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2021/04/19

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  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記49 武田信玄の死

    「あい分かった、沓掛城に待機している佐久間信盛を大将に、平手、水野隊は浜松城へ出向き、家康の援軍として出撃させよ」信長は三将に3000の兵をつけて浜松に向かわせた、数的には少なすぎるが最初から戦わせる気はない、むしろ血気にはやる家康を戒めて浜松城に籠城してやり過ごせとの意を言い含めて出したのだ。武田信玄との決戦は信長が真っ向から引き受けるつもりであった。ところが信玄がいよいよ動き出すと聞くと、途端に畿内から伊勢までの反信長勢力もまた力を得て動き出した。伊勢長島の一揆勢、本願寺、三好一党、それに足利義昭も露骨に動き出している、義昭の要請に山城、河内、摂津の土豪も信長を裏切って味方するものが出てきた。これに加え、信長自身が徳川の援軍に大軍を率いて行けば浅井、朝倉も動き出すことは必定である、そうなればせっかく取...空想歴史ドラマ貧乏太閤記49武田信玄の死

  • 梨泰院(イテウォン)で大惨事!&思い出

    韓国でセウォール号沈没事件で300人以上が犠牲になった以来の大惨事が起きた。韓国ソウルの繁華街の一つイテウォンでハロウィンを楽しもうとやってきた十数万とかいう若者で溢れかえる中、ドミノ現象が起きて150人以上が亡くなり、100人以上がケガをしたという、日本人も10代、20代の女性が一人ずつ亡くなったそうだ。日本でも過去に花火だかのイベントで大勢が亡くなった事件があった、あれ以後イベントでは厳格な会場警備や規制が各地で行われるようになった。韓国の今度の事件は、テレビで見る限り規制とか会場誘導や警備はほとんどされていないようだ、起こるべくして起きた事故のようだ。こうした都会型事故は、そこに参加する人々も無警戒であるように見える、渦の中に巻き込まれて身動きが取れなくなって初めて危険を察知するがもう遅いもう少し危...梨泰院(イテウォン)で大惨事!&思い出

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記48 武田信玄動く

    元亀2年(1571)3月北近江を除いた琵琶湖周辺の仕置きを完全に済ませた信長が岐阜城を発って京に入った。まだ表立って足利義昭は信長と対立していない、が・・すでに信長包囲網の中心として旗頭に祭上げられているのだ。義昭が旗印であるならば、戦の中心として反信長軍から期待されているのは武田信玄であった、信玄は信濃の完全征服を成し遂げ、越後の上杉謙信をフットワークで翻弄した。その勢力はついに飛騨(岐阜県北部)をも占拠し、越中(富山県)の上杉方にまで迫っていた、さらに配下の真田一族を使って上州(群馬県)の沼田まで拡大した。そして南では徳川との条約を破って、いよいよ徳川領の遠江(静岡県西部)も伺っている。その武田信玄に対抗するために、信長ははるか遠くの上杉謙信と同盟を結んで背後からけん制してもらった。しかし信玄もさるも...空想歴史ドラマ貧乏太閤記48武田信玄動く

  • あるアマチュアボクサーの葬儀に参列

    「ある・・」はタイトルの便宜上で、その人は、父の従弟10代の元気な盛りには刃傷沙汰も起こしたほどの元気すぎる人だったとか(長男氏の話)あるとき本屋でボクシングの本に目が留まった、そこには当時の黒人名ボクサーのファイティング写真があった、「かっこいい!!!」そしてサンドバックを作って自己流で練習を始めて、それが近隣に伝わり、本格的なジムに誘われ練習に励むようになった。やがて社会人全日本に出場してついにチャンピオン(ライト級)になった。その後も富山県や新潟県の選手として全日本、国体合わせて17回出場、引退後は後進の指導にあたり自分と同じ社会人チャンピオンを輩出した、プロボクサーも育てた。今日の葬儀が終わり出棺の時には本人の遺言通り、「ロッキーのテーマ」が流され、葬送の鐘で10カウントを叩いた後、通常の見送りと...あるアマチュアボクサーの葬儀に参列

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記47 秀吉の劣等感

    秀吉も、この20人ほどの重臣の一人に加えられるほどまでに出世した、実質3万石の領地も得た、また木下家中も弟の木下小一郎、蜂須賀家政、前野将監、竹中半兵衛の4人の司令官を得た更に堀尾吉晴も秀吉の馬廻り衆として司令官の勉強中である、信長が拡大するたびに秀吉も大きくなっていく横山城は小城だが、早く丹羽長秀や柴田勝家のような家老になりたいと願うのだった。自分を虫けらのように殺そうとした明智光秀には負けたくないと思うが、もともと美濃の斎藤の一族で重臣だった光秀には家柄で負けているし、丹羽長秀と共に老臣の地位にあり、それは秀吉より2歩も3歩も先行しているのだ。それだけなら頑張って追い抜く自信はあるが、光秀の才能は秀でたものがある、将軍の側近、朝廷にも顔が利く文化人で外交官、さらに戦術家でもある(まだまだ力が足りぬ)そ...空想歴史ドラマ貧乏太閤記47秀吉の劣等感

  • 田舎を考える

    昔、都市部に住んでいる同級生が同級会で「田舎はいいなあ」と言ったじゃあ帰ってくればよいと思うが、絶対帰ってこないだろう。都会生活で退職した人が田舎暮らしを始める番組を時々見る、だがそれは僅かだから番組になるのだ、全体から見たらわずかなものだ。田舎の何がいいのだろうか?空気がうまい、のんびり暮らせる、現地の食べ物がうまい、畑作などが楽しめる、生活費が安い、自然を満喫できる、アウトドアを楽しめる、人が良いなどかたしかに、こういう部分は私も同感であるところが健康な時は田舎は良いが、田舎には重大な欠点がある(ここでいう田舎は裏日本の人口一桁の町)所得が都市部より低い(経済格差)、高学歴、優秀な人材が少ない、肉体労働仕事が多く、営業、ITやディスクワーク仕事が少ない、新幹線以外の公共交通機関がほぼない、文化施設がす...田舎を考える

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記46 比叡山焼き討ち

    9月に入ると、足利義昭の反対にも耳を貸さず、岐阜を発った信長は柴田、丹羽、中川、佐久間の老臣たちの軍団を先行させて六角や一揆軍の残党が籠る湖南の城を次々と襲わせた。そして比叡山の銭箱ともいえる商業都市坂本を最初の血祭りにあげて放火して焼き尽くした、坂本にも叡山の小寺や伽藍が多い、その勢いのままに比叡山に押し寄せると、麓からあまたある伽藍に放火した、火は風にあおられて山上に向かって広がっていった。そして織田の兵たちは煙の中を逃げ惑う僧侶、女、子供まで山にいる人間を片っ端から切り捨てた「よいか女子供は相手にするな、刀が穢れる、僧兵と手向かう者のみに集中して切り捨てよ、高僧は捕えて縛り付けておけ、われらは武士らしく強兵のみを敵とする」秀吉は自分の家臣たちにはそう告げた、そのため秀吉の旗印を見て逃げ落ちて来る者た...空想歴史ドラマ貧乏太閤記46比叡山焼き討ち

  • 忙しい!

    ずっと暇な毎日だったのに今週は一気にいろいろなことが起きた3週間前に脳梗塞で突然倒れた仲良しのY子も、とうとう帰らぬ人になった。しかも驚いたのは、この一週間に高校の同級生が3人も亡くなったこと。Y子の通夜の頃に親戚から電話が来た、父の従弟が88才で亡くなったという知らせ、3日間続けて葬儀に出席だ。重なるときは重なるものだ、今日明日は、このほかにもまだやらなければならない重要なことがある本当に忙しい今週だった。忙しい!

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記45 信長と南蛮人

    翌元亀2年(1571)春、浅井軍5000が秀吉の横山城と支城に攻めてきた秀吉は支城の救援に向かい、竹中半兵衛は横山城を守った、10倍近い敵を秀吉たちは撃退した。この奮戦を誰よりも喜んだのは信長であった、そして重大な決意を固めた「叡山を焼き尽くす」重臣が居並ぶ前で信長は宣言した「なんと?」居並ぶ諸将はみな一様に驚いた、未だかって聞いたことがない暴挙である、松永久秀が奈良の大仏殿を焼いて「天下の大悪人」の烙印を押されたが、それよりはるかに罪は重い、「仏敵」となるのだ。織田の諸将でさえ恐れるものが多かった、秀吉さえその一人だ「お屋形様、それは今一度お考え直し下され、坊主を殺せば7世祟るとか」筆頭家老の佐久間信盛が声を上げた「祟りだと!死んで来世があると思うか、それは坊主が金儲けのために考え出したたわごとよ、地獄...空想歴史ドラマ貧乏太閤記45信長と南蛮人

  • 1年ぶりの温泉旅行

    石川県の和倉温泉に泊り、観光を楽しんだ1日目は富山県砺波市の酒蔵「若鶴酒造」、日本酒だけではない、ここは日本で3番目にできたウィスキーメーカーでもある、その銘は「三郎丸蒸留所」火事で焼けた後もクラウドファンディングで再建した。稀な55年物を記念55万円で発売、数百本限定は、瞬く間に終わったとかここを見学して、ウィスキーと純米酒1本買ったそのあと昼食をとり、能登島で水族館へ行った高岡I.Cー七尾I.C間が工事交通止めのハプニング発生、そのためガラス美術館の見学はできなかった。和倉温泉到着、一年ぶりに温泉に入る、相変わらずマッサージはやっていない仲間10人と飲み語り合った一日。2日目は金沢市内の見学「忍者寺」と名高い、加賀百万石前田家の隠し出城ともいわれる妙立寺この平凡に見える寺の様々な仕掛けが面白い昼食は卯...1年ぶりの温泉旅行

  • 時代は変わる

    今日は金沢で竜巻があったとテレビで放映してい、ひどい一日のようだったあすから、金沢方面に行くので大荒れが明日でなくてホッとした旅行支援が始まって、どこもかしこも大賑わいだ、昨日も国道を走ったけれど、田舎町のラーメン店(けっこうキャパはある店)で外に数十人も並んで待っているのは初めて見た。また新井道の駅の飲食店もどこもかしこも外まで行列、前回の長岡丘陵公園同様、日曜は気軽に出かけるなんてのは、ちょっと無理になってきた。そのくせシーズンが終わった黒姫高原や霊仙寺湖などは余裕たっぷりだから、場所によってもかなり違っている。東京国立博物館は現在所有の国宝のすべてが展示されているし特に刀剣がすごいらしい、東京は久しく言っていないので行ってみたい気もあるが、予約で入場制限があるらしい、そんな風に面倒なことは嫌いだから...時代は変わる

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記44 周りは敵だらけ

    そのころ、浅井朝倉は宇土山城を占領しようとさらに攻撃を重ねたが、森可成の家老が数百の兵で必死に城を守って撃退した。浅井朝倉は京を目指して手薄になった二条御所を襲おうと京に向かった、しかし信長が先発させた柴田勝家が御所を守っていると聞くと、比叡山に全軍が上がった。さすがに京で柴田などを相手にして足踏みしていれば、戻った信長の大軍に手痛い目にあうだろう、深入りは禁物だ。信長は信長で他の城も守備兵は少ないから、大坂にばかり関わってはいられなくなった摂津、河内の守護たちに三好の対応を任せて足利義昭と共に京に向かった「松永はどうなっておる、都の目と鼻の先にいながら」柴田勝家が明智光秀に怒声をあげた・「弾正殿は大和に貼り付けになっておりまする、あのお方は大和の国人すべてが敵でございますからなあ、むしろ筒井順慶様を守護...空想歴史ドラマ貧乏太閤記44周りは敵だらけ

  • 黒姫高原

    地元スタンドより7円安い158円(セルフは154円)のGSチェーンの会員なので、100km弱離れているが目的地へ行く途中なので寄った。紅葉はどうかなと、湯ノ丸高原~高峰高原~小諸の懐古園に行こうと気合を入れて出発した。ところがスタンドで「リアワイパー劣化してます」「じゃあ取り替えて」これが私の悪い癖。すると「今気づきましたけど、タイヤがちょっと危ないことになってます」ときた。下りて見たら、そんな気がしたが、ここで新品交換と言うわけにはいかない「どうせスノータイヤに変えるから」「ああ。そうですか、じゃあスピード出さないように気を付けて行ってください」それで、さすがに高速を走る気が失せて、近いところで黒姫高原に目的地を変更水を差されたというか、助かったというかだけどコンビニに寄ったとき見たら、たしかに減っては...黒姫高原

  • 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記43 石山本願寺参戦

    その後、数か月で織田軍の中に孤立した横山城と佐和山城は木下秀吉、丹羽長秀の手で落城した。信長は二人の手柄をたたえて、長秀に3万石加増と佐和山城、秀吉に1万石加増と横山城を与えた。佐々、柴田、明智、梁田、中川、佐久間らにも加増があった。秀吉は小さいながらも本格的な城の城主になった、そしてここが対浅井の最前線基地になった、小谷城までおよそ10kmしかない。ここに弟の小一郎と前野長康を入れて、秀吉は京に戻ったが、その前に信長に挨拶をするため岐阜に向かった。久しぶりに家に戻った秀吉はここで半月を過ごしたもちろん、ねねともラブラブの時を過ごしたのである。秀吉と言う男、一人の女に入れあげるタイプではなく、何人でも同時に愛することができるようである。朝倉軍は手痛い傷を負って越前へと引き上げて行った、一乗谷にいる朝倉義景...空想歴史ドラマ貧乏太閤記43石山本願寺参戦

  • ありがとう小平奈緒さん

    スケート界で一番のファンだった小平奈緒選手(相澤病院)が引退ラストレース長野市のMウェーブで行われている「全日本スピードスケート」に500m一本に絞ったラストレースに出場。全選手中ただ一人37秒台(37.49)を出して文句なしの優勝(8連覇)を飾り、有終の美となった。長野県茅野市出身36歳、オリンピックで女子スピード初の金メダルを獲得するなど、日本のスピードスケート界をリードしてきたレジェンド高木美保というマルチ5刀流の世界的スケーターの後輩も現れて、安心の引退今後はどうするか知らないが、後進の指導とかするのかなあ?私と同じ5月生まれもお気に入り。ご苦労様、ありがとう!!!逞しい後輩、高木さんと2ショットありがとう小平奈緒さん

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記42 姉川の戦い

    そんな心配をよそに秀吉は帰京そうそうに、ふじの宅へ入り浸って膝枕でゆっくりしている。「やはり戦場より、ふじの膝の方が良いのう、ここが一番安心できる」などと鼻の下を伸ばしているふじはまだ17歳、秀吉は33歳になった、歳が倍も違うので親子のようだ。そうは言うが本妻のねねも、まだ22~3歳だから若い、だが秀吉はねねよりもふじを可愛がる、やはり女房と愛妾の違いなのであろう、ふじには生活臭がない、可愛い子猫を可愛がるに等しい思いなのだ。「とのさま」ふじが意を決したように口を開いた「なんじゃ?どうした」「ややが出来たような・・・・・」「・・・・・」「ややが」「・・・なんじゃ、儂の子ができたと、本気か!本当か?」「医師がそう申しました」「儂の子が、本当に儂の子ができたのか、ねねとは10年近くもできなかったが、儂に子種は...空想歴史小説貧乏太閤記42姉川の戦い

  • 静かな午前

    久々の曇り空、こんな日は何して過ごそうか朝8時、朝風呂でサッパリ面会は無理と知りつつ2週間意識不明の友の見舞いに病院へ案の定、会えない、憔悴しきった家族、早々に退去。四種類の花の球根植えつける、もちろん初めての体験咲くやら、咲かないやら、それも来春のお楽しみ。今は座椅子に座ってのんびり庭のコスモスを眺めている。何もかも捨ててしまえば心だけ軽くなる。静かな午前

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記41 命がけの敗走

    金ケ崎城に着いた三将は軍議を開いた鉄砲は明智、木下合わせて800挺はある、木下隊、明智隊交互に撃って、弾込めの時間を稼ぐ、池田隊は弓隊、槍隊、騎馬隊を後方で構えて鉄砲隊の合間に追いすがる敵に攻撃を仕掛ける敵勢に衰えが見えたら、最後の一射をかけてあとは足軽は胴丸も捨てて身軽になって一気に逃げること、そう取り決めを行った。そして敵は数千の部隊が押し寄せてきた、打ち合わせ通りに反撃を開始しただが池田隊は志願したわけでもないのに、取り残された不満からか臆病風に吹かれてあまり役に立たない明智、木下隊は必死に戦ったが、少しずつ討ち取られていく、金ケ崎城も持ちこたえることができず、池田隊を叱咤激励して何とか防戦してもらった何しろ木下隊500、明智隊500に対して池田隊は3000もいるのだしかし敵は新手を繰り出してくる、...空想歴史小説貧乏太閤記41命がけの敗走

  • お~い 空よ 雲よ 秋は寂しいぞ

    秋が寂しいいつも秋は寂しいそれなのに昨日今日の秋は特別寂しい秋空の深さを知り歳時記読むきみはいまいずこの秋を見てるやらお~い空よ雲よ秋は寂しいぞ

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記40 浅井の裏切り

    秀吉が半兵衛と話している「お屋形はどんどん大きゅうなるばかりじゃ、不思議なお方よのう」「そうですな、運があるということは天の命に、お屋形様の命運が一致しておるのでござる、副将軍になるとならざると足利将軍家の宰相的立場に変わりはありませぬ、将軍と言えば腐っても鯛で田舎大名には権威が通じますからなあ」「いかにも、将軍の命令はお屋形様の命令、将軍の命(めい)を無視すればそれは反逆、追討の理由になるからの、追討となれば一番手は誰かのう」「六角がお屋形様に嫉妬して反逆したように、かっては将軍を支えたと自負している者がおりましょう」「ふふふ名門を鼻にかけるやつか、今川同様に公家風がお好きな御仁じゃな」「さようでござる、次の敵は越前朝倉になりましょう」「だが、浅井長政はどうする、市姫様の夫、朝倉の同盟者、さてどうする」...空想歴史小説貧乏太閤記40浅井の裏切り

  • 海 遠征

    私がほぼ毎週行く海岸は隣町にあって、およそ6kmにわたって砂浜が続いている。その真ん中に、川幅10mほどの川が流れていて、その川は物好きでもなければ歩いて渡れない、だから3kmの砂浜が2つあるようなものだ。いつも歩いているのは東側の海岸で、もう知り尽くしてしまった。それで日曜日ではないのだが、最近は毎日カメラを持ってどこかを30~1時間歩くので、昨日は海岸の西側にチャレンジした。ここの始まりの1kmくらいは5年くらい前までは、時々来ていたが、最近はご無沙汰だった。行ってびっくり、夏の海水浴客に「穴場だよ」と教えていたきれいな砂浜が、すっかりジャングル化していた。砂浜が消えて、ジャングルと草原と石原の海岸になっていた。こうなると探検心と好奇心がわいてくる、3時半西に向かう、眩しくて写真にならないから、とりあ...海遠征

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記39 愛妾ふじ

    信長は、将軍義昭が受けてくれと言う名ばかりで権威のない副将軍などを辞退し、そのかわり堺、大津、草津の実用的な町の支配を願い出て義昭から許された。義昭は信長を「御父」と呼ぶほど信長に感謝した12月になるとついに北から武田信玄が今川氏真が守る駿府城に攻め込み、西からは徳川家康が掛川城に攻めかかった今川は激しく抵抗したが支えきれず氏真は岡部らに守られて北条氏政の小田原城に落ちて行った・北条は武田との同盟を破棄した。今川領は大井川を境界にして徳川と武田が分け合った。武田領は今や国内有数の巨大なものになっている、甲斐、信濃、駿河の三ケ国、上野の一部、飛騨の一部に広がった。戦国の世はいよいよ大きくうねりだしたのだ。六角の家臣の中で唯一屈服せず抵抗をしていた日野城の蒲生賢秀(がもうかたひで)も、肝心の六角父子が城も領地...空想歴史小説貧乏太閤記39愛妾ふじ

  • 夜と昼がひっくり返っちまった

    「昨日は夕食何を食べましたか」な~んて聞かれたら「そうですね、え~と?え~と何だったかな?、あ~ごはんと、なんだろうそうだ、みそ汁は自分で作ったから、メギスと油揚げと大根、ああ思い出した焼きそばだったから、ご飯は食べていません、粗末な晩餐でしたねそれと食前酒と言うか神棚から、お神酒をいただきまして、地酒の冷酒吟醸酒300ml、久しぶりに日本酒飲んだから、いい気持になって20時前にはベッドに横になったら寝てしまてお風呂には入らなかったけど、最近は昼にお風呂の癖がついて入ったから、それは良いとして、23時半にパチリ目が覚めてもうどうにもならない、30分ベッドに入ったけど、あれこれ雑念が出てきて、もういけません今は深夜1時だけど、ますます頭は先頭モードになって、でも寝ないと明日の昼間が怖いこうなりゃ奥の手です、...夜と昼がひっくり返っちまった

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記38 明智光秀登場

    翌、永禄11年、岐阜城に珍客が訪れた「おお、そなたは明智十兵衛ではないか」信長が懐かし気に声を挙げた「お久しゅうございました、此度の稲葉山攻めの大勝利、この光秀こころよりお祝い申し上げます」「なあに、舅殿の仇を討ったまでよ、そなたも舅殿に最後まで奉公してくれて信長、礼を申す、ところであれから、そなたはどこに逃れたのじゃ、従兄妹の濃がいる尾張に来ればよいものを」「今日は、それに関連したことでお願いに参りました、お聞きいただけますか」信長は本妻である濃の消息を訪ねることもなく「むろんのことよ、遠慮せず話すがよい」「実は戦に敗れ背後の山に逃れて、そこから峠を越えて越前の朝倉様を頼って行きました、そこで世話になっておりましたがある日、尊きお方が朝倉様を頼りやってまいられたのです、そのお方は三好らにだまし討ちされた...空想歴史小説貧乏太閤記38明智光秀登場

  • コスモスが咲いた

    暑さと寒さが交互にやってきて体の中身がついていかない運動機能は順調だが、くしゃみが出るとか呼吸器系機能調整が難しい親しい同級生が相次いで受難だ、一人は脳梗塞で倒れてもう2週間近く昏睡したままだし別の同級生は仕事中に階段から2mほど落下して腕を骨折して手術した5分前まで元気でいても5分後にはどうなるかわからない高齢者の入り口こうして身近な友の身に起こると。わが身にも沁みてくる71歳72歳と言うのは鬼門のような気がしてきた、この二人もその年齢だし一昨年には私の義兄弟(板前修業で寝起きを共にした男)も71歳で突然亡くなったし、私が大好きだった「ねえちゃん(実の姉ではない)」も、20歳頃上越沿線で一緒にスキーに行って遊んだその妹も、二人とも71歳で亡くなったねえちゃんは料理店の女将だったが、仕事が終わって23時こ...コスモスが咲いた

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記37 稲葉山城落城

    「半兵衛、この山の裏手に敵に見つからずに登れるところはないかのう」稲葉山本丸の裏山は険しくてとても登れそうもない、だが秀吉の脳裏には登れる小道のイメージが出来上がっている「できる」と自分を信じさせると、たいがいできることを知っている、今までも、そうして難題をいくつも乗り越えてきた、それは天性の才能と言ってもよい。なぜだかわからないが、成功のイメージを脳裏に描けた時点で成功が約束される。今までと違い今度は軍師竹中半兵衛もいる、これぞ「鬼に金棒」だ「拙者の手の者に稲葉山の間道を知っている者が何人かおりまする、それを利用いたしましょう」「うむ、頼んだぞ」「堀尾可晴(よしはる)が適任かと、さっそくお会いになりますか」「うむ、ことは急ぐ故、われらから出向こう、案内せよ」金華山から続く森の中に小さな堀尾家があった、半...空想歴史小説貧乏太閤記37稲葉山城落城

  • 昨日の海岸風景

    昨日はまた夏に戻ったような暑さがぶり返した、でも歩いていると風は秋1時間ほど散策してが、うっすらと汗が滲むだけ最近は毎日歩かないと心がせかすようになった、それも健康のためとかではなく、ダラダラ景色を見ながら、写真を撮りながら心のために歩いている。それにしても花はすっかり影を潜めた、「つまんないな」と思いつつ、花はなくても草があったことに気づく。草だって生きている、浜辺を彩っている、景色もそうだし、カラスも一役買っている、そう思ったら急にシャッターの指が動き出した見えなかったものが見えてきた。昨日の海岸風景

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記36 丹羽長秀との競争

    因みに一向一揆について一向宗は浄土宗から起こった浄土真宗の一派であり、後には浄土真宗そのものが一向宗と呼ばれるようになった。かって京の都は足利将軍、三好長慶、細川晴元、松永久秀らが離合を繰り返し京で勝ったり負けたりの戦をして、都は荒れ放題になった京にあった蓮如(れんにょ)の浄土真宗本願寺も対立する延暦寺(えんりゃくじ)の僧兵に焼き討ちされて越前(福井)に逃げて吉崎御坊を創建するその後も越前守護と対立して三河(愛知県東部)へ逃げて布教活動をする、やがて京の山科で本願寺再建、その後大坂石山で石山本願寺をを起こす。蓮如が撒いた種、越前一向宗は能登、加賀(石川県)、越中(富山)にも広がり越後の長尾景虎(上杉政虎)とも対立した、加賀に尾山御坊を作り在郷武士を追い払い宗徒が治める国となった(加賀一向一揆)加賀は信長に...空想歴史小説貧乏太閤記36丹羽長秀との競争

  • 今日も刺身

    昨日は「めじ」だったが、もう一種類もらっているそれは出世魚「ぶり」の少年時代「つばす(つばいそ)」「めじ」は天然生マグロだから鉄分が多い、そのため鮮度の落ちも早いから、すぐに食べたほうが良いし美味い、昨日すぐ食べた。一方「つばす」は水気が多くて、脂がない、新鮮だと「ぐにゅぐにゅ」したゴム食感で味も何もない、だからこの種の魚は一晩寝かせる但し、内臓と頭は、その日のうちに処理してしまう、血抜きにもなるから鮮度が保てる因みに、ヒラメは獲れて生きているうちに首と尾の部分に包丁を入れて血抜きする=生き締めキジハタ、アラ、など身が硬い白身魚は3~5日寝かせると身が柔らかくなって甘みが出る【大きさによる】そして今日になったら、身がしまって新鮮だから多少のねじれまで出ているし、色の赤身も増しておいしそう。今度は歯触りがあ...今日も刺身

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記35 20年ぶりの里帰り

    信長と同盟した松平家康は三河領内にある今川の城をすべて落して三河を平定した。朝廷への献金など工作もつつがなく行ったので「従五位下三河守」を拝領したそして松平の姓を徳川に改めて「徳川三河守家康」と名乗った。徳川は先祖の地、上野(群馬県)「得河郷」から取ったと言われている。但し「徳川」は嫡流のみで親類は松平のままである。江戸時代に幕府を開いたが徳川姓は将軍家と御三家のみが名乗り、それ以外の一門は松平のままである。徳川家康は武田信玄より22歳、上杉政虎より13歳、織田信長より9歳、秀吉より6歳、年下である。先祖代々三河(愛知県東部)を治め、家康が9代と言われる祖父清康は強かったがお家騒動の末、家臣に殺され、父、広忠の頃は今川と織田に挟まれて苦労した結局、今川方になり織田と戦ったが、清康同様に家臣に殺されたまだ幼...空想歴史小説貧乏太閤記3520年ぶりの里帰り

  • 久しぶりの美味しい刺し身

    漁師のともだちから「しび」をもらった、マグロの子供。鮮度バツグン、夕飯に調理した10ヶ月ぶりで腕は素人並みになったかな?でも見た目より味、最高ですごちそうさま。久しぶりの美味しい刺し身

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記34 半兵衛が家臣に

    都では大事件が起きた、将軍足利義輝が三好の一派に暗殺されたのである。越後の上杉政虎は、それを聞くと越後を捨ててでも仇を討つと言って出陣を命じたが家臣たちが諌めてあきらめた信濃の武田、関東の北条、加えて伊達にそそのかされて反乱を企む、越後阿賀野川の北の土豪集団「揚北衆(あがきたしゅう)」とても越後を空けるわけにはいかない事情があった。武田信玄を書いたから、上杉政虎についても一言政虎の父は長尾為景(ためかげ)と言って越後の守護代だったから、信長の父、信秀よりワンステップ上位だ。越後の守護は関東の上杉家であったが、越後には来ないで為景に任せていた為景は織田信秀同様に勇猛で主に越中(富山)へ進行して領土拡大に励んだ、しかし越後(新潟県)は今もそうだが、越中の3倍もある大きな国だから、豪族も多くて守護や守護代の言う...空想歴史小説貧乏太閤記34半兵衛が家臣に

  • 砂の表情

    浜辺の砂浜と言うけれど、砂にも表情がある砂粒にも個性がある波と砂風と砂流木と砂捨てられたごみと砂砂は植物を育て鳥を育てる砂浜歩きは面白い風が聞こえる風紋砂に埋もれても逞しく生きる砂浜の藪の中にはコケも住んでいる砂の表情

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記33 稲葉山城乗っ取り

    同じ年に稲葉山城内で反乱がおきた、美濃国主斎藤竜興は異常な性癖があり、家臣や美濃の土豪の中には眉をひそめるものが多かったしかし怖いので誰もそれを指摘しない竹中半兵衛という家臣がいる歳22、1万石の城主である、知略に長けていたが凡庸な竜興にその価値はわからず重用しなかったそれどころか愚にもつかぬ悪ふざけで半兵衛を辱めたりした半兵衛の弟は病弱だったが人質として稲葉山城内にいた、半兵衛は弟に連絡をつけて仮病を使わせたそして家来数人だけ連れて病気見舞いを理由に登城した見舞いを終えると弟の着替えと称した長持ちの中から武器を取り出して直ちに竜興を襲った、警護の武士を切り捨て竜興をねじ伏せるとその髷を切り落とした「命はいただきませぬ、これに懲りてわが身を改めて反省なさい」そして半兵衛の家来が合図すると城の周りに潜んでい...空想歴史小説貧乏太閤記33稲葉山城乗っ取り

  • 波の表情

    昨日は平日だけど海に行った、いつもは歩かない砂浜と草むらの境をゆっくり歩いた海を見た、波を撮ってみようと思って、波打ち際近くまで行った一昨日の大波は鎮まったが、まだ荒れ気味の海面白い波のペイント、流れるペンキが面白い波の表情

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記32 墨俣功績 秀吉になる

    1560年頃の力関係は武田、上杉がライオンであれば、織田はまだ狼程度、家康はヤマネコ程度だっただろう、ゆえに信長が今川義元も首を取ったのは狼が陸に上がったワニを不意打ちで殺したようなものだ。いずれにしろ織田信長から今川の脅威が一時的にしろ消えた、しかも今川領との間には同盟した松平家康の三河が防波堤となったから後背の憂いなく美濃の斎藤竜興を攻めることができる。「天が味方してくれた、熱田の五神さまのご加護があったからだ儂は今川との勝ち負けは考えずにひたすら駆けた、あのとき、儂が駆けたのではない、導かれたのじゃ、みちびかれるままに駆けただけだった、そこに義元の首が待っていた」織田家中が居並ぶ前で信長は思い出すように語った「さて、邪魔な今川は鳴りを潜めた、あとは徳川家康に任せて、われらは因縁の敵、美濃の斎藤を攻め...空想歴史小説貧乏太閤記32墨俣功績秀吉になる

  • 生活が変わって見る夢まで変わった

    昨日は朝6時半に起きて、朝食を作ったり、掃除をしたり、庭を見たり食事をしたのは9時半だった自分の部屋に戻り、なぜかベッドに横になったら、また寝てしまった目が覚めたら、もう昼12時、あらら2時間も寝たのかずいぶん奇抜な面白いホビー的な夢だった、ある意味スティルバーグのトワイライトタイム的な作品だったいくら何でも昼食には早すぎる、それで久しぶりの日差しだから毛布を干したり、小説を1時間半ほど書いて昼食は2時半何食べたかなあ?朝はつーくんにもらったスグリ菜とエノキと油揚げのスープ仕立て、ご飯と納豆それだけ昼は冷凍ラーメン横浜豚骨しょうゆ味」っての、今どきの冷凍ラーメンは具も入っているし、味も結構いけてる、値段は300円くらいだしラーメン1000円時代、ラーメン好きの節約生活には欠かせないそれと、ご飯が残っていた...生活が変わって見る夢まで変わった

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記31 (決戦 川中島)

    善光寺平周辺の土地を奪われた信濃豪族は越後の上杉政虎を頼ったので「弱きを助け、強きをくじく」がモットーの政虎は無報酬、見返り不要の正義感だけで引き受けたこれまた戦に負けたことがないという越後軍団を率いて、ついに信州川中島で武田勢と睨み合ったさすがの武田信玄も上杉政虎が醸し出す神的なオーラと、無言無表情、一糸乱れぬ統一された越後神兵の前にうかつに動けなくなった。戦国最強と自他ともに認める甲斐の武田軍団、だが初めて見る越後の上杉軍団には今までの敵とは全く違う怖さを感じる、不気味なのだ信玄より10歳くらいは若いのか、信玄は初めて手ごたえがあるライバルを見て嬉しく思った。あれほどイケイケの武田騎馬軍団が越後軍を前に一歩も前に進まないそんな戦いが5年の間に三度あった、千曲川を挟んで睨み合っては互いに兵を引いたところ...空想歴史小説貧乏太閤記31(決戦川中島)

  • 庭を生き返らせよう

    甘く良い匂いがすると居間を占領している女房殿が言うから、行ってみた「金木犀じゃない?」廊下からガラス越しに(雨だったから)覗いたら、たしかに黄色い花をつけて木があるこの家に来てまだ半年なので、庭に何があるのかよくわからない、しかも木花に疎いから尚更だ我が家に金木犀があるとは感動ものだ、大きな木ではないが確かにあった庭には紅葉、梅、ローリエ、牡丹、つつじ、百日紅、山椒、まだある父が入院してから10年くらい放置されていたので枯れてしまったものも多い庭の再生という仕事ができた、肥料など手入れをして再生させようと思う。10坪ほどの庭は初心者の軽作業にちょうど良い初めての土いじりでコスモスと菊とニンニクを植えてみた5日前にコスモスが開花第一号、よりによって冷雨が続いた最中に開花で濡れて可哀そう、日曜は晴れそうだから...庭を生き返らせよう

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記30 甲斐の武田

    「夢のようじゃ、儂が仕えた頃はお屋形様はまだ那古屋城と古渡の城を持つだけだった、それが今では尾張すべてを傘下に収められた」「じゃが喜んでばかりもおられまい、地境が広がって敵も増えたわけじゃからな、しかも美濃、長島から伊勢、近江と大きな大名ばかりじゃ」藤吉郎の話に小六が返した「更に遠くには甲斐信濃の武田、関東の北条、越後、上野の上杉など尚更巨大な敵がいる」と前野長康「それでも北近江の浅井さま、三河の徳川さまがお味方になられたのは助かる、いずれ美濃を攻めることになるから助けになるであろう」「そうじゃ、御屋形様はいよいよ目の上のたんこぶ美濃の斎藤竜興を攻めるぞ、われらも腕の見せ所よ」甲斐の武田を少し考えてみる甲斐(山梨県)の国は豊かとはいえない信濃(長野)から武州(埼玉)、駿河(静岡)、武蔵(東京)に囲まれ、甲...空想歴史小説貧乏太閤記30甲斐の武田

  • さんざんな一日

    昨日は「サンデービーチ」ではなく「サンデードライブ」新潟県長岡市の国営丘陵公園へ行って花の写真をたっぷり撮って、周囲の林間を一周しようなんて考えながら出発行きは年金暮らしゆえすべて国道を走った、途中で息切れして柏崎の海浜公園に寄って休憩佐渡も大きくややうっすらと見える、右手には角田山、弥彦山がくっきり青く手前には柏崎刈羽原発が海によこたふ佐渡ケ島原発露出失敗米山さん長岡まで2時間半かけて丘陵公園のアクセス道路に入った午後1時まわって、そろそろすくだろうなんて大きな間違いだった取付道路から大渋滞、長蛇の列、おそらく駐車場まで2kmほどはこの状態30分じゃ入れない、入っても足の置き場がないほどの混雑だろうこれは初老男には良くなさそう、「やめた」近くの歴史博物館へ、ところがここも駐車場いっぱい、じゃあ悠久山公園...さんざんな一日

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 29

    「藤吉殿、おぬしも嫁をとる歳ではないか、良い嫁を儂がせわしようか」前田利家が藤吉郎に言った「いや、せわしてもらわんでも儂には、つきおうている女子がおるで」「ほ~~、さすがは藤吉殿じゃ、手が早いのう、でそれは誰じゃ」「うん、浅野様のところの、ねねさまじゃ、互いに好きおうていまする」「おお、あの器量よしか、ちとおぬしにはもったいないのう」「前田さま、そんなことはいわんでちょうよ」「すまぬすまぬ、善は急げじゃ、のんびりしていたらまた戦がはじまるぞ」「そうじゃのう、浅野様はちょっと苦手なんじゃが、当たって砕けてみるかのう」「そうじゃ、そのいきじゃ」意を決して藤吉郎は足軽組頭の浅野家へ「ねねさまを儂の嫁にいただきたい」と通ったが、何度行っても断られるばかりであった。ねねは、ねねで「どうしても木下様と一緒になりたい」...空想歴史小説貧乏太閤記29

  • 新潟アルビレックス6年ぶりJ1昇格

    去年は破竹の開幕13連勝で琉球と、ぶっちぎりトップを走って昇格間違いなしと期待されたのに後半戦で一気に失速、一桁ぎりぎりの順位で終わっただが今シーズンはホームで連勝を続けた結果10月8日新潟3-0仙台最近5試合4勝1分で2試合残して自力昇格を決めた事実上、前節で昇格はほぼ決まっていた、3位岡山が3戦全勝、新潟が3戦全敗しても勝ち点は同じになるただこの3試合で岡山は得失点差で新潟を15上回らないと新潟を超えられないので、それはほぼ不可能だったのだ。だが今日の勝利で文句なしの昇格が決定した、ビッグスワンにはJ1でも上位の3万人越えの観客&サポーターが詰めかけた。あと2試合は2位の横浜FCとの優勝争いとなる、だが2位横浜FCと3位岡山は明日が試合、場合によってはこの2チームはまだひっくり返る可能性がある3試合残...新潟アルビレックス6年ぶりJ1昇格

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 28

    松平元康は岡崎に戻る途中で残党狩りの織田軍の部隊に遭遇した鉄砲を持つ兵も見える大高城から何度も敵の中を切り抜けてきたが兵はちりじりになり、従う者僅か300、兵は疲れ果て、敗戦の落胆も大きく元康は「潔く腹を切ろう、儂の首を渡してお前たちは岡崎に向かうがよい」と言った重臣の酒井忠次が「馬鹿なことを申すものではない、われらのこれまでの苦心苦労を殿は何と心得る今川侍に土下座し、水を飲み泥を舐めて主君が帰ることだけを楽しみに待っておりましたものを御大将がかのように軟弱であれば、われら一同もここで枕を並べ腹かっ切りまするぞ、松平家もこれまでのことよ」そう言われると元康も我に返り「すまぬ、儂が間違っていた、ここは息を合わせて切り抜けよう」と言ったみな覚悟を決めて身構えていると、織田方から武者が3人、何かを大声でわめきな...空想歴史小説貧乏太閤記28

  • ある日突然

    一昨日、仲良しの女友達Y子が競技審判中に突然倒れて搬送された結果は小脳の脳梗塞、手術後いまも目覚めていないただ一週間と言われた酸素マスクは一日で必要なくなったので一縷の光が見えてきた。彼女は友達の中でももっとも活発で朗らかでリーダーなのだ、同級生の中では一番若い、回復を祈るばかりである。普段は自分は90までだ100までだと言っているし、それだけの自信も持っているが、いざ身近な友がこうなると自分の考えは希望でしかないことに気づく私もけっこうやばしい人間なので、身の回りはきれいにしておかないといざと言うとき恥をかきそうだが、明日どころか25年くらいは平気という思いもあって便利なものは捨てられないでいる人の寿命と言うものはだれにもわからない、真宗の「御文さん」の一節ではないが「今日とも知れず、明日とも知れず」な...ある日突然

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 27(決戦 桶狭間)

    善照寺砦から街道に入ると小雨が降ってきて「幸先よし!これで敵はますますわれらが敵か味方かわからず手を出しにくかろう」ついに信長の軍1800が一斉に走り出した、僅か1800とはいえども信長と生死を共にしてきた若手精鋭の馬廻り衆と小姓衆だ、息がぴったりと合っている信勝との戦、清州織田との戦いでも縦横無尽の活躍をしてきた道はまっすぐな最短の一本道、それだけに敵の部隊と遭遇する確率は高くなるだが勢いがあれば敵は茫然と見送るであろう、後の戦は徒士と足軽に任せて騎馬隊は本陣を突く、信長が天に祈った。このほか先発したおとり部隊200が鎌倉街道を北から合流する、さらに義元本陣の背後には50の蜂須賀党と梁田党が潜んでいるさらに千秋四郎率いる300の兵が目くらましの陽動作戦で大高城に向けて出陣した、この軍は間もなく松平信康軍...空想歴史小説貧乏太閤記27(決戦桶狭間)

  • いまさらなんでコロナを書く?

    その答えは、ネタ切れだから今年はインフルエンザが流行しそうだと一部メディアが書いていたあのコロナ騒動も人数発表の簡素化でスティルス化してしまい、わが町の感染者数も市のHPから消えて、まったくわからなくなった。わかるのは都道府県別感染者数と累計、全国の重症者、死亡数などの総数もうコロナの存在を消し去りたいとの意図なのか、こうなるとウィズコロナは実現したと言って良い。先日、友達が4回目接種後まもなくコロナ感染した、3回目で副反応のひどさに二度とうたないという友達も私は4回目の接種券が来たけど、今年はインフル接種をしようと思っているから躊躇している二つとも打っても何でもないというけど1年に3~4本も予防接種するのはなんとなく気持ち悪い、新型ワクチンも出るというし、打つ打たないはあとで考えるとして、しばらくは様子...いまさらなんでコロナを書く?

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 26(決戦 桶狭間)

    善照寺に着くと狭い砦に兵があふれている、その数2400、後から清州より徒と足軽400が着く、今の織田軍では最大の部隊である。「鎌倉街道の峠まで兵200を出して沓掛に織田軍500が寄せていると情報を広めよ今川勢が鎌倉街道に入ってきたら南下して扇川を渡り、敵に注意しながら太子が根に迎え、本隊の戦が始まるまでは伏兵として戦うべからず」織田軍が鎌倉街道に兵を進めていると聞いた義元は兵2000を割いて鎌倉街道に向かわせ、本隊は沓掛城を出た、その数9000すぐに信長のもとに情報が入ってきた「今川義元は沓掛城を出て南下しております、大高城に向かうよし」「しめた!思った通りじゃ、これで五分になったぞ、これだけでは足りぬ今川本隊を何としても、桶狭間に向かわせるための情報が必要だ藤吉郎、義元の動きを監視し続けよ、頃合いを見て...空想歴史小説貧乏太閤記26(決戦桶狭間)

  • ストレス対処法

    急に寒くなりまして衣服と冷暖の調整に苦労しています2日前までは室温30度、昨日は夜21度、今は(朝5時)18度とうとう長袖の薄地セーターを着てしまいました。脇には電気ストーブも点灯していますこんな急激な温度変化のせいか、昨日同級生の旅行メンバーが倒れて救急入院いつも元気で明るい世話好きな彼女が倒れるなんて、ショックです。ショックと言えば、しばらく平穏な時間を過ごしていたのですが閉店がらみのストレスが一度に発生して、さすがにわからなくなったので整理しようと箇条書きしてみたら8つありました。さてストレスはほっておくと、いつまでも片付きませんし、場合によってはそこからどんどん膨らんでいく危険もあります結局ストレスの原因に向かって挑戦していくしか解決方法はありませんストレス解消には勇気と行動しかないのですしかも行...ストレス対処法

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 25(決戦 桶狭間)

    翌日は織田、今川互いに情報合戦が激しくなってきた今川義元は沓掛城まで前進して一泊する今川方には織田方の砦の人数などが正しく知らされてきた、それによれば善照寺に1000数百いる以外は300~400の人数しかいないこと19日の朝には織田信長が善照寺砦に数百を引き連れて入るという、超極秘情報も入ってきたさらに熱田神宮には守護斯波義銀が手勢を引き連れてやってくるという、今川の情報網の凄さであるところが、この情報源はなんと織田方の蜂須賀党が放っているのだった、これこそ信長の作戦であった。これを聞いた義元は「愚かな!いよいよ万策尽きて神頼みの一戦を決意したようだな、信長は打ち取り、義銀は捕えて尾張守護を禅譲させようぞ」信長の方にも今川軍の進路が逐一知らされてくる信長にとっての関心事は進軍路これに尽きる、義元が桶狭間に...空想歴史小説貧乏太閤記25(決戦桶狭間)

  • 朝のルーティン

    一人で寝ているから、朝、何時に起きるかは気分次第、覚醒次第で特に決めていない目が覚めたら起きる。そもそも寝る時間も21時から25時の間で決まっていない目が覚めたらまずベッドの横のカーテンを上半身だけ起こして開けて、朝の光を浴びる、朝の光は一日の体調を整えてくれるのに効果的だそうだ。ベッドから降りて、東の窓のカーテンを開ける、晴れていれば窓も開けて風を入れる。パジャマのままで一階に下りて、顔を洗い、10分間歯を磨くなぜ10分かと言えば、磨きながら小庭を見に行き、磨きながらコスモスと菊の開花状況を見たり、ニンニクの育ちを見たり、外の空気を感じたり、庭に下りて見たりしているからコスモスも菊も小さなつぼみがやっと出てきた、世間を歩くともうコスモスは開花して目を楽しませてくれている。曼殊沙華の季節になると、あちこち...朝のルーティン

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 24 (決戦 桶狭間)

    永禄3年5月、今川義元は先陣に若き武将、松平元康(後の徳川家康)と朝比奈泰朝の3000を進め、自ら2万の大軍を率いて駿府を出発した。目的は遠江と三河の不穏な空気を収めることが第一で、ついで織田を攻め那古野を攻め取り、良港津島湊を奪うことであった。もちろん60万石70万石ともいう尾張を占領してその富と米を手に入れ、飢饉にあえぐ三河、遠江、駿河の自国領に送ることも目的だ義元公の出陣とあって家臣たちは勇み立った、「織田の命運も尽きたぞ」と口々に叫んだ。「義元発つ!」の報は今川領に潜伏している間者からたちまち信長に伝えられた。「とうとう動いたぞ、準備は万端だ、返り討ちにしてくれる」信長は勇み立ち、かねてからの計画通りに動き始めた信長とて無策で正面から当たって今川に勝てるとは思っていない、そのためには周到な準備を4...空想歴史小説貧乏太閤記24(決戦桶狭間)

  • 二年ぶりの健康診断

    ずっと会社で健康診断の申し込みをやっていたが、会社を閉じたので保険も社会保険から国民健康保険に変わった。市から健康診断の案内が来たので早速申し込んだ、料金は無料とのこと、国保は高いからそのくらいはしてもらってもいいか。体は動かなくなった分どうしても甘やかされている、だから三か月くらい前から歩き始めた、それと草むしりとか掃除とか料理造りとかして体を動かすようにしている。今回の検診前で気になるところは目、目が急激に悪くなっているのは認識している、視力検査が怖いが、相談してみるのも必要だ。前日から目を使わないようにパソコンもスマホも見ないようにした、目薬もいつも以上にさして、当日も行く前にさした。ところが会社の時にはあった視力検査が無くて、眼底検査があった。なんか拍子抜けした。私は血管が細くていつも採決では看護...二年ぶりの健康診断

  • 貧乏太閤記 23 (決戦桶狭間)

    「三河では不満がたまった松平家の者共が、松平元康の母の実家の水野信元に懇願して岡崎城から今川を追い払う反乱を計画しているそうだ」「織田信長は尾張を統一したので1万の兵は動員できるようになった、100挺の鉄砲隊も編成したという、その強さは信秀以上だという」「信長の後ろには守護の斯波様がついている、もともと遠江の守護だった斯波様は信長に取り返すよう命じているという」「遠江の地侍が今川様に不満を持って三河と連携して反乱を計画しているようだ、井伊谷の井伊様など何か所も同時に起こすようだ」「浜松の飯尾様も常日頃から不満を持っていて、これもまた反乱軍に加担するという」「春になれば織田方は三河と呼応して、今川方の大高城、沓掛城に攻めかかり勢いで岡崎、浜松まで押し寄せるらしい、浜松の飯尾様はすでに内応しているとか」「今川...貧乏太閤記23(決戦桶狭間)

  • 墓じまい

    同年齢の従兄が墓じまいをした大学に入ってからはずっと首都圏で生活してきてマンション暮らしだ彼は一人っ子なので伯父さんが亡くなってからは、田舎には母親一人で暮らしている彼の40代後半の一人娘も首都圏で一人暮らしをしていて、結婚する様子はないし、子もいないから彼の血統は娘で終わりそうだ彼も田舎に帰ってくる気はないし、田舎にある先祖代々の墓は彼が動けなくなれば野ざらしになるそれで決断したのだ先日墓地で僧侶に墓じまいの読経をしてもらった、参加したのは彼と私と私の妹の三人墓石業者に頼んで墓の解体、遺骨の収拾と移動を依頼して、寺の中の共同墓地に移る。この田舎町には一人暮らしの年寄りが多い子供たちはみな都会で生活をしていて滅多に帰ってこない、その子供たちだって60,70を超えているから結局は田舎の墓は従兄と同じ運命をた...墓じまい

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 22

    「長尾に景虎(かげとら)は越後守護代長尾為景(ためかげ)の次男だそうで、嫡男が病弱なため家督を譲られました神仏信仰に厚く毘沙門天を祭った毘沙門堂を越後春日山城に造り、毎日籠って祈りをしているそうです戦に際しては、自らを毘沙門天(びしゃもんてん)の化身と申して『毘』の旗を掲げて真っ先に敵陣に突っ込むこともあるそうです、未だ戦で負けたことはないとのこと妻帯せず、女人を寄せつけずさりとて稚児小姓もいないとのこと天子様、足利将軍を敬い毎年多額の献金をして、都にも二度上洛、一度は兵5000を引き連れ、三好、松永らの無礼を懲らしめたので天子様、足利将軍、公家衆からたいそう信頼されているそうです越後には甲州金山に匹敵する金山があり、直江の津は、出船入船盛んで特産の青苧(あおそ)でたいそうな富を築いているとか、越後長尾家...空想歴史小説貧乏太閤記22

  • 夕暮れの浜辺を歩いた

    夕暮れの浜辺を歩いた、夕日が瞬く間に沈んでいったその短い時間を切り取ってみた何年かぶりに来た浜辺は様変わりしていた、最高のサンドビーチだったのに草が生い茂り、遊歩道の左右は荒れ放題の小さな森と雑草の茂みになっていた平成の合併で行政が手を抜いて管理しなくなった結末がこれだともあれ夕日の美しさだけは変わっていない誰もいないつる草が這う草原で口ずさんでいた(思い付きなので違うかもしれない)加山雄三さんの歌夕暮れの浜辺を貝殻ふみながらあてもなくただ一人彷徨う君はどこにいるのかまだ見ぬ恋人よ君と会うその日まで僕は行く夢に見る甘い口づけよ僕を呼ぶ優しい声・・・・・(恋が始まる前の気持ちですね)キャロルの歌君と二人で歩いた浜辺の思い出何も言わずに口づけをかわした浜辺ああもう恋などしない誰にも告げずただ波の音だけさみしく...夕暮れの浜辺を歩いた

  • 空想歴史小説 貧乏太閤記 21

    藤吉郎は刈谷ー安祥ー岡崎ー浜松ー掛川ー駿府と今川の主な城下を探りながら歩いた駿府に着くと真っ先に松下嘉兵衛の屋敷を訪ねた、嘉兵衛にも会いたかったしし、それよりも初女に会いたかった。家臣たちはいたが、嘉兵衛も初女も浜松の頭陀寺城へ行っているとのことであった、藤吉郎はがっくりした。それでも目的の御役目を果たすべく歩き回った、地形、城の守り、家臣の士気、人々の暮らし、食糧事情、実り、町の豊かさ、湊など商人となって町家や武家屋敷の中間、足軽などからも情報を集めた宿には様々な土地の人間や、旅の僧、藤吉郎同様の行商人が出入りしているそれらと親しくなって話すと今川領だけではなく、関東や甲斐、信濃の情報までも得ることができた。およそ三か月、たっぷりと情報を書き記して藤吉郎は清州に戻って信長に面会した。藤吉郎は知らなかった...空想歴史小説貧乏太閤記21

  • 日曜の浜辺 最終回 (かまきりじいさん)

    海岸の護岸でカマキリに出会った全身茶色で年季が次入っているようだ、逃げようともしないで威嚇するなんだよ!おまえなんか文句ある?向かってきた!お~こわおまけ日曜の浜辺最終回(かまきりじいさん)

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