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勝鬨美樹
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2020/12/27

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  • ワインと地中海#26/ヴェニスのワイン・オンブレ

    https://www.youtube.com/watch?v=-pxn49yWVJk リアルト橋の周りを散策しながらフェリーバスでサンマルコ広場に戻った。 鐘楼Campanile di San Marcoの横を抜けてカフェ・フローリアンCaffè Florian(P.za San Marco, 57, 30124 Venezia)に寄った。ここは1700年代創立のカフェだ。白ワインを頼んだ。 「ヴェネツィアはワインをオンブレという。オンブレというのは日向ぼっこのことだ。昔サンマルコ広場の桟橋で働いてい人足たちは、休憩時間にあの鐘楼の壁に寄っかかって休憩したそうだ。そのときにワイ

  • ワインと地中海#25/ヴェニスのワイナリー

    https://www.youtube.com/watch?v=YHmuE-H3ODE 掃いて綺麗にしたような青空になった。ダニエリの朝食は最上階だが、広いベランダが有る。‥少し寒かったが、外の席にした。 「自根木ワインという言葉は、ワイン呑みにとって無類の魅惑を持った言葉なんだ」 僕が言いだすと嫁さんが黙った。なにか言い出すつもりなのがわかっているからだ。 「フィロキセラ禍は、世界中のワイン用葡萄の木をほぼ全滅させた。現在、根まで全て単一種で育てることは、ほんの一部の土地を除いて不可能だ。根の部分はフィロキセラ(北米東海岸原種のアブラムシ)に耐性がある北米の葡萄の木を使用し、ワ

  • ワインと地中海・番外02//謎の「海の民ルウィ人」

    「海の民ルウィ人」は紀元前1200年代半ばに地中海東側に吹いた突風でした。忽然と歴史のページに登場し、古代ギリシャの都市を舐めるように破壊尽し、ギリシャを一気に文字も文化も持たない暗黒時代へ突き落しました。同時にヒッタイトを滅ぼしミケーネを滅ぼし、レバント地域の都市も蹂躙した。最後はエジプト王国に到達し、壮絶な戦いを仕掛けた。そして登場したときと同じように忽然と姿を消してしまうのです。 彼らについては、あまり詳しいことは判っていません。彼らに襲われて、かろうじて勝利を収めることができたのは、エジプトだけだったからです。自分たち自身では、何も資料になるものを残さなかったリウィ人について

  • ワインと地中海番外・番外01/謎の「海の民ルウィ人」

    エジプト/メソポタミアに続いて小アジアで大きく花開いたヒッタイト文明は、騎馬と鉄の文明でした。アナトリアからの先住民が大きな開墾地を持ち独自の文化を築いていました。鉄器を携え騎馬で装備した人々がこれを征服したのです。 ヒッタイト文明は、ミケーネ文明と同じように先ず原型が有って、それを我がモノとし、花開いた文明です。その経緯は、きわめて興味深い。周辺の国家とも戦いも、世界最古の和平条約を結んでいく過程も、その条文も、とても興味深いのですが、ここでは触れないでおきます。本稿のテーマである「ワイン」からあまりにも脱線してしまうので・・ただ。なぜ名前を出したかというと、彼らもまたミケーネ人を滅

  • ワインと地中海#24/エジプトのワイン03

    「そういえば・・一度も葡萄の畑を見にエジプトへ行こう!という話はで出来たことないわね」 「ん?ないから」 「ない?」 「前世紀の終わりに一つ立ち上がったが、それだけだ。エジプトにワインのための葡萄畑はない。だから行かないんだ」 「だって・・そんなに栄えたんでしょ? それなのにないの?」 「ない。エジプトはモスレムの国だからな。国民の90%がイスラム教だ。酒は飲まない。作ることそのものにも禁忌感がある。それと気候的にも葡萄畑は成立しにくい。紀元前に栄えたナイルデルタの葡萄畑は全て全滅している。エジプトに残されているワイン文化は死滅している」 「それもまたビックリね」 「ある意味、エジプト

  • ワインと地中海#23/エジプトのワイン02

    「古代エジプトでワインは『イレプirp』と呼ばれていた。エジプト王朝はアレクサンドロス大王に征服されるまで31の王朝を重ねるが、イレプirpという名前は後代まで使い続けられている」 「今は?」 「現代エジプト・アラビア語方言はnabiitナビット。アラビア語だとnoun」 「イレプとはずいぶん違うわね」 「アレクサンドロス以降。エジプトの覇権は荒れたからな、言語も荒れる。しかし古王朝時代に使用されたヒエログラフはイレプirpで通されている。 ワインは・・最初はフェニキア人から買っていた。エジプトに葡萄は育たないからだ。しかし国産化を目指した王らは、かなり早い時期からナイルデルタで小規模

  • ワインと地中海#22/エジプトのワイン01

    「コーカサス東部から拡散したワインを作るための葡萄栽培は、2000年ほどかけて南レヴァントに達した」 「それまで誰も葡萄からワインを作らなかったの?」 「んん、言い方がよくないな。WINEとはVitis viniferaの果実を発酵させて作った酒のことだ。Vitis vinifera以外の葡萄から作った醸造酒はワインではない。果実酒だ。O.I.V./Office International de la vigne et vin(国際ぶどう・ぶどう酒機構)に準拠しよう。つまりワインを作るために使用されるVitis viniferaが、2000年かけて南レヴァントに達したということ」 「な

  • ワインと地中海#21/ヒッタイトのワイン04

    「僕らがつかうWine/Wein/Vin/Vino/виноの語源はWiyana。ヒッタイト語だ。この言葉を継承したフェニキア人たちが地中海世界で利用したからだ。ラテン語はvinumと書く。古典ギリシア語はoinosだ。ただし今のギリシャ語ではクラシΚρασίという。クラシは"混ぜる"という意味だ。もともとワインは生のまま飲まない。水で割って飲んだ。プラトンの「饗宴Symposion」・シンポジウムの中に、はっきりと書いてある。ワインを生のままで呑むのは野蛮な行為だったんだ」 「え~、だったらあなた、プラトンに毎晩怒られちゃうわよ」 「たしかにそうだ。饗宴Symposionじゃなくて説

  • ワインと地中海#20/ヒッタイトのワイン03

    https://www.youtube.com/watch?v=HCxZTEK3z_c 「前職の頃。何回もキプロス通いをしてた時があったろ?」 「20年以上前ね。子供たちがまだ小学校の頃・・。シンガポールにいたころね」 「ん。週平均就労時間130時間時代だ。仕事するか・寝るかの時代だ。出張でキプロス通いは好きだったんだよ。いつも仕事の後は、勝手に一週間ほど休暇をくっ付けていたしな。地中海東側にどっぷりハマっていた頃だったから、そこいら中を歩き回った」 「まだ40代で体力有ったから・・じゃないの?今はそうはいかないでしょ」 「はは♪そりゃそうだ。でも、老いることはそうそう悪い事じゃ

  • ワインと地中海#19/ヒッタイトのワイン02

    史家たちがヒッタイト帝国と呼ぶハットゥシャ人の国はアナトリアの中央北で大きくなった。本来は遊牧民族・半農半牧だったであろう彼らは、集約的な灌漑技術を習得し、それを駆使して巨大な立農国家を作り上げた。BC2000年からBC1500年くらいである。すでにアッシリア帝国は台頭し、エジプトには特異な王朝帝国が君臨していた。そして東側にミタンニ帝国が競合していた。もう一つ大きな競合として、フェニキア人たちが地中海東部海岸南レヴァントを中心に通商都市グループを幾つも建ちあげていた。 「そんなに競合が多い中で、ハットゥシャ人は何故その勢力をシリアやメソポタミア地方まで伸ばせたんだろう? フェニキア

  • ワインと地中海#18/ヒッタイトのワイン01

    ホテルへ本を置いてからフェーリズターミナルのさきにあるハリーズ・バーHarry's Bar Cipriani(Calle Vallaresso, 1323, 30124 Venezia)へランチに出た。 https://www.cipriani.com/it/harrys-bar スタートは先ず定番のベリーニのカクテルからにした。 「ヒッタイトHetthaeiという文明を紡ぎあげた人々は、黒海の向こうからやって来たらしい。現ウクライナあるいはもっと東のカザフスタン北東部からかもしれない。ラテン人はHetthaeiと呼んでいる。これは古代ギリシア語のΧετταίοιが転化したものだ。彼

  • ワインと地中海#17/テディイン・ベネディグ書店

    ホテル・ダニエリは最上階のレストランで朝食になる。朝からシャンパンが付くので嫁さんはご満悦だ。 しかし・・時流なのか・・ダニエリの朝食へ、簡単な正装/スマートカジュアルで向かう客が少なくなった。欧州人だけである。アジア人が極端に増えたせいだろうか・・きちんとしたホテルでは、ジャケットとワンピース・オールインワンで席に着くという素養が彼らにはない。部屋の中の普段着あるいは、ゴロゴロとスーツケースを転がしたまま旅装支度のまま入ってくる。たしかにダニエリはわざわざドレスコードを謳っていない。それが600年間ホテルをやっていた格へ、ツーリストが示す敬意だからだ。 「前は場違いなツーリストは、店

  • ワインと地中海#16/ボロテア航空でヴェネツィアへ

    サントリーニ国営空港JTRからマルコポーロ空港VIEへの直行便は少ない。ボロテア航空Volotea Airlineが飛んでいるが、フライトは土日月の三日間/夜便しかない。経由便だと4時間から6時間かかるがボロテア航空だと2時間半で到着する。夜、出発なので、フィラにあるお気に入りのレストラン・ボルケーノ ブルーVolcano Blue(Fira 847 00)で早いディナーを済ませてから空港へ向かった。 Book Your Dinner with Amazing Sunset View in Santorini Volcano Blue Restaurant in Fira

  • ワインと地中海#15/ゲノムから見えること

    「今世紀に入ってゲノムを駆使した考古学が成立しても分からなかったことが急速に判り始めている」 「ワインの話してよくでてくるわね。ゲノムのこと。民族もそうなの?」 「ん。カナン人について聖書からの話だと、不明な部分が多い。いったいカナン人が何者なのか・・ほとんど分からない」 マックス・ウェーバは、メソポタミアのウルに住むアラム人アブラハムが神ヤハウェからカナンを与えられ、シリア北部のハランを経てカナンへ移住した(創世記15章18-21)自明の事実として話が始まる。アブラハムはアラム族の裔で遊牧民だった。対してカナン人は農耕民で、豊饒の神バールを奉じていた。彼はこう書く。 「カナン

  • ワインと地中海#14/JEDP仮説

    「聖書とは何か?というと‥キリストの行状について書かれたものとへブル一族の年代記・・これをセットにしたものだ。 実は、なぜキリスト教徒たちがへブル族の年代記まで、自分たちの「偉大な書」にしたのか・・理由が定かではない。たしかにキリストはユダヤ人で、彼の話はユダヤ教の考えを踏襲したものだが・・だからといってそれがへブル族の年代記をまとめて経典に取り込んじまう理由なのかというと‥僕にはどうもそう思えない。・・おそらくだが、西暦70年くらいにローマのパウロが始めたキリスト崇拝は、既にあったミトラ教の信徒たちを狙った団体だったから、それなりに権威が背景として欲しかったのかもしれないな。そのあた

  • ワインと地中海#13/メソポタミアとワイン

    「メソポタミアの人たちもワインは飲んだんでしょ?」 「ん。王や貴族・神官たちは飲んだ。メソポタミアの人々が残した石板写本・壁画・器には沢山のワインにまつわるものが描かれている。しかしすべて交易で手に入れたものだ。都市部近郊には醸造所跡はない。もっと北の方だ。おそらく交易によって運ばれていたんだろうな。 その作り方を見ると、収穫された葡萄は、大きな樽の中で踏まれ汁を出す。。そしてその汁は地中に埋められた陶器の大きな壺に入れられる。そして発酵するのを待つ、という方法だ」 「もうそういう方法が出来ていたのね」 「ん。なぜ地中に埋められた壺を利用するかというと、これは冷却が目的だった。

  • ワインと地中海#12/オリエントとビール

    「オリエントの人たもの飲み物はメインはビールだった。製法的にビールのほうが簡単だしな。乾燥したパン種に水を漬けるだけで出来る。ワインは高価な飲み物で一般的ではなかった。エジプトでもメソポタミアでも、アルコール飲料はビールだった」 「でもレバントの人たちはワインだったの?」 「ワインは輸送できる。交易の対象になる。ビールは地で飲んで終わるだけだ。それとワインに含まれるアルコールはビールの4倍5倍ある」 「ワイン13%ビール5%じゃないの?」 「そんなに高濃度なビールはまだなかった。2%前後だった。ワインは当時から既に13%前後のアルコール濃度だった。これだけアルコール濃度が高いと雑菌は死

  • ワインと地中海#11/聖書とビール

    「あぁそういえば、ビールの話って聖書の中にあるの?聞いたことないように思うけど」 「あるよ。ただビールとは書いていない。シェカルšekharあるいはšikarumとある。聖書の中には類似するモノをあわせて20回出てくる。シェカルšekharはメソポタミアの言葉アッカド語だ。へブル人はアッカド語と同じセム語族だから、そのままビールのことをシェカルと呼んでいる。ところがだな」 「あ。今回は最初から、ところだがだな、が出ちゃうの♪」 「聖書は、キリスト教が利用した旧約聖書はヘブライ語からラテン語化されてるわけだが、ここでšekharをcervisia=beerには代えていないんだ。明らかにビ

  • ワインと地中海#10/エズレル平野・エズレルの谷

    「エズレル平野Jezreel Valley/エズレルの谷に暮らしていたのがカナン人だ」 「カナン・・って、モーゼたちが向かったところでしょ?カナンってエズレル平野にあったの?」 「ん。出エジプト記は具体的な経緯先の地名を書いていないが、カナンに近づくと俄然具体性が高くなるんだよ。創世記10章15-18、にカナンは11の氏族があったと書かれているシドン、ヘト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アキル人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人だ」 「あら・・フェニキア人じゃなかったの?フェニキア人は出てこないの?」 「フェニキア人は支配者だ。そして商人だ。彼らは、ワインを交易用の商

  • ワインと地中海#09/レヴァントにあったフェニキアの都市

    「レヴァントには大きなフェニキアの街が4つ有ったと言ったろ。ティルスTyre/シドンSidon/ゲバルGebal/バールベックBaalbekだ。 シドンは早くから栄えていた。ガラス工芸の街だった」 「見に行ったの?」 「ん。いまのシドンで古代が窺えるのはオスマン帝国くらいが限界だったよ。なんども支配者が入れ替わってるしな、フェニキアの面影を追うのは難しかった。その時はシドンからティルスTyreを歩いてみた。ガイドは以前お願いしたAUB/American University of Beirutkの学生さんに頼んだ」 「ああ、無口なガイドさんね」 「そうだ。実に無口な子だった。彼と二人で

  • ワインと地中海#08/ヴィティス・ヴィニフェラ

    「ヴィティス・ヴィニフェラは他の葡萄より格段にワインにしたときの風味が違う。実はもうひとつ大きな理由がある。ヴィティス・ヴィニフェラは雌雄同株なんだよ」 「雌雄同株??」 「6500年に渡って栽培されてきたVitis viniferaと、原種である野生種の圧倒的に違いは、前者が雌雄同株(しゆうどうしゅ)なことなんだ。つまり栽培種Vitis viniferaは、雌しべと雄しべをが同じ花にある。野生種Vitis vinifera subsp.sylvestrisは雌雄異株(しゆういしゅ)だ。雌雄があるから結実するのは植えた葡萄株の半分しかしない。栽培種Vitis vinifera subs

  • ワインと地中海#07/ヴィニフェラ・ポンティカ

    「ヴィニフェラ・ポンティカ Vitis vinifera ponticaって初めて聞いた名前だわ」嫁さんがSANTO WINESのSPARKLINGを呑みながらいった。 https://www.researchgate.net/.../Genetic-structure-and... 「ポンティカponticaという名前に出自が出てるな。ポントゥス王国Pontusは黒海・東海岸にあった。黒海のことをギリシャ人はポンティウスと呼んでいた。ヴィニフェラ・ポンティカ Vitis vinifera ponticaはおそらくアナトリアで生まれた品種だな。 ・・ところで、さて質問です。ワイン

  • ワインと地中海#06/サントリーニからの遠望04

    ディナーの最初はSANTO WINES SANTO SPARKLINGにした。アシリティコAssyrtiko100%である。 前日、嫁さんはSanto Wines(Pyrgos Kallistis 847 00)+302286022596を娘たちと訪ねたので、どんなに素敵なワイナリーかを熱く語っていた。 http://www.santowines.gr/ 「サントリーニ島は土着品種が3種類ある。アシリティコAssyrtiko、アティリAthiri、アイダニAidaniだ。いずれも白ワインのための葡萄だ」 「赤もあったわよ」 「ん。赤葡萄も2種類マンディラリアMandilariaとマブロ

  • ワインと地中海#31/サントリーニからの遠望03

    ホテルから少し離れたレストランSouvlaki n' Wrap(Oia 847 02)+302286072448で夕方の景色を楽しみながらディナーをした。 ホテルからの散歩道に有った小さな宝飾品のブティックで嫁さんにアイビーズamuletのイヤリングを買った。 「青い目は魔除けの象徴なんだよ。必ず手作りだ。ガラスを溶かして、鉄や銅、水、塩ょ混ぜて作る。そこに濃い青、白、水色、黒の同心円や涙型を描くんだ」 嫁さんは手にしたイヤリングを見た。 「これもそう?」 「ん。青は悪を跳ね返すと云われていた。それどころが吸収して消し去るそうだ。地中海の人々はそう信じていた」 「ふうん、そうなんだ・

  • ワインと地中海#30/サントリーニからの遠望02

    20年ほど前。エーゲ海でアタマの中が一杯だった時期が有った。猛烈に忙しい時期だったけど、仕事の間の時間は全てエーゲ海の島々への想いで埋められていた。キクラデス文明・クレタ・ミノス・アッシリア・フェニキア・プレギリシャ文明のことばかりを考えていた。 それが嵩じて、ひと月あまり仕事でparisにいたとき、突然長期休暇をとってサントリーニ島に出かける気になった。 嫁さんにとって「突然」は、僕のいつものキーワードに見えるようだけど、言い訳しちゃうけど実はそれほど突然ではないんです。はい。「嵩じて」なんです。 嵩じて嵩じて・・突然。「行くぞ」になる。 あ。でも・・嵩じて嵩じては、僕の心の中の問題

  • ワインと地中海#29/サントリーニからの遠望01

    なにがきっかけだったろうかレバノンの話をしているときだった。 「フェニキアってレバノンにあったの?」と嫁さんが言った。 サントリーニSantoriniの北端イアOia村にあるエスペラス ホテルEsperas Santorini Hotel(Oia 847 02)にいた。 Esperas Santorini Hotel: Best Sunset and Caldera View in Oia, Hotel in Oia, Santorini Oia Hotel, Sunset Hotel Oia, Honeymoon Hotel Oia, Caldera View Hotel O

  • ワインと地中海#28/フェニキアのガラス玉#02

    https://www.youtube.com/watch?v=I3cnxTYemSg 50代になって自立した。仕事はやはり、ウロウロと世界を歩くものだった。90年代に入ってから、ベイルートには何度も通った。大好きな街の一つだ。仕事が終わった後、一人で過ごすザイトゥナ湾の港に並ぶ店が好きだった。しかし憧れの国立博物館Musée national de Beyrouthは相変わらず閉鎖されたままだった。博物館が有るダマスカス通りは内戦時代、最前線だったからだ。博物館は高い壁に囲まれて、外装をまともに見ることも出来なかった。 当時付き合いがあったベイルート在住の同業者にその話をふると

  • ワイン雑談#17/フェニキアのガラス玉#01・Vitis viniferaを巡って

    母の化粧机の横に色々な化粧品と共に、淡青色の歪な球形のガラス玉が有った。 親指爪くらいの大きさで不透明だった。置かれている木台は、葡萄の幹を加工したものだったと思う。ガラス玉は表面に幾つもの同心円の黄色い模様が描かれていて、その中心がすべて穿ってあった。見つめていると一つ一つが眼球のように思えて、不思議な違和感のある置物だった。 子供の時、母に聞くと「地中海の人たちの魔除けだよ」と言った。「父さんが亡くなる前に置いてったものだよ」 父は米兵だった。僕が2才になる前に亡くなった。・・いま思うと、母は逝ってしまった父の思い出をすべて封印していた。写真は全てアルバムにまとめられて、父が置いて

  • ワイン雑談#16/フェニキアのワイン#01・Vitis viniferaを巡って

    「フェニキア人が広めた葡萄で最も有名なのはヴィニフェラ・ポンティカ Vitis vinifera ponticaという。今様々な地方で植えられている白ワイン用ブドウはコレが始祖だ」 「シャルドネは?」 「シャルドネはピノ・ノワールとグエ・ブランGouais Blancとの交配種だ」 「グエ・ブランって聞いたことないわ」 「つい最近、DNAで判った。欧州では大評判になった。グエ・ブランって不味い葡萄なんだよ。中世にフランス中部および北東部で広く植えられていたんだがな、より美味しい葡萄に席巻されて栽培されなくなった云わば劣等種なんだよ。だから高貴なワインが汚されたと言って怒り心頭に走った人

  • ワイン雑談#15/雌雄同株・Vitis viniferaを巡って

    「6500年に渡って栽培されてきたVitis viniferaと、原種である野生種の圧倒的に違いは、前者が雌雄同株(しゆうどうしゅ)なことなんだ。つまり栽培種Vitis viniferaは、雌しべと雄しべをが同じ花にある。野生種Vitis vinifera subsp.sylvestrisは雌雄異株(しゆういしゅ)だ。雌雄があるから結実するのは植えた葡萄株の半分しかしない。栽培種Vitis vinifera subsp.viniferaは、造卵器(ぞうらんき)と造精器(ぞうせいき)が同じ前葉体にあるから全ての葡萄が結実する。ようするに生産量が倍違うんだよ」 「なるほどねぇ!銀座の銀杏も

  • ワイン雑談・Vitis viniferaを巡って#14/ヒッタイトのワイン#04

    「僕らがつかうWine/Wein/Vin/Vino/виноの語源はWiyana。ヒッタイト語だ。この言葉を継承したフェニキア人たちが地中海世界で利用したからだ。ラテン語はvinumと書く。古典ギリシア語はoinosだ。ただし今のギリシャ語ではクラシΚρασίという。クラシは"混ぜる"という意味だ。もともとワインは生のまま飲まない。水で割って飲んだ。プラトンの「饗宴Symposion」・シンポジウムの中に、はっきりと書いてある。ワインを生のままで呑むのは野蛮な行為だったんだ」 「え~、だったらあなた、プラトンに毎晩怒られちゃうわよ」 「たしかにそうだ。饗宴Symposionじゃなくて説

  • ワイン雑談・Vitis viniferaを巡って#13/ヒッタイトのワイン#03

    https://www.youtube.com/watch?v=HCxZTEK3z_c 「前職の頃。何回もキプロス通いをしてた時があったろ?」 「20年以上前ね。子供たちがまだ小学校の頃・・。シンガポールにいたころね」 「ん。週平均就労時間130時間時代だ。仕事するか・寝るかの時代だ。出張でキプロス通いは好きだったんだよ。いつも仕事の後は、勝手に一週間ほど休暇をくっ付けていたしな。地中海東側にどっぷりハマっていた頃だったから、そこいら中を歩き回った」 「まだ40代で体力有ったから・・じゃないの?今はそうはいかないでしょ」 「はは♪そりゃそうだ。でも、老いることはそうそう悪い事じゃ

  • ワイン雑談・Vitis viniferaを巡って#12/ヒッタイトのワイン#02

    https://www.youtube.com/watch?v=WUMHftplBIs 史家たちがヒッタイト帝国と呼ぶハットゥシャ人の国はアナトリアの中央北で大きくなった。本来は遊牧民族・半農半牧だったであろう彼らは、集約的な灌漑技術を習得し、それを駆使して巨大な立農国家を作り上げた。BC2000年からBC1500年くらいである。すでにアッシリア帝国は台頭し、エジプトには特異な王朝帝国が君臨していた。そして東側にミタンニ帝国が競合していた。もう一つ大きな競合として、フェニキア人たちが地中海東部海岸南レヴァントを中心に通商都市グループを幾つも建ちあげていた。 「そんなに競合が多い

  • ワイン雑談・Vitis viniferaを巡って#11/ヒッタイトのワイン#01

    https://www.youtube.com/watch?v=wq9i8o1khhs 「ヒッタイトHetthaeiという文明を紡ぎあげた人々は、黒海の向こうからやって来たらしい。現ウクライナあるいはもっと東のカザフスタン北東部からかもしれない。ラテン人はHetthaeiと呼んでいる。これは古代ギリシア語のΧετταίοιが転化したものだ。彼らはハティHittiteと自称していたようだ。そして自分たちの国をハトゥシャHattushaと呼んでいた。言葉は印欧語だった。市場最古の印欧語アッシリア系言語だ」 「黒海の北側というと・・あなたの『歴史の回廊』という言葉を思い出すわ」

  • ワイン雑談・Vitis viniferaを巡って#10/エジプトのワイン#03

    Amazon.co.jp: Rethinking Genesis: The Sources and Authorship of the First Book of the Bible : Garrett, Duane A.: Foreign Language Books Amazon.co.jp: Rethinking Genesis: The Sources and Authorship www.amazon.co.jp 「そういえば・・一度も葡萄の畑を見にエジプトへ行こう!という話はで出来たことないわね」 「ん?ないから」 「ない?」 「前世紀の終わりに一つ立ち

  • ワイン雑談・Vitis viniferaを巡って#9/エジプトのワイン#02

    「古代エジプトでワインは『イレプirp』と呼ばれていた。エジプト王朝はアレクサンドロス大王に征服されるまで31の王朝を重ねるが、イレプirpという名前は後代まで使い続けられている」 「今は?」 「現代エジプト・アラビア語方言はnabiitナビット。アラビア語だとnoun」 「イレプとはずいぶん違うわね」 「アレクサンドロス以降。エジプトの覇権は荒れたからな、言語も荒れる。しかし古王朝時代に使用されたヒエログラフはイレプirpで通されている。 ワインは・・最初はフェニキア人から買っていた。エジプトに葡萄は育たないからだ。しかし国産化を目指した王らは、かなり早い時期からナイルデルタで小規模

  • ワイン雑談・Vitis viniferaを巡って#8/エジプトのワイン

    https://www.youtube.com/watch?v=dRPL5tc67Do 「コーカサス東部から拡散したワインを作るための葡萄栽培は、2000年ほどかけて南レヴァントに達した」 「それまで誰も葡萄からワインを作らなかったの?」 「んん、言い方がよくないな。WINEとはVitis viniferaの果実を発酵させて作った酒のことだ。Vitis vinifera以外の葡萄から作った醸造酒はワインではない。果実酒だ。O.I.V./Office International de la vigne et vin(国際ぶどう・ぶどう酒機構)に準拠しよう。つまりワインを作るために使

  • ワイン雑談#07/Vitis viniferaを巡って

    「あぁそういえば、ビールの話って聖書の中にあるの?聞いたことないように思うけど」 「あるよ。ただビールとは書いていない。シェカルšekharあるいはšikarumとある。聖書の中には類似するモノをあわせて20回出てくる。シェカルšekharはメソポタミアの言葉アッカド語だ。へブル人はアッカド語と同じセム語族だから、そのままビールのことをシェカルと呼んでいる。ところがだな」 「あ。今回は最初から、ところだがだな、が出ちゃうの♪」 「聖書は、キリスト教が利用した旧約聖書はヘブライ語からラテン語化されてるわけだが、ここでšekharをcervisia=beerには代えていないんだ。明らかにビ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#58/おわりに~Vitis viniferaを巡って06

    https://www.youtube.com/watch?v=PgsnG246wQI 「今世紀に入ってゲノムを駆使した考古学が成立しても分からなかったことが急速に判り始めている」 「ワインの話してよくでてくるわね。ゲノムのこと。民族もそうなの?」 「ん。カナン人について聖書からの話だと、不明な部分が多い。いったいカナン人が何者なのか・・ほとんど分からない」 マックス・ウェーバの『古代ユダヤ教』は、メソポタミアのウルに住むアラム人アブラハムが神ヤハウェからカナンを与えられ、シリア北部のハランを経てカナンへ移住した(創世記15章18-21)自明の事実として話が始まる。アブラハムはア

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#57/おわりに~Vitis viniferaを巡って05

    https://www.youtube.com/watch?v=mU4aU5yoyp4 「創世記10章15-18、にカナンは11の氏族があったと書かれているシドン、ヘト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アキル人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人だ」 「フェニキア人じゃなかったの?」 「フェニキア人は支配者だ。そして商人だ。彼らは、ワインを交易用の商材として利用するだろうが、自分たちがブドウの栽培はしない。エズレルの谷で葡萄農家を営んでいたカナン人は彼らに支配されていたに違いない。・・となると整合性が取れる。 紀元前1600年代・サントリーニの大爆発で起きた津波で、

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#56/おわりに~Vitis viniferaを巡って04

    「ヘブライ/ユダヤ人はカナン人とベティ・シャンで戦ったとある。ヨシュア記17章12だ。ベティ・シャン:Beth Shanは、ガラリア海 Galilee(ティベリアス湖)の下ヨルダン川の西。キション川Kishon Riverの畔辺りだ。エズレル平野Jezreel Valley/エズレルの谷の東端にある。 「エズレルの谷って、キリストの育ったところナザレの話をしたときに出たわよね」 「ん。聖書の中のエピソードは大半が南レヴァントに集まっている。エズレルの谷はまさにその一部だ。 エズレルの谷は、北に下ガリラヤ山地。南にギルボア山に挟まれた南レヴァント海岸最大の平野だ。真ん中にアフラAfula

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#55/おわりに~Vitis viniferaを巡って03

    「やって来た場所?出身地??」 「ん。新バビロニア王国時代に祭司たちが作り上げた"世界の始まりの七日間"という荒唐無稽な話を別にすると、聖書はヘブル一族の年代記だ。年代記として追うと中々面白い。特に南ユダヤ王国製の聖書はとても面白い。JEDP仮説でいうところのヤハウィスト資料な。ここで語られる年代記は聖書の中で最も血の通った年代記だ」 「JEDP仮説って、聖書の中に出てくる神様の名前でしょ?」 「ん。 JahwistヤハウィストとElohistエロヒストの二種類がある。"神"をヤハウィストと呼んでいたのが南ユダヤ王国。エロヒストと呼んでいたのが北のイスラエル王国だと言われてる。そして史

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#54/おわりに~Vitis viniferaを巡って02

    「オリエントの人たちはワインは飲まないの?」 「飲むよ。でもメインはビールだ。製法的にビールのほうが簡単だしな。乾燥したパン種に水を漬けるだけで出来る。ワインは高価な飲み物で一般的ではなかった。エジプトでもメソポタミアでも、アルコール飲料はビールだった」 「でもレバントの人たちはワインだったの?」 「ワインは輸送できる。交易の対象になる。ビールは地で飲んで終わるだけだ。それとワインに含まれるアルコールはビールの4倍5倍ある」 「ワイン13%ビール5%じゃないの?」 「そんなに高濃度なビールはまだなかった。2%前後だった。ワインは当時から既に13%前後のアルコール濃度だった。これだけアル

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#52/おまけで~Vitis viniferaを巡って

    「ワインを作るための葡萄は?」 「ヴィティス・ヴィニフェラ。何度も聞いたから、さすがに憶えちゃった」 「そう、ヴィティス・ヴィニフェラ。始まりは南コーカサス北部の肥沃な三日月地帯。もしかするともう少し広いレバント地方の奥地らしい。そこの人々が6500年前に有った干ばつに追われて西へ逃げた。ヴィティス・ヴィニフェラは彼らが運んだ。 ワインのための葡萄は、種から作ると美味しくない・・という話をしたよな」 「ええ。だからワインのための葡萄は接ぎ木をしてるって」 「そうだ。6500年間、そうしてきた。それほどヴィティス・ヴィニフェラは奇跡の葡萄なんだ。まさに唯一無二だ。僕らはもう2000年以上

  • 夫婦で歩くプロヴァンス・南ローヌ歴史散歩

    夫婦で歩くプロヴァンス・南ローヌ歴史散歩: アヴィニヨン/シャトーヌフ・デ・パプ/ジゴンダス/ヴァラケス/エルミタージュなど 夫婦で歩く歴史散歩 www.amazon.co.jp 100円 (2023年12月09日 12:48時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する さて。シャトーヌフ・デ・パプの古城ホテルである。 まるで民宿のような雰囲気のChâteau des Fines Rochesだった。しかしレストランは並みのオーベルジュを超えていた。工夫が光るメニューが色散りばめられていた。ワインはここの畑

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#52/おわりにローヌ渓谷を見つめて#03

    https://www.youtube.com/watch?v=9wOdFuvMcRM&t=1s 「パンゲアって知ってるよな?」 「ええ、太古にあった巨大な大陸でしょ?」 「ん。分裂し始めたのは2億年前くらいからだ。その分裂の時に出来たのが古地中海だ。テチス海Tethys Oceanと云う。パンゲアの裂け目だ。新生代第三紀まで・・4000万年前まで有った。アフリカ大陸とユーラシア大陸を切り離した裂け目だ。 ・・ところで。地球というのは半径6000kmある球体のマグマのカタマリだろ?」 「あら・・唐突に大きな話。そうね、マグマのカタマリね」 「体積は1兆833億1978万k

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#51/おわりにローヌ渓谷を見つめて#02

    「陸路の拡散に海路が重なったのは5000年ほど前からだ。チグリスユーフラテス文明とエジプト文明を仲介する地帯が地中海東海岸レバント地方に出来てからだ。最も力を得たのはフェニキア人だろう。彼らは操船術を能くした。その技術で二つの文明のハブとして繁栄した人々だ」 「フェニキア人という名前は何度も何度も出てくるわね」 「交易と航海の民だ。だから彼らは、算術と文字での記録を編み上げた。ベースはオリエントの方法だが、これから独自の22の子音からなるフェニキア文字を作り上げた。きわめて簡便で機能的な文字だ。これがアルファベットの起源になってる。隆盛時、彼らは大西洋からインド洋まで行動範囲を広げてい

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#50/おわりにローヌ渓谷を見つめて#01

    https://www.youtube.com/watch?v=EAMwED9GHcs 「中央ヨーロッパを横断するヘルシニア造山帯は、フランス中央部にまで至ってる。古生代石炭紀にはシダ植物の大森林があった場所だ。大陸移動のために皺となって出来たのがヘルシニア山脈だ。ライン川より西にはシルヴァ・カルボナリア、アルデンヌの森、そしてヴォージュの森というのがあった。これらが今は、黒い森/アルデンヌ/バイエルンの森/ヴォージュ山脈/アイフェル/ジュラ山脈/シュヴァーベンのジュラ/フランケン地方のジュラ/ポーランドのジュラ/プファルツの森として残っている。きわめて広大な温帯広葉樹林生態系の

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#49/バランス・Maison Pic

    https://www.youtube.com/watch?v=lrRDnmbd5Sg かTGバランスの駅に着いたのが12時すこし前、僕独りだけ降りて窓口へでかけて、タクシーはパリ行きのチケット14:15を購入した。これだと19:00にガールで・リヨンに着く。そのままムシュkのタクシーへ戻った。タクシーはそのまま市内中心へ走った。専用道路N7は渋滞もなく真っ直ぐに中心地に向かった。そして20分ほどでHOTEL-PICの前に到着した。 「3時半に迎えに参ります。奥にラウンジが有りますから、食事が済みましたら、そこをご利用ください」そう言うとムシュkは笑いながら去った。 その後姿をみ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#48/バランスへ向かう道

    11:00にフロントへ出ると、ムシュkがいた。 「おはようございます。お食事は如何でしたか?」 「素晴らしかっです♪」と嫁さん。 「はい。ここのシェフの父上はタン・エルミタージュで有名な調理人でした。見事にその血を継いでらっしゃる。土地の魅力を見事に随分引き出される技量です。実はトリュフの季節は、彼が主導でツアーもやっているんですよ。もう少し遅い時期なら参加できたんですが・・」 僕がチェックしていると大きく手を振りながらコック姿の人が出てきた。ムシュkとハグした。 「シェフのMathieu Chartronさんです」と紹介してくれた。明るい印象の方だった。 奥様は日本でシェフをし

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#47/サン・ドナ・シュル・レルバッス03

    https://www.youtube.com/watch?v=wxwUjEa_HuM バランスTGVへのTAXIはホテルが手配してくれた。11:30とのこと。チェックアウトは11:00なので、朝食のあと少し村歩きをした。 村の開祖であるサン・ピエール&サン・ポー教会Collégiale Saint-Pierre & Saint-Paul(Mnt de l'Église, 26260 Saint-Donat-sur-l'Herbasse)が近くなので、ここに出てみた。ホテルの玄関の前の通りを入ると行ける。ただ古い城壁がそのまま螺旋状の建物になっているので、辿り着くりにぐる

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#46/サン・ドナ・シュル・レルバッス02

    https://www.youtube.com/watch?v=9Ug1hSyLZas 食事のクオリティは良かった。ホテルのレストランは、シェフがMathieu Chartron氏という方だ。 「あ、それでHotel-Restaurant Chartronという名前なのね」嫁さんが納得した。 「ん。タン・エルミタージュにMaison Gambert(2 Rue de la Petite Pierrelle, 26600 Tain-l'Hermitage)+33475091985っというレストランがあるんだ。そこも彼が監修してる。ゴー・ミヨをチェックして、ほんとはそこへ寄るつもりだ

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#45/サン・ドナ・シュル・レルバッス01

    https://www.youtube.com/watch?v=jYW1TadYL_o ホテルへ到着したときは夕暮れに町が染まっていた。半日のエルミタージュの森散策は充実していた。熱い礼をドライバー・ムシュkにして別れた。フランスのの地方を網羅しているVTC/TAXIのクオリティは極めて高い。世界で一番信用できるプロフェショナル・ドライバーかもしれない。今回もそんな印象をうけた。 さてホテルである。ホテル・レストラン シャルトロンHotel-Restaurant CHARTRON(1 Av. Gambetta, 26260 Saint-Donat-sur-l'Herbasse)を

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#44/エルミタージュの丘04

    https://www.youtube.com/watch?v=-aPGg0_XVTc ムシュkのクルマはD532へ出ると、今来た方向戻った。 「エルミタージュの丘・東の麓を走るD115という道がございます。D267を右折しまして、そちらに入ります。実はSaint-Donat-sur-l'Herbasseへ行くには国道D67を北東へ走ったほうが遥かに早いんですが、今回はエルミタージュの丘をご覧になるということで照すので、あえて遠回りをしましょう」 D532を走ると右側にL'Abricotineというワイン色の看板が見えた。クルマはこれを右折した。 「道はレ・ゾードゥアールLes

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#43/エルミタージュの丘03

    https://www.youtube.com/watch?v=EdzvekneBAU 「さて、エルミタージュの丘/一番東・ドイネレス・ェ・トラスDoigneres et Torrasとラ・クロワLa Cloixの稜線に沿って、国道D532が走っています。これに出ます」 D532に出て、少し走ると左側にDOMAINE DES RDES REMIZIERES/CAVE DESMEURE RESと書かれた壁が見えた。 「オーナーはPhilippe Desmeure氏です。 連絡しておきましたから彼のお嬢様がエスコートしてくれます。エミリーEmilie さんという方です。彼女は英語が堪

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#42/エルミタージュの丘02

    https://www.youtube.com/watch?v=UYSQJvxd9vQ バス停留所Gare Routière de Tournon-sur-Rhôneを出た後、朝来た道を戻った。カルノ広場まで歩くと、広場右前にKélonia restaurant(12 Pl. Carnot, 07300 Tournon-sur-Rhône)というレストランがある。此処で午後からエスコートを頼むTAXI会社と待ち合わせをしてる。タクシー会社はTAXI DIRECTという。13;:00分にピックアップをお願いした。 TAXI DIRECT(33 Av. de Nîmes, 07300

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#41/アルデッシュ渓谷列車

    https://www.youtube.com/watch?v=FLUTebdpkrQ Le Cerisier(1 Rue Saint-Joseph, 07300 Tournon-sur-Rhône)でのディナーが終わったのは22時近かった。 店を出るときに再度オーナーご夫婦がご挨拶に出てくれた。結婚35周年のお祝いの言葉を頂いた。熱い握手の後、店を出た。 ホテルへの帰路は同じグラン通りGrand Rueを歩く。予想した通り店は殆ど閉まっていた。しかし歩いていると三階建ての家には何れも生活の灯りが有った。人々の息使いを感じた。 「こんな静かな村を二人で歩けるなんて・・不思議ね。」

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#40/エルミタージュ05

    「ところで・・」嫁さんが言った。 「どうしてエルミタージュという名前なの?エルミタージュって最初に聞いたとき、ロシアの美術館のことだと思ったわ。だからロシアのワインなのかなぁ~って。でフランスでしょ?どうしてエルミタージュという名前になったの?」 「村の名前にエルミタージュと付けたのは、わりと最近なんだ。もともとエルミタージュと呼ばれていたのは、トゥロンtournonの丘のことなんだよ」 「トウロンって、この村のこと?」 「ん。この村の西側にある丘だ。此処がエルミタージュの丘Colline de l'Hermitageだ。ところがコレが銘醸ワインの生産地として猛烈に有名なっちゃったから

  • 夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#39/エルミタージュ04

    https://www.youtube.com/watch?v=X1O6LKO3d_4 事前に、ホテルからディナーの良い店を紹介してもらった。近くが良いが・・と相談したら「Tournon-sur-Rhôneなら此処がお勧めです」と言われた。サン・ジョセフ通りにあるLe Cerisier(1 Rue Saint-Joseph, 07300 Tournon-sur-Rhône)という店だ。19:30で予約してもらった。 https://www.lecerisier-restaurant.fr/ 調べてみるとミシュランのピルグルマンだった。嫁さんは喜んでいた。予約を早い時間にしたのは、

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