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2020/12/21

1件〜100件

  • パリで会う友人たち

    他にパリには、滞在を伴わない訪問、もしくは会う予定の友人たちがいるので少しずつ知らせていくことになる。絵描きのフランソワは、「ご飯に招待する」と返事が来て、「来年は来日したい」とも言っている。彼が1年日本に滞在していた時、お母さんが友人と来日し、その折に我が家へ夕食に招待した。だからというわけではないが、2021年の渡仏が可能であったら、お母さんがパリ不在の間のアパルトマンを3週間ほど借りる予定だった。とても便利のいいところで楽しみにしていただけに、実現できなかったのが、返す返すも残念である。今回はタイミングが合わなかった。やはり何事も、チャンスはそう度々訪れないということだ。アンジェルは、(彼女はコロナ直後に来日し、1年近く滞在していて、その間3度ほど、我が家にやってきたのだった←友人の紹介)予定通り空...パリで会う友人たち

  • パリ滞在は?

    当初、南仏滞在からパリに戻るのが24日くらいで計画していた時、マリーエメから、「泊まってね。そして田舎の家に4日間くらい行くか、ノルマンディの小さな家に週末行くかしましょう、」という提案があったが、全部彼女に負担をかけられないと思い、帰国前の1週間ほどお世話になってノルマンディーへ一緒に行けたらいいなと思い、そう返事をした。。数日後の彼女からのメールは「10月28日-11月1日くらいはパーティーをするために田舎の家に行くので一緒にいきましょう」とのことだった。しかし片道4時間車での往復は疲れるだろうから、ありがたいことだが、諦めようと思い、そう伝えた。そして帰国前の3日ほどお世話になるのがいいのではと考えている。また小児科医からの返事では、「ブルターニュの別荘に一緒に行ってもいいし、もしパリがいいなら、予...パリ滞在は?

  • 南仏、滞在延長

    マルセイユまで足を延ばすかどうかわからない、と書いたばかりだが、今回の南仏訪問はもしかしたら、これが最後になるかもしれないという気持ちもあり、そうでなかったとしてもそうたびたび行くことがないだろう。ということもあり、急遽、アルルやアヴィニョン滞在中に会えればと思い、ニーム在住の友人、そして、リールからマルセイユヘ移り住んだヴィルジニにメールを入れてみた。すると、まずニームのアンヌクレールから「旅程計画を見たけど、ニームが入ってないよ。うちを拠点にしたらいいから、何泊かして」とのことだった。彼女は2019年だったと思う、マルチーヌからの紹介でご主人とともに来日し、奈良を訪問した折、案内をしただけである。時間がなく家に招待もできなかった。しかし、2020年の年末にわずか数カ月の闘病のあとご主人が旅立ったのだっ...南仏、滞在延長

  • 2022年 渡仏計画

    旅程を考えているときから旅は始まっていると思うし、私の場合考えている時間が好きなのだが、結構大変でもある。それは、ただ宿泊や交通手段などの予約とは違い、相手あってのものが多いからである。つまり友人宅に泊まらせてもらうことがほとんどなので、相手の都合とうまくかみ合わせていく必要があり、その返事のタイミングにもより、早く返事が来ればどんどん決めていくことができるが、中にはぎりぎりのタイミングになるフランス人もいる。ギリギリだと交通手段などの予約もあり、もう変更が利かないことも多々ある。まず誰にメールを送って決めていくかが大きなポイントになるので、優先順位がとても大事である。オルリー空港への送迎を引き受けてくれるフランソワーズ夫妻の確約のあとは、南仏の滞在だ。今回は、まず南仏で、ミッシェル夫妻に会うのが最優先で...2022年渡仏計画

  • 10月の旅程をそろそろ・・

    3週間ほど時間ができたので、10月の旅程をそろそろ考えないとと思っている。今回はパリ以外では、高齢のミッシェルさん(88歳)との再会が一番の目的だ。高齢の友人との再会について、1年1年、もっというと1日1日の時間が大切なことを痛感させられたコロナ禍でもあった。彼は長年住み慣れたパリをコロナ直前に離れ、奥さんの希望で今はニースに移り住んでいる。彼らはコロナ以降、何度かパリ訪問を計画していたが、コロナの周期に阻まれ、未だに叶えられていないのだそうだ。どんな事があっても、彼らには会いたい。ということで、南仏訪問は外せない。1ヶ月の滞在中、半分を南仏、そして半分をパリ近郊と考えている。南仏というと、すぐ近くのプロヴァンスにも何人かの友人たちが待っている。パリーニースーアヴィニョン―アルルーアヴィニョン―パリ(パリ...10月の旅程をそろそろ・・

  • 航空券は予約できたけれど。

    結局、その後、やっとのことでANAに電話がつながったのだが、彼らとしては6月のパリ便は欠航になったが、その他の手段(つまり別のフライトによる乗り継ぎ)で行くことができるので振替えという提案であった。ただでさえ、今は迂回により直行便でも3時間は余計に時間がかかるし、乗り継ぎとなればもっと時間がかかる。それは避けたかった。本来はマイレージ利用なので、最長、来春まで延期するのも致し方かないと思っていた。しかしあくまでも直近での延期が彼らの提案だった。しかも7月・8月はキャンセル待ちになり、そこで更なる変更になると、燃油サーチャージの変更なども出てくるので、いつなら確実に(あくまでも今のところ)予約ができるのかと聞いたら、「10月なら」ということで、結局10月出発で予約することになったのだった。かなりの落胆ではあ...航空券は予約できたけれど。

  • 三度目の正直はなるか

    すっかりまたご無沙汰してしまっているので、少し時間ができた今、続きを書いていこうと思います。**********前回の記事に記したように、ロンドン便は6月から復活、しかしパリ便は無情にもキャンセルになってしまった。さて、どうしたものか。欠航は6月出発の往路便のみである。復路は7月の予定なので、欠航はまだ決まっていない。というか、私の予想では、7月からパリ便も復活するのではないかと思われる。現地10日発の予定だったので、往路を7月1日にすれば、短期の滞在は出来るかもしれない。しかし、今回は3ヵ月の夢の滞在は無理としても1ヶ月弱を予定していたし、南仏に行こうと思っていたこともあり、やはりそこは変更したくなかった。さらに、ANAに電話が全く通じなかった。そこで、私が考えたのは、このANAのチケットは来年に延期し...三度目の正直はなるか

  • 二度目のキャンセル・・

    旅行記事が終わり、フランス人について書くつもりだったが、所用でなかなか落ち着いて考える時間がないままだが、近況を記しておきたい。フランスへの3ヵ月滞在の夢があった。2021年3月からのはずだった。すべての用意は整っていた。そのフライトのキャンセル通知が届いたのは、出発の約2週間前だった。その後、コロナの状況はよくはなっているものの、まだ様々な規制が残っている。それでもマイレージの期限延長が再度延長になるかどうかの知らせを待たずして、2022年の渡仏のチケットを予約した。2022年1月31日の夜だった。日付が変わる直前の予約だった。2月から燃料サーチャージが上がる前のまさに駆け込み予約だ。2022年6月12日出発で約1ヶ月弱の予定にした。バカンス後に感染線者数が増え、規制が厳しくなるという波が、フランスと日本では...二度目のキャンセル・・

  • フランスの友人たちについて

    2012年の後半の旅行記録が、途絶えたままなので、その続きを書く前に、フランス人友人たちについて、勝手に私が考えた項目や思うところについて、書いてみようと思います。いつもたくさんの写真を見て思い出す料理について、整理したいと思っていたので、まずは料理について、ランキングと言うのは正しくはないけれど、それなりの感想を述べてみます。グルメでもない私の評価なので、いい加減なものだと思っていただければありがたいです。そして、次にユーモアのセンス、おしゃれ、居心地のよかった家、いろいろな観点から書いてみますが、やはりそれらもなんのこだわりも知識もない’’ただのフランス人好き’’の目を通して、と言うことです。*********フランスと言えば、やはり料理だと思う。美食というよりは、農業国・フランスと言うことをつくづく感じる...フランスの友人たちについて

  • 忙しかった私の旅は、たくさんの友人に支えられてのもの

    マリーアンジュ宅を急いで出ようとしたが、双子ちゃんたちが自転車に乗る練習をするというので、少し見てから、慌ててメトロに飛び乗った。ミッシェルさんの家では、ミッシェル夫妻とマルチーヌが待ちかねていた様子で迎えてくれた。マルチーヌとともに最後の夕食となった。サラダとスープにミッシェルさんお手製のケークサレ。本当に忙しかった滞在の締めくくりは、旧知のメンバーで、のんびり過ごす時間になった。そして、翌日。翌日の出発も20時なので、午前中は買い物に巨大スーパーとアウトレットの店に連れて行ってくれることになった。ランチもそこでとることになる。最後までバタバタだが、お土産もろくに買っていなかったので、仕方がない。帰宅後、スーツケースを整えていると、マルチーヌがやってきた。私にチーズやワインなどのお土産を持ってきていた。何度も...忙しかった私の旅は、たくさんの友人に支えられてのもの

  • 「オリエント急行特別展」とアラブ世界研究所の見学

    アラブ世界研究所は、植物園の近くで、ミッシェルさんの奥さんのJ・クロードはこの近くで公務員として働いていたので、とても詳しかった。オステルリッツ駅↓植物園↓彼女はこの研究所の前で行われていたオリエント急行特別展の予約を入れてくれていた。私は大のポワロ好き、そしてマニアとまではいかないが、クラシカルな列車が好きなので、興味深かった。時間の予約もあったが、これはガイドと一緒に見て回るようになっていたので、少し並んで待ったあと、見学が始まった。オリエント急行殺人事件や青列車など、有名な作品にちなんだ物が展示されていた。そして撮影は自由なのだ。ここがフランス的でうれしい。「走る貴婦人」と言われた素晴らしい内装に調度品、また置いてある乗客の持ち物も一流だ。その時代に思いをはせ、優雅なひと時を楽しんだ。そしてせっかく来たの...「オリエント急行特別展」とアラブ世界研究所の見学

  • クール・サンテミリオン、そしてランチの時に感じた日仏の違い?

    ソワレを楽しんだ翌朝は、もう帰国日前日。というわけで、今日はミッシェル夫妻とマルチーヌと一緒に出かけることになっていた。いつものミッシェルさん宅での朝食↓昨夜も実は、図書館夫妻のご主人のドゥニからのメールで、ベルサイユ宮殿の噴水ショーのライトアップのお誘いがあったのだが、行けない旨の返事すらギリギリまでメールを見ることができず非礼をしてしまった。彼はもちろんそんなことをとがめることもなく、「またの機会に」と言ってくれたので、今もずっとその優しさが心に残っている。昨夜はミッシェル夫妻主催のソワレだったので、メールを見ていたとしても、お断りするしかなかったのではあるが、ベルサイユの噴水ショー、しかも夜の行事とあっては、そう言うお誘いがない限り行くことはないので、残念だったことの一つとしてもよく思い出す。さて、いつも...クール・サンテミリオン、そしてランチの時に感じた日仏の違い?

  • ソワレでのいろいろなことから

    アドリアンに駅まで送ってもらい、またSNCF近郊線でパリに戻った。パリからはメトロを乗り継いで、ミッシェルさんの家に戻った。今夜も予定が待っていた。ミッシェルさんの友人たちがやってくるという。それでは、と私も休む間もなく、着物を着て迎えることにした。これはミッシェルさん夫妻へのお礼の気持ちも込めている。おくさんのJクロードが、アペリティフなどを用意していた。その時はわからなかったが、これはネムと言うベトナムの揚げ春巻きのようで、好きなものの一つとなった。ミッシェルさん夫妻の友人たちが、次々にやってきた。まずはマルチーヌ。彼女は私の到着より早く来て待っていたのだった。しばらく歓談をした。それからしばらくたってから、やってきたのは、一度会った事がある仏越カップル。ご主人はベトナム人で麻酔医だったが、今退職しているそ...ソワレでのいろいろなことから

  • フォンテーヌブロー近くの母子の家を初訪問

    パリに戻って、翌日もまたタイトなスケジュールだった。郊外に住んでいるアドリアン家族に会いに行くことになっていた。アドリアンは1人で来日して、その後妹やお母さんも来日して、我が家で迎えている。今回は初訪問。最寄り駅のフォンテーヌブロー駅までアドリアンが迎えに来てくれることになっていた。ミッシェルさんは以前リヨン駅に送ってもらったあと、自分の車を見つけるのに一時間半もかかって大騒ぎだったので、日帰りで荷物もないので、今回はメトロを乗りついで、リヨン駅に向かった。この駅はTGV発着駅でもあるが、SNCF(国鉄)の近郊線も出ているので、それに乗っていく。終戦記念日の花↓パリから約30分くらいだったろうか。この駅は、2003年、バルビゾンやフォンテーヌブロー宮殿をたずねて以来になる。↓今回も観光の打診があったが、もう見て...フォンテーヌブロー近くの母子の家を初訪問

  • クリスチャン、ジョエル夫妻、セリーヌ、ジョゼフの四人とパリで再会した。 

    ヴァランシエンヌからTGVでパリに戻ってきたのは、夕方だった。ビュットショーモン公園前のミッシェルさんの家に戻ったが、今夜も約束が待っていた。ミッシェルさんの家の近くに住む、食いしん坊のクリスチャン(もちろん本人には内緒のニックネーム)と、奥さんのジョエル。そのジョエルの紹介で来日したセリーヌと、そのセリーヌが二度目の来日時にはおじさんとともにやってきたがそのおじさんのジョゼフ、この四人と夕食することになっていた。ジョエルとセリーヌは同じアクセサリーのアトリエで働いていたので、ジョエルに紹介してもらって初来日したセリーヌ。ジョセフはスペイン人で、フランスに若いころからいわば出稼ぎのようにやってきて、定年までパリ郊外に住んでいて、日本にずっと憧れていたらしい。しかし彼はもちろんスペイン語とフランス語は話せるが、英...クリスチャン、ジョエル夫妻、セリーヌ、ジョゼフの四人とパリで再会した。

  • 隣村へ行くような感じで簡単にベルギーへ行けた。

    通りに出ると、馬に乗った女性に出会った。映画の一シーンのようだった。しばらく行くと、今度は、彼らが若いころ、アンリ夫妻やギリシュ夫妻と住んでいたという、アパートがあった。そこで話をしていると、窓を開けて何か話しかけてくる老女がいた。都会から来た?怪しいものだとでも思ったのかもしれない。すかさず、エリザベットが「昔住んでいた」と説明をすると、思い出したようで、アンリ夫妻の近況などを尋ねていたようだった。和やかなムードに一転して、ほっとした。帰りがけに、私がチョコレートが好きなことを知ると、「すぐそこがベルギーで、美味しいチョコレート屋さんがあるのよ」というエリザベットの言葉に従い、チョコレートを買いに行くことになった。しかもベルギーはフランスより物価も安い。ほんとに国境をあっという間に超えた。確かに国境の表示はあ...隣村へ行くような感じで簡単にベルギーへ行けた。

  • 村で見た藁葺の屋根の家

    帰宅後、ランチの準備をしてくれた。いいにおい。デザートはプルーン↓午後は、新しくできたランス美術館と言うところも近いらしく、その提案もあったが、私は建築や芸術にあまり興味もないので、ただ街歩きのほうがいいと伝えたところ、近くにふるい村があるので、そこに行こうということになった。そこは私の好みの小さな村だった。車で行ったのだが、通りに茅葺の古い家が見えてきた。知合いの家だったらしく、私が希望するならと、家の人に話をしてくれ、訪問させてもらえることになった。藁葺の家だけでもとても珍しく、フランスであまり目にしたことがないくらいだったのでとても興味深かった。日本の藁ぶきの農家によく似ている。しかも農家で、小動物が飼われている。映画などでは目にするが、やはりフランスは農業国だということを改めて強く感じる。こんな家が現存...村で見た藁葺の屋根の家

  • フランスの博愛精神は自然な姿でひょいと現れる

    さて、ヴァランシエンヌの家での朝食は、エリザベットが英語の教師だったのでイギリスを何度も訪問しているからか、何となく、イギリスをほうふつさせるような感じがしないでもなかった。もちろん伝統的なフランスの朝食が用意されてはいたが、ティーポットやお皿などにイギリスを少し感じる。ブルゴーニュ出身のエリザベットはカシスのジャムも準備↓さすがにお母さんはきれいな英語を話される。お父さんのアランは、産業医として、今も週に何度かは勤務を続けているとのことだ。朝食を済ませた後は、散策に出かけた。この町は、ベルギーに近いので、街並みもベルギーやオランダのように感じる。どんよりした天気のせいもあり、やはり北部の町は、どこかうらさびしい気もする。お昼に向けて買い物もする。この町もアミアンのように彼らの家からは徒歩圏で生活に必要なものが...フランスの博愛精神は自然な姿でひょいと現れる

  • ヴァンサンは、実は心を癒しに日本に何度も来ていた。

    雨が降ると気温が下がり、寒くなってきたので、観光も切り上げ、家に戻った。こんなかわいいキッチン用品の店↓(チェーンと言うか、ブランドの様でその後パリでも見かけた)そして、また豪華な夕食をいただく。私を考慮してか、メインは魚だった。デザートまでしっかり頂き、ヴァランシエンヌというアミアンから車で2時間位の、ヴァンサンママの家へ行くことになった。ヴァンサンとはここでお別れになるとのことだった。アミアンからヴァンサンパパの運転でひたすら走った。途中風力発電の塔がたくさん並んでいるところなどを見た。アンリたちもこのヴァランシエンヌという町に若いころ住んでいて、その時ヴァンサンの両親のアラン・エリザベット夫妻と知り合ったのだそうだ。ギリシュ夫妻ともそのころからの友人だ。ヴァンサンの両親が私の訪問を待ってくれていたのがよく...ヴァンサンは、実は心を癒しに日本に何度も来ていた。

  • ノートル・ダム、マカロン、そして雨。

    そして、昼食後、散策に向かった。歩いて数分で大聖堂がある。ノートル・ダムだ。ヴァンサンはパリのノートル・ダムをいつも「ノートルダム・ド・パリ」と言って、日本語でも「パリのノートル・ダム」と言うので、アミアンの人にすると、何もつかないノートルダムはアミアンということなのだろう。大聖堂の中はラビリンスがあって、ここを歩くと巡礼をしたことになるということだ。日本にも似たようなものが高野山や宮島でもあったなあと思った。大聖堂の前には、アミアンのマカロンの店があった。マカロンも日本で周知されているのは、パリのマカロンだ。パリのマカロンとはあ違ういかにも素朴なマカロンが、バスクにもあったし、アミアンにもあった。ナンシーにもあるそうだ。今年の渡仏がキャンセルになり、失意の私を慰めるためにエリザベットが送ってくれたそのアミアン...ノートル・ダム、マカロン、そして雨。

  • パリ北駅からアミアンへ

    久しぶりのミッシェルさん宅の朝食は、最近パリにできたイギリスのスーパー「マークス&スペンサー」で買ったというお茶やパンで、奥さんのJ・クロードがお気に入りのようだ。イギリスらしく、マフィンもあった。それは日本でもおなじみのアメリカのだと思うが、フィラデリフィアのクリームチーズも好きなようだ。ミッシェルさんに送ってもらって向かったのは、パリ・北駅。↓名前の通り、北へ向かう列車の発着駅で、イギリス、オランダ、ベルギーなどへの国際列車も乗り入れている。そういう駅は、不法入国者など警戒のためもあり、軍の警察が銃を持って歩いている。これが、タリスと言う国際列車で、ベルギー・オランダ方面へ向かう列車。↓パリから1時間少しでアミアンに到着した。待っていたのは、ヴァンサンとその両親だった。両親とはこの時、初めて会った。ヴァンサ...パリ北駅からアミアンへ

  • 頑固で温かいエスカレーターと散策後、ミッシェルさん宅へ

    そして二コラの案内で、今回ブルーノ夫妻とも歩いたパレ・ロワイヤル、パッサージュ、ルーブルの逆さピラミッドまで歩いた。あっという間に帰りの列車の時間になったので、リヨン駅まで送ることにした。すると、ここに二コラのお父さんで、エスカレーター夫妻の息子のジャンピエールが、車でやってくるという。パリに来た両親に一目会うためと、息子の二コラを迎えに来たのだった。そして、ここからは簡単にバスで帰れるというのに、エスカレーターはジャンピエールに私をアパートに送っていくように命じたのだった。本来ならみんなでホームまでエスカレーター夫妻を見送れるのに、だ。車の駐車場で「私たちはいいから」と逆に私を見送ってくれたのだった。このおっちゃんは、本当に頑固で難しい面もあるが、やっぱり心温かい人で、いつもほろりとさせられる。借りていたアパ...頑固で温かいエスカレーターと散策後、ミッシェルさん宅へ

  • ディジョンからパリにきたエスカレーターとクレヴァン蝋人形館へ。

    今日はエスカレーターに会う日だ。いつものパン屋さんで買ってきたパンを食べて、待ち合わせの場所へ向かう。待ち合わせは南方面の列車の発着駅のパリ・リヨン駅。そのホームにある有名なレストラン、トラン・ブルーの前だった。今回はブルゴーニュを訪ねる時間がないことを告げたとき、「パリまで会いに行くよ」ということになった。エスカレーターはフランス国鉄に勤務していたので、退職後も国鉄乗り放題の特権をもっているため、TGVと呼ばれる新幹線の列車で1時間半ほどで来られるパリにはちょくちょく来ている。ちなみに家族もその恩恵があるので、もちろん奥さんも一緒だ。昨日も乗ったバスに乗ってリヨン駅まで来て、レストランの前で待っていたら、「来た!来た!」私を見つけると満面の笑みで嬉しそうにし、すぐに撮影だ。写真が大好きなのだ。そして、美術(芸...ディジョンからパリにきたエスカレーターとクレヴァン蝋人形館へ。

  • もう一人のイザベルとリヨン駅近くの一軒家で会う。

    イザベルと別れて、アパートに戻り、向かうのは、リヨン駅近くに住むブルトン人エルワンの家族のところだ。この家族とのかかわりは、2009年の旅行で、ブルターニュのケレンマに住むマルゴとパトリック夫妻を訪ねた後、パリに戻るTGVでエルワンの両親と偶然向かいの席に座ったことから始まった。つまり両親はパリに住む息子のエルワン家族(特に2人の女の子の孫)に会うためにTGVに乗っていて、パリモンパルナス駅についても、タクシー乗り場まで一緒に歩くほど,意気投合した感じのいい両親だったのだ。両親、お母さんの方だが、彼女とメールのやり取りをしていて、この出会いの数年後来日するというエルワンと奥さんのイザベル夫妻の奈良案内をすることになったのだ。そして、その来日の数年後の2014年、パリで再会になる。奥さんのイザベル(昼一緒だったイ...もう一人のイザベルとリヨン駅近くの一軒家で会う。

  • ほほう!パリのアパルトマンでは大きな家具はこうして搬入搬出するのか!

    朝食後エリックにお礼を言って別れ、イザベルと一緒に向かったのは、まず「パリに一軒家がある地区があるのよ」ということで、ビュットショーモン公園の近くだった。そこはミッシェルさんの家のすぐ近くで、実はミッシェルさんの奥さんのJクロードの案内で一緒に行った事があったのだが、何回行ってもいいので、それは伏せて楽しむことにしたのだった。Jクロードと行ったところより少し外側の大きなビルが立ち並ぶようなところの近くまでも行ってみた。そして、ビュットショーモン公園を散歩。お昼は「サンドイッチを買って公園で食べる?」と言ったら、「いい考えね」とイザベルが言った。お昼を食べた後は、トイレ休憩もかねて近くのカフェに入った。その後2019年のクリスマスにサプライズでミッシェルさん夫妻とランチをすることになるカフェなのだが、彼らもお気に...ほほう!パリのアパルトマンでは大きな家具はこうして搬入搬出するのか!

  • サービス精神旺盛のエリック!!

    さて、一旦アパートに戻り、パン屋さんで買ったケーキを少し食べて、今夜の夕食の約束のエリック夫妻のところに行く準備をする。夕食の招待なので遅くなることが考えられ、エリックにも一泊だけさせてほしいとお願いしていた。ポルトドヴァンヴという蚤の市が開かれる駅のすぐ近くだ。到着すると懐かしい二人が待ってくれていた。2010年以来なので、4年ぶりの訪問だ。このエレベーターが好き↓この二人には、家に人を呼ぶとき、大きな家や部屋の必要もなく、おもてなしの心が大事だということを教えてもらって、そのことにいつも感謝している。親戚関係レベルに限りなく近い二人であるので、気を遣うこともない。2007年、2010年に続き三度目の訪問になる。彼らは最初の訪問時の時もそうだったが、自分たちの寝室を明け渡してくれ、自分たちはロフトの上のソファ...サービス精神旺盛のエリック!!

  • ノートル・ダムから左岸散策で束の間ののんびり時間

    シャトードヴァンセンヌを後にして向かったのは、ノートル・ダムから、左岸のサンジェルマンデプレ。立派なパリ市役所だ↓数日前、フランソワーズ夫妻と来たレストラン↓ナポレオンのレストランにフランソワーズ夫妻と来たが、最近左岸をゆっくり散策することがなかったので、リュクサンブール公園などで少し休憩したり、エブリンがおすすめだというレストランやカフェのメモを参考に見てみようと思っていた。彼らはパリに来るとき到着するパリモンパルナス駅に近い、左岸のこの界隈によく来ると言っていた。サンジェルマンデプレ教会↓フランス好きの友人から「日本のと違って、とてもおいしい」と教えてもらったので、トマトジュースを↓有名なカフェで、日本の家族や友人への絵ハガキを書いてみた。帰国した時と、このはがきが着くときとどっちが早いかくらいの時期だった...ノートル・ダムから左岸散策で束の間ののんびり時間

  • 日本の洗濯機とフランスの洗濯機はどう違う?

    図書館夫妻の夕食の招待から戻り、昨夜はパリで借りているマリーアンジュの家族のアパートで3日目にして初めて眠る夜だった。朝起きて、マリーアンジュに教えてもらった美味しいパン屋さんに出向き朝食のパンを買った。フランスのパンをいろいろ試してみたくても日本サイズより大きいものが多いので、なかなか思うように試すことができないのが残念である。ヴィエノワズリーというオーストリア由来のパン、つまり甘いパンが美味しいというパン屋が近所にあり、ここで朝食をとるときは何度かその店に行った。朝食後は、洗濯機を回してみる。使い方を聞いてはいたが、うまくいかず早速マリーアンジュに電話でSOSを出し、いろいろ聞きながらあれやこれや触っていると、動き出した。フランスの洗濯機は(たぶんヨーロッパの洗濯機全般に言えるのであろうが)とても時間がかか...日本の洗濯機とフランスの洗濯機はどう違う?

  • アニーたちと無理やり分かれて、後味が悪いまま、次の約束へ

    アニーたちと散策スタート。パッサージュを通り、パレロワイヤルの方へ向かうことになるのだが、その辺りくらいまではなんとか、ギリギリ夜の約束に間に合いそうだと思っていた。途中から気が気ではなくなってしまい、「ごめんなさい。そろそろ帰りたい」と言ったが、「まだ早いわよ」という。次の約束があることを言いそびれてしまっていたので、さらに私は窮地へ追い込まれていくような感じさえしていた。しかし、アニーはまだまだ紹介したいところがあったようで、コメディフランセーズ、マドレーヌやオペラまで行こうとしていた。少しは一緒に歩いたのだが、「夜遅くなるとメトロに乗るのが怖いので」とも言ったが、彼女はご機嫌が段々悪くなっていった。結局アニーはコーラスの予定の時間までまだあったので、ここで別れることになり、ブルーノが私と一緒に地下鉄に乗り...アニーたちと無理やり分かれて、後味が悪いまま、次の約束へ

  • クリスチャンのいとこのブルーノはコンセルヴァトワールの元教授だった。

    さあ、大変だった。遅刻するのは仕方ないにしても、ランチの招待のアニーとクリスチャンの従弟のブルーノの家にも行くのは初めてだったので、あまり行ったことがないエリアで不安があった。案の定、地図を印刷してきたが、最寄駅から遠くないのに、少し迷ってしまった。それでも何とか、アパートの前に到着できた。アニーが窓から首を出してみていて、手を振っていた。すぐに降りてきてくれて、遅れたことをお詫びして、ランチが始まった。ブルーノは現在は退職しているが、この時はパリのコンセルヴァトワール(国立高等音楽院)の教授だった。芸術大学の最高峰と言える学校である。作曲が専門で、日本でコンサートのための来日時に、奈良にも立ち寄ったのだった。(その後再来日の時も)アニーは中学の音楽の先生で、コーラスを今も続けているらしい。ちなみにクリスチャン...クリスチャンのいとこのブルーノはコンセルヴァトワールの元教授だった。

  • 大吟醸をリクエストしていたJ・フランソワ。

    朝起きると、テーブルには、カトリーヌ作の器がたくさん並んでいた。最初はカトリーヌのほうが、「ザ・フランス人」かと思っていたが、もしかしたらJ・フランソワのほうが、とこの滞在から思えてきたのだった。カトリーヌは、ブルトン人ということで、バターは有塩バター、そしてJ・フランソワは多くのフランス人がそうであるように、無塩バターと二種類用意されていた。ブルトン人のジェラールももちろん「有塩バター」だった。多くのフランス人が無塩バターなのは、バゲットは食パンより塩分が多く、無塩のほうが美味しく感じられるのだと思う。有塩バターも粒入りで美味しいのだが、私もバゲットには断然、無塩バターだ。有塩バターが出される家で、「もしかしてブルターニュ出身?」と聞くと,大概「ウイ」という。食後、カトリーヌは、ハープシコードを弾いてくれた。...大吟醸をリクエストしていたJ・フランソワ。

  • ソフィアン君の両親の家には大型犬がいて、ちょっと戸惑った。

    パトリック夫妻にアパートに送ってもらった後、今夜はパリ郊外、メトロ駅の終点が最寄り駅のソフィアン君の両親から夕食の約束があった。今夜も借りているアパートで寝ないことになる。私は夕食の招待があるとき、帰るときの治安面が心配なので、送ってもらえる時以外はタクシーを使うこともあるが、以前タクシーを使って交通事故?にあってしまった経験があるので、できるだけ避けたいところなのである。だから、夕食だけでなく、以前から家に泊まってと言われていたこともあり、一泊だけお願いしていた。初めての訪問である。ソフィアン君によると「両親はとってもフランス人」なので、気を使ってくれたこともあるが、こちらは慣れたものである。この時、ソフィアン君は確かドイツに住んでいて留守だったので、ソフィアン君の部屋を使わせてもらった。大きな室内犬がいた。...ソフィアン君の両親の家には大型犬がいて、ちょっと戸惑った。

  • 骨董好きパトリックおすすめのエマウスへ

    今回、パトリック夫妻のところに泊まった一番の理由は、パトリックがおすすめのEmausという骨董市に行くためだった。何でも朝早く行かないといけないらしく、早々に朝食を済ませ、出かけることになった。庭の青紅葉↓開場時間には早かったが、すでに何人かが列を作っていた。この骨董市は、もともと教会の神父様が、不用品のリサイクルでホームレスなどの救済などの慈善活動で始めたということだが、富裕層が多いこの地方ではお宝もよそではないくらい安く買えたりもするそうで、大勢の人がやってくる。パトリックはよくここで、日本のお宝を見つけては、「いつごろのものか?日本製か」などとメールで送ってきていたのだった。部屋ごとに家具、食器、装飾品、絵画、衣類、バッグほか、いろいろ分かれていたが、重いものは持って帰れないので、記念に小さく軽いものをい...骨董好きパトリックおすすめのエマウスへ

  • サンジェルマンアレーのパトリックの送迎、夫妻と夕食

    マリーアンジュ両親と別れる前に、アパートのすぐ近くのマリーアンジュ家族がお気に入りの日本料理レストランを紹介してもらった。(未訪問)↓18時、時間通りにパトリックは迎えに来てくれた。パトリックはきっとびっくりしているだろう。なぜなら、彼はこのように迎えに来てくれること、また送り届けてもくれるのだが、そのたびに、違う家なのだ。最初は2009年だったか?19区ビュットショーモン公園の近くのミッシェルさん宅に迎えに来てくれた。ミッシェルさんの奥さんと電話で話し、その美しい声に驚いていたことが思い出される。(でも会ってはいない)2010年の夏は、17区の凱旋門の近くのカトリーヌ夫妻宅へ送り届けてもらった。2014年はここ、11区レパブリック広場近くのマリーアンジュのアパートへ送迎、2017年には3区の北マレのアニーとブ...サンジェルマンアレーのパトリックの送迎、夫妻と夕食

  • ノートル・ダムからカルチェラタンへ

    ノートルダム大聖堂や、芸術橋を通り、カルチェラタンへ向かった。この時は、このように鍵がたくさんぶら下がっていた芸術橋だが、今は鍵は撤去されている。残念ながら、パンテオンのクーポル(屋根のドームのこと)は修復中でカバーされていた。すぐ近くにマリーアンジュが通っていた高校があった。アンリ四世校といい、優秀な生徒が通う学校だそうだ。双子の子供たちもいずれそんな高校に行くのかもしれない。アパートまでの帰路の途中で、路上マッサージのような物を見かけた。中国人かもしれない。いろんなことを考えるものだ。フランソワ夫妻とお別れをして、今夜からパリで初アパート体験の始まりである。本来はそのはずだった。しかし、今夜はサンジェルマンアンレーのパトリック夫妻が、迎えに来てくれ、郊外に住む彼らの家に泊まることになっていたので、迎えを待っ...ノートル・ダムからカルチェラタンへ

  • ナポレオンも来たことのあるパリ最古のレストランで名物コッコヴァン。

    朝ごはんを食べた後は、さっそくパリへ向かう。昨日は車だったが、今日はパリ散策なので、RERのC線の最寄り駅まで10分ほど歩き、そこからパリ行の列車に乗った。降りたところは,サンミッシェル駅。街歩きスタート。11区のアランデュカスのチョコレートショップは工房の様でちょっと興味深かった。ここでも日本人女性が働いていた。一旦マリーアンジュのアパルトマンで休憩をして、お昼の予約をしたサンジェルマンデプレの方に向かった。今日のランチは最古のレストランと言われ、ナポレオンも訪れたという歴史あるレストランであった。厳かな雰囲気もあり、緊張してしまうような内装だったが、夫妻の服装はいたって普通である。日本人であれば、こんな雰囲気のレストランにはドレスコードが気になるところであった。しかしいつもと変わらないスタイルの彼らと一緒だ...ナポレオンも来たことのあるパリ最古のレストランで名物コッコヴァン。

  • パリにもどって、パリ郊外のフランソワーズの家へ。

    パリからサルラに発った日から、約10日ぶりにパリに戻ってきた。16時を過ぎていた。モンパルナス駅のホームで待ってくれていたのは、フランソワ夫妻。今日は、郊外に住む彼らの家で一泊させてもらうのだが、明日から彼らの娘のマリーアンジュの留守宅を借りることになっているので、荷物の移動が必要だった。懐かしいパリの景色を車窓から見ながら、向かったのは、ミッシェルさん宅。フランソワが勤めていたエールフランス↓(実際はここではなく、郊外)アンヴァリッド↓サンジャックの塔が見える↓今年改装が終わり再び開店したサマリテーヌ↓区役所↓これから会う予定の人たちのお土産など、ミッシェルさん宅に置かせてもらっている荷物を持ってこなくてはいけなかった。簡単にはいかないので、車の中で待ってもらい、慌ててスーツケースの入れ替えをした。このような...パリにもどって、パリ郊外のフランソワーズの家へ。

  • アンジェの日仏カップルのチョコレート屋さん訪問

    楽しい夕べから一夜明けて、エブリンが朝食を用意してくれた。最近フランス人も健康のため、ナッツ類を朝食に摂る人がいるが、それを見た初めての事だったかもしれない。デーツと言う乾燥果実も初めてだった。私の好物のあんずも出された。アルカションのお母さんが焼いてくれたケーキに驚いたが、エブリンもまたカトルカール、つまりパウンドケーキを焼き、朝食にバゲットとともに並べられていた。フランスで朝食にケーキが出されたのは、今までで、この二回だけである。それが特別なのか、地方によるのかはわからない。フランス人は、確かイタリアもそうだったが、このケーキにジャムなどをつけて食べるのである。ちなみにクロワッサンにもバターとジャムをつけて食べる人も少なくない。朝食の後、買い物に出かける彼らについていく。この町に美味しいチョコレート屋さんが...アンジェの日仏カップルのチョコレート屋さん訪問

  • レンヌの親友ジャクリーヌとフィリップがやってきた。

    アンジェの家に帰宅して、一息ついてから、ジェラールとエブリンは夕食の準備に取り掛かっていた。ストーブに火を入れて待っていると、ジャクリーヌとフィリップがはるばるやってきた!!料理に関係する仕事をしていたというフィリップは明るくてひょうきんで、私のイメージ通りの「ザ・フランス人」なのだ。「変わらないねえ!!」とお互いに言い合って、再会を喜ぶ。何の気づかいもいらない彼らも、私にとって貴重な友人の中の1カップルである。しかもわざわざレンヌから車を飛ばして夕食のために来てくれるなんて、感謝せずにはいられない。フィリップはいつも笑わせてくれる。いつもニコニコしていて怒ることなどあるのだろうか?と思わせる人なのである。確かジャクリーヌは前夫とは死別で、フィリップも離婚して、二人とも再婚であるが、この二人の間にできたシモンと...レンヌの親友ジャクリーヌとフィリップがやってきた。

  • 巨大で勇壮なアンボワーズ城、そして優雅なシュノンソー城

    ランチの後、外観を見るだけにとどめたアンボワーズ城は、巨大な城である。要塞としての役割もあったのかもしれない。ロワールのお城巡りの締めくくりは、シュノンソー城であった。ここは昔パッケージツアーでヨーロッパを訪問したとき、オプショナルツアーのロワールお城巡りで来たことがあったので、再訪となった。ほとんどのお城に言えることだと思うが、お城は外から見るのがやっぱり素晴らしい。このお城もすがたの美しさはいつまでも眺めていたくなるほどである。駐車場に着いた時、エブリンの忘れ物に気づき、ジェラールが探しに戻っている間、エブリンとお城までの道をゆっくり歩きながら進んだ。お城の中に入ってほどなくしたころ、ジェラールが合流できた。お昼のレストランに忘れていたようだ。お城の中はもちろん、庭の散策も楽しんだ後、帰路に向かう。今夜はジ...巨大で勇壮なアンボワーズ城、そして優雅なシュノンソー城

  • 天才レオナルドダビンチの終の棲家クロリュセからスタート。

    洞窟ホテルの朝食は、とても豪華で、B&Bというよりはスモールラグジュアリーホテルと言った感じ。B&Bを後にして、向かったのはクロリュセと呼ばれるレオナルドダビンチゆかりの館だった。ロワール河沿いのお城の一つでもある。ダビンチが発明したものの模型はとりわけ興味深かったが、ダビンチの終の棲家になる前は王様の住居だったので、寝室などは豪華絢爛である。庭園から見る外観も赤レンガ造りで、他のロワールのお城とは少し違うが、私には魅かれるものだった。次に向かったのは、大きなアンボワーズ城。ここでランチを取ることになった。グルメなジェラールの眼鏡にかなう店ではなかったようだが、こういう店ではシンプルなものがいいと彼のアドバイスに従い、クロックムッシュを注文した。天才レオナルドダビンチの終の棲家クロリュセからスタート。

  • ヴーヴレイの洞窟ホテルでクロマニヨン人体験!?

    ここからはロワール川沿いに走るので、途中、シノン城のそばを通ったり、ロワール河沿いの有名なお城を車窓から見ながら走った。シノンの近くには大きな原子力発電所もあり、ちょうど2011年の震災後だったため、川沿いとは言え、こんな内陸部に大丈夫なのかと通過しながら思ったものだ。途中にはロワールのワインカーブもあり、彼らはそこで調達しているようだった。そして、到着した今日の宿。それは、少し高級なシャンブルドットで、プールまであった。私たちはホテルの普通の部屋ではなく、クロマニヨン人を彷彿とさせる崖を掘った半分洞窟みたいな部屋だった。柱も土だった。「うふふ」とエブリンは笑う。この部屋は、後でわかるのだが、湿気があり、電波も届きにくく、珍しいものなので泊まる価値はあるが、快適さを求めるものではないのであった。このシャンブルド...ヴーヴレイの洞窟ホテルでクロマニヨン人体験!?

  • アンジェに着いて、待っていたのはサプライズの予告

    アンジェでは2010年に来日して以来の再会になる、ジェラールとエブリンが迎えてくれた。もともとジェラールはブルトン人なので、レンヌ郊外に住んでいた。エブリンと出会ってから、行ったり来たりしているようで、この時もそうだったが、退職後の今は二人でアンジェに住んでいるのだった。大きなアンジェ城を車から見て、20分くらい走り家に到着すると、ランチが準備されていた。アンジェ郊外の屋根瓦というかスレートの名前が付いたトレラゼという町だ。今日本でもこのようなスレート(昔は黒板の代わりに使われていたとか)をお皿として使った料理が和洋の店で見られるが、トレラゼだけでなく、2012年に訪れたドルドーニュでは、ローズ(バラでなく、Lauze)と呼ばれる瓦もあった。ジェラールが料理上手なのはよく知っているが、このエブリンも上手で、ジェ...アンジェに着いて、待っていたのはサプライズの予告

  • やっと笑顔を見せてくれたチトワン、今は柔道をしているとか。

    今日はナントを出発する日だ。二人とも仕事だったが、ティエリは駅まで送っていくから、駅の近くの植物園でも見学してはどうかと提案があった。荷物は、昼休みに駅まで届けてくれるという。至れり尽くせりだ。朝食後、ローランスにはお別れの挨拶をし、私はティエリとTitouan(チトワン)と一緒に車に乗り、まず保育園にチトワンを送り届けた。これは前日のチトワン↓フランスの保育園を見るのもめったにないことで、一緒に降りて中を少し見学させてもらった。少し大きな子供たちは、自分でコートなどをかけておくようになっていた。ようやくTitouanは、今朝からやっと笑顔を見せてくれるようになっていたのだ。保育園に送る↓今はもう8歳くらいになっていて、スリムで端正な男の子になっている。確かお父さんがそうだったように、柔道を習い始めたとか言って...やっと笑顔を見せてくれたチトワン、今は柔道をしているとか。

  • ナントで買い物、そして三度目の正直?のお好み焼き(らしきもの)を作った。

    クリッソンの村の観光を終えて向かったのは、スーパーマーケットだった。帰りもまた、ミュスカデの葡萄畑↓親戚一同、そしてこの若い家族のおもてなしに、せめて夕食をと申し出たのだった。とは言っても、もちろん簡単なもの、関西名物?お好み焼きにしようと決めた。アルザスの両親宅でも、お好み焼きを試みたが、それはあまりうまくできなかった。というか、はっきり言って失敗に近かった。お好み焼きをフランスで作るのは三度目で、一回目は二週間のホームステイをしたとき、アヴィニョンマダムに作ったのが初めてだった。その時、キャベツの種類が二種類あることも知らず、「グリーンのキャベツか?」と聞かれて「ウイ」と言ったのだった。それは,葉がチリチリしていて少し辛みのあるキャベツだった。そこで、アルザスでも、そして今回も白いキャベツを使った。しかしこ...ナントで買い物、そして三度目の正直?のお好み焼き(らしきもの)を作った。

  • 外れがないリンゴのタルト、そしてClisson(クリッソン)へ。

    午前中の散策を終えて、いったん帰宅し、昼食をティエリが用意してくれた。ソーセージを焼いたものがメインだったが、ソーセージ類は日本のものとは比べ物にならないほど、美味しい。バーベキューの様な豚肉の串焼きも焼いてくれた。付け合わせはクスクスだ。生ハムと玉ねぎのマリネ。ケチャップで和えられたものは、何だったか思い出せない。デザートは、ローランスが用意してくれたリンゴのパイ。シンプルだが、フランス人はこのお菓子がとても好きで、私も簡単で美味しいので、お気に入りのお菓子になった。そして、午後の観光は、隣村のクリッソンだ。ナントから電車でも20分くらいで行けるそうだが、もちろん車で向かった。途中には、白ワイン「ミュスカデ(Muscadet)」で知られる葡萄畑を通る。クリッソンは私の好きな小さな村だった。石畳、廃墟の様なお城...外れがないリンゴのタルト、そしてClisson(クリッソン)へ。

  • 「フランス人的気質」のフランスの猫と日本庭園に思う

    ナント滞在2日目。朝食を済ませた後、少し庭に出てみた。夏にはバーベキューをするような用意もされていた。隣の猫がよく来るので、餌を置いておくらしい。きれいな猫だったが、フランスの猫は眼光も鋭く感じる。フランスの家庭で時折猫を飼っているところに行く。ただ日本の猫はもっと人懐こいように思う。フランスの猫は「猫までフランス人的」で、あまり甘えないように思う。ここでいうフランス人的とは「右を向けというと左を向く」あれである。隣の家が売却されるそうで、「うまく交渉できれば買いたい」とこの時言っていたが、その後うまく行ったという話は聞かないので、そのままかもしれない。そして、エルドル川沿いを散策。船が好きなティエリ夫妻は、川沿いに留めてある船を見ながら、いろいろな話をしてくれた。ティエリは父親系が、アルザス人(あえてそう記そ...「フランス人的気質」のフランスの猫と日本庭園に思う

  • ブルターニュ大公城、ナントの大聖堂の観光。

    コーヒーを飲んだ後、ローランスの兄夫妻は帰って行き、私はティエリと一緒にナントの町へと出かけた。ローランスは妊娠初期ということで、「ボルドーやアルカションへは行けず、大事を取っていた」と説明し、ナントの街歩きもティエリ1人が案内してくれた。まずは、ナント大聖堂。残念ながら、去年(2020年)火災があったそうだ。しかも放火ということだ。こんな美しい教会だったのに、と悔しい思いがする。次は、ブルターニュ大公城。城塞を歩くこともできる。さすが、ブルターニュ王国の首都ナントだっただけあり、立派なものだ。ビスケットで有名なLUというメーカーはナント発ということで、その工場の「塔」が見える。今は移転したそうだが、塔は残り、上ることもできるそうだ。LU↓この地図の下に写っているビスケットがLUのものである。↓街を歩くと、「S...ブルターニュ大公城、ナントの大聖堂の観光。

  • ブルターニュ王国の首都ナントに初めてきた。

    途中,パーキングで休憩をして、ナントへ到着。ナントでは、ガンツジュニア家族が昼食の準備を整えて、待ってくれていた。初めて会う二人の息子はTitouan(チトアン)という確かブルトン語の名前だった。ちょっと変わった名前だなという印象だった。(ちなみにこの時ローランスのお腹にいた二人目の男の子はCorentin,コランタンと名付けられ、やはりブルトン由来らしい)お母さんのローランスに似た大きな目をした一歳過ぎのこの男の子は、ほんとに愛らしかった。ナントは昔ブルターニュ地方が一つの大国だった時の首都だったのを思い出した。ブルターニュ地方に住んでいた人たちは「ブルトン人」で、フランスに最後に併合された王国だったと聞いている。人種的にはアイルランドと同じらしい。ラテン系ではなくケルト人らしい。彼らはブルトン人として今でも...ブルターニュ王国の首都ナントに初めてきた。

  • 家族総動員でアルカションからナントへ送迎、それでもフランス人は冷たいという人がいる!?

    アルカションで一泊した翌朝、テーブルに並べられた朝食にまた驚かされる。伝統的なバゲットやクロワッサンではなく、手作りケーキ(たぶんカトルカール、つまりパウンドケーキだったと思う)、トースト、そして本場ボルドーならではのカヌレが朝食に並んでいた。カヌレももちろんフランソワーズの手作りで昨夜出されたものだが、この日の朝も登場。(お土産にも持たせてくれた)パウンドケーキの様なものは、イタリアでアグリツーリズモという農家滞在をしたとき、朝食に出された記憶がある。「甘い朝食」というのはフランスのみならずイタリアも同じだ。フランスで出されるのは初めてだったパウンドケーキだが、この後また目にすることになるので、地方の特色なのか、好みなのかはわからない。出発前に庭の散策↓朝食を満喫し、フランソワーズとジャンクロードがアルカショ...家族総動員でアルカションからナントへ送迎、それでもフランス人は冷たいという人がいる!?

  • アルカッションのお屋敷での、心のこもったディナーに感激

    海岸での散策を終えて、家にやってきた。とても立派なお屋敷にまずびっくり。こちらの家は海好きということで、室内は船室のように感じられる内装になっていた。廊下にはロープがあったり、部屋のドアの入り口の窓が船室のようだったりした。荷物を下ろして、一息ついて、夕食の時間は21時を過ぎていた。簡単なものかと思いきや、やはりアペリティフから用意されている。もしかしたら、この時間なので、これだけかも?とも思ったが、なんのなんの。「さあ、テーブルへ」という声。私は数々の家庭で食事を頂いてきて、この後も2019年の12月まで何度もその機会があったが、ここでの夕食が私には、忘れらないくらい素晴らしかった。素人の域を超えていると言っても過言ではないだろう。私の好みももちろんあり、その好みにピッタリ合ったものが次々出された。まずは、サ...アルカッションのお屋敷での、心のこもったディナーに感激

  • 2回目のボルドーで観光用のトラムに乗せてもらい、そしてアルカションへ。

    ボルドー到着。2012年にピアニストのアンリさんと一緒に来て以来だ。待ち合わせまで、少し時間があったので、外に出てみた。彼が座っていた思い出の場所を見ると、重い病気の彼が最後の力を振り絞って一緒に来てくれたことが思い出される。ここに腰掛けて迎えを待っていたアンリさん↓そろそろ時間だ。どんな人だろうと思ってみていたら、やってきた!!あの人たちだ。とすぐ分かった。お母さんはニコニコしていて、お父さんはシャイなのか、表情はあまり変わらない。一昨日のガンツジュニアからのメールでは、「迎えに行けなくなったが、ローランスの両親はボルドーで待っている。そして街を案内して、彼らの住むアルカションに連れて行ってくれる。また翌日はアルカションから列車でボルドーに向かってくれたら、ボルドーで今度はローランスのお兄さん夫妻が待っていて...2回目のボルドーで観光用のトラムに乗せてもらい、そしてアルカションへ。

  • おにぎりを売っている日本人男性に出会ったサルラの朝市、そしてボルドーへ。

    ボルドーへ出発する前に、朝市が立つというので、行ってみることにした。いろいろ興味深いものが出ていたが、2012年ドルドーニュでセブリーヌと一緒に傘を買ってきたそのメーカーの傘も出ていた。安いがかさばるものは持って帰れない。あと、帽子好き?な私が気になったのは、パナマ帽。くるくると丸めて収納できるものまであるようだった。気さくな店員さんがいろいろ説明してくれる。でも昨日私は、別の帽子屋さんでベレー帽を買ったばかりだ。頭の形を見て?サイズに合ったものをさっと出してくれるのは、今までにフランスでもスペインでも経験したことだ。食料品も店ももちろん出ていて、なんと!!日本人男性がおにぎりなどを販売していた。列車の中で食べようと、おにぎりと稲荷ずしを買ってみた。奥さんはフランス人女性だそうで、長くここサルラに住んでいると言...おにぎりを売っている日本人男性に出会ったサルラの朝市、そしてボルドーへ。

  • 不評だったエッフェル塔の帯留め、その裏にみえる「パリ嫌い」。

    サルラでの最終日は、ゆっくり街歩き。明日はボルドーに行くので、その前にアパルトマンから駅まで歩いて距離を確かめ、列車の時刻表も確認。切符がなくてもホームに入れる↓駅の近くには水道橋↓クロマニヨン人の洞窟↓この石畳の町を歩いているだけで、風情があるのだが、駅の近くにはちょっとした貴族の館の様な家も目についた。セカンドハウスとして利用されているのかもしれない。サルラはトリュフも近くで採取できるので食通の人にはたまらないかも?。↓なんと紅葉の苗の販売↓街を歩いていると、日本人女性とフランス人男性の若いカップルに出会った。パリからサルラに越して来たそうで、物価も安いし、治安もいいので、とても気に入っているという話だった。子供を育てるにもずっと適しているとのことだった。若いカップルはたくさんの可能性があり、その経験はどれ...不評だったエッフェル塔の帯留め、その裏にみえる「パリ嫌い」。

  • サルラ散策、そしてアニエスとアパートのキッチンでホワイトアスパラ。

    昨夜は帰宅が遅くなったが、アンリが夜道をギリシュと一緒に送ってくれた。ギリシュがいないと夜道は夜露もおり、霧がかかり道がわからなくなるからということだ。確かにその通りで街灯も十分ではなく、前がよく見えないので道をよく知っている人でないと、迷ってしまうに違いない。しかもワインを飲んだ後である。「大丈夫?」と聞いた私に「強いお酒は飲んでいないから」と言った。つまり食後酒とされる40度以上のアルコールは口にしていないからということだ。ワインはやっぱり水代わり?とは言わないが、そう言う国なのだ。ましてや、彼はブルゴーニュ人?である。仏印カップルのおもてなしで締めくくられた日の翌日は、アンリ夫妻とアパートを借りたここ、サルラ観光の日だ。彼らも初訪問なので、新鮮な発見を共有しながら散策をした。このサルラは、「三銃士」など中...サルラ散策、そしてアニエスとアパートのキッチンでホワイトアスパラ。

  • St. Amand de Coly修道院とギリシュの手料理

    そして、午後は、ラスコーから15分くらいだったろうか、L'abbayedeST.AmandedeColyという修道院へ向かった。フランスの美しい村に選ばれているだけあって、中世の街並みが残る好きなところだった。しかもあまり観光地化されていないのがいい。クリックすると大きくなります↓川沿いの散策は、パリ郊外の印象派の村、Chatouを思い出させる。今夜の夕食は、ギリシュ夫妻宅で、手料理が待っていた。暖炉に火が入る。メインは、ギリシュが腕を振るった鴨(マグレドカナル)で、薄焼ピッツアの様な前菜?は、アニエスのお手製によるものだ。ケーキはアンリ夫妻の友人でプロヴァンスのお菓子屋さんのケーキ。(サロンドショコラで来日の経験もあり:フレデリック・アヴェッカーさん)↓最後にみんなで折り紙↓(アニエスは室内でもダウンを着てい...St.AmanddeColy修道院とギリシュの手料理

  •  何千年も前のクロマニヨン人の芸術家に脱帽

    今日は、朝からラスコーの洞窟へ行く予定だ。アパートで朝ごはんを食べたら、アンリ夫妻がお迎えにやってきた。このバゲットは、スーパーで買ったものだが、おいしくてお気に入り。↓(洗濯機を使うのも初めてなので、写っている洗剤はとにかく短期なので小さいもの、ということで選んだので適切なものかどうかは?)そして、夜はギリシュ夫妻が夕食に招待してくれるということになった。サルラでの貴重な一日になりそうだ。迎えに来てくれたアンリ夫妻とともにまずはラスコーの洞窟へ向かう。もちろんレプリカではあるが、観光の目玉なので、入場も時間ごとに区切られていた。それまでカフェで時間をつぶす。アニエスは、カフェ・ノワゼットという可愛らしい名前のコーヒーを頼んでいた。ノワゼットはヘーゼルナッツという意味だが、ヘーゼルナッツが入っているというわけで...何千年も前のクロマニヨン人の芸術家に脱帽

  • ブルメザックの鍾乳洞に行くまでのアニエスとの「内緒の話」

    ランチの後、ギリシュ夫妻と別れ、アンリ夫妻と少し散策をした。アンリの奥さんのアニエスと二人になった時、彼女が言った。「前に来てくれた時、会いたかったのよ。でもいろいろ苦しいことがあったの。聞いているでしょ。まだ完全に元通りってわけじゃないんだけどね。人生は平坦なものではないわ。」2010年アヴィニョン演劇祭の時期に訪ねたとき、アンリには会えたがアニエスには会えなかった。いつもなら泊めてもらうところだが、別の友人宅にお世話になった。顔を見せることもなかった。プライベートなことなので、詳しくは書けないが大学時代の同級生が結婚し、30周年の記念旅行に日本に来たくらい仲良しの二人の関係に、亀裂が入ったのだった。何度かアニエスとの関係の修復の兆しはあったものの、別居を繰り返したり、やはり難しいことが多かったようだ。最終的...ブルメザックの鍾乳洞に行くまでのアニエスとの「内緒の話」

  • Le Bugue(ル・ブーグ)の市場と仏印カップル

    朝食の後、アンリ夫妻が朝サルラのアパルトマンに迎えに来てくれた。アパートを見て、「なかなか清潔でいいじゃないか」と私とほぼ同じ感想。今日は朝から彼らが泊めてもらっているサルラ郊外の友人と合流して市場に行くそうだ。そのあとその友人たちと一緒にランチに加えてもらえるそうだ。ということで、まずは市場へと向かう。その車の中のアンリ夫妻の話だけれど、たまたまこちらに来る前、以前アヴィニョン郊外のシャンブルドットに泊まった時の宿の主人(ジャン・ポール)にばったり出会ったそうで、私の話が出たんだという。「どうしているのか。会うことはあるか」と。何とも奇遇な話だ。「今から会いに行くんだよ」と言ったら、びっくししていたそうだ。こういうところに「縁」を感じる。このムッシュは奥さんをとても大事にしていて、奥さんの実家でシャンブルドッ...LeBugue(ル・ブーグ)の市場と仏印カップル

  • パリからサルラに移動し、初めてのアパート暮らしを始めた。

    カトリーヌとリシャールにお別れをして、凱旋門からモンパルナス駅へ向かうバスに乗る。凱旋門が見える部屋↓バスでの移動は時間が読めないが、その分十分余裕を持って出てきた。大きな荷物があるときは、階段や乗り換えがあるメトロよりは、便利である。2年前はこのモンパルナス駅で待ち合わせたアンリモルガンとのボルドー行だった。↓モンパルナスタワー↓しかし、送ってくれたミッシェルさんの車が渋滞で動かず、列車は見えていたのにゲートが閉まってしまい、乗れなかった苦い思い出がある。今回は大丈夫だ。余裕を持っていける。列車移動の間にランチのサンドイッチやパン↓パリ発10:46TGVで14:05にLIBOURNEという駅で乗り換える。時間があったので、外に出てみる↓そして在来線は14:35に出発し、サルラには16:48だった。車窓↓葡萄畑...パリからサルラに移動し、初めてのアパート暮らしを始めた。

  • タンゴを踊ってくれたあの明るく活発なカトリーヌが・・・

    パリの家でも夕食の準備をしてくれ、なんと、ご機嫌な彼女は、ご主人のリシャールに「タンゴを踊ろう」と誘った。「Non,カトリーヌ」と、ご主人は躊躇していたが、そんなことで引き下がらないカトリーヌは健在だった。結局2人のタンゴを見せてもらい、楽しい夕べだった。「今度はボルドーへ一緒に行きましょうね」と言ってくれ、その約束をしてお別れをした。その時はこれが最後になってしまうこととは思いもしなかった。追記:2016・2017・2018年と行っていたのに、優先するべきところがあったのと、病気のこともあって、連絡を遠慮していた。2014年の訪問以降、カトリーヌはメールのたびに「フランスに来るときは連絡してね。ボルドーの別荘へも一緒に行きたいわ」と書いてくれていたのに。2019年春のフランス訪問の計画を立てていた2018年1...タンゴを踊ってくれたあの明るく活発なカトリーヌが・・・

  • 印象派の島、シャトゥ村(Chatou)の思い出のレストラン

    凱旋門のすぐそばに住むカトリーヌ夫妻との再会は2010年以来になる。2009年の来日時、我が家に3泊し、1年後「是非に」と言われて、凱旋門に近いアパルトマンで数泊泊まらせてもらい、シャンパーニュの田舎の家でも3泊させてもらった。都会に住むフランス人が週末を田舎で過ごす野に連れて行ってもらうという経験は、本当に貴重なものだった。その田舎の家を売り、ボルドー近郊にまた別の家を買ったので、「来てほしい」と言われていたが、ボルドーには他の知人もいるので、なかなか機会がなかった。今回もボルドーに行くが、別の予定があるので、行くことはできない旨を伝えると「パリにどうぞ」ということだった。サルラに行く前に一泊だけさせてほしいとこちらからお願いしたのだが、「もちろん」という返事だった。ミッシェルさん宅へ迎えに来てもらった時、彼...印象派の島、シャトゥ村(Chatou)の思い出のレストラン

  • 狩猟博物館からマルチーヌ宅での夕食

    そして、向かったのは、狩猟博物館。パリの主だった美術館はほとんど訪問していたので、ここを選んでくれたようだ。ヨーロッパならではの動物のはく製や狩猟に伴う猟銃など、珍しい博物館だった。なんとなく日本の蒔絵風?↓そして、夜はマルチーヌ宅で夕食が待っていた。いつものようにトゥールーズで妹さんが作っているフォアグラとシャンパーニュからスタート。マルチーヌはクレームドカシスを入れて、キールロワイヤルにしてくれたが、ミッシェルさんは入れないほうが好きらしい。メインは、仔牛のクリーム煮(私の好物のブランケット・ド・ヴォ―)で、デザートのこれまた好物の手作りタルトタタンだった。旧知のメンバーで親戚といってもいいほどなので、おしゃべりに花が咲き、ゆっくしさせてもらい、またミッシェル夫妻とともにメトロで帰宅。明日は、カトリーヌとの...狩猟博物館からマルチーヌ宅での夕食

  • エリザベス女王も来たことのあるパリで最も古いお菓子屋さんがある通り

    まず、ミッシェルさん宅の近くを少し散歩した。今は復活祭の時期で、そのお菓子がたくさん並んでいた。そして、ほとんど観光客は来ないピレネー駅から一本でランビュトー駅までメトロに乗り、ポンピドーセンターのすぐそばのマルチーヌ宅へと向かった。彼女の家には何度も行っているはずだが、Jクロードは間違えていて、マルチーヌに電話をして、一本通りが違っていたことが分かった。ミッシェルさんの方向音痴はよく知っているが、彼女についてはほとんどそう言うことがなく、珍しいことだった。マルチーヌと一緒にまず向かったのは、モントルグイユ通りだ。レ・アールはちょうど改装中だった。そこを抜けていく。↓モントルグイユ通りは初めて訪問する場所だった。Jクロードはいつもこうして予定を立ててくれる。彼らと歩くこの通り。レストラン、カフェ、食材店などが並...エリザベス女王も来たことのあるパリで最も古いお菓子屋さんがある通り

  • ミッシェルさん宅で最初の一泊が始まった。

    2012年に続いてのフランス。まず到着日は、その時と同じパリのビットショーモン公園近くのミッシェルさん宅だ。いつも空港まで迎えに来てくれる。2年ぶりだ。今回もANAだったので、(2016年以外ミッシェルさん宅にお世話になるときはいつもANA)ターミナル1の古いターミナルに迎えに来てくれた。いつもウエルカムディナーを用意してくれるのだが、今回はマルチーヌが迎えに来ていないので、ミッシェル夫妻とだけのディナーでもあり、「スープとサラダだけでいい」とお願いした。奥さんのJ・クロードの作るスープが好きなので、いつも楽しみだが、今回も2012年と同様、ミントが添えられたプチポワ(グリーンピース)と他の野菜やたぶんベーコンなども入っていたと思う。しかしメインも軽く用意してくださっていたので、やはり頂かないわけにはいかない。...ミッシェルさん宅で最初の一泊が始まった。

  • フランス滞在28泊という過去最長の旅の計画。

    2014年フランススペインの旅の記録を終えて、さて今回はフランスでの滞在日数が28泊とこれまでの最長の旅を綴っていこうと思う。この旅のメインは、やはり6泊ではあるが、サルラでの初めてのアパート滞在だろう。そして、パリの友人の留守宅を初めて借りたことだ。以下がスケジュール。何よりも、フランス人に会うための旅旅のスタイル・宿泊について①2014年(fc2.com)お気づきかもしれないが、親戚づきあいのエスカレーターが入っていない。28泊しても足りなくて、ブルゴーニュ訪問は出来ず、彼らには内緒での旅行だった。ガンツジュニアからは「日本での滞在のお返しをする日を待っているのに、それはいつなの?」とラブコールを受けてのものだ。あとは、やはり「息子がお世話になったからぜひきてほしい」とヴァンサンの両親からのリクエスト。そし...フランス滞在28泊という過去最長の旅の計画。

  • いい人とたくさん触れ合ったスペイン旅行は素晴らしかった。

    今日は帰国の日。空港からマドリッドに来るときは、空港バスだったが、空港へ向かうのはどうしようか、迷ったが、鉄道で向かうことにした。朝早かったので、鉄道のほうが遅れがないだろうと思ってのことだ。同じように考える人が多いのか人が多く、危険はまったく感じはなかった。でもたぶん、降りた駅(ターミナル4)が私の搭乗するターミナル(ターミナル2)に遠いことが分かった。空港の人に聞いて、空港間連絡バスに乗ったが、かなり時間がかかり、余裕があると思っていたのに、ひやひやした。他に一組同じ状況の人もいた。あとでわかったがターミナル4にしか発着していない国鉄の列車(レンフェ)ではなく、地下鉄(メトロ)で来ればよかったわけだ。そんなことも知らなかった。(調べていなかった)何とか、ギリギリに私のターミナル4に到着。飛行機の出発まで、や...いい人とたくさん触れ合ったスペイン旅行は素晴らしかった。

  • 帰国前日のマドリッドを楽しむ

    荷物を置いて、まず向かったのは、スーパーだ。マドリッドのスーパー、メルカドーナへ。観光地から離れていて、住民が多く住んでいるところだったので、あまりきれいな場所とは言えないようなところを歩いていかなければならなかった。それでも、スーパーを見るのは楽しみの一つである。荷物を置いて、まだ行ってなかったプエルタ・デル・ソルという広場へ向かった。近くで遅めの昼食兼早めの夕食を取ることにした。今日は最後の夜で、明日の出発が早いので、早くホテルに帰るためだ。このレストランは、古い列車の客席を使い、装飾がクラシックで、なかなかよかった。最後のガスパチョ、そして、イワシのフリット、オレンジにプリンを食べた。そして、再びの王宮の方へ向かう。到着した翌日に来た時は雨だったので、晴れていると景色が違って見えた。そのあと、スペインのデ...帰国前日のマドリッドを楽しむ

  • 「古都奈良市」の姉妹都市、「古都トレド市」に別れを告げた。

    トレドを出発する朝。昨日はホテルで朝食を取ったが、今日はパン屋さんで買ったパンを部屋で食べることにした。またホテルのバルコニーに出て眺めを楽しみに、チェックアウトをした。フロントの男性は、「日本にいつか行きたいと思っている。」と言った。でも簡単に叶わないことは想像できる。このフロントの人は、私を最初何か別の国の東洋人と勘違いしていたようだ。日本人だと気づいてから、急に優しくなった。いつか来る事があれば、連絡してと、連絡先を渡しておいたが、いつか来日できるだろうか。スペインで感じることは、日本から来たことがわかると、たちまち相手が和らいだ表情に変わる。親日的な人が多いということだ。ありがたいことだ。やはり王国であることもその理由の一つであるのかもしれない。駅に向かうのもまた徒歩にした。来るときは上りだったが、帰り...「古都奈良市」の姉妹都市、「古都トレド市」に別れを告げた。

  • あの帽子屋のおじさんどうしているのかな?…と時々思う。

    トレド2日の朝は、ホテルの朝食から。やはり、生トマトが甘くないジャムのようにして、ついてくる。今日は特に見るところも決めずに、ただ街を歩く。迷路のようになっていると言われているこのトレドの細い道。石畳が多く残っていて、中世の町が好きな私は、歩いているだけで満足だ。できれば人が多くないところがいい。そんなことを思いながら、またエスカレーターで街の中へ。古い道も好きだが、スペインの建物はまたフランスとは違い、鋭角的で、色もオレンジや黄色、赤っぽいものが多く、建物を見るのもまた楽しい。まず小さな市場をのぞいてみた。少し洗練された市場なのかもしれない。中庭もあっていかにもスペインらしい。壁に盾のようなものがついているところもある。どんどん歩き、少し高いところまで行ってまた眺めてみた。そしていったんホテルへ戻り休憩。しば...あの帽子屋のおじさんどうしているのかな?…と時々思う。

  • サン・イルデフォンソ教会から絶景、そして対岸からの夜景。

    そして、街歩きを続ける。教会はもういいと思っていたが、景色が見られるならと、入ってみた。中も真っ白できれいなこじんまりとした教会。そして、絶景。高いところはほんとは苦手だが、素晴らしい眺望だった。お昼はこんな感じ。まあ普通↓本当の修道女が。↓エルグレコ博物館近くで休憩。夜は街の対岸の高台から、この町の夜景が見えるところへ行くため、HOTELでタクシーを呼んでもらい、出かけた。あまりお腹もすいていなかったし、いかにも観光客相手のお店でもあったので、軽く一品頼んで夜景を見て帰ることにする。夜景はきれいだった。中世の町がそのまま残っていてそれが一望できた。着いた頃は↓そして少し経つと↓そして御覧の通り↓このトレドは私の住んでいる奈良市と姉妹都市なのだが、いい町と姉妹都市になっているものだ。帰りもタクシーを呼んでもらお...サン・イルデフォンソ教会から絶景、そして対岸からの夜景。

  • 奈良市の姉妹都市トレド市に行った。

    マドリッドの朝はいつものように、前に泊まった宿の下のカフェに行く。搾りたてのオレンジジュースが美味しくて、マドリッドではお気に入りの店である。そして、アンダルシアの次に楽しみにしていたトレドへ向かう。アトーチャ駅では、古い列車で使われていたと思われる椅子が置かれている待合室でゆっくりして、それから荷物検査を受ける。そしてトレドへ向かった。1時間少しでバスで行く方法もありで、少し迷ったが、列車を選択した。列車だと30分だ。マドリッドから日帰りもできる。通路の反対側のマダムはスペイン人で見るからに情熱的な感じがする女性で、少し話をした。こういう列車で近くの人と話をするのは、旅の楽しみの一つである。最近は友達が増えすぎたので控えているが、よくアドレスも交換し、その後の再会につながっている友人もずいぶんとある。思い出す...奈良市の姉妹都市トレド市に行った。

  • ソフィア王妃芸術センターの目玉はゲルニカ

    マドリッドでお昼を食べた後、ソフィア王妃芸術センターに、ゲルニカを見に行く。宿の目の前にある。ここも写真撮影が禁止だった。こうして考えると、撮影し放題のフランスが特別なのだろうか、と思えてくる。あのモナリザのあるルーブルも昔からそうだったし、オルセーやもちろんヴェルサイユ宮殿などもである。むしろ禁止のところがほとんどないので、思い出せないくらいだ。作品は撮影できないので、中から外を撮ってみた。真下に広場が見え、その広場に私の泊まっている宿も面している。さて、公園へ向かって歩いていく。レティーロ公園という大きな公園がある。池があり、家族連れが多く、マジックなども楽しんでいた。シベーリス宮殿のほうまで歩いた。この宮殿は空港からマドリッドに到着したとき、車窓から目に飛び込んできて「あ、マドリッドに来た!」ことを感じた...ソフィア王妃芸術センターの目玉はゲルニカ

  • マラガで怪しい若者が横に座った。危機迫るその時。

    ネルハを出発するバスは朝6時台だった。朝早く起きて、宿の人が言っていたように、勝手に朝ごはんを食べて、荷物を持って外に出た。この宿に決めたのはバス停に近いからだった。何人か同じバスを乗る人たちもやってきた。最初に来たバスは、私が乗るマラガ行きではなかった。バスは予約制だったので、予定しているバスが遅れてくると予約したバスの時間とちがってくるので大丈夫かとドキドキする。やがて遅れているバスがやってきた。他の乗客の人たちにもこのバスで間違いないかを確認して、そのバスに乗ることができた。バスで向かうのはマラガ。一時間半だ。マラガはピカソゆかりの地であるが、観光する時間はない。到着してバスターミナルから鉄道駅まで歩き、最後の望みをかけて、駅の窓口で無駄になってしまうダブルブッキングしてしまったチケットの変更について尋ね...マラガで怪しい若者が横に座った。危機迫るその時。

  • ネルハの海岸は賑わっていた。

    フリヒリアナからタクシーで戻った後は、ネルハの町へ歩いていく。途中で、なんとフリヒリアナへ一緒に行った名古屋の女子大生二人に出会う。彼女たちによると、「なぜだかわからないが、帰りはバスがあり、それに乗れた」という。彼女たちはそう言う運を引き寄せるものを持っていたのだと思う。彼女たちは今日このままネルハには泊らず、グラナダに帰るので、ネルハの町や海について教えてもらい、ここでいい旅をと言い合って別れた。ネルハは海のリゾート地で、5月だがそこそこの賑わいがあった。海の向こうはジブラルタル海峡か。籠を頭にのせて歩くアフリカ女性がいた。初めてみる光景だった。海岸を歩いていると、また1人の女性に出会った。彼女は日本が好きだと言い、少し住んでいたこともあると言っていた。旅行者で確かベルギー?からだったか。お腹が空いてきたの...ネルハの海岸は賑わっていた。

  • フリヒリアナは文字通り白一色の村だった。

    今日は、念願の白い村・フリヒリアナへ行く日だ。タクシーを手配してもらっていたので、時間に余裕をもってホテルの下に降りていく。グラナダ駅にバスで着いた時は、鉄道駅の方だった。今日はバスのターミナルだと念を押して、行ってもらう。到着すると、すでにたくさんの旅行者がいた。ALSAというバスで、ネットで簡単に予約も決済もできた。行き先はフリヒリアナに近い街のネルハというところだ。そこで一泊することになっている。でもどのバスに乗ったらネルハに行けるのかさっぱりわからない。表示だけを見てみたら何か違っている。急な変更なのかどうかはわからない。運転手のような人にたずね、「OK」と言われても、なんだか心配になるのだった。そこで見かけて声をかけたのが、名古屋からきているという大学生の二人。彼女たちに確認をして、やっと安心できた。...フリヒリアナは文字通り白一色の村だった。

  • 再びのアルバイシン

    アルハンブラ宮殿を後にして向かったのは、アルバイシンだ。昨日ペラーヨに案内してもらって歩いたところがやっぱり好きだ。もう一度行ってみよう。そして、ペラーヨが東京の友人と食事をしたというレストランでランチを取ることにした。そこは高台にあり、アルハンブラ宮殿が反対側に見える、素晴らしい景色も御馳走だった。お腹がいっぱいになったところで、降りてきて街に出ると、何やらお祭りなのかステージでダンスをしていたり、その周りの広場で大人たちがカップルで楽しそうにダンスをしていた。また少し歩くと人だかりしていた。それは、サッカーチームが泊まったホテルから出てくるのを見ている人たちだった。私はサッカーに詳しくないが、「どこのチーム?」と聞いたら、「エスパニョーラ」と答えたので、フランス語だと「スペイン」という意味に近いので、スペイ...再びのアルバイシン

  • イスラムの歴史の匂いが残るアルハンブラ宮殿へ行った。

    グラナダ2日目は、アルハンブラ宮殿からスタート。朝早く起きて、当日券の販売開始少し前に並びに行く。宿は駅までは遠いが、中心地で、アルハンブラ宮殿にも上りではあるが、徒歩で行ける。買えるかどうか、この時点ではもちろんわからなかった。並んでいると、二手に分かれていることに気が付いた。短いほうの列は何だろう。機械で買うような感じであった。よし、一か八か、機械での購入に賭けてみよう。と、短いほうの列に並ぶことにした。購入して帰ってくる人に聞いてみると、時間ごとに発売されるようだ。何となく買えそうな気がしてきた。そして、私の番が来た。案の定、途中までやってみたが、なんかうまくいかない。もう一回試してみる。ごちゃごちゃ押していると、枚数が多く出てきてしまった。もちろん支払いも一枚多い。しまった!!!!二回も繰り返してしまっ...イスラムの歴史の匂いが残るアルハンブラ宮殿へ行った。

  • グラナダの青年ペラーヨは「気は優しくて力持ち」

    グラナダを案内してくれたのはペラーヨ。彼を紹介してくれたのは、東京の友人で、彼は友人宅に滞在していたことがあり、日本語も英語も堪能な青年だった。その東京の友人宅には、ラパンアジルのピアニストだったアンリモルガンさんも毎年滞在していたくらいたくさんの外国人が滞在していたが、その中でもこのペラーヨは人柄の良さからしてもトップクラスのおすすめの人ということだった。それは、一目見ただけで分かった。人柄というのは顔に出るというのは本当だと思う。彼は武道(確か合気道?)もやっていたとかで、体は大きく頼もしいが、とても優しい好青年である。そんな彼とまず向かったのはアルカサルと呼ばれる地区?だった。こういう道が大好きな私は、歩いているだけで幸せになる。上まで登ったところで休憩をして、彼といろいろ話をした。「もう日本に滞在してか...グラナダの青年ペラーヨは「気は優しくて力持ち」

  • グラナダについたら感じのいい青年が待っていてくれた。

    セビリアの駅まではまた徒歩だ。時間に余裕があるとはいえ、少し道を間違えたようで、時間がかかってしまった。30分くらい歩いたかもしれない。まあ、とにかく駅に着けた。カフェで朝食の様な物を食べる。後で気づいたのだが、生トマトのペースト?ジャム?のようなものがついてくることがある。このトマトは甘くないので、ジャムではない。オリーブオイルで味付けされている。これがスペインの朝食の特徴なのかもしれない。クロワッサンのこの月の形、これはフランスでもバターではなくマーガリンを使っているということだ。だからフランス人はどちらかというと真っ直ぐなクロワッサンを好む。バターを使ったものはまっすぐなのだ。そうか、やはりバターではないから、味が違ったわけ?グラナダまでまた高速鉄道。と思いきや、途中まで行ったところで、全員おろされた。そ...グラナダについたら感じのいい青年が待っていてくれた。

  • 本場のフラメンコに圧倒された。

    フラメンコ発祥の地のセビリア。ワクワクしながらフラメンコ鑑賞に向かう。規模が小さなところで、踊り手は1人で演奏は二人だ。もう少し大きいところでは、踊り手も何人かいて、最後になるにつれて「大トリ」のような素晴らしいダンサーが出てくると聞いた事があり、それもまたきっと素晴らしいに違いない。初めてのフラメンコ鑑賞なので、こういう小さなところでも十分満足できた。何といっても飲食なしなのでリーズナブルだ。司会進行の人の話も楽しいものだった。ダンスも情熱的だが、演奏しかつ歌う二人も情熱的だった。熱気に圧倒された。フラメンコ鑑賞後は、オランダ人との夕食だ。宿の近くのバールというのか、路上にテーブルが置かれているところだった。4月の末だが、夜風も寒くなく心地いい。食事の途中でギター弾き?がやってきて、ムードのある歌を歌ってくれ...本場のフラメンコに圧倒された。

  • アルカサル、絶景、闘牛場、そして昼食は「タパス」?

    セビリアの2日目。朝食は近くにおいしそうなパン屋があったので、そこで買ってきて部屋で食べる。食べ物、特に魚介や果物が美味しいスペインではあるが、正直に言うと、パンは何か物足りない。やはりパンはフランスが世界一だと思う。外れがない。しかもレストランではもちろん無料。暖かいスペインとは小麦も違うのかもしれない。今日はまずアルカサルへ。列を作っていた。仕方なく並ぶことにする。フランソワーズ夫妻が言っていた通り、少しアルハンブラ宮殿の様な感じがしないでもない。先にセビリアに来たのは正解だろう。グラナダでアルハンブラ宮殿を見た後だと印象が違うかもしれないが、こちらを先に見ると異国情緒たっぷりで、中庭やモザイクなど、ここでも十分満足できる。セビリアは小さな町なので、徒歩でほとんど回れる。私は一旦宿に帰り、宿の近くで簡単にお...アルカサル、絶景、闘牛場、そして昼食は「タパス」?

  • セビリアの好印象はまず「スペイン広場」と「イカ墨のパエリア」だった。

    念願のアンダルシア、まずはセビリアに到着。水道橋?の様なものが見える。↓町の中心までは歩いて20分くらいだったろうか。地図で見るとわかりやすそうだったので、徒歩で向かった。着いた時間が4時ごろだった。スペインはまだまだシエスタの習慣がある。マドリッドでも食事時間など、慣れるのが大変だった。宿に着いたはいいが、誰も受付にいなかった。あー、シエスタの時間か。どうすればいいかと、玄関前で困っていると、宿の人と思われる女性がどこからかやってきて、チェックインができた。希望の部屋とは違っていて、窓がない部屋だったが、広くて清潔だしまあいいか。そして、チェックイン時に支払いを済ませたが、この人に会ったのはこの時だけだった。まあ、不都合もなかったので、よしとした。南に来た!!という感じがする。荷物を置いて、散歩に出かけた。植...セビリアの好印象はまず「スペイン広場」と「イカ墨のパエリア」だった。

  • マドリッドからセビリアへ「AVE」に乗った。

    今日はセビリアに向けて出発する。余裕をもって準備するためにも、可能なときは出発時間はだいたいお昼前後にしている。まず、アンダルシアから戻った後の宿に,、今回持っていかない荷物を移動もしないといけない。できるだけ荷物は少ない状態で移動したいので、そこの宿に荷物を預かってもらうためだ。その宿は、一つ目の宿よりアトーチャ駅に近い。すぐにわかった。一つ目の宿でもそうだったが、小さい宿は、首都マドリッドでも英語が通じない。でもアンダルシアから戻ってくる日を伝え、予約の確認をしてもらった後、荷物を預かってほしい旨をジェスチャー交じりで伝えた。そうするとそう言う人も多いらしく、スーツケースがたくさん置かれている部屋があって、「そこにおいておきなさい」ということらしい。言葉が通じなくても、このようにコミュニケーションができると...マドリッドからセビリアへ「AVE」に乗った。

  • 奈良で出会ったスペイン人とイタリア人のカップルに再会した。

    今夜はマドリッド郊外の友人宅へ。初めて郊外へ向けて電車に乗るので、やはり緊張はしたが、まだ明るい。駅までご主人のステファノが迎えに来てくれていた。彼はイタリア人でミラノ出身だ。奥さんのクリスティナはスペイン人でマドリッド生まれだ。さかのぼること何年だろう。今から15年くらい前だろうか、奈良観光を終えて帰る途中の二人に蜂蜜屋で出会った。ラテン系らしい二人なので、フランス人かなと思って声をかけたのが始まり。二人ともとても感じがよく、連絡先を交換し、メールのやり取りをしていた。そして、この訪問の数年前、スペインに旅行する息子たちのことをメールすると、「ぜひうちに」と、招待に預かった。その時はグラナダ在住で、建築に関係する仕事をしている二人は、アルハンブラ宮殿で仕事をしていたのだった。夜遅く着いた息子たちを迎えにきても...奈良で出会ったスペイン人とイタリア人のカップルに再会した。

  • プラド美術館を出ると青空。この旅も雨のち晴れになるか。

    ようやく王宮があった。中に入ってみようかと少し並んだところで、欧州の人(たぶんEU)は無料で、それ以外は有料とわかり、面白くないので止めることにした。オペラ座↓この辺りで休憩にしよう。休憩に選んだのは、チュロスの食べられる店だ。ホットチョコレートと一緒に食べるのがよさそうだ。なかなか美味しい。ここで、来客の女性に「日本人ですか」と声を掛けられる。そうだというと、「日本が大好きで,行った事がある」と話が弾んだ。折り紙をプレゼントしたり、アドレスを渡したが、連絡は来なかった。こういうこともよくある。午後は空いていると書かれていたので、夕刻、プラド美術館に行ってみようと思い、行ってみると、入り口は長蛇の列だった。私はフランス人みたい?だが、並ぶのがきらいである。よっぽどここもパスしようと思ったが、マドリッドと言えばプ...プラド美術館を出ると青空。この旅も雨のち晴れになるか。

  • 小雨(涙雨?)のなか、とりあえずマドリッド市内観光へ。

    アトーチャ駅の次は、まず有名なミゲル市場へ行ってお昼を食べることにする。初めてのメトロでドキドキする。この数年前息子の友人がマドリッドだったかバルセロナだったかのメトロで、4人組に囲まれたと聞いていたからだ。しかし、パリのメトロに比べると少し明るい気もするし、そこまで心配な感じもしなかった。マヨール広場に着いた。広場に面した回廊は、大きさは違うが、少しパリのヴォージュ広場にも似ている。そして、市場へ。市場に行くのは楽しい。その土地ならではの食べ物など見られ、人々の生活を感じることができる。ここは有名で、チャールズ皇太子も来られたようだ。少しお澄まし系の市場と言えるだろう。物価が安いと言われるスペインだが、この市場はものすごく安いという感じでもなかった。スペインの食で、出発前に食べたいと思っていたものは、もちろん...小雨(涙雨?)のなか、とりあえずマドリッド市内観光へ。

  • 到着翌日、早速大失敗に気が付くもどうしようもできなかった話

    友人泊と比べてのメリットで一番なのは、やはり日本からの到着日そのまま眠れることだろう。ぐっすり眠り、朝早く目が覚めた。友人宅だと必ず気を使ってくれて軽い夕食が待っているから、すぐには寝れない。今日は1日ゆっくりマドリッド観光の予定だ。部屋からの眺め↓ベッドの上で、明日セビリアへ向かうため、チケットをチェックして、呆然とした。なんと!!!!!コルドバを日帰りにしたため、列車のチケットを変更したはずだった。確かにキャンセル料を払ってキャンセルをした。しかし、よりによって、あろうことか、同じ日の同じ時間のチケットを再予約してしまっていたのだ。白い村に行きたくなり、変更キャンセルが効かないチケットを一回無駄にして、取り直したのに。2回も無駄にしてしまう。何か方法はないものか。チケット予約代理店に連絡を取ろうと思った。が...到着翌日、早速大失敗に気が付くもどうしようもできなかった話

  • マリーアンジュ夫妻と偶然同じ飛行機でアムステルダムまで一緒に。

    初スペインへ出発。関空ではちょっとした楽しみが待っていた。というのもこの4月にフランソワ夫妻の娘のマリーアンジュ夫妻が来日していた。もちろん我が家にも2泊だったと思うが滞在し、彼らが借りていたレンタカーで明日香村など一緒に訪ねたのだった。それが出発のわずか2日くらい前だった。そして、彼女らの帰国日はわかっていたが、もしかして、と尋ねたら、なんと同じ日の同じ便で関空からアムステルダムまで一緒だということが分かったのだ。こんな偶然はなかなかない。ちなみに空の上ですれ違うねとメールが来たのは、通称「やじさん、きたさん」で、彼らはパリから入れ違いに来日するとのことだった。関空で予定通りマリーアンジュ夫妻に会えて、一緒にチェックを受け免税店でお土産を買うという彼らに付き合った。帰国後まもなく父親のフランソワの誕生日だとい...マリーアンジュ夫妻と偶然同じ飛行機でアムステルダムまで一緒に。

  • かくしてスペイン旅行の計画は出来上がった。

    2015年スペイン旅程①大阪関空→アムステルダム経由→マドリッド着②マドリッド観光③マドリッド→セビリア④セビリア観光⑤セビリア→グラナダ⑥グラナダ観光⑦グラナダ→ネルハ→フリヒリアナ→ネルハ⑧ネルハ→マラガ→マドリッド➈マドリッド→トレド⑩トレド⑪トレド→マドリッド⑫マドリッド⑬マドリッド→アムステルダム経由→関空この年は,仕事を始めて一年目で旅行は出来ないと思っていたのだが、出発の2週間前に偶然見つけた航空券が、税込み八万円を切る安さだったので、決行することにした。エールフランスの共同運航便のKLMを使って、アムステルダム経由マドリッドへの便であった。旅程は上記の通りだ。12泊の旅程で、バルセロナが入っていないことが不思議に思う人もいるかもしれない。私は近代的な建築物には興味がないこともあり、あえて外したの...かくしてスペイン旅行の計画は出来上がった。

  • 最も親しい人たち三組の家にばかり泊まり歩いた旅だった。

    2016年の旅行を振り返ってこの旅行は、コートダジュールでアンリ夫妻、そしてパリでミッシェル夫妻と、一泊だけパリ郊外のフランソワ夫妻と旧知のカップル宅での滞在だけだったので、本当に気を遣うこともなく、親戚の家を訪問するような滞在だった。一緒に毎日行動を共にするので、朝も帰宅後も簡単なものを用意してくれたアンリ夫妻。外食や御馳走も嬉しいが、こういう日々の食卓を垣間見ることができ、一緒に味わえるのも親戚関係レベルならではだった。それはミッシェル夫妻宅でも同じで、朝はミッシェルさんは不眠症なので早く目が覚めコーヒー一杯だけだそう。ジャンヌクロードはそれより遅く1人でパンも食べているようだが、朝が遅い私より二人とも早いので、私は1人で朝ごはんを食べる。それも彼らのキッチンの小さなテーブルで。勝手知ったる家なので、勝手に...最も親しい人たち三組の家にばかり泊まり歩いた旅だった。

  • 空港を通り過ぎた!?最後の最後でまさか!!のハプニング!! 

    帰国の朝を迎えた。ミッシェル夫妻宅に泊まるとき、今まで全日空だったので、夜便で少しゆっくりして帰ることができたのだが、今回はエールフランスなので、午前中にパリを出発しなくてはならない。出発ターミナルもエールフランスと全日空とでは違う。その時は、それほど、気にもしていなかった。ただゆっくりできなくて残念だなと思ったくらいだった。支度もできていたので、余裕を見て少し早めに出発することにした。あっという間にパリを出ていた。意外と道路も空いていたので、「早くつけるね」と言ったら、「空港近辺で混むかもしれないけどね」とミッシェルさんは言っていたが、それでも十分余裕があった。そして、いよいよ飛行場に近づいた、と思ったその時だった!!!ミッシェルさんが「あっ!」と言った。一瞬何が起こったかわからなかった。しかし、すぐに「高速...空港を通り過ぎた!?最後の最後でまさか!!のハプニング!!

  • マルチーヌは二人の妹さんに、いつも威張っているのだ。

    マルチーヌの家に到着。リンゴの木から落ちて骨折し、手をつった痛々しいすがたのマルチーヌが待っていた。双子の妹の一人で、トゥールーズで農業を営むベルナデットもきていた。ミッシェルさん夫妻はもちろん何度もあっているようだったが、私は初対面になる。もう一人の双子の一人フランシーヌとは、2012年にパリ郊外の家を訪ねたときに会った事があった。(この旅行記は完結できていないので、ブログでは、紹介できていない。いずれまた、続きを)マルチーヌやミッシェル夫妻からも聞いてはいたが、この双子の姉妹は風貌も、意見も全く似ていない。そして、性格も全く違うことがすぐにわかった。ベルナデットは明るく働き者だ。にこにこしている。フランシーヌは大人しくとても繊細な感じの人だった。きびきびとアペリティフの用意をして、持参の自家製のフォアグラを...マルチーヌは二人の妹さんに、いつも威張っているのだ。

  • パリでベトナム料理のおいしい店

    今日がこの旅の最終観光日だ。ミッシェル夫妻と言えば、共通の友人のマルチーヌだが、最終日まで会わなかった、いや会えなかった。これには、訳がある。彼女は、この旅の直前に、彼女が週の半分を過ごすパリ郊外の実家で、今は妹さんが暮らす家の庭のリンゴの木から落ち、骨折してしまったからだ。嘘のような本当の話であった。最終日の夕食を彼女と一緒に取ることになったようだ。今日のお昼は、ベトナム料理店だそうだ。ミッシェルさん曰く「とても美味しいんだけど、お店は快適ではないんだよ」とのこと。さて、どんなお店なのか。フランスで、ベトナム料理を食べるのは初めてだった。フォーと言う麵が有名なのは知っていた。しかしミッシェル夫妻が頼んだのは、「ボブン」と呼ばれるものだった。よく見ると、アジア系の人はみなフォーを食べている。しかし、フランス人に...パリでベトナム料理のおいしい店

  • ジャンヌクロードが交渉すると、大抵「ウイ、マダム」という返事。

    今回の旅もいよいよ終盤。今までミッシェル夫妻のところに何度も泊まり、それもほかのかぞくのどこよりも一番長く滞在してきた。にもかかわらず、彼らとともに散策をしたり、出かけたりというのは、一回の旅行で、一日中一緒というのは1日で、もう1日行動が全く同じ時間があったとしたら、夕食にミッシェル夫妻の友人を呼んだパーティーへの参加ぐらいだった。今回は、短い滞在ながら、パリでもあまり他の友人に連絡せず、ミッシェル夫妻と行動を共にすることを優先した。と言っても6泊で、中身5日しかなく、そのうち3日ということになる。1日はジェルブロワに行った。残り2日はパリ散策。今日は、ジャンヌクロードがいろいろ予定を立ててくれていたが、昨日「シャルティエ」でランチをしたと言ったら、たいそうがっかりされた。「私たちも今日シャルティエに行くはず...ジャンヌクロードが交渉すると、大抵「ウイ、マダム」という返事。

  • 初めてパンテオンのキュリー夫人のお墓にも行った。

    パンテオンへ着いたのは、四時を過ぎていたと思う。エスカレーターは帰りのTGVももちろん予約してあるので、私のほうが大丈夫かと気が気ではなかった。ここでも入る前に荷物のチェックがあった。中世美術館より少し厳しめの検査だったが、それでもやはり日本人には甘い。フーコーの振り子↓ジャンジャックルソー↓ユーゴー↓ジャン・ジョレス↓エスカレーターは私に見せたい要人の場所を的確に教え、いくつか一緒に見て、私も一緒に帰ろうと思っていたが、彼は「私たちは電車の時間があるから、もう出るけど、あなたはもっとゆっくり見ていきなさい。」という。それではあんまりなので、一緒にと何度も言ったが、言い出すと頑固なおじさん、初めからそのつもりだったのであろうと察し、ここで見送ることにした。予期しないお別れだったが、「楽しい一日をありがとう」とお...初めてパンテオンのキュリー夫人のお墓にも行った。

  • 久しぶりに懐かしいビストロ「シャルティエ」

    今日は、エスカレーターがディジョンからパリにやってくる。彼はSNCFに勤めていたので、無料でフランス国鉄に乗れるのだ。(奥さんも)しかもパリまで1時間半もかからないくらいなので、よく出てくるそうだ。ただしこれはコロナの前までの話。ディジョンに行けないときは、このように彼らとパリで会うことも何度かあった。今回は、中世美術館とパンテオンに行くことになっているので、待ち合わせをどうするか、連絡しあった。よくリヨン駅で待ち合わせをしていたが、今回は、RERのリュクサンブールの駅とかいろいろ候補が上がったが、結局中世美術館前にしようということになった。少し時間があったので、ミッシェルさん宅から11号線のピレネー駅まで歩き、そこから一本で市役所前で降りて、歩くことにした。ストリートアート↓ほぼ時間通りに、中世美術館に着くこ...久しぶりに懐かしいビストロ「シャルティエ」

  • 日本から来ている友人とポルト・ド・ヴァンヴの蚤の市へ。

    ミッシェルさんの家はビュットショーモン公園の向かい、つまり北東の端、待ち合わせの場所のポルトドヴァンヴは南西の端なので、パリを斜めに縦断する感じになる。このメトロ、乗っていると最初はアフリカやアラブなど移民系が多く、セーヌ川(つまり中心部)から南の方になると客層がガラッと変わり、いわゆる日本人がイメージするフランス人が多くなるのも興味深い。治安もよくないと言われる北駅・東駅を通る。最初はわからなかったが、逆方向に走るとき、北駅・東駅付近を過ぎてミッシェルさんの家に近いところへ向かうと、移民系と言ってもちゃんと生活している人たちが多く、また観光客がほとんどいないこともあり、落ち着いた雰囲気であり、意外と安心かもしれないと思えるようになってきた。さて、日本人の友人とはポルトドヴァンヴの駅を出たところの交差点で待ち合...日本から来ている友人とポルト・ド・ヴァンヴの蚤の市へ。

  • ソフィー宅のおもてなしに感激し、ブランシュニュイも見ることが出来た。

    ミッシェルさんの車で送ってもらい、ソフィーの家に着いたのは、約束の時刻より遅れてであったが、笑顔で迎えてくれた。今は二人の子供の親になっているソフィーとガブリエルだが、この時はまだ第一子のラファエルがお腹にいた。イタリア人のご主人の作るパスタもさすがに美味しいが、ソフィーの料理もいつもとても美味しい。来日して以来、日本に影響されたと思われる鉄瓶なども飾ってあった。デザートはソフィー手作りのフォンダンショコラだったが、これは絶品だった。あまりに美味しいと言ったからか、「どうぞ」と帰りに残りを全部持たせてくれた。しかし、この後も外食が続くので、私の口に入ることはなかった。チョコレート好きのミッシェルさんは、「最高だ」と大喜びしていたので、良しとしよう!!この日は、確か、ブランシュニュイの日で、夜通し何かの催しが行わ...ソフィー宅のおもてなしに感激し、ブランシュニュイも見ることが出来た。

  • 来たかったジェルブロア(GERBEROY)という村

    小さな中世の村が大好きなのは、ブログでもいつも書いているが、今日はパリ近郊にあって車がないと簡単にはいけない村へ行く。パリの北西120kmとある。ジェルブロワ(Gerberoy)は、思っていた通りの素敵な村だった。本当はバラの美しい季節が最高なのだが、バラがなくても十分満足できた。17世紀に建てられた家↓道路も舗装されているが石畳も残っていて、私好みの家が並んでいた。まずアトリエでいきなりびっくりしたのが、入り口の看板に日本語でフランス人の絵画の個展の紹介がされていたことだ。「日本の観光客が来るの?」と聞いたら、「ええ、たくさん」とアトリエの女性は話してくれた。私はこの二年前、日本に来たナタリー夫妻に聞くまで全く知らず、こんなアクセスが良くないところにと驚いた。どうやら、パリからの小旅行のツアーがあるらしい。お...来たかったジェルブロア(GERBEROY)という村

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