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2020/12/21

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  • 結局23時まで楽しんでくれた。

    わが家について、まずお茶の体験がしたいということだったので、少し母の家で待ってもらい、準備を整えてきてもらった。フェリックスの時は、テーブルでお茶を点てるだけの体験だったが、今回はせっかくなので、簡単な点前を見せて、点前はしないが、釜の湯を注いで点てるという体験をしてもらうことにした。ジェレミとミレンが点て終わり、次にフランソワとなったところで、なんと「お濃茶」というではないか!!!!!彼だけでなくあとの4人もみな「じゃあ私も」となってしまった。お濃茶の点前は時間の都合で見せられなかったが、分量と練り方を教え、後は口頭で簡単に濃茶と薄茶の違いなどを説明したところ、この日、口数が少なかったジェレミが一番目を輝かせ、興味深くいろいろ質問をしてきたのには驚かされた。本来はお茶の体験だけのつもりだったが、簡単なも...結局23時まで楽しんでくれた。

  • 東大寺、そして無口なジェレミのこと

    東大寺へ向かい、お決まりの?柱くぐりでは、アメリ―とバスチアンが挑戦し、くぐり抜けられた。6月初めに来たフェリックスが覚えていたという話を大仏様の脇侍のあたりでまた話す。この真剣な顔・・・。これだからフランス人は面白い。この真剣な顔↓その後昼食を取ったが、人数が多かったので、ここでは2テーブルに分かれて食べることになった。その際私たちと一緒のテーブルの3人はよく話し、聞けば皆パリかパリ郊外に住んでいるとのことだった。バスチアンはル・アーブルの出身だそう。つまりノルマンディーだ・男の子は皆日本に来た経験があり、1人で参加の女の子は4回来日しているそうだが、あとの3人の女の子は初来日と言っていた。ピンクの二人、グリーンの二人がカップル↓そして、二月堂から春日大社を回り、暑かったのでこの日はもう駅に向かうことに...東大寺、そして無口なジェレミのこと

  • 3カップル+1の7人がやってきた。

    6月の末にやってきたのは、絵描きのフランソワ。お母さんとまず北海道に行くため5月のGW開けに来日。北海道~東北~佐渡島~東京と回り、お母さんは帰国。それから関西へとやってきたのが6月の下旬だった。来日前に大徳寺のお茶会へ参加したいと言っていたので、予約を頼まれた。その時は友人を含む5人分ということで、予約を入れて一緒に行く予定だったのだが、結局京都に到着後予定が変更になり、お茶会をキャンセルしてほしいという連絡があった。キャンセルをして、奈良に来る日の連絡を待った。わが家に寄ってもらうことになっていたが、「人数が多いから」と遠慮がちに連絡をしてきた。聞けば、7人で奈良に来るという。お母さんと別れたのち、彼女のアメリ―が一緒なのはわかっていたが、他の友だちって、日本人なのかどうか、お茶会に参加予定の人数とも...3カップル+1の7人がやってきた。

  • 10年前の大仏殿で話したジョークをちゃんと覚えていた。

    小学生だったフェリックスはどのくらい初来日の時のことを覚えているのだろう。そんなことを思いながら案内をしていたが、彼は「東大寺の大仏様と脇侍の仏像」について冗談交じりに言った言葉を覚えていると言った。そうか、覚えていてくれているのか。もちろんその説明は初来日である彼の友人たちにもするつもりである。まずは県庁の屋上からスタートしよう。この日は前日の雨の影響でお天気が怪しかった。時々小雨が降ったりやんだりであったが、霧がかかっているものの、屋上からの眺めは霧と新緑で美しかった。彼らもそう感じてくれたようだ。そして、地震対策装置を備えた建設会社の施設へ寄るつもりであったが、あいにく休館日だった。これは多くのフランス人が興味ぶかく見学するところなので、少し残念であったが、そのまま東大寺へ向かう。大仏殿では上記の説...10年前の大仏殿で話したジョークをちゃんと覚えていた。

  • 10年前のいたずらっぽい小学生の眼は、そのままだった。

    そして、6月にやってきたのは、フェリックス。彼は10年前、両親とともに初来日、その時は小学生だった。大学生になり、友人二人を連れての再来日である。両親はトゥールーズ在住だが、彼は今大学生活を北のリール(Lille)という大学都市で送っていて、映画製作を専攻しているそうだ。両親が誰経由(誰の紹介)だったか、もはや思い出せないのだが、10年前に来た時の忘れられないエピソードは、フェリックスは8月だったこともあり、とにかくかき氷ばかり食べていたことである。ランチの時もかき氷、途中で休憩したときもかき氷だったのだ。まったく食事はせずに。フランス人の子供で食事をあまりとらないことも確かにあった。レイラもそうだった。小学生の頃はそんな感じでも成長期になると普通に食べるようになることが多いのだろう。年齢より幼く見えた彼...10年前のいたずらっぽい小学生の眼は、そのままだった。

  • カリフォルニアは多人種社会なので、その分人種差別が少ないと学ぶ

    コロナ発生以降の初来日とあって、東京ではご主人の家族のお墓参りに行き、しばらく東京で滞在し,京都に滞在している間に奈良に来られた。ご主人はもともと関東の出身で、関西に2年ほど住んでいたこともあると言っておられた。しかし、奈良へのアクセスについては、説明する必要があった。そして時間ギリギリに迎えに行ったのだが、早く着いていた彼らは違う出口から出てしまっていて、会うまでに少し時間がかかった。が、電話でうまく連絡ができて、無事会えて、徒歩10分くらいだというと大丈夫だというので、歩いてわが家へと向かった。二人とも軽装であったが、普段アメリカでは車暮らしのせいでか、特にご主人の方が少し歩くと辛そうにみえた。到着した途端、ご主人はダイニングの椅子ではなく、リビングに置いてあった物置台に座り込まれた。椅子へと促して、...カリフォルニアは多人種社会なので、その分人種差別が少ないと学ぶ

  • 横から奥さんが「なんでも食べます!」。これぞフランス人である

    4月には、以前空港で会った夫妻の友人の日仏夫妻がわが家にも来た。これは、訪問のみであった。ご主人が日本人で、奥さんがフランス人という珍しいカップル(リヨン夫妻もそうだが)だが、彼らはカリフォルニア在住というかなり異色のカップルだった。奥さんからフランス語でメールがありやり取りをして約束を決めた。もちろん「最低でも食事をわが家で」といった。来日して東京でしばらく滞在し、その後関西(京都)の宿に宿泊し、奈良にやってきたのだった。彼らは日本に住んでいたこともあり、関西は芦屋に住んでいたこともあると言っていた。かなり若いころの話だそうで、今は二人とも70代後半で、コロナ以降初来日だったが、日本のお気に入りの店など、いろいろなものが変わってしまって、と嘆かれていた。わが家に来る前、京都の宿から、電話があった。うちで...横から奥さんが「なんでも食べます!」。これぞフランス人である

  • 「土筆の袴取り」も「貴重な体験」ということになった。

    彼女のはっきりものを言う視点はとても興味深く、毎日話をするのが本当に楽しかった。彼女は黒を好んでいたが、振袖は一回きりなので、黒地を選ぶとしても地色が目立ちにくいもの、つまり柄がたくさんある方がいいとアドバイスをした。何点か試着した写真を送ってきたが、最終的に彼女が選んだ赤い地色の着物はとてもよく似合っていた。その数日前に、友人と振袖ではないが着物で歩いた写真はグレー地に幾何学模様で、無彩色に近く、かなり地味だったので彼女も気が付いていたのだろう。色が白く目がぱっちりした彼女にピッタリの振袖だった。ご両親も、フランス人の友人たちもさぞ喜んだことだろうと思う。また彼女が「土筆の袴取り」をしている写真をお父さんに送ったところ、「貴重な経験をさせてもらってありがとう」と喜んでいた。また彼女の視点からの日本の気づ...「土筆の袴取り」も「貴重な体験」ということになった。

  • そして満面の笑みで彼女はやってきた。

    そして満面の笑みで彼女はやってきた。関西空港から直接の奈良入りだったが、「空港バスで」と言っておいた。しかし、出発前日SOSが入った。「空港バスがない!!」と。びっくりして確認すると、関空―奈良がその時点では休みになっていた。こんなところにもコロナの影響が出ていた。私たちの昨年の渡仏は伊丹空港からだったので、まったく気が付かなかった。慌てて、関空から大阪市内までの空港バスに乗り、そこから列車へ乗り換えるように伝えた。そして、やってきた。乗り継ぎ便で長時間のフライトのあとだったが、満面の笑みで。もちろん彼女は日本人と同じように日本語が話せる。前にも言ったがこの家はフランス在住ながら、日本語ファーストの家なのだ。時差ボケもないように調整しているようで、まったく時差ボケもないという。彼女は高校時代の友人と会った...そして満面の笑みで彼女はやってきた。

  • 日本にいる私にフランス人が娘さんのパリの宿泊先の紹介を頼む?

    サバイバル旅行になった昨秋大変お世話になったリヨン在住の日仏カップルの娘さんが今年の3月に我が家に一週間ほど滞在した。彼女のお父さんが息子さんと来日したのは2021年の夏で、コロナの規制が厳しいころで、もちろん日本では到着後隔離必須の時だった。到着日に最悪空港で寝ることになるかもしれないとのことで、男性2人でやってきたのだった。運よく?空港泊は免れ、無事レンタカーで移動もできて、実家での一週間の隔離(だったと思う)をされてから、奈良へ来られ、その時は彼らの家(貸家にしていたのだが、コロナで空いてしまっていた)そこに滞在されていて、帰国前に一泊わが家にお父さんだけ泊まった。(息子さんは先に帰国)今年は隔離もなくなり、ブリジットさんと娘さんの2人で来る予定だったのだが、ブリジットさんの外科的手術があり、娘さん...日本にいる私にフランス人が娘さんのパリの宿泊先の紹介を頼む?

  • 入国緩和が進み、しかも円安の追い風で、友人たちの来日計画がドカッとやってきた。

    サバイバルともいえる2022年の秋の旅行を書き終え、今年2023年は、入国緩和が進み、外国人の来日ラッシュが続いているが、私の友人のフランス人ももちろん計画を知らせてきているし、今日の時点で、すでに3月、4月に我が家を訪問している友人たちがいる。また6月以降の来宅も続いている。先は来年の2月まである。6月には、今すでに来日して北海道に滞在中で、6月の20日以降関西滞在予定の絵描きとその恋人。残念ながらお母さんのイザベルは北海道のみで帰国するそうだ。7月にかけては、まだ子供だった時両親と奈良にやってきた男の子が大学生になって連絡をしてきてくれたので、再会を楽しみにしている。もう一組、ブルターニュに住むマルゴ夫妻の親戚も来日予定でどこかいい宿を知らないかと連絡があったので、奈良ではぜひうちにと、返事をした。昨...入国緩和が進み、しかも円安の追い風で、友人たちの来日計画がドカッとやってきた。

  • 奥さんのご機嫌がよければ幸せというフランス人男性の例外事件!

    2022年の秋の旅で、書き忘れていたことがある。それは、サンジェルマンアンレーのパトリックが、コロナの最初のロックダウン時に建てたという「お茶室」(と彼が称する)でのことだ。彼はこのお茶室を私たちに見てもらいたいと、出来上がった時から写真をメールで送ってきてきていて、「ここでお茶をしてほしい」と、私達の訪問を楽しみにしてくれていた。だからサンジェルマンアンレーに行くことは、計画を立てる上で不可欠なことだった。最初は日帰りのつもりだったが、彼はぜひ一泊をと言ってくれたことで、このお茶室で簡単なお手前を披露することができた。実際、この日は私の体調は正直良くなくて、庭にあるので少し寒いこともあり、その「茶室」でお茶をするかどうか迷うところではあった。しかし、一生懸命手料理尽くしでもてなしてくれた彼へのお礼を考え...奥さんのご機嫌がよければ幸せというフランス人男性の例外事件!

  • もう夢はまたフランスを駆け巡る。

    私は帰国後すぐに航空券をチェックしたほど、こんなサバイバル体験をしてもフランス愛は変わらない。次行けるのは何時だろう。また次はどんな滞在をすればいいのだろうか。そんなことを改めて考える。今回は、何とか切り抜けられたが、反省点もある。友だちに会う旅、友人宅をはしごする旅、を少し見直す必要があるのかもしれない。例えば、今回、ホテル泊であれば、また少なくともパリに南仏から戻ってからだけでもホテルかアパートを借りていれば、罹患しなかっただろう。会う友人をもっと限定することも考えたほうがいいのかもしれない。今回、滞在は12家族、訪問した家を含めると20家族くらいあった。それがスーツケースの数を増やし、重く、移動が困難になる大きな原因だ。今回は荷物の移動でも頭を悩まし、幾人かの友人に大変な思いをさせることにもなった。...もう夢はまたフランスを駆け巡る。

  • 雨の日にも訪ねてきてくれる友人たち

    今回の旅の振り返り約3年ぶりの念願の渡仏だったが、行く前も数回のキャンセルでやっとの思いで旅程を整えた。この旅の3分の2までは、順調すぎるくらい順調で、お天気にも恵まれ、気温も秋のフランスとは思えないくらい暖かい毎日だった。南仏でのアクシデントと言えば、ストライキでニームで数時間待ちぼうけくらいである。それも立ち直るのに時間はかからなかった。南仏の友、クリスチーヌと再びパリに戻った後も数日間は楽しい時間を過ごせていた。それ以降、気温が急に下がるにつれ、心身の疲労がピークに。体調を崩し、まさかのPCR検査で陽性になり、自主隔離。帰国便のキャンセル。この1週間くらいは、今までのフランス滞在、いや人生においてもそう経験することがないほど、精神的なダメージが大きかったと言える。それでも調べたり、連絡したりと、しな...雨の日にも訪ねてきてくれる友人たち

  • ジャーキーの助言に命をかけたPCRの結果、帰国できるのか!?

    いよいよ今日、帰国できるかどうか。すべてはPCRの結果次第だ。前回のPCRの結果は日付が変わってすぐに届いていたが、今回は寝る前も朝起きたときも、届いていなかった。少し気になるものの、支度をして朝ごはんを食べ終わったころ、届いた。結果は晴れて陰性、ということで、帰国できる!!心配をかけた友人たちに知らせ、今夕の飛行機で羽田に向かうことも付け加えた。PCR検査のタイミングは前述のように、日曜日の夕方のフライトで出発するためには、金曜が祝日だったので、昨日(土曜日)の午後しかなかったのだが、昨日のラボの貼り紙によると、明日(月曜)から、ラボのストライキに突入するとのことだった。つまり、土曜日の午後の検査を受けて、日曜日の便で帰るための唯一かつベストのタイミングだったのだ。万一月曜以降に予約を入れることを考えて...ジャーキーの助言に命をかけたPCRの結果、帰国できるのか!?

  • 二度目のPCR検査、孫のノアとの再会、そしてケ・ブランリー美術館

    ジャッキー夫妻宅で4日目の朝、今日もマルシェへジャッキーと行く。ニコルは足を引きずり、辛そうだが、歩けるので、昼食の支度をしてくれるそうだ。そしてジャッキーが、二回目のPCR検査に同行してくれた。一度目より少し痛い気がしたが、あっという間に終わった。「明日帰国なので、明日の朝には結果が出ますね?」と確認したら、「たぶんね」と言った。今日のランチには、孫のノアがやってくる。ノアと夫妻が来日したのは、2018年の秋で、奈良を案内し夕食に招待した。その時はまだ子供だった。この夫妻はノアの姉も彼女の希望のアメリカへ連れていき、ノアの希望は日本だったので、日本に連れてきたのだ。その半年後に夫妻宅でお世話になった時も、お父さんとともにやってきたが、まだまだかわいい少年だった。おばあちゃんは、孫のために腕を振るいたいと...二度目のPCR検査、孫のノアとの再会、そしてケ・ブランリー美術館

  • お客様を出迎えに降りたニコルが「キャー!!!!」

    ジャッキー宅での3日目は、夫妻の知人の孫娘でパリの専門学校で日本語を学び始めたお嬢さんがランチに来ることになっていた。本来の帰国予定日の前日に招待する予定だったのが、この事態で延期になっていたのだった。朝からジャッキーとともにマルシェに買い物に行った。クリシーに住んで数十年の彼らはマルシェの人とも旧知の中で、野菜はこの店、果物はこの店、と決めているようだった。そのせいか、私達にもいろいろ試食させてくれたが、果物は甘くておいしかった。屋根付きのマルシェの中でも同様で、決まったお店でチーズ、お肉、魚を買っているようだ。そして帰り道のパン屋、これも行きつけでかなり美味しいお店であった。2019年に泊めてもらった時は、「近くにパン屋がないのが残念」と思っていたのだが、いやいや、知らなかっただけで近くに美味しくてサ...お客様を出迎えに降りたニコルが「キャー!!!!」

  • 元気になってきたので、思い切って2回目のPCR検査に賭けることに!!!

    優しく迎えられたことで、心も温かくなった私たちは、小児科医のアドバイスにより、2回目のPCR検査にかけてみようと決めた。それは水曜日(昨日)の夜だった。PCR検査が可能な日はいつか。帰国便の予約は何日にするか。この時点で可能な最短のフライトは、日曜日の夜便である。そこからPCR検査をさかのぼると、木曜日は72時間以内にはならない。金曜日は祝日にあたっており、ラボは休みである。PCR検査を受けるのは、土曜日の午前中しかなく、結果を日曜日の朝にもらえれば、夕方の帰国便に間に合う。イチかバチか、本当に賭けだった。帰国便の予約をリヨンの日仏夫妻に頼むことにした。慎重になった方がいいのは百も承知で、日本人のご主人は何度も「大丈夫か」と念を押した。私達の固い気持ちを伝えると、予約を承諾してくれた。次はPCR検査の予約...元気になってきたので、思い切って2回目のPCR検査に賭けることに!!!

  • 救いの神様ニコルとジャッキーに迎えられた。

    小児科医の家の呼び鈴を鳴らすと、下りて来てくれたのは、診察中のジャッキーに代わり、奥さんのニコルだった。大きなスーツケースを見て、「それはジャッキーに(上にあげてもらおう)ね」と言ったが、一番大きいのは上まで上げる必要もないと伝えた。以前は、サロンから廊下を歩き、トイレや洗面所のある方の部屋(二部屋)を使わせてもらった。孫の面倒を見るときに便利なのでと、最近は彼らがその二部屋を使っているようで、今回はサロンの奥にあるリビングの方にある(やはりこれもメゾネットなのか)、階段を上がったところ(3階)の部屋に案内された。トイレは2階の共同なので下に降りる必要があるが、小さな部屋ながらバスタブや洗面台もあるし、シャワーや洗面には便利だ。ここで、とりあえず4泊はさせてもらえそうだ。本当にありがたいことだ。食堂の下に...救いの神様ニコルとジャッキーに迎えられた。

  • キッチン付きのホテルのフロントの呼んだタクシーの顛末。

    さて、今日はこのホテルでの自主的?隔離生活を終え、パリ環状道路のわずか外のクリシーに移動する日だ。いつものように向かいのパン屋にパンを買いに行き、荷物をまとめた。この日は水曜日で、小児科医は診察日で迎えに行けないということで、タクシーの手配をフロントに頼んだ。これが、大変だった。まず時間通りには来られないとフロントがいってきた。そして、しばらくしたのち、ホテル前までは来られないので、この場所で待っているようにというメモを持ってきた。言われた通りの場所で待つこと15分、来ない!!!!フロントに私だけ戻り、「来ない」というと、フロントの女性もその場所まで出てきてくれたが、最終的に「大通りまで出て、別のタクシーを拾って」というではないか。「流しのタクシーが拾えるのか」と聞いたら、「拾える」という。このたくさんの...キッチン付きのホテルのフロントの呼んだタクシーの顛末。

  • 二回目の抗原テストで陰性に!!

    3日目は、朝パンを買いに行った。目の前にあるパン屋はかなり美味しいパン屋でデザートもほしくなるくらいだ。目の前の広場は夜中によからぬ若者が集まったりするようで、警察官が長いこと尋問をしているのが窓からうかがえた。一息ついたころ、ジャンルイさんがまた自転車でやってきた。ジャンルイさんは寒くても自転車だ。このホテルはロビーでコーヒーやココアなども無料のサービスがあり、来客者も同じように飲むことができた。そしてジャンルイさんは私たちの様子を見て安心して帰っていった。午後は、すぐ近くのイザベル宅へスーツケースを引き取りに行った。彼女もこの状況でも、とても温かく迎えてくれた一人であった。もちろん彼女にもコロナをうつしている可能性があるので気になっていたが、大丈夫だったのでほっとした。あとはアンジェルにも確認したが、...二回目の抗原テストで陰性に!!

  • エリックもパトリックも家に来ていいよと言ってくれた。

    キッチン付きのホテルでの、1日目は移動と今後の可能性について調べたり友人と連絡を取ることと夕食の買い出しで終わった。翌2日目は、大使館に月曜日に確認のため、電話をしたところ、フランスの日本大使館は月曜日の朝に時間通りにかけても、「就業時間外」というアナウンスが流れ、大使館もフランス流なのだと驚いた。大使館には帰国便のチケットのコピーをメールで送らなければならない。しかし、水曜、金曜、日曜しかANA便はない。今日が月曜日。メールを送って領事レターを受け取るのにどのくらいの日数がかかるのか、見当がつかない。送ったらすぐに見てくれるのだろうか。電話をかけても営業時間通りに電話に出ないことからして、数日かかることも考慮に入れておく必要があった。水曜・金曜はまず無理だろう。日曜日の便とて、確実ではない。するとやはり...エリックもパトリックも家に来ていいよと言ってくれた。

  • 1回目のPCR検査後あれこれあったが、天の救いが現れた。

    PCR検査で陽性がわかったその翌日、私たちはホテルのチェックアウトをする。マリーアンジュには、彼女がネットで今のホテル2泊分を彼女の支払いで予約を入れているので(部屋は私の名前)、お金は現金で彼女にすでに支払い済みだったが、フロントに領収書を書いてもらえるよう交渉してほしいと頼み、うまくいった。チェックアウトも済み、バスに乗って、パリの中心部にあるホテルへと移動した。しょぼいホテルは2泊で切り上げ、自分で見つけたホテルに移動した。あー、本来なら帰国の予定だったのに、などと思う気持ちには、まったくならなかった。が、屋根裏部屋のような部屋から小さいながらキッチンもある少し広い部屋になり、落ち着いた。しかもスーツケースを置かせてもらっているイザベル宅とは目と鼻の先だった。本来なら昨日スーツケースを取りに行き、小...1回目のPCR検査後あれこれあったが、天の救いが現れた。

  • PCR検査も陽性!!!

    今日はPCR検査の結果がわかる日。お昼ごろかと思いきや、日付が変わった時点で、メールが送られてきていた。朝起きてすぐ、ドキドキしながら、開いた。「Positive!」え?何度見ても、ポジティブ、つまり陽性だった。愕然としている暇はない。すぐにブリジットに連絡を入れた。ブリジットとは何度かやりとりをして、どうにかご主人が見つけ出してくれた日本のANAの番号(ナビダイヤルでないもの)。彼によると、2台のパソコンを並べて調べて、やっと見つかった番号だったそうで、スマホの画面では至難の業だろうということだった。日本との時差があるので、0時を回ったところから電話してもらい、つながったところで、いろいろ質問してもらっていた。万一予定の便に陽性で乗れなかった場合、変更が可能だと言うことだった。そしてありがたいことにこの...PCR検査も陽性!!!

  • 非常時に備えたこと

    万一明日の結果が陽性だったことに備え、あちこちに連絡した。ANAへ帰国便の変更の可否を尋ねようとしても、日本の電話番号はナビダイヤルしか見つからない。さらにパリ支店は、この時閉鎖されていたのか、連絡先にかけてもつながらなかった。さあ、どうする?この時、頭に浮かんだのはヴィルジニ。彼女は、渡仏前のTGV予約でシステムエラーによる二重請求にも交渉してくれた。そして連絡を入れた。彼女はこの日の朝、お母さんと永遠のお別れをし、見送ったばかりだったらしい。そんな大変な時にもかかわらず「友達だから」と電話番号を探してくれた。他にも何人かの友人に連絡をした。マルチーヌは私が訪問した前日陽性の友人とランチをしているので、まず確認をした。彼女は何ともなかく、とりあえずほっとした。クリスチーヌから連絡があったので、今の状態を...非常時に備えたこと

  • PCR検査に行き、移動したホテルはなんだかみじめな感じ・・・・

    さて、次の日、今日はPCRテストの日である。一駅離れた駅のそばにあるラボで受けるのだが、ほぼ直線で2kmくらいなので、歩いていくことにした。今日も寒く少し雨混じりである。ドキドキしながら受付を済ませ、順番を待っているとほどなくして名前を呼ばれた。女性の先生だった。明後日のフライトで帰国のため、明日中に結果が知りたい旨も伝えた。「たぶん(間に合う)ね」といういかにもフランス的な答えだった。時間の予約をしたとき何も考えていなかったのだが、ギリギリ午前中にしておいたため、翌日に結果がわかることになった。もしこれが午後の検査だったら、翌日の午後、つまりラボは翌日午後は休業で、結果はスマホで見ることができても、陰性証明をもらうことはできなかった。まだ、運に見放されていないと思えた。ラボから戻ってきて、まず荷物をかた...PCR検査に行き、移動したホテルはなんだかみじめな感じ・・・・

  • 留守宅に夜訪ねてきた隣人の真意はいかに?

    抗原テストで陽性になった翌日は、ほぼ一日中、留守宅を出ることなく過ごしていたので、この日はもちろん写真もなしという珍しい日になった。ただフランソワーズからはPCR検査を予約の確認などの電話があったり、リヨンの日仏夫妻から「いつ帰国するんだっけ?」と連絡が来たので、予定通り帰国できない可能性があることを伝えなければならず、メールのやり取りをしていた。この日、夕方隣人がベルを押した。出てみると、マリーアンジュに頼まれて買った魚を冷蔵庫の中に入れておいてほしいと言うことだった。何となく不思議なできごとで、よく考えると、電話で体調を伝えていたが、信用できないと思った?フランソワーズあたりが、私たちの様子を見に行くように隣人に頼んだようにも思えないこともない。マスクをつけて現れた隣人は、距離を取るようにそっと魚を渡...留守宅に夜訪ねてきた隣人の真意はいかに?

  • 抗原検査が陽性!?

    今日、明日は特に予定がなかった。(帰国前に無理をしないようにと元々予定を入れていなかった)朝ごはんに、アンジェルにお土産としていただいたトリュフ入りのリゾット↓しかし、まず、午前中に図書館宅へ行き、荷物を引き取らなければならなかった。延長して置かせてもらえればいいのだが、だめだった場合は?今借りている留守宅はエレベーターなしの6階なので、さてどうしたものか。昨日ランチに行った絵描きのママのイザベルに聞いてみることにした。すると彼女は、荷物を預かることを快諾してくれた。図書館夫妻のところへ行き、一応スーツケースだけでもあと2日間置かせてもらえないか聞いてみたが、もう明日にはシノンへ出発すると言うので、無理だった。奥さんはご主人に「車で送ってあげたらどうか」と言ってくれていたが、ここパリでも駐車が最近難しくな...抗原検査が陽性!?

  • 絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワ達とランチした。

    今日は、ブリジットさんにお土産でもらったリヨンのパン(プラリネルージュという赤いプラリネ入りのブリオッシュ)を朝ごはんに食べる。そして、フランスではお墓参りの日で、留守宅の近くのペールラシェーズには、たくさんの有名人も多く眠っており、多くの人が花を手向けにやってくるらしい。ブリジットさんが、「きれいな花に囲まれたお墓は一見の価値アリ」と勧めてくれていたので、行きたかった。が、この時、私は蕁麻疹と頭痛は収まっていたが、無理が続いていたことで、まだ体調があまりよくなく、家で休むことにした。連れ合いは散歩がてらペールラシェーズへ出かけて行った。この日も絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワたちとのランチの予定が待っていた。完全に私の確認ミスで、待ち合わせの時間を30分間違えており、しかもまたバスで行こうと...絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワ達とランチした。

  • 図書館夫妻ダウン、そしてアンジェルと夕食

    そして、図書館夫妻の家に荷物を少し入れ換えに戻った。が、私達の心はすでにマリーアンジュの留守宅を借り続けようと決まっていた。そこで目にしたのが、図書館夫妻のマスク姿だった。ムッシュはこの日の前日熱があり、1日中臥せっていたという。奥さんの咳もよくなっていない。それでもコロナではないと言うのだ。マリーアンジュの留守宅を借りているので、明日も留守宅で泊まれる(本来は図書館宅で一泊する予定だった)ことを話すと、「そうしてもらえるのであれば、ありがたい」と二人は言った。そして、私たちは、またマリーアンジュの留守宅へ戻った。今度は痒みがお腹に来ていたので、また蕁麻疹の薬を飲んだ。これも2019年の時は一回飲んですぐに効き、その後はなんともなかったのに今回は違った。そして今夜の約束、アンジェルとの夕食の店へ向かった。...図書館夫妻ダウン、そしてアンジェルと夕食

  • コロナのロックダウン中に建てたと言う「茶室と称する小屋」

    目が覚めるとなんと10時だった!!今から考えると相当疲れていたのだと思う。途中また痒みで目が覚め、蕁麻疹の薬を飲んだせいもあるだろう。今度は痒みが広がり、足に来ていたので、2019年のクリスマスの時の蕁麻疹を思い出し、早めに薬を飲むことにしたのだ。持ってきた薬がここにきてフル回転だ。パトリックは朝から用を済ませ、一緒に骨董市に行こうと言ってくれていたのに、骨董市にはもういけなかった。遅い朝食を取った後、散歩に出かけることになった。ルイ14世が「避暑地」に使っていたというところだそうで、広大な公園になっていた。(マルリー庭園)革命のせいかもう建物はなく、大きな池が残っていた。このあたりに第一夫人以下のずっと奥さん方の建物が並んでいたのだよというような説明を受け、その権力大きさ改めてびっくりした。この日もまだ...コロナのロックダウン中に建てたと言う「茶室と称する小屋」

  • 留守宅で一夜を過ごし、目覚めると、体調不良?。

    マリーアンジュの留守宅での一夜。しかし、ここで問題だったのが、布団である。もともと使わせてもらう予定はなかったので、マリーアンジュたちも来客の用意は当然ながらしなかった。よって、布団もどこにあるかわからなかった。聞けば教えてくれたであろうが、疲れていたし、この日まで暖かかったこともあり、子供用の薄い布団1枚で寝たのだが、明け方からの急な冷え込みがあり、寒さで眠れず、もちろん暖房もわからず、睡眠不足で床から出ることになった。案の定、のどの調子もおかしい。早めにと、葛根湯を飲んだ。そして、外の寒さにおじけづき、持っているもので朝をしのごうとしたが、やっぱり以前行った事があるパン屋まで行くことにした。今日はサンジェルマンアンレー夫妻のところへ行き、一泊する。体調はあまりよくなかったが、2019年の春も、シャンパ...留守宅で一夜を過ごし、目覚めると、体調不良?。

  • えっ!?陽性の人とランチ?マルチーヌからの知らせ・・

    図書館宅で2泊した朝、今日はマルチーヌ宅へ行く日だ。が、その時、マルチーヌから連絡が入った。「実は、昨日友人数人とランチをした。その中の一人がコロナで陽性だと後でわかった。私は非常に怒っている。すでにランチの前に検査を受けていて陽性の可能性があったのに、結果を知る前にランチに来るなんて。」と。また「私はあなたたちと会いたい、でもあなたたちにどういえばいいのか、」と。私達は考えた。マルチーヌは勇気がある、黙っていることも可能だったのに、正直に言ってくれたことにまず感謝した。そこで考えた末にこのような決断をし、返事を入れた。マルチーヌに風邪のような症状がないなら、会いに行こう。窓は開けてもらい、マスクをして会えばいい。しかし、泊まることは遠慮したい。と。それから、マリーアンジュの留守宅を借りたいと申し入れた。...えっ!?陽性の人とランチ?マルチーヌからの知らせ・・

  • 少しがっかりのサマリテーヌ、BHVのレストランのバルコンで高所恐怖症と戦った。

    ランチの後、懐かしいサマリテーヌへと向かった。2003年に初個人旅行で来た時、セーヌ川に沿って歩いていてふらっと入って、またそれも偶然に屋上に上りたくなり、上がったところ絶景が広がったのだ。帰国後、パリに詳しい知人が、「サマリテーヌからの眺めがいい」と言ったので、偶然とはいえ、われながらいい思い付きだったと、嬉しくなったのだ。そこで今回もその眺めをと思っていたのだが、残念ながら途中からはホテルになっていて、ホテル専用らしく、上がることはできず、とても残念だった。デパート?のようないくつかの階は高級品ばかり売っていて、ただ内装などを見るだけで、サマリテーヌを後にした。少し期待外れのサマリテーヌのあとは、やはり眺望をと思い向かったのは、BHV。(スーパーとデパートの間くらいの店)ここは何度も来た事があるが、目...少しがっかりのサマリテーヌ、BHVのレストランのバルコンで高所恐怖症と戦った。

  • おにぎり1個600円、誰が買うの!?

    一夜明けて、今日も暖かく20度くらいパリでもあるようで、かなり例外的な気候だった。奥さんはおすすめのランチの場所や、おすすめコースとして、改装された「サマリテーヌ」に行くといいなど、色々教えてくれた。まず、朝から息子に頼まれたお土産を買っておこうとサッカーのオフィシャルショップへと向かった。メトロで一本で場所もすぐに見つかり、順調なスタートだった。そこからバスでサマリテーヌへ向かおうと思ったところから、予定が狂い始めた。バス停のある場所へと歩き出し、初めての通りを歩き、なかなかいいなと思いながら歩いていたが、どうやら間違って歩いていたようで、バス停の方向から離れてしまったようだ。そこで方向を変えたのだが、バスは行ってしまった後だったこともあり、次のバス停を探し歩き続け、かなり時間もロスになり足も疲れてきた...おにぎり1個600円、誰が買うの!?

  • この咳、大丈夫!?図書館マダムがたびたび咳。

    パリに着き、ガールドリヨンから路線バスで、図書館マダム夫妻のすぐ近くのバス停に到着した。ベルを押すと、ご主人のドゥニが階下まで迎えに来てくれ、大きなスーツケースをまずガレージに置かせてもらい、中くらいのスーツケースと入れ換え、エレベーターなしの4階まで手荷物を持ってあがっていった。南仏に行く前に一度荷物を置きに来させてもらって以来なので、今日と明日ここで2泊し、数日後また戻って1泊させてもらうことになる部屋に案内してもらい、荷物を置いて、少しお茶を飲みながら南仏での旅の話をした。ここには数年前にも夕食に招待され、来た事があるが、泊まるのは初めてである。2019年の春は彼らのシノンの別荘で3泊させてもらっているので、安心していた。しかし、ここでまさかの状況を知ることになる。奥さんのジュヌビエーブがお孫さんの...この咳、大丈夫!?図書館マダムがたびたび咳。

  • クリスチーヌのお母さんに会えなかったのは残念!!

    アヴィニョンからTGVに滑り込んで、二時間余りでパリへと向かう。列車の中は、パリに住むお母さんの誕生日に向かうクリスチーヌと一緒だ。彼女は私達の滞在のためにパリに向かう日もすべて調整してくれ、お母さんの誕生日にぎりぎり間に合うような日程だった。本当にクリスチーヌは、今回深い友情を再確認した一人である。お昼は彼女と同じようにTGVの中でランチを買って取ることにした。旅は道連れとはよく言ったもので、楽しい時間はあっという間に過ぎ、パリに到着した。クリスチーヌは私達が乗るバス停まで同行してくれ、バスの到着を待っていてくれた。ここでクリスチーヌと別れ、今日からお世話になる図書館マダム夫妻の家へと向かった。二週間ぶりのパリも好天で南仏と変わらぬ暖かさだった。ここまでニームでストライキに遭った以外は順調で、お天気にも...クリスチーヌのお母さんに会えなかったのは残念!!

  • まるで映画の一シーン!?

    ほぼ時間通りにTGVアヴィニョン駅に着いた。2003年に12日間のホームステイを終え、この駅に立った時は、「もう2度と来ることはないかもしれない」と思っていたのだが、2年後に再訪、それから何度この駅に立ったことだろう。スターバックスでマルセイユから来ると言うグラブゾンのムッシュと待ち合わせしていた。30分くらいは待っていたのだが、彼は来なかった。何かあったのか・・・2つの改札口があるので、どちらも確認したが、姿は見えなかった。とても残念であるが、時間だ。仕方がない。ギリギリまで待っていたが、クリスチーヌの「もう時間よ。行こう」と言う声に後ろ髪をひかれながら、改札を抜けた。それでもやっぱり諦めきれない私は、ホームに向かう通路(階上になる)から下をずっと見ながら、もしやとの気持ちを持って歩いていた。クリスチー...まるで映画の一シーン!?

  • かつてのホームステイ先のアパートの表札にマダムの名前はもうなかった。

    アヴィニョンからパリに向かう日の朝、つまりニースから始まった南仏2週間の滞在を終え、パリに戻るのである。お昼過ぎのTGVなので、朝からアヴィニョンの散策をする。今回はジルと少し歩いただけだったので、少し時間が足りないくらいだが、仕方がない。かつて1人で初めて12日間滞在した町、ホームステイ先の前まで行ってみた。表札の名前がなかった。2003年に74歳だったマダムは元気であれば93歳だ。同じアパートの娘さんの名前は確認できた。時間がないので、いろいろな思いを胸に、このマダムの家から駅まで当時よく歩いた道をなぞり、メイン通りへと歩き始めた。クリスチーヌがチーズを買っている店↓そして、重いスーツケースに入れられるものはもうほとんどないので、お土産を見ても買うことはなく、本当に歩くだけだった。帰り道は同じ道を通ら...かつてのホームステイ先のアパートの表札にマダムの名前はもうなかった。

  • 17年ぶりに会った90代のシャンブルドットのお母さんとの再会。

    最後に向かったのは、ずっと再訪したかったグラブゾンのムッシュ。偶然(運命的な?)メールが渡仏前にあり、実は近く南仏に行くと連絡しても返事はなかったが、きっと信じられなかったのだろうと思う。シャンブルドットのムッシュなので、「行く」と言ったら「泊まる」ということなのかもしれない。初シャンブルドット滞在であれだけ世話になったのに、ただ「行く、会いたい」だけなんて彼にしてみたら、理解できないのは無理もない。私はその後たくさんのフランス人友人ができて、今では宿の必要性がほとんどない状態になっているからだ。そのグラブゾンの宿とのつながりがあるアンリに頼んでみても、スルーされ、今回は無理なのかと諦めかかっていたが、クリスチーヌが願いをかなえてくれたのだ。シャンブルドットの前に着いた時は、本当にうれしかった。そして、ベ...17年ぶりに会った90代のシャンブルドットのお母さんとの再会。

  • やはりまだ観光地化されていない小さな村がいい。

    クリスチーヌ宅で一泊した翌日は、また小さな村めぐり。まずキュキュロンという村を写真で見て行きたいと言ったら、クリスチーヌが子供のころ住んでいた村だということで連れて行ってもらった。しかしかなり小さな村で写真とはちょっと違っていて、期待が大きすぎたせいか、少しがっかりしてしまった。アンリ夫妻は「なんでそんなところに行きたいと言っているの?」と言っていたとか。ランチはこの小さな村で食べるのがいいだろうと言うことで、ここでランチをしたがこの店はあまりいいとはお世辞にも言えなかった。時間が遅かったこともあり、できるのはこれだけみたいなことを言われ、デザートも頼んだところ、まったく予想外の味だった。クリスチーヌはだから私はコーヒーだけにしたのよ、と言っていた。お腹が膨れた後向かったのは、ルールマランだった。ここはア...やはりまだ観光地化されていない小さな村がいい。

  • 旧友たち集合!?の夕食

    クリスチーヌの家に行き、荷物を下ろした。ここは初めての訪問。広いアパルトマンなので、「鍵を渡すから、好きなだけ泊まって」とずっと言ってくれていた。エレベーターなしの3階である。よくここまで一人でいくつものスーツケースを運んでくれたなあと、いまさらながらありがたく感じる。アンリもここの荷物を移動してくれ、今夜その荷物を持ってきてくれることになっている。アペリティフをいただくため、まずはヴェロニックの家へと向かう。歩けないことはないらしいが、夜なので、車で向かった。ヴェロニックと最初に会ったのは、20007年だったと思う。アンリ夫妻の友人として、彼らの友人が集まっていたのだ。そこにはクリスチャンもいた。そして、2回目はクリスチーヌと来日して、我が家に泊まった時だった。彼女はボルドー出身で、物理か数学の教師だが...旧友たち集合!?の夕食

  • 大好きな田舎の小さな村(サブレ村とセギュレ村)。

    アヴィニョンの駅のホームに迎えに来てくれたクリスチーヌは、今回すべて私の希望を聞き入れてくれた。まず彼女がボラボラ島に赴任する前に住んでいたサブレ村へ向かう。こういう小さな村はバスの本数も少なく、車なしで行くのは容易ではないので、本当にありがたいことだ。このあたりはワインで有名とあり、葡萄畑が一面に広がっている。その中の小さな村だった。石畳みを歩き、田舎の空気を満喫する。アヴィニョンに戻ってからもクリスチーヌはコロナ禍の時期にはここの学校に通っていたらしい。近くの山にハイキングもしていたとか。そして次に向かったセギュレ村はサブレより少し大きく観光客もチラホラ見かけた。今回一番気に入った村と言えるかもしれない。カフェの中の小さな窓のそばでお茶をいただいたが、窓の下に見える景色もまた素晴らしいものだった。そし...大好きな田舎の小さな村(サブレ村とセギュレ村)。

  • なんと2等車の切符で1等車に乗っていた!?

    今日はアルルからアヴィニョンに向かう日である。最後の朝食もやはり、いつものパン屋さんで。近くのスーパーの店員さんは、すっかり顔なじみになり、「日本人」だとわかると、色々話しかけてくれる。こういう触れ合いもまた楽しい。そして少し散歩をして、早めのお昼を、クリスチャンにお礼も込めて、ふるまう?ことにした。と言っても、日本人のマルシェで買った蕪やなすびなどで昨夜のうちに簡単に作っただけである。メインは日本から持参のお蕎麦と鰊で、にしんそばとざるそば。クリスチャンとドリスは日本人のパティシエのお店のケーキを持ってきてくれた。時間が押していたので、ドリスの運転でアルル駅まで送ってもらった。ここで、再会を約束してお別れだ。彼らは明日からバカンスに旅立つ。ギリギリまで本当によくしてくれた。クリスチャンのおかげで疑似アパ...なんと2等車の切符で1等車に乗っていた!?

  • アルルの和菓子喫茶の奥さんは、とても感じのいい日本人

    アルルで4泊して、明日はアヴィニョンに戻るので、今日が実質アルルの最終日。ちょうどアルルで今回の旅の折り返し、つまり前半が終わり、後半に突入したところである。朝は、クリスチャンの近くのおすすめのパン屋で買ってみた。毎日買いたいくらい美味しそうであったが、定休日やらなにやらで、結局一回きり。(リヨン夫妻のサンドイッチ以外では)午後からお茶の予定があるので、午前中はまた散策。アルルでランチと言えば、過去2度行った事がある小さなレストランがある。スープドポワソンが一番好きな料理であるのは、この店のおかげである。しかし、残念ながら、今日は定休日のようだ。仕方がない。アルルは小さな町なので、同じ通りをくるくる歩いているような感じである。ニームで帰りの切符を予約してなくて、ストライキにあたり、大変な目に遭ったこともあ...アルルの和菓子喫茶の奥さんは、とても感じのいい日本人

  • ユダヤ教に改宗し移住を考える鍼灸師。

    リヨンの夫妻が夕刻、リヨンへ帰っていくのを見送って、いよいよアルルのアパルトマン生活が始まった。お昼はしっかりステーキを食べていたので、夜はほとんど食事らしい食事をせず、果物とお茶くらいで済ませておいた。翌日、リヨンの夫妻が来ることが決まっていなかった時に、クリスチャンの紹介で来日したアルルに住むジョエルと会う約束をしていた。軽く会うはずであったが、ジョエルはランチにクリスチャンとドリスとともに招待してくれたので、迎えに来てもらう時間まで、散策に出かけることにした。まず駅の近くのモノプリまで行き、そこから古代劇場や、円形闘技場などを通りながらゆっくり戻ってきた。フランス人による「居酒屋」もあった。ゴッホのカフェのあるフォーラム広場や、クリスチャンが教えてくれた日仏夫妻による和カフェの前も通った。あっという...ユダヤ教に改宗し移住を考える鍼灸師。

  • スリリングな場面に遭遇!!突然、一人の男を二人の警官が・・

    川向こうへ行くため、橋を渡り階段を降りようとしたその時、ものすごい勢いで、私たちの横を走り抜ける男がいた。するとそのあとをまた別の男が追いかけていた。三人目は拳銃を持った男、つまり警官だった。まるで、映画の1シーンのようだった。まだその時は何が起こったのかわからなかったが、階段を降り切ったところに、オートバイが倒れていて、パトカーが停まっていた。そう言えば、アンリ夫妻にアルルに送ってもらい、夕食を済ませてアパートに戻るとき、私がアニエスに「アルルは夜歩くと危険なところがある?」と聞いたら、「アパ―トの近くは大丈夫だけれど、車を停めた橋の向こうは少し危険だと思うから夜は行かないで」と言われたことを思い出した。「そういうことがわかるの?」と聞いたら、「だいたいわかる」と言っていたので、フランス人は危険なところ...スリリングな場面に遭遇!!突然、一人の男を二人の警官が・・

  • 補足・・・毎日同じ服を着ていても、誰も何も言わない。

    アルルのマルシェで会った日本人二人の日本人がマルシェで自分が作った野菜を売っていて、びっくりした。1人目は若い男性で、九条ネギまで栽培して売っていたのだ。アルル在住ではなく、マルシェのために来ていた。その人がお世話になったと言うもう少し年長の男性にも会えた。彼は確か奈良にも縁があったらしく、私たちが奈良から来たと言うと驚いていた。たくさんの国に滞在したと言う彼に「なぜフランスに住んでいるのか」と聞いたら、「毎日同じ服を着ていても、誰一人、奇異な目で見ることもなく、尋ねられることもない、そういうフランスが楽(好きというよりは、楽というようなニュアンスだったと思う)」と言った。それには大いに同調できる。他人の目を気にしている人の多い日本。なんとか警察というのまで現れる始末である。フランスはそれに反し、個性を認...補足・・・毎日同じ服を着ていても、誰も何も言わない。

  • リヨン夫妻のペースはフランス式ですべてがゆっくりである。

    リヨンの夫妻と迎えた朝は、支度をしてまずマルシェへと向かう。朝食は昨夜決めた通り、マルシェの近くのカフェでとることになっている。それがフランス式とブリジットが言うので楽しみにして。このマルシェは長いことで有名だ。まず向かって右のほうへと歩いていく。どうもフランスのものというより日用品も含め、北アフリカあたりのものがたくさん並んでいるような感じであった。端まで歩いたのち、出発したあたりまで戻り、そこから向かって左の方のマルシェへと歩き出した。衣料品を通り抜けて、やっと食料が並んでいるところへ来た。マルセイユでブイヤベースが食べられなかったので、おいしそうなスープドポワソンを買ってみた。パンも買ってみたのだが、このパンは高級な?部類だと思うが、小麦と書いてあったにもかかわらず結構黒っぽくて、胃にずっしり来るパ...リヨン夫妻のペースはフランス式ですべてがゆっくりである。

  • アルルの博物館で日本好きの職員と話し込んでしまった。

    リヨンの夫妻がアルルに来てランチを取った後、街歩きに出かけることにした。すべてがフランスの時間の流れなので、出発したのは3時を回っていたと思う。そして、アルルの民族博物館へと向かう。アルルは小さな町なので、少し歩けば観光スポットがある。たぶん私たちだけだとあっという間に見学が終わったと思うが、すべてがゆっくりである。博物館を出るのも最後になってしまった。というのも、この博物館の職員が日本から来たのかと聞いたので、そうだと言うと、黒沢映画が好きで日本へのあこがれをずっと持っていると話し出した。こうなるとフランス人は止まらない。確かマルセイユ近郊に住んでいるようなことを言っていた。合気道をしているなどとも話していた。たぶん来日は難しいかもしれないが、一応連絡先を渡してみた。それを見ていたリヨンの夫妻、特にブリ...アルルの博物館で日本好きの職員と話し込んでしまった。

  • アルルにリヨンから日仏カップルが到着。

    アルルで一泊して目覚めた朝、まずリヨンの日仏夫妻が来る前に、軽く朝食を取ろうと思ったが、毎日ごちそう三昧で、胃を休めたくなり、温かいほうじ茶を入れて、パンも買わず済ませた。ニームのマダムが焼いてくれたクロッカン↓すぐ近くの小さなスーパーへ買い物に行ったが、帰ってきたときアパートの鍵に苦戦した。古いアパートによくあるように、簡単には開かなかった。部屋の鍵も同様で、一度は隣の女性が助けてくれた。「クリスチャンの友だちの日本人ね。彼は日本に恋しているからすぐわかったわ」と。クリスチャンの日本好きは有名なようで,そのおかげで親切に預かれてラッキーであった。リヨンの二人は6時過ぎにリヨンを出て、車で休憩しながら到着したのは10時過ぎだった。昨日アンリ夫妻もクリスチャンに駐車場について聞いていた。このアルルもアヴィニ...アルルにリヨンから日仏カップルが到着。

  • 今回の旅で私たちのアンリへの評価は相当落ちてしまった理由

    アンリ夫妻宅での滞在は、彼らの顔を立てるためと言ってもいいくらい、彼らの友人宅に行ったり招いたりで、アルルへの到着がかなり遅くなってしまった。しかしクリスチャンは仕事を休んで待ってくれたにもかかわらず、文句どころか変わらぬ笑顔で迎えてくれた。一通り今夜からの家の使い方を説明してくれた後、アンリ夫妻も一緒にクリスチャンの夕食の招待で、ラーメン店へと向かった。このラーメン店は日本の名前がついていて、サービスの女性もアジア系だったので日本人だと思い込んでいたが、まったく笑顔がなく、いい感じがしなかった。最初はよく出会うフランス人には愛想がいいが日本人には愛想がない日本人なのかと思った。でもよく考えると、日本語を一言も話さなかったし、顔は日本人のようでも違うのかもしれない。しかしこの店に来るフランス人は日本の店だ...今回の旅で私たちのアンリへの評価は相当落ちてしまった理由

  • チョコレート職人フレデリックは、MOFに認定され、店も大きく!!

    今日はアンリの家からアルルのクリスチャン宅へ移動する日だ。本来なら遅くともお昼過ぎには着きたかった。クリスチャンは最初は仕事があるから彼女のドリスが待っていると言っていたが、結局休みを取ってくれていたのだ。しかし、アニエスは、今日は「マッサージの予約がある」とのんびりしていた。朝ごはんをゆっくり食べていて、1時間時間を間違えていたことに気づき、大急ぎで出て行った。彼女が戻ってくるまでの時間に庭のもので生け花をというリクエストもあった。戻ってきた彼女とアンリは今日は朝から彼らの住むシャトールナールの町中へ今から行こうと言う。日本に何度も来たことのあるチョコレート店の友人、フレデリックの店へも行くと言うので、それは私も希望していたので、一緒に出掛けることになった。2007年に訪れたときは、まだ小さなお店だった...チョコレート職人フレデリックは、MOFに認定され、店も大きく!!

  • 大病をしたアランが、私たちをユーモアで一生懸命おもてなし。

    夜遅くに向かったところは、アヴィニョンの城壁の内側のアンリ夫妻の親友宅だった。この夫妻は2018年の春に来日した。しかし他に4人の友人と一緒で6人だったこともあり、奈良を案内することになっていたが、東大寺の出口を出たところでの待ち合わせだった。うまく会えるか心配だった。何しろ時間通りに見学を終えて出てくるのかわからないからだ。案の定、待ち合わせの時間には出てこなくて、かなり待つことになった。が、私たちも慣れたもの?で待っている間に出てきて同じように腰を掛けて休んでいるフランス人に話しかけてみたりして、退屈することなく、待っていた。アランの6人組は、どの人も感じのいい人だった。全員が南仏の人ではなく、確かアルザスとか他の地方の人たちだった。(クリックすると写真は大きくなります↓)東大寺を見てしまった人にどこ...大病をしたアランが、私たちをユーモアで一生懸命おもてなし。

  • サンレミドプロバンスで出会った日本の調味料とエガリエール村

    アニエスによると、「以前はアヴィニョンによく買い物に出かけたけど、クリスマスなどのプレゼントも最近はサンレミばかり」らしい。ゆっくりサンレミを歩くのはもしかすると初めてなので、街歩きも楽しめた。小さな香辛料を売っている店に入ったところ、日本の調味料がたくさんあってそれに驚いたのだが、お店の女性が言うには、日本の調味料は健康にもいいし、繊細な味なので、とても人気があるとのことだった。ゆずの絞ったものや、山葵やみそ、のり、醤油も小さい店なのに何種類も品揃えされており感心した。フランスの塩の中にゆずが入ったフレーバー塩?まであり、アニエスが私の分まで買ってくれた。私にはそこまでも希少なものではなかったのだが。(苦笑)ここでも京セラの包丁が売られていた↓アニエスは結構買い物好きと見え、あれやこれや雑貨店をのぞいて...サンレミドプロバンスで出会った日本の調味料とエガリエール村

  • 岩山をくり抜いた映像美術館へ。

    アンリ夫妻宅に夜遅く戻った翌朝は、彼らのいつもの朝食をいただいた。コレステロールを気にしているアンリはクロワッサンも、純バターではないものを食べている。三日月のように曲がっているタイプだ。まっすぐなものが純バターのクロワッサンで、映画でジャンヌモローが「本物のクロワッサン」と他国から来た家政婦に言っていた場面があった。以前は朝起きてからパン屋さんへ買いに行ってくれていたのだが、退職後の生活でもあり、気心が知れた仲なので、そこまでしてくれなくてもスーパーのパンでも十分なのだが、そんな中でもバゲットのおいしさは外れがない。今日の予定は、アニエスに押し切られた格好で、ㇾ・ボー・ド・プロヴァンス(すでにレ・ボーのお城は見た事があるので今回はパス)にある美術館へ行くそうだ。小さな村に・・という私の希望は叶えられない...岩山をくり抜いた映像美術館へ。

  • モーリス邸は今まで見た中でも一番の豪邸!?

    アンリ夫妻がどうしてもニーム泊を阻止するため、迎えに来たのは、この長い一日のメインコースが待っていたからだった。日本でお世話になったからと、夕食に招待してくれると言うアンリ夫妻の友人宅に行かないわけにはいかなかった。アンリの運転で彼らの家に到着して、びっくりした。サンレミドプロバンスに近いその家は、豪邸そのものであった。(おじいさんから受け継いだ家だとモーリスは言っていた。)しかもただ大きいだけではなく、近代的な設備が随所に見られ、かなり便利な仕様の家だった。そこで待っていたのは、その家の夫妻のモーリスとその奥さん(名前は失念)、一緒に来日していたもう一組の夫妻、キャロルとオリビエも待ってくれていた。モーリスとオリビエ↓来日したときと印象が違って見えることは時々ある。来日時↓左はモーリスの奥さんで、右はオ...モーリス邸は今まで見た中でも一番の豪邸!?

  • ほろ苦い前菜の後にメインコースが待っている。

    ニーム駅で待つこと2時間半以上、やっとアンリが到着した。駐車するところをwhatsappで、アンヌクレールに尋ね、駅の人にも確認して伝えていたが、アンリはわからず、離れたところに駐し車、歩いてやってきた。まずは久しぶりの再会のビズ(挨拶のキス)。2019年春にパリで夕食を食べた以来だった。奥さんのアニエスは家にいるようで、彼一人。「だから言ったじゃないか。12時台の列車の次は17時までないと。ニームの友だちはなぜ調べてくれなかったのか」と。ことの顛末を詳しく話すと、「ありえない。ギリギリまで調べもせず、君たちを駅に置き去りにするなんて」ということだから、友だちの行為としてはやはりアンヌクレールの素っ気なさは、フランス人らしくないと言うことだった。紹介してくれたマルチーヌから、「アンヌクレールは、あなたたち...ほろ苦い前菜の後にメインコースが待っている。

  • ニーム駅に置き去りにされた私を救いに来たアンリ!?

    ああ、なぜ昨日もっと確実な方法で、確認しなかったのか。なぜ安易に「間引き運転」を信じてしまったのか。慎重になるべきだったと、後悔している時間はなかった。12時42分(たぶん)のあと、17時台まで列車はなかった。まずアンリに連絡をした。「迎えに来てもらえないか?もし無理なら、今日はアヴィニョンには行けない。ニームでホテルを探し、一泊する」と。奥さんのアニエスと相談していたが、困っている様子だった。なぜかと言うと、彼らは今夕、私たちと一緒に彼らの友人宅での夕食の手はずを整えていたからだ。それはわかっていたが、私たちも途方に暮れていたし、何より17時台に列車が動いてもそれに乗って出かけるだけの気力もなえてしまっていた。すると、アンリは「もう少し待っていて。お昼ご飯を食べたら行くから」と返事が来た。2時間くらい待...ニーム駅に置き去りにされた私を救いに来たアンリ!?

  • ニームからアヴィニョンへの列車に乗り遅れてしまった!!

    ニームで一泊し、朝食を済ませた。この時はまだ想像もしない長い一日が始まるのだった。まず、彼女は、散歩に行こうと言った。そして、近所に住む友人宅を訪ねようと言った。なぜならその友人の息子は日本人と結婚して日本に住んでいるからだった。歩いて行けると言うので、喜んで行かせてもらうことにした。大きな門扉のあるその家に到着した。敷地も広い立派な家は、修理工事の人が朝から来ていた。日本から来たと言うと、温かく迎えてくれたそのマダムは、息子が庭師として京都で働いていること、そしてなんと、住んでいるところは奈良ということで、その奇遇なことに驚いてもいた。結婚式の写真を見せてもらうと、私たちもよく知っている結婚式場や神社で、不思議な縁を感じた。息子さん夫妻の住所も教えてもらった。まだ連絡はしていないが、またそのうちにと思っ...ニームからアヴィニョンへの列車に乗り遅れてしまった!!

  • ここにも日本文化に興味があるアンヌクレーヌの友人がやってきた。

    お腹もやっと膨れて、午後の予定は、「ユゼスに行く?それともSommiere(ソミエール)に行く?」と言われ、ユゼスは2005年、やはりニームに来た時、別のニームのマダムに連れて行ってもらったので、未訪の「ソミエールに」と答えた。写真で見ると南仏名物?プラタナスの並木があったり、私の好きな小さな村なのだが、散策すると、すこしひっそりして、寂れた感がしないでもなかった。シーズンによって違うのかもしれないが、あまり惹かれるものがなかった。ユゼスを再訪したほうがよかったかもしれないと思った。これは行ってみたいとわからないので、決めるのは難しいが、まあ、こんなこともある。帰りはスーパーに寄った。スーパーを見るのは楽しい。彼女は何か商品が落ちたとき、私たちの手前か、「私のせいじゃないよ」とお店の人に持って行った。そう...ここにも日本文化に興味があるアンヌクレーヌの友人がやってきた。

  • アンヌクレールの家は自然との共生を目指していた。

    ニームの半日観光を終えて、アンヌクレールの家に車で15分くらいで、到着。ペットボトルを加工したものが、入口のアーチのようにぶら下がっていた。家は平屋で、こじんまりした家だが、庭は広い。庭に居室のような物があると、来日したとき聞いていたが、説明からは想像できなかった。できないはずである。この家はエコハウスというのがふさわしいような、エコにこだわっている家だった。節約家とも言えるが、庭の居室で、アンヌクレールを紹介しくれたマルチーヌが泊まったと聞いて、部屋にはトイレがなかったので、夜、トイレはどうしたのか疑問をぶつけてみた。彼女が「ここにあるのよ」と見せてくれた。庭の居室の隣に小さな建物があり、その中にトイレがあった。しかし、これは、水を使わないトイレだった。想像できるだろうか?つまり使用後は、おがくずのよう...アンヌクレールの家は自然との共生を目指していた。

  • ニーム市内の観光は古代遺跡からヘミングウエイも泊まったホテルまで。

    ニームは2005年、観光に訪れているが、世界遺産のポンデュガール(水道橋)がメインだったため、市内の観光はあまり覚えていない。確か、円形闘技場の近くで、語学学校の先生だったローランスとランチをした。彼女が観光案内役を買って出てくれ、数々の世界遺産訪問の中でも、かなり充実した一日で、先生の人柄とともに今も大切な思い出の一つである。今回はその時は行かなかった公園の散策から始まった。さすがにこの辺りはローマ時代の遺跡がゴロゴロしているような感じで、公園にも遺跡の一部があったりする。その後街歩きをした。こじんまりした町だが、中々感じがいい。名物のお菓子だと言うクロッカンのお店もあった。アンヌクレールは、「食べたことがないの?じゃあ、帰ったら作りましょう。お菓子のレッスンよ」と言った。正直言うと一時半を過ぎていて、...ニーム市内の観光は古代遺跡からヘミングウエイも泊まったホテルまで。

  • アヴィニョンからニームへ在来線で移動。奈良を案内した縁が繋がっていた。

    アヴィニョン中央駅(つまり在来線の駅)のすぐそばのイザベル夫妻の家は、鉄道での移動に本当に便利だ。アヴィニョンからニームへ向かった。在来線でも30分くらいで到着できる。後で問題になってくるのは、行きのチケットは渡仏直前にインターネットで予約したが、帰りの切符は買わなかったことである。ニームで一泊した翌日、アヴィニョンに何時に帰るか決まっていなかったこと、近距離なので駅で当日買うのと値段も差がなかったことから、あえて行きの切符のみネットで購入したのだった。そのあと泊まる予定のアヴィニョン郊外のアンリ夫妻がアヴィニョン駅まで迎えに来てくれることになっていた。目安は14時ごろと伝えていた。ニームで待っているのはマルチーヌの紹介の友人のアンヌクレールだ。ご主人の夢だった日本旅行を実現され、奈良訪問の際,夫妻を案内...アヴィニョンからニームへ在来線で移動。奈良を案内した縁が繋がっていた。

  • アヴィニョンのジル・イザベル宅での一泊

    ジルとの散策を終えてイザベルとその友人夫妻が待つ家に戻った。そこへクリスチーヌからの着信だった。なんと彼女はもともとイザベルの職場の同僚だったのだが、電話番号を知らなかったようで、住所だけを頼りにスーツケースを取りに来てくれたらしい。もちろんコードがないと入れないのだが、幸い名前が書いてあった。しかし苗字がわからず、奇跡的に押してみたところイザベルが出たということだった。ここからが、大変だったのは容易に想像できた。クリスチーヌは一人で、大きなスーツケースと大きな手提げバッグをおろし、また彼女の家のエレベーターのない3階の部屋まで運んでくれたと言うから、本当に申し訳ないことだった。それでもクリスチーヌは「大丈夫よ、気にしないで」と言ってくれた。今回の旅行での恩人の一人だ。さて、イザベル夫妻宅で夕食はアペリテ...アヴィニョンのジル・イザベル宅での一泊

  • 12年ぶりのアヴィニョンの町は清潔になっていた。

    ジルが迎えてくれ、重いスーツケースを3階の部屋までもって上がってくれた。まず荷物を置いて、上まで上がると奥さんのイザベルと、彼らの友人夫妻が談笑していた。この4人で明日の朝旅行に行くらしい。その前日の夕刻に到着したのだった。日本人なら、きっと旅行の前日だと言うことで、私たちを泊めることはないと思う。しかし、フランス人は違うのだ。それでも会いたいと言ってくれ、「よかったら泊まってくれてもいい」とまで言ってくれた。私たちも翌日はニームに向かうため、駅の近くの彼らの家に滞在できることはとてもありがたいことだった。しかし、ここで大きな問題がまた一つ。それはやっぱりこの大きなスーツケースだ。本来はアヴィニョン郊外のアンリ夫妻のところにニームのあとに泊まるので、そこに預けたかった。でもマルセイユのヴィルジニ夫妻には通...12年ぶりのアヴィニョンの町は清潔になっていた。

  • エクスアンプロヴァンスを後にしてアヴィニョンへ。

    ここから一時間以上はかかる。それでも快く送り届けてくれるヴィルジニとミッシェルには感謝しかない。しかも送り届けた後、彼らはまたマルセイユへと帰らなければならない。今回の旅行を通して、この夫妻ほど私たちの希望通りに動いてくれた友人はいない。申し訳ないくらいだった。一緒にいても気が楽で、その時間がすぎるのがとても早く感じられるほどだった。本来なら3泊する予定のところを、プロヴァンスの友人たちの日程の都合上2泊に切り上げた私たちなのに、アヴィニョンまで送迎を申し出てくれたのである。そのアヴィニョンで待ってくれていたのは、やはりアヴィニョン演劇祭でお世話になったイザベルとジル夫妻のところで、この夫妻も本当にいい人で、ヴィルジニ夫妻も一緒に、アペリティフをと誘ってくれていたが、彼らは「帰らないといけないので」と遠慮...エクスアンプロヴァンスを後にしてアヴィニョンへ。

  • エクスアンプロヴァンスではあの小さな観光列車に乗るべきだったと後で後悔した

    エクスアンプロヴァンスに着き、小さな観光列車(プチ・トラン)を見た彼らが、「これに乗る?」と言った時、「いいよ。乗らなくても」と答えたのだが、すぐ後悔することになる。日曜日で観光案内所が閉まっていたため、地図もなく歩き始めたが、彼らはどうも不案内なエクスを歩くのはあまり楽しくなさそうにも見えたのだった。マルセイユとエクスアンプロヴァンスは近いので、良く知っていると思っていた。が、マルセイユっ子のミッシェルに言わせると、アヴィニョンの南は南仏とは言わないと言い、マルセイユを少し離れるともうテリトリーから外れるということだ。よって、ランチも大きな失敗だと言った。彼らが選んだお店だったが、ステーキの焼き加減もだめだと言い、ミッシェルはほとんど残したのだ。田舎者?の様に見えるミッシェルだが、中々食にこだわりがある...エクスアンプロヴァンスではあの小さな観光列車に乗るべきだったと後で後悔した

  • 振り向かないエンマとお別れし、エクスアンプロヴァンスに向かう。

    今朝もオレンジジュースをこぼさないようにエンマが運んできた。これはお土産にも頂いたミッシェルのおばさんの手作りジャム↓ヴィルジニのおばあちゃんの作るジャムは布で濾して仕上げるそうだ↓賢いエンマはお別れを察知して泣くのではないかと思っていた。昔5歳くらいのアルザスの女の子がやっと慣れたころにお別れの時間になって突然泣き出したことが思い出された。朝ごはんを食べた後、エンマだけ、親戚の家に預けて、私たちをエクスアンプロヴァンス経由で、アヴィニョンへと送ってくれると言う。そこまでしてヴィルジニは快く引き受けてくれたのだった。まずエンマを預けに行き、お別れをしたが、何ともあっけなく、「じゃあね」と振り返りもせず親戚のおばさんのところへ歩いて行ったのだった。賢いエンマは、頭の切り替えが早いと言うか、聞き分けもいいよう...振り向かないエンマとお別れし、エクスアンプロヴァンスに向かう。

  • マルセイユでは赤ワインは冬の飲み物。

    カシ―の町はこじんまりとしていい感じがしたので、街歩きをもっとしたいくらいだったが、やはり海を見ないわけにはいかない。早速お姫様は靴下を脱いで海へ入って行った。カシ―を後にして帰り道もまたカランクへ寄った。昨日見たのとはまた違う趣のあるカランクだった。帰宅後、まだ海遊びが足りなかったのか、エンマは水温は高くなかったと思うが、プールに入ると言う。そしてプールの外のトランポリンで弾んだり、またプールに入ったりと活発で動くことが大好きなエンマは、トランポリンも足を挙げてみたり色々見せてくれるのだった。ミッシェルによると、誰に教わったわけでもなく、自分でいろいろ動きを変えているということだった。そんな彼女にご褒美?にお土産に持ってきた浴衣を着せた。何ともよく似合い、大喜びだった。そして、今夜はエンマの好きなピザが...マルセイユでは赤ワインは冬の飲み物。

  • マルセイユ近郊の「カシー」へ行く。

    マルセイユの朝食は、エンマが搾りたてのオレンジジュースを上手に運ぶところからスタート。Lilleのおばあちゃん御用達の特別なバターとお手製のジャム↓彼女は明るいだけでなく、とても利発なお嬢さんだ。どことなくエンマからするとひいおばあちゃん(フランス語では、マミー・グラニットというようだ)にあたるエブリンに似ている。ヴィルジニも「性格が似ているのよ」と笑う。今日もお任せだが、朝から近くを散歩して、そのあとは、カシーという海辺の町へ行くことになった。エンマと一緒に近くの公園まで散歩したが、途中、花を摘んでは「プレゼント」と私にくれた。本当に愛らしい。公園に行くと今度は遊具に次々とチャレンジ。どうやら簡単ですぐできるものは物足りないらしく、難しいものにチャレンジしたい性格だとわかった。散歩から戻って、車でカシ―...マルセイユ近郊の「カシー」へ行く。

  • 愛娘エンマは全く人見知りしない超明るいお姫様。

    車で向かったのは、エンマの保育園。2歳半になるエンマは最近保育園に入ったばかりらしいが、泣くどころか、泣いている子をなだめるくらい明るく環境の変化にもすぐなじむ性格だそうだ。日本から来た私たちを見てびっくりするのでは?との思いも全くの杞憂で、ミッシェルが言った通り、「初対面でも3秒ですぐ笑顔」というのは本当だった。このお姫様は、ありったけの笑顔で迎えてくれた。朝から楽しみにしてくれていたそうだ。この保育園には、ミッシェルの娘や息子の子ども(つまり、ミッシェルの孫たち)も通っているので、かれらにも「初めまして」となった。そう、ヴィルジニは40代だが、ミッシェルは60代の年の差カップル(ヴィルジニは初婚だが、ミッシェルは離婚歴あり)だ。タイに研修で出かけた時、ミッシェルが言うには「ヴィルジニがひっかけてきた」...愛娘エンマは全く人見知りしない超明るいお姫様。

  • ヴィルジニのご主人も「ミッシェル」さん・・・料理上手で釣りが趣味

    ヴィルジニと再会し、駅を出ると、ご主人のミッシェルさんが車の前で待っていた。彼女のご主人もミッシェルさん(私たちの友人の中で7人目くらい?のミッシェル)だった。初めまして、になる。写真では見ていたが、大きな目をくりくりさせて嬉しそうに迎えてくれた。その澄んだ目を見て、人の良さがすぐわかった。車の中からの景色↓オベリスクがマルセイユにも↓白いドームはサッカースタジアム↓マルセイユの駅から町中を通り抜け、約30分弱で小高い丘の上の彼らの家に到着した。この住宅街は、近くに元刑務所があり、そのせいか、住宅街に入るためのセキュリティの鍵付きのゲートがあった。マルセイユはよく治安が悪いとか聞くが、最近は少しマシになったという話もある。少なくとも彼らの家の周辺は問題なさそうであった。マルセイユの駅の方に行くことはこれ以...ヴィルジニのご主人も「ミッシェル」さん・・・料理上手で釣りが趣味

  • ニースからマルセイユへのTGV・・そしてヴィルジニが待っていてくれた。

    ニースからマルセイユへ向かうTGVで楽しみにしていたのは車窓。フレンチリビエラと言われる海岸線の景色は美しいはずだったが、窓がびっくりするぐらい汚れていた。これでは新幹線と比較にならない。せっかく美観を大事にして、線路を作るフランスなのだから、窓の汚れはあまりにも残念過ぎる。フランスに来ると日本の電車、新幹線のどれもがきれいに清掃されていることを改めて感じる。2016年は空路でパリに戻ったので、今回はプロヴァンス経由で久しぶりに陸路で戻ることになったが、ずいぶん前にもカンヌからアヴィニョンへ乗ったことがある。その時は気づかなかったのが、葡萄畑。途中から葡萄畑がたくさん見えてきた。マニュエルが言っていた。彼らはよく南仏にバカンスに行く。ラ・シオタという駅から彼のおばあちゃんの家が見えるとか、葡萄畑がたくさん...ニースからマルセイユへのTGV・・そしてヴィルジニが待っていてくれた。

  • ミッシェルさんお元気で、またお会いしましょう。

    今日は、ニースからマルセイユへ向かう日。3日間ミッシェル夫妻と過ごしたニースだったが、連続して3日間過ごすと言うことは初めてだった。パリに住んでおられた時は、拠点にしてあっちこっちの友人宅をウロウロしていた。それだけに濃厚な3日間だと思っていたが、何となくやはり物足りない気がした。どうやらいつもフランス旅行の最初と最後はミッシェル夫妻のところにいたので、今回はニースを離れるとこれでもう会えないのかと感傷的な気分になったのだった。こんな朝ごはんのビスケットをお土産にいただいて↓そんな朝、ミッシェルさんが言った。「10月19日は大規模なナショナルストライキがあるから、その日の移動は気をつけて。」しかし、大規模ストライキは2019年の年末に経験済みで、その時友人たちのおかげで乗り越えられたことは記憶に新しい。だ...ミッシェルさんお元気で、またお会いしましょう。

  • 王様や貴族のような邸宅跡の「ロスチャイルド邸」見学

    一旦家に戻り、ミッシェルさんの車でフェラ岬にあるロスチャイルド邸へ向かうようだ。地下のガレージに降り、ガレージの鍵を回そうとしたミッシェルさんだったが、回らない。えー!!!と思っていたら、なんと隣のガレージだった。またしても天然炸裂・・・・いくらガレージは同じように見えると言っても、自分の車のガレージを間違うなんて,ありえないと普通は思うが、ミッシェルさんなら「やっぱり」となるのだ。(彼は以前、駐車場に停めた車がわからなくて、1時間半探した逸話もある)Jクロードの手前、声に出さなかったが、「それがミッシェル」と私は心の中でつぶやいていた。(以前それを言った時、笑いにならず、バツが悪かったのだ。)そんなミッシェルさんが今もハンドルを握っているのは驚きだ。着いた時は、帰っていく観光客が多い時間だったので、ゆっ...王様や貴族のような邸宅跡の「ロスチャイルド邸」見学

  • はじめて「ロシア正教会」に教会を見学した。

    ニース3日目は、ロスチャイルド邸に行くということだ。未訪である。そこでランチするいいお店があるので、予約をすると電話をしていたが、なんと、休業日だったそうだ。前もって予約を入れるとか少なくとも前日に予約を入れるのがいいように思ったが、フランス人はこんなペースなのかどうかはわからない。そう言えば、アンリ夫妻もニースとアンチーブの美術館を二日続けて行ったらどちらも休館日だったことが思い出される。ミッシェル夫妻はとても残念だと言っていたが、私にはわからないので、どこでもよかった。彼らはニースにあるクレープリーでランチを取ろうと言い、時間があるので、まずロシア正教会を見学することになった。パリにもあるが、行ったことがなかったので、ロシア正教会は初めてだった。外観は独特のネギ坊主のようなもので、よく見る感じだ。中は...はじめて「ロシア正教会」に教会を見学した。

  • 「オー・ルボワール」ではなく「アデュー」だよ。

    今日も簡単に夕食を準備してくれたので、茶道をしようとして、茶箱を開けてびっくり。中のお茶碗一つと茶巾を入れる筒が割れていた。「これが入っていることをすっかり忘れて、預入荷物にしてしまったからだ。」と呆然とした。気を取り直して、違うものを代用して見てもらうことにした。つまりエリック夫妻のところだけ、日本から持ってきた完全の状態で点てることができ、ここから先、数回することになるのだが、割れた器もさることながら、それをみて貰うことが出来なくなってしまうことが、悔やまれた。ここで割れた茶碗を「捨てていいかい?」と聞いたミッシェルさんに、「ウイ、さよなら」と言ったが、「オールボワール」ではなく「アデュー」だよと、ミッシェルさんは言った。そう、「永遠のお別れ」だ。「オー・ルボワール」ではなく「アデュー」だよ。

  • カードのバーを機械にタッチするサインレスシステムを初体験!

    Jクロードが好きだと言うアクセサリー店があり、半額になっていたので覗いてみると、数人の先客がいた。その客をさばききれない店員はかなりいらだっていて、ちょっとしたことを尋ねようとしたら、「私は一人しかいないのよ!!」と叱られてしまった。質問するにも順番を待つ必要があった。仕方なく順番を待っていると、Jクロードは先に帰ってしまった。最後になった私だったが、ミッシェルさんは付き合ってくれ、カードを出すと、サインレスの機械で、この旅行で初めてだった私がもたもたして「日本ではあまりサインレスの経験がないので」というと、彼女は「これは本当によくないテクニック」と言った。その意味はその時よくわからなかった。後でよく考えたら、もし他人がカードを手に入れそれをこのシステムで利用すれば使えてしまうという危険があることだと気が...カードのバーを機械にタッチするサインレスシステムを初体験!

  • 公園で炭酸水が飲める!!

    私たちのその次のバス停で降り、またニースの町を歩くことになった。エズでもかなり歩いたが、ミッシェルさんは健脚である。「もう家はすぐだから」というのだが、こういう時のフランス人の言葉は全くあてにならない。歩いても歩いてもアパートの方向とは違う気がするし、大きな公園がずっと続いていた。まあ軽く、一時間は歩いたと思う。炭酸水が飲める↓(もちろん無料)公園を抜けたらすぐアパートと言っていたが、すぐではなく、昨日歩いた店が立ち並ぶ通りに出て、またそこを歩く。刃物屋さんがあり、そこには日本製の包丁がたくさん並んでいたので、店に入ると丁寧な説明をしてくれた。日本のものはとても人気があるそうで、包丁も鋼だけでなく、セラミックのものや、ハサミなど評判がいいとのことだった。何も買わなくても親切に説明してくれるのもフランスなら...公園で炭酸水が飲める!!

  • エズ村からの帰りのバスはジェットコースターのよう?

    エズ村の散策は、以前アンリ夫妻と歩いたところだったが、昼食後ミッシェル夫妻がおすすめのエズ村の公園へ行くことになった。公園かあと思った私の気持ちは、その素晴らしい眺望ですぐに吹き飛んだ。エズ村は村の中の散策だけでなく、高いところにあるので、そこからの海の方への眺めも見事だった。ゆっくり見て回り、十分満足できたところで、帰ることにした。予定のバスより早いバスがあるかどうか案内所に尋ねると、あるとのことで一時間くらい早いバスに乗ることにした。大勢の観光客がすでに待っていて、バスに乗り込むと座席は既にいっぱいだった。立っていると、高齢のミッシェル夫妻に「どうぞ」とゆずってくれる若者がいた。「あなたも疲れているでしょうから」と夫妻は遠慮したが、「いえいえ」と言うことで夫妻は彼らの好意を受けて席に着いた。それから間...エズ村からの帰りのバスはジェットコースターのよう?

  • どんなにお客さんが待っていようと「コーヒータイム」は権利として優先される。

    いつもの懐かしい朝食↓から二日目が始まる。ニース2日目も、彼らにお任せだ。2016年やはりアンリ夫妻と一緒に訪ねたエズ村を予定してくれていたので、それに従うことにした。一緒に行く人が違うと、同じ場所でもまた違う感想になるかもしれないし、エズ村のような小さな村は大好きなので、何度でも訪れたいところだというのもあった。まず今回はバスに乗って行くということで、バス停の近くまでトラムで行った。普通なら?バス停の場所や、時間も調べておくものだと思うが、そこはフランス流?彼らももちろん行った事があるのだが、しばらく行かなかったら、場所も迷うのかもしれない。でも多くあるバスならともかく一時間に一本しかないバスの時刻は調べておいてほしかった。案の定、出たところなのか、一時間近く待つことになった。どのバス乗り場から乗るのか...どんなにお客さんが待っていようと「コーヒータイム」は権利として優先される。

  • ニースの住民になったミッシェル&Jクロード夫妻の案内で歩き回った

    2016年にアンリ夫妻の案内でニースを訪れているので、主要な観光スポットは見ているはずだ。しかしニースの住民になったミシェル夫妻との散策は、また違う。まず、マセナ広場から旧市街へと向かう。マセナ広場に行く通りは、初めて歩く通りで、高級避暑地を思わせるブティックやホテルが立ち並んでいた。前回、海岸と旧市街、市場くらいだったこともあり、ニースは思ったより庶民的な感さえしたのだが、やはりこういうところもあることがわかったのは、新しい発見だった。旧市街の広場は見覚えがあり、以前ランチを食べた場所を思い出したが、ミッシェル夫妻とはハイカロリーなワッフルに巻かれたアイスクリームを食べることになった。しかしミッシェルさんは、食べなかった。(アイスクリームが好きじゃないことを初めて知った。)旧市街の小さな帽子屋で、Jクロ...ニースの住民になったミッシェル&Jクロード夫妻の案内で歩き回った

  • ニースで、ミッシェル、ジャンクロード夫妻に迎えらた。

    パリから1時間少し、ニース空港に到着。荷物を待って歩いていると、硝子越しの外に二人がいるいる!!きょろきょろ、中をうかがっていた。あー、懐かしい!!ここからは、トラムで彼らの家の近くまで行くと聞いていた。30分弱くらいだったろうか。途中で地上から地下に潜って駅に到着。もちろん初めて乗るトラムで、降りる駅だった。そこから数分歩いたのだが、地上に出るとすぐ高級なアパルトマンや星のたくさんあるようなホテルが並んでいて、その通りを抜けて、彼らのアパルトマンに向かう。途中大型犬を連れた住民を多く見かけたが、ミッシェル夫妻曰く、引っ越してきて間もなく、「犬に跳びつかれて、ミッシェルのニットがボロボロになったのよ。もちろん連絡先を交換したわ。でもね、修理をすると言って出来上がった時、修理代は私たちに請求が来たのよ」とJ...ニースで、ミッシェル、ジャンクロード夫妻に迎えらた。

  • パリでは公園は、しっかり管理され、施設も素晴らしい

    13時発のニース行のフライトなので、11時にタクシーの手配をしてくれた。荷物の準備は整っているので、それまで時間を利用して、イザベルが近くの公園へ連れて行ってくれた。エリックはどうも風邪を引いたようで、オンラインでの仕事もあるので、家に残った。環状道路沿いに歩いたところにあった。面白いジムの器具があって、大人も楽しめる公園だった。コロナ禍で日本よりかなり規制が厳しかったいわゆる「パンデミック」の頃は、公園にも来られなかったそうだが、その後はこういう公園が大勢の人に利用されていたことが想像できる。休日にはマリオネットを見られる子供向けの場所もちゃんとある。ポニーなど動物もいる。フランスの税金は高いと聞くが、いたるところにある花やこういうことに使ってくれるなら文句もすくないのではないか。さて,そうこうしている...パリでは公園は、しっかり管理され、施設も素晴らしい

  • アンジェルと別れ、エリック宅に帰り、明日はいよいよニースへ。

    彼女が次に案内してくれたのはピガールから下った通りで、ここもYouTubeで見て未訪の通りだった。小さな骨董店と言ってもリーズナブルなものが置いてある店に行きたかった。しかし、下りていけばあるだろうし、アンジェルが頼みだったので、ちゃんとメモもしないで来たら、アンジェルはどうやら自分の勤めているところを見せたかったようで、そこを目指して歩いたのだった。どこに勤めているのかそれまで知らなかったのだが、彼女は、パリで人気のお茶のお店、「パレ・ド・テ」で働いていたのだった。ここの紅茶は、2019年にリヨンでフランソワーズたちのおすすめで買ってみたが、なかなか美味しかった。彼女の顔も立てて、いくつか買って、またアンジェルに預かってもらうことにしよう。本来はティーバッグよりリーフなのだが、ディアンヌがコロナ禍に送っ...アンジェルと別れ、エリック宅に帰り、明日はいよいよニースへ。

  • アンジェルは「ピチピチギャル姿」で現れた。

    遅れてきたアンジェルは、20代前半で日本で見た時とは違い、いかにもといういでたちで現れた。日本でもメイクはしっかりしていたが、気のせいか今日は濃いような気もする。また今日は歩くのにこんなにハイヒールで大丈夫なの?と思ってしまったほどだ。しかし、「遅れてごめんなさーい!!」と現れた彼女、ハグとビズで再会を喜ぶ。彼女は日本で買ったという布製のマスクを愛用しているそうでこの日もそれをしていた。まず、彼女が小さいころからなじみのバティニョール地区を案内してくれるということで、ここも未訪で楽しみだ。メトロで一駅乗り、Rome(ローマ)駅で降りて歩き始める。初めて降りる駅だった。5分くらい歩くと広場に着き、彼女の行きつけのお店でランチとなった。彼女のおすすめのものをいくつか選んでもらった。定番中の定番、「オニオングラ...アンジェルは「ピチピチギャル姿」で現れた。

  • あのメトロの固い紙の切符は間もなく無くなる

    マリーアンジュ宅で一泊した翌朝は、子どもたちの方が早く起きて食事も済んでいた。朝のうちに子供たちとはお別れになるので、私も起きることにした。下に起きていくとキッチンにご主人のマニュエル、そしてアントワンがいて、私に気づいたアントワンが「パパ」と私が起きたことを知らせた。7時半くらい、まだ暗いうちに登校する。だいたいマニュエルも一緒に出勤するようで、3人とはここでお別れ。私の予定は、アンジェルとランチだ。ただ、小さなキャリーとは言え、荷物を持ったまま、うろうろするのは大変なので、夕方まで置かせてもらえるかと聞いたら、「もちろん」という返事だったので、助かった。「もしかしたら、夕方なら、また子どもたちに会える可能性もある」とのことだった。アンジェルとの約束の時間まで近隣を散歩することにした。この辺りは以前マリ...あのメトロの固い紙の切符は間もなく無くなる

  • トラムとバスは急ぐときにはあてにならない。

    中型のスーツケース+小型キャリーを持っているので、トラムがいいだろうと思った。(階段の昇降がないから)しかし、トラムが来ない。どうやら、間引き運転?またはトラムは路面を走るので、デモなどの影響もうけることがあるらしい.。そのせいか、待っていた人たちが三々五々離れて行ってしまった。私も心配になり、エリック宅へ戻り、電話をすると(日本経由の緊急対応)、イザベルが下りて来て、一緒にトラムのホームで列車が来るのを待ってくれた。そうこうしているうちにほどなくトラムがやってきた。トラムからバスに乗り換えると図書館夫妻の家のすぐ近くのバス停まで行けるのだが、デモの影響があり来ないかもしれないと思い、歩いてもそう遠くないだろうと、トラムの駅から歩き始めた。並木道のような散歩道を通り、メトロBelAirを横切り、たどり着い...トラムとバスは急ぐときにはあてにならない。

  • ビュットカイユ

    朝目が覚める時間が少し遅くなった。朝食はショコラティエで買ったプラリネルージュのブリオッシュだった。すでにエリックとイザベルは朝食済みで、美味しすぎて半分近く食べたという。よかった!気に入ってもらえて。今日は、忙しい一日になる。午前中はまずトラムでビュットカイユ(うずら丘)という地区へ向かった。これは私の希望にも合い、未訪の場所である。トラムでは途中、YouTubeでパリガイドの方が紹介していた大学(シテ・ユニベルティテ)の建物も見えてきた。今回はおりることはできないが、外観を見るだけでも「ああ、これだ」と渡仏が叶わなかった時、このような動画にどれほど慰められていたか思い出される。ビュットカイユもそうだ。落書きもアートのような物がたくさんあるということも紹介されていて、それをなぞるような散策になった。戸建...ビュットカイユ

  • まずは蚤の市、そしてマレ散策からスタート

    長旅の翌朝は、しっかり寝たつもりでもやはり早く目が覚める。時差の関係である。まだ外は真っ暗だった。そして少し明るくなり始めるまで、また横になった。ここは環状道路に面しているため、トラムが走っていて、その始発くらいの時間になると音もする。8時くらいに起きると言っておいたので、7時を過ぎたところで、支度にとりかかる。つまり朝食までにシャワーを終えておくということだ。彼らは朝食後にシャワーを浴びるので、重ならないようにいつもそのようにしている。起きていくと、もう彼らは朝食ができるように準備してくれていた。といってもフランス式の簡単な朝食だ。私は日本でも朝から卵やハムなどは食べないので、このフランス式の朝食が嬉しい。エリックの家では昨日、今日の2泊をして、明日1泊はマリーアンジュ宅、そしてまた翌日はエリック宅と、...まずは蚤の市、そしてマレ散策からスタート

  • パリ、ああ、パリ。

    三年間待ち焦がれて、やっとパリ、フランスに来れた!!タクシー運転手も感じのいい方で、「渋滞で遅くなっちゃって」と言ったので、「大丈夫よ」と言って、荷物をおろしてもらった。エリックのアパルトマンの扉の前でエリックの奥さんのイザベルに着いたと電話すると「下りていくわ。」といったので、ワクワクしながら待っていた。2014年に来てから8年ぶりの再会である。すると下りてきたのは、エリックだった。エリックはまだ仕事だと思っていたら、もう帰宅していたのだった。思い切りビズ―(挨拶のキス)とハグをしようとしたら、(コロナのことを意識して)「大丈夫かな?」と言ったので、「もちろん!!」と答えた。そして上に上がって、イザベルとも同じあいさつで再会を喜んだ。「早かったね。」とびっくりしていたので、「追い風で13時間で到着したん...パリ、ああ、パリ。

  • パリに到着

    機内では、追加料金を払って、足を思い切り延ばせる非常口の横の席を予約しておいた。しかし、機内は空席が目立っていた。隣に座った日本人女性は、フランス人と結婚されて一時帰国して、パリに戻るということでいろいろな話をさせていただいた。彼女はマルチーヌの家の近くのショコラティエでパートとして働き、ご主人は居酒屋を経営しているとのことで、連絡先をいただいた。彼女のアドバイスもあり、空席の横になれる席に替えてもらうことにした。15時間のフライトに不安もあったが、追い風で13時間で到着できたのだった。また元の席に戻った時に、CAさんに三度目の正直で渡仏できたこと、ここまでのANAとの連絡で困ったこと、また数年前のANAの対応に感動したこと、そして旅のスタイルを話したところ、「お気持ちだけですが」と、お菓子の袋とメッセー...パリに到着

  • 羽田からパリへ

    今年の6月出発の航空券が、ANAのフライトの欠航が続いたため、10月出発に変更になり、7月くらいにフライト時刻の変更のメールが届いた。以前のブログでも書いた通り、8時50分羽田発の便に、伊丹発9時のフライトでは間に合わないため、ANAの負担での前泊を取り付ける必要があった。ANAへの電話が数時間つながらず、数日間にわたり試みてやっとのことであった。一度変更になっている私たちのチケットは、メールではできず、電話でしかチケットに関する変更などは対応できないということだった。これがのちに大きな問題となって私たちに降りかかってくるのだが、それは後に記すことになる。出発の数日前にスーツケースの取っ手が劣化のため取れるというアクシデントがあったが、幸い時間があったため、新しいスーツケースとともに今回はスタートした。さ...羽田からパリへ

  • 2022年 フランス旅行 :プロローグ

    久しぶりの(2019年12月以来)フランス旅行から無事戻り、少し落ち着きました。また忘れないうちに、少しずつ残していこうと思いますが、今回はパリ(4泊)南仏(約2週間)そしてパリで10泊の予定でしたが、不測の事態?でパリの滞在は1週間プラスされました。ざっくり言うと、パリで数日寒い日があったものの、パリも南仏も20度前後の例外的な暖かさ(特にパリは)ということでした。お陰で寒さ対策で膨れたスーツケースをどれほど恨めしく思ったことか。今回も友人に会うため、特に高齢の友人に会うのが一番の目的でしたが、改めてその友人との絆を感じることが多かったのも事実で、助けられることがたくさんあり、今もその彼らの心に、感動のような物を覚えています。もちろん、逆にあれ?と思うこともあるにはありましたが、それは些細なことかもしれ...2022年フランス旅行:プロローグ

  • 多くの友人に救われて・・・

    宿泊先のエレベーターの件は、まずエリックから「南仏から帰った後、帰国前日まではパリにいるよ」とOKの返事がすぐに届いた。マリーエメは、最初到着日ならOKと来たのだが、到着日は無理だというと、南仏から帰った後の3日間についてOKの返事が来て、とりあえずほっとした。正直に言うと、どちらもベストではないが、そんな贅沢なことを言っている余裕はない。まずは、それで何とかなる目途がついた。ところが、別の難題が持ち上がった。先日TGVの3区分を予約した際、①ニース―マルセイユ、②マルセイユーアヴィニョンは同じ買い物籠に入れて予約し、決済し、③アヴィニョン―パリは後日別に予約決済していた。マルセイユのヴィルジニから、②の区間を車で送迎するよ、と提案があり、この区間をキャンセルし、キャンセルの確認メールと返金のメールがすぐ...多くの友人に救われて・・・

  • 束の間の喜びのあと、暗雲!?

    昨夜遅く、マリーアンジュから、鍵の返却について、帰国前日は、マリーエメの家から荷物を預けている(予定で、この時点では、確認待ちだった)マルチーヌの家を経由して、小児科医のところに行くと、場所もそれぞれ知らせたら、「それならマルチーヌの家が、すごく近いから、取りに行くわ」と言ってくれ、これですべて宿泊が決まった。と、安堵したのもつかの間、今朝起きると、マルチーヌから、「すべて可能よ。(つまり、スーツケースの保管と移動に関する①南仏へ行く時に預ける②南仏から帰ってきて立ち寄る③帰国する前に立ち寄るの3期間)」あー、やったー!!!これで決まった。と思いきや、続きがあった。「今日隣人から聞いたばかりだけど、エレベーターの修理があるらしいのよ。10月末から11月初めの三週間、エレベーターが動かないらしい」!!!!!...束の間の喜びのあと、暗雲!?

  • ほぼ、出来上がってきた旅程

    もう出発までほぼ1週間となり、パリの滞在について、決まっていないといけない。が、実を言うと、現時点でほぼ確定で、まだ完全ではないということになる。後半の南仏から戻ったパリでエリック夫妻が泊めてくれると言ってはいるが、前半も4泊、後半でも4泊はあまりにも先方の負担が大きいので、まずはマルチーヌに南仏から戻った後2泊のところを3泊にしてもらえるかどうか聞いたところ、「いいよ。いないときは鍵を渡すから」と言ってくれた。あと3泊プラスして、計6泊をマルチーヌにしてもいいのだが、マリーアンジュも留守宅を貸してくれると言っていたことを思い出した。当初、エレベーターなしの6階(日本式での6階)は無理だと考えていたのだが、スーツケースを持って行かないなら可能だと思ったのだ。またマルチーヌやマリーアンジュのように留守宅を借...ほぼ、出来上がってきた旅程

  • 野宿の心配?はなくなった。

    この緊急事態の後、まず最初にエリックと図書館マダムにSOSを出したが、それに対する返事をもらった直後に、小児科医から帰国便の時間と、その前日宿泊させてもらう時に迎えに行こうかというメールがあった。やっぱり、小児科医にまず頼むべきだったのか・・と少し思いもしたが、まあ、仕方がない。なるようになるだろう。到着日空港まで迎えに来てくれることになっていたアンジェルにも緊急事態を知らせ、「もしかしたら到着日から別のところに泊まるかもしれない。もちろんあなたに会う時間は別途設けたい」と送ったら、彼女からは「問題ないわ。そのほうがよりシンプルならそうしてもいいし、もしやっぱりうちに来るならいつでも待っているわ」と。これは私にとってはパーフェクトな返事と言える。その後、また荷物の移動日を確認するべく、絵描きのフランソワに...野宿の心配?はなくなった。

  • 困ったことになった!!ダブルブッキング?

    オルリー空港の近くに住むフランソワーズ夫妻からの緊急事態の連絡を受けて、到着直後の南仏へ行くまでの滞在について、「緊急事態」というタイトルで、3組にメールをしたところ、翌日ほぼ時間差なく、まず図書館マダム、そしてエリックから返事が来た。いつもは図書館ムッシュとメールをやり取りしているのだが、それはマダムからだった。「もちろん、いいわよ。ドゥニ(ご主人)はシノンの家の工事でいないけど、私は健康診断のためパリにいるから、到着日から受け入れるわ」と。実はパリの家を訪問したことはあるが、滞在はシノンの別荘だけでパリの家では滞在の経験がない。ありがたくすぐに返事を出そうと思っていたら、エリックから返事が来た。「もちろんいいよ。到着からすぐ来たらいいよ。イザベル(奥さん)は14時には帰っているから。飛行機は何時につく...困ったことになった!!ダブルブッキング?

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