今回はこれまでの1234回分の記事の中から、アクセス数で多い物から10本をラインナップすることにしました。この記事がなぜ??と思うようなものもあったりしますが、自分が思うものと、人が思うものとの違いというのはあるものですし、そこから見てくるものもあるのですね。
毎日更新! ”旅”って、見方を変えるとまだまだこんなにも面白いことがあるのか!王道ではなく、あえてわきみちを行くことで、こだわりの旅が見えてきます。世界遺産?百名城?食?カレー?こだわりを追求する旅あれこれblogです。
まだまだ日々改善中です。少しずつ、より見やすいblogを目ざしていきますので、末永く宜しくお願いします。
1234 第25回『わきみち ぶるじゃらん』アクセス数調査(1~1234)
今回はこれまでの1234回分の記事の中から、アクセス数で多い物から10本をラインナップすることにしました。この記事がなぜ??と思うようなものもあったりしますが、自分が思うものと、人が思うものとの違いというのはあるものですし、そこから見てくるものもあるのですね。
1233【タイ紀行】バンコク最大の週末マーケット。とりあえずここにくれば、何から何までそろう!!?『チャトゥチャック・ウィークエンドマーケット』
このマーケットを外して、タイを語ることはできません。そのマーケットとは、チャトゥチャック・ウィークエンドマーケットといいます。ウィークエンドマーケットというので、その名のとおり週末の土日のみしか開いていないマーケットなのです。土日だけなのですが、おそらくタイのバンコクを観光で訪れる人たちにとっては、このチャトゥチャック・ウィークエンドマーケットはほぼほぼマストな場所ではないでしょうか。
1232【タイ紀行】バンコクのカオスな市場とオシャレな川沿いの光景の対比が特徴的な『サンペーン市場・オンアン運河ウォーキングストリート』
全長1kmほどの混みあったサンペーン市場の通りを抜ける、その先には人工的に作られた運河が見えてきます。実はこの運河の両岸が、ここのところホットになってきている定番スポットなのです。その名を、オンアン運河ウォーキングストリートといいます。それまで歩いてきたサンペーン市場とは対照的な雰囲気を見せるこのオンアン運河ウォーキングストリート。その対照的な光景がここの面白さだったりするのです。
1231【タイ紀行】チェンマイで毎週土曜日に開催されるナイトマーケット『ウアラーイ歩行者天国ナイトマーケット』
チェンマイには、土曜日限定のナイトマーケットもあるのです。それが、城壁の南側、チェンマイ門から南西に向かって伸びるウアラーイ通り沿いで土曜日限定のサタデーマーケットが開かれる『ウアラーイ歩行者天国ナイトマーケット』なのです。チェンマイに行ったからには、週末に開催されるこの2つのナイトマーケットはマストですよね。
1229【タイ紀行】アユタヤとオランダ東インド会社との関係についての展示が盛りだくさん『オランダ人村』
今回紹介しているのは日本人村と同じく、当時のアユタヤで独自のコミュニティを形成してたとある町のあった場所に残る史跡です。それをオランダ人村といいます。以前、同様にこの地にあったポルトガル人居住地であったポルトガル人村について紹介をしましたが、ポルトガル人村、そして日本人村よりも北にあるのがオランダ人村です。このオランダ人村には、かつてアユタヤに存在したオランダ人居住区の痕跡が残されているのです。
1229【タイ紀行】エレファントライドをはじめとしたネイチャーテーマパーク『メーテーンエレファントパーク』
チェンマイからは北に50kmの位置にあり、車でも約1時間かかるこの場所。メーサエレファントキャンプに比べると、交通の便では不便だなあという場所にはなります。そのため、このメーテーンエレファントパークを訪れる場合は、ツアーを申し込んで訪れることがほとんどになるのではないかと思います。
1228【タイ紀行】アユタヤで連日開催される地元の人々向けのナイトマーケット『バンランナイトマーケット』
今回紹介しているのはそんな地元密着型のナイトマーケット。場所は、タイの古都アユタヤです。アユタヤにもナイトマーケットは数々あります。観光客向けには、曜日限定のナイトマーケットが存在するわけなのですが、今回紹介しているナイトマーケットは、夕方から21時ごろにかけて、毎日開催されているナイトマーケットなのです。その名前をバンランナイトマーケットと言います。
1227【タイ紀行】アユタヤに残るかつての日本人たちが残した痕跡『日本人村』
全世界いたるところで活躍する日本人。世界のどこに行ってもそういった日本人が密集して暮らしている地域があったりします。そういったところは、『日本人村』などと言ったりすることがあるのですが、実際に日本人村と呼ばれる場所がアユタヤにあるのです。その場所は正式に日本人村(Japanese Village)というのですが、現在日本人が多数住んでいる場所というわけではないのです。
1226【タイ紀行】過去に数々繰り広げられたビルマ軍からの猛攻からも奇蹟的に残った、アユタヤの奇跡の寺『ワット パナンチューン』
アユタヤにある『ワット・パナンチューン』は、今もなお地元の多くの人々の信仰を集める寺院です。他の遺跡群とは異なり、今もなお寺院として現役で活用し続けられているこの寺院。実はすでに700年近い歴史がある寺院なのです。そのわりには、現在も現役で利用されていることからか、非常にきれいに整備されており、特に本尊でもある黄金の仏は、今もまばゆいばかりの輝きを放っています。
1225【タイ紀行】水上マーケットだ!!と意気込んでいってみたものの・・・!!?『アヨタヤ水上マーケット』
水上マーケットなのですが、タイの古都アユタヤにもあるのですよ。その水上マーケットを『アヨタヤ水上マーケット』といいます。アヨタヤ?そう。アユタヤではなくアヨタヤです。アヨタヤというのはアユタヤの古い言い方らしく、そんな名称がついている水上マーケットですのでさぞかし歴史と伝統があるのだろう!!
1224【タイ紀行】チェンマイに来たからには必ず訪れなければいけないほどの寺院『ワット プラタート・ドーイステープ』
チェンマイに行ったからにはここを訪れなければチェンマイに行った意味がない、とまで言われるほどの有名な寺院があります。しかしこの寺院。チェンマイの市街地にはありません。チェンマイ市街地から北西に約15km。そして、山頂へと通じる道を登り、標高1080mもあるステープ山の山頂にある寺院なのです。その名を、ワット プラタート・ドーイステープと言います。
1223【タイ紀行】イエローラインの開通で、気軽に行くことができるようになった『シーナカリン鉄道市場ナイトマーケット』
シーナカリン鉄道市場なのですが、タイで一番最初に開かれた鉄道市場なのだそうです。郊外にあるため、これまではタクシーなどでしか訪問することができなかったこのナイトマーケット。しかし、2023年6月にイエローラインが開通したため、なんと公共交通で訪れることができるようになったのです。
1222【大阪紀行】台風の通るアジアの国々の料理を提供してくれる『台風飯店』
回紹介しているのはそんなアジアンな料理を取り扱っているお店です。『台風飯店』というお店なのですが、名前だけ見ると、"台"風??ということなので台湾料理なのかなあと思うのですが、半分正解です。台湾料理もこのお店の主力メニューの一つなのですが、それだけではありません。
1221【タイ紀行】アユタヤは世界さんだけではない!中心部から東に行ったところにあるショッピングモール『アユタヤ シティーパーク』
アユタヤの観光の中心はアユタヤ島になるので、なかなかそれ以外は・・・、となっている人が多いかもしれませんが、アユタヤにももちろん現代人の生活があります。あるところにはあるんですよ!アユタヤの中心地から南東に向かって5kmほど。タイを南北に走る高速道路沿いにあるんですよ。巨大なショッピングモールが!!その名を、アユタヤ シティーパークといいます。
1220【大阪紀行】大阪にとうとう現れた、カオソーイの専門店『泰式香辛麺商店 仲吉』
カオソーイ。食べられる店が日本国内でも増えてきていますが、さすがに専門店は・・・という状況でした。しかし、とうとう見つけてしまったのです。そのお店の名前とは、『泰式香辛麺商店 仲吉』という大阪市にあるお店なのです。大阪といえばスパイスカレーの聖地でもありますが、そんな中にいよいよカオソーイもお目見えすることになったのです。
1219 いよいよ日本各地に拡大し始めたか!?『ベトナムフェスティバル』
今回紹介しているのは、ベトナムフェスティバル。日常の生活の中で、ベトナムの人々を見かけることが増えてきたのではないでしょうか?以前に比べると日本とベトナムとのつながりはかなり強くなってきている中で、このベトナムフェスティバルというのは、今後ベトナムカルチャーをより身近に感じていくきっかけとなるフェスティバルとして、大きく育っていく可能性が高いフェスティバルではないかと思います。
1214【大阪紀行】古来から方災除けの神社として知られる、かつての国境にあった神社『方違神社』
今回紹介するのは、大阪府堺市にあるとある神社です。その名前を『方違神社(ほうちがいじんじゃ)』と言います。堺市にある神社の中でも大きな部類に入るこの神社。実はとあることで有名な神社なのです。それは、引っ越し、転勤、結婚での転居、海外赴任・旅行など、どこかに移動するときに、その行く先の方位についてお祓いをしてもらう神社なのです。
1217【滋賀紀行】天智天皇を祀り、時計とつながりが深い近江神宮内にある『近江神宮 時計館・宝物館』
近江神宮なのですが、天智天皇を御祭神としていることからもう一つの顔をもっている場所でもあるのです。それは、時計の聖地であるということ。実はこの天智天皇という人物が、時計と非常にゆかりのある人物だったのです。それはなんと今から1350年も前のこと。そのような時代に時計が??と思うかもしれませんが、漏刻という水時計を設置して時間を都に知らせ始めたのです。
1216【和歌山紀行】かつての小学校がキャンプ施設に!?校庭・校舎で過ごす一夜は特別なものに『SHINODA BASE』
廃校舎を利用したキャンプ場が和歌山県橋本市にあるのです。そのキャンプ場の名を、『SHINODA BASE』といいます。このSHINODA BASEなのですが、かつてここにあった信太小学校が廃校となり、その跡地の校舎をそのままキャンプ場施設として利用しているのです。
1215【滋賀紀行】琵琶湖畔の抜群のロケーションでキャンプを『ビワコマリンスポーツオートキャンプ場』
ビーチというとどうしても海がまずイメージされますが、湖畔にあるこの琵琶湖のビーチ。そんな穴場で楽しむことができるマリンスポーツの楽しさに違いはありません。泳ぎから始まってボートやカヌー、ウインドサーフィンなどなどたくさんのマリンスポーツがあなたを待っているのです。そんな琵琶湖畔にあるキャンプ場の一つが今回紹介しているビワコマリンスポーツオートキャンプ場なのです。
1214【大阪紀行】大阪三大祭りの一つが開かれる歴史ある神社『生國魂神社』
今回紹介するのは、この生國魂祭が行われる生國魂神社なのです。地元では「いくたまさん」と呼ばれ親しまれているこの神社ですが、正式には「いくくにたまじんじゃ」と言います。古くからの歴史と伝統ある神社だったのですが、実は戦災によって社殿などのほとんどは一度焼失してしまっている神社ではありますが、古くからの建築様式が受け継がれて再建されており、今もなお多くの人々から親しまれている神社なのです。
1213【滋賀紀行】あの某アニメでも登場した、聖地巡礼の場所『近江勧学館』
アニメ・マンガで一世を風靡『ちはやふる』。百人一首競技かるたを取り扱ったマンガということで、これをきっかけに競技かるた人口が非常に多くなったともいわれています。そして、この競技かるたでは、毎年その頂点を決めるための大会ということで名人位戦・クイーン位戦というものが行われています。その伝統ある大会の会場として利用されているのが、滋賀県は近江神宮内にある近江勧学館という研修施設です。
1212【旅ノウハウ】まさかのこんな取り合わせ。いったいどんな味が!!?『いわし明太』
福岡では、明太子を使って開発され、多くの支持を集めているものがあるのです。しかし、初めてこれを見たときは、正直『なんだこれ??』と思わされたものでした。ところが、それを食べてみたところ、これに関する価値観が一変するほどのものだったのです。その明太子を使った食べ物とは、いわし明太といいます。
1211【京都紀行】昔ながらの手作業で作ってみよう『お茶づくり体験』
お茶畑で栽培されているお茶。茶摘みの様子なども見たことはあるかもしれませんが、その先、人びとの茶の間にあがってくるいわゆるお茶というのは、この収穫されたお茶の葉そのものではありませんよね。乾燥して、小さくなっているものだと思います。では、この食卓にやってくるお茶とは、この収穫されたお茶の葉をどのように加工したものなのでしょうか。
1210【京都紀行】抹茶を使った食事やスイーツを楽しみたいのならばここ『伊藤久右衛門』
そんな京都の食文化の中で忘れてはいけないのが、京都の抹茶文化です。古くからの抹茶の産地としては、京都の宇治が有名ですね。もはや宇治と聞くだけで抹茶がイメージされるほどの者となっています。そんな抹茶の一大産地である宇治だからこそ、その地元にはその抹茶を扱った有名店ができるわけです。そのお店の一つが『伊藤久右衛門』といいます。
1209【タイ紀行】おそらくタイの山岳民族の中では、最も有名なのではないか『首長族の村(メーテーンエレファントキャンプ内)』
タイの少数民族の中でも有名な民族の中に、首長族があります。首長族なのですが、タイおよびミャンマーの北部で暮らしている民族であり、カレン族やカヨー族といった民族が属しています。そして、この首に真鍮のリングをつけた女性たちの伝統は今もなお受け継がれ続けていて、その伝統を守りながら伝統的な織物などを製作販売している場所があります。それを首長族の村と言います。
1208【大阪紀行】大阪から奈良へ抜ける最短ルートの街道であった『暗越奈良街道』
大阪市中央区にある高麗橋からスタートして、暗峠を越えて奈良の平城京に至る街道がありました。その街道こそが、暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)といいます。直線で結ばれたこの街道なのですが、奈良時代では平城京まで訪れるための最短ルートとして、多くの人々に利用されました。
1207【沖縄紀行】映画のセットかのような街並みが広がる『アメリカンビレッジ』
今回紹介しているのはアメリカンビレッジ(正式名称は、美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジと言います。)という施設です。ここは、ショッピングができる店舗や、エンターテイメント施設が集まった巨大なエリアなのです。
1206【タイ紀行】2023年6月開通。バンコクがさらに便利に!!『MRT イエローライン』
バンコクの鉄道網なのですが、2023年6月にもとある鉄道網が開通しました。その鉄道網を、イエローラインと言います。モノレール式の鉄道で敷設されたこのイエローライン。バンコクの中心と、バンコク東部郊外とを結んだこの鉄道網。これまではなかなか訪れることが難しかった東部エリアへと簡単にアクセスすることができることになったため、人の動線が大きく変わる可能性をもった路線なのです。
1205【人物あれこれ】2025年大河ドラマの主人公。だけど。。。どんな人物なの??『蔦屋重三郎』
突如発表された2025年大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」。このお話の主人公となるのが蔦屋重三郎という人物。江戸時代に生きた人物だったのですが、恥ずかしながら全く聞いたことがありませんでした。調べてみたところ、江戸のメディア王と呼ばれるこの人物。町人文化が華開いたこの時代に、一体どのような足跡を残した人物なのでしょうか??
1204【タイ紀行】タイ北部の少数民族によって栽培されている幻のコーヒー『Akha Ama Coffee』
今回紹介しているのはタイのコーヒーです。タイでコーヒー??意外なことにあまり聞いたことがないかもしれません。それもそのはず、今回紹介しているコーヒーは、近年注目されるようになってきたタイのコーヒーなのです。そのコーヒーとは、Akha Ama Coffee(アカアマコーヒー)といいます。
1203【タイ紀行】アジアで急拡大中!!おなじみの曲が流れる店内『DON DON DONKI』
今回はそんなタイのドンキに実際に行ってみたのでその記事になります。ちなみに、海外のドンキの名称は、ドン・キホーテではありません。なぜなら、同一名称のお店があるのだとか。そのため、海外で展開する際には『DON DON DONKI』となるのです。
1202【タイ紀行】アユタヤ王朝の創成期の宮殿跡。その後は寺院となり、時代を越えた建造物が残る『ワット・プッタイサワン』
アユタヤの地元の人の聞いてみると、とある寺院の名前が出てきました。『ワット・プッタイサワン』。はて?それってどこにあるのでしょうか?実は、アユタヤの観光の中心であるアユタヤ島から、チャオプラヤ川をはさんですぐ南にある寺院です。
1201【滋賀紀行】こここそが百人一首の聖地。漫画・アニメでも幾度となく登場した場所『近江神宮』
天智天皇といえば、百人一首の歌番号の1番、「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」を詠んだ歌人でもあります。このつながりから、ここ近江神宮では毎年1月に競技かるたの名人位決定戦、クイーン位決定戦が行われている、まさしく百人一首かるたの聖地なのです。
1200 第24回『わきみち ぶるじゃらん』アクセス数調査(1126~1175)
Blog更新1200回達成しました。今後ともよろしくお願いいたします。3年を超えた当ブログですが、あっという間にそこから1200回も更新が過ぎました。今回もいつもと同様に50本の記事の中から、アクセス数の高い記事をピックアップしました。日本
1199【タイ紀行】アユタヤに残るかつてのポルトガル人たちの居住地跡『ポルトガル人村』
今回紹介するのは、アユタヤに残る、かつてポルトガル人が住んでいたポルトガル人村です。ツアーでここが入ることはないアユタヤの中でもレアな史跡であるポルトガル人村について今回は紹介していきたいと思います。
1198【タイ紀行】2021年オープンの、バンコクで今最もホットなナイトマーケット『ジョッド・フェアーズ』
タイで有名なナイトマーケットの一つに今回紹介しているジョッド・フェアーズナイトマーケットがあります。このナイトマーケットがオープンしたのは2021年。つい最近オープンしたばかりのナイトマーケットなのですが、駅徒歩2分でアクセス抜群。オシャレな雰囲気も漂うこの新しいナイトマーケットは、観光客はもちろん地元の若者にも大人気なナイトマーケットなのです。
1197【大阪紀行】大阪の中心三光神社で毎年11月上旬に開催される『三光神社の真田まつり』
以前紹介したこともある大阪市にある三光神社。かつて真田丸があったとされるこの地域にあるこの神社なのですが、真田ゆかりの神社として、毎年のように開催されているとある祭りがあるのです。その祭りとは、真田まつりという催しものなのです。
1196【奈良紀行】郡山城の広大さがこの外堀と、城の中心との位置関係からわかるかも『郡山城外堀緑地』
かつて郡山城の周囲をぐるっと取り囲んでいた、外堀の跡が残されているのです。そこは郡山城外堀めぐりとして、要所要所に石碑が残され、散策ルートとなっているのです。1時間弱歩くことで一周できるほどの広大な散策ルート。かつての郡山城の大きさがよくわかるものになっています。
1195【奈良紀行】この名称からは、奈良の中心地にあると思われがちだけど・・・!!?『奈良駅』
日本全国どこにでも駅が置かれているJRが中心ではないの?と思うかもしれませんが、奈良県では、観光の中心である東大寺や興福寺、奈良公園やならまちといった場所に訪れるには圧倒的に近鉄奈良が便利な場所にあります。では、JRの奈良駅はないのか?もちろんありますよ、JR奈良駅が。
1194【大阪紀行】最優秀賞を受賞したこだわり卵である匠のたまご直売の養鶏場『辰巳悦司養鶏場』
「わざわざたまごのために・・・」と思う人も多いと思いますが、一度試してみてはいかがでしょうか。全ての人がそれに合致するとは思いませんが、養鶏場にまで足を運ぶほどの価値ある体験ができるかもしれませんよ。そんな直売しているたまごの中で、今回紹介しているのは大阪の富田林市でたまごの生産と販売をしている辰巳悦司養鶏場です。この養鶏場が販売しているたまごは、「匠のたまご」といいます。
1193【大阪紀行】なかなか珍しい!?たまごサンドの専門店『ここ助。のたまごさんど』
シンプルに卵フィリングを挟んだだけで作られるたまごサンドですが、シンプルであるがゆえに奥が深く、なおかつ人々をいつの時代もとりこにする味で愛され続けているサンドイッチですよね。しかし、そんなサンドイッチですが、意外とないものなのです。専門店が。ところが今回、大阪でそんなたまごサンドの専門店を見つけてしまったのです。それこそが今回紹介しているここ助。のたまごさんどなのです。
1192【大阪紀行】もともと小学校だった建物をそのまま使った新時代の複合施設『いくのパーク』
小学校の建物をそのまま利用した新たな複合施設を、「いくのパーク」といいます。たしかに、教室が多数ある小学校という建物。その一つ一つを店舗として利用することができるのであれば、理にかなっているのかもしれませんよね。
1191【タイ紀行】タイの人々はみんなもっている!?タイ伝統の嗅ぎ薬『ヤードム』
タイの人々の鞄の中には必ずと言っていいほど入っているものがあります。一見すると、「リップクリーム?」と思ってしまうかもしれませんがそれは無理もないことでしょう。完全に形はリップクリームなのですから。しかしこれはリップクリームではありません。日本語で言うと、"嗅ぎ薬"と言います。そして、タイではこれをヤードムというのです。
1190【大阪紀行】韓流ブームの追い風もあり、大阪の一大観光スポットにもなった『大阪コリアタウン』
韓国文化を堪能できるエリアが生野です。生野の中でも御幸森天神宮から伸びる一本の通り。ここは大阪コリアタウンと呼ばれています。通りの両サイドに韓国料理の店や食料品店。韓流アイドルのグッズ店が所狭しと並び、驚くほどの観光客が訪れるエリアとなっているのです。
1189【神奈川紀行】鎌倉の閑静な住宅地に建つ、ひときわ目立つランドマーク的な邸宅『加賀谷邸』
甘縄神明神社につながる小道を歩いていると、その途中にふと気になる住居がありました。訪れたときには改修工事?を行っていたようなのですが、それであってもまわりの家とはかなり趣の異なるこの家。実は、鎌倉市景観重要建築物に選ばれている家なのです。その家を加賀谷邸といいます。
1188【神奈川紀行】ここにかつて若宮大路を代表する大鳥居が存在していた『浜の大鳥居跡』
源頼朝が鶴岡八幡宮を現在の場所に遷座したときに鳥居も造られました。その時代、一の鳥居は、最も南側の海岸寄りにあった鳥居であったこともあり、浜鳥居と呼ばれていました。浜鳥居はその後何度も再建が繰り返され、現在の一の鳥居へとつながっていますが、実は過去の濱鳥居は現在の一の鳥居とは異なる場所にあった痕跡が発掘されているのです。それこそが浜の大鳥居跡なのです。
1187【神奈川紀行】鎌倉幕府の創設に多大な貢献を果たした伝説の武士 畠山重忠の邸宅があったとされる場所に残る碑『畠山重忠邸址』
今回はとある人物の邸址の史跡となります。その人物とは畠山重忠。鎌倉幕府創設期の有力御家人として活躍したものの、北条時政の計略によって謀反の疑いをかけられ、一族が滅ぼされることになってしまった人物です。大河ドラマの鎌倉殿の13人での好演も印象深いこの人物なのですが、その畠山重忠の邸宅があったとされる場所が鶴岡八幡宮のすぐ東側に残されています。それが畠山重忠邸址の碑なのです。
1186【神奈川紀行】なぜここにこれらの人物の墓が!?『大江広元の墓・毛利季光の墓・島津忠久の墓』
大江広元は大河ドラマの鎌倉殿の13人でも登場した源頼朝の側近として、頼朝亡き後も文官として鎌倉幕府を支え続けた人物であったため、この地にその墓があるというのは納得ですよね。ところが、そのすぐ横に毛利氏の墓があったり、島津氏の墓があったりするのはなぜなのだろう?となるかもしれません。
1185【神奈川紀行】かつては鎌倉幕府を支える鉄壁の一族だったが・・・『三浦一族のやぐら』
鎌倉幕府の創設期から幕府を支えてきた三浦一族なのですが、最後には北条一族と争った結果敗れてしまい、一族もろとも自刃するわけなのです。そんな三浦一族を法務経ったとされる場所が今回紹介している三浦一族のやぐらなのです。 皮肉にも、北条義時を祀っている法華堂があったとされる場所のすぐ裏手にあるこのやぐらと呼ばれる場所。鎌倉散策では必ず訪れておきたい場所ですよね。
1184【人物あれこれ】吉宗の跡を継いだ9代将軍。しかし、障がいをもっていたとされるこの将軍はいかなる人物だったのか『徳川家重』
今回紹介しているのは九代将軍徳川家重です。徳川吉宗の息子ということで、あれだけ輝かしく名前を残した将軍の息子なのだから!!と思うかもしれませんが、この家重、かなりの特徴を持っている将軍なのです。大河ドラマの八代将軍吉宗でも登場したこの家重。中村梅雀氏が演じたことで印象に残っている人もいるかもしれませんが、言語不明瞭。体が弱く、将軍に相応しくない人物として演じられていました。
1183【神奈川紀行】かつての大倉幕府にあった4つの門の一つ。東門があったとされる場所に残る碑『東御門』
鎌倉にかつてあった大倉御所というものは影も形も残っていません。御所の中心は現在は清泉小学校という小学校の敷地になっています。そしてその御所の東西にあった門は、東御門そして西御門というものがありました。これらは現在は地名などでしか残っていません。
1182【神奈川紀行】フランスに伝わるルルドの奇跡。その願いを鎌倉の地にも『ルルドの洞窟』
ルルドの洞窟とは、フランスのピレネー山脈にあるルルドという町にあるとある洞窟です。この場所で、聖母マリアがとある少女の前に何度も現れ、お告げを与えたことによって数々の奇跡がおこったという場所とされています。そのため、現在でもなお、心身の癒しを求めて、世界中から多くの人々がルルドを訪れています。
1181【ニュースあれこれ】カンタス航空が発表した、19時間もの超長距離のニューヨーク-シドニー間フライト
今回はそんな飛行機に関する記事を見つけました。このカンタス航空が、オーストラリアのシドニーと、アメリカのニューヨークとを結ぶ超長距離直行便の就航を2025年に控えているのです。この距離となると、その搭乗時間はなんと19時間!?現在であれば、乗り換えが必要なこの路線に対して、直行便で結ぶこのフライトでは、何よりも時間そのものを節約することができる移動手段になるのです。
1180【神奈川紀行】 鎌倉十井の一つ。鉄の観音像の伝説が残る『鉄の井(くろがねのい)』
今回取り上げているのは、鉄の井といいます。"てつのい"ではなく、"くろがねのい"と言います。鎌倉十井の中でも、とにかく人通りの多い小町通りの北の端にあるため、おそらく見かけたこともある人は多いのではないでしょうか。この井戸が"鉄"と呼ばれるのは、ここの井戸からとあるものが掘りだされたことに由来するのです。今となっては真偽はわからないその出来事。では、この鉄の井に残る伝説とは何なのでしょうか。
1179【旅ノウハウ】旅には様々なスタイルがある『旅の手帖』
旅の雑誌の中でも、今回紹介している雑誌は古くから書店で見かけてことがあるものではないでしょうか。それは『旅の手帖(てちょう)』といいます。独特なレトロなフォントで書かれたタイトルは、どこか懐かしさを感じるもの。それもそのはず、1977年に創刊されたかなり歴史のある雑誌なのです。
1178【神奈川紀行】力餅家のすぐ近く。ここには、これを求めて訪れる人がいるほどの秘伝のソースが!?『三留商店』
ただの食料品店かなあという印象をもってしまうこのお店。しかしその創業は明治15年。すでに100年を超える歴史をもつお店なのです。そのお店の名前を三留商店といいます。こちらのお店、様々な食料品が販売されており、街の食料品店だなあ、という第一印象なのですが、実はそれだけではにあ食料品店なのです。
1177【神奈川紀行】なんと300年以上続く和菓子の老舗。江ノ電長谷駅近くの『力餅家』
長谷駅のちかくには、何と300年以上の歴史をもつ和菓子店があります。その店の名を力餅家といいます。この力餅家なのですが、江戸時代でも中期、1700年前後にあたる元禄年間創業した和菓子店です。この和菓子店の名物は、店名にもなっている名物である権五郎力餅という商品です。創業以来この人気商品である権五郎力餅は、鎌倉を訪れ、様々な名所を歩き回り、歩き疲れた人々の疲れを癒してきたのです。
1176【大阪紀行】日本最初の本格的な平炉をもつ製鋼所。明治期の史跡が残る『日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)跡』
日本の重工業発展政策のために、製鉄というものは欠かせないものです。製鉄というと真っ先に思い浮かぶのが八幡製鉄所ではないでしょうか。しかし、そんな有名な八幡製鉄所よりも早く稼働をしていたの場所が大阪にはあるのです。それが日本鋳鋼所(ちゅうこうしょ)といい、その跡が大阪市の此花区に残されているのです。
1175【映画あれこれ】大人気マンガを実写映画化。その配役は絶妙というしかない!『キングダム』
近年漫画業界を席巻している作品の一つ。 それがこのキングダムであることは疑いの余地はないことでしょう。紀元前の中国を舞台に、後に中国を統一する秦を舞台にした物語です。漫画の人気が非常に高く、2018年段階でコミックス50巻を数えるほどの作品なのです。この50巻を達成したことと、連載開始から10年が経ったことから、それらを記念して実写映画化が行われました。
1174【大阪紀行】西日本最大のバイクの展示会。ここで新作モデルも多数発表されるなど、全国的にも重要なイベント『大阪モーターサイクルショー』
バイク市場にあって、毎年恒例のバイクイベントが大阪で開催されているのです。それは、毎年三月下旬に大坂は咲州にあるインテックス大阪で開催されている大阪モーターサイクルショーなのです。バイクメーカー各社が参加するこのイベント。現行モデルが数多く展示されることはもちろん、このイベントで初めて一般公開されるモデルもあったりするなど、バイク好きな人々からすると外せないイベントの一つとなっているのです。
1173【静岡紀行】掛川城に残る現存御殿の一つ『掛川城 二の丸御殿』
掛川城。天守自体も有名ではあるのですが、それを上回るほどの見どころがまだあるのです。掛川城の主要な建物の数々は、江戸時代後期、幕末の時代にこの地域を襲った大震災によって壊滅的な被害を受けてしまいます。しかし、さすがに政務を行っていた御殿はすぐに再建せざるを得なかったようです。そのため、震災から数年後には御殿は再建されており、その御殿が現在にまで残っています。
1172【神奈川紀行】和田塚につながる江ノ電の駅『和田塚駅』
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、大人気となった登場人物である和田義盛。幕府のために尽力した人物であったものの、最後は北条義時との対立によって和田合戦を誘発され、討ち取られてしまった人物です。和田義盛が眠る場所である和田塚は、江ノ島電鉄のとある駅の近くにあります。その駅とはそのままで『和田塚駅』と言います。駅名になるほどの史跡なのですよ。
1171【静岡紀行】現存天守ではないが、日本初の本格木造天守としてよみがえった『掛川城』
今回紹介しているのは、静岡県にある掛川城です。掛川城といえば元々は、静岡に強固な地位を築いていた今川氏の拠点だった城です。そんな掛川城でしたが、今川氏真の時代に徳川家康が落とし、家康の支配下にはいった城なのでした。 豊臣秀吉の時代には江戸へと移され、この地域には徳川家康の影響下ではなくなります。しかし、後に江戸時代になると再び徳川に近い大名が入り明治の時代まで続くこととなります。
1170【旅ノウハウ】福井県名物のお菓子。絹織物である羽二重を感じさせるような柔らかな食感『羽二重餅』
最近では有名なお土産の一つとして、比較的どこでも見かけることができるようになってきたこのお土産。その名前を、羽二重餅といいます。この名前だけでピンと来た人は、かなり日本各地のお土産に精通している人ですね。羽二重餅は、福井県の銘菓であり、同県を代表するお土産にまでなっているものです。
1169【神奈川紀行】由比ヶ浜に散った和田合戦の犠牲者たちを弔った『和田塚』
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。序盤から終盤まで登場し、殺伐としたドラマにひと時の安ど感を与えた、同ドラマ内でも大人気にキャラクターがいます。その人物とは、和田義盛です。鎌倉幕府の中でも初代侍所長官などを務め、鎌倉政権の立ち上がり時になくてはならなかった人物です。
1168【大阪紀行】大阪で本格的スープカレーが楽しめるお店『札幌スープカレーJACK』
スープカレーを札幌以外でも味わいたいなあ、とはなりませんか?徐々に他の地域にも進出してきているのです。スープカレー店が!!今回紹介しているお店は、さっぽろではない場所で営業しているスープカレーのお店です。その地域とは大阪。またまたでてきました大阪。スパイスカレーの聖地である大阪に殴り込みをかけてきたスープカレーのお店。そのお店とは、『札幌スープカレーJACK』といいます。
1167【京都紀行】大正時代に建設されたレンガ造の水力発電所『関西電力 大河原発電所』
レンガ造りでどこかヨーロッパ風の雰囲気を感じる建物。年季を感じるなあと思うこの建物は実際、1919年という100年以上前に建てられた建物なのです。その建物とは、関西電力が運営する大河原発電所といいます。
1166【大阪紀行】西日本の名店が大阪に集結する、カレーの祭典『カレーEXPO』
大阪スパイスカレーなのですが、それだけ数多くのお店が出てくるということは、それぞれが切磋琢磨しあっているということ。そして、どこのお店がナンバー1なのか??といった話も出てくるわけですね。そんな大阪をはじめとした近畿圏のスパイスカレーのお店が集まるカレーの祭典があるのです。それが西日本最大級のカレーの祭典、カレーEXPOなのです。
1165【神奈川紀行】長谷駅周辺は、新たなスパイスカレーの集まる地『Woof Curry』
今回紹介するお店は、Woof Curryというお店です。スパイスをふんだんに使用したカレーであることは確かですが、ジャンルとしてはどちらかというと欧風カレーのお店です。そのためスパイスカレーって初めてだなあという人にとってもなじみやすい味なのではないかと思います。
1164【神奈川紀行】鎌倉の大仏へ行くときには必ずお世話になる、江ノ電の名物駅『長谷駅』
日本に数ある鉄道の中でも、ここほど有名な鉄道も他にはないのではないでしょうか。家々と鉄道とが共存する光景がなんだかほっこりとさせてくれる鉄道。それは、神奈川県南部を走る江ノ島電鉄、通称江ノ電ではないでしょうか。そして、鎌倉から始まるこの鉄道は、鎌倉観光の際には必ずと言っていいほど利用する鉄道でもあります。
1163【人物あれこれ】坊主めくりでこの札が出て愕然とした人も数多く『蝉丸』
この人物、ある遊びの時に出てきたのではないでしょうか。その遊びとは、小倉百人一首かるたを使った坊主めくり。坊主の人物が出てくるとアウトなこの遊び。何度この人物が出てきたことで、悔し涙を流した人もいるのではないでしょうか。その人物とは『蝉丸』です。
1162【大阪紀行】道の駅のすぐそばにひっそりと残る、武将 楠木正成が生誕したとされる地『楠公(なんこう)誕生地』
大阪府の千早赤阪村。大阪府の中で唯一の村ということでも有名なこの場所では、とある歴史上の人物の名前をよく聞きます。その人物の名前とは楠木正成と言います。楠木正成というと、鎌倉末期から南北朝時代にかけて存在した武将であり、後醍醐天皇の元で鎌倉幕府打倒に向けて動き、朝廷による政権樹立に尽力した人物です。
1161【神奈川紀行】ここが鎌倉の武家政治の拠点があった場所『大倉幕府跡(大蔵幕府跡)』
鎌倉幕府の中心出会った場所は、今は何も建物は残っていません。石碑が残るのみなのです。その幕府の政務が行われていた場所というのは、大倉御所と言います。そして、その場所で政務が行われていたため、史跡としては大倉幕府跡として残されているのです。
1160【ニュースあれこれ】ベトナムにある建物の中で最も高いビルの中に、これまた最高級なホテルがオープン
今回はとある国の高級ホテルの記事を見つけました。その国とは、東南アジアのベトナム。東南アジアの発展はすさまじいものがあります。 都市部では高層ビルが年々数多く立ち並ぶようになっており、その高さを競い合うかのようにとてつもない高層ビルというのも建てられているわけなのです。そんなベトナムにある最も高いビルに作られたホテルがあるのです。
1159【愛媛紀行】日本各地にあるけれども、このホテルの特徴としてはあのお風呂!!?『スーパーホテル』
今回紹介しているビジネスホテルは『スーパーホテル』といいます。なんともシンプルかつ、訴求力の強い名前だとは思いますが、現在200店舗近くまで日本国内にあるこのホテル。海外に若干進出しているそうなのです。
1158【旅ノウハウ】魅力たっぷりな島への旅をこれでもかと取りあげた本『島たび本』
テレビのプログラムでも、数ある島々への旅を取り扱ったものが増えてきているような気がします。そして、そんな島旅を後押しするような書籍があるのです。それが、マップル社が発行している、『島たび本』なのです。
1157【奈良紀行】その名前の由来は、すぐそばにある帯解寺から『帯解駅』
奈良県にあるJR万葉まほろば線(桜井線)の駅の数々。今回紹介する駅も、なかなかに難読漢字の地名の駅なのです。その駅とは、『帯解駅』なのです。初見だと、はい!読めない!ではないでしょうか。いろいろと読み方が出てきそうですが、この駅の名称は"おびとけ" です。
1156【北海道紀行】あっさりとしたソフトクリームも名物なチーズ工房『Blue Grass Farm』
今回紹介しているBlue Grass Farmもそんな北海道にある牧場田経営している店舗です。かわいらしい半円型のこのお店の名物は、まずは自家製のチーズ。そして、牧場ならではの濃厚なソフトクリームなども味わうことができてしまうのです。牧場でしか味わえない味を楽しむ。これは、北海道ならではのぜいたくなのではないでしょうか。
1155【神奈川紀行】源頼朝の墓のすぐ横にあるもう一つの墓『法華堂跡(北条義時墓)』
北条義時が眠る場所というのはどこにあるのでしょうか。実は、源頼朝と並び、同じく法華堂に葬られていたのだそうです。その北条義時が葬られていた場所は法華堂跡として源頼朝の墓のすぐ東側に残されているのです。
1154【大阪紀行】普通の道の駅を想像していくと驚きが!!?日本でも最小級の道の駅『道の駅 ちはやあかさか』
今回紹介する道の駅は、『道の駅 ちはやあかさか』。その名の通り、大阪で唯一の村である千早赤阪村にある道の駅です。この千早赤阪村、なんとコンビニが一つもない村としても有名だったりする場所。そんな村にある道の駅だから、さぞかしにぎわっているのだろうなあ・・・!!?確かににぎわってはいるのですが、とんでもない特徴を持っている道の駅なのです。
1153【大阪紀行】世界各地の崖っぷちの名を冠した、ボリューミーなカレーが衝撃的な『崖っぷちカレー』
カレーを外食するわけなのですから、やはり一味違った特色あるカレーを食べてみたいですよね。そんなお店を探しているときに見つけてしまいましたこのお店。『崖っぷちカレー』なる印象に残る名称が前面に出てきたこのお店。正式にはやっさんの崖っぷちカレーというのですが、とにかく名称が気になります。
1152【神奈川紀行】石垣山一夜城の目の前にある湾の景色を望むパティスリー カフェ『一夜城ヨロイヅカファーム』
当ブログでも頻繁に取り上げる日本百名城。その日本百名城が存在するとある場所にもう一店舗が存在するのです。その場所とは、神奈川県の石垣山城。石垣山城の目の前に鎧塚氏の店舗、一夜城ヨロイヅカファームがあるのです。そのため、もちろん石垣山城を目的に訪れる人もいるのですが、それ以上に圧倒的にこの一夜城ヨロイヅカファームを目的に訪れる人でいつも賑わっているのがこの場所なのです。
1151【食巡り】紀元前から人類に利用されてきたスパイス。実は、食用以外にもさまざまな使い道が『スターアニス』
スパイスの一種であるスターアニスですが、中華料理ではよく使っているところを見かけたりするのですが、それ以外の用途としてはどうでしょうか。実は香りづけを主として使われるこのスパイス。使用用途は、その香りを生かして、なかなか多岐にわたるスパイスでもあるのです。
1150 第23回『わきみち ぶるじゃらん』アクセス数調査(1076~1125)
1000回を超えたと思えば、あっという間にそこから150回も更新が過ぎました。今回もいつもと同様に50本の記事の中から、アクセス数の高い記事をピックアップしましたが、とにかく『四国!』というラインナップになりました。
1149【旅ノウハウ】夜のお菓子、としても全国で有名なお土産。しかし、そもそも鰻+パイとは??『うなぎパイ』
うなぎとパイ??フランス料理ならばメニューとしてありそうなこの一品なのですが、料理のメニューではなくお菓子として存在しているのです。ご存じ、このうなぎパイとは、静岡県浜松市の名産品。浜松といえば、浜名湖を近くにもち、ウナギの名産地ですね。だからといって、お菓子にうなぎという発想はなかなか出てこないのではないかと思います。
1148【神奈川紀行】かつて世の中を牛耳った天下の将軍。しかし、その墓は今はひっそりと『法華堂跡(源頼朝墓)』
何百年も続く武家を中心とした社会の基盤を作り上げたこの源頼朝ですが、今も鎌倉の地に眠り続けているわけです。では、その源頼朝の墓ってどこにあるの?実は鶴岡八幡宮の近くにあるのです。
1147【北海道紀行】周りには何もないところに突如現れるお肉のレストラン『ミートハウス ながの』
今回紹介しているレストランは、そんな北海道にある、大きな街から離れたところにあるポツンと一軒立つお店なのです。そのお店を『ミートハウス ながの』といいます。ミートハウスというので、もちろんながらお肉をメインとして取り扱っているお店です。ステーキからハンバーグ、丼物からカレーまで。こんなにバラエティー豊かなのか!?と思えるほど、北海道産のお肉を使ったメニューが盛りだくさんなのです。
1146【神奈川紀行】一夜城として有名。小田原城を見下ろす、豊臣秀吉の天下統一につながった城『石垣山城』
秀吉は総力戦でこの北条氏包囲網を形成します。最終的には北条氏を追い詰め、その居城であった小田原城を開城させますが、その最後の決め手となったのが、とある城の存在だといいます。その城の名は石垣山城といいます。
1145【広島紀行】ウサギ島として大人気の島だけど、この島の歴史もしっかりと見つめるべき『大久野島 毒ガスの島関連施設』
広島県の大久野島という島。そんなめり編チックなだけが取り柄の島ではありません。それどころか、地図にも載っていない。いや、載せられない時期があったほどの島なのです。それはなぜか?それは、旧大日本帝国軍の軍事機密があった島だからなのです。
1144【大阪紀行】カレーとレモン!?カレーEXPOグランプリ3連覇の覇王店『スパイスカレー43』
今回紹介しているスパイスカレー店も、非常に個性あふれるお店の一つとなっています。そのカレー店とはスパイスカレー43といいます。大坂の阿波座にあるこのスパイスカレー店。そのメニューは非常に個性あふれるものとなっています。
1143【神奈川紀行】鎌倉市最古の神社。源氏将軍家から代々大切にされ続けていた『甘縄神明神社』
鎌倉殿をたどる鎌倉散策。今回はそんな鎌倉にある神社です。鎌倉時代を彩った歴史上の人物たちが物心ついたころにはすでにこの地にこの神社はあったわけなのです。その神社の名を甘縄神明神社(あまなわしんめいじんじゃ)といいます。
1142【人物あれこれ】タイの歴代国王の中でも人々から敬われ続けた国王『ラーマ9世』
ラーマ9世なのですが、タイの歴代王の中でも国民から非常に敬愛された王であり、2016年に崩御された際には、国中の人々が喪に服し、悲しみにくれました。それほどの偉大な王だったラーマ9世。実際にどのような人物だったのでしょうか。今回はこの前タイ国王であった、ラーマ9世について紹介していきたいと思います。
1141【大阪紀行】最近広がってきているベトナム料理の波。都会の中心で本場の味が楽しめる『クアンコム11』
今回紹介しているのは大阪市の天王寺区にあるクアンコム11というお店です。まるでベトナムの街角にある食堂のようなお店の中では、本場のベトナム料理を味わうことができます。非常にマイルドで、誰の口にも合いやすいベトナム料理。そんな本格ベトナム料理が、リーズナブルに街中で味わえてしまうのです。
1140【神奈川紀行】鎌倉幕府の大倉御所西御門があった場所にある 『来迎寺(西御門)』
かつて西御門には数多くのお寺が建てられていましたが、この来迎寺はその中でも唯一残っているお寺です。その創建は1293年とされており、次週の開祖としても有名な一遍上人によって建立されたといわれていますが、その沿革には不明な点が多くあります。
1139【ニュースあれこれ】本来は待ち時間を昇華するもののはずだけど。世界一豪華な空港トランジットホテルの内部とは!?
トランジットホテルですが、世界で最も豪華な空港トランジットホテルについて取り上げられた記事があったのです。世界で最も豪華・・・。それはいったいどこの国の何処の空港にあるのでしょうか!?豪華!!と聞くと、最近であればおそらくあの地域だろうなあ。そうです。その空港とは、中東はドーハにあるのです。
1138【神奈川紀行】北条得宗家の屋敷があったとされる地に建つ寺 『宝戒寺』
今回紹介している場所は、鶴岡八幡宮のすぐ近く。境内にある三の鳥居の道を東に向かってしばらく行くとこの場所は見えてきます。そこは宝戒寺というお寺なのです。なんだ、お寺かあ・・・。と思うかもしれませんが、ここは鎌倉幕府に非常にゆかりのある寺なのです。鎌倉幕府の時代にはここにお寺はありませんでした。では、何がここにはあったのかというと、ある邸宅があったのです。
1137【旅ノウハウ】京都、そして滋賀に特化してその良さを内外にお知らせするタウン情報誌『Leaf』
日本各地、それぞれの地元を紹介するタウン情報誌というものは各地に存在します。種類としても無料で手に入れることができるようなフリーのタウン誌もあれば、有料で販売されているタウン誌など、いろいろな種類があります。その地域を存分に楽しみたいときには欠かせない存在ですよね。そして今回紹介しているタウン情報誌は、京都府と滋賀県とそ対象にしたタウン情報誌なのです。
1136【大阪紀行】1970年大阪万博のシンボルタワーであり、今もなお万博記念公園駅のシンボルであり続ける『太陽の塔』
いつ見ても理解に難しいそのデザイン。しかし、シンボルとしてすでに半世紀以上。あの、1970年の大阪万博のシンボルタワーとして誕生してから、今もなお万博記念公園のシンボルタワーとして存在し続けるタワー。そう、太陽の塔です。 かつて、1970年に開催された大阪万博のシンボル。よくよくみてみると、その形もデザインも、その存在そのものもそもそも何なのだろう??となるデザインだと思いませんか??
1135【奈良紀行】ん??なんて読むの??難読駅名として有名な、奈良県にある『京終駅』
どの都道府県にも必ずある駅。鉄道を使った旅であれば必ずと言っていいほど拠点となるこの駅なのですが、本来は通過点でしかないはずの駅を旅の目的地にする、というのはいかがでしょうか?今回紹介している駅は奈良県にある駅です。
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今回はこれまでの1234回分の記事の中から、アクセス数で多い物から10本をラインナップすることにしました。この記事がなぜ??と思うようなものもあったりしますが、自分が思うものと、人が思うものとの違いというのはあるものですし、そこから見てくるものもあるのですね。
このマーケットを外して、タイを語ることはできません。そのマーケットとは、チャトゥチャック・ウィークエンドマーケットといいます。ウィークエンドマーケットというので、その名のとおり週末の土日のみしか開いていないマーケットなのです。土日だけなのですが、おそらくタイのバンコクを観光で訪れる人たちにとっては、このチャトゥチャック・ウィークエンドマーケットはほぼほぼマストな場所ではないでしょうか。
全長1kmほどの混みあったサンペーン市場の通りを抜ける、その先には人工的に作られた運河が見えてきます。実はこの運河の両岸が、ここのところホットになってきている定番スポットなのです。その名を、オンアン運河ウォーキングストリートといいます。それまで歩いてきたサンペーン市場とは対照的な雰囲気を見せるこのオンアン運河ウォーキングストリート。その対照的な光景がここの面白さだったりするのです。
チェンマイには、土曜日限定のナイトマーケットもあるのです。それが、城壁の南側、チェンマイ門から南西に向かって伸びるウアラーイ通り沿いで土曜日限定のサタデーマーケットが開かれる『ウアラーイ歩行者天国ナイトマーケット』なのです。チェンマイに行ったからには、週末に開催されるこの2つのナイトマーケットはマストですよね。
今回紹介しているのは日本人村と同じく、当時のアユタヤで独自のコミュニティを形成してたとある町のあった場所に残る史跡です。それをオランダ人村といいます。以前、同様にこの地にあったポルトガル人居住地であったポルトガル人村について紹介をしましたが、ポルトガル人村、そして日本人村よりも北にあるのがオランダ人村です。このオランダ人村には、かつてアユタヤに存在したオランダ人居住区の痕跡が残されているのです。
チェンマイからは北に50kmの位置にあり、車でも約1時間かかるこの場所。メーサエレファントキャンプに比べると、交通の便では不便だなあという場所にはなります。そのため、このメーテーンエレファントパークを訪れる場合は、ツアーを申し込んで訪れることがほとんどになるのではないかと思います。
今回紹介しているのはそんな地元密着型のナイトマーケット。場所は、タイの古都アユタヤです。アユタヤにもナイトマーケットは数々あります。観光客向けには、曜日限定のナイトマーケットが存在するわけなのですが、今回紹介しているナイトマーケットは、夕方から21時ごろにかけて、毎日開催されているナイトマーケットなのです。その名前をバンランナイトマーケットと言います。
全世界いたるところで活躍する日本人。世界のどこに行ってもそういった日本人が密集して暮らしている地域があったりします。そういったところは、『日本人村』などと言ったりすることがあるのですが、実際に日本人村と呼ばれる場所がアユタヤにあるのです。その場所は正式に日本人村(Japanese Village)というのですが、現在日本人が多数住んでいる場所というわけではないのです。
アユタヤにある『ワット・パナンチューン』は、今もなお地元の多くの人々の信仰を集める寺院です。他の遺跡群とは異なり、今もなお寺院として現役で活用し続けられているこの寺院。実はすでに700年近い歴史がある寺院なのです。そのわりには、現在も現役で利用されていることからか、非常にきれいに整備されており、特に本尊でもある黄金の仏は、今もまばゆいばかりの輝きを放っています。
水上マーケットなのですが、タイの古都アユタヤにもあるのですよ。その水上マーケットを『アヨタヤ水上マーケット』といいます。アヨタヤ?そう。アユタヤではなくアヨタヤです。アヨタヤというのはアユタヤの古い言い方らしく、そんな名称がついている水上マーケットですのでさぞかし歴史と伝統があるのだろう!!
チェンマイに行ったからにはここを訪れなければチェンマイに行った意味がない、とまで言われるほどの有名な寺院があります。しかしこの寺院。チェンマイの市街地にはありません。チェンマイ市街地から北西に約15km。そして、山頂へと通じる道を登り、標高1080mもあるステープ山の山頂にある寺院なのです。その名を、ワット プラタート・ドーイステープと言います。
シーナカリン鉄道市場なのですが、タイで一番最初に開かれた鉄道市場なのだそうです。郊外にあるため、これまではタクシーなどでしか訪問することができなかったこのナイトマーケット。しかし、2023年6月にイエローラインが開通したため、なんと公共交通で訪れることができるようになったのです。
回紹介しているのはそんなアジアンな料理を取り扱っているお店です。『台風飯店』というお店なのですが、名前だけ見ると、"台"風??ということなので台湾料理なのかなあと思うのですが、半分正解です。台湾料理もこのお店の主力メニューの一つなのですが、それだけではありません。
アユタヤの観光の中心はアユタヤ島になるので、なかなかそれ以外は・・・、となっている人が多いかもしれませんが、アユタヤにももちろん現代人の生活があります。あるところにはあるんですよ!アユタヤの中心地から南東に向かって5kmほど。タイを南北に走る高速道路沿いにあるんですよ。巨大なショッピングモールが!!その名を、アユタヤ シティーパークといいます。
カオソーイ。食べられる店が日本国内でも増えてきていますが、さすがに専門店は・・・という状況でした。しかし、とうとう見つけてしまったのです。そのお店の名前とは、『泰式香辛麺商店 仲吉』という大阪市にあるお店なのです。大阪といえばスパイスカレーの聖地でもありますが、そんな中にいよいよカオソーイもお目見えすることになったのです。
今回紹介しているのは、ベトナムフェスティバル。日常の生活の中で、ベトナムの人々を見かけることが増えてきたのではないでしょうか?以前に比べると日本とベトナムとのつながりはかなり強くなってきている中で、このベトナムフェスティバルというのは、今後ベトナムカルチャーをより身近に感じていくきっかけとなるフェスティバルとして、大きく育っていく可能性が高いフェスティバルではないかと思います。
今回紹介するのは、大阪府堺市にあるとある神社です。その名前を『方違神社(ほうちがいじんじゃ)』と言います。堺市にある神社の中でも大きな部類に入るこの神社。実はとあることで有名な神社なのです。それは、引っ越し、転勤、結婚での転居、海外赴任・旅行など、どこかに移動するときに、その行く先の方位についてお祓いをしてもらう神社なのです。
近江神宮なのですが、天智天皇を御祭神としていることからもう一つの顔をもっている場所でもあるのです。それは、時計の聖地であるということ。実はこの天智天皇という人物が、時計と非常にゆかりのある人物だったのです。それはなんと今から1350年も前のこと。そのような時代に時計が??と思うかもしれませんが、漏刻という水時計を設置して時間を都に知らせ始めたのです。
廃校舎を利用したキャンプ場が和歌山県橋本市にあるのです。そのキャンプ場の名を、『SHINODA BASE』といいます。このSHINODA BASEなのですが、かつてここにあった信太小学校が廃校となり、その跡地の校舎をそのままキャンプ場施設として利用しているのです。
ビーチというとどうしても海がまずイメージされますが、湖畔にあるこの琵琶湖のビーチ。そんな穴場で楽しむことができるマリンスポーツの楽しさに違いはありません。泳ぎから始まってボートやカヌー、ウインドサーフィンなどなどたくさんのマリンスポーツがあなたを待っているのです。そんな琵琶湖畔にあるキャンプ場の一つが今回紹介しているビワコマリンスポーツオートキャンプ場なのです。
今回は兵庫県の丹波篠山市にあるダムです。ダムと聞くと深い山奥の中にある、そびえたつようなダム。そんなこれぞダムというようなものをイメージするかもしれませんが、今回紹介しているダムを見に行くときにそのようなダムをイメージしていくと、あれ?となるかもしれません。そんなダムの名前を川代(かわしろ)ダムといいます。
豆腐の奥深さを感じさせられる豆腐屋。今回紹介している豆腐屋は、奈良県の生駒郡、平群町にある『豆腐工房"我流"』というお店です。豆腐の種類は?と聞かれると、木綿豆腐と絹ごし豆腐かなあ、となるかもしれませんが、この我流の豆腐のラインナップとなると・・・、こんなに豆腐って種類が作れるの!?となるわけです。
建物が特徴であるだけではなく、ここにしかない施設も設けられているのです。なんといってもこの黒滝村。コンビニエンスストアがないんです。一軒も・・・。そんな村の中で唯一コンビニエンスストアがあるのがこの道の駅 吉野路黒滝なのです。そしてもちろん村野特産品を販売する物産販売所も。今回はこの道の駅 吉野路黒滝について紹介していきたいと思います。
今回紹介している場所は、滋賀県の琵琶湖の南側にある豊郷町(とよさとちょう)。この場所にはかつて実際に利用されていた、とてつもなく伝統的な建物が存在するのです。元々は豊郷小学校の校舎として建てられた建物なのでした。しかし、ただの小学校の校舎と侮ることなかれ。その規模といい、デザインといい、ここが小学校なのか!?と思わせられるほどの素晴らしいデザインで造られている校舎群なのです。
今回紹介しているのは、そんな網走監獄の中で体験できる"食"についてなのです。多くの受刑者たちを収容する監獄。そこで大事になってくることの一つとして、食事がありますよね。実際、塀の中では受刑者たちはどのような食事をとっていたのでしょうか。なかなか、普段ではそんな食事事情を知るすべはないですね。しかし、そんな監獄食をだれもが体験できる食堂が、監獄食堂というレストランなのです。
このご時世で!!?たしかに、この女人禁制の場は、多くの物議をよんだものであるのだそうです。しかし、受け継がれてきた宗教的理由から今もなお女性は立ち入ることができなくなっています。そんな女性がそれより先まで立ち入ることができない結界の部分にあるものが設置されています。それが大峰山 女人結界門といいます。
一休さんと聞いたら何を思い浮かべますか?とんちの名人?一生懸命修行に励む小坊主?母上様に思いこがれる少年?といったように、アニメ一休さんのイメージしかないのがほとんどではないかと思います。しかし、実際の一休とはどのような人だったのかを知っている人はほとんどないのではないかと思います。
今回紹介している『安中新田会所跡・旧植田家住宅』は、大阪の新田開発にまつわる史跡なのです。新田開発されると、そこの運営を行うために人びとが集まる会所というものが要所要所に造られました。その中の人がこの安中新田会所跡であり旧植田家住宅なのです。
今回紹介しているのは、三重用水の供給源でもあるダム、中里ダムです。ダムといえば高低差のある大迫力の光景。しかしここ中里ダムはそういった光景は広がっていません。むしろのどかな湖の風景が広がるダムなのです。
人の雑踏で溢れかえる日常。その光景に何も感じないほど、毎日の生活を淡々と過ごしていませんか。しかし、その光景に疑問を感じたとき、ふと人の波から逃れ、自分たちだけの隠れ家のような場所に行き、自然いっぱいの場所でバカンスを楽しみたい、という気持ちになるかもしれません。それはどこの国々の人々にとっても同じことであり、そんな人々を受け入れてくれるような隠れ家的な場所が、あるところにはあるのです。
奈良県の天川村。自然から歴史的なものまで様々な楽しみ方があるこの場所に、老舗的なキャンプ場があります。そのキャンプ場とは、フォレスト・イン洞川キャンプ場といいます。奈良の奥地にあるこの天川村のキャンプ場。何といってもあふれるばかりの星空を楽しみ、これまた有名な湧き水で食事を作り。キャンプ前後には様々な観光名所を楽しむ。一粒でなんどでもおいしいようなキャンプ所なのです。
2020年から地球規模で人々を襲ったコロナ禍。これによって、人々は自由に海外を旅することができなくなってしまいました。そうなると、海外の旅を取りあげた地球の歩き方もその出番がなくなってしまうのです。書店などに行ってみると、一時期この地球の歩き方が姿を消してしまったところもあったほどでした。
奈良県の天川村というと、美しい自然と共に数々の観光スポットが集まっている場所でもあります。これまでも紹介してきた洞川温泉をはじめ、キャンプやハイキングにもピッタリな場所ということで、多くの人々から親しまれている場所です。そんな天川村には、自然がつくりだした神秘的な観光地があるのです。それが鍾乳洞なのです。
のどかな田園風景が広がるこの一帯。そんな中に明らかに雰囲気が違う、スイーツを取り扱っている店があったのです。おそろおそる急な斜面を降りてその店に近づいてみると!!?『牛乳屋さんのソフトクリーム はなみつミルク』!!ソフトクリーム専門店が!!まさかの立地に、まさかのスイーツ店がありました。
小野妹子と一族が暮らしていた滋賀県の和邇地域には、琵琶湖西側の湖西道路唯一の道の駅があります。その道の駅を、道の駅 妹子の郷といいます。なんと、小野妹子を全面的にフィーチャーしてきたのですね。広大な琵琶湖とその周囲を巡る際にやはり合ったほしいのが休憩施設。そうなってくると、この道の駅がいかに重要なポイントなのかがわかりますよね。
現というわけで、今回のわきみちは、【今回のわきみち】かつて人々の疲れを癒した街道の宿場だった柏原宿。今もかつての姿を残す貴重な宿場に行ってみよう。滋賀県の城に関する記事です。柏原宿(かしわばらじゅく)...
以前このブログでも取り上げたことがある、幕末から明治にかけて、商都大阪で日本の近代経済の基礎を構築した人物、五代友厚。朝ドラの、あさが来た以降、ドラマでも数々登場するようになってくることが目立ってきた五代友厚。この人物を中心として、オリジナルな物語を作り上げたのが映画『天外者(てんがらもの)』なのです。
兵庫県の丹波篠山市。かつての篠山城の城下町には、歴史ある建物が数多く残されています。これまで当ブログでも数々紹介してきた特徴的な建物群が数々残されています。そんな歴史ある地域にはよくよく見てみるとまだまだ魅力的な地域が残されているのです。今回紹介している河原町妻入商家群もそんな地域の一つです。
ローカル番組にもまだまだ家を取り扱った番組があるのです。その番組を『住人十色 〜家の数だけある、家族のカタチ〜』といいます。関西ローカルのこの番組は、家をテーマにして、その家の主がいかにその家にこだわりをもって造ったのか。30分の放送時間の中で、そんなこだわりがとにかく熱く紹介されるのです。
食欲をそそるカレー。あの香りをかぐと、即座に脳内に素晴らしいカレーのイメージが広がりますね。その香りのベースであるのは以前も紹介したクミンですね。では、その極得な見た目と色のベースになっているものはなんでしょうか。それは、ターメリックと呼ばれるスパイスです。