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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育] https://blog.goo.ne.jp/tsuguchan4497

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

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2020/12/12

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  • [Ⅴ245] 泣きべそ聖書(5) / 天国にありて我を待つ  

    鑑三翁は1884(明治17)年、農商務省を辞職し船でアメリカに渡った。24歳だった。アメリカ到着後鑑三翁は一人のアメリカ人医師ケーリン氏(注:IsaacNewtonKerlin、アメリカの精神医学草創期の精神医学者、1834-93)との出会いにより、彼が院長をしていたペンシルバニア州エルウィンの知的障がい児養護院で看護人として働くことになった。鑑三翁には医学者への志もわずかながらあったからでもある。ここでは院長や院長夫人、婦長ら敬愛すべき人たちとの出会いがあった。しかし鑑三翁のキリスト教神学への強い希求のもとでは、養護院での勤務は満足をもたらさなかった。そして鑑三翁は当時アメリカに滞在していた新島襄注)と出会った。そして新島の勧めに従いアマースト大学(1821年創立)に入学する。この大学の総長がシーリー氏...[Ⅴ245]泣きべそ聖書(5)/天国にありて我を待つ 

  • [Ⅴ244] 泣きべそ聖書(4) / かりそめの涙にあらず  

    鑑三翁が言論人として、また教育者として、キリスト者として成熟し、旺盛な社会活動を展開していた頃の事だ。娘のルツの死という試練が待っていた。1912(明治45)年1月、鑑三翁が52歳(注:「選集」の年譜に従って数え年、以下同様)の時だった。女学校を出て間もない19歳のルツは、鑑三翁の経営する「聖書研究社」で事務の仕事を手伝っていた。ルツの死は鑑三翁に深刻な打撃を与え、鑑三翁の「来世観」にも大きな変化を与えた。親が子に先立たれることを日本では「逆縁」と言う。親がその子(特に幼い子ども)を喪うことは、人生における極めて大きな事件である。その心の打撃は計り知れず、人間としての”未来”を喪失するに等しい試練と言っていい。それは鑑三翁にとっては妻かずの死と同様の衝撃の大きさだった。鑑三翁が妻かずの死に遭遇したのは30...[Ⅴ244]泣きべそ聖書(4)/かりそめの涙にあらず 

  • [Ⅴ243] 泣きべそ聖書(3) / 快癒のきざし‥涙    

    鑑三翁の「不敬事件」では、鑑三翁が教壇に立っていた第一高等学校の生徒などが鑑三翁の自宅に連日のように押しかけ、罵声と共にゴミを投げ入れるなどの蛮行を行った。病の床にあった鑑三翁になり代わり、妻かずは外来者の矢面に立ち夫を防禦する日々だった。そしてこの事件の三か月後に鑑三翁はかずを喪うのである。鑑三翁30歳。かずも自身の病気と不敬事件の心労で病の床にあった。かずの死が心労の果てのものであったことが、鑑三翁により一層の深い悔恨をもたらした。『愛する者を喪ったとき』(原題『愛するものゝ失せし時』)は1893(明治26)年に発表された。ここには愛する妻を喪ったとても深い悲嘆の心情と、信仰を悔い祈りもやめて涙の日々に沈む日々、そしてそこから神の救いによって恢復の道をたどる鑑三翁の心の軌跡が記されている。妻かずの死は...[Ⅴ243]泣きべそ聖書(3)/快癒のきざし‥涙   

  • [Ⅴ242] 泣きべそ聖書(2) / 梅花に託した涙

    ここで「梅花」に鑑三翁が仮託しているのは神である。厳格な父なる神である。憐れみに満ちたキリスト・イエスである。そして慈母の如きマリアである。そして鑑三翁がこの時胸に抱いていたのは亡き妻かずの魂である。「君の心は涙の貯水池」こそ神、神には水源の貯水池に満々と湛えられた水の如く「涙」が湛えられている。神は憐れむべき人間に対しては「涙」を流される。人間であり神でもあるキリスト・イエスは(注:恐らく重い障がいを背負っていた身内の)ラザロの死に際して涙を流された。またご自身の死が迫ったことを知って弟子たちの前で泣かれた(涙を流された)。キリスト・イエスの母マリアは、人間の罪を一身に負って十字架に架けられ息を引き取った我が子の下で慟哭の涙を流したことだろう。また神が遣わされた預言者エレミヤは、神によって見捨てられ遠く...[Ⅴ242]泣きべそ聖書(2)/梅花に託した涙

  • [Ⅴ241] 泣きべそ聖書(1) / 鑑三翁 梅花に涙す

    鑑三翁は1901(明治34)年の『万朝報』3月10日号に署名入り記事として「梅花と別る」という一文を寄稿している。原文は硬調だが格調高く美しい。原文の方が鑑三翁の真意も伝わりやすいだろう。だが漢文調で漢字を多用していて理解しにくい部分もあるので敢えて現代語訳してみた、鑑三翁には叱られるだろうが‥。梅花に託した鑑三翁の「涙」とその心の奥底に分け入ってみたい。少し長文である。【春は未だ浅く氷が張っている頃なのだが、君が咲いてくれたおかげで、私は春が来つつあることを知ることができた。君は春ではない。春の預言者(注:原文は「予言者」。鑑三翁は「預言者」を使う事が多い)である。春は桜である。躑躅(ツツジ)である。藤である。しかし彼らが来るには未だ間があったので、天は君を送って、私たちに消えようとする春の希望を繋いで...[Ⅴ241] 泣きべそ聖書(1)/鑑三翁梅花に涙す

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