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冒険家・プロスキーヤーの三浦雄一郎、豪太によるアンチエイジング、 低酸素トレーニング、キッズキャンプ。登山ガイド・博士(体育学)の安藤真由子によるOUTDOOR塾。トレイルランナー宮﨑喜美乃による初心者向けのトレラン情報を発信。

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2021/08/19

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  • ラガーマンの絆

    2018年9月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 サンゴリアスといえば、トップリーグに加盟するサントリーのラグビーチーム。そこでコーチを務めていた林雅人さんが春に僕たちの事務所を訪ねてきた。 僕と林さんの出会いは12年前に遡る。チームの士気を高めるため、サンゴリアスの選手50人ほどで富士山に登ったことがあった。その時に頂上までガイド役を務めたのが僕。その後、慶大のラグビー部監督に就任した林さんは、そこでも部員たちを連れて富士山を登ろうと考えた。しかしながらこの計画は、決行目前の合宿中に部員の一人が大けがを負ったために一頓挫してしまった。 止まったままの時間をまた動かした

  • 北海道地震に直面して

    2018年9月22日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 母が札幌に住んでいて、北海道地震の直後は安否が気遣われてならなかった。震源地に近い苫東厚真火力発電所が緊急停止し、これにより電力の需給バランスが崩れて、ほかの発電所も連鎖的に停止して北海道全域がブラックアウトした。 母が住んでいるのは札幌市中央区のマンションの8階だった。停電でエレベーターも使えなくなり、足の悪い母は外に出るのも苦労した。 電車も飛行機も不通となり、心配した僕たち家族は唯一運行していたフェリーで母を東京に連れてくる手段を思案した。しかし、楽天的な母は「そのうち電気はもどるわよ」といってフェリーには乗らず、

  • 富士に吹く風

    2018年9月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、友人たちと富士山へ行った。ただし登頂には至らず、富士南東の側火山である宝永山周辺を散策して帰ってきた。今回は20人を越える一行で、おのおのがこの日の登山のために都合をつけて集まったことを思えば、誠に残念な成りゆきだった。 登頂断念の理由は風である。富士宮ルートの起点となる富士宮口五合目でバスを降りると、いきなり体を持っていかれそうな強風が吹きつけてきたのだ。 予定では2日間の旅程を組んでいた。初日は九合目まで登って万年雪山荘に宿泊し、翌早朝に登頂してご来光をながめて下山するはずだった。しかし天気予報を確かめた僕は

  • 発見される工夫と努力を

    2018年9月1日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 警察庁によると、昨年の山での遭難者は3111人、死者、行方不明者は354人で、いずれも過去最多に達したそうだ。山岳事故や遭難の捜索と救助は、金銭的にも高くつく。多くの場合、遭難者やその家族は1日につき百数十万円の費用負担を求められる。 その負担額を登山家同士の相互扶助で軽減するのが日本山岳救助機構合同会社(jRO)だ。入会金2,000円で会員を募り、1人2000円の年会費と事後分担金を国内の山岳にまつわる活動(登山、ロッククライミング、スキー、スノーボード、マウンテンバイク、トレイルランニング)で発生した病気や事故、遭難の救

  • 生贄の祭事

    2018年8月18日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕たちが7月一杯までトレーニングを行っていたチリのバジェネバドスキー場は、標高3000㍍以上の高所にあった。そのスキー場の最高地点であるトレス・プンタス(同3700㍍)からはエル・プロモ山を一望できる。 同5430㍍におよぶこの峰は、この地域ではひときわ高く、チリの首都サンティアゴからもよく見える。古代インカ文明からの聖山とも言われている。 1953年、その山頂で一人のラバ使いが幼子のミイラを発見した。調べてみると、約500年前に埋葬された8歳の男児のミイラであった。保存状態は完璧で、きれいなローブを重ね着して、コカの葉

  • チリ合宿

    2018年8月4日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕たちが今回の合宿地に選んだのはチリの首都サンティアゴの東方、アンデス山脈にあるバジェネバドスキー場である。最高地点の標高は3700㍍。富士山の山頂でトレーニングするようなものだ。 僕たちがこの合宿地を選んだのは昨年のこと。父の三浦雄一郎がチョオユー(標高8201㍍)のスキー滑走を目標としていた頃だった。チョオユー遠征自体は今年になってチベット登山協会が8000㍍峰に立ち入る登山者に年齢制限を設けたため断念したが、その事前合宿として計画していたチリでの高所トレーニングはそのまま実現したわけである。 チョオユーへの出発は9

  • カントリーリスクと父

    2018年7月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 チベットの奥地にある世界第6位の高峰、チョオユー(標高8201㍍)。85歳でその山頂からスキーで滑り降りることを目標に、父の三浦雄一郎は5年前からトレーニングと準備を重ねていた。しかしその計画は今年になって頓挫した。チベット登山協会が、75歳以上の登山者に8000㍍峰への立ち入りを禁じたのである。 このように、その国の内情で目的の山に登れなくなったり、遠征が延期されたりすることを「カントリーリスク」という。僕たちもこれまでの遠征で、いくつかカントリーリスクを経験していた。 チベットのシシャパンマに登った2006年のこと

  • エベレストに登る医師

    2018年6月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 5月17日、日本人初の国際山岳医である大城和恵先生がエベレストに登頂した。大城先生は僕の父親である三浦雄一郎の遠征にこれまで何度も同行し、遠征隊のメンバーたちの健康管理に気を配ってくださった。父が80歳でエベレストに登頂したときは、不整脈持ちの父のためにキャンプ2(標高6400㍍)まで一緒にのぼり、下山も一緒だった。 北海道大野記念病院に勤めながら北海道と富山県、そして全国の警察山岳遭難救助アドバイザー医師として活躍し、登山関連のマニュアルづくりや遭難防止対策を手がけている。8000㍍峰のマナスルや欧州各地の名峰を難ルート

  • 冒険心、動物にも?

    2018年6月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 僕のスキーシーズンは先日の富士山をもって締めくくられた。僕たちミウラ・ドルフィンズのスタッフである五十嵐和哉さんと連れ立って、登山とスキー滑走に励んだ。 富士山の冬季や春の残雪期登山は、ヒマラヤ登山に負けないほどのリスクがある。富士山は独立峰であるため風の影響を強く受ける。風は方向も強さも不安定でとても危険だ。冬季は積雪量も多く、急斜面に降るので雪崩の恐れがある。春は春で、残雪の上の石や岩が温度の変化や風によって落下する。また寒暖の差の激しいこの時期は、一度解けた雪が夜間に凍り、早朝は一面スケートリンクのようになる。ヒマラヤ

  • アウトドア活動の意義

    2018年4月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、父の三浦雄一郎がスペシャルアドバイザーを務めるジャパンアウトドアリーダーズアワード(JOLA)の表彰式が行われた。JOLAはアウトドア活動を通じて生きる力を身につけることを目的に、次世代につながる活動に励む個人を顕彰している。2016年発足。今回で2度目の表彰式には、北海道から沖縄まで77人の応募があった。 応募者は表彰式前の選考で8人に絞られた。選考委員の一人にプロの登山家である竹内洋岳さんがいて、冒頭「選考にあたり多くの時間をかけ、真剣に選考委員たちで話し合い、今回の表彰式に至った」とあいさつしていた。 独自

  • モーグルと能楽の所作

    2018ネン4月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 現在、フリースタイルスキーには5つの種目がある。モーグル、エアリアル、スロープスタイル、ハーフパイプ、そしてスキークロスである。スピードを競うスキークロスをのぞけば、すべて技の難易度や完成度、美しさを競うジャッジスポーツだ。 僕の場合は、コブ斜面を勢いよく滑り降りてジャンプを決めるモーグル競技に夢中になり、冬季五輪の2大会に出場した。モーグルのターンは、激しい起伏の中でもスキー板が雪からはなれないスムースな接雪技術、激しいコブの突き上げにも負けない安定した上半身がハイスピードの滑りの中で要求される。 世界レベルの競技

  • 宝の持ち腐れ

    2018年4月14日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、新潟県かぐらスキー場のスキーイベントに参加した。宿泊先は、山の中腹にある和田小屋という名の山小屋である。一日スキーを楽しんでから、ここでスキー場の営業部長である中沢稔氏と雑談をしていたところ、中沢氏の携帯電話に一つの連絡が届いた。スキー場の外を滑る人、いわゆるバックカントリースキーやーの男性2人が道に迷っているというのだ。 近年はバックカントリーへの関心が高まり、かぐらスキー場でもコース外を滑るスキーヤー、スノーボーダーが増えている。そのため中沢氏はスキー場からコース外へと安全に行き来できるようにゲートを設けている。

  • ユーモアと危機管理

    2018年4月7日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 先日、僕らはサッポロテイネスキー場でスキーキャンプを開いた。小学生から高校生までを参加対象とするこのキャンプで、父の三浦雄一郎が毎回話す逸話がある。それは青森出身の父の友人である3人の猟師さんが知床の流氷でアザラシ猟をしたときの話。 氷の下を泳ぐアザラシは時折、息継ぎのための流氷の隙間から顔を出す。物影に隠れた猟師は、そこを狙って鉄砲でアザラシを撃つ。 そのときも、3人の猟師さんはアザラシが顔を出すのを腹ばいになってじっと待っていた。それでおなかが冷えたのか、やがて彼らは便意をもよおし、仕方なくその場で用を足した。さら

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