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2020/12/21

  • 音楽祭で有名なサンレモの旧市街と、新しい街

    イタリア2日目昨夜も早く眠ったせいか、朝早く目が覚めた。今日の予定は、サンレモ。サンレモは音楽祭で有名で名前くらいしか聞いたことがないが、ボルディゲーラから列車で20分くらい。朝ごはんは昨日の残りのパンとスーパーで買った常温保存できるジュースだけだった。今日も昼は外食になるので、ちょうどいい。ささっと食べて、駅へ向かった。8時37分発の列車で9時到着だった。サンレモについては、全く予備知識もなく来たので、列車の駅から市内中心までこんなに遠いとは思わなかった。ほぼ一本道だったのだが、途中で何人かに尋ねながら、旧市街へ抜ける広場を目指した。やはりサンレモは大きな町だった。新しい町を通り抜け旧市街へ上がると、ニースのエズ、ロックブリュンヌ、マントンやボルディゲーラの旧市街と比べると、あまり手入れされてないような...音楽祭で有名なサンレモの旧市街と、新しい街

  • 大当たり! 本場イタリアのピッツアは美味しくて、大きくて、安く、大満足!

    ボルディゲーラの旧市街に行くために、駅の方へ向かった。駅の近くから、今度は山の方へ向かって上り坂を歩いていく。やがてものすごいお屋敷、高級なアパートが立ち並んでいるのを見た。ニースやカンヌなどとはまた違う豪華さだった。目を見張りながら、確かこの辺りにモネも絵を描いた場所があるはずと思い探して歩いてそれらしきところへは行きついたが、今はその当時の面影はなくちょっとがっかりした。気を取り直し、少し引き返し、またさっきの道をとぼとぼ歩いていると、左手に小さな道があってここだなと直感を果たらせのぼっていくと、旧市街のかわいい街が開けてきた。イタリアの旧市街もまた可愛らしくていいなと思った。ここの場合は頂上にお城跡はなく、教会があり広場があった。お昼をかなり回っていて、お腹もすいていたので、頂上の広場のレストランで...大当たり!本場イタリアのピッツアは美味しくて、大きくて、安く、大満足!

  • マントンとお別れ、そして国境を越えて、イタリア(ボルディゲーラ)へ。

    マントン最終の朝は、市場でバゲットを買おうと思っていたが、10時から開店ということで断念した。地元のパン屋さんでは考えられない遅さだ。ということで、もう一軒の地元のパン屋さんへ戻った。そこは洗練されたパン屋さんというより洋菓子屋さんと言った感じ?で、お菓子もおいしそうだった。ブリオッシュとシューケットを買ってみた。美味しい朝ご飯を食べて、アパートを少し掃除して出ることにした。「鍵はテーブルの上に置いておいて」ということだった。忘れ物がないように点検し、この便利だったアパートを後にして、駅へとまた徒歩で向かった。このような高級マンションを見ながら駅へ↓いよいよイタリアに向けて出発だ。改札でスマホのチケットをかざして駅に入り、ホームで列車を待った。10時56分発の列車は正確にやってきた。SIMカードは、国境を...マントンとお別れ、そして国境を越えて、イタリア(ボルディゲーラ)へ。

  • 若い人の時間、そして夢を持ち続けること

    ロックブリュンヌからマントンに戻り、海岸沿いを歩いていた時、海岸がきれいにならされているのに気が付いた。来日のフランス人に、「日本はとてもきれいな街だけれど、海岸がきれいじゃないね」と言われたことがあり、聞けばフランスの海岸は毎日掃除されるということだった。本当に砂浜もきれいにされているのだ。そんなことを感じながら、昨日の日本人の女性が働いているお店へと向かった。今日はお目当ての魚介のフリットがまだ残っていた。少しイタリア人堅気なオーナーもこの若い日本人女性を褒めていたが、以前リヨンのチーズ屋さんで働いていた女性もとてもよく働いてくれると言われていたことを思い出し、そんな話を彼女にもした。もちろんここの彼女も、しっかり働いていて、少しお客さんが途切れたら、話をする時間もあったし、オーナーも気さくな人である...若い人の時間、そして夢を持ち続けること

  • ロックブリュンヌの古城跡からの眺め。

    今日の朝は、市場が休みで、パンが買えなかったため、近くのカフェで朝食を取ることにした。円安で外食は避けているが、朝食ならいいだろう。なかなか感じのいいカフェで味もよかったが、いわゆる伝統的なフランスのカフェとは少し違う感じだった。クロワッサンとかバゲットではなく、日本の「モーニング」みたいなものだった。それでもイタリアに近いので、ブラッドオレンジジュースもついていて、なかなかよかった。さて、朝食のあとはアパートに帰り、支度をしてロックブリュンヌに出かけるため、出発した。駅ではなく、カジノの近くのバス停からだと、バスの本数も思ったよりあるようだ。待っていると、足が不自由な男性が「バスの切符代をもらえないか」と言ってきた。言葉が分からない風を装って(夫は本当にわからないのだが)適当にあしらって、私たちはバスに...ロックブリュンヌの古城跡からの眺め。

  • ジャンコクトーの美術館はちょうど無料の日。

    マントン2日目。歩いてすぐのところにあるマルシェへ向かった。安いものもあれば、いいものは高かったりする。スープドポワソンは2ユーロと安かったが、いちごとサラダにする野菜はかなり高かった。いちごは奮発することにした。いちごとサラダの生野菜で10ユーロもする。円安だから1,700円ということだ。パンもメインもまだ昨日の残りがあるので、今日は節約。リヨン名物赤いプラリネ入りのブリオッシュを見つけて、すぐ買ったのだが、今回はパリの友人宅でも出され、少しずつフランスの中でも知られてきているようでうれしかった↓朝から海辺に散歩に行った。帽子をニースのミッシェルさん宅に忘れてきたので、日差しのきつい昼間に歩くより朝の散歩と考えたのだが、すでにまぶしかった。水温は低いだろうに、泳いでいる人たちも多くいた。ロックブリュンヌ...ジャンコクトーの美術館はちょうど無料の日。

  • 運よくSIMカードを売っている店を見つけた。

    マントンの旧市街から絶景を眺めたことで、マントンへ来た目的が果たせたと言っても過言ではないほどだった。さらに墓地のほうまで上がり、そして海沿いへと降りていくことにした。散策を終えて、アパートに戻るのも便利だった。少し休んで、夕食の準備のためスーパー(カルフール)の方へ向かった。美味しそうな匂いにつられ、鳥の丸焼きを買ってしまったから後々大変なことになる。バゲットや、サラダや飲み物も買った。そしてふと目にした、Freeの店(SIMカードを売っている店)。前回この店がいいタイミングで見つけられず、緊急時の連絡が受けられないことが多々あった。Wifiがないところでは、こちらの都合でドコモ海外につないだ時だけしかネットもできず、話せずで、向こうからかけてきてくれてもつながらなかったからだ。今回は滞在も三週間弱で、...運よくSIMカードを売っている店を見つけた。

  • マントンの眺望、これこそ、コートダジュール!

    シニアの旅行は、ゆったりを旅程を組むことも大事なので、朝の出発も余裕を持って考えている。実は、マントンまでの列車のチケットは、ミッシェル夫妻が駅で買えばいいということであったが、ビオットまでの列車の切符を買うときのモタモタを考えると、やはりスマホで予約をしておいた方がいいかもしれないと思い、昨夜試みてみて、すでに予約できているのだった。だから安心だ。荷物も手に持つキャリーとリュックだけに収め、かなり少なくした。ミッシェルさんが駅まで同行してくれた。ホームもすぐにわかり、「5日後に帰ってきます」とお礼を言って出発した。在来線なので、自由席だ。マントンまでは30分くらいなのだが、途中モナコも通っていく。つまりモナコ公国との国境を超えることになる。そしてすぐにモナコ公国を通過してまたフランスに入る。モナコ公国の...マントンの眺望、これこそ、コートダジュール!

  • ビオットでのミッシェルさんのストライキ

    ビオットを散策し始めた。小さな村なので、見どころを回ってもそう時間はかからない。こういう坂のある古い石畳の村が大好きなので、歩くのは楽しかった。満喫していたが、ガラス細工の工房があるそうで、それはどちらでもよかったのだが、ジャンヌクロードは興味があるようで、村を下り、別のバス停がある方へと歩いていくことになった。車道を歩くので、車とすれ違うたびにちょっと心配だった。結局、彼女が思っていたところではなかったようで、また戻ることになった。「もうこのまま帰ってもいいよ」と言ったのだが、彼女は元の道へと戻り、やはり危険な車道を進んでいた。少しでも安全なところへとはやる気持ちが、早足にしていた。途中で車が通る道からそれて緩やかな石段があり、そこを上がると近道らしかった。上がり始めてしばらくして、後ろで大きな声が聞こ...ビオットでのミッシェルさんのストライキ

  • 電車とバスを乗り継いでビオット村へ

    ニースでの朝食は、夫妻が用意してくれたパンと紅茶。ミッシェルさんは早起きで、すでにカフェオーレとパンを食べており、私達が食べる頃は、濃いエスプレッソのみだ。ジャンヌクロードは私たちと一緒の時もあるし、前後するときもあり、パンと一緒に食べるときは、紅茶を飲み、ミッシェルさんがエスプレッソを飲むとき彼女もまたエスプレッソを飲む。今回、今までと変わっていたことと言えば、バターもどき?が出されたことだ。ミッシェルさんは前回以後、心臓面の不安があり、コレステロールも気にしなければいけなくなったとかで、バターを制限しているようだ。もっとも南仏に来て、バターよりオリーブオイル中心、チーズもイタリアンチーズをよく食べるようになったと言っていた。心臓は以前には若い人並みに強いと言われていたというミッシェルさんだったが、何が...電車とバスを乗り継いでビオット村へ

  • ミッシェルさん,無事帰る。

    トラムの検札によって降ろされたミッシェルさんは果たして無事帰れるのか。そんな心配をよそに、大きなスーツケースを三人で引っ張って5分余り、到着したアパートのエレベーターに乗り込んだ。エレベーターのドアが閉まるその瞬間、「あ、ミッシェルさん!!!」アパルトマンの入り口から入ってくるミッシェルさんが見えたのだった。しかし、三人が乗ったエレベーターはそのまま部屋の階に。そして、ジャンヌクロードが鍵を開けて部屋に入って間もなく、またドアが開いた。ミッシェルさんだった!!。私たちは、ゆっくり歩いてきたため、たぶん1台か2台あとくらいのトラムに乗って、速足で帰ってきたようだった。話を聞くと「落ち着いて探すと、切符が出て来て、解放されたんだよ」と。車内でも相当あちこち探していたのだが、やはり焦ってしまうとそういうことにな...ミッシェルさん,無事帰る。

  • ニース行トラムの検札に降車させられたミッシェルさんは?

    さて、一時間余りのフライトのあと、ニース空港に到着し、スーツケースが出てくるまで、少し時間がかかったので、硝子越し外を見てみると、ミッシェル夫妻がすでに迎えに来てくれているのが確認できた。スーツケースをピックアップし外に出て、久しぶりの「BIZ」(抱擁をしてキス)で再会を喜ぶ私たち。ミッシェルさんは91歳、ジャンヌクロードは80歳だ。しかしその年齢にはとても見えない2人だ。彼らと一緒にニースの町までトラムに乗った。彼らによると、空港からニースまでの距離のチケットを買うとかなり高いらしく、一駅くらいだったと思うが、そこで降りて買いなおすといいとのことだったので、それに従った。しかし、夫妻は買いなおす機械の操作に詳しくなく、何人かに尋ねてやっと買えたのだった。このようなことがこの後も続くことになるのは、やはり...ニース行トラムの検札に降車させられたミッシェルさんは?

  • 体が不自由な人の旅行をサポートするサービスにほっこり。

    朝起きると、窓から空港の飛行機が見えた。空港に近い割には、騒音も気にならず、眠れた。ただ、やはり時差の加減でかなり早く目が覚めた。機内食を食べた後、何も食べていなかったので、駅まで食べ物の調達に行った。小さいモノプリとイギリス系のマークスアンドスペンサーが一緒になった店があって、焼きたてのパンもあった。が、このパンはちょっと失敗だったかもしれない。(たぶんM&S製造?)ニースへのフライトは13時なので、時間はあった。まあ部屋で何もすることもないので、少し早めにチェックアウトして、空港へ向かった。国内線なのでターミナル2Fへの移動だ。同じシャトル列車で移動できる。このフライトはエールフランスだが、スロベニア航空の運航によるものだそうで、初めての事だったので、友人たちに聞いてみたところ、「調べたら、エールフラ...体が不自由な人の旅行をサポートするサービスにほっこり。

  • 「手ぶらサービス」を初体験

    今回は4組の友人に絞ったことで、事前に買うお土産も少なくて済んだが、日程調整などのメールのやり取りもかなり楽だった。前回は20組以上だったので、それはそれは大変だった。前回のことを考えるとスーツケースの移動も大幅軽減だ。何より、出発前にスーツケースの半分を占めていたお土産が少ないことで、重量も容量もほぼ半分程度。また今回はANAの「手ぶらサービス」を初めて利用することにした。つまり家までスーツケースを取りに来てもらい、受け取りはシャルルドゴール空港のターンテーブルなのだ。もちろん有料サービスではあったが、これは本当にありがたかった。(大型スーツケースが二つで約8000円弱)手荷物だけで、自宅近くからリムジンに乗り、伊丹空港から羽田空港。羽田では翌朝の9時半出発ということもあり、空港ターミナル直結ホテルに宿...「手ぶらサービス」を初体験

  • 2年ぶりの渡仏について

    お久しぶりですがブログ再開です。昨年6月にフランス人を迎えた後、秋~今年の冬、春と何組かのフランス人を迎えているが、記録できないまま、先月渡仏したので、忘れないうちに、まず今回の渡仏について、書いておきたい。この旅行を決めたのは、2023年9月末。燃料サーチャージの上がる前に滑り込みで航空券を予約した。マイレージで無料とは言え、燃料サーチャージだけでも5万以上だった。その後数万円あがったので、まあ悪くないタイミングではあった。旅程を考えたが、前回南仏からパリに戻った時、寒さから風邪かと思いきやコロナ感染で帰国が遅れてしまったので、今回は、最初3月出発を考えていたこともあり、パリは外して南仏中心にしようと思った。パリに寄らない旅もいいかもしれないと思っていた。その場合は、ミッシェル夫妻のところにだけ寄り、半...2年ぶりの渡仏について

  • 結局23時まで楽しんでくれた。

    わが家について、まずお茶の体験がしたいということだったので、少し母の家で待ってもらい、準備を整えてきてもらった。フェリックスの時は、テーブルでお茶を点てるだけの体験だったが、今回はせっかくなので、簡単な点前を見せて、点前はしないが、釜の湯を注いで点てるという体験をしてもらうことにした。ジェレミとミレンが点て終わり、次にフランソワとなったところで、なんと「お濃茶」というではないか!!!!!彼だけでなくあとの4人もみな「じゃあ私も」となってしまった。お濃茶の点前は時間の都合で見せられなかったが、分量と練り方を教え、後は口頭で簡単に濃茶と薄茶の違いなどを説明したところ、この日、口数が少なかったジェレミが一番目を輝かせ、興味深くいろいろ質問をしてきたのには驚かされた。本来はお茶の体験だけのつもりだったが、簡単なも...結局23時まで楽しんでくれた。

  • 東大寺、そして無口なジェレミのこと

    東大寺へ向かい、お決まりの?柱くぐりでは、アメリ―とバスチアンが挑戦し、くぐり抜けられた。6月初めに来たフェリックスが覚えていたという話を大仏様の脇侍のあたりでまた話す。この真剣な顔・・・。これだからフランス人は面白い。この真剣な顔↓その後昼食を取ったが、人数が多かったので、ここでは2テーブルに分かれて食べることになった。その際私たちと一緒のテーブルの3人はよく話し、聞けば皆パリかパリ郊外に住んでいるとのことだった。バスチアンはル・アーブルの出身だそう。つまりノルマンディーだ・男の子は皆日本に来た経験があり、1人で参加の女の子は4回来日しているそうだが、あとの3人の女の子は初来日と言っていた。ピンクの二人、グリーンの二人がカップル↓そして、二月堂から春日大社を回り、暑かったのでこの日はもう駅に向かうことに...東大寺、そして無口なジェレミのこと

  • 3カップル+1の7人がやってきた。

    6月の末にやってきたのは、絵描きのフランソワ。お母さんとまず北海道に行くため5月のGW開けに来日。北海道~東北~佐渡島~東京と回り、お母さんは帰国。それから関西へとやってきたのが6月の下旬だった。来日前に大徳寺のお茶会へ参加したいと言っていたので、予約を頼まれた。その時は友人を含む5人分ということで、予約を入れて一緒に行く予定だったのだが、結局京都に到着後予定が変更になり、お茶会をキャンセルしてほしいという連絡があった。キャンセルをして、奈良に来る日の連絡を待った。わが家に寄ってもらうことになっていたが、「人数が多いから」と遠慮がちに連絡をしてきた。聞けば、7人で奈良に来るという。お母さんと別れたのち、彼女のアメリ―が一緒なのはわかっていたが、他の友だちって、日本人なのかどうか、お茶会に参加予定の人数とも...3カップル+1の7人がやってきた。

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