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2020/12/27

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  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#38/エルミタージュ03

    https://www.youtube.com/watch?v=S8hYEfm3yOY ワイン屋歩きの後はホテルFac & Spera Hôtel et Spaに戻って荷物をpickupした。 大した荷物じゃないので、そのままゴロゴロと転がしながら歩いた。ローヌ川をマルク・セギャン橋Passerelle Marc Seguinで渡った。歩行者専用で幅は細い。 「せまくてちょっと怖い感じ・・」嫁さんが言った。渡るのに5分くらいだろうか?橋の真ん中あたりで、少し離れたところのクルーズ停泊場が見えた。 「リバークルーズが走っているの?」 「ん。VIKINGというクルーズ会社がフ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#37/エルミタージュ02

    https://www.youtube.com/watch?v=ikGplo4GLPk 朝食をゆっくりと済ませてからFac & Spera Hôtel et Spaをチェックアウトした。荷物は置いたままにした。そしてホテルの前のシャンドレス通りAv.Jean Jauresをギュスターヴ・トゥルティ橋のPont routier Gustave Toursierのほうへ歩いた。左側にカジロー寿司Kajiro Sushi Tain L'Hermitage(91 Av. Jean Jaurès, 26600 Tain-l'Hermitage)というのが有った。 嫁さんが外にあるメ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#36/エルミタージュ01

    https://www.youtube.com/watch?v=eqNb5aHIf6I 夕方5時半ばを回ってSNCF/L'Hermitage-Tournon駅に降りた。小さなフランスの田舎らしい駅だ。 外へ出ると目の前にドクター・ポール・デュランAv. Dr Paul Durandという通りがある。通りの向こうに教会の尖塔が見えるのが目印だ。この道を100mほど歩くとAv. Jean Jaurèsという道にぶつかる。今夜の宿泊先はその右側のホテルFac & Spera Hôtel et Spa(1 Avenue Dr Paul Durand Avenue du, 2660

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#35/ローヌ川経済圏03

    https://www.youtube.com/watch?v=zSKx0pOv6-I 「フランス革命の前夜、王国の再建を目指して多くの有能な人々が働いた。幕末末期の徳川の官僚とおなじだ」 「でも、倒れてしまうのね」 「漫然と倒れていったわけではない。たくさんの柵の中でも粉骨砕身する人々は居た‥と言うことだ。 その揺籃期にアン・ロベール・ジャック・テュルゴー男爵Anne Robert Jacques Turgotという人がいた。財政担当大臣だった人物だ。彼は産業振興がフランス王室再建の本質だと看破していた。それで1767年に『テュルゴー六つの政令Edits de Turgot』

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#34/ローヌ川経済圏02

    https://www.youtube.com/watch?v=1xzQkAy0P4M タン・エルミタージュTain-l'Hermitageへ向かうTERは、モンドラゴンMondragonの先でローヌ川を渡る。しばらく姿を見せないローヌ川はDonzèreあたりで再度鉄路の下を通る。以降は度々左横に姿を見せたまま北へ向かっている。 「葡萄畑は川の向こうなのね。こちら側にはない?」車窓を見つめながら嫁さんが言った。 「おお、良いところに気づいたね。そうなんだ。葡萄畑はローヌ川左側に作られるようになるんだ。シャトーヌフもヴァラケスもジゴンダスもすべてローヌ川の東側だろ?ローヌ渓谷のワイ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#33/ローヌ川経済圏01

    https://www.youtube.com/watch?v=Gv8Or2x-8iI&t=29s SNCF/TERでGare de OrangeからTain-l'Hermitageまで1時間5分。一日5本程度は走っている。 https://www.thetrainline.com/ オランジュのSNCF駅に向かって歩いてると、嫁さんが言った。 「フランスって何処も村や町から少し離れたところに駅を作るのね。どうしてかしら」 「鉄道は人の移動よりモノの移動を中心に考えられたから・・かもしれないな。フランスの鉄路は、イギリスやアメリカからみると始まりが遅いんだ。1827年にサ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#32/オランジュ#04

    https://www.youtube.com/watch?v=ujFL4tWH9j0 朝食の後、しばらくしてチェックアウトをした。そして荷物はそのまま置いて朝の散歩へ出かけた。オランジュ歴史博物館Mvsée d'art de d'histoire d'Orange(Rue Madeleine Roch, 84100 Orange)である。 http://www.musees-mediterranee.org/portail/index.php?menu=1&num_musee=118 五分ほど南へ歩くとマドレーヌ・ロック通り沿いにあるからすぐにわかる。オープンは9:30

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#31/オランジュ#03

    https://www.youtube.com/watch?v=1GP25e0mtQ4 ディナーはRestaurant Aurasice(2 Pl. Langes, 84100 Orange)にした。 https://www.grandhotelorange.com/en/restoration クオリティは高かった。ワインリストの中にカオールのMas del Perieが有ったので、これを選んだ。 https://masdelperie.com/produit/orange-voilee/ 「セパージュはシュナン。オレンジの果皮じゃないよ。シュナンを搾りかすと一緒に800Lのア

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#30/オランジュ#02

    https://www.youtube.com/watch?v=nAKdDLs-9Sc ホテルの玄関を出ると右側にNEGOというレストランが有った。ホテル左横にカフェが有った。ムシュJお薦めの雑菓屋さんはその先だった。すぐに分かった。空色の店内に入ると・・たしかに雑菓店だ。嫁さんは菓子類を少し買っていた。ワインも並んでいたが、買うものはなかった。前を見ると、その手前にお勧めのカフェもすぐに見つかった。 そのままムシュJがお勧めしてくれたカフェに入った。CAFE DEL'UNNVERS(6 Pl. Georges Clemenceau, 84100 Orange)という店だ。ムシュ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#29/オランジュ#01

    https://www.youtube.com/watch?v=CUotBaJIE8o その夜の泊りはオランジュOranjeにする予定だった。翌日SNCFを使ってエルミタージュへ向かう。 ホテルは、地元のムシュJがおすすめしたところにした。Grand Hôtel d'Orange(8 Pl. Langes, 84100 Orange)という。 「中心街真ん中のホテルですよ。便利ですが、喧噪な雰囲気はないところです。 ホテルの周辺が楽しいショップが多いです。ホテルのレストランもママはきっと気に入ると思います。駅もそれほど遠くはないです。もしよろしかったら私がお送りしますよ」と言って

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#28/ヴァケイラス#04

    https://www.youtube.com/watch?v=mgyHcLrtwLI 食事のあと、そのままとおりを渡って前のワインショップに入った。Caveau du Vacqueyras(125 Cr Stassart, 84190 Vacqueyras) カウンターの横にテーブルがあって、そこにムシュJが座って店の男性と談笑していた。 「あら」と嫁さん。ほんとにあら・・だった。 「おかえりなさい。如何ですか食事は?」彼は立ち上がると僕らに彼が話をしていた男性を紹介した。 「Jean-Pierre Combaluzierさんです。ここの店のオーナーです。ローラさんとお二人でや

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#27/ヴァケイラス#03

    https://www.youtube.com/watch?v=4kA3eS_5_1U オーナーご夫婦に送られながら僕らは再度グラン・ネンミライユ通りへ戻った。車中ムシュJの饒舌が続いた。ドメーヌ・ヴォベルDomaine Vaubelleはラベンダーの農園だったそうだ。それをワイン畑に替えたのは今のご夫婦の夫君らしい。第二次大戦直後のことらしい。彼の話の間から聞こえたのはフィロキセラとベト病のことだった。フロヴァンスは初期の段階でフィロキセラ渦に襲われた。 実は米国東海岸からフランスへフィロキセラ付きの葡萄の苗を持ち込んだのはラングドッグで畑を持っていたM・ジョセフ・アントワーヌ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#26/ヴァケイラス#02

    https://www.youtube.com/watch?v=wuVUEOyfvGI ドメーヌ・ド・コユーDomaine de Coyeuxを出て、ムシュJのクルマはグラン・ネンミライユ通りを西へ走った。しばらくすると道は灌木の雑木林に入った。そして再度、クルマは灌木の茂みの中に包まれてしまった。立ち上がる勾配を覆う低木な広葉樹の森だ。道路は舗装されているが、状態は良くなかった。それでも徒歩ではなく車両の利用を考えているのだろう。道は大きく何回も迂回しながら山の中へ進んでいた。 「ヴァケイラスやサリアンスは旧い村だよ。フランスよりも旧い」 「新石器時代から?」 「ん。まだ民族と

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#25/ヴァケイラス#02

    https://www.youtube.com/watch?v=w4BqxVbPFFE ドメーヌ・ド・コユーDomaine de Coyeux(167 Chemin du Rocher, 84190 Beaumes-de-Venise)は近代的な・・まるで西海岸に有りそうなワイナリーだった。 VTCのドライバー、ムシュJが車を出ると受付に向かってくれた。おやおや、ガイドをしてくれるらしい。素敵な女性がナビケーターについてくれた。 前身の畑は500年ほど前にあったらしい。再開したのは戦後で、いまはユーグ ド フェラーディという一家の持ち物らしい。 「コユーの丘陵は標高300mです。

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#24/ヴァケイラス#01

    https://www.youtube.com/watch?v=UXP2Az5IezA&t=11s https://www.amazon.co.jp/Pays-Ventoux-Dentelles-Montmirail-2e/dp/2344028005 Pays du Ventoux et Dentelles de Montmirail (2e ed) www.amazon.co.jp 3,056円 (2023年11月21日 21:15時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 朝食の

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#24/ジゴンダス#03

    https://www.youtube.com/watch?v=VhmczATOaho チェックイン後、荷物を置いて村へ出た。小さい村だから2時間もあればすべてみられるなと思った。 ホテルの玄関を出ると、さきほどのガルソンが我々に気が付いて笑いながら手を振った。いいね、こうしたフレンドリーがフランスの田舎町の良さだ。気取りがない。 ホテルはガブリエル・アンデオル広場に面している。隣がDOMAINE TERME(192 Chem. du Terme, 84190 Gigondas)というワイナリーだった。畑は少し離れた du Termeにあるそうだ。 https://www.dom

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#23/ジゴンダス#02

    最初に、3年前に書いたジゴンダスの記事を引用したい。 林道から奇岩・石灰岩の山「ダンテル・ド・モンミライユ」を見回して、ハイキング気分(だけ)を味わって、クルマで山道を下りた。シャトー・ド・サン・コムChateau De Saint Cosmeに寄りたい気もしたが、横目で見ながら前を通り過ぎた。 https://www.saintcosme.com/ 「挨拶だけして、ワインを買ってみてもよかったのに・・」嫁さんが言った。「絶対、あなたのこと憶えているわよ」 「・・ありがたいな」 道は大通りになり、リマート通りへ曲がるとすぐに村へ到着した。ホテルは村の角にある。 オーベル

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#22/ジゴンダス#01

    https://www.youtube.com/watch?v=LMXCHlD1TvM 朝食後、チェックは早めにした。お迎えのVTCはアヴィニョンでお願いした会社に予約してある。 Service VTC / TAXI Avignon +33767101263 http://assildriver-67.webselfsite.net/ 予定より30分前に玄関前で待機してくれた。歩きながら買い込んだワインは、フロントにお願いしてヤマトワインダイレクトが到着時に手渡すようにお願いした。荷物が日本へ届くのは2週間後くらいだろう。慌ただしい出発になった。 https://www.yama

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#21/シャトー・ヌフデ・パプ11

    偉大な指導者にとって最大の敵は「老い」だ。老いてもなお聡明なものはない。しかし多くの場合、自分ではそれを自覚しない。老いて意固地になり偏屈になり、諫言を聞く耳を持たなくなる道を多くの偉大な指導者は辿ってしまうものだ。 偉大な経営者だったヨハネス22世は、教皇に辿り着いたのが晩年だった。それでも果敢に彼は教皇庁の経営状況を正し財政を再建し、様々な改革を実施した。アジアへの伝道を奨励したのも彼だった。しかしそれが時と共に少しずつ偏ったものになっていくことに彼は気が付かなかった。 最初の兆候は異端審査だった。彼は魔女を異端とした。またオッカムのウィリアムやマイスター・エックハルトなどに、教義

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#20/シャトー・ヌフデ・パプ10

    https://www.youtube.com/watch?v=6KpdOJtslOE アヴィニョン司教座がシャトーヌフ・デ・パプに強い関心を抱いていたのは、同地が巨大な収入源だったからだ。 その巨大な収入源とは、採石場/そしてローヌ川通行税/そして・・塩である。 実は、ローヌ川流域で最大の岩塩集荷場がイスロン・サン=リュクIslon Saint-Luc/シャトーヌフ・デ・パプ(当時はキャッスル・ノーヴォ)にあった。 塩は課税対象として優秀だった。当時フランク王は、度重なる戦争維持のために生活必需品である塩へ課税するようになっていた。ところが司教座管理になることで、シャトーヌフ・

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#19/シャトー・ヌフデ・パプ09

    前回泊った時のホテルHôtel La Mère Germaine(3 Rue Joseph Ducos, 84230 Châteauneuf-du-Pape)は 観光センターの裏手ジョセフ・デュコ通り Rue Joseph Ducoにある。 http://www.lameregermaine.com/ この五差路からだとDEMEURES DU GRAND SUDという不動産屋とLa Part des Angesというレストランの間を入っていく感じだ。ゆっくりとした上り坂を進む。村歩きと近在の村歩きを中心に歩くなら僕はこちらをおすすめしたい。夜は目の前にLes Cゅ4 impasse d

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#18/シャトーヌフ・デ・パプ08

    シャトーヌフ・デ・パプの主たる生産者の名前を列挙する。実際にはこの倍以上ある。 ➀Bouachon(23 Av. Saint-Pierre de Luxembourg, 84230 Châteauneuf-du-Pape) https://www.pavillondesvins.com/ ➁Clos Des Papes(av Pierre de Luxembourg, 84230 Châteauneuf-du-Pape) ③Chateau de Boad(30290 Laudun-l'Ardoise) ④Domaine de Beaurenard(10 Av. Saint-Pierre

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#17/シャトーヌフ・デ・パプ07

    https://www.youtube.com/watch?v=Ou6et8oF3hk&t=33s ただただ畑の中を走る平面なソルグ通りD17を歩く。ホテルのある丘を下りてきたときに渡った、細いピエルラット運河を越えたあたりからが村になるようだ。1kmくらいだろうか。すぐ手前にシャンブルドットがあった。少し行くと目の前にChâteauneuf-du-Papeと書かれた大きな壁がある。道は二つに分かれている。そのまま道なりに進むとすぐ右側に➀Bouachon(23 Av. Saint-Pierre de Luxembourg, 84230 Châteauneuf-du-Pa

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#16/シャトーヌフ・デ・パプ06

    https://www.youtube.com/watch?v=FOocBUxqniw 朝食後、少し休憩した後、城を出た。タクシーで上って来た道をゆっくりと散策しながら下りた。周囲はすべて葡萄畑だ。 「全部ホテルの畑かしら?」 「ん。だろうな・これだけ光量が有れば豊かな葡萄が出来る」 「旧い畑なのかしら?」 「見た限り樹齢は高いものばかりだな。これだけ斜面があると耕作は大変だろうな・・見てごらん、土を」 僕は葡萄の木の足許を指した。 「土・土じゃないわ!小石」 「ん。小石の中を縫って育つのがシャトーヌフ・デ・パプの特徴だ」 「小石だけの畑でも葡萄は育つの?」 「ん。育つ。ジンファ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#15/シャトー・ヌフデ・パプ05

    https://www.youtube.com/watch?v=QMXrSbVf6_A 西地中海のローマ化は、ローマが共和国から帝国に替わったあたりから急速に発展した。イベリア半島/北海との交易が安定し拡大したからだ。 云うまでもなく、交易の通貨は相変わらずワインだった。(もちろん、貨幣の使用も始まっていた)イタリア要塞都市から出発した商人たちは、ワインを自分の町から持ち出していたのだが、次第にその調達をナルボンシス/マッセリアで行うようになっていた。ヒスパニアとの戦いで狩り出された傭兵たちが、敵陣との緩衝材として、多数同地で畑を与えられていたからだ。彼らは全てが葡萄を耕した。そ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#14/シャトー・ヌフデ・パプ04

    https://www.youtube.com/watch?v=2msMmx1-b-4 食事のあと、庭へ出た。風が冷たくて強い。 「夜になると寒くなるのね」嫁さんが言った。城の温もりが石の壁から感じられた。昼間は並んでいたテーブル類も片付けられていて夜の風だけが遊んでいた。 「ホテルで働いてた人たちは、仕事が終わるとクルマでこの丘を降りていくんでしょ?真夏も真冬も・・」 「そうやってシャトーヌフ・デ・パプは生きていた。ワイン畑をミストラルの晒されながら守るという生き方だ」 「しても色々、考えちゃうわね・・」 「旅人の感傷だよ。命は何処にでもあって、どこにでも人生はある」 見上げる

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#13/シャトーヌフ・デ・パプ03

    https://www.youtube.com/watch?v=J2VEy1imtqQ&t=13s まるで民宿のような雰囲気のChâteau des Fines Rochesだが、レストランは並みのオーベルジュを超えていた。工夫が光るメニューが色散りばめられていた。ワインはここの畑で作られているワインが自由に選べた。 Where to buy Vignobles Mousset-Barrot Chateau des Fines Roches Chateauneuf-du-Pape, Rhone, France Best local prices from st

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#12/シャトーヌフ・デ・パプ02

    https://www.youtube.com/watch?v=x0FBMH5ViZY Château des Fines Rochesはいい意味で、いまの完備されたホテルサービスというより、まるで民宿みたいな様相だった。部屋に入るとベッドメイキングが終わってなくて、(オーナーかな?)慌てて「いま娘を呼ぶから、ラウンジで待っててくれ」と言われた。快諾してホテルの庭のテーブルに付いて待ってたら、笑顔で白ワインを出してくれた。ここの畑のものだった。 Where to buy Vignobles Mousset-Barrot Chateau des Fines Roches C

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#11/シャトー・ヌフデ・パプ01

    https://www.youtube.com/watch?v=WaNhpOHrmAw 前回泊ったのは村の近くの部屋だった。今回は少し離れたところにした。ホテル・シャトー・デ・フィーヌ・ロッシュ①Hostellerie Chateau des Fines Roches(1901 Rte de Sorgues, 84230 Châteauneuf-du-Pape)という。 https://chateaufinesroches.com/fr/ 他の選択肢を幾つか挙げてみよう。 ②Hôtel La Mère Germaine(3 Rue Joseph Ducos, 84230 Chât

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#10/アヴィニョン#10

    https://www.youtube.com/watch?v=zMkSbhA-zDc アヴィニョン宮殿を正面から出ようとしたら、嫁さんが言った。 「このあと、なにか行きたいところあるの?」 「いや、サンベネゼ橋を見て昼してからホテルに戻ろうかなと思ったんだけど」 「どこか行きたいところが特別になければ、もう一度レアール市場Les Halles d'Avignon(18 Pl. Pie, 84000 Avignon)へ行きたいんだけど・・」 http://www.avignon-leshalles.com/ 「おお!いいね。だったらまたホテルのほうへ出ないと、こっちからは遠回りだ

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#09/アヴィニョン#09

    https://www.youtube.com/watch?v=Mg_80b6yZ2Q ホテル・アミランドHôtel La Mirande(4 Pl. de l'Amirande, 84000 Avignon)のコンシェルジェは質が高い。僕が知ってるスーパーコンシェルジェのベスト10に入る人だった。(ベストワンは、NYCのピエール)シャトー・ヌフデ・パプへのタクシーの依頼でカウンターへ伺ったのだが、いろいろ相談しているうちにジコンダスとエルミタージュやクローズ・エルミタージュCrozes-Hermitageについてのアドバイスを沢山伺った。なにしろ交通手段の確保が大事だと思ってた

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#07/アヴィニョン#07

    https://www.youtube.com/watch?v=N-ebICsTIcI 」313年にミラノ勅令を出したコンスタンティヌス帝が翌年314年にアルルでキリスト教会会議を開いている。この会議にはアルル、マルセイユ、ヴェゾン、オランジュ、アプト、ニースからそれぞれの教会代表者が集まったと記録が残っている。つまり既に各地でキリスト教が定着しつつあったということだろう。布教者たちの殉教から250年近く経っている。・・250年は長い。 もともと西地中海沿岸は、リグリア人/フォカイア人たちの地だった。そこへ、交易のためにローマ人たちが入ったのは、かなり早い時期だった。イベリアへの

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#07/アヴィニョン#07

    https://www.youtube.com/watch?v=swvo-pcb-Yk 313年にミラノ勅令を出したコンスタンティヌス帝が翌年314年にアルルでキリスト教会会議を開いている。この会議にはアルル、マルセイユ、ヴェゾン、オランジュ、アプト、ニースからそれぞれの教会代表者が集まったと記録が残っている。つまり既に各地でキリスト教が定着しつつあったということだろう。布教者たちの殉教から250年近く経っている。・・250年は長い。 もともと西地中海沿岸は、リグリア人/フォカイア人たちの地だった。そこへ、交易のためにローマ人たちが入ったのは、かなり早い時期だった。イベリアへの中

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#06/アヴィニョン#06

    A History of the Roman World: From 30 BC to AD 138 by Salmon, E. T. Paperback 9780415045049 eBay Book Binding:Paperback / softback. A History of the Roman Wor www.ebay.com ローマはカルタゴを恐れ、これを憎むことで、組織の連帯感を得た。 この・・敵対する存在を持つことで、自分の存在意義を保つ・・という手法の採用。これはもしかするとローマが最初かもしれない。王を持たぬ国は、協賛者を得るために、こう

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#05/アヴィニョン#05

    https://www.youtube.com/watch?v=tlArBdehDJU ローマはローマ市民以外に人頭税1/10と属州民税をかけていた。この1/10という数字だが、実際には建前でしかなかった。ローマは属州を締め付けるために、極めて酷薄な課税を行っていたのである。 属州シチリアの徴税請負人アプロニウスの税徴収法を例として、吉村忠典氏が著書『古代ローマ帝国』でこう書いている。 「前71年に総督ウェレスからレンティーニというポリスの小麦の「十分の1税」を21万6000モティエ(量の単位。1モディエは8.754リットル)で請け負い、レンティーニ人とは54万モディエを支払わせ

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#04/アヴィニョン#04

    https://www.youtube.com/watch?v=fE11-9Fnps0 地中海イタリア半島西側。プロヴァンス地方へ最初に植民地を持ったのはフォカイア人Phocéensだった。そこには先住民として2000年ほど前からリグリア人がいた。リグリア人は、現在のロンバルディア西部、ピエモンテ東部、ティチーノの地域から拡散した人々である。 シラクサのアンティオコスAntiochosの言葉を借りると、フォカイアの船乗りプロティス は大軍を持って辿り着いたとき、リグリアの王はプロティスに娘ジプティスとの結婚を望んだという。王女は食事中に水で満たされたカップをプロティス見せ、見知ら

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#03/アヴィニョン#03

    https://www.youtube.com/watch?v=14K8je1wSbg 博物館からホテルまでは同じ道を通って戻った。午後になって人の出が増えていた。僕はまだガロ・ロマンの酩酊に酔ったままだった。歩きながら頭から消えなかったのは、ローマとその属州のことだった。 アナトリア東部から西へ進んだラテン人たちはイタリア半島北部でポー川に出合い、ポー平原に出会った。そこにはラテン人より遥か文明ヴィッラノーヴァ文化)を持ったエトルニア人がいた。ラテン人は、謂わば侵入者として彼らの地・北イタリアに入ったわけだ。当然、諍いや確執はあっただろう。ところが深刻な状態にならなかったのはな

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#02/アヴィニョン#02

    https://www.youtube.com/watch?v=238D0vuC_a8 もっと遅くまで寝てるつもりだったが、昨夜は爆睡したこともあって、嫁さんのゴソゴソする支度の音に目が覚めてしまった。 朝食はパテオにあるラウンジだった。朝でもきちんとして服装で食事をする人ばかりで、少し場違いな格好で食事する中国人(日本人)は皆無だった。とても穏やかな朝だった。食事のあと、嫁さんは朝からクッキングスクールに参加してる。シェフとマーケット歩きをして、帰ってくるのは午後遅いとのことだった。 https://www.la-mirande.fr/en/cooking-class3_en.

  • 夫婦で歩くプロバンス歴史散歩#01/アヴィニョン#01

    デリケートな仕事がジュネーブで1週間余り続いた。週末まで巻き込む勢いで解放されたのが月曜日。そのまま午後の飛行機でCDGへ飛んだ。ゲートで嫁さんが待っていた。 「金曜日じゃなかったの?」と嫁さん。 「悪い悪い、伸びに伸びて土日も打ち合わせになった」 「あら珍しい。お休みでも仕事するのね」 「はは♪そうだな。コントラクトまで行ったから僕の仕事は終わった。あとはウチの連中の仕事だ」 「置いてきちゃったの?」 「ん。木曜日から予定が入ってるからって、置いてきた」 「あら。かわいそう。今回は皆を連れてプロバンスへ行くった話してたでしょ?」 「終わったら、自分たちだけで行ってくれ・・にした」 「

  • 夫婦で歩くプルゴーニュ歴史散歩

    夫婦で歩くプルゴーニュ歴史散歩

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩おわりに/フランスとイタリアのワイン。祈りと願い

    https://www.youtube.com/watch?v=mLmUPREbDXI&t=765s ボーヌにいます。ホテルは僕が好きなLe Central Boutique-Hôtel(2 Rue Victor Millot, 21200 Beaune)です。テラスでワインを頂いてる。相変わらず嫁さんと二人です。 「シトー修道院にもクリュニー修道院も自分の畑は持っていなかったの?シトーのショップセンターで売ってたのラングドックだったわ」と嫁さんが白ワインを呑みながら言った。 「シャトー・ド・シトーもシャトー・ド・クリュニーもブランドとしてはあるよ。とかしあの二つが残した

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-5-02/シトー修道院#02

    https://www.youtube.com/watch?v=1Mi5ENm1O34 A6からA31へ繋がる高速道路をPéage de Dijon Sudまで行って料金所を出た後鋭く道なりにUターンするとD996へ入る。そのまま真っすぐ進むとAbé de Cîteauxという小さな看板がある。少し入ると車止めがあって、そこが小さい広場になっていた。 「ここでお待ちします」VTCのドライバーさんが言った。 僕らはVISITEと書いてある看板の矢印に進んだ。少し進むと空間が広がった。 「立派な建物ね!リュニーより整然として新しい感じ」嫁さんが言った。 「ん。20世紀に入って建設さ

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-5-01/シトー修道院#01

    https://www.youtube.com/watch?v=tqOEBJUmsPk VTCが走るオートルート A6/Autoroute française A6はパリ南東部からソーヌ川谷のリヨンへと結ぶ有料高速道路である。 M.Jのクルマは快適に走っている。 「そろそろコート・ド・ボーヌに入るよ」 「なんかフランスらしくない道路ね」嫁さんが言った。 「自動車専用道路で何よりも機能一番だ」 「機能が一番って・・フランスらしくないと思うわ」 「ところで・・今回、珍しくクリュニーとは?話をしなかったわね。わたしから聞いていい?クリュニーって・・クリュニー修道院の創始者がクリュニーと

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-4-07/クリュニー#07

    https://www.youtube.com/watch?v=maMGdqgPxGs&t=794s 朝食を済ませてから町へ出た。昨日歩いたメルシェール通りRue Mercièreを散策した。1800年代の建物が点在している。 「クリュニーの町は第二次世界大戦の時に燃えなかったの?」 「ん。ナチスに占領はされた。しかし大きな戦闘にはならなかった」 修道院公園(71250 Cluny)へ向かう道には1200年代に建てられた建物がいくつかあった。 「修道院の壁は旧い。クリュニー第二世代のものだと言われてる。1000年前後のものだ。町を囲んでいた要塞よりも遥かに古いそうだ。今は

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-4-06/クリュニー#06

    https://www.youtube.com/watch?v=wlICtIsSYsE 4つの基柱が並ぶ場所Narthexは柵で囲まれていて中に入ることは出来ない。アビー広場からPl. de l'Abbaye見るだけになる。10名ほどの観光客を連れたガイドが基柱を見ながら説明をしていた。 「こちらは専任ガイドですよぉ」と嫁さんが小さい声で言った。 Brasserie du Nordを背にして左側にLa Grande Exposition D'Été(Rue du 11 Août 1944, 71250 Cluny)というエキシビジョンセンターがある。並んでGrand Gala d

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-4-05/クリュニー#05

    https://www.amazon.com/Inventaire-G%C3%A9n%C3%A9ral-Manuscrits-Archives-D%C3%A9partementales/dp/1271936615/ref=sr_1_12?crid=2N46YBU148J6O&keywords=abbey+cluny&qid=1699072655&sprefix=abbey+cluny%2Caps%2C225&sr=8-12 ミニュシパル通りRue municipaleを入ると右側にチケットセンターが有った。左側にBrasserie du Nord(Pl.

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-4-04/クリュニー#04

    https://www.youtube.com/watch?v=e3C39BqPJGU 「教会と修道との違いはなんだと思う?」と僕が嫁さんに聞いた。 「ん~教会は信徒さんを集めてキリストの話をするところ。修道院はキリストに帰依した人たちがみんなで集まって生活するところ」 「ん。いい答えだ。・・もっと、ありていに言うと、教会は神について人々に語る場所。修道院は神についてオノレと語る場所だ。ブッディストなら大乗的/小乗的というかもしれない。だから修道院は、隔絶した/人里離れたところに作られる。しかしね・・決して自分たちだけの救済場所避難場所ではなかったんだよ。訪ねる者に広く安らぎを与

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-4-03/クリュニー#03

    https://www.youtube.com/watch?v=AudS6mL_0h4&t=10s 「どのくらいの修道僧が追い出されたの?」 「最後のミサに参加した僧は20人前後だったそうだ、史料を見ると509人の修道員がいたとある。宗徒は9,721人だったそうだ。幾つか群生する施設には8~10人程度の僧侶が分散していたという」 「こんな大きな施設に500人?」 「ん。クリュニー修道院は1600年代後半から収支の採算が合わなくなっていて凋落の一途をたどっていた。修道僧も新参者は稀で全体の平均年齢は47.8 歳だったという。前に言ったけど、衆院の収益は開墾で生み出されたワイ

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-4-02/クリュニー#02

    https://www.youtube.com/watch?v=OARfEkjUjA4 フランス革命は、宮廷/豪邸と共に教会/修道院を破壊しまくった。中で一番襲われたのは修道院だった。当時の修道院/修道士たちは、利権に守られて瀟洒な裕福な生活をしていたからだ。革命の狂気で、日ごろから羨望と嫉妬で修道院を見ていた人々は、各地で修道院を焼き、祭壇を破壊し家財の一切合切を奪った。そして神父司教を殺し、逃げ惑った修道士は怒号を浴びながら鞭打たれ逃げまわった。 「クリュニーの町も炎と煙に塗れたの?」 「もちろん、クリュニーも例外じゃない」 「でも・・クリュニー修道院って・・この町の1/3く

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-4-01/クリュニー#01

    https://www.youtube.com/watch?v=PrH7M-ibhp0&t=5s グロスヌ川を渡るとクリュニーの町へ入る。最初にホテルへチェックインした。 Art'Hôtel & SPA Le Potin Gourmand(4 Pl. du Champ de Foire, 71250 Cluny) http://www.potingourmand.com/ VTCのM.J氏とはホテルの前で「また明日」とあいさつして別れた。チェックするなり、すぐさま嫁さんの「お腹すいた」が始まった。 「もう少し町の真ん中へ戻ろう。そこでランチしよう」 「え~、遠い

  • 日本人なら純国産薩摩芋を食おう

    決められないオッサンが、漫然となし崩し的に日本を壊している。 以前、キシダ内閣成立時に、今回は衆参解散まで3年間の「黄金の時」がある。彼がそれをどう使うか? という話を書いた。いまその結果を僕らは見ているわけだ。 つまり。漫然と。なし崩し的に。日本を壊した。 ここ4年間日本政府/キシダ君は、補正予算と称して143兆8370億円使った。日本国の立て直しする(儲けを方策する)わけではなく、手元にある金を集めてその場をやりすごしたのである。・・その数字が143兆8370億円だ。 これが如何ほどの数字か?平成期、日本政府は6回総理を換えて、30年間で137兆9647億円(補正予算額)使った

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-1-05/マコン#05

    https://www.youtube.com/watch?v=Oz7YvklzMqY 早めに朝食を終えてチェックアウト。M.J氏のVTCが玄関で待っていてくれた。 そのままDomaine Barraud(3 Place de la Mairie, 71960 Vergisson)へ向かった。 http://www.domainebarraud.com/ 今回の小旅行で唯一予約をお願いしたドメーヌである。ヴェルジッソン村にある。 「マコンは11のコミューンがある。AOCになったのは1937年だ。AOCなるものが制定されたのが1935年だから、早い時期にAOC指定された。でも最近は

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-1-04/マコン#04

    https://www.youtube.com/watch?v=B2ZJY6dVV_0 散策しても民家ばかりで観るものは殆どない。 それでもラヴォールワール通りRue du Lavoirを歩くとサン・ジェルマン教会Église Saint-Germain(Rte de Verzé, 71960 Igé)にぶつかった。 「新しい教会ね」 「そだな。19世紀半ばに作られたそうだ。フランス革命の後・・な」 「お邪魔するの?」 「ん。ご挨拶だけしていこう。神様とは仲良くしといたほうがいい」 静かな教会だった。小さなステンドグラスとマリアの像が美しかった。 「サンジェルマンの教会なのね。ど

  • 夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-1-03/マコン#03

    https://www.youtube.com/watch?v=5svlwT7Fvho ホテル・シャトー・イジェChâteau d'Igéの前は、そのままシャトー通りRue du Château。ホテルの前には1789年7月26日通りRue du 26 Juillet 1789(57 Rue du 26 Juillet 1789, 71960 Igé)がある。何の目印もなく細い道だ。此処を歩いた。ただただ普通の民家を横切るとおりだ。 「シャトー・イジェはこの地の領主だったブラトニエール家Bretonnièreの城なんだ。最後の領主はフランソワ・シャルル・アルベール・ド・ラ・ブルト

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