明日は、久しぶりのお休み。やっと、ゆっくり出来ます。明日は、猫たちとまったり過ごそう。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきやっと。
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 五十三 ・公卿大夫。百官らを饗応する ・新羅の使者の来日 ・使者を種子島に派遣する
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十三・公卿大夫。百官らを饗応する・新羅の使者の来日・使者を種子島に派遣する九年春正月五日、淨廣貳を皇子舍人に授けました。七日、公卿大夫を內裏で饗(もてな)しました。十五日、御薪(みかまぎ)を進めました。十六日、百官人等を饗(もてな)しました。十七日、射りました。四日でおわりました。閏二月八日、吉野宮に幸しました。十五日、車駕が宮に還りました。三月二日、新羅が、王子の金良琳(きんりょうりん)、補命(ふみょう)の薩飡(さつさん)の朴強国(ぼくごうこく)等、及び、韓奈麻(かんなま)の金周漢(きんしゅうかん)、金忠仙(きんちゅうせん)等を遣わして、請国の政を奏しました。また、調(みつき)を進め、物を献(たてまつ)りました。十二日、吉野宮に幸しました。十五日、天皇は、吉野からかえり...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十三・公卿大夫。百官らを饗応する・新羅の使者の来日・使者を種子島に派遣する
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 五十二 ・巡察使を諸国に派遣する ・藤原宮に遷居する
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十二・巡察使を諸国に派遣する・藤原宮に遷居する秋七月四日、巡察使を諸国に遣わしました。十五日、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。八月十七日、皇女飛鳥のために、沙門・百四口が度しました。九月一日、日蝕がありました。四日、吉野宮に幸しました。二十二日、淨廣肆の三野王(みののおおきみ)を筑紫大宰率(つくしのおおみこともちのかみ)に拝しました。冬十月二十日、進大肆を、白い蝙蝠を獲た者、飛騨国の荒城郡(あらきのこおり)の弟国部弟日(おとくにべのおとひ)に賜りました。あわせて、絁(ふとぎぬ)・四匹、綿・四屯、布・十端を賜りました。その戸の課役は、身に限り、ことごとく免しました。十一月二十六日、殊死より以下を赦しました。 十二月六日、藤原宮に遷居しました。九日、百官...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十二・巡察使を諸国に派遣する・藤原宮に遷居する
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 五十一 ・河内王らに賻物を与える ・金光明経を諸国に配置する ・白い山鳥
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十一・河内王らに賻物を与える・金光明経を諸国に配置する・白い山鳥夏四月五日、淨大肆を、筑紫大宰率(つくしのおおみこともちのかみ)の河内王(かふちのおおきみ)に贈りました。あわせて、賻物(ふもつ)を賜りました。七日、吉野宮に幸しました。十三日、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。丁亥、天皇が、吉野宮からかえりました。十七日、律師道光(りつしどうこう)に賻物(ふもつ)を贈りました。五月六日、公卿・大夫を內裏で饗(もてな)しました。十一日、金光明經・百部を、諸国に送り置きました。必ず毎年、正月の上玄に取って読むこととし、その布施は、国の官物を当てて充すこととしました。六月八日、河內国の更荒郡(さららのこおり)が、白い山鶏(やまどり)を献(たてまつ)りました。更...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十一・河内王らに賻物を与える・金光明経を諸国に配置する・白い山鳥
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 五十 ・日蝕 ・鋳銭司の拝命 ・益須寺の醴泉
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十・日蝕・鋳銭司の拝命・益須寺の醴泉三月一日、日蝕がありました。二日、直廣肆の大宅朝臣麻呂(おおやけのあそみまろ)、勤大貳の臺忌寸八嶋(うてなのいみきやしま)、黄書連本実(きふみのむらじほんじつ)等をもって、鋳銭司(ぜにのつかさ)に拝しました。十一日、詔して、「凡そ、位の無い人を、郡司に任するには、進廣貳を大領(こおりのみやつこ)を授け、進大參を小領(すけのみやつこ)を授けるように」といいました。十六日、詔して、「七年の歲次癸巳に、醴泉が近江国の益須郡(やすのこおり)の都賀山(つがやま)に湧き出た。諸々の病人が、益須寺(やすでら)に停まり宿り、療し、癒えた者がおおくいる。故に、水田・四町、布・六十端を入れる。益須郡の今年の調役・雜徭を除する。国司の頭(かみ)から目(さかん...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十・日蝕・鋳銭司の拝命・益須寺の醴泉
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十九 ・布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行を氏上とする ・漢人と唐人の踏歌 ・大射
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十九・布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行を氏上とする・漢人と唐人の踏歌・大射八年春正月二日、正廣肆を直大壱の布勢朝臣御主人(ふせのあそみみぬし)と大伴宿禰御行(おおとものすくねみゆき)に授けました。封を人ごとに二百戸増やしました。前と通して五百戸。並びに氏上(うじのかみ)としました。七日、公卿等を饗(もてな)しました。十五日、御薪(みかまぎ)を進めました。十六日、百官人等を饗(もてな)しました。十七日、漢人(あやひと)が、蹈歌を奏じました。五位以上が、射しました。十八日、六位以下が射しました。四日でおわりました。十九日、唐人が、蹈歌を奏じました。二十一日、藤原宮に幸しました。卽日、宮に還りました。二十三日、務廣肆等の位を、大唐・七人と肅愼(みしはせ)・二人に授けました。二十四日...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十九・布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行を氏上とする・漢人と唐人の踏歌・大射
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十八・醴泉の試飲十一月五日、吉野宮に幸しました。七日、耽羅(たむら)の王子の佐平等に賜りましたが、各々差がありました。十日、車駕が、宮に還りました。十四日、沙門の法員(ほういん)、善往(ぜんおう)、真義(しんぎ)等を遣わして、試しに、近江国の益須郡(やすのこおり)の醴泉(れいせん)を服飲(ふくいん)させました。二十三日、直大肆を直廣肆の引田朝臣少麻呂(ひけたのあそみすくなまろ)に授けました。かさねて、食封・五十戸を賜りました。十二月二十一日、陣法博士等を遣わして、諸国に教習(きょうしゅう)させました。・耽羅(たむら)済州島・醴泉(れいせん)甘い味の泉。中国で、太平の世にわき出たといわれる・服飲(ふくいん)薬やサプリメントなどを飲むことを意味する表現・教習(きょうしゅう)特...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十八・醴泉の試飲
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十七 ・天武天皇のために無遮大會を設ける ・兵器を観閲する ・仁王經を説く
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十七・天武天皇のために無遮大會を設ける・兵器を観閲する・仁王經を説く八月一日、藤原の宮地に幸しました。十七日、吉野宮に幸しました。二十一日、車駕が、宮に還りました。九月一日、日蝕がありました。五日、多武嶺(とうのみね)に幸しました。六日、車駕が、宮に還りました。十日、淸御原天皇(きよみはらのすめらみこと)のために、無遮大會(かぎりなきおがみ)を內裏で設けました。繋囚(けいしゅう)を悉く原遣(げんけん)しました。十六日、直廣參を蚊屋忌寸木間(かやのいみきこのま)に贈りました。あわせて賻物(ふもつ)を賜りました。壬申の年の役の功を褒めました。冬十月二日、詔して、「今年から、親王から始まり、下の進位に至るまで、儲(たくわ)えた兵(つわもの)を観ようとおもう。淨冠から直冠に至るま...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十七・天武天皇のために無遮大會を設ける・兵器を観閲する・仁王經を説く
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十六 ・内裏で無遮大會を設ける ・福嘉を還俗させる
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十六・内裏で無遮大會を設ける・福嘉を還俗させる五月一日、吉野宮に、幸しました。七日、天皇が、吉野宮からかえりました。十五日、無遮大會(かぎりなきおがみ)を內裏で設けました。六月一日、高麗の沙門の福嘉(ふくか)に詔して、還俗(げんぞく)させました。四日、直廣肆を引田朝臣広目(ひけたのあそみひろめ)、守君苅田(もりのきみかりた)、巨勢朝臣麻呂(こせのあそみまろ)、葛原朝臣臣麻呂(ふじわらのあそみおみまろ)、巨勢朝臣多益須(こせのあそみたやす)、丹比真人池守(たじひのまひといけもり)、紀朝臣麻呂(きのあそみまろ)、七人に授けました。秋七月七日、吉野宮に、幸しました。十二日、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。十四日、大夫、謁者を遣わして、諸社を詣でて、祈雨しま...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十六・内裏で無遮大會を設ける・福嘉を還俗させる
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十五 ・雨乞い ・坐贓
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十五・雨乞い・坐贓夏四月十七日、大夫、謁者(えっしゃ)を遣わして、諸々の社に詣でて、祈雨(きう)をしました。また、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。二十二日、詔して、「內藏寮(うちのくらのつかさ)の允の大伴男人(おおとものおひと)が坐贓(さぞう)した。位を二階、降ろし、見任官を解く。典鑰(かぎつかさ)の置始多久(おきそめのおおく)と菟野大伴(うのおおとも)も、また坐贓した。位を一階、降ろし、見任官を解く。監物(けんもつ)の巨勢邑治(こせのおおじ)は、物を己に入れないとしても、その情を知りつつ、盗ませた。故に、位を二階、降ろし、見任官を解く。然るに、置始多久(おきそめのおおく)は、壬申の年の役(えだち)に勤労した、故に赦す。ただし、贓(ぬすみもの)は、律...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十五・雨乞い・坐贓
ご訪問ありがとうございます。ワイですが、先日、引越しをいたしました。前回の引越しでは、文句を一切言わず、黙ってキャリーバックに揺られていた二匹ですが…今回は、ず〜っと文句をいいっぱなし。一緒に電車に乗りあった皆様には、多大なるご迷惑をおかけいたしました。駅で休憩中の二匹さて、無事引越しを終えたワイら。前回の引越しでは、タケちゃんが一晩中、徘徊をしていたのですが、今回は、すんなりなじんでくれました。😁(ノブさんは、別室で休憩中)とは言え、まだ作業が途中なんですけどね。収納する場所がなくダンボールが未開封のまま。(引越しの際には、アート引越センターさんには大変お世話になりました。みなさん、作業が手早く、引越しがスムーズに進みました。ありがとうございました)さて、引越しを無事終えたのですが、解決...お知らせよっわ!
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十四 ・新羅王の訃報 ・日蝕 ・桑、紵、梨、栗、蕪菁の推奨
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十四・新羅王の訃報・日蝕・桑、紵、梨、栗、蕪菁の推奨二月三日、新羅が、沙飡(ささん)の金江南(きんこうなん)、韓奈麻(かんなま)の金陽元(きんようがん)等を遣わして、來て赴き、王の喪をしらせました。十日、造京司(ぞうきょうし)の衣縫王(きぬぬいのおおきみ)等に、詔して、掘った尸(かばね)を収めさせました。三十日、流れて来た新羅人の牟自毛礼(むじもれ)等・三十七人を、憶徳(よくとく)等に付けて賜りました。三月一日、日蝕がありました。五日、大學博士の勤廣貳の上村主百済(うえのすぐりくだら)に、食封・三十戸を賜りました。儒道(じゅどう)に優れていたからです。六日、吉野宮に幸しました。十一日、直大貳の葛原朝臣大嶋(ふじわらのあそみおおしま)に賻物を賜りました。十三日、天皇は、吉野...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十四・新羅王の訃報・日蝕・桑、紵、梨、栗、蕪菁の推奨
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十三 ・百姓に黄色の衣、奴に皁衣を着させる ・80歳以上の者に布を与える
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十三・百姓に黄色の衣、奴に皁衣を着させる・80歳以上の者に布を与える七年春正月二日、淨廣壹を皇子高市に授けました。淨廣貳を皇子長と皇子弓削に授けました。この日、詔して、天下の百姓に、黃色の衣を、奴には、皁衣(くりぞめのきぬ)をきさせました。七日、公卿、大夫等を饗(もてな)しました。十三日、京師(みやこ)、及び畿內で位があり、年が八十以上に、人ごとに、衾(ふすま)・一領、絁(ふとぎぬ)・二匹、綿・二屯、布・四端を賜りました。十五日、正廣參を百濟王の善光(ぜんこう)に贈りました。あわせて賻物(ふもつ)を賜りました。十六日、京師(みやこ)の男女で年が八十以上、及び困乏(こんぼう)している、窮者(きゅうしゃ)に、布を賜りましたが、各々差がありました。船瀬(ふなせ)の沙門の法鏡(ほ...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十三・百姓に黄色の衣、奴に皁衣を着させる・80歳以上の者に布を与える
修性院(しゅうしょういん)概要修性院は、東京都荒川区にある日蓮宗の寺院です。1573年(天正元年)に開山しました。開山当時は、武蔵国豊島郡田中村(現在の東京都練馬区田中)に位置していました。1663年(寛文3年)に現在地に移転しました。 日ぐらしの布袋(修性院)修性院の布袋は、谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。谷中七福神めぐりは、江戸市中で最も古い歴史をもち、年始めにあたって江戸市民が行う年中行事の一つであった。江戸時代の中期ごろから、このあたり一帯は俗に「ひぐらしの里」とよばれ、江戸近郊の行楽地として賑わった。ことに修性院・妙隆寺(修性院に合併)・青雲寺は、境内に多数の花樹を植えて、「花見寺」の名にふさわしい庭園をつくり、四季折々の草花を楽しむことができたという。境内には、江戸時代の...参拝日記・修性院
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十二 ・吉野への行幸
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十二・吉野への行幸冬十月八日、山田史御形(やまだのふびとみかた)に務廣肆を授けました。前に沙門となり、新羅で學問をおさめました。十二日、吉野宮に幸しました。十九日、車駕(しゃが)が宮に還りました。十一月八日、新羅が、級飡(きゅうさん)の朴億徳(ぼくよくとく)、金深薩(きんしんさち)等を遣わして、調(みつき)を進めました。遣新羅使(けんしらぎし)に擬(なぞら)えた、直廣肆の息長真人老(おきながのまひとおゆ)、務大弐の川内忌寸連(かふちのいみきつら)等に祿を賜りましたが、各々差がありました。十一日、新羅の朴憶德を難波館で饗祿(きょうろく)をしました。十二月十四日、音博士(おんはかせ)の続守言(しょくしゅげん)、薩弘恪(さつこうかく)に、水田を賜りました。人ごとに四町。二十四日...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十二・吉野への行幸
湯島聖堂概要東京都文京区湯島一丁目にある史跡です。江戸時代の元禄3年(1960年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって造営された、孔子廟です。後に幕府直轄の学問所となりました。・孔子廟、神農廟と昌平坂学問所跡・現在地東京都文京区湯島一丁目4番25号・敷地面積13,915㎡・国の史跡指定大正11年(1922)3月8日・所管国有財産文化庁・東京都教育員会・文京区教育委員会・管理者公益財団法人斯文会(しぶんかい)■湯島聖堂と孔子孔子は、2500年ほど前、中国の魯の昌平郷(現山東省済寧市曲阜市)に生まれた人で、その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えた。儒教に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、元禄3年(1690)この地に「湯島聖堂」と創建、孔子を祀る「大成殿」や学舎を建て、自ら『論語』の講釈を行うなど学問を奨励した...参拝日記・湯島聖堂
諸事情よりしばらく、ブログおやすみします。皆さまのブログにも、しばらく、ご訪問できません申し訳ございません🙇お知らせ
井の頭弁財天大盛寺概要都立井の頭恩賜公園内・井の頭池にあります。創建不詳別名井の頭辨才天本尊弁財天像789年(延暦8年)平安時代の僧・最澄の作と伝えられています。略縁起平安時代の天慶年間(938~947年)に源経基(みなもとのつねもと)が創建したものと伝えられ、その後、源頼朝が1197年(建久8年)に再建し、別当となる坊宿が建てられたと伝えられています。一時、衰退していましたが、江戸時代に入り、江戸幕府三代将軍徳川家光により再興されました。境内弁財堂1923年(大正12年)の関東大震災の被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものです。 太鼓橋 手水鉢 狛犬 銭洗い弁財天 七井不動尊 宇賀神 住所東京都三鷹市井の頭4丁目26-1アクセスJR中央線・総武線東京メトロ東西線京王井の頭線吉祥寺駅徒歩9分最後...参拝日記・井の頭弁才天大盛寺
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十一 ・飛鳥皇女の田莊への行幸 ・班田大夫を四畿内へ派遣する ・笥飯神の封を増やす
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十一・飛鳥皇女の田莊への行幸・班田大夫を四畿内へ派遣する・笥飯神の封を増やす八月三日、罪を赦しました。十七日、飛鳥皇女の田莊(でんそう)に幸しました。卽日、宮に還りました。九月九日、班田大夫(たたまいのまえつきみ)等を四畿內に遣わしました。十四日、神祇官が奏して、神寶の書四卷、鑰(かぎ)・九箇、木印・一箇を上しました。二十一日、伊勢国司が、嘉禾(かか)・二本を献(たてまつ)りました。越前国司が、白蛾を献りました。二十六日、詔して、「白蛾を角鹿郡(つぬがのこおり)の浦上(うらかみ)の濱で獲た。故に、笥飯神(けひのかみ)に、封を二十戸、増やし、前と通する」といいました。・田莊(でんそう)古墳時代に設けられた土地や人民の支配制度の一つで、豪族が支配した私有地のことを指す。田所と...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十一・飛鳥皇女の田莊への行幸・班田大夫を四畿内へ派遣する・笥飯神の封を増やす
明治神宮(めいじじんぐう)概要東京都渋谷区にある神社です。明治天皇と昭憲皇太后が祀られています。初詣では例年日本一の参拝者数となっています。神紋・社紋御祭神明治天皇(めいじてんのう)昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)創建大正9年(1920年)例祭日11月3日略縁起明治天皇崩御後、内務省が『明治天皇奉祀の神宮創設に関する件』を閣議に提出し、閣議決定されました。東京府内の候補地の内から、「風致」を理由として代々木御料地が決定し、大正9年(1920年)11月1日に鎮座祭が行われ、この日に創建されました。境内外拝殿南神門西神門手水舎大鳥居正参道南参道鳥居西参道社務所夫婦楠住所東京都渋谷区代々木神園町1−1アクセスJR山手線原宿駅徒歩1分東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前駅徒歩1分東京メトロ副都心線北参道駅徒...神社参拝日記・明治神宮
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十 ・大赦 ・熒惑と歲星
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十・大赦・熒惑と歲星秋七月二日、天下に大赦しました。ただし、十惡(じゅうあく)、盜賊は赦しの例に入れませんでした。相模の国司の布勢朝臣色布智(ふせのあそみしこふち)等、御浦郡少領(みうらのこおりのすけのみやつこ)(姓名は欠けています)と、赤い烏を獲た、鹿嶋臣櫲樟(かしまのおみくす)に、位、及び祿を賜りました。御浦郡(みうらのこおり)の調役(えつき)を二年、免除しました。七日、公卿を饗(もてな)しました。九日、吉野宮に幸しました。十一日、使を遣わして、廣瀬と龍田を祀らせました。二十八日、車駕が宮に還りました。この夜、熒惑(けいこく)と歲星(さいせい)が、一步の內に、たちまち光り、たちまち没しました。互いに近づいたり、避けたりすること四遍。・十惡(じゅうあく)大化前代、国家社...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十・大赦・熒惑と歲星
ご無沙汰しておりました。久しぶりの猫日記です。ちょっと、仕事や引越しの準備等で更新が遅れておりましたが、二匹とも元気です。猫ネタがなかったということもありますがね。😅さて、もうすぐ、仮住まいを終えます。二匹には、不便な思いをさせました。今度は、思いっきり追いかけっこできます。引越しの様子は後日ご報告します。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村久しぶりの猫日記と主のつぶやき
東郷神社(とうごうじんじゃ)概要東郷神社は、東京都渋谷区神宮前一丁目にある神社です。日露戦争で連合艦隊司令長官として指揮をとり日本海海戦で完勝し、国内外で英雄視された、東郷平八郎が祀られています。神紋・社紋御祭神東郷平八郎命(とうごうへいはちろうみこと)創建昭和15年(1940年)例祭日5月28日略縁起東郷平八郎が昭和9年(1934年)5月30日に亡くなると、全国から東郷を顕彰する神社の創建の要望と献金が相次いつぎ、当時の海軍大臣大角岑生(おおすみみねお)が、財団法人東郷元帥記念会を設立。寄せられた献金によって神社の創建が計画され、昭和15年(1940年)に創建されました。境内社殿神門鳥居階段手水舎東郷蔵境内霊社海の宮御斎神海軍・海事・水産関係者また崇敬者の諸霊住所東京都渋谷区神宮前1-5-3アクセスJR...神社参拝日記・東郷神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十九 ・名のある山、岳、瀆に祈る ・雨乞い ・直丁・8人に官位を与える
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十九・名のある山、岳、瀆に祈る・雨乞い・直丁・8人に官位を与える六月九日、郡国の長吏(ちょうり)に勅して、各々名のある山、岳、瀆を祈らせました。十一日、大夫、謁者を遣わして、四畿內を詣でて、請雨(しょうう)させました。二十一日、直丁(じきてい)・八人に官位を賜りました。その大内陵(おおちのみさざき)を造った時に、勤めて、怠らなかったことをよしとしました。三十日、天皇は、藤原の宮地を観ました。 ・長吏(ちょうり)県内を主管する長官・請雨(しょうう)日照り続きの時、雨の降ることを神仏に祈ること。雨乞い・直丁(じきてい)律令制で、仕丁(じちょう)のうち、諸司の雑役に奉仕する番に当たった者。立丁(りってい) ・大内陵(おおちのみさざき)天武天皇の陵(感想)(持統天皇6年)6月9日...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十九・名のある山、岳、瀆に祈る・雨乞い・直丁・8人に官位を与える
小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)概要小野照崎神社は、東京都台東区下谷二丁目にある神社です。「学問・芸能」の神様として有名です。神紋・社紋主祭神小野篁命(おののたかむら)菅原道真命(すがわらみちざね)創建仁寿2年(852年)例祭日5月19日に近い土日略縁起852年(仁寿2年)、小野篁公が御東下の際に住まわれた上野照崎の地に創建されました。寛永寺の建立のために幕府より移転を命じられ、現在の地に遷されました。境内社殿鳥居手水舎授与所神楽殿境内末社富士浅間神社庚申塚稲荷神社・織姫神社住所東京都台東区下谷2-13-14アクセス東京メトロ日比谷線入谷駅徒歩3分JR線鶯谷駅徒歩7分最後に樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」の名で出てくる神社です。神社の印象として、残っているのは、猫ちゃんが多い。猫好きにはたまら...神社参拝日記・小野照崎神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十八 ・大雨 ・大隅と阿多に仏教を伝える
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十八・大雨・大隅と阿多に仏教を伝える閏五月三日、大水となりました。使を遣わして、郡国を循行(じゅんこう)させました。災害にあい、自ら生きていけないものに、禀貸(ひんたい)をしました。山林池澤で漁や採ることができるようにしました。詔して、京師(みやこ)及び四畿內で、金光明經を講説させました。四日、沙門の観成(かんじょう)に、絁(ふとぎぬ)・十五匹、綿・三十屯、布・五十端を賜りました。その造った鉛粉(えんぷん)を美(ほ)めたのです。十三日、伊勢大神が天皇に奏して、「伊勢国の今年の調役を免(ゆる)しましたが、然るに、その二つの神郡から応え輸(おく)るべき、赤引の絲・三十五斤は、來年に、その代りを折(さだ)めるようにすべきです」といいました。十五日、詔筑紫大宰率の河內王等に詔して...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十八・大雨・大隅と阿多に仏教を伝える
赤城神社(あかぎじんじゃ)(東京都新宿区)概要東京都新宿区赤城元町にある神社です。「赤城神社再生プロジェクト」が行われ、社殿が建て替えられました。神紋・社紋主祭神磐筒雄命(いわつつおのみこと)赤城姫命(あかぎひめのみこと)創建正安2年(1300年)例祭日9月19日略縁起大胡彦太郎重治が上野国赤城山麓から牛込に移住した際、上野国赤城神社から勧請し創建したと伝えられています。弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔により現在地に遷座しました。境内社殿鳥居手水舎狛犬観音菩薩立像・俳人巻阿の碑境内末社蛍雪天神御祭神菅原大神出世稲荷神社・八耳神社・東照宮出世稲荷神社御祭神宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)保食神(うけもちのかみ)八耳神社御祭神上宮之厩戸豊聰八耳命(うえのみやのうまやどのとよとやつみみのみこと・聖徳太子...神社参拝日記・赤城神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十七 ・調役・雜徭の免除 ・赤い鳥の雛
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十七・調役・雜徭の免除・赤い鳥の雛五月六日、阿胡行宮(あごのかりみや)の時、贄を進めた、紀伊国の牟婁郡の人の阿古志海部河瀬麻呂(あこしのあまのかわせまろ)等、兄弟三戸に、十年の調役・雜徭を免しました。また、挾杪(かじとり)八人の、今年の調役を免しました。七日、相摸国司が赤鳥(あかからす)の鶵(ひな)を二隻を献(たてまつ)り、「御浦郡で獲ました」といいました。十二日、吉野宮に幸しました。十六日、車駕が宮に還りました。十七日、大夫・謁者(えっしゃ)を遣わして、名のある山、岳、瀆を祠(まつ)り、請雨(しょうう)しました。二十日、文忌寸智徳(ふみのいみきちとこ)に直大壹を贈りました。あわせて、賻物を賜りました。二十三日、淨廣肆の難波王(なにわのおおきみ)等を遣わして、藤原の宮地を...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十七・調役・雜徭の免除・赤い鳥の雛
千束稲荷神社(せんぞくいなりじんじゃ)概要東京都台東区にある神社です。樋口一葉「たけくらべ」ゆかりの神社です。神紋・社紋主祭神倉稲魂命(うかのみたまのみこと)素戔嗚尊(すさのおのみこと)創建不詳例祭日5月第4土曜日別名稲荷神社略縁起創建は不詳ですが、おそらく寛文年間(1661~72)と考えられています。境内社殿鳥居神輿庫樋口一葉像・正面碑文住所東京都台東区竜泉2−19−3アクセス東京メトロ日比谷線三ノ輪駅徒歩5分最後に明治時代、樋口一葉は当社の近くに住んでいました。たけくらべの作品の中で、美登利と長吉が喧嘩する祭りのシーンは、当時の千束稲荷神社の例祭がモデルになっているとされています。樋口一葉の像を眺め、当時の様子を思い浮かべながらの参拝でした。参考Wikipedia東京都神社庁HP台東区HP神社参拝日記・千束稲荷神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十六 ・広瀬と龍田の神を祀る ・難波の大蔵のスキを与える
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十六・広瀬と龍田の神を祀る・難波の大蔵のスキを与える夏四月二日、大伴宿禰友国(おおとものすくねのともくに)に直大貳を賜りました。あわせて賻物(ふもつ)を賜りました。五日、四畿內の百姓の荷丁(もちよぼろ)の、今年の調役を除きました。十九日、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。二十一日、位のある親王以下、進廣肆に至るまでに、難波の大藏の鍫(すき)を賜りましたが、各々差がありました。二十五日、詔して、「凡そ、繋囚(けいしう)、徒刑囚は、皆、放免するように」といいました。・賻物(ふもつ)古代において,位を有する者が死亡した際に支給される葬祭料・荷丁(もちよぼろ)荷物などを運ぶ人夫。もちぶ・鍫(すき)土を掘り起こしたりならしたりする農具・繋囚(けいしう)牢獄につな...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十六・広瀬と龍田の神を祀る・難波の大蔵のスキを与える
神楽坂若宮八幡神社(かぐらざかわかみやはちまんじんじゃ)概要東京都新宿区若宮町にある神社です。地名の由来となった神社です。主祭神仁徳天皇(にんとくてんのう)応神天皇(おうじんてんのう)創建文治5年(1189年)例祭日9月15日略縁起右大将源頼朝公が奥州の藤原泰衡を征伐するため出兵した際、当所にて戦勝祈願しました。奥州平治の後、鎌倉鶴岡の若宮八幡宮を分霊し勧請しました。境内社殿鳥居手水舎狛犬境内社稲荷社住所東京都新宿区若宮町18アクセスJR総武線東京メトロ東西線・有楽町線・南北線都営大江戸線飯田橋駅徒歩5分最後に小さなお社でしたが、綺麗に整えられていました。地域の方々に愛されている神社なのでしょう。参考Wikipedia東京都神社庁HP神社参拝日記・神楽坂若宮八幡神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十五 ・伊勢への行幸
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十五・伊勢への行幸十七日、過ぎた所の神郡(かみごおり)、及び伊賀・伊勢・志摩の国造等に冠位を賜りました。あわせて、今年の調役を免しました。また供奉(ぐふ)の、騎士、諸司の荷丁(もちよぼろ)、行宮(かりみや)造った丁(ほぼろ)の今年の調役を免しました。天下に大赦しました。ただ、盜賊は、赦しの例に入れませんでした。十九日、過ぎた所の志摩の百姓・男女で年が八十以上に、稻を人ごとに五十束を賜りました。二十日、車駕が宮に還りました。行き到る所ごとに、すなわち、郡縣の吏民(りみん)をあつめ、務めを労り、樂(うたまい)を賜りました。二十九日、詔して、近江、美濃、尾張、參河、遠江等の国に供奉した騎士の戸、及び諸国の荷丁、行宮を造った丁の、今年の調役を免しました。詔して、天下の百姓で、困乏...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十五・伊勢への行幸
東京大神宮(とうきょうだいじんぐう)概要東京大神宮は、東京都千代田区富士見二丁目にある神社です。縁結びの神社として、女性を中心に参拝者を集めています。神紋・社紋主祭神天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)豊受大神(とようけおおかみ)相殿天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高御産巣日神(たかみむすびのかみ)神御産巣日神(かみむすひのかみ)倭比売命(やまとひめのみこと)創建明治13年(1880年)例祭日4月17日略縁起明治13年(1880年)、有楽町の大隈重信邸跡に落成した皇大神宮遙拝殿が当社の起源です。所在地名から日比谷大神宮や、日比谷皇大神宮と呼ばれていました。関東大震災で社殿が焼失し、昭和3年(1928年)に、現在地に再建・遷座されました。そのほか嘉仁親王と節子妃の結婚の儀を基本にして神前結婚の儀式を創...神社参拝日記・東京大神宮
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十四 ・留守官を決定する ・大三輪朝臣高市麻呂の諌め ・伊勢への行幸
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十四・留守官を決定する・大三輪朝臣高市麻呂の諌め・伊勢への行幸三月三日、淨廣肆の廣瀬王(ひろせのおおきみ)、直廣參の當摩真人智徳(たぎまのまひとちとこ)、直廣肆の紀朝臣弓張(きのあそみゆみはり)等を、留守官(るすかん)としました。ここにおいて、中納言の大三輪朝臣高市麻呂(おおみわのあそみたけちまろ)は、その冠位を脱いで、朝(みかど)に差し上げ、重ねて諌めて、「農作(のうさく)の節に、車駕(しゃが)を動かすべきではありません」といいました。六日、天皇は諌めに従わず、遂に伊勢に幸しました。・留守官(るすかん)令制で、天皇の行幸の時、宮城にとどまり、天皇の代理を務める官。通常は皇太子が代理となるが(皇太子監国)、臣下を任命する時に留守官と称する。留守のつかさ・農作(のうさく)田...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十四・留守官を決定する・大三輪朝臣高市麻呂の諌め・伊勢への行幸
豊受神社(とようけじんじゃ)概要千葉県浦安市猫実にある神社です。浦安市では最古の神社です。神紋・社紋主祭神豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)御利益無病息災、延命長寿、衣食住の守護神創建保元2年(1157年)例祭日6月16日略縁起豊受神社は御祭神に豊受姫大神を祀る神社で、保元二年(1157年)の創建といわれ、浦安市で最古の神社です。境内社殿現在の社殿は1974年(昭和49年)に建てられたものです。授与所神輿庫狛犬鳥居大銀杏大銀杏この大銀杏は、村の人が境川河口を流れていた小さな木を拾いあげ、豊受神社の境内に植えたものといわれています、その後、この木は順調に成長し、数百年を経た今日も枝葉が繁茂しています。平成六年(一九九四)の樹木調査では、明治四十年(一九〇七)頃、外周が三メートルほどの幹が高潮などの塩害によ...神社参拝日記・豊受神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十三 ・天皇、伊勢への行幸を詔をする ・三輪朝臣高市麻呂、天皇に諫爭する
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十三・天皇、伊勢への行幸を詔をする・三輪朝臣高市麻呂、天皇に諫爭する六年春正月四日、皇子高市に封を二千戸を増やしました。前と通して五千戸。七日、公卿等を饗(もてな)しました。かさねて、衣裳を賜りました。十二日、天皇は、新益京(しんやくのみやこ)の路を観ました。十六日、公卿以下、初位以上に至るまでを饗(もてな)しました。二十七日、天皇は、高宮(たかみや)に幸しました。二十八日、天皇は、高宮からかえりました。二月十一日、諸官(しょかん)に詔して、「まさに、三月三日に、伊勢に幸しようと思う。宜しく、この意を知り、諸々の衣物(いぶつ)を備えるべし」といいました。陰陽博士の沙門の法藏(ほうぞう)、道基(どうき)に、銀を人ごとに二十兩、賜りました。十九日、刑部省(ぎょうぶしょう)に詔...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十三・天皇、伊勢への行幸を詔をする・三輪朝臣高市麻呂、天皇に諫爭する
赤坂氷川神社概要氷川神社は、東京都港区赤坂にある神社です。港区には白金、元麻布、赤坂に氷川神社が鎮座しているため、区別するためにそれぞれ、白金氷川神社、麻布氷川神社、赤坂氷川神社と呼ばれています。東京十社の一つです。神紋・社紋主祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)大己貴命(おおなむぢのみこと)創建天暦5年(951年)例祭日9月16日略縁起天暦5年(951年)、蓮林僧正が東国を遊行していた際、一ツ木村(現・赤坂4丁目付近)で一夜を明かすと、夢の中で御祭神のお告げがあり、この地に社殿を建てお祭りしたことが伝えられています。御利益厄除縁結び家内安全商売繁昌境内社殿徳川吉宗が建立した社殿は、幾多の震災・戦災を免れ建立当時の姿を現在に伝えています。鳥居一の鳥居一の鳥居(南側)二の鳥居...神社参拝日記・赤坂氷川神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十二 ・大嘗祭 ・宅地を与える
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十二・大嘗祭・宅地を与える十一月一日、大嘗(おおにえ)をしました。神祗伯の中臣朝臣大(なかとみのあそみおおしま)が、天神壽詞(あまつかみのよごと)を読みました。二十五日、公卿に食と衾(ふすま)を賜りました。二十八日、公卿以下、主典に至るまでを饗(もてな)しました。あわせて、絹等を賜りましたが、各々差がありました。三十日、神祗官の長上(ちょうじょう)以下、神部等に至るまで、及び供奉(ぐふ)した、播磨・因幡の国の郡司以下、百姓男女に至るまでを、饗(もてな)しました。あわせて、絹等を賜りましたが、各々差がありました。十二月二日、医博士(いはかせ)の務大參の徳自珍(とくじちん)、呪禁博士(じゅごんはかせ)の木素丁武(もくそちょうむ)、沙宅萬首(さたくまんしゅ)に、銀を人二十兩、賜...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十二・大嘗祭・宅地を与える
金刀比羅宮(ことひらぐう)(東京都港区)概要東京都港区虎ノ門1丁目にある神社です。神紋・社紋主祭神大物主神(おおものぬしのかみ)崇徳天皇(すとくてんのう)御神徳海上安全商売繁盛創建万治3年(1660年)例祭日大祭10月9・10日初こんぴら1月10日月次祭毎月10日別名虎ノ門金刀比羅宮略縁起万治3年(1660年)、讃岐丸亀藩の藩主・京極高和が芝・三田の江戸藩邸に金毘羅大権現を勧請したのが始まりです。丸亀藩江戸藩邸の移転とともに現在の虎ノ門に遷座しました。境内拝殿一の鳥居参道手水舎神楽殿境内社結神社喜代住稲荷神社住所東京都港区虎ノ門1−2−7アクセス東京メトロ銀座線虎ノ門駅徒歩1分最後に近代的な建物と伝統的な建物がうまく融合した神社でした。一の鳥居と琴平タワー参考Wikipedia東京都神社庁HP虎ノ門金刀...神社参拝日記・金刀比羅宮
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十一 ・日蝕 ・陵戸についての詔 ・禁漁区の設置 ・新益京での鎮祭
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十一・日蝕・陵戸についての詔・禁漁区の設置・新益京での鎮祭冬十月一日、日蝕がありました。八日、詔して、「凡そ、先皇の陵戸(りょうこ)は、五戸以上置くように。それ以外の王等で、功のあった者は、三戸、置くように。もし陵戸が不足なら、百姓を充て、その徭役(ようえき)を免すように。三年に一回、替るように」といいました。十三日、畿內、及び諸国に、長生地(ちょうせいち)を、各々一千步、置きました。この日、天皇は吉野宮に幸しました。二十日、天皇は吉野から帰りました。二十七日、使者を遣わして、新益京(あらましのみやこ)で鎮祭(ちんさい)をしました。・陵戸(りょうこ)律令制下の賎民の一。天皇・皇族の陵墓を守ることを世襲的な任とした・徭役(ようえき)古代の律令制において,成年男子に課せられた...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十一・日蝕・陵戸についての詔・禁漁区の設置・新益京での鎮祭
愛宕神社(あたごじんじゃ)(東京都港区)概要東京都港区愛宕1丁目にある神社です。自然に形成された山である愛宕山の山頂にあります。参道の石段は、曲垣平九郎誉れの出世石段として有名です。神紋・社紋三つ葉葵主祭神火産霊命(ほむすびのみこと)配祀罔象女命(みずはのめのみこと)大山祇命(おおやまづみのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)勝軍地地蔵(しょうぐんじぞうぼさつ)普賢大菩薩(ふげんだいぼさつ)創建慶長8年(1603年)例祭日9月22~24日略縁起慶長8年(1603年)、徳川家康が幕府を開く際、防火の総鎮守として幕命をもって創建されました。御利益火に関するもの、防火、防災印刷・コンピューター関係商売繁昌恋愛・結婚・縁結び境内社殿勝軍梅朱塗りの門一の鳥居手水社出世の石段(男坂)女坂大鳥居社務所愛宕西参道池勝...神社参拝日記・愛宕神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 三十 ・持統天皇5年9月の出来事
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十・持統天皇5年9月の出来事九月四日、音博士(おんはかせ)の大唐の続守言(しょくしゅげん)、薩弘恪(さつこうかく)、書博士(しょはかせ)の百濟の末士善信(ばっしぜんしん)に、銀を、人二十兩、賜りました。九日、淨大參の皇子川嶋が薨(みまか)りました。二十三日、直大貳を佐伯宿禰大目(さえきのすくねおおめ)に贈りました。あわせて、賻物(ふもつ)を賜りました。・音博士(おんはかせ/こえのはかせ)日本の律令制において置かれた博士の1つ。大学寮に属して、明経道の学生に経書の白読(中国語(漢音)による音読)を教えた・書博士(しょはかせ)令制で、大学寮の官人。定員二人。書学生に書道・書法を教えた。従七位上相当。ふみのはかせ。てのはかせ・賻物(ふもつ)死者をとむらうために喪家におくる財貨。...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十・持統天皇5年9月の出来事
日枝神社(ひえじんじゃ)概要東京都千代田区永田町にある神社です。江戸三大祭のひとつ、山王祭りが有名です。神紋・社紋双葉葵主祭神大山咋神(おおやまくいのかみ)相殿神国常立神(くにのとこたちのかみ)伊弉冉神(いざなみのかみ)足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)御神徳万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護厄除け、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌創建不詳例祭日6月15日別名日吉山王社日吉山王大権現社江戸山王大権現麹町山王山王社山王さま略縁起御祭神大山咋神は須佐之男神の御孫神で山末之大主神とも称えられ山水を司り、萬物の生成発展を守護する神である。日枝神社の歴史は鎌倉初期、秩父重継が江戸貫主を名乗り居館を山王社を勧請したことに始まる。文明年間には太田道灌が江戸城築城にあたり川越山王社を再勧請し、更に徳川家康入幕以降...神社参拝日記・日枝神社
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 二十九 ・18氏族に墓記を献上させる
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇二十九・18氏族に墓記を献上させる秋七月三日、天皇は吉野宮に幸しました。この日、伊豫国司の田中朝臣法麻呂(たなかあそみのりまろ)等が、宇和郡(うわのこおり)の御馬山(みまのやま)の白銀・三斤八兩、アラカネ一籠を献(たてまつ)りました。七日、公卿と宴(とよのあかり)をしました。かさねて、朝服を賜りました。十二日、天皇は吉野から帰りました。十五日、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祭らせました。八月十三日、十八の氏に詔して、大三輪(おおみわ)、雀部(さざきべ)、石上(いそのかみ)、藤原(ふじわら)、石川(いしかわ)、巨勢(こせ)、膳部(かしわで)、春日(かすが)、上毛野(かみつけの)、大伴(おおとも)、紀伊(き)、平群(へぐり)、羽田(はた)、阿倍(あへ)、佐伯(さえき...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇二十九・18氏族に墓記を献上させる
亀戸天神社・菊まつり(2021)写真を整理していましたら、2021年の亀戸天神社・菊まつりの写真が出てきました。このままお蔵入りさせるのは、忍びない。こういうわけで、古い写真ですが、記事にしたいと思います。亀戸天神社では、菅原道真公が16歳のときに詠んだ『残菊詩』にちなんで毎年秋に菊まつりを開催しています。境内には、丹精込めて育てられた菊の花々が美しく咲き誇っていました。美しい菊たち。これは、関係者の皆様の努力の賜物。花々に癒しをいただきました。ありがとうございます。これからも、頑張ってください。御訪問ありがとうございました。亀戸天神社・菊まつり(2021)
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇二十八・降り続く雨五月二十一日、百濟の淳武微子(じゅんむみし)の、壬申の年の功を褒美して、直大參を賜りました。かさねて、絁(ふとぎぬ)、布を賜りました。六月、京師(みやこ)、及び郡国四十に、雨水がふりました。戊子(つちのえね)、詔して、「この夏は、陰雨(いんう)が、節を過ぎた。懼(おそ)らく、必ず稼(みの)りを傷(そこ)なうだろう。夕までおそれ、朝まで憂懼(ゆうく)している。その愆(けん)を思うに。それ、公卿、百寮人等は、酒と宍を禁断し、摂心(せっしん)し、悔過(けか)をするように。京、及び畿內の諸々の寺の、梵衆(ぼんしゅう)もまた、五日に当たり誦經(じゅきょう)するように。庶(こいねが)う、ここに、補(たす)けがありますように」といいました。四月から雨がふり、この月に至り...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇二十八・降り続く雨
亀戸天神社・梅まつり(2022)写真を整理していましたら、去年の亀戸天神社・梅まつりの写真が出てきました。美しい梅の花。このままお蔵入りさせるのは、忍びない。こういうわけで、古い写真ですが、記事にしたいと思います。菅原道真公は、梅の花を梅を好んでいたことにちなみ、亀戸天神社の境内には、300本を越す梅が植えられています。白加賀や豊後梅など様々な品種を一堂に見ることができます。芳しい香り。可愛らしい花。道真公が愛して止まなかったのがよくわかります。来年もまた、美しい梅を愛でたい。切に願います。御訪問ありがとうございました。亀戸天神社・梅まつり(2022)
日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 二十七 ・仏法についての詔 ・売られた者への処遇
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇二十七・仏法についての詔・売られた者への処遇二月一日、天皇は、公卿等に詔して、「卿等よ。天皇の世に、佛殿、經藏を作り、月に六齋(ろくさい)を行った。天皇は、時々、大舍を遣わして、問訊(もんじん)した。朕の世にもまた、これの如くしよう。故に、當勤(ねんごろ)な心で、佛法を奉るように」といいました。この日、宮人に位記を授けました。三月三日、公卿と西の庁で宴(とよのあかり)をしました。五日、天皇は、公私の馬を御苑で観ました。二十二日、詔して、「もし、百姓の弟が、兄のために売られることがあったなら、良に従うように。もし、子が父母のために売られることがあったなら、賤に従うように。もし、貸倍(かりもののこ)によって、賤にしずんだなら、良に従うように。その子は、たとえ奴婢を配して生まれた...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇二十七・仏法についての詔・売られた者への処遇
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明日は、久しぶりのお休み。やっと、ゆっくり出来ます。明日は、猫たちとまったり過ごそう。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきやっと。
日本の神様面足尊(おもだるのみこと) 日本神話に登場する神 別名 淤母陀琉神(おもだるのかみ)面足彦面垂見尊 神格男根の偶像化 「日本書紀」では日本書紀巻第一神代上第二段本文では、このように登場しています。 次に神が現れました。埿土煑尊、沙土煑尊です。次に神が現れました。大戸之道尊・大苫辺尊です。次に神が現れました。面足尊・惶根尊です。次に神が現れました。伊弉諾尊・伊弉冉尊です。 「日本書紀」では兄を面足尊、妹を綾惶根尊と表記しています。 「古事記」では本文では、このように登場しています。次に出現した神の名は、宇比地迩神。次に妹須比智迩神。次に角杙神。次に妹活杙神。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。次に淤母陀流神。次に妹阿夜訶志古泥神。次に伊邪那岐神。次に妹伊邪那美神。「古事記」において、神世七代の第六...日本の神様・面足尊
明日も仕事だよあ〜、猫たちとまったりしたい。早く、休みが来ないかなぁ。お疲れ気味の主でした。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。猫日記と主のつぶやき休みたい
日本の神様大苫邊尊(おおとまべのみこと) 日本神話に登場する神様 別名大戶摩姬尊(おおとまひめのみこと)大富邊尊(おおとまべのみこと)大斗乃辨神(おおとのべのかみ)大戶之邊(おおとのべ)大富邊(おおとまべ)大戶摩姬(おおとまひめ)神名は大地が完全に凝固した時を、神格化したとする説があります。 神格 防壁の女神 「日本書紀」では 日本書紀巻第一神代上第二段本文では、このように登場しています。 次に神が現れました。埿土煑尊、沙土煑尊です。次に神が現れました。大戸之道尊、大苫辺尊です。 「日本書紀」では兄を大戸之道尊、妹を大苫辺尊と表記しています。 「古事記」では本文では、このように登場しています。次に出現した神の名は、宇比地迩神。次に妹須比智迩神。次に角杙神。次に妹活杙神。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。...日本の神様・大苫邊尊
ことちゃんが家にやって来て、早いもので2ヶ月経ちました。もっと、ことちゃんを愛でたい。可愛い仔猫時代の姿を目に焼き付けたい。だが、仕事が忙しすぎる。もっと休みた〜い!びえ〜ん😭今日の兄貴タケちゃんは、お目目の調子が悪いようです。早く治るといいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきチキショウ
日本の神様大戸之道尊(おおとのじのみこと) 日本神話に登場する神様 別名 意富斗能地神(おおとのぢのかみ)大戸摩彦尊(おおとまひこのみこと)大富道尊(おおとみぢのみこと)大苫彦尊(おおとまひこのみこと) 神名は大地が完全に凝固した時を神格化したとする説があります。 神格 防塞の男神 「日本書紀」では 日本書紀巻第一神代上第二段本文では、このように登場しています。 次に神が現れました。埿土煑尊、沙土煑尊です。次に神が現れました。大戸之道尊、大苫辺尊です。 「日本書紀」では兄を大戸之道尊、妹を大苫辺尊と表記しています。 「古事記」では本文では、このように登場しています。次に出現した神の名は、宇比地迩神。次に妹須比智迩神。次に角杙神。次に妹活杙神。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。次に淤母陀流神。次に妹阿夜訶...日本の神様・大戸之道尊
朝のこと。何故か、猫たちが同じ場所を見つめている。なんだ?その視線の先を見てみると。うげっ!超でっかい蜘蛛が壁に張り付いていた。😱嫌〜!うっ!殺虫剤で退治してしまいたい。が、朝蜘蛛は殺してはダメと言う迷信があるんで嫌々ながら捕まえて外に逃がしました。関西に引っ越して来て何が困ったって。虫がデカイ。ホント、朝からエライ目にあったよ。今日の三匹やっと、ことちゃんが兄貴と一緒に寝るようになった。微笑ましい。ノブさん、覗き込んでも時間にならないとドライフードは出て来ませんよ。だから、前脚を突っ込んでも出ないってばおい、お皿に足突っ込んでんじゃねえよ。ことちゃん、くれぐれも真似をしないように。もう一匹の兄貴は風邪気味で昼寝しっぱなしでした。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきうげっ!
日本の神様(一覧)あ行あ天御中主尊(あまのみなかぬしのみこと)天之常立神(あめのとこたちのかみ)い活樴尊(いくくいのみこと)う埿土煑尊(ういじにのみこと)可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)えお太安万侶(おおのやすまろ)か行か神皇産霊尊(かみむすびのみこと)きく国常立尊(くにのとこたちのみこと)けこさ行さしす沙土煑尊(すひじにのみこと)せそた行た高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)ちつ角樴尊(つのくいのみこと)てと豊斟渟尊(とよくむねのみこと)な行なにぬねのは行はひ稗田阿礼 (ひえだのあれ)ふへほま行まみむめもや行やゆよら行らりるれろわ行わ新しい知識を得た場合随時更新予定です。日本の神様(一覧)
日本の神様活樴尊(いくくいのみこと) 日本神話に登場する神です。角樴尊の尊の対として生まれた女神です。 別名 活杙神(いくぐいのかみ) 「クイ(クヒ)」は「芽ぐむ」などの「クム」で、「角ぐむ」は角のように芽が出始めるの意味です。 「日本書紀」では 日本書紀巻第一神代上第三段の一書では、このように、登場しています。 男女が対で生まれた神は、まず埿土煑尊、沙土煑尊、次に角樴尊、活樴尊が生まれました。次に面足尊、惶根尊が生まれました。次に伊弉諾尊、伊弉冉尊が生まれました。角樴尊、活樴尊は本文では登場せず、第三段の一書の中に登場するのみで、神世七代には数えられていません。 「古事記」では本文では、このように登場しています。次に出現した神の名は、宇比地迩神。次に妹須比智迩神。次に角杙神。次に妹活杙神。次に意富斗能地...日本の神様・活樴尊
昨年、エコキュートの室外機内に蜂の巣を作られてしまったワイ一家。今年は気をつけようと、室外機にオニヤンマ型の虫除けを貼ってみた。効果はありました。が、今度はエコキュート本体に蜂が入り込んでいた。ち〜っ!山に行け蜂ども!今日の三匹ピ〜んとしたニャンモナイト今日も素晴らしいワガママボディ。新しいお気に入りの場所を見つけたタケちゃん。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきいや〜、
日本の神様角樴尊(つのくいのみこと) 日本神話に登場する神活樴尊の対として生まれた男神 別名角杙神(つのぐいのかみ) 「クイ(クヒ)」は「芽ぐむ」などの「クム」で、「角ぐむ」は角のように芽が、出始めるの意味です。 「日本書紀」では 日本書紀巻第一神代上第三段の一書では、このように登場しています。 男女が対で生まれた神は、まず埿土煑尊、沙土煑尊、次に角樴尊、活樴尊が生まれました。次に面足尊、惶根尊が生まれました。次に伊弉諾尊、伊弉冉尊が生まれました。 角樴尊、活樴尊は本文では登場せず、第三段の一書の中に登場するのみで、神世七代には数えられていません。 「古事記」では本文では、このように登場しています。次に出現した神の名は、宇比地迩神。次に妹須比智迩神。次に角杙神。次に妹活杙神。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃...日本の神様・角樴尊
最近、寒暖の差が激しいですよね。そのせいか、ことちゃん以外の猫たちちょっと風邪気味。涙目のタケちゃん。くしゃみ連発のノブさん。皆様もお身体に気をつけてください。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき最近
日本の神様沙土煑尊(すひじにのみこと) 日本神話に登場する神 別名 須比智邇神(すひちにのかみ)沙土煮尊沙土根尊(すひじねのみこと)砂土煮尊 「ス」は沙(砂)の意味で、大地が泥や沙により形を表した様子を表現したもとする説があります。 「日本書紀」では 日本書紀巻第一神代上第二段本文では、このように登場しています。 次に神が現れました。埿土煑尊、沙土煑尊です。 「日本書紀」では埿土煑尊を兄、沙土煑尊を妹と表記しています。 「日本書紀」の一書での説明は、陰の気と陽の気が相交じって、生まれたので、男女の神となったとあります。 「古事記」では本文では、このように登場しています。次に出現した神の名は、宇比地迩神。次に妹須比智邇神。次に角杙神。次に妹活杙神。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。次に淤母陀流神。次に妹阿...日本の神様・沙土煑尊
最近、家族がタケちゃんに向かって、「ことちゃん、ことちゃん」と呼んでいます。「それ、タケちゃん」と言うと、あっ!名前間違えた。、と言うことをしょっちゅうしています。確かに、似ているけどタケちゃんが自分の名前を「ことちゃん」と認識したらどうすんの。マジで間違えないで。しかし、ワイも人のこと言えん。子どもに向かって、先代猫ちゃんの名前で呼んだりしたもんな。なんで間違えるんだろ?今日の三匹今日もど〜ん。今からこのボディ。避妊手術したらどうなることやら。ダイエットかなぁ。今日も黒猫とコラボ。タケちゃん名前間違えてごめんね〜それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきなんでだろ〜?
日本の神様埿土煑尊(ういじにのみこと) 日本神話に登場する神 別名宇比地邇神(うひぢにのかみ)埿土煮尊埿土根尊(うひじねのみこと)泥土根尊 神名の「ウ」は泥(古語で「うき」)、大地が泥や沙により形を表した様子を表現したもとする説があります。 「日本書紀」では 日本書紀巻第一神代上第二段本文では、このように登場しています。 次に神が現れました。埿土煑尊、沙土煑尊です。 「日本書紀」では埿土煑尊を兄、沙土煑尊を妹と表記しています。 「日本書紀」の一書での説明は、陰の気と陽の気が相交じって、生まれたので、男女の神となったとあります。 「古事記」では本文では、このように登場しています。次に出現した神の名は、宇比地迩神。次に妹須比智迩神。次に角杙神。次に妹活杙神。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。次に淤母陀流神。...日本の神様・埿土煑尊
最近、仕事が忙しく、留守しがちな主。お昼ご飯を自動エサやり機に任せっきりになっております。今日も出勤。仕事を終えて、帰宅後、おやつを三匹にあげたあと、何故かノブさんが、自動エサやり機の周りをウロウロ、出てこいと入り口に前脚を突っ込んだりしていました。うん?お腹空いているの?もしかして、お昼ご飯食べていない?ふと、ことちゃんを見ると。ど〜ん。ワガママボディ。もしかして、ことちゃん。君、お昼ご飯独り占めしている?今日の兄貴ずニトリの黒猫ぬいぐるみとのコラボめっきり毛色が黒くなって来たタケちゃん。あ〜、猫たちのお昼ご飯が気になる。仕事、休みたい〜!それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきねえ、ことちゃん
日本の神様豊斟渟尊(とよくむねのみこと)豊かな水の神 「古事記」において神世七代の第二代の神とされ、国之常立神の次に化生したとしています。別名 豊組野尊(とよくむののみこと)豊香節野尊(とよかぶののみこと)浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)豊国野尊(とよくにののみこと)豊齧野尊(とよかぶののみこと)葉木国野尊(はこくにののみこと)見野尊(みののみこと)豊雲野神(とよくもののかみ)豊国主尊(とよくにぬしのみこと) 神名の「豊(トヨ)雲(クモ、ノ)」豊かな雲の意であり、雲を神格化した存在とされています。 神格 豊かな水の神 「日本書紀」では 日本書紀巻第一神代上第一段本文では、このように、登場しています。 その時、天と地の中にある一つの物が生まれた。形は萌え出る葦の芽のようで、そのまま神となった。国常...日本の神様・豊斟渟尊
久しぶりに猫ちゃんたちの爪切りをしました。いつもは、ノブさん→タケちゃん→ことちゃんと言う順番で爪切りをしていたのですが、いつも、ノブさんが大抵抗。その様子を見ていた二匹は、ビビってしまい逃げ出すことも多々💨そこで、今日は、逆からことちゃん→タケちゃん→ノブさんの順番でカットしていきましたすると、ことちゃんは、ちょっと寝ぼけていたので抵抗する間もなくカットが終了タケちゃんも、素早くカットできました。ノブさんは相変わらずでしたが、いつもより楽チンでした。次回からも同じ順番で行こう。今日の三匹ことちゃん、大人の眼差しになって来ました。子猫の成長は早い。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきおっ、これは。
日本の神様国常立尊(くにのとこたちのみこと)恒久なる国土の神 天地の初め、天と分かれて地が生命力を宿す国土として形成されつつあるときに現れた神です。 「日本書紀」においては、始めての神とされています。国土の根源神です。 別名 国之常立神(くにのとこたちのかみ)国底立尊(くにのそこたちのみこと)大元尊神 神名の「国」は天に対する地の意味であり、また「常(とこ)」は、底のことで土台を意味します。 神格 国土形成の根源神大地の永久性 「日本書紀」では 日本書紀巻第一神代上第一段本文では、このように登場しています。 天地が開ける初めの時は、洲や島が浮かび漂うこと、ちょうど泳ぐ魚が水の上に浮いているようなものであった。その時、天と地の中にある一つの物が生まれた。形は萌え出る葦の芽のようで、そのまま神となった。国常立...日本の神様・国常立尊
仲良く並んでご飯を食べていた三匹しかし、ノブさんがみんなと一緒じゃ嫌だと拒否るようになりました。そうだね。最近、みんなからご飯を横取りされていたもんね。今日、殿は、別室(ゲージ)でご飯を召し上がりました。今日の三匹それでは、また。ご訪問ありがとうございました。猫日記と主のつぶやきそうよね〜
暑くなってきた今日この頃。流石にコタツは片付けるべきだろうと思い、ついでに模様替えをすることにしました。せっかくだから、外を眺めながらくつろぎたい、と座椅子を並べて〜すると、オットマンがわりに置いた座布団の上にタケちゃんが…いや、座椅子は確保できている。外を眺めながらくつろぐぞ〜しかし、すでに、座椅子にノブさんが…そうよね〜ここは、特等席だもんね。何か、問題でも?いえ、ございません。主は部屋の隅っこに座らせていただきます。特等席を奪われた主でした。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村猫日記と主のつぶやきそうよね〜
名所江戸百景を訪ねて名所江戸百景第1景「日本橋雪晴」出典・Wikipedia作中で、流れる川は日本橋川です。画面中央に描かれた橋が「日本橋」。江戸時代、日本橋は、五つの陸上交通路の起点であり、全国への出発点でした。その先に見える橋が「一石橋」です。前景に描かれているのは魚河岸です。遠景左端には、江戸城。そして、雪に覆われた富士山が描かれています。日本橋日本橋日本橋は、東京都中央区にある、日本橋川に架かる橋です。重要文化財日本橋附東京市道路元標(一基)所在地中央区日本橋室町一丁目~日本橋一丁目(日本橋川)日本橋の創架は、徳川家康が幕府を開いた慶長八年(一六〇三)と伝えられています。翌年、日本橋が幕府直轄の主要な五つの陸上交通路(東海道・中山道・奥州道中・日光道中・甲州道中)の起点として定められました。江戸市...名所江戸百景を訪ねて第1景「日本橋雪晴」
古事記上つ巻現代語訳七古事記上つ巻伊邪那岐神と伊邪那美神国生み読み下し文(国生み)故尓して、返り降り、更に其の天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如し。是に伊邪那岐命、先に言りたまはく、「阿那邇夜志愛袁登売袁」とのりたまひ、後に妹伊邪那美命言りたまはく、「阿那邇夜志愛袁登古袁」とのりたまふ。かく言ひ竟へて、御合ひたまひ、生める子は、淡道之穂之狭別島。次に伊予之二名島を生む。此の島は、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、伊予国は愛比売と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宜都比売と謂ひ、土佐国は建依別と謂ふ。次に隠伎之三子島を生みたまふ。亦の名は天之忍許呂別。次に筑紫島を生みたまふ。此の島も、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、筑紫国は白日別と謂ひ、豊国を豊日別と謂ひ、肥国を建日向日豊久士比泥別...古事記上つ巻現代語訳七伊邪那岐神と伊邪那美神国生み
古事記上つ巻現代語訳六古事記上つ巻伊邪那岐神と伊邪那美神二神の結婚現代語訳(ゆる~っと)二神の結婚ここに、その妻、伊邪那美命に問いて、「お前の体は、どのようにできている?」といいました。伊邪那美命が答えて、「私の体は、完成しましたが、完成してもなお、くっついていないところが、一ヶ所あります」といいました。 そうして、伊邪那岐命が、「私の体も、完成したが、完成してもなお、余ったところが、一ヶ所ある。こういうわけで、この私の体の余ったところを、お前の体のくっついていないところに、刺し入れて塞ぎ、国土を生みつくりたいと思うのだが。どうだろうか?」といいました。伊邪那美命が答えて、「それは良いことです」いいました。そうして、伊邪那岐命が、「それでは、私とお前とで、この天の御柱をぐるっと回り、出会ったところで、交わ...古事記上つ巻現代語訳六伊邪那岐神と伊邪那美神二神の結婚
東京史跡巡り霞が関跡霞ヶ関跡霞が関は、奥州街道の関門で、武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)にあったと伝えられています。その場所は、西に高台があり、東に水辺を望むといわれますが、正確な場所は分かっていません。江戸時代には、武家屋敷が立ち並び、武家屋敷の場所を示す通称地名として使われました。明治時代になり、東京府の町名として正式に決定されています。掲示板より引用最後にかつて、武家屋敷が立ち並んでいた場所、霞ヶ関。現在では、ビルが建ち並び当時の面影がありません。しかし、東京は、あちらこちらに史跡があって、ウッカリ見落としたり、新たな発見があったりと、散策をしていて面白いです。東京史跡巡り霞ヶ関跡
古事記上つ巻現代語訳六古事記上つ巻伊邪那岐神と伊邪那美神二神の結婚読み下し文(伊邪那岐神と伊邪那美神)(二神の結婚)是に其の妹伊邪那美命を問ひて曰りたまはく、「汝が身は如何にか成れる」とのたまふ。答へて白さく、「吾が身は、成り成りて、成り合はぬ処一処あり」とまをす。しかして伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて、成り余れる処一処あり。故此の吾が身の成り余れる処を以ち、汝が身の成り合はぬ処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ。生むこと奈何」とのりたまふ。伊邪那美命へて曰さく、「然善けむ」とまをす。しかして伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝と、是の天の御柱を行き廻り逢ひて、美斗能麻具波比為む」と詔りたまひき。如此期りて、詔りたまはく、「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ」とのりたまふ。約り...古事記上つ巻現代語訳六伊邪那岐神と伊邪那美神二神の結婚
東京史跡巡り日本橋魚河岸跡(にほんばしうおがしあと)日本橋魚河岸跡かつて、日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。日本橋魚河岸跡所在地中央区日本橋室町一丁目八番地域日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市場は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町一丁目・本町一丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変なにぎわいをみせていました。なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり...東京史跡巡り日本橋魚河岸跡
古事記上つ巻現代語訳五古事記上つ巻伊邪那岐神と伊邪那美神おのごろ島読み下し文(伊邪那岐神と伊邪那美神)(淤能碁呂嶋)是に天つ神諸の命以ち、伊邪那岐命、伊邪那美命の、二柱の神に、詔りたまはく、「是のただよへる国を修理め固め成せ」とのりたまひ、天の沼矛を賜ひて、言依さし賜ふ。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、其の沼矛を指し下ろして画かせば、塩こをろこをろに画き鳴して、引き上ぐる時に、其の矛の末より垂り落つる塩の累積り嶋と成る。是れ、淤能碁呂島なり。其の嶋に天降り坐して、天の御柱を見立て八尋殿を見立てたまふ。現代語訳伊邪那岐神と伊邪那美神おのごろ島ここに天つ神諸の命をもち、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の、二柱の神に、詔りして、「このただよえる国をおさめ固め成せ」と仰せになり、天...古事記上つ巻現代語訳五伊邪那岐神と伊邪那美神おのごろ島
東京史跡巡り日本橋(にほんばし)日本橋日本橋(にほんばし)は、東京都中央区にある、日本橋川に架かる橋です。徳川家康が江戸大普請で江戸の町割を新たに行った際、新しく架橋され、その後何代にもわたり架け替えられ、現在に至っています。慶長9年(1604年)までに、日本橋を基点として、五畿七道が整備され一里塚が築かれました。現在のものは、1911年に架けられたもので、設計は米元普一、装飾は妻木頼黄が担当しました。石造りの2連アーチ橋で、橋長49メートル、橋幅28メートル、アーチ径間が21メートル。装飾用材は青銅で、橋の中央及び橋台部の4隅に「花形ランプ付方錘柱」を建て、各柱座に麒麟の像を配置しています。花形ランプ付方錘柱麒麟像重要文化財日本橋附東京市道路元標(一基)所在地中央区日本橋室町一丁目~日本橋一丁目(日本橋...東京史跡巡り日本橋
古事記上つ巻現代語訳四古事記上つ巻天地の創成読み下し文(天地の創成)天地初めて發くる時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまふ。次に国稚く、浮ける脂の如くして、海月なす漂えるときに、葦牙の如く萌え騰る物によりて、成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲神。次に天之常立神。この二柱の神も、みな獨神と成りまして、身を隱したまふ。 上の件、五柱の神は、別天つ神。次に成りませる神の名は、国之常立神。次に豊雲野神。この二柱の神も、獨神と成りまして、身を隱したまる。次に成りませる神の名は、宇比地迩神。次に妹須比智迩神。次に角杙神。次に妹活杙神。次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。次に淤母陀流神。次に妹阿夜訶志古泥神。次に伊邪那岐...古事記上つ巻現代語訳四天地の創成
久しぶりの猫日記です。何だか、色々と忙しくて、ネタがありながらも更新が滞り気味。申し訳ないです💦さて、主らが新居に引っ越して、1ヶ月経ちました。すっかり、新居になれた二匹。しかし、主はと言うと…全く荷物が片付かず、とうとう開かずの間を作ってしまいました😅いつになったら、片付くのやら〜。まぁ、毎日、少しづつ、片付けていったなら、いつか片付くであろう🙂頑張ります。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村猫日記と主のつぶやきまいったな
手児奈霊神堂(てこなれいじんどう)概要手児奈霊神堂は、千葉県市川市真間にある霊堂です。伝説上の女性手児奈を祀る霊堂です。創建天平9年(737年)別名手児奈霊堂略縁起奈良時代の天平9年(737年)行基菩薩がこの地を訪れ、手児奈の悲話を聞いて、痛くその心情を哀れと思い、「求法寺」を建立したのが始まりです。手児奈霊堂(てこなれいどう)手児奈霊堂は、この奥津城処(墓所)と伝えられる地に建てられ、文亀元年(1501)には弘法寺の七世日与上人が、手児奈の霊を祀る霊堂として、世に広めたという。手児奈の物語は、美人ゆえ多くの男性から求婚され、しかも自分のために人びとが争うのを見て、人の心を騒がせてはならぬと、真間の入江に身を沈めたとか、継母に仕え真間の井の水を汲んでは孝養を尽くしたとか、手児奈は国造の娘でその美貌を請われ...参拝日記・手児奈霊神堂
古事記上つ巻現代語訳三ゆる~っと訳古事記上つ巻古事記の成立現代語訳(ゆる~っと)古事記の成立伏して思うに、今上陛下・元明天皇は、天命を受けて国を治め、天・地・人の三つを通じて、民をそだて養っておられます。また、宮中にいらっしゃりながら、その徳は、馬が行ける果てまでも覆い、玄扈(げんこ)に座っていらっしゃりながら、教化は、船の先が行けるところまでも、照らしておられます。・玄扈(げんこ)ネットで調べてみますと、読みは出てくるのですが、意味に関しては検索できませんでした。私が思うに、高御座のことではないかと思います。日が昇っては、陽光が重なり、雲が風に散って跡形もなく消えましたが、煙ではない。(ブロッケン現象、日本でいう御来光でしょうか?)枝がひとつに合わさる、木連理(もくれんり)、・木連理(もくれんり)根や幹...古事記上つ巻現代語訳三ゆる~っと訳古事記の成立
弘法寺(ぐほうじ)概要弘法寺は、千葉県市川市真間四丁目にある日蓮宗の本山です。御本尊三宝尊創建天平9年(737年)正式名真間山弘法寺略縁起伝えによりますと、奈良時代、行基が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりとされています。境内祖師堂仁王門鐘楼堂伏姫桜住所千葉県市川市真間4−9−1アクセスJR東日本総武線市川駅徒歩15分京成電鉄京成本線国府台駅・市川真間駅徒歩10分最後に長い階段の参道を登った先にある弘法寺。こちらの場所は、2019年放映のNHK大河ドラマ「いだてん」で五りん役の神木隆之介さんが、愛宕神社の石段を駆け上るシーンは弘法寺で撮影されたそうです。確かに、愛宕神社の石段に匹敵する、階段でした。階段を登り疲労困憊となった主。正面の建物が本堂だと思って撮影し、帰宅後写真整理すると、...参拝日記・弘法寺
古事記上つ巻現代語訳三古事記上つ巻古事記の成立読み下し文(古事記の成立)伏して惟うに、皇帝陛下、一つを得て光宅し、三つを通ひて亭育ひたまふ。紫宸に御して徳は馬の蹄の極まる所に被り、玄扈に坐して化は船頭の逮る所を照らしたまふ。日浮かびて暉を重ね、雲散りて烟に非ず。柯を連ね穗を并す瑞、史書すことを絶たず、烽を列ね、訳を重ぬる貢、府に空しき月無し。名は文命よりも高く、徳は天乙よりも冠れりと謂ひつべし。ここに、舊辭の誤り忤へるを惜しみ、先紀の謬り錯ふるを正さむと、和銅四年九月十八日を以ち、臣安萬侶に詔りたまはく、「稗田阿禮が誦める勅語の舊辭を撰び録して、獻上れ」とのりたまへば、謹みて詔の旨のまにまに、子細に採り摭ひつ。然れども、上古の時、言と意を並朴にして、文を敷き句を構ふること、字には難し。已に訓により述ぶれば...古事記上つ巻現代語訳3古事記の成立
妙福寺(みょうふくじ)概要妙福寺は、東京都大田区南千束にある日蓮宗の寺院です。洗足池の由来となった日蓮が袈裟をかけたとされる松があります。本尊三宝祖師創建寛永年間正式名星頂山妙福寺別名御松庵略縁起日蓮が池上にある池上宗仲の館に向かう途中、近隣の大池(現在の洗足池)で休憩をとり、傍にあった松の木に法衣をかけて、池の水で手足を洗いました。その際、池から七面天女が現れたといいます。その後、このことを記念しようと、七面天女を安置するお堂を建てたのが御松庵の由来です。境内本堂山門袈裟掛けの松現在の松は三代目です。日蓮上人袈裟懸けの松由来弘安5年9月(1282)日蓮上人が身延山から常陸国(茨城県)に湯治に向かう途中、日蓮に帰依していた池上宗仲の館(池上本門寺)を訪れる前、千束池の畔で休息し傍の松に袈裟をかけ池の水で足...参拝日記・妙福寺
古事記・現代語訳古事記上つ巻古事記の企画現代語訳(ゆる~っと)古事記の企画飛鳥清原大宮で、日本を統治なさった天武天皇の御世に至ります。天に昇る前の、水に潜れる龍の徳をお持ちになり、しきりに鳴る雷のように、天子になる時に答えようとなされました。夢の中で歌を聞き、天皇の位を受け継ぐ神託と判断し、夜の川に行き占い、天皇の位を承けつぐ立場であることを感じとりました。しかしながら、天命の時には至っていないと、南の山・吉野で、蝉が殻を脱ぐように、衣を脱いで法衣をまとい、出家なされました。天命と人の事が共に備わると、東の国に虎の勢いで進みました。天皇の輿は、たちまちに進軍し、山を越え、川を渡り、天皇の率いる軍隊は、雷鳴轟くように進撃し、将軍が率いる三軍は、雷光のように先行しました。天皇が矛を杖つくと、威勢が挙がり、猛き...古事記上つ巻古事記の企画ゆる~っと訳
浄閑寺(じょうかんじ)概要浄閑寺(じょうかんじ)は東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院です。本尊阿弥陀如来創建明暦元年(1655年)正式名栄法山清光院浄閑寺別名三ノ輪の浄閑寺投込寺略縁起明暦元年に、天蓮社晴誉順波和尚により開山しました。そのほか投込寺投込寺(浄閑寺)浄閑寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。安政二年(一八五五)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。檀徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、寛保三年(一七四三)から大正十五年(一九二六)にいたる、十冊の過去帳が現存する。遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れ...参拝日記・浄閑寺
古事記上つ巻現代語訳二古事記上つ巻古事記の企画(古事記の企画)読み下し文飛鳥清原大宮に、大八洲しめしし天皇の御世に曁る。濳れる龍元に体ひ、洊る雷期に応ふ。夢の歌を聞きて業を纂がむことを相ほし、夜の水に投りて基を承けむことを知りたまふ。然れども、天の時臻らず、南の山に蝉のごとく蛻け、人の事共給はり、東の国に虎のごとく歩みたまひき。皇輿たちまちに駕し、山川を浚え渡り、六師雷のごとく震ひ、三軍電のごとく逝きき。矛を杖き威を挙げ、猛き士烟のごとく起こり、絳き旗兵を耀かし、凶き徒瓦のごとく解けぬ。今だ浹辰も移らずして、氣殄自づから清まりぬ。牛を放ち馬を息へ、愷悌して華夏に帰り。旌を巻き戈を戢め、舞ひ詠ひ都邑に停まりたまふ。歳は大梁に次り、月は侠鍾に踵たり、清原の大宮に、昇りて天位即しめしき。道は軒后に軼ぎ、徳は周王...古事記上つ巻現代語訳2古事記の企画
増上寺(ぞうじょうじ) 概要増上寺は、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の寺院です。浄土宗の七大本山の一つです。将軍徳川家の菩提寺です。本尊阿弥陀如来創建明徳4年(1393年)正式名三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)略縁起9世紀、空海の弟子・宗叡(しゅうえい)が武蔵国貝塚(現・千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身と言われています。室町時代の明徳4年(1393年)に、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めました。貝塚から、一時、日比谷に移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)に徳川家康により、現在地の芝へ移されました。風水的に江戸の鬼門に寛永寺を配し、裏鬼門である芝に増上寺を移したと考えられています。 増上寺掲示板増上寺沿革浄土宗の七大本...参拝日記・増上寺