小田原北条氏が豊臣秀吉に降伏し 徳川家康が関東に国替えされると 家康は、鷹狩りと称して 民情視察・土豪の懐柔、 引見などを行います。 その関東各地の 視察の為に設けられた 御殿の一つが藤沢にあり そこを拠点に 栄区内の各…
神奈川県内を走る列車を中心に撮影している鉄道写真ブログ。 鉄道スナップ写真、鉄道風景写真が多いです。 特に江ノ電写真が豊富です。
小田原北条氏が豊臣秀吉に降伏し 徳川家康が関東に国替えされると 家康は、鷹狩りと称して 民情視察・土豪の懐柔、 引見などを行います。 その関東各地の 視察の為に設けられた 御殿の一つが藤沢にあり そこを拠点に 栄区内の各…
この辺り 1973年の根岸線延伸前は、 日野町という町 港南台駅の洋光台側、 港南台中央公園の中を通る 全長58mのトンネルは、 日野第1トンネル、 その港南台駅側入口にあるガードを 日野第4ガードと言います。 1965…
栄区の東部にあたる写真後方の山には、 日本の高度経済成長期のピークを迎えた 1960年代後半から1970年代にかけ 宅地開発された高級住宅街が広がっています。 最寄り駅は、港南台 バスを15分程度 利用しなければならない場所ですが …
神奈川県立地球市民かながわプラザの 公開空地を埋め尽くしていたつつじも 一角に残すばかりとなり クロガネモチやハナミズキ、 モミジや紅梅、白梅の木々の 鮮やかな緑の中の アクセントカラーになっていました。
9596レ J-TREC出場甲種 DD200-18[愛]+東急6020系
東急大井町線向け6020系甲種輸送, 撮影地に選んだのは、港南台の高台。 ここを選んだのは、 今ならではの緑と一緒に撮りたかったから
鉄道写真だけでなく 横浜を中心とした 風景写真やスナップ写真も 撮影しています。 この桜木町駅前界隈には、 写真にあるような 高層の建物が次々と出来、 太陽が遮られ 夕方の光が奪われ 汽…
ここは、国道16号の 起点であり終点でもある場所の近く 横浜南部の 磯子区に住んでいた私にとって 国道16号といえば 高島町から横須賀までの道路 結婚して 保土ヶ谷区天王町の マンションに住んだ時 生活圏内に国道16号が走っていて こっちの方にも伸びたんだという 認識でし…
この線路の向こう側は 内田町という町でした。 横浜船渠があったころは、 職工の住居や船員の宿舎があり 1700人以上が 暮らしていたそうです。 しかしここに住む住人達は、 太平洋戦争敗戦1年前の 1944年8月には、 造船所を守るため防空法が施行され 「建物疎開」 (…
この踏切を渡れば、こっち側とは別世界。 電柱は全て地中化され広い歩道で どの建物も歩道から セットバックされているから 圧迫感がなく開放的な空間を感じられる。 そんなみなとみらい地区、 首都圏の「住み続けたい街」や 「街の住みここ…
三菱ドック踏切に行くと 踏切脇の内田町第2架道橋下で 二人の若い男女が一生懸命、 落書きを消していました。 JR東日本に委託された 業者さんかなと思ったら JRの社員さんとのこと …
眼下のさくら通り (みなとみらい4号線)が通る場所は、 かっての東横浜駅の入口辺り 向かって左側が貨物駅 背後と右側が三菱重工業横浜造船所 根岸線と東急東横線の 高架橋の壁をぶち…
紅葉坂(もみじざか)、 もともとこの辺り一帯は、 楓の美しい所だったので 1872年に紅葉坂、 紅葉橋などの名が付けられました。 大正時代になり その楓は、次第に枯れ始め 関東大震災で全滅してしまいます。 紅葉坂には、 神奈川県…
廃線となった東急東横線の 高架が被さる国道16号線沿いの道 2006年には Rocco Satoshi氏と と美術系の学生などが 「Art-16.2004」という ウォールペインティングを行ったり 2007年には 「桜木町 ON THE WALL」という企画…
根岸線のガードをくぐった地点が 国道1号線と国道16号線の分岐点です。 真っ直ぐ進めば保土ヶ谷方面、旧東海道 左に折れれば、桜木町、関内方面です。 根岸線の向こう側には 2003年、マンション建設時に 2代目横浜駅のレンガ基礎が発見され その遺構が保存されてい…
みらいを見据えたデザインの建物も 何十年か経てばその面構えは みらいじゃなくて現在、 建物によっては過去になってしまう。 でも国道16号線のこの位置から見上げる ランドマークタワー、横浜銀行本店、 MM21 DHC そして背後の日…
桜木町駅近くの 商業施設の立体駐車場屋上から 桜木町4~7丁目、 花咲町4~7丁目を望んでいます。 この辺り、 国道16号線と 新横浜通が並行して走っていますが 新横浜通りは、 もともとは石崎川と大岡川を結ぶ 桜川という運河。 その桜川を暗渠と…
人がどうにか すれ違える程の幅しかない 三菱ドック踏切の通路 あちこちに 「歩いて通行」と 書かれていたけど それを守る人は皆無 幼児や高齢者にとっては、 恐怖の通路
かって24時間体制で稼動していた 造船所の正門の所にあり 多くの労働者が渡った踏切からの撮影 1983年春、三菱重工業横浜造船所 (通称、三菱ドック)が閉鎖されてから 車の入れないこの踏切は、 一時期、寂れたけれど この踏切の海側、みなとみらいが整備さ…
横浜市中央卸売市場本場内にある 「市場食堂 つるや」さん前の道と 青果部卸売市場を結ぶ橋の上から 滝の川の上流を見て撮影しています。 滝の川は、 大部分が、暗渠になってしまい 横浜銀行アイスアリーナ (旧神奈川スケートリンク)前の 第二京浜(国道1号)あたりから …
出川哲郎さんの御実家でもある 横浜市中央卸売市場の入り口近くに 店を構えている海苔問屋、 蔦金商店 の前を歩いていたら 店主である出川さんのお兄さんが 女性にインタビューされていて ENGカメラで撮影されていました。 蔦金商店の 出川さ…
滝の川に架かる棉花橋から 河口の横浜市中央卸売市場に向けて 87レを撮影しています。 私が立つ棉花橋は、 橋本町周辺に 輸入された棉花の倉庫が 明治時代からあった地区。 1932年(昭和7年)1月1日 神奈川町が廃止され この辺りが 棉花町と名付けられたのが 橋…
ここ高島貨物線を含む 東海道貨物支線貨客併用化 進展しているニュースがないので 立ち消えになったのかなと 思っていたけれど 神奈川県・横浜市・川崎市 東京都・大田…
EH200が 横浜の鯉のぼりを 横目で見て走り去っていきました。 ここ イセザキ・モールの鯉のぼり達は、 洗練された整然とした姿で 大人向けの装飾 このEH200が これから見るであろう 風林火山の 武者のぼり旗の脇で 荒々しく泳ぐ 鯉のぼりと…
今年も 地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)は、 多種多様なつつじに包まれました。
「躑」も「躅」も この文字、書けないよ・・・ 漢和辞典に載っている文字を ルーペで拡大してやっと書けそう そもそも「躑」って何て読むんだ? 躑躅なら読めるけど 一文字ずつになったら読めないよ あ~ 読みから辞書で字を探すのは無理 それじゃ画数から探そうとと…
ツツジには、 「節度」「慎み」といった 控えめさや適度さ意味する 花言葉があるというけれど 関内駅北口のつつじは、 際立って目につく存在感 住宅街や 車が行きかう道路の歩道など 日常風景に溶け込んでいる 見慣れたツ…
私が立っている場所の背後には、 アメリカ陸軍及び アメリカ海軍の港湾施設 横浜ノース・ドックがあります。 そこは、米軍ヘリコプターの タッチアンドゴーや吊り下げ訓練、 周回訓練場としても使用されていて この時も アメリカ軍…
ここは、千若町 1907年(明治40年)から 1911年にかけて 横浜倉庫株式会社により埋立が行われ 町名は横浜倉庫初代会長の千坂高雅と 専務取締役の若尾幾造の苗字から 一文字ずつ採られています。 私の母方が若尾家の本家、 長男の血筋なので 若尾幾…
東高島駅のすぐそば、 この周辺は、 3棟の超高層タワーマンション建設の為、 何年も前から土地区画整理工事が 東高島駅北地区土地区画整理組合と 横浜市によって行われています。 先日の新聞記事に 日本人過去最大前年比89万人減 14年連続減とあった 少…
横浜市は、 ここ東高島駅北地区の運河を埋め立て 日本貨物鉄道(JR貨物) 及び三井不動産レジデンシャルを 建築主とする 高さ約180m(地上47階)、 約165m(地上42階) 約195m(地上52階) 総戸数2,200戸程度の 超高層タワー…
横浜市民が言う「横浜」と 市民以外が想像する 「横浜」は場所が違います。 「横浜、行って来る」と言えば、 西口に行くことであって 桜木町には行かない 「横浜案内するね」と言う時には 桜木町駅から石川町駅まで…
関内駅北口前を通る通称・鎌倉街道 その道が、 首都高速横羽線を跨ぐ橋の上に ワサワサとつつじが植えられています。 そこは、 歩行者二段階横断方式の 横断歩道の安全島 渡り切るのをやめて つつじを背後に相方を立たせ スマホを取り出し 撮影する人も多…
昨日は、 激しい雨の中での配給列車撮影。 手持ちでの撮影が多い私だけど さすがに傘さしての撮影は、 手振れの恐れもあるし 構図も固定しずらいと思い 三脚持参で家を出ます。 向かった先は、幸ケ谷公園 この公園の眼下を 配給列車が通過する…
せっかくのウイスキーをを 水割りだとかハイボールだとか 薄めてしまって 飲む人の気持ちが分からない。 もったいないと思ってしまう。 と言ったら メーカーのおすすめの飲み方という そんな ウイスキ…
本郷台のシンボル的存在 地球市民かながわプラザ (あーすぷらざ)には 沢山の白やピンクの ハナミズキが植わっていて そのうちの数本は、 根岸線に沿った道沿いにあり 今まで根岸線と一緒に 撮影する事が出来ていました…
一日に40本近い 貨物列車が行き来する根岸線 ほとんどがENEOSの根岸製油所から 中央本線八王子駅・竜王駅、 しなの鉄道線坂城駅、 高崎線倉賀野駅、 東北本線宇都宮貨物ターミナル駅に ガソリンを運び そして空になった…
横浜華僑の多くは広東の出身で 私が子供の頃の横浜中華街は、 ほとんどが広東料理のお店だった。 近年、「台湾」が急増したので その理由を 中華民國(台湾)と結びつきの強い 中華民國留日横濱華僑總會を訪問し 訊ねて来た。 …
桜が散ると春から次の季節に バトンタッチしたように思えてしまう。 桜の花びらが 春のウキウキ気分を連れて流れていた。
<br /><br /><br /><br />JR根岸線 散った桜
散っても美しいとか 散っても心を揺さぶる桜 散った私は、 ただの・・・ 「ただの・・・」の後の しっくりとしたワードが見つからず 妻に問いかけたら ダダダダダと大変なことになった。
桜の花びらが ゆっくりと流れる様子は、 寂寥感が漂っているようでした。
桜の花びらの下を 沢山の大きな鯉が 悠々と泳いでいました。
日本には、 桜の花を兵士に見立てた 歴史があります。 勇ましさを強制し 国に命を差し出すことを 美化する為に利用された桜。 衆参両院を通じて、 女性で初めて議長・副議長の 両方を歴任した山東昭子参院議長が ウクライナの大統領の 国会演説の後に述べた言葉 「貴…
人には誰にでも 「あの日の桜」 「あの時の桜」が 瞳の奥底にあると思う。 私にとっての桜は、 母校の中学校の 正門から続くスロープの桜 そして不安を抱いて転勤した年に 長女の転校先、次女の入学式で出会った 知多半島の小学校の満開の桜
桜を見いて「桜を見る会問題」を思い出した。
まだまだ桜が咲いていましたが、 4月6日(日)までで歩道を占拠して 歩道を歩道でなくしていた屋台もなくなり 車いすの方や杖を持って歩く人も 桜を楽しんでいました。
我が家の脇には、 大きな桜の木があって 門から玄関まで 2階のベランダや庭に ひらひらと桜の花びらが 舞い降りていた。 静かにそっと我が家にやって来る 淡いピンクの花びら。 とっても可憐で愛おしかった。 その桜も老いて 幹枝が…
今年もテレビの情報番組では、 『桜』『桜』『桜』と煩かった。 桜報道で思い出すのが、 コロナ禍の開花情報 不要不急の外出は 自粛しましょうと言いながら 同じ番組内でも 桜が開花しました 満開になるのが楽しみですとか どこそこのの桜が満開…
明治政府から受け継がれた イデオロギー政策である... ナショナリズムの形成を 一役も二役も手伝ったり 満州、朝鮮など 日本が侵略した土地に 桜を植えて 日本の領土であることを 空間的に表現したり 戦時下には…
淡いピンクには、 攻撃性や怒りを抑制する効果や 思いやり、優しさを引きだし 人間関係を円滑にしたい人や リラックスしたい人に おすすめの色らしい だったら 小・中・高校の 教室の壁・天井は ピンク色にするのを 義務化すればいいのに 先日の新聞に…
ご近所の神社の境内には、 立派な5本の ソメイヨシノがあります。 どの木も大きく 薄ピンクの羽を広げているようで圧巻!! その桜を見たらジッとはしていられない 週末は、孫の入園式や法事があって 桜の鉄道写真は撮れないと思い 横浜そごうでの買い物も後回しに…
春霖のさなか 桜の写真を撮りに出かけても くすんだ色しか出ないだろうし 気が進まない。 そもそも横浜の桜、 まだ七分~八分咲きだし でも家で燻っていたくはない そうだ!! 半年前のオープンから そのうち行ってみようと 思い続けていた 家系ラーメン店「恵丈」 桜と…
時折、小雨降る3月31日、 大岡川のソメイヨシノは、 まだ4分咲き 肌寒い日だというのに 沢山のお客さんを乗せた 大岡川お花見クルーズ船が 行き交っていました。
中華街の入ってはいけないお店を 紹介する記事を書いてみた。
今年3月のダイヤ改正で 首都圏の定期運用が 全てなくなってしまった JR貨物のEF65ですが、 根岸線では、 代走運用でひっそりと活躍しています。 3月28日も 5692レにEF65が付いていたので 竹之丸の山に登って撮影しました。 竹之丸の「マル…
京急杉田駅への 地元の人達の生活路であり 電車からも良く見えるので選ばれた ここ横浜市の道路用地に 陽光桜が植樹されたのは 2008年1月27日 横浜市環境創造局が進めていた 150万本植樹行動の一環でした…
3月29日、雨だったけれど 代走で根岸線に入っている EF65撮りたさに出かけます。 EF65牽引、5692レ ベイスターズと ドラゴンズ試合中の時刻に 横浜スタジアム脇を走るので 5692レを待つ間 その熱気…
3月29日、朝から雨 でもEF210の代走で 根岸線に入っている EF65を撮りたくて 大岡川へ ソメイヨシノは2分咲き 花びらの色は、 まだ淡く白っぽい 都橋脇の大島桜と この雨で散り急ぐ 寒桜のピンクが目を引きました。
関内に用事があり妻と出かける。 お昼時だったので 妻と中華街で食事することにした。 選んだお店は、 鯉もいる流れる水の上の 半個室の水上庭園席で 食事が出来る金香楼 …
今年もこの曲が 頭の中で奏でられる時期になった。 Yukiyanagi 雪柳 ~We're watching you~ 作詞:Micro 作曲:Micro・Nagacho ガンバらなくてもいいんだよ ありのままの君でいるなら …
ここは、 鎌倉時代に処刑場があった地です。 当時の執権、北条時宗は、 元への服従を求める国書を携えた 正使の杜世忠(蒙古人)、 副使の何文著(唐人)、 ウイグル人2名…
この写真の極楽寺駅のお隣に 鎌倉では珍しい真言律宗の寺院、 極楽寺があります。 死骸が遺棄されたり、 行き場を失った者達(乞食)が集まり 「地獄谷」と言われていたこの地に 北条泰時(3代執権)の弟にあたる…
鎌倉十橋 (古くから重要な交通路にあった橋)の一つ 極楽寺川に架かる針磨橋近くを走る江ノ電です。 七里ヶ浜に注ぐ川の川砂は、 行合川にしても音無川にしても 砂鉄を多く含んでいましたが それでいうと ここを流れる極楽寺川は、 その代表的な川 極…
先日、 新田義貞の鎌倉攻めに 対抗しきれなくなった 北条高時(鎌倉幕府第14代執権)が 自刃した鎌倉幕府終焉の地、 東勝寺跡に行って来ました。 で、鎌倉幕府の 最後の戦いの記事を書きたくなり 極楽寺の霊仙山に向かいます。 私が立つ…
南郷山トンネルの上 小規模特認校の片浦小学校や岩泉寺など 根府川の中心部を望めるこの山にいると 新幹線の轟音にドキッとする 新幹線沿線に住む人は、 これが日常なのか 耐えられないだろうな もう諦めてる? ここに写っている場所は、 相…
目の前のおかめ桜、 風が吹く度、 はらはらと花びらを落としていく もうちょっと頑張ってくれよ 君には根府川を 活き活きとさせる役目もあるのだから そ…
ブルーサファイアとホットピンクサファイアの出会いが、ここ根府川にありました。
この場所で踊り子号を待っていると 柑橘類畑の農家さんがいらしたので お声がけします。 このあたりの畑の持ち主も 高齢化で畑を手放す人が増えて そこなんてやめちゃって ほったらかしよと さみしいお言葉 …
根府川のおかめ桜との列車撮影 納得できる写真が撮れなかったので 3月17日に再訪 海を見ながらのんびりと お弁当を食べたかったので 根府川駅からほど近い …
江之浦俯瞰撮影でのこだわりは、 遠くに見える大山を入れ 眼下の江之浦漁港を きちんと撮り込むことでした。 江之浦漁港は、 生け簀のある小さな漁港で この時は、 大型の定置網漁業船一隻と 数隻…
ミモザや菜の花、おかめ桜が咲き誇る 江の浦テラスの前からの撮影です。 この場所からは、 菜の花や蜜柑と 海と列車を入れて撮れるポイントが 4年前にはあったのだけど 残念ながらなくなっていました。 湯河原から根府川までの旧道には、 自家製…
根府川駅から登って来た道は、 海沿いの国道135号線が出来るまでは、 小田原から湯河原への旧道でした。 途中で見かけた根府川関所跡の碑には、 この道は、東海道の脇街道であり、 熱海や伊豆へ通じる根府川道の関門として…
ポカポカ陽気で気持ち良かったので おかめ桜の咲く山道を 根府川駅から40分近く歩き 4年ぶりに江之浦の山に行きました。 眼下に江之浦漁港、 海の向こうは、大磯や江の島 その後方に神奈川のシンボル大山が望め この風光明媚な景色…
神奈川県では、 三浦の河津桜が終わると それを引き継ぐように 根府川、秦野、伊勢原の おかめ桜が満開を迎えます。
東海道本線の JR東日本管轄区間で 最も乗降者数の少ない根府川駅。 この日は、平日にもかかわらず 雨続きの後のぽかぽか陽気だったせいか 列車が着くたびに 10数名の観光客が駅舎から出てきて ヒル…
本郷台~大船 本郷台駅附近 富士山、 その姿は美しく神秘的でもあり雄大でもあり 日本のシンボルと言われるのも頷ける 富士山が見れる場所に住んでいられるのは ここに住む特権で優越感に慕ってしまう でも富士山が見えない場所に 住…
花は人と違い 季節が移り変わったから そろそろ 花を咲かせようと思って 咲かせるわけではなく無心 私が働いていた会社では 気温や体感温度に 敏感でなければならず 当日の気温を答えられないだけで 評価が下がる…
横浜市が主導するまちづくり計画 「エキサイトよこはま22」を踏まえ 相鉄と横浜市が西口を再開発 2040年代には 歩行者優先の駅前空間 河川を利用した親水空間を造り オフィス機能、居住機能も 充実させるという。 あくまで「目指す」だけどね でも この写真に写っている幸川をはじめ …
この撮影ポイントの 後ろの大根畑では、 大根の引っこ抜き体験が 行われていました。 こういう ここでしか味わえない企画って いいなと思う。 なによりも 楽しく面白い経験で 子供が喜びそう 三浦市は、秋冬ダイコンが 作付面…
三浦海岸の桜まつりが ここまで賑わうようになったのは、 やはり京急のPR活動があったからだと思う。 京急各駅に貼りだした 三浦海岸河津桜の ハイクオリティなポスター、 あれを見たら絶対に行ってみたくなる 三浦海…
三崎口駅が開業するまでは 三浦半島南部へのアクセスを担う バス路線の拠点としても賑わっていた 三浦海岸駅 しかし三崎口駅開業後は、 賑わいが失せ 駅前も陽が沈めば薄暗くて 寂しくなっていました。 …
三浦の良さの一つに 大根畑やキャベツ畑で のんびり過ごせる事があると思う。 小松ヶ池のすぐ後ろの丘陵地に 富士山まで望める 広々とした大根畑があり 街中では味わえない 空気感があるのに 人混みで お弁当さえ広げられない 池…
桜まつりの人混みから逃れ お弁当を食べようと 小松ヶ池のすぐ後ろの丘陵地の 富士山まで望める 広々とした大根畑に行きました。 そこで畑の奥に 大量の大根が捨てられているのを 見てしまいます。 市場規格外の大根かな? それを見て夏の猛暑や1 12月に雨が少なかっ…
3月1日の日曜日、 暖かく天気が良いので 満開を迎えたという 三浦海岸の河津桜を見に行きます。 金沢文庫駅から乗った 三崎口行の列車、 通勤時間帯のような混雑 それが三浦海岸駅まで続く こんなこと初めて 三浦海岸駅前も 線路わきの桜並木…
15年前から 毎年かかさず撮りに出かけている 三浦海岸の「河津桜と菜の花と京急」撮影。 当時は、訪れる人も少なくて 三浦海岸駅側の跨線橋の上からも 三崎口駅側…
関内駅北口エリア再開発の為 解体されることが決まっている 関内駅前ショッピングセンター セルテ 1967年のオープン時は、 関内駅前のランドマークだったけど 近年は、パッとしない 商業施設になっていました。 でも セルテの中に入っていたauで 長女がアルバイトしていた関係で 私…
京急神奈川駅のすぐ近く この写真では、 桜の冬木が連なっている場所に こんもりとした山があります。 桜の時期には、 お花見の人が集まる 幸ヶ谷公園となっているこの山、 かっては、権現山と言われていました。 この権現山、 歴史好きには、馴染みのある山です。 …
JR根岸線 大船~本郷台 白梅の良さは、 同じ白をもった水仙と合わさると 調和してより一層引き立つように思う
私の鉄道写真撮影の趣味は、 小学生の時、 クラスメイトのM君、F君、 I君やH君などと ここ上野駅に 特急列車を撮りに行ったことから始まります。 当時はまだ上野駅が東京の北の玄関口 高度成長期にかげりが出てきた頃とはいえ、 まだまだ出稼ぎの人も多かった時代の上野駅は、…
テレビでは頻繁に 東北地方や日本海側の地域の 大雪が報道されている。 でもそのほとんどが こんなに雪が積もっていますとか ホワイトアウトになると こんなに危険ですとか 雪壁に突っ込んだ車の映像、 まるであちらこちらで 起こっていると思わすような …
梅は寒苦を経て清香を発す
横浜スタジアム正面の壁には、 プロ野球シーズン中、 二人の選手の特大写真が飾られます。 オープン戦も始まり 2025年の開幕が近付いてくると 今年は、 誰の写真が使われるのか気になります。 その写真、 いつもは…
2月19日、 E217系の廃車回送を撮りに戸塚へ 廃車回送列車が来るはずの時刻、 現れたのは貨物列車 あれ?おかしいなと思いながら 取り敢えず撮っておく 貨物列車が 旅客線で来るということは その影響で廃車回送列車、 遅れているの…
雲もなく 空がオレンジ色だったので 富士山が見えるいつもの高台へ 富士山山頂付近、 風が吹き荒れているのか 旗雲があって すっきりした富士山ではなく ちょっと残念。 でも日没10分前になると その旗雲も眼…
横浜市中央卸売市場に店を構えている海苔問屋、出川哲郎さんの御実家、蔦金商店 の脇にある高島貨物線、宝町踏切での撮影です。出川哲郎さんといえば、20数年前は、女性誌「an・an」の「抱かれたくない男」で5年連続No.1。芸だって裸になったり泥まみれになったり勢いだけの芸。そこには知…
人工物しか目に入らず 空のない 横浜駅西口から ちょっとだけ離れ 空や水を見るとホッとする。
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小田原北条氏が豊臣秀吉に降伏し 徳川家康が関東に国替えされると 家康は、鷹狩りと称して 民情視察・土豪の懐柔、 引見などを行います。 その関東各地の 視察の為に設けられた 御殿の一つが藤沢にあり そこを拠点に 栄区内の各…
この辺り 1973年の根岸線延伸前は、 日野町という町 港南台駅の洋光台側、 港南台中央公園の中を通る 全長58mのトンネルは、 日野第1トンネル、 その港南台駅側入口にあるガードを 日野第4ガードと言います。 1965…
栄区の東部にあたる写真後方の山には、 日本の高度経済成長期のピークを迎えた 1960年代後半から1970年代にかけ 宅地開発された高級住宅街が広がっています。 最寄り駅は、港南台 バスを15分程度 利用しなければならない場所ですが …
神奈川県立地球市民かながわプラザの 公開空地を埋め尽くしていたつつじも 一角に残すばかりとなり クロガネモチやハナミズキ、 モミジや紅梅、白梅の木々の 鮮やかな緑の中の アクセントカラーになっていました。
東急大井町線向け6020系甲種輸送, 撮影地に選んだのは、港南台の高台。 ここを選んだのは、 今ならではの緑と一緒に撮りたかったから
鉄道写真だけでなく 横浜を中心とした 風景写真やスナップ写真も 撮影しています。 この桜木町駅前界隈には、 写真にあるような 高層の建物が次々と出来、 太陽が遮られ 夕方の光が奪われ 汽…
ここは、国道16号の 起点であり終点でもある場所の近く 横浜南部の 磯子区に住んでいた私にとって 国道16号といえば 高島町から横須賀までの道路 結婚して 保土ヶ谷区天王町の マンションに住んだ時 生活圏内に国道16号が走っていて こっちの方にも伸びたんだという 認識でし…
この線路の向こう側は 内田町という町でした。 横浜船渠があったころは、 職工の住居や船員の宿舎があり 1700人以上が 暮らしていたそうです。 しかしここに住む住人達は、 太平洋戦争敗戦1年前の 1944年8月には、 造船所を守るため防空法が施行され 「建物疎開」 (…
この踏切を渡れば、こっち側とは別世界。 電柱は全て地中化され広い歩道で どの建物も歩道から セットバックされているから 圧迫感がなく開放的な空間を感じられる。 そんなみなとみらい地区、 首都圏の「住み続けたい街」や 「街の住みここ…
三菱ドック踏切に行くと 踏切脇の内田町第2架道橋下で 二人の若い男女が一生懸命、 落書きを消していました。 JR東日本に委託された 業者さんかなと思ったら JRの社員さんとのこと …
眼下のさくら通り (みなとみらい4号線)が通る場所は、 かっての東横浜駅の入口辺り 向かって左側が貨物駅 背後と右側が三菱重工業横浜造船所 根岸線と東急東横線の 高架橋の壁をぶち…
紅葉坂(もみじざか)、 もともとこの辺り一帯は、 楓の美しい所だったので 1872年に紅葉坂、 紅葉橋などの名が付けられました。 大正時代になり その楓は、次第に枯れ始め 関東大震災で全滅してしまいます。 紅葉坂には、 神奈川県…
廃線となった東急東横線の 高架が被さる国道16号線沿いの道 2006年には Rocco Satoshi氏と と美術系の学生などが 「Art-16.2004」という ウォールペインティングを行ったり 2007年には 「桜木町 ON THE WALL」という企画…
根岸線のガードをくぐった地点が 国道1号線と国道16号線の分岐点です。 真っ直ぐ進めば保土ヶ谷方面、旧東海道 左に折れれば、桜木町、関内方面です。 根岸線の向こう側には 2003年、マンション建設時に 2代目横浜駅のレンガ基礎が発見され その遺構が保存されてい…
みらいを見据えたデザインの建物も 何十年か経てばその面構えは みらいじゃなくて現在、 建物によっては過去になってしまう。 でも国道16号線のこの位置から見上げる ランドマークタワー、横浜銀行本店、 MM21 DHC そして背後の日…
桜木町駅近くの 商業施設の立体駐車場屋上から 桜木町4~7丁目、 花咲町4~7丁目を望んでいます。 この辺り、 国道16号線と 新横浜通が並行して走っていますが 新横浜通りは、 もともとは石崎川と大岡川を結ぶ 桜川という運河。 その桜川を暗渠と…
人がどうにか すれ違える程の幅しかない 三菱ドック踏切の通路 あちこちに 「歩いて通行」と 書かれていたけど それを守る人は皆無 幼児や高齢者にとっては、 恐怖の通路
かって24時間体制で稼動していた 造船所の正門の所にあり 多くの労働者が渡った踏切からの撮影 1983年春、三菱重工業横浜造船所 (通称、三菱ドック)が閉鎖されてから 車の入れないこの踏切は、 一時期、寂れたけれど この踏切の海側、みなとみらいが整備さ…
横浜市中央卸売市場本場内にある 「市場食堂 つるや」さん前の道と 青果部卸売市場を結ぶ橋の上から 滝の川の上流を見て撮影しています。 滝の川は、 大部分が、暗渠になってしまい 横浜銀行アイスアリーナ (旧神奈川スケートリンク)前の 第二京浜(国道1号)あたりから …
藤沢市鵠沼藤が谷4 下校時、いつまでもこうして 長く短い時間を過ごすことがあったよなと 懐かしくなった。 思い出はモノクローム
龍ノ口と言えば五頭竜の口の部分になる場所 龍ノ口で最も残念に思ったのは 龍口明神社元宮の拝殿が鳥居だけを残し なくなってしまったことかな。 龍口寺のお隣、 お寺に向かって左側の石段の上の 流れ破風造りの古びた社殿に掲げられた …
2022年9月16日に 極楽寺駅と鵠沼駅が無人化され 今年3月稲村ヶ崎駅も無人化 今や江ノ電の有人駅は 鎌倉駅、長谷駅、七里ヶ浜駅、 江ノ島駅、藤沢駅、 そしてここ腰越駅のみ …
片瀬という地名を見て 瀬の意味から考えて この辺りの境川は 昔は水深が浅く水の流れが速いエリアもあり その片側(左岸)を片瀬と言ったのだろうと 勝手に解釈していました。 ところが藤沢市が刊行する 「身近な川と水辺 藤沢の自然6」に 島陰で力の弱い波が引く頃に、 次の波…
今は、「鎌倉高校前1号踏切」だけでなく この辺りや腰越駅近くまで すれ違うのは、 外国人観光客ばかりになりました。 スラムダンク 公…
子供や水子の供養と結びつくと 親の気持ちが伝わり お地蔵さんへの見方が変わります。
石灯篭とか鳥居の近くを歩く度 今、地震来るなよ!!とドキドキします。
建物老朽化の為 現在の建物を取り壊し再建することになり 先日19日をもって休業となった 1828年(天保元年)創業の和菓子店、 上州屋さん その上州屋さんの名物と言えば 「片瀬まんじゅう」 この片瀬まんじゅうは、 温泉饅頭の元…
後醍醐天皇の綸旨を受けた新田義貞が 鎌倉攻めの際、霊仙山で防衛線を敷く 北条軍と睨み合いをしていたのが この写真の山、陣鐘山です。 そしてこの山に陣を敷いたのが 1333年の今日、5月20日でした。 鎌倉に迫った新田軍は、隊を三つ…
龍口寺門前で江戸時代の天保元年(1828年)に 店を構えたお饅頭屋の上州屋さん 今の建物での営業は、今日が最後 老朽化した建物は解体され 来年の夏頃に生まれ変わって営業再開予定との事 この日は、しばしの別れを惜しみ ひっ…
腰越商店街を歩いていたら 強烈な赤が目に飛び込んできました。 このインパクトのある色、 赤と聞いてあなたがイメージするものは何? みんなのランキングというサイトが 「赤いものと聞いて思い浮かぶものは?」という …
腰越駅、 「チーム腰越」による折り紙装飾があったり 腰越駅の駅員さん達が 江ノ島駅の駅員さんの協力を得て作り 製作の苦労話が添えられたタイル画があったり 改札口の脇に掲げられたホワイトボードには 駅員さんの心温まるつぶやきが・・・ (男の駅員さんになってから…
空腹でちょっとイライラしかけていたけれど 食事に時間を使ってしまうと 商店街の路面に建物の影が落ちて 江ノ電の車両が 陰ってしまう時間帯になってしまう それは困るので 肉のねむらさんの ローストビーフコロッケの 食べ歩きでもと思ったらネムラさんお休み そ…
敷地の広い家々が建ち並ぶ 閑静な住宅街が広がる 山を下る坂の向こうは海 子育て世代が多い地域です。
朝、ベッドから見えたのは青空、 窓を開けると清々しい風が入って来た。 こんな日は、 「海と江ノ電」を撮りに行きたいな。 国道134号線、車が数珠つなぎ 初夏の光と風に誘われて 皆、海に遊びに来たのかな? …
五月の緑には勢いがあって 迷うことなく真っ直ぐに駆けていました
今にも雨が降り出しそうな気配を感じ 霊仙山からの俯瞰を この日の最後の江ノ電撮影にしました。 私が立つ霊仙山、 鎌倉時代は極楽寺の境内で 住職の忍性は、 山頂に塔頭・仏法寺という一院を建てて 住居としていました。 また 1333年のちょうど今頃…
300形が鎌倉側についているのを 江ノ電列車位置サイトで確認 そこで境内撮影禁止になってから 訪問回数が激減している御霊神社に行き 千歳開道を飛び出してくる355号を トンネル周りの 新緑と一緒に撮ろうと思いました。 曇り空ではあっ…
お小遣いで買っている 横浜駅までの定期券が使える間は、 横浜駅までのどこかしらを撮影地に選びます。 その定期券の有効期間が終わると 次に横浜駅までの定期券を買うまでの間 鎌倉・湘南、西湘、横須賀など 横浜駅と反対方面の地を撮影地に選ぶのが …
横浜スタジアム、 試合のない日は通る人もまばらな 3塁側のスロープの真ん中に仁王立ち この日はダイヤが乱れていて いつ若葉…