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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育] https://blog.goo.ne.jp/tsuguchan4497

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

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2020/12/12

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  • [Ⅶ293] 老いの意味論(1) / 伸びたゴムが元に戻らない‥

    [Ⅶ293] 老いの意味論(1) / 伸びたゴムが元に戻らない‥

    鑑三翁は1930(昭和5)年3月にこの世での仕事を終え帰天している。69歳。当時としては長寿である。私はその年齢をとっくに越したが、最近心身に「老化」の兆候が迫ってきてかなわない。目にも歯にもあそこにもどこにも不具合が来ている。ふと私を襲っている老化の兆候は鑑三翁も経験したのだろうかと思う時がある。鑑三翁は心臓の病を持っていたから、その不快な身体症状は耐え難かったのではないかとも推測できる。それらの日々については鑑三翁の日記に記されているが、それは病気の症状に関してのものであり「老い」の実感を殊更記しているのではない。しかし神から遣わされた天才預言者にも老いは確実に到来していたはずである。鑑三翁の「老い」に関する論稿は少ないが、これに関しては後日触れることにする。※妻と朝の軽食をとり寝室兼書斎でラジオ体操...[Ⅶ293]老いの意味論(1)/伸びたゴムが元に戻らない‥

  • [Ⅵ292] 安楽死/考 (15) / あなたは安楽死を望んだか‥

    [Ⅵ292] 安楽死/考 (15) / あなたは安楽死を望んだか‥

    私自身の体験である。ある日突然妻の若菜がスキルスの診断を受けた。若菜はおよそ4か月の闘病の末に5歳と1歳になったばかりの二人の子どもと私を残して天国に帰った。この間私は若菜には病名を告げなかった。彼女との闘病の日々のことは既に書いた《連載[Ⅲ134-184]我がメメントモリ(1)-(51)》。私は若菜の苦悶を見ているのが耐えがたかった。しかし彼女には苦悶の時間が過ぎると平安の時間が訪れることがあった。この平安の時間の中で私は若菜とあらゆることを話した。病室のソファーで寝ている私の指と若菜の指とを緑の毛糸で結んでおいて、目覚めて尿意を感じたときなどは若菜がこれを引っ張って私を起こした。私は彼女の排泄のケアをして後便器を病棟の廊下の端にある洗浄機で洗浄して病室に戻る。すると束の間静かな時間が流れ二人で話し込ん...[Ⅵ292]安楽死/考(15)/あなたは安楽死を望んだか‥

  • [Ⅵ291] 安楽死/考 (14) / 「安楽死」を弄ぶ者たち

    [Ⅵ291] 安楽死/考 (14) / 「安楽死」を弄ぶ者たち

    一人のALSの患者さんが主治医でもない二人の医師に”安楽死”を依頼して実行し亡くなった。2019年11月のことである。この患者さんはSNSで一人の医師Aと出遭い、この医師につながるもう一人の医師Bとタッグを組んで”安楽死”が実行された。二人の医師はその後逮捕・起訴され審理が続いてきたが、24年3月5日京都地裁でAには懲役18年の判決が出された。共謀に問われたB被告はこう話しているという(AERAdot.240307)。「Aは寝たきりの人や高齢者は医療費をむさぼり不要だと言い口癖のように”片づける”と言っていた」と。何とAは元厚労省医官である。Aの生命観には言葉を喪うしかない。この事案を主導した医師Aがかつてツイッターの投票機能を使って「安楽死」の”対価”を公募したところ、”三千件の応募”があり具体的には「...[Ⅵ291]安楽死/考(14)/「安楽死」を弄ぶ者たち

  • [Ⅵ290] 安楽死/考 (13) / すぐ手の届く所にある死の選択肢

    [Ⅵ290] 安楽死/考 (13) / すぐ手の届く所にある死の選択肢

    宗教思想家で音楽家の竹下節子さん(フランス在住)のブログを私はいつも読んでいる。ある日の投稿が目に止まった(230623)。ベルギーでの安楽死の事例だ。その一部を紹介させていただく。『「自殺幇助の先進国」のベルギーの例で、3人の子供を持つ49歳の男性が、事故で手足の機能をすべて失ったことを知った後、48時間後には「自殺」幇助を受けたというのがあるそうだ。はやい。素人目にもはやすぎる。もちろん今まで健康だった人が意識不明状態から目覚めて突然、両手両足を失くしたのと同じ状態を知って、これでは生きている意味もないし家族のためにもならないなどと考えることは、想像はできる。でも、同じ状態でもいろいろな過程を経て、新しい生き方や命の意味を自分も見つけて、周りの人にも伝えていく人の例も事欠かない。試練や希望について、体...[Ⅵ290]安楽死/考(13)/すぐ手の届く所にある死の選択肢

  • [Ⅵ289] 安楽死/考 (12) / 尊厳ある死を‥

    [Ⅵ289] 安楽死/考 (12) / 尊厳ある死を‥

    手許に新聞記事の切り抜きがある。音楽家の坂本龍一さんが2023年3月28日に亡くなったが、彼が亡くなる日までの日録等を編集して刊行される書籍の紹介記事だ(東京新聞230619)。坂本さんのある日の病床日記が紹介されている。《かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ》(二〇二一年五月十二日)そして亡くなる数日前(二十五日)には自ら緩和ケアに移ることを決めた。そして医師には握手をして礼を述べ、《もうここまでにしていただきたいので、お願いします》と語ったと記されている。この記事で坂本さんが記し話した事柄は示唆的だ。日記では坂本さんは人間の生死の未来をこのように考え...[Ⅵ289]安楽死/考(12)/尊厳ある死を‥

  • [Ⅵ288] 安楽死/考 (11) / メルケルさんは法制化に慎重

    [Ⅵ288] 安楽死/考 (11) / メルケルさんは法制化に慎重

    今まで「安楽死」については、森鴎外の『高瀬舟』論、鑑三翁の「安楽死」論、鑑三翁のターミナルステージの有り様について記し、そして「安楽死」法の論点整理をしてみた。私は何も法律の専門家でもないし、ここで大層な論文を執筆する意図などもない。ドイツの首相(在任2005-21)として活躍したアンゲラ・メルケル氏注)は熱心なキリスト者(ルター派プロテスタント)として知られている。国内政治/国際政治の場で、長きにわたりそのキリスト教的信念を保持しながら、妥協と力関係の支配する政治世界で活躍したことは我々も記憶に新しい。ここではメルケル氏の連邦議会での「安楽死」に関する発言を取り上げてみた。政治世界は言論格闘技の場でもあることもよくわかる。注):AngelaDorotheaMerkel、1954年ハンブルグ生まれ、生後間...[Ⅵ288]安楽死/考(11)/メルケルさんは法制化に慎重

  • [Ⅵ287] 安楽死/考 (10) / 法の論点整理  

    [Ⅵ287] 安楽死/考 (10) / 法の論点整理  

    以上鑑三翁の論稿等を引き合いにして「安楽死」論を述べてきた。ここで私は法的な側面からの論点を整理する必要を痛感している。欧米諸国では近年急速に「安楽死」関連の法制化が行われるようになってきた。法律の名称や内容は、その国の宗教的/文化的な背景を踏まえていて様々のようだ。だが法制化した国々では、法律制定に至るまでには、専門家のみならず一般市民が参画して公開された議論が尽され、法制化後も慎重な運用が行われているのが一般的である。法制化へのプロセスでは浅薄な感情論や愚劣な政治的企図は排除されてきた印象も強い。ここで先述の『いのちの法と倫理[新版]』(葛生ら、法律文化社、2023)から論点を整理してみた。1.「任意的安楽死」とは法的に患者らを保護するためには患者らの同意がまず必要になる。本人の意思表示を前提として「...[Ⅵ287]安楽死/考(10)/法の論点整理 

  • [Ⅵ286] 安楽死/考 (9) / 鑑三翁は安らかな死を懇願した

    [Ⅵ286] 安楽死/考 (9) / 鑑三翁は安らかな死を懇願した

    鑑三翁が天に召されるまでの最後の日々の様子は、鑑三翁が深く信頼していた主治医の藤本武平二の日録に記録されている。私の連載(Ⅱ126:さらば、鑑三翁(6)/藤本武平二氏)にも掲載した。その中でこのような場面がある。鑑三翁が亡くなる前日の藤本氏の記録である。これを再掲した。藤本氏は敬愛するキリスト者内村鑑三翁とのやりとりを、日々忘れないように克明に記録していた。※〇3月27日ご容態はよくありません。食欲は振るわず、浮腫が全身に及びました。午後8時半から私一人で枕頭にいました。次の間には高橋菊江姉(注:看護師)が控えていました。10時注射の時間となりましたが、先生は言われました。「じーっと堪えていたら悪魔が二度ほど通り過ぎた。無抵抗主義で勝った。注射なしでやってみよう。」「なかなか戦いがえらい(注:「大変だ」の...[Ⅵ286]安楽死/考(9)/鑑三翁は安らかな死を懇願した

  • [Ⅵ285] 安楽死/考 (8) / 死の「時」

    [Ⅵ285] 安楽死/考 (8) / 死の「時」

    鑑三翁は人間の生命は神の造られた「像」なので尊ばなければならないとした。ではその人間が死を迎える時/神の腕に抱かれて天に召される「時」は何時なのか。鑑三翁はこれについては次のように記している(全集20、p.270)【「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生るるに時があり、死ぬるに時があり」(伝道の書3:1-2)と言う。そうであれば信仰をもつ者(原文「信者」)の死すべき時とはいかなる時であるか。信仰をもつ者はいたずらな長寿を保つべきではない。死は彼にとっては神の呪い(原文「呪詛」)ではない。彼には死すべき時がある。その時が来れば彼は感謝して死すべきである。信仰をもつ者は神の僕(しもべ)である。主人から特殊な要務(注:重要な用務のこと)を委ねられた者である。したがって彼はこの要務を果た...[Ⅵ285]安楽死/考(8)/死の「時」

  • [Ⅵ284] 安楽死/考 (7) / 人はみな神の宮殿  

    [Ⅵ284] 安楽死/考 (7) / 人はみな神の宮殿  

    私が鑑三翁のこの一文で注目するのは「知的障がい者教育の必要性は経済的な打算で説明できるものではない、なぜならば彼らは神の子だからだ」という一点である。そして鑑三翁は続けて以下のように記す。【「この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。」(コリント人への第一の手紙8:11)これが全ての弱き人、全ての苦しむ者、全ての貧しい者を救おうとする最高で最も深い動機である。路頭に迷う家のない子ども、警官に追い立てられる乞食(こつじき)の者、経済的には社会に何の価値も見出せない知的障がいの者、歩行障がいの者、目の見えない者、耳の聴こえない者、話せない者、四肢欠損の者、これらの者は皆「キリストが代わって死なれる弱い者たち」である。しかるがゆえに貴いのである。彼らでさえもし神の御心(原文「聖旨)にかなえば信仰によっ...[Ⅵ284]安楽死/考(7)/人はみな神の宮殿 

  • [Ⅵ283] 安楽死/考 (6) / 人間には神の性質が備わる  

    [Ⅵ283] 安楽死/考 (6) / 人間には神の性質が備わる  

    さて本題に戻る。鑑三翁の「必ず全治することが可能とみなし」の表現だが、「みなし」とは「実際にはそうでないものを,そうだと思って見る」ことを言うのだから、治癒困難/治癒不能の病気であることをほとんどの場合「告知」しなかった鑑三翁の時代ゆえの表現と言う事ができる。つまり医師は実際には治癒しないと診断し確信しているが、それをそのまま患者に言ってはならない、私(医師)は治癒することが可能だと思っていますよ、と伝えることで、医師も治療看護を(放棄せず)継続すべきである、と言っている。鑑三翁はそれが人間の生命の貴重さと尊さを尊重する人間の態度であると言うのだ。今の時代の通念から言えば、それは虚偽ではないのか、誠実な姿勢ではない、事実は事実としてそのまま言うべきだ‥ということになるのかもしれない。しかし考えてみれば数十...[Ⅵ283]安楽死/考(6)/人間には神の性質が備わる 

  • [Ⅵ282] 安楽死/考 (5) / その前に「告知」の周辺

    [Ⅵ282] 安楽死/考 (5) / その前に「告知」の周辺

    ここで「死ぬとわかっている病気」とは、医師の科学的な診断と判断に基づくもので(鑑三翁の時代にも私の生きている今の時代でも)、あらゆる治療手段を駆使しても治癒の可能性がない病気を指している。ここでの主役は診療を行う医師である。次に「必ず全治することが可能とみなして」とは、医師が患者本人及び家族に向けたメッセージである。ここでの主役は三者即ち医師・患者/家族である。医師は彼の知識(文献、知識と経験、複数の医師によるカンファレンス)によって治療の方法はなく治癒困難であると診断した。さてここで最初に問題となるのは、診療現場での病名の「告知」である。近年でこそ患者本人に病名告知することが一般的となっているが、これをそのまま「ロボット告知機械」のように(訴訟や面倒を恐れて、あるいはがん保険のこともある)そのまま患者に...[Ⅵ282]安楽死/考(5)/その前に「告知」の周辺

  • [Ⅵ281] 安楽死/考 (4) / 鑑三翁「安楽死」論‥試論   

    [Ⅵ281] 安楽死/考 (4) / 鑑三翁「安楽死」論‥試論   

    さて鑑三翁である。この森鴎外の小説等に関して鑑三翁が評論を加えた記録はないのだが、普段から購読していた雑誌の事なので鑑三翁がこれを読まなかったとは考えにくい。むしろしっかりと読み込んだことだろう。その時鑑三翁の胸に去来したものはどのような思いだっただろうか。鑑三翁のキリスト教信仰は深く厳しく柔和で慈愛に富むものである。鑑三翁のこのキリスト教的信仰の堅い岩盤から「安楽死」を考えたとき、どのような論稿を執筆しただろうか‥この事に私は強い関心を抱いている。鑑三翁のキリスト教信仰では、生と死は神の手に委ねられているので、死の瞬間も神の腕(かいな)が神の国に自分を誘ってくれるのだから、死の瞬間を「人」の手に委ねることはできない‥しかし森鴎外『高瀬舟』の場合には、死の瞬間を委ねたのは心を通い合わせてきた信頼する兄だ、...[Ⅵ281]安楽死/考(4)/鑑三翁「安楽死」論‥試論  

  • [Ⅵ280] 安楽死/考 (3) / 懇願‥らくに死なせてくれ

    [Ⅵ280] 安楽死/考 (3) / 懇願‥らくに死なせてくれ

    鴎外がこの書で指摘している主題は「経済的な貧困」と「安楽死」である。貧しくとも懸命に兄弟が支え合って生きてきた。その愛する弟は重篤な病気になる。弟は考えた、この病気は苦しいばかりで恐らく治癒の可能性もないのだろう、その上経済的にも兄に大きな負担をかけている、と。その苦悶の末に弟は自殺を決行する。未だ死を果たせないまま苦しんでいる目の前の愛する弟は、彼に死を懇願している、その時兄の動揺困惑は止まり弟の苦しみを解放してあげようと考えてカミソリを抜いた。弟を死に至らしめた行為によって罪を負わされて島送りになる際に、役人から手渡されたのは生涯もったこともない大金。鴎外は医師として軍医として、軍属や一般人の病者の多くの死に立ち会ってきた。その中で自然死のように老衰や穏やかな心不全などで亡くなる患者は幸せである。しか...[Ⅵ280]安楽死/考(3)/懇願‥らくに死なせてくれ

  • [Ⅵ279] 安楽死/考 (2) / 鴎外の問題提起

    [Ⅵ279] 安楽死/考 (2) / 鴎外の問題提起

    鑑三翁の「安楽死」観に立ち入る前に、森鴎外の『高瀬舟』について考えてみる。この小説は教科書にも掲載されてきた”問題作”であり、数多の人たちがこの作品が扱う「安楽死」の問題について論じている。映画化もされた(松山善三脚本、1988)。ここでは私なりの論を起こしてみる。小説『高瀬舟』のあらましである。《徳川時代には遠島を命ぜられた京都の罪人は高瀬舟で大阪へ護送されたものである。この話は彼らを護送する京都町奉行所の同心の話の一つである。‥‥兄弟殺しを犯した男が少しも悲しそうにしていなかったので、その理由を尋ねると、彼は遠島を言い渡された時にもらった銅銭二百文が持ったこともない大金であったと話した。そして子供の頃に両親を亡くした兄弟は二人で力を合わせて生きてきたが、弟は病気になり、兄は懸命に働いて弟の看病をしてき...[Ⅵ279]安楽死/考(2)/鴎外の問題提起

  • [Ⅵ278] 安楽死/考 (1) / 「安楽死」とはなにか

    [Ⅵ278] 安楽死/考 (1) / 「安楽死」とはなにか

    私は「安楽死」の問題を積み残しにしていた。この連載では《Ⅳ236「日本人は浅い民である」(230503)》として問題を提起したままだった。「安楽死」の問題はとても深遠な問題を抱えていてとても難しい。私はこれに関して記すのをためらっていたが意を決して書くことにした。「安楽死」とはなにか。《「安楽死」を示す英語のeuthanasiaは、ギリシャ語のeu(良い・気高い)とthanatos(死)からできていて、「良き死」(gooddeath)という言語的意味をもっていた。しかし現在では一般に、それとは逆の状態、すなわち「苦痛に満ちた侮辱的な状態から解放されるための死」、「安楽になるための死」という意味で用いられる》(葛生栄二郎、河見誠、伊佐智子:いのちの法と倫理[新版].p.179、法律文化社、2023)。まず鑑...[Ⅵ278]安楽死/考(1)/「安楽死」とはなにか

  • [Ⅴ277] 泣きべそ聖書(37) / イエスの母の涙

    [Ⅴ277] 泣きべそ聖書(37) / イエスの母の涙

    ◎さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリアとが、たたずんでいた。イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に云われた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて...[Ⅴ277]泣きべそ聖書(37)/イエスの母の涙

  • [Ⅴ276] 泣きべそ聖書(36) / 人こひ初めしはじめ 涙 (3)

    [Ⅴ276] 泣きべそ聖書(36) / 人こひ初めしはじめ 涙 (3)

    若菜が歩行も難しくなり個室に入ると、ボクは仕事を終えると病院に帰り、ベッドの脇のソファで毎晩若菜の傍で一緒に寝た。若菜は部屋のトイレに歩いて行くこともままならなくなってきたので、それを知らせるために若菜とボクは緑色の毛糸をお互いの手の指に結んでから寝ることにした。ある夜のこと、若菜が毛糸を引いてボクを起こした。ボクはベッド上で若菜の下の世話をした。ボクはいつものように、この病棟の長い廊下の果てにあるトイレに行き、洗浄器で便器を洗って部屋に戻った。そのとき、なぜかこの部屋が妙に明るく感じた。若菜が笑顔でボクを迎えた。「どうしたの?何がおかしいの?」「だって思い出していたんだもの。ユウキ!」「なんだい、いきなり、何を思い出していたの?」「いつか、ずーっと前、まだ二人だけだったとき、ユウキがこんなこといつも言っ...[Ⅴ276]泣きべそ聖書(36)/人こひ初めしはじめ 涙(3)

  • [Ⅴ275] 泣きべそ聖書(35) / 人こひ初めしはじめ 涙 (2)    

    [Ⅴ275] 泣きべそ聖書(35) / 人こひ初めしはじめ 涙 (2)    

    若菜とボクが初めて会ったのは、出版社の入社が決まって初めての顔合わせの日だった。その日はボクの母が乳癌の手術後、転移性肺癌を発症して入退院を繰り返した後亡くなり、葬儀の行われた翌々日のことだった。この日は新卒者が始めて会社に呼ばれた日だったが、母親の死は、当日の朝初めての出社を躊躇させるほど大きな事件だった。しかしボクはそんな思いを振り切って出社した。ふくよかで静かで愛くるしい若菜は、この日薄茶色の上下のスーツを着て会社の応接室で静かに座っていた。ボクたち男子社員は若干名の募集のところ多くの応募者から選抜されたのだったが、女性が一人いることに驚いたものだ。若菜は会社の役員の縁故で無試験で入社をしたことがあとでわかった。その3年後ボクたちは結婚した。伊良湖岬に出かけたのは結婚した年の秋だった。そしてそれから...[Ⅴ275]泣きべそ聖書(35)/人こひ初めしはじめ 涙(2)   

  • [Ⅴ274] 泣きべそ聖書(34) / 人こひ初めしはじめ 涙 (1)

    [Ⅴ274] 泣きべそ聖書(34) / 人こひ初めしはじめ 涙 (1)

    ◎イエスは涙を流された。(ヨハネによる福音書11:35)エルサレムの東オリーブ山南東ベタニヤの町にイエスの友人マルタとマリヤ、ラザロが住んでいた。イエスはラザロの家族と親しく、しばしば訪問していた。このマリアは自分の涙でイエスの足を濡らし自分の髪の毛でぬぐい、その足に接吻して香油を塗った者で、イエスはこのマリアに「あなたの罪は許された。安心して行きなさい」と言われたことがある。イエスはラザロを愛していたが、ある時ラザロが病気になったので、姉妹は人をやってイエスにそのことを伝えた。しかイエスが到着する前にラザロは亡くなった。マリアはイエスの足もとにひれ伏して、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、ラザロは死ななかったでしょう」と言った。イエスは彼女が泣き、彼女と一緒の者たちが泣いているのを見て、激しく...[Ⅴ274]泣きべそ聖書(34)/人こひ初めしはじめ 涙(1)

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