苦労が多かった。 2日目、例年どおりに余島から葛島に向かってカヌーを漕いだ。しかし途中、風と海のうねりが激しくなり、やむなく中断。翌日も強風はおさまらなかったためプログラムを変更し、小豆島に

  • 潮の満ち引きの謎

    2017年9月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、海岸で子供と遊んでいると、海岸線がやけに遠いのに気がついた。「逗子近辺が(満潮と干潮の差が大きくなる)大潮の時、午前11時ごろに必ず最干潮になるのだよ」。ヨットをやる友人に数年前に聞いた話を思い出して時計を見ると、まさに午前11時。スマートフォンで潮見表を見れば大潮である。さらに一年間の大潮を調べると、湘南地方では、大潮の中でも最も潮の満ち引きが大きい日にも午前11時前後に最干潮がくる。 一般的な説明によると、大潮が起きるのは月、地球、太陽が一直線に並ぶ時、引力が一方向に働いて海水が大きく動くからである。同様の説明が

  • 母は強しを再確認

    2017年8月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 妻の出産に立ち会った。僕たち夫婦はすでに1男1女を授かっていたが、ふたりとも僕がエベレスト登山で不在のときに誕生した。だから今回、万難を排してもお産に立ち会おうと決めていた。8月中旬になると僕は会社から休みをもらい、逗子からは両親と姉も来てくれて、強固な支援体制が出来上がっていた。 最後の検診で「いつ生まれても大丈夫。軽い運動をするといいですよ」と言われたので、妻と僕は近くの体育館で友人たちと卓球をした。卓球は夫婦共通の趣味なのである。 2時間程体を動かすと、妻が卓球台に寄りかかって苦しそうな顔をした。陣痛が来たという

  • 自然への感度 培う登山

    2017年8月12日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 百名山の一つに数えられる滋賀の伊吹山。先日名古屋の青年会議所の青年たち60人とこの山に登ってきた。その3週間前にも下見で登頂。イベントの実行委員と一緒だった1度目の登山で、大雨に降られた。 西の空を見ると琵琶湖から立ち上がる大きな入道雲が見えた。そして遠くから雷鳴の音。スキー場跡地を登るこのコースは落雷から身を守る木々がなく、みんなのペースを上げ山頂の小屋に急ぐ。小屋で注文したそばを食べていると、小屋の上に雲が覆いかぶさり、雷鳴とともに大雨が降り始めた。帰りは反対側の登山路を下り、途中でタクシーを拾い帰った。 この雲は

  • 夏の富士山で忍耐学ぶ

    2017年8月5日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 つい先日、富士山に富士宮ルートで登った。僕の長男が以前通っていたサッカークラブ「NPO法人FCUスポーツクラブ」の清野乙彦代表とメンバーの子供たち、逗子の友人家族、そして僕と長男で総勢23人。 富士山には2年前にも、長男を連れて行ったことがある。しかし、標高が高く単調なのぼりが続く登山は当時6歳の長男にはこたえたようで、途中「苦しい」と何度も漏らし、やむなく7合目付近で引き返してきた。僕たち親子にとっても再チャレンジの機会であった。 何といっても日本一の山である。日本のシンボルであり、ほとんど4000㍍峰である。体力と覚

  • デナリ山トイレ事情

    2017年7月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、米アラスカのデナリ国立公園から封筒が届いた。中には、ピッケルにトイレットペーパーを巻いたイラスト入りの旗があり、その旗にSustainable Summits(持続可能な山頂)と書いてある。 デナリ山は国立公園の一部であるため、登山者は申請書提出とルール説明受講のため、レンジャーステーションに立ち寄る。6月下旬にデナリ登頂を果たした僕らの隊も、登山前にこの説明を受け、黒いふたのついた緑色のバケツをもらった。トイレである。 登山には大なり小なりトイレ問題がつきものだ。エベレストにはシーズン中はベースキャンプに千人以

  • アンチエイジング考

    2017年7月22日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 元井益郎さんと出会ったのは10年ほど前だった。当時、僕らが企画したヒマラヤトレッキングツアーに元井さんが参加してくれた。体力のある人で、のちにエベレストを間近に望むカラパタール(標高5545㍍)を一緒に登ったときも、少々の高所では平気な顔でいた。この人ならば、と標高0㍍の田子の浦から村山古道を経て富士山頂に登る計画にお誘いし、26時間ほぼ休みなく歩き通して一緒に登頂した。 山に魅了された元井さんは、ただいま7大陸最高峰に挑戦して回っている。すでにキリマンジャロ、エルブルス、アコンカグア、コジオスコを制し、先日一緒に登った

  • デナリ登山 最高の体験

    2017年7月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 6月26日午前5時。陽光はまだデナリ山の背後に隠れていた。僕たちは難所デナリパスを抜けて山頂を目指していた。デナリパスは過去に山田昇、小松幸三、三枝照雄と言った日本の一流登山家たちが消息を絶った急斜面のトラバースである。この米アラスカの巨峰は当時マッキンリーと呼ばれ、冒険家の植村直己氏が帰らぬ人となった山として有名。日本人にはデナリよりもマッキンリーの名の方がなじみ深いのではないか。 北極圏に近いデナリはこの時期、白夜となる。太陽は申し訳ばかりに山の陰に隠れるが、空はいつまでも明るい。必要装備のレストからヘッドランプが早

  • 登山の「マイペース」知る

    2017年6月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、父の雄一郎とともに鹿児島にある鹿屋体育大学の山本正嘉教授に会いに行った。僕たち親子は過去15年にわたってこの大学で体力測定を行い、貴重なアドバイスをもらっている。今回僕が注目し、確かめたのは山本教授の行った有酸素運動の負荷テストのやり方が登山家にとってとても実践的であったことだ。 有酸素能力を測る一般的な方法の一つにトレッドミル(ランニングマシン)を使い、スピードと傾斜を少しずつきつくして、どの程度の運動負荷まで耐えられるかを試す方法がある。しかし、この方法だと、最後にはほとんど全速力で走ることになる。走ることに慣

  • タネ戦争の始まり

    2017年6月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 昨年11月に僕たちの事務所の屋上に作付けをした小麦が、このほど見事な実をつけた。このタネは一般社団法人シーズ・オブ・ライフの代表ジョン・ムーアさんにいただいたものである。 タネがここまで育つのに、全く手がかからなかった。用途のなかったプラスチック製の箱にブルーシートを貼って土を入れ、小麦の種をまいただけ。手入れもせず肥料も農薬もまったく使わず、それがこんなに見事に実るとは驚きだ。 このタネは、高知県で開かれた交換会でジョンさんが手に入れたものである。もとをたどれば350年前、欧州から日本に渡ったものだといい、いわば小麦の

  • 登山支えるポーター

    2017年6月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今回の稿もまた、この春に終えたネパールのコンマラ遠征のご報告。この遠征は、ヒマラヤ山脈のチョオユーからスキーで滑走するという来年の計画に向けた事前トレーニングを兼ねていた。スキーや氷河の上で活動するための装備を持ち込んだため、通常のトレッキング以上の大荷物となった。クンブ地方と呼ばれるこのあたりでの荷の運搬には、ポーターや高所に適したウシ科の動物ヤクが不可欠である。だがここ数年、ネパールの事情や登山状況が絡んで、ポーターやヤクを確保するのがとても難しかった。 ポーターは季節労働者である。需要が集中するのは、モンスーン(雨

  • ヤクの働きと尻尾の毛

    2017年6月3日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 この春の遠征先となった、ネパールのコンマラでの出来事。標高4500㍍近くの草原で僕たちが途中休憩をしていると、黒々とした巨大な生き物が茂みから現れた。北海道育ちの僕はとっさに「クマだ!」と叫んでしまった。しかし、ヒマラヤの高所のこと、それはクマではなく地元のヤクであった。このことで父の雄一郎や同行スタッフ、シェルパからも遠征中ずっとからかわれる羽目になった。 ヤクは高所に適応したウシ科の動物である。毛は長く、立派な角が生えている。高所に適応しすぎて、標高3000㍍以下では生きられないともいわれている。その昔、もとは野生種だ

  • 高齢の挑戦 支える配慮

    2017年5月27日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、父の三浦雄一郎とともにヒマラヤでのトレーニングを終えた後、シェルパの里ナムチェに立ち寄った。そこでミン・バハドゥール・シェルチャンの訃報を聞いた。85歳でのエベレスト登頂を目指す途上での落命だった。 シェルチャンは2008年、当時最高例の76歳でエベレストに登頂した。同年に父も75歳でのエベレスト登頂を目指していたこともあり、ベースキャンプにいた彼を訪ねたことがある。物腰は柔らかく、それでいて威厳のある人であった。父と会うなりシェルチャンは「あなたは私にとって先生である」と言い、ともに山頂に立とうと約束した。 この

  • 最高のホスピタル

    2017年5月20日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 来年、ヒマラヤ山脈のチョオユー(標高8201㍍)に父の三浦雄一郎とともに挑む。そのトレーニングのため、つい先日までネパールのコンマラで合宿を張っていた。コンマラの意味は、コンマが雷鳥、ラが峠。雷鳥峠とはのどかな響きだが、同5400㍍に及ぶヒマラヤの一角のこと、実際はのどかどころではない。 今回の遠征は、峠の横にあるポカルデ氷河でスキーをするのが最終目標だった。父は今年の冬の国内合宿で不整脈のため歩くのがやっとという容体で、昨年のチュクンリ(同5500㍍)も登頂できず、最高到達地点が同4300㍍。今回の遠征も、同4400㍍

  • 山は快適に過ごそう

    2017年5月13日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先月、新潟の神楽スキー場でシーズン終わりのスキーを楽しんだ。もう春だから寒くもあるまいと、薄手のトレーナーの上に春用の薄いウエアを着ただけの軽装で臨んだが、あいにくの雨。体はびしょびしょになり、寒さに体が震えた。 雨が降るほどの気温だから氷点下ではない。せいぜい気温は4度か5度だったろう。それでも身が震えるほどの寒さを感じた。ぬれているからだ。水は空気に比べて25倍の熱伝導率があり、水分は温度を体に伝えやすいのだ。同じ熱いのでも、乾燥した空気の中では100度のサウナにも耐えられるが、風呂は42度でも耐えがたい。冷たいのも同

  • 健康には筋肉が重要

    2017年5月6日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、京都大学の森谷敏夫名誉教授と共同研究について話をする機会を得た。森谷先生は長年、EMS(エレクトリカル・マッスル・スティミュレーション)の研究を行っている。 EMSとは筋肉を外部の電気刺激によって動かし、筋力トレーニング効果を得るものである。当初は医療用やリハビリの効能のみを期待されていたが、やがて一般トレーニング器具として市場に出回るようになる。その過程で、効果の疑わしい製品も多く登場した。 森谷先生は、電気刺激の周波数に問題があると考えた。これらの製品の多くは周波数帯が 1000~5000ヘルツほどだった。実際

  • 登山・スキー 2つの体力

    2017年4月22日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 トレーニングのため、ネパールのコンマラ(標高5200㍍)に向かっている。コンマラはエベレストに続くクーンブ谷とイムジャ谷の間にある峠である。その上にきれいな氷河があり、父の雄一郎が50年前にエベレストを滑走した際にも、ここでトレーニングした。5年前、僕もコンマラの氷河を登った事がある。父が80歳でエベレストに登頂した前年のことで、高度順化の候補地としてこの地を訪れた。 来年に挑むチョオユー(同8201㍍)では山頂からスキーで滑走するため、事前に実践的な登山とスキーの経験が必要と考え、今回の遠征を組んだ。登山とスキー、両方の

  • 名選手育てた天然コブ

    2017年4月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 父の雄一郎と僕がベースとしている札幌・手稲山のスキー場、サッポロテイネ。父が代表を務めるスキースクールの本拠地がここにあり、僕も小学生の頃から通っている。 斜面変化に富み、初級者から上級者まで楽しめるため、札幌市民からも愛されている。昨年、スキー雑誌「ブラボースキー」が現役スキーヤーなどを対象に行ったアンケートで、総合1位にもなった。アンケートには斜面、コブ、パークの充実度、深雪、景色などの評価項目があって、サッポロテイネは特に北壁コースが急斜面とコブの項目で高い評価を得た。 北壁コースはサッポロテイネハイランドゾーン

  • 海の危険、山の危険

    2017年4月1日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 15年ほど前、海の魅力に取りつかれて静岡・熱海でダイビングのライセンスを取得した。あちらのダイビング店(現「ケイズリパブリック」)で、海にまつわるさまざまなことを僕に手取り足取り教えてくれたのがインストラクターの斎藤清昭さんだった。 首都圏から近い静岡は、沖縄と並んでこの国最大のダイビングスポットである。盛んであるがゆえに県内での事故発生率は実に全国の37%を占めている。県の観光産業としての役割も担っているダイビング業界はこの事態を重く見て、一般市民やダイビング関係者に対して、安全なダイビングと緊急時の対処についての啓蒙活

  • 自分の頭で考える

    2017年3月25日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今月中旬、僕が理事長を務めるナスターレース協会の主催大会、ジャパンカップ(新潟県・苗場)とドリームグランプリ(北海道・天狗山)に行ってきた。 ナスターレースはタイムを競うアルペン競技にポイント換算を持ち込んだシステムだ。アルペンは大会ごとに諸条件、つまりコースも日時も天候もばらばらだから、タイムだけでは選手の実力がわかりづらい。そこで日本を代表する上位実力者を基準とした数値を割り出すことで実力を可視化する。異なるレースの出場者同士の力比べもできるというわけだ。 近年、ナスターレースは16歳以下の選手の育成に力を入れて

  • 「ゴッドファーザー」来日

    2017年3月11日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 2ヶ月ほど前、カナダの旧友マイク・ダグラスから電話がかかってきた。僕がスキーのモーグル選手だったころ、マイクもモーグルのカナダ代表選手として活躍していた。よく遠征先をともにし、彼の地元ウィスラーでは一緒にスキーをしたものだ。 今は二人とも競技を退いたが、スキーヤーとしての彼の業績が輝かしいものになったのは、むしろモーグル選手でなくなってからであった。1990年代後半、モーグルは競技の体裁を整えるにつれてルールが厳格になった。束縛を嫌う一部のフリースタイルスキーヤーは競技を離れ、自由な表現の場を探すようになる。マイクがスキ

  • 時計を巡る冒険

    2017年3月4日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今年の初夏に行うデナリ山遠征のため岩手県の安比高原で合宿を行った。その帰り、盛岡にある時計製造の盛岡セイコー工業(以下盛岡セイコー)を視察した。ここ盛岡セイコーには高級メカニカルウオッチ製造部門と、日本製が世界で70%のシェアを占めると言われるクオーツ時計の製造部門がある。 興味を引かれたのはメカニカル、つまり機械式の時計。今の時計の主流を占める、電池と電子回路で動くクオーツに対して、歯車とぜんまいで動く時計である。 盛岡にこうした高級メカニカル時計の工場が置かれたのは精密機械にとって重要な、きれいな水があることが一つ。

  • スキーと音楽

    2017年2月25日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今年1月、K2スキーのユーザーたちが北海道のニセコのスキー場で行われた試乗会に集まった。その特別ゲストとして、ピアニストである市川高嶺さんが参加してくれた。 パリ・エコールノルマル音楽院への留学経験のある彼女は、数々の国際的なコンクールで活躍した後、現在に至るまで海外の楽団を毎年招いてコンサートを催している。スキーの腕も一流だ。 僕たちが宿泊していたのは登山家の新谷暁生氏が経営する「ロッジ・ウッドペッカーズ」であった。そこにあるアップライトピアノに彼女は座り、僕たちだけのミニコンサートを開いてくれた。 ショパン作品の

  • 登山の予防医学、最新知見

    2017年2月18日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 昨年末、山本正嘉教授著「登山の運動生理学とトレーニング学」が発刊となった。山本教授の前著「登山の運動生理学百科」刊行から16年を隔てた、待望久しい一冊である。 前著は日本で始めて包括的に運動生理学の観点から登山を捉えた名著であった。今回の本はさらにデータを積み重ねて最新の知見を加えたもので、より具体的かつ実践的な仕上がりとなっている。 山本教授は鹿屋体育大学のスポーツトレーニング教育センター長として、学生を教えながら研究を進めている。研究室には6000㍍までの標高をシュミレートできる常圧低酸素室をはじめ登山の運動生理学

  • スキー場で放牧 一石二鳥

    2017年2月4日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 毎年、長野県高山村にあるヤマボク・ワイルドスノーパークスキー場でスノーシューのイベントを行っている。ヤマボクは山田牧場の略で、夏季は牧場、冬期はスキー場を営んでいる。 標高が高く雪質もいいヤマボクは近ごろ、バックカントリースキー・スノーボードで注目されている。バックカントリーとはスキー場外、すなわち自然の雪山での滑走。牧草地特有の、障害物の少ない地形を利用して大きな斜面を存分に滑ることができる。なかでも、タコチコースと呼ばれるバックカントリーエリアは標高差800㍍、距離にして13キロに及ぶ日本屈指のロングランである。冬にこう

  • 足温める大切さ

    2017年1月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今年の春、米国最高峰、アラスカ山脈のデナリ山(6190㍍)に登るための準備を進めている。課題になっているのが足元だ。今回デナリ山の麓まで飛行機で行く。そこから長く緩やかな斜面の氷河移動にスキーを使おうと思っている。 これまでプロのスキーヤーとして滑走技術に磨きをかけてきた。しかし、スキーの用途はそれだけではない。スキーは雪山を人力で移動するとき、最も効率の良い道具でもある。 滑走面にシールと呼ばれる粘着性のある逆毛のついた生地をつけると雪面では後方面にグリップが効く。こうすれば足をそれほど上げなくても深い雪でも沈まず進

  • 親子で挑戦 深まる絆

    2017年1月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 昨年末、風間深志さん、そして息子さんの風間晋之介さんが僕たちの低酸素室にトレーニングに来た。深志さんは1982年に日本人で初めて世界一過酷なモーター競技とも呼ばれる、ダカール・ラリーに参戦、クラス別6位に入賞している。さらに深志さんは南極最高峰ビンソンマッシフ登頂、バイクでのヒマラヤ最高地点到達など数々の冒険をしており、冒険家として三浦雄一郎と30年以上もの交流がある。 今回、風間親子が低酸素室に来たのは今年1月のダカール・ラリーに参戦するためだった。ダカール・ラリーは伝統的にはパリからスタートしスペインのバルセロナから

  • 父とスキー

    2017年1月14日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 2013年、80歳でエベレストに登頂した父・雄一郎は感慨深くエベレストの対岸に見える山、チョオユー(8201㍍)を見つめていた。世界最高齢で登ったエベレストは思いのほか父の体力を奪っていた。 30時間にも及ぶ下山、命からがら下りて来たキャンプ2、精も根も尽き果てテントに入った。その翌日、さすがに次のエベレストはないだろうと思っていたその父の口から出た言葉は「85歳でチョオユーからスキーで滑り降りたい」だった。父は山頂に着く前、すでに次に登る山を考えていたのだ。次の目標は登山プラス、スキーであった。 三浦家は元々登山家で

  • 冒険支える企業の50周年

    2017年1月7日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 2016年の年の瀬、父、三浦雄一郎と僕はアウトドアブランド、ザ・ノース・フェイス、創業50周年イベントに招待された。 ザ・ノース・フェイスには僕たちの遠征の数々をサポートしてもらっている。しかし、長い付き合いがありながらも、世界をまたにかけるこの一流ブランドの成り立ちを知る機会がなかった。今回の50周年イベントでゴールドウインの取締役専務執行役員で、ザ・ノース・フェイス事業にも深くかかわった渡辺貴生氏が冒頭の挨拶で興味深い歴史について語った。 1966年、ダグラス・トンプキンズが米サンフランシスコのコロンバスアベニューに

  • 仲間と語らい膨らむ夢

    2016年12月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 8年前から神奈川・逗子市近隣の山々を歩き回り、浜でバーベキューを楽しむ「豪太会」という活動を行っている。 山を歩き、美味しいバーベキューを食べ、お酒を飲むと気持ちが大きくなり、ついついいろいろな冒険談や実際に冒険に出かける話になる。実際に「豪太会」で知り合ったメンバーとエベレストビューホテル、カラパタール等のエベレスト街道を歩いたり、アフリカの最高峰キリマンジャロ、6000㍍級のメラピークに登る計画を立て実行、2013年には父のエベレストの挑戦に応援のためにエベレストベースキャンプまで来てくれたことがあった。さらに彼らの

  • ラスコー壁画と現代人

    2016年12月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、国立科学博物館で「世界遺産 ラスコー展」を見てきた。ラスコーはフランス南西部のベーゼル渓谷にある洞窟の名前。そこには2万年前、後期旧石器時代に描かれたとされる壁画があった。 僕がラスコーの壁画に興味を持ったのは、これらが狩猟採取の生活様式を行ってきたクロマニョン人によって描かれていたからである。クロマニョン人は分類学上、僕たちと同じホモサピエンスである。現代人は2万年前から、それほど肉体的な特徴は変わっていない。これらは人類の長い狩猟採取の時代を得て獲得したものである。とすれば、こうしたクロマニョン人の生活様式やそ

  • スキーチームが50周年

    2016年12月3日日経新聞夕刊に記載されたものです。 先日、スノードルフィンスキーチーム(以下ドルフィンズ)の50周年を祝うパーティーが札幌パークホテルで参加者・ゲストを合わせて総勢380人集まり盛大に行われた。 父、三浦雄一郎が1963年にエバニュースキー学校の代表として始めたので、正確には昨シーズンで53シーズン目ということになる。これは同じ代表が務めるスキー学校としては最長のようである。 ドルフィンスキースクールに関してよく聞かれるのが、「雪山なのになぜ、海のイルカであるドルフィンなのか」である。これに対して雄一郎は「鳥が自由に空を飛ぶように、イルカが海を自由に泳ぐ

  • 在来種を広げる意義

    2016年11月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今年の夏の初め、スキーの友人を通じて「面白い人がいるから会ってほしい」と言われ紹介してもらったのがジョン・ムーアさんだった。 ジョンさんはアイルランド出身で、広告代理店の第一線で活躍したあと、アウトドアアパレル会社「パタゴニア」の日本支社長を務めていた。しかし、現在の活動はそれとは全く違った方向を向いている。それは種の「在来種」を広げることである。 僕たちが口にする野菜のほとんどはF1(一代雑種=ハイブリッド)と言われる種から育っている。メンデルの法則で植物の雑種交配がなされると一代目に限って両親の対立遺伝子の優性(

  • 「塩は生命の源」実感

    2016年11月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 日本で2000年に公開された「キャラバン」と言う映画がある。ネパールのドルポ村を舞台にそこに住むシェルパが交易のためにヤク(高所に適応した牛)に荷を積んでネパールの厳しい山岳地帯をキャラバン(ヤクの行軍)する話だ。 彼らは命がけで数日間かけ切り立った崖を通り、雪すさぶ山を超えていく。その荷物の中身は何かというと「塩」である。ヒマラヤの山岳地帯では岩塩が取れる。危険を承知でキャラバンし、その岩塩と低所で作られる農作物とを交易するのだ。 大人の平均的な体の中には約200㌘の塩が存在しているといわれる。体内で塩はナトリウム

  • アスリートファースト

    2016年11月5日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 今、東京五輪に向けて都政がゆれている。築地市場移転、五輪会場の見直し等、五輪開催とその後の五輪施設の有効利用について、おそらく世界で初めて具体的に開催都市と国際オリンピック委員会(IOC)がそのあり方について議論を交わしているのではないか。僕は五輪とスポーツについて考えるよい機会だと思う。 僕自身、2度の冬季五輪に出場したアスリートの経験があるが、東京五輪開催について私的な意見をこの場を借りて書いてみたい。 最近よく聞かれる「アスリートファースト」。それは選手がそのパフォーマンスを遺憾なく発揮できる環境を指す。これが保

  • 田部井さんの死を悼む

    2016年10月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 田部井淳子さんと父(三浦雄一郎)は仕事柄一緒になることも多く、田部井さんの長女、長男ともにミウラ・ドルフィンズのスキースクールに通っていた。又僕の結婚式にも参列してくれた。 田部井さんの山に対する思いを小学生向けの講演会で聞いたことがある。初めて山に登った茶臼岳の思い出を生き生きと語っていた。山肌や中腹に露天風呂が突然現れて、その湯煙に驚いたことなど、面白おかしく山の魅力を語るその姿に僕もすぐにでも山に登りたくなったのを覚えている。 「山ではトイレは大事よ」と子供目線で真剣に語りかける。「なんて素朴で魅力的な人だ」と

  • 知床の将来握るマナー

    2016年10月22日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先月、新谷暁生さんのカヤックツアーに行った際、ウトロの赤沢歩さんの敷地をお借りした。赤沢さんは知床を中心にサービス業を営みながら、釣り人として自然豊かな知床をこよなく愛している。 夜、たき火を囲みながら赤沢さんと新谷さんが話していた。どうやら話題に上っているのは地元の幌別川で釣り人のマナーについてのことらしい。 近年、知床の斜里町と羅臼町でのヒグマの目撃数は年間900件ほど。毎日どこかで誰かがヒグマに出会っていることになる。僕たちも実際カヤックをしている時、1日数頭のヒグマに会った。 知床が世界遺産になったのは海と

  • AIが進化、冒険心は

    2016年10月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、札幌の道民活動センタービル「かでる2・7」でTOKYO FMの公開放送「未来授業」を道内の学生や社会人向けに行った。そのテーマはズバリ「人工知能(AI)ロボットはエベレストに登ったら喜ぶか?」というタイトルだった。 僕自身、原稿を書く際も駅の行き方を調べるにもスマートフォンが欠かせない。現代の生活にIT(情報技術)はなくてはならないものになった。少々ハードルが高いタイトルだと思ったが、その準備を始める過程で最近のAIの進歩に驚いた。 その一つが今年3月に韓国で行われた韓国プロ棋士、李氏とAI囲碁ソフト「アルファ

  • ラジオ情報で天気図作成

    2016年10月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 新谷暁生さんの知床エクスペディションに参加した僕たちグループは、知床の落合湾に上陸した。知床が世界自然遺産であるのは知床半島の山岳地帯と海の関係性がしっかり見られるからだという。実際に僕たちはそこまでたどり着くのに3日間、カラフトマスが大量に川に押し寄せる様子やヒグマがいたるところにいるのを見かけた。 沈み行く太陽を見ながらその日を振り返っていると、新谷さんがかなたにある水平線から湧き出る積乱雲を見て目を細めた。「ずいぶん大きな積乱雲だな」といいながら自分の天気図と見合わせる。 新谷さんは毎日夕方4時、決まってラジオを

  • 新谷さんと知床大遠征

    2016年10月1日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 念願の新谷暁生さんの知床カヤックエクスペディションに参加した。新谷さんは父と旧知の仲で一流の登山家であり、シーカヤッカーである。 新谷さんの主催する知床エクスペディションは、エベレストがエクスペディションと呼ばれているのと同様に、まぎれもない大遠征であった。せかし自然遺産である知床半島、そのほとんどが文明と断絶された海岸線であり、そこで過ごすため7日間の食材、料理道具、テント、個人・共同装備をすべてカヤックに詰め込み自分たちの手で漕いだ。 初日、ウトロを出発し、最初の浜「マムシ浜」にたどり着いた。新谷さんはすばやく周り

  • 無人島で培う生きる力

    2016年9月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 夏休みの終わり、YMCA、サントリー、ミウラ・ドルフィンズが共同で開催する毎年恒例の余島アドベンチャーキャンプは小豆島の南西にある余島からカナディアンカヌー2艘接続して作ったカタマランを漕ぎ、9㌔先にある葛島と千振島に向かう。 葛島も千振島も無人島である。2日間過ごす無人島では衣、住、食の整備が生きるための生活原理となる。中でも食事を作るのは大仕事である。食材は持ち込みであるが、それでも全員で力を合わせないと作れない。初日のメニューは牛丼だ。かまどを作り、まきとなる流木を探し、玉ねぎや肉を切り、水をとりに行き、かまどに火を

  • 認知症予防のために

    2016年9月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、父三浦雄一郎が厚生労働省から認知症サポーター大使に任命された。認知症サポーターは認知症について正しく理解し、認知症の人や家族に対し温かい目で見守る応援者になることを目的とする。 認知症の高齢者に優しい地域づくりと認知症サポーター養成に取り組む日英両国が連携して国際展開を推進、父は世界中に広報する役割を担うことに。 僕の親しい人達も認知症で苦しんでいる。思い立って厚労省の認知症サポーター養成講座を受けてきた。講師は群馬大学大学院保健学研究科リハビリテーション学講座・山口晴保教授。 現在、世界的に見て日本は最長寿国

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