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血液がんと乾癬の闘病記 https://mataneko.net

20年来に及ぶ尋常性乾癬と10年来に及ぶ血液癌の多発性骨髄腫との闘病記。余命三ヶ月宣告からの生還と皮膚病の温泉湯治の記録など記載。さらに急性膵炎や動脈瘤の手術など満身創痍の記録です。

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2020/07/19

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  • 放射線ホルミシス

    山梨県に増冨ラジウム温泉という名湯がある。ここは鳥取県の三朝温泉、秋田県の玉川温泉と並んで全国でも有数のラジウム泉だ。ところで温泉の泉質表記によく「ラジウム泉」とか「ラドン泉」とか表記されているが、違いがよく分からないという方も少なくないだろう。実はこれは基本的に同じものだ。源泉の中に放射能元素が含まれているものをラジウム泉と呼び、それが空中で気体になったものがラドンだ。難しく言うとラジウム(元素番号88)がアルファ崩壊したものをラドンと呼ぶ。アルファ崩壊すると放射能のアル

  • 痛みと温泉湯治

    コロナ禍で最近カロナール(アセトアミノフェン)が不足しているそうだ。カロナールは鎮痛剤、解熱剤として古くから知られた薬だ。普通の薬局でも風邪薬としてあまねく販売されている。第七波で感染者が爆発的に増大したため、入院治療が難しく自宅療養者が増えたためだろう。私の場合は癌性疼痛のため、カロナールだけでは足りず、より強い痛み止めのトラマール(オピオイド鎮痛薬)やロキソニンなどを併用してきた。ただ強い鎮痛薬は副作用が心配だ。例えばトラマールは鎮痛薬なのに頭痛の副作用があったりして、

  • サバイバー

    ここ3週間は大変だった。実家の高齢な母親がコロナにブレークスルー感染して私も濃厚接触者になってしまった。でも母は重症化せず、3,4日で健康体に戻った。私は発症すらしなかった。やはり3回目のワクチン接種が効いたのだと思う。私は初回、2回目はファイザーだったが、3回目はモデルナにした。その方が抗体が上がると聞いていたので、自ら希望して製薬メーカーを変えた。正解だったかも。ところで先日の新聞に末期がんから生還した人の話が載っていた。その方は肺がんから他の臓器に転移してステージ4b

  • がんの治療費

    久々の更新です。コロナ禍が続き、もううんざりです。仕事も遊びもモチベーションを維持するのが大変です。ところで今まであまり触れてなかったですが、誰もが心配な「がんの治療費」について綴りたいと思います。私の場合は若い時からがん特約付きの入院保険に入っていて、入院費についてはそれで賄いました。ところが最近のTVCMでよく伝えられているように、昔の保険は入院のみの補償で通院には補償がありません。実は通院にはとてもお金がかかります。薬代に検査代、それに交通費が馬鹿になりません。最近の

  • ヒートショック

    冬場は風呂場の事故が多発する。例年の死亡者は交通事故の倍にのぼるそうだ。これはヒートショックという現象によるものだ。寒い脱衣場や風呂場から急に熱い浴槽に入る時によく起こる。寒い時は体内の熱を逃さないために、血管が収縮して血圧が上がる。しかし熱い湯に入ると血管が膨張して血圧が急激に下がる。この差が大きいと心臓に負担がかかって心筋梗塞などが起こる。また脳卒中なども起こりやすい。高齢で不整脈や糖尿病などの持病がある方は特に注意が必要。そこで一般家庭では脱衣場や浴室の温度をあげたり

  • サリドマイド副作用

    悪魔の薬と言われるだけあって、サリドマイドの副作用はキツイ。私の服用しているのはブリストルマイヤーズ社から販売されている「レブラミド」という薬だが、これはサリドマイド誘導体で毒性は以前より緩和されているそうだ。誘導体とは一つの化合物の構造の一部を変化させたものだが、やはり催奇性はあり、妊娠は避けなければならない。この薬は多発性骨髄腫のほか、成人T細胞白血病リンパ腫や骨髄異形成症候群などにも使われる(どれも一般に馴染みのない病気ばかりですね)。管理は厳格なもので、日本のどの病

  • 多発性骨髄腫の治療 その5

    漸く、緊急事態宣言が解けた。今回は長かったなあ。これで大好きな居酒屋へ行ける。だけど、専門家は第6波が来るという。まだ安心できない。困ったもんだ。私はファイザー製のワクチンを二回打ったけど、ブレークスルー感染もあるし、新たな変異株もあるかもしれない。ウィルスはとても賢い。昨日、強力な台風16号が列島をかすめたけど、自然の力をなめてはいけない。肝に銘じよう。ところで人間の免疫システムというのはとても複雑だ。前回「多発性骨髄腫の治療その4」でサリドマイドのことを綴ったが、今回は

  • 血管迷走神経反射

    私は子供のころから血が苦手だ。他人の血はもちろん、自分の血を見ても気持ち悪くなる。そういう自分が血液の病気になるとは皮肉な話だ。多発性骨髄腫の症状で赤血球のレベルが低下すると輸血を行うが、目の前に輸血用の血液パックを吊るされると意識レベルが低下してしまう。ベッドの上でぐったりしてしまう。入院中は突然に意識が遠のき、失神してしまったことが何回かあった。退院した後、定期的に血液の精密検査を行う。ある日、採血した後に急に目の前が暗くなり、顔からは脂汗がだらだらと流れ、胃がむかむか

  • ハッピー・ハイポキシア

    幸せの低酸素症と言われる「ハッピー・ハイポキシア」というのをご存じだろうか? 最近のコロナ禍で急激に重症化する患者の話が話題になるが、本人に命に係わるほど低酸素になっている自覚がない。しかしパルスオキシメーターで血中酸素飽和度を測ってみると、90前後になっていたりする。血中酸素飽和濃度は95以上あれば正常だが、それ以下だと酸素不足だ。90を切ると間違いなく重度の肺炎になっているはずだ。レントゲンを撮れば、胸はもう真っ白だ。しかし本人はなぜか息苦しさを感じない。危機感がない。

  • 急性肺炎

    今月の初め、肺炎になってしまった。38度以上の発熱が続き、これはまずいと思った。ついに自分も流行りのコロナに感染したのかなと思った。ただ、咳はそれほどでもなく、呼吸もそんなに苦しくない。そしてよく言われるような味覚の異常はまったくない。ただ、高熱はつづく。血液腫瘍内科の主治医に連絡すると、すぐ病院に来なさいとのことだった。皆様もご存じだと思うが現在各病院は非常態勢をとっている。熱のある人は通常の入口から入れず、発熱外来受付から入場する。もうそこから他の患者に接触しないように

  • 多発性骨髄腫の治療 その4

    サリドマイドは悪魔の薬と言われる。この薬はもともと西ドイツで鎮静・催眠薬として開発された。研究段階では”てんかん”の薬を目指していたとも云われる。そして1950年代から1960年代にかけて世界40か国以上で承認販売された。日本でも大日本製薬から睡眠・鎮静剤「イソミン錠」と胃腸薬「プロバンM錠」として販売された。産婦人科ではこの薬が妊娠初期の”つわり”を抑える効果があるということで、妊婦に処方された。ところが、1961年に西ドイツの医師であるレンツ博士がこの薬の催奇形性につい

  • 多発性骨髄腫の治療 その3

    MP療法がだんだんと効かなくなり、抗がん剤を変えることになった。免疫抗体は通常は免疫グロブリン(略称Ig)と呼ばれているが、その中にも複数の種類(サブクラス)がある。私の場合、病気の進行状況に関係するのはIgGという抗体で、IgG型骨髄腫と言われる。このIgGの数値が大きくなるとやばいことになる。骨髄中のがん細胞が増殖するとIgGが増えるという相関関係があるそうだ。MP療法ではこの数値を抑えきれなくなったので、先生と相談して新しい薬を試すこととなった。最近の抗がん剤に「分子

  • 草津温泉湯治

    恋の病以外は何でも治ると云われる上州の名湯「草津温泉」。現在は温泉リゾート、ウィンタースポーツのメッカだが、もともとは東日本有数の湯治場温泉だった。この温泉にはなんども足を運んだ。ほとんどは観光目的だが、一般観光客も入浴できる外湯で尋常性乾癬の湯治も試みた。草津温泉の湯治と言えば、「時間湯」が有名だ。江戸時代から続く伝統的な湯治療法で、約38度から48度くらいの高温の湯に、湯治を指揮する「湯長」の掛け声に従って入浴湯治する。神棚に参拝した後、湯温が高いため、湯もみ、かぶり湯

  • 多発性骨髄腫の治療 その2

    化学療法で古くから知られている治療法にMP療法というのがある。Mはメルファラン(melphalan)の頭文字で、Pはプレドニゾロン(prednisolone)の略だ。メルファラン(商品名アルケラン)は抗がん剤でプレドニゾロン(商品名プレドニン)は合成副腎皮質ホルモン製剤、いわゆる抗炎症ステロイドだ。このプレドニンについては数々の免疫系疾患やアレルギー性疾患に使われていて、知っている方も少なくないと思う。昭和30年に日本に導入された薬で、日本では塩野義製薬から発売されている。

  • 多発性骨髄腫の治療 その1

    全身の危機的な状況を脱すると、いよいよ病気本来の治療が始まる。多発性骨髄腫は血液癌の中でも治療が難しい方だと云われる。30年以上前は余命率が低かったそうだ。現在では数々の治療薬があり、また骨髄移植の技術もあがり生存率はかなり高くなった。基本的には抗がん剤による化学療法と骨髄移植手術による。それぞれのケースによるが、局部がない多発性のため放射線治療は行わない。完全寛解が期待できる骨髄移植は69才以下(少し前までは65才以下だった)、各臓器に問題ない人、糖尿病など合併症がない人

  • リハビリ その3

    動けないことで、一番辛いのは自分でトイレに行けないことだ。尿管挿入とおむつ装着だが、やはり大の方を看護師さんに処理してもらうことは恥ずかしい。最初は自分でベッドの上にすわることすらできなかった。車椅子に乗り移ること、そこから便器などに乗り移ることも看護師さんやPT(理学療法士)さんの手助けがなければできない。人生で初めての経験で、情けないと思った。ただ、世の中にはこのような要介護者がたくさんいて、その方々や、介護補助者の苦労がようやくわかった気がした。私の家にも介護が必要な

  • リハビリ その2

    学生時代、誰でも英語の授業で発音練習をしたと思う。私の場合も英語の教師とマンツーマンで発音訓練を行ったことを覚えている。とても苛立たしいものだ。自分ではうまく発音したと思っても、「違う!」と一喝され、何度も言わされる。ST(言語聴覚士)による口蓋、嚥下の訓練も似たようなものだった。五十音やアルファベットの発音を、何度も、何度も、繰り返し行う。とくに濁音の発音は重要らしい。ばびぶべぼ、ダヂヅデト、バビブベボ、だぢづでど・・・ああ、腹立たしい。よくケンカした。あなたのような聞き

  • リハビリその1

    臓器の調子が安定してきて、長い入院もいよいよ最後の方になってきた。首にささっていたカテーテルは無事抜かれ、腕からの点滴投与になったため、ベットの拘束帯は外された。比較的自由になったが、大問題があった。ベットから立ち上がることができないのだ。人は長いあいだ寝ていると、足の筋肉はすっかり衰え立てなくなる。トイレにも行けないので、尿管挿入とおむつはまだ外せない。また、顎や喉の筋肉や機能も落ち、口から水や食べ物を採ることもできない。食止めが続く。特にサラサラした水はとても危険で、誤

  • 豊富温泉湯治 その2

    湯治は町営日帰り温泉施設である「ふれあいセンター」で行う。ここには湯治用浴室と一般向けの浴室があり、湯治用の浴室には源泉槽がある。まず更衣室に入ってとたんに感じるのは、ぷーんと臭う油臭だ。驚く、そして火気厳禁の注意書き。今まで全国の温泉に入浴したが、こんなのは初めてだ。付き添いの妻は一般浴室で入浴したが、長く浸かると気持ち悪くなると言って、そそくさと休憩室に行ってしまった。こちらは湯治が目的なので、我慢して入浴するしかない。湯治浴室には全国からの悩める患者さんが大勢いた。5

  • 豊富温泉湯治 その1

    大正期に道北の僻地で石油試掘が行われた。宗谷本線が全通した大正15年、現在の豊富町で石油の混ざった温泉が湧出。それが、豊富温泉の始まりだ。石油成分が混ざった世界でも珍しい泉質で、乾癬やアトピー性皮膚炎に効果があるということで、全国から湯治客が集まる。泉質表示は含よう素-ナトリウム-塩化物温泉で、よう素とはヨードとも言い消毒液のヨードチンキとして知られているものだ。塩分も強く高張性なため、肌によく染み込む。地元豊富町でもこの温泉をとても大事にしており、湯治客のための宿泊施設「

  • 痛みとの闘い

    話は前後するが、多発性骨髄腫は激しい痛みを伴う。私の場合、50代で激しい痛みを感じて癌が発覚した。癌に潜伏期間というのもおかしいが、医師の診断によると、私の場合は30代ですでに発症していた可能性があるという。癌にはたくさんの種類があるが、基本的には早期発見、早期治療が原則だ。手術ができる場合は手術して、必要なら化学療法や放射線治療を組み合わせる。だが、この病気は違うらしい。仮に30代で発見できていても積極的な治療は行わないそうだ。抗がん剤の副作用の方が癌の症状(貧血など)よ

  • 人工透析

    虚空をみつめているようだった。天井の視界はとても狭く、周りの騒音は何も聞こえない。多発性骨髄腫の前の記事(6月22日)で書いたように、とりあえずの危機を脱してICUから重症者用個室に移ったが、高カルシウム血症による腎不全は未だ予断を許さない。しばらく人工透析を受けることになった。病室でがんじがらめの状態だったので、ベットで移動するのは嬉しかったが、透析室に行くと、さらにがんじがらめとなった。他の患者さんがいるので個室にいる時のように音楽やニュースを聞かせてもらうこともできず

  • 玉川温泉湯治 その2

    湯治2,3日後に出てくる全身湿疹は、玉川温泉においては体の悪い部分の発出と考えられている。つまり体内の毒素が出てくるということだ。だから、この過程はとても重要だ。ここで湯治をやめてしまうと意味がない。出し切ることが大切と言える。実際、私の場合は5,6日後には湿疹が消えていき、本来の目的である乾癬も症状が和らいだ。そして10日後には8割方消えてしまった。実はここに来る前、疑心暗鬼であまり期待していなかったけど、その効果に正直驚いた。そして、お隣りにある新玉川温泉ホテルの大浴場

  • 玉川温泉湯治 その1

    秋田県にある玉川温泉はそれはそれは山深い。八幡平の西側になる。最寄りの秋田新幹線・田沢湖駅からバスで約1時間半ほどかかる。この温泉の岩盤浴はがんに効くとのことで、全国からがん患者が集まる。温泉旅館後方に遊歩道があり、そこを進むと温熱をもった岩盤が広がる。周辺には数張りのテントが建ち、さながら「がん病棟」のようだ。私がここを訪れた時は骨髄腫はまだ発症していなかった。この時は尋常性乾癬の湯治で訪れた。もともとアトピーに良いとのことで全国的に有名になった温泉だ。皮膚病の湯治は岩盤

  • 温泉湯治の道へ

    ステロイド剤による治療はけっして効果がないとは言わないが、きりがなく展望が見えないので疲れてくることは前回の記事で述べた。内服薬の場合は免疫力低下による合併症が怖い。そこで他の方法として、温泉湯治はどうだろう?ということになった。そこで温泉について調べてみることにした。私が乾癬に苦しむようになったころはまだインターネット草創期だった。各温泉地の情報は今のようには豊富ではなかったので、本屋さんに出かけて参考になりそうな本を探した。いろいろ読む内に、どうも皮膚病には酸性泉と塩化

  • ステロイド塗布剤

    乾癬やアトピー皮膚炎などで皮膚科に行くと、殆どの場合ステロイド剤を処方される。経験者は少なくない思う。ステロイド剤には強弱があり、最初は強めの薬を使い、様子を見ながら徐々に弱い薬に切り替えていく。強いステロイドには皮膚を薄くするという副作用があるので、長くは使えないからだ。特に顔が注意だ。私の場合は爪乾癬もひどかったので、複数処方された。この治療法は近くの皮膚科医院でも都内の大きな大学病院でも結局同じだった。医院と大学病院で何が違うのかと言うと、一回に処方される分量が大学病

  • 尋常性乾癬

    30代の頃からフケのようなものがたくさん出てきて、スーツの方のところをよく汚していた。単に不潔にしているからと思い、頭をよくシャンプーしていたが、一向に良くならなかった。特に頭のテッペン部分と後頭部からよく出ていた。でも深刻には考えなかった。40代になってある日のこと、妻から頭皮全体が真っ白だよと言われてギクとした。すぐに皮膚科を受診した。診断は「尋常性乾癬」とのことだった。この病名はその時初めて聞いた。他に関節炎になって強い痛みと痒みが伴う「関節症性乾癬」、深刻で入院治療

  • 静脈カテーテル

    ICUからなんとか生還し、一般病棟の個室に移された。とりあえずの危機は回避したため先生方は少しほっとしたようだ。しかし私にとってはそこからが地獄の日々だった。つよいステロイド剤などの薬剤を大量に投与されているため、意識は混濁して状況がよく分からなかったが、首になにかがささっている。それはICUから付いていたようだ。口から水分、栄養分が取れないため、首の内頚静脈からカテーテルで高カロリー輸液を入れていたのだ。これが実に問題なのだ。首の静脈にささっているということは、もし間違っ

  • 免疫システムの異常

    多発性骨髄腫とは血液がんの一種だ。白血病、悪性リンパ腫とならんで三大血液癌と云われる。その中でも多発性骨髄腫はもっとも発症率が低い。最近の統計では10万人あたり4,5人だそうだ。女性より男性が多く、年齢層は50代以上が多い。そしてとても困ったことに、この病気は発症原因がほとんど分かってないそうだ。それ故か従来は治療薬も少なく、放射線治療も難しく、骨髄移植手術も白血病に比べて成功率が低かったようだ。10年以上前までは3年生存率が50%以下だったそうだ。いったいこの病気の正体は

  • 多発性骨髄腫て何?

    そもそも何で3週間もICUで生死を彷徨うことになったのか・・・職場で電話中に激しい痛みが襲った。胸がぎゅっと締め付けられような痛みだった。受話器を置き、胸を少し開いてみた。神経痛だと思ったからだ。しかし、より締め付けがきつくなったような気がした。でも少し休めば、引くだろうと気軽に考えた。しかし痛みはますます増していった。その日は早退し家に帰って休んだ。次の日の朝、事態は深刻だった。ふとんから起き上がることができない。痛みでトイレにも行けない。そのまま失禁した。これは大変なこ

  • ICUの夢

    最近のコロナのニュースで、人工呼吸器の話がよく出てくる。私も肺炎で人工呼吸器を装着した。その時みた夢の記憶が蘇った。10年ほど前の今頃、私は集中治療室で生死をさまよっていた。気管内装管のため、麻酔を掛けられ意識が遠のき、深い眠りについた。肺炎のほか、急性腎不全、急性肝不全を併発。妻には医師から覚悟するよう伝えられた。夢は不思議なものだった。海辺の温泉旅館に妻と行った。一軒宿だった。宿の前には美しく輝く白浜がどこまでも広がっていた。食事の前にひとり散歩に出た。太陽は眩

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