鑑三翁はその後64歳の時に次のように記す。老年期を「老熟」と捉えている。前項の論稿から10年近くが経過して鑑三翁の考え方もやや深化していると言ってよいか。《老年の祝福》【老いとは老耄ではない。老熟である。そうあらねばならない。老いは長く神に導かれてきた人間の”実験”であると考えればよい。信仰をもつ者はこのような考え方で神に仕え人間にも仕えなければならない。これに勝る幸福はない。したがって老いはできるだけ長い期間でありたいものだ。老年の一年は壮年の十年、青年の二十年に相当する。「命長ければ恥多し」(注:中国の古典「荘子」に「寿ければ辱め多し」〈長生きすれば恥をかくことが多い〉とある)という言葉は、信仰無き者の言い分であり、信仰をもつ者が口にする言葉ではない。「あなたの力はあなたの年と共に続くであろう」(申命...[Ⅶ299]老いの意味論(7)/鑑三翁「老い」を記す②