流し目のイソヒヨドリと初出逢日本平この方とは初の出逢いです。全くの偶然に視界に入ってきました。距離は2,3メートル、メジロと異なりじっとしてくれています。美しい彩りの鳥に流し目で見られているような気がし、久能山とのご縁に大感謝しつつシャッターを切りました。イソヒヨドリ
日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です
学びの足跡:高校までは全て東京都足立区内、大学で初めて地方生活(仙台)を経験 実社会で大阪、横浜、取手、ニューヨークを転々、今、終の棲家か?江東区
ひとの子も元気は嬉し園もみじ横浜美しが丘子は宝かつて自分も「子」であった子をサポートする社会お子一人ひとりが元気に育ってほしい小さな園のもみじが映える園もみじ
秋夕焼富士ビル越しに東京の江東区の自宅より東京という無機質な大都会で、遠くに富士山を日々の生活で見れるということは、本当にありがたいと思っています。秋の澄み渡る夕焼け空に、富士山と東京タワー、そしてビル群の織りなすシルエットは浮世絵のようです。秋夕焼
一見で冬季限定稀酒出され八海山しぼりたて原酒「越後で候」甥と12月の昼に忘年会を兼ねて久しぶりに一杯酌み交わしたいと思い、お店をインターネットで探していましたら、一店ヒット。早速一人でお昼に下見に行きましたら、そこの女将と話が弾み、今届けられたばかりの稀酒(きしゅ)があると、奥からぴったりと新聞紙に包まれた一升瓶を持ってこられました。常連のお客さんに頼まれているお酒とのこと。私は一見(いちげん)だし、今口切ったら常連の方々に申し訳ないと言ったのですが、新聞紙をびりびりッと破いてくれました。八海山は最も好きなお酒の一つですが、八海山のしぼりたての原酒なるものは飲んだことがありません。非常に美味で、恐縮しながら2杯いただき、3杯目は常連のお客さんに申し訳ないと思い、他のお酒を頼みました。冬季限定稀酒
明澄さあふるる銀杏黄葉かな南砂町駅前公園明るく澄んだこの時期の銀杏の黄葉(こうよう)具合に、心が洗われる感じがします。この日は深川不動堂参道にあるうなぎ屋「大和田」さんで友人と昼食の約束があり、お会いする前に護摩炊きに参列するつもりでいました。このような気持ちもあってか、この銀杏黄葉(もみじ)を見ていましたら、護摩太鼓の大音がこの木の下から天に向け響きぬけていくような感を覚えました。銀杏黄葉
晩秋の宵白雲と家路かな仙台堀川公園沿いの歩道11月18日の18時頃の宵の風景です。人気のない歩道沿いの紅葉並木と道の真ん中に佇立するメタセコイアが、街灯の明かりに薄ぼんやりと幽玄に浮かび上がっています。空には白い雲が点々とゆっくり流れています。ものわびし気な帰り道を一人白雲と歩いていました。晩秋の宵
もみじ径落ち葉一面タペストリー横浜市青葉区美しが丘もみじの径には落ち葉が一面に広がり、タペストリーのようです。たまたま老夫婦とお孫さんらしきお子さんが、ペットの犬を連れて、落ち葉を踏みしめながら楽しげに歩いていました。もみじ・落ち葉のタペストリー
もみじ径おほふ落ち葉の風に立ち横浜市青葉区美しが丘風が吹くとそれまで地に伏していた落ち葉がカサカサっと音を立てて一列に整列するように見えます。ひと止みしてまた吹きます。またカサカサ・・・。美しいもみじを背景にした動画のようです。落ち葉の整列
孤高の美紅葉一枝カナメモチ横浜市青葉区美しが丘緑葉豊かなカナメモチの生垣で、なぜか紅葉一枝(こうよういっし)、一枝の葉だけが鮮やかに紅葉していました。孤高の美、を感じました。紅葉一枝カナメモチ
美しが丘小径もみじのおしゃれかな横浜市青葉区この辺りの小径は緑豊かで起伏に富み、四季折々洗練された美しい風景を見せてくれます。もみじのおしゃれ
都会にも自然の恵み初もみじ仙台堀川公園ある意味、味気ない無機的な都会の日常生活に潤いを与えてくれる四季折々の小さな自然。イオンへの買い物途中の秋の一コマ。堀にも映る移ろい途上の初もみじ。ふと自転車を停め、眺めると実に美しい!都会の初もみじ
秋天や飛騨の古代史国分寺国分寺は、聖武天皇の命により全国約60の国に建立されましたが、ここ飛騨の国にも建てられていたということは知りませんでした。飛騨国分寺は天平18年(746)頃に行基菩薩が創建されたと伝えられ、爾来1250年以上この方、飛騨の国と人々を見守り続けてきました。この地方随一の古刹で、当初の塔は七重で、その後焼失と再建を繰り返し、現在の飛騨地方唯一の三重塔(県重文)は、文政4年(1821)に飛騨の匠三代目水間相模によって再建されました。歴史の重みを感じながら、秋雲の蒼天に聳える三重塔をしばし眺めていました。飛騨国分寺
風情ます陣屋の一隅初もみじ高山陣屋高山陣屋は江戸幕府直轄領となった飛騨国の代官(後に郡代)所で、明治以降も昭和44年(1949年)までこの地方の行政事務所として使われていました。その後県事務所は移転し、平成8年(1996年)江戸時代の姿が復元されました。時代劇が好きですので、江戸時代の雰囲気をゆっくり味わいながら敷地内を回りました。樹木は少なく、地味な色彩の風景の中に一か所だけ、初もみじが彩りを添えていました。陣屋の初もみじ
外国人も秋の日本酒品定め飛騨高山・舩坂酒造店前にて季節と関係する日本酒といえば春ごろに出る「新酒」しか知りませんでしたが、江戸時代からの老舗・舩坂酒造店で、春に出荷せずにひと夏かけて蔵内で貯蔵・熟成させてから秋に出荷する日本酒もあることを知りました。「秋の日本酒」と言われるもので、代表格は江戸時代に始まった製造法で作られる「ひやおろし」とのことです。ところで、渡辺京二著「逝きし世の面影」では、明治維新間もない頃に来日した外国人が残した、江戸時代の面影が色濃く残る日本人の生活ぶりや農村・町の風景の見聞録が紹介されています。以前にこの本を読んでいた所為(せい)か、江戸時代の風情が残されている飛騨高山の町並みを興味津々に見ながら歩く外国の方々を見て、タイムスリップする気分を味わいました。秋の日本酒
切り落としなれど飛騨牛食の秋丸明飛騨高山店高山に行ったら昼は牛肉と決めていました。このお店は飛騨牛を専門とする精肉店直営なので、美味しい飛騨牛を手頃な値段で食べさせてくれるのでは、と期待して精肉店に隣接するこのお店に入りました。昼の開店を待つお客さんのおよそ3分の2はスマホを手にした外国の方々。評判は良いようです。平日限定のランチを選び、お肉当が足りなかったら追加するつもりでした。出てきた切り落とし肉の霜降り部分はマグロのトロを食べているような味わいと食感。味に大満足し、食の細くなった私には残念ながらこれで量的に足りてしまいました。わずかな時空間でのひと時でしたが、飛騨高山での「食の秋」にしばし浸ることができました。飛騨牛と食の秋
何うつる木の実の雨滴レンズには下呂温泉合掌村木の実の雨滴レンズ
鈴なりの木の実に光る雨滴点々下呂温泉合掌村木の実
雨露に孤高十月桜かな下呂温泉合掌村遠くから一本だけ白い花がまばらに咲いている孤立した木が目にとまりました。4月の桜と異なり、この雨露を湛(たた)える十月桜にはとりわけ「孤高」という言葉がふさわしいと感じました。十月桜
爽やかや円空仏にやっと会え下呂温泉合掌村円空館円空さんの荒削りで慈悲深い仏像はテレビでしか見ていず、いつか本物に見(まみ)えたいと願っていました。何気なく入ったこの村ですが、円空仏がありました。感動しました。円空仏は全て透明のケースに入っていますが、写真撮影可!ただ、円空仏本体の映像に透明ケースへの照明の光などが写ってしまいます。いろいろと撮る角度を変え、やっと9割9分方本体に照明の光が入らない状態で撮れました。本体以外の映像を黒色で塗りつぶしたのがこの写真であります。円空仏は10体くらい展示されていましたが、この像が一番気に入りました。仏像の前で般若心経を黙して唱えました。外は秋雨でしたが、心は爽やかでした。円空仏
初もみじ風も色づく露天の湯下呂温泉初もみじ
秋雨や江戸の農村暮らしぶり下呂温泉合掌村江戸時代といってもわずか200年くらい前の話です。当時の方々の生活は今の私たちのと比べると、非常に苦労が多かったと思いますが、このようなジオラマを見ていますとなぜか心が安らぎます。江戸の農村暮らしぶり
雨露の衣装麗し紫露草下呂温泉合掌村ムラサキツユクサ
秋雨に屋根の苔映ゆ合掌造下呂温泉合掌村この建物は天保4年(1833年)から13年の歳月をかけて建てられた旧大戸家の住宅(国指定重要文化財)です。白川村(白川郷)の御母衣(みほろ)ダム建設でダム湖(御母衣湖)の湖底に沈む運命となり、昭和38年3月に合掌村に移築されたとのことです。古民家それぞれの歴史を振り返ると、感慨深いものがあります。屋根の苔
秋雨や江戸合掌の村風景下呂温泉合掌村この合掌村は規模は小さいのですが、主に江戸時代の歴史に関する自分の情報・知識を思い出しながら散策しますと、その時代の風景や雰囲気を自分なりに味わえる気分になります。秋雨の合掌村風景
ねこごたつ懐かし使い方忘れ下呂温泉合掌村幼い頃、このような炬燵を使ったような使わないような、布団をかけたようなかけないような・・・。はっきりと思い出せませんが、家に間違いなくあったような気がしますが・・・。幼き頃の漠とした記憶を引き出しながら昔の展示品を眺め歩いていました。ねこごたつ
薄闇の雨に石蕗の葉花凛と下呂温泉合掌村道の端の薄闇に、肉厚の大きな葉と黄色の花が小雨に一層際立って凛とたたずんでいます。温かく背筋を延ばされる感じがしました。石蕗の葉と花
山駕籠の秋の飛騨路は辛からむ下呂温泉合掌村テレビで鬼平犯科帳、剣客商売などの時代劇をよく観ますが、昔に使われていた現物を見ながら、在りし日の生活に思いを馳せるのも楽しいものです。時代劇では大店のお嬢さんやお年寄りが山越えに駕籠に乗っている場面がありますが、この乗り心地の悪そうな山駕籠の実物を見て、昔の人々のご苦労が偲ばれました。山駕籠
「ブログリーダー」を活用して、秀山さんをフォローしませんか?
流し目のイソヒヨドリと初出逢日本平この方とは初の出逢いです。全くの偶然に視界に入ってきました。距離は2,3メートル、メジロと異なりじっとしてくれています。美しい彩りの鳥に流し目で見られているような気がし、久能山とのご縁に大感謝しつつシャッターを切りました。イソヒヨドリ
家康は見ぬや五月の鱗雲日本平夢テラスこの写真は5月14日に撮ったもので、5月なのに秋の季語である鱗雲が出ていることに、違和感を覚えました。「自分の遺体は駿府の久能山に葬り」と遺言した家康は、この地を愛していたのでしょう。久能山の五月の空に鱗雲!かつての家康が目にすることはなかった光景と思うと、感慨深いものがありました。昨今の異常気象・・・5月13日に89歳で逝去された「世界一貧しい大統領」と言われた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領が、2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連持続可能な開発会議(リオ+20)で演説された言葉の数々が思い浮かびます。「我々が今挑戦しようとする目の前の巨大な困難は、決して環境問題ではなく、明らかに政治の問題なのです。」「今この行き過ぎた消費主義こそが、地球を...五月の鱗雲
家康の思ひか逆さ葵紋久能山東照宮御社殿この写真の左端にある逆さ葵紋は、その下に説明書が置かれていましたので気が付きました。そして、絶対的な権力者であった家康を祀る建造物にこのような不完全さをあえて加えるのは、生前の家康の考え方、思いががあって初めて可能なのでは、と思いました。家康の長男で二代目将軍・秀忠でさえ、父・家康のこのような考え・思いなしではできなかったと思います。説明書には、逆さ葵紋は「建物が未完成であることを表し、更なる発展への願いが込められていると言われています。(諸説あり)」とあります。徳川幕府創建時の不安定さを自覚し、徳川家の政権維持を遠い先まで構想して権力メカニズムを一代で作り上げた家康らしいと、改めて思った次第です。逆さ葵紋
草生(む)する香にあらためて初夏と知る南砂町駅前の小径わが奥さんとお弟子さんの「暮らしの中で遊びま書展」が、一か月前に700人を超える方々がご来場されて幕を閉じました。なかには日を変えて2回も来られた方々もおられました。私はお手伝いしただけですが何をするともなく時が過ぎ、ようやく先週、身の回りの自然の営みに気が向きました。今年は冬、春、夏の境界線が複雑に入り組みながら季節が移っていくような・・・草生す香
花冷えもよしや花見が長くなり仙台堀川公園今年の花冷えは、「冬戻り」というような寒さの日々が続いています。来週は高校母校の入学式。お天気予報では晴れて気温も今現在の9℃から20℃の春の陽気になるとのこと。正門の桜の一木が後輩たちの入学式に彩りを添えてくれるかも・・・花冷え
親に謝す「花の下にて」生まれしを花冷えや喜寿ありがたくかみしめて仙台堀川公園小生の好きな西行さんの和歌に掛けました;願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ小生の誕生日には毎年桜が咲いてくれていますが、こんな「花冷え」の日は記憶がありません。「花の下にて」
密やかに咲く源平桃の可憐かな隅田公園直立する一枝に小さな2輪、更に少し裂け始めた蕾一つ。曇り日だったこともあり、静寂さの中に可憐な美を感じました。源平桃
寝ころびて蒼天花見も乙なもの仙台堀川公園神輿の会のお花見では話も弾み、お酒も進み、眠気も忍び寄り、結果、寝ころびて蒼天花見。今朝の寒さからの気温の上昇と共に、一気に花開いた感じです。蒼天花見
お花見も本場カレーで盛り上がり仙台堀川公園一昨日の墨田川でのお花見に続き、今日は地元仙台堀川公園で、お神輿の会・陶法睦のお花見でした。お天気は一昨日同様、場所取りの8時頃は8度前後の寒さでしたが、会が始まるお昼ごろにはお日さまも出る蒼天のお花見日和となりました。我らの神輿の会にはインド人の方がおられ、朝早くから本場インドカレーを手作り。手作りの辛めの本場カレーを堪能しつつのお花見、なかなか乙なものでした。お花見
ヒヨドリと共に楽しむ花見かな隅田公園友人が、鳥がいると言われて指さしてくれるのですがなかなかわが目に見えず。分かったときは嬉しい気持ちになりました。ヒヨドリとお花見
雨露に色艶はえる若桜仙台堀川公園雨が止んですぐの仙台堀川公園では若桜に出会いました。若いが故の色艶が雨露に一段と映えています。可憐な美なるかな、でありました。雨露の若桜
源平桃美なるもその名悲哀かな隅田公園源平桃の名の由来は、源氏の白旗、平氏の赤旗に見立てたとか・・・。美しいお花ですが、壇ノ浦の戦いとかを連想しますともののあわれを覚えます。源平桃
お花見も下にかはゆき小花かな墨田川堤マーガレット、チューリップ・レディジェーン、カラスノエンドウ。これらの花よりも一段と小さなお花は画像検索してみましたが、アメリカフウロでしょうか?もう一つ同じ写真の隅に写っている青いろのお花は画像検索するも名前が分かりません。お花見と小花
数え年皆喜寿元気観桜会隅田公園・墨田川堤3月28日は浅草集合10時半頃には雨も上がり、5時間の日程、高校同期の方々とお花見散策・昼食会を楽しみました。喜寿観桜会
雪の無人駅列車来にけり定刻に会津鉄道会津線塔のへつり駅雪の無人駅で、列車を待つは我一人。帰路はこれからバスへの乗り換えも含め2時間余り。日暮れ前には宿に帰りたいと思っていましたので、遠くに列車の灯が見えた時、正直ほっとしました。雪の一人旅
猫作品を踏んじゃったあ選定中孫の書の作品のうちから一点を選ぼうとしていましたら、いつの間にか猫さんが忍び入り、作品の上を歩き始めました。選定者は皆一瞬どきりとしましたが、猫もさるもの、本当に軽々と踏み歩いてくれたお蔭で、作品は皆無事でした。座ったのが彼女が選定した作品と思われますが、人間さまの選定したものとは異なりました。ところで「猫ふんじゃった~」の歌では、猫が踏まれたことになっていますが、ここでは猫が作品を「踏んじゃったあ」でありました。猫と作品選定
父母席に謝辞一斉に卒業士都立足立高校卒業式母校の卒業式にはここ10数年、毎年参列していますが、今年も在校の2年生は送辞の中で3年生に「より良い学校にしていきます」と誓い、卒業の3年生は答辞の中で「これからの足立高校をよろしくお願いします」と後輩に託していました。私は半世紀以上も前に卒業した同窓生ですが、卒業式という大きな人生の節目に、送り、送られる後輩たちが母校の発展を常に心に留め、それが今日まで脈々と先輩から後輩に受け継がれていることに今年も改めて嬉しい気持ちになりました。今年の式で、終了間際に感動したことが二つありました。一つは男女ほぼ半々の273名の卒業生による式歌「旅たちの日に」の三部合唱でした。ハーモニーが実に美しく、感動しました。歌の途中から目頭を押さえる卒業生もいました。後輩たちは卒業後、ク...卒業式
親父超ゆ長兄卆寿の弥生かな東京マラソン卆寿祝のつまとなり深川不動尊前江戸深川鮓にしち私は5人きょうだいの末弟で平均年齢は84歳。お蔭様で皆、とりわけ今年卒寿の長兄が元気です。親父は明治39年生まれで数え年の米寿でこの世を去りました。今頃は、おふくろと一緒に「皆元気だな」と笑いながら見てくれているような気がします。卆寿祝の昼餉のこの日、たまたま東京マラソンの日で、しかも門前仲町の永代通りがコースでした。観光の人もマラソンを走っいている人も外国の方が多いのには驚きました。三月は旧暦の「弥生」。「弥(いや)」は「いよいよ」、「生(おい)」は「生い茂る」の意とのことです。まさに草木芽吹く月・・・。長兄の卆寿を祝うにはふさわしい月です。万物に感謝です。祝卆寿と東京マラソン
雪見散策昼に熱燗客一人妙雲寺隣の日本料理・松本妙雲寺でも我一人でしたが、感じの良い小料理屋の松本でも私だけ。メニューには昼定食しか載っていませんでしたが、「熱燗で一杯やりたいので、おつまみできますかね?」と遠慮がちに訊きましたら、「今はお客さんがお一人ですので、夜のメニューでもいいですよ」とのことで、お刺身を造ってくれました。雪の寒さに熱燗、なかなか粋な気分でした。雪見の熱燗
木漏れ日に雪の山道古石仏那須塩原妙雲寺境内ここでも我一人で、細い雪の山道を登っていきますと、広い墓地があります。その道沿いにいくつかの古石仏が佇み、祈りの心がそこにあるように感じました。雪の山道古石仏
夕涼み散歩暗がり花の星仙台堀川公園可愛い花の星団です。足元の暗がりに宇宙の星雲、星団を想う。人は誰もおらず、涼しく、静かです。お花の名は、ピンクはペンタス、青紫はツルバキアです。夕涼み散歩
猛暑でも帰路に木蔭の救ひあり仙台堀川公園汗みどろ帰宅シャワーの救ひかな猛暑、木蔭、シャワー、救ひ・・・今は寒がりになった私にはこの暑さはさほどは応えませんが、木蔭があるとホッとし、シャワーを浴びると気持ちイイ~!と感じます。猛暑、木蔭、シャワー、救ひ
宮前の露天湯涼風旅気分川崎市宮前平湯けむり庄いつも地方の温泉で、入っている人も少ないのに慣れているせいか、都会の温泉の人の多さに一瞬たじろぎました。働き盛りの若い方が大部分で、黒色炭酸琥珀湯の天然温泉。広々とした露天風呂には石と樹木が自然に配され、涼しい風が通っています。話し声も皆小さく、「宮前平」という地名からは歴史を感じ、しばらくいると旅に出ているような気分になれました。都会の露天風呂
夕涼み猛暑に霞む川面かなヴェランダにて今日は室温が31度まで上がりました。ヴェランダは風で少しは救われますが、遠くの荒川は暑苦しそうに霞んで見えます。猛暑に霞む川面
通り過ぎふとふりかへる夕の梔子仙台堀川公園夕暮れ、散歩道を通り過ぎてふと花の香りに気が付き振り返ると、薄暗がりにほのぼのと浮く白きクチナシ・・・道ですれ人と違った直後、微かに漂う香水。この場合は振り返りませんが・・・猛暑日も、夕暮れになると涼しい風に出逢います。夕のクチナシ
猛暑には冷や素麺とわが奥さん室温30度の昼餉に、今年初めての冷や素麺でした!室温30度の冷や素麺
一大事部屋三十度以前なら人間の環境適応能力は凄いな~、と思います。「猛暑日」という言葉は2007年まで気象庁の予報用語にはなく、この年の予報用語改正で「猛暑日」と「熱中症」が追加されたとのこと。僅か20年足らずで室温30度の生活にも人はそこそこ適応している・・・室温三十度
夕の日を待ちて猛暑日散歩かな仙台堀川公園梅雨晴れの猛暑日。夕方は心地よい風も吹いていました。猛暑日の夕散歩
むく一斉飛び立ちにけり選挙カー仙台堀川公園今日は梅雨晴れ。昼の猛暑を避けて夕刻に散歩をしていましたら、ムクドリの一斉飛び立ち、圧巻でした。今や都知事、都議補欠選の真っ最中。人によっては、票のように見えるかも・・・ムクドリと選挙カー
梅雨空に海原海苔の贈り物鬱陶しい梅雨日が続いていますが、海苔の贈り物を戴いて、夏日の海原のイメージが浮かび、ちょっぴり清々しい気分になりました。海苔の贈り物
静謐や梅雨の伝統建築美伊東温泉東海館「伝統建築」とは、「建物を古くから伝わる技法でつくること。また、そのようにして建てた建物」とのことです。昭和3年(1928)に、当時の大工さんの匠技と材木の粋が凝縮されているこの木造3階建ての元温泉旅館は、この言葉にぴったりです。梅雨曇りの静けさの中で、木造りのぬくもり、静謐さにしばし浸りました。伝統建築美
梅雨晴れや先ずは洗濯今日の朝雨上がりのせいか、地上の緑、空の青と真綿のようなうすき白雲(しらくも)が、優しい調和の調べを奏でてくれているようです。梅雨晴れ
家康の時計眼前梅雨の入り伊東温泉東海館「家康愛用の西洋時計」というこの時計の説明書によれば、慶長16年(1611年)にスペイン国王から家康に贈られたもので、ベルギーでの製造年は1581年とのこと。1600年に関ヶ原の戦い。慶長8年(1603年)、江戸に幕府創立。「家康愛用の」という文字で、俄然この時計に歴史のぬくもりと時の移りをを感じます。関東でも時は移りつ、梅雨入りとなりました。家康愛用の西洋時計
青時雨組小細工の昭和かな伊東温泉東海館書院東海館は昭和3年(1928)に地元材木商により建てられた木造3階の温泉旅館で、当時の大工さんの匠技と材木の粋が凝縮されています。平成9年(1997年)に廃業し、現在は伊東市の観光施設として公開されています。書院障子の組子細工(くみこざいく)のデザインは、漁に使った網を海辺で干しているところで、周りにあるのは波とのことです。青時雨とは青葉の木立から落ちる水滴を、時雨に見立てた言葉です。静かで薄暗いセピア色したこの書院。青時雨が組小細工がはめ込まれた障子の外に感じられ、昭和生まれの私には遠い昭和の前半が懐かしく蘇ります・・・青時雨
時詰まる庭石の味梅雨の入り西伊豆温泉東海館その2・・・時詰まる庭石(その2)
時詰まる庭石の味梅雨の入り西伊豆温泉東海館日本庭園では大きな庭石が重要な地位を占めています。ふと思いました、石には何万年もの時間、「時」が詰み込まれて、今、存在し、これからも存在し続ける、ので、人は惹かれる・・・時詰まる庭石
星雲の縁に花咲く額アジサイわが奥さんの生徒さんが栽培されたお花です。額アジサイを見ると以前は漫画に描かれていた宇宙ステーションを連想していました。美しい星雲の画像が見れるようになった今は、きれいな星雲のようとも思います。こと座星雲photoedby藤吉健児氏宇宙の額アジサイ
涼しげな棚にクリムトキス絵皿わが奥さんの涼やかな夏のインテリア空間に、静やかに情熱的なクリムトの「接吻」。ちょっとしたアンバランスの心地よさを感じます。深紅のバラも情熱的か・・・涼しさの中のクリムトキス絵皿
トルコ石ブルー涼し清水一輪挿しわが家の玄関京都瑞祥窯の清水焼です。このお店で孫娘は両親へのプレゼント陶器を作りました。彼女らの器用さには参りました。トルコ石ブルー
子夫婦の気遣ひ父の日プレゼント息子と娘の夫婦からそれぞれ、一つはお魚の三河みりん粕漬、一つは体調に合わせて選べるマヌカはちみつの濃度(?)が異なるマヌカハニースティック。ありがたいことです・・・父の日プレゼント