今回はこれまでの1234回分の記事の中から、アクセス数で多い物から10本をラインナップすることにしました。この記事がなぜ??と思うようなものもあったりしますが、自分が思うものと、人が思うものとの違いというのはあるものですし、そこから見てくるものもあるのですね。
毎日更新! ”旅”って、見方を変えるとまだまだこんなにも面白いことがあるのか!王道ではなく、あえてわきみちを行くことで、こだわりの旅が見えてきます。世界遺産?百名城?食?カレー?こだわりを追求する旅あれこれblogです。
まだまだ日々改善中です。少しずつ、より見やすいblogを目ざしていきますので、末永く宜しくお願いします。
934【北海道紀行】小樽運河と共に、港町小樽の受け継がれてきた雰囲気を残す町並み『小樽歴史景観区域』
小樽運河を含めた小樽歴史景観区域について紹介していきたいと思います。小樽には運河意外にも歴史的な建物が数多く残されています。こういった歴史的な景観を保護・保全するために指定されたのが小樽歴史景観区域です。これに指定されている区域では、新たに建物などが造られる際には、大きさや色、素材など様々な厳しい基準が設けられています。
933【北海道紀行】ここが日本の北の端。海の向こうにサハリンが見える『宗谷岬』
広大な北海道の中でも北の端にある子の宗谷岬は、一般の人々が通常訪れることができる最北端の地であり、北海道に訪れた人々が目指す目的地の一つではないでしょうか。今回はこの宗谷岬とはどのような場所であり、どのようなものがあるのかについて紹介していきたいと思います。
932【人物あれこれ】多くのユダヤ人を救ったということで語り継がれる人物『杉原千畝』
杉原千畝という人物の名前を知っているでしょうか。映画にもなったことがあるので有名な人物ですが、同氏の残した功績といえばこれしかないでしょう。それは、多くのユダヤ人たちの命を救った、東洋のシンドラーと呼ばれる人物であるということです。自らの地位と、多くの人々の命とを天秤にかけ、多くの人々の命を救ったということで、今もなお世界的にその名前は言い伝えられています。
931【北海道紀行】北方領土を望む日本の東端、納沙布岬にある『北方領土資料館』
根室を含めた道東の地域には、北方領土に関する施設が数多くあるのです。その中でも今回紹介しているのは北方領土資料館という施設です。この施設は、日本最東端である納沙布岬にある資料館となっており、北方領土のことについて学ぶことができる資料館となっています。
930【北海道紀行】刑務所にはなくてはならない宗教施設『博物館 網走監獄④ 教誨堂』
受刑者たちの心の支えになる施設が監獄には必要になります。その施設の名前を教誨堂といいます。この施設では受刑者たちの精神的な面から更生へと導くように作られたものです。もちろん旧網走監獄にも教誨堂があります。
929【ニュースあれこれ】月を模したムーンホテルを地球上に!?ドバイのスケールの違う建設計画
日本のパスポートであっても入れない国はあります。中東のとある大国にも簡単に入ることができませんでした。その国とは、サウジアラビアなのでした。この国は、過去50年間一般の観光客に対して国を開いてはいませんでした。サウジアラビアを訪れることができたのは、同国にある聖地メッカへのイスラム教巡礼者でなければ入ることができなかったのです。
928【北海道紀行】ここの名物、日本一黒いそば。しかし、この名物も・・・『道の駅 おといねっぷ』
北海道の中には数えきれないほど数多くの道の駅があります。町から町までへの移動距離がすさまじく長い北海道では、道の途中にある道の駅の存在は、非常にありがたいものですね。そんな北海道の道の駅の中でも今回紹介するのは、北海道で一番小さな村である音威子府村にある『道の駅 おといねっぷ』です。
927【旅ノウハウ】日本の伝統、百人一首。その舞台となった場所を巡ってみる旅というのはいかがでしょうか②(21~40)
歴史を彩る人物たちの和歌が100首集められたのが百人一首です。飛鳥時代から鎌倉時代に詠まれた百人一首の歌の数々には、実際の京都や奈良の場所を表したものがに詠まれています。今回はそんな古き良さを知る旅、百人一首を巡る旅はどうだろうか、第二弾について書いていきたいと思います。
926【奈良紀行】大和川水系のダム。奈良市街からすぐそばにある『岩井川ダム』
奈良の市街地からわずか2km弱。奈良の街を間近で守るためのダムがあります。そのダムとは、岩井川ダムといいます。まだ完成して20年も経っていない比較的新しいダムなので、そのコンクリートの外観も非常に美しいダムとなっています。
925【城ノウハウ】城の入るためにはなくてはならない場所『番所』
どんな場所でも、中に入るときに必ず通らなければいけないところがあります。現代であれば、受付だったり入り口だったり。公共の施設であればチケットカウンターがあったり、などなど。もちろん城にもかつてそのような城内に入るときに必ず通らなければいけない城門がありました。その近くには必ず置かれていた場所に番所というものがあります。
924【北海道紀行】かつての刑務所の農園作業施設の先駆けとして設けられた建物『博物館 網走監獄③ 二見ケ岡刑務支所』
今回は博物館 網走監獄の第3弾です。網走監獄の敷地内で、舎房及び中央見張所に次いで大きな建物が。この二見ケ岡刑務支所と呼ばれる建物です。元々は、現在の場所からさらにに西にある、網走湖と能取湖の両湖を眺めることできる場所にあった、網走刑務所の農園作業を担う施設でした。
923【映画あれこれ】ローマ法王にかかる重圧。そしてそこにある苦悩を描いた『ローマ法王の休日』
ローマ法王になるということはどういうことなのでしょうか。そんな世界中の人々が知っているけれど、実際にどうやってその立場になるのか。どんな生活をしているのか。そんなローマ法王の事実をコメディ映画として取り扱っているのが映画『ローマ法王の休日』です。
922【北海道紀行】観光の目玉として残された、小樽を代表する名所『小樽運河』
札幌から1時間ほどで訪れることができる港町の小樽ですね。美味しい海産物でも有名なこの小樽。この街の名前を聞いてまず思い浮かぶことは何でしょうか。それは美しい運河の風景ではないでしょうか。小樽運河と、近隣にある昔ながらの建物を利用した店が立ち並ぶ小樽堺町通りとを合わせて、連日多くの人々が集まる観光名所となっています。
921【旅ノウハウ】世界のこんなところに日本人が!!?そこには様々なストーリーがあるのです『世界の村で発見!こんなところに日本人』
まさかこんなところにまで日本人がいるのか!?というようなところに日本人がいたりすることもあるのです。そんな、まさかこんなところにというのを紹介している番組があるのです。それが、かつて放送されていた『世界の村で発見!こんなところに日本人』という番組です。
920【タイ紀行】日本発のあの味。日本を出ると楽しめない…ではなかった!タイで見つけた『サムライバーガー』
世界のマクドナルドでは、あの味がないのです。それが何かというのはさておき、その満たされないマクドナルドのラインナップを満たしてくれるのが、サムライバーガーという商品なのです。何やら聞きなれないこのバーガーですが、いったい日本のどの味を満たしてくれる商品なのでしょうか。
919【大阪紀行】これを食べると面白くなる!?スベる症状もこれで改善!!??『オモシロクナール』
大阪といえばお笑いの街。もらっただけでネタになるようなお土産もあるのです。その代表格といえば、『面白い恋人』でしょう。ん?どこかで聞いたような・・・。そうです。北海道の『白い恋人』のパクリ名称ですね。そして、大阪のオモロい土産に新たに加わったものがあります。それが、『オモシロクナール』なのです。
918【北海道紀行】知床半島を横切る横断道路にある、世界遺産知床を望む峠『知床峠』
知床の中心を横断する道路が知床横断道路であり、その最も高いところに知床峠があります。世界遺産知床を一望できる場所にある知床峠。ここからはどのような光景が広がっているのでしょうか。世界遺産の知床を横断する知床横断道路にある広大な美しい景色を眺めることができる知床峠に行ってみましょう。
917【雑記】実は一つの国だった、1つのアラブを目指した連合国『アラブ連合共和国』
今回紹介している国は、アラブ連合共和国です。アラブ首長国連邦ではないの?いえ、アラブ連合共和国です。アラブという名前からして中東にあった国だろうなあというのはイメージできるかもしれませんが、それ以上のことはわからないのではないでしょうか。
916【北海道紀行】ああ知ってる!香川県の…!?ではなく、北海道にある『金刀比羅神社』
全国各地にある金刀比羅神社なのですが、今回紹介しているのは北の端にある北海道は根室の金刀比羅神社です。そして、北方領土にも近いこの金刀比羅神社には、かつて北方領土にあった神社のご神体もここに移され置かれているのです。
915【北海道紀行】「叫びの像」「別海北方展望塔」も隣接する道の駅へ行ってみよう『道の駅 おだいとう』
いずれは北海道と切り離されてしまうのではないかと言われている、ラムサール条約にも登録されている(砂嘴)である野付半島。この野付半島を会場奉公4km先に臨むの野付郡にある道の駅。その道の駅を『道の駅 おだいとう』といいます。 非常にこじんまりとした、不思議な形の道の駅なのですが、この道の駅にある建物は、別海北方展望塔と呼ばれています。
914【雑記】アルファベットは使っているものの、れっきとした日本語です『ローマ字』
ローマ字とは、日本語の読みをアルファベットで表記する方法。それがなぜローマなのでしょうか。また、ヘボン式や訓令式などの種類があることや、名前や地名などを書くときに英語とは若干表記が違うことがあることも。普段何気なく使っているものの、そこまで深く考えたことはありましたでしょうか。
913【北海道紀行】こだわりスープカレーのちょっとおしゃれな店『MATALE』
スープカレーは現在では、北海道を代表するグルメへと成長しました。特に札幌で探してみるとスープカレーを取り扱っている店がたくさん。そして、店ごとに様々な特徴をもっているスープカレーが続々と登場してきました。今回紹介しているのは、円山公園近くにあるスープカレーの専門店MATALEです。このスープカレー専門店のスープカレーには、どのような特徴があるのでしょうか。
912【北海道紀行】網走監獄のシンボル的な存在といえばこの建物『博物館 網走監獄② 舎房及び中央見張所』
今回は第二回目の博物館 網走監獄の紹介です。今回紹介しているのは舎房及び中央見張所であり、放射状にのびた独特の形が特徴ですよね。この独特な形は、イギリスを中心に広く採用されている形の舎房であり、中央見張所を中心に5本の木造舎房がそれぞれの方向に延びた、囚人たちを監視しやすい形の形状となっています。
911【人物あれこれ】膠着した世界を動かしった人物の一人。2022年、その人生を終えた『ミハイル・ゴルバチョフ』
ソビエト連邦大統領とはたったの2年間しか存在していなかったポストなのでした。その限られた期間にこの大統領のポストに就いていた人物、それこそがミハイル・ゴルバチョフ大統領なのです。1990年代にはゴルビーという愛称と共に、世界を冷戦からの終結に導いた偉大な指導者として名を残した人物だったのです。
910【奈良紀行】奈良でもやります、ダムシリーズ。初回はこちら『布目ダム』
奈良県奈良市。中心部である奈良駅から東に15kmほどの場所にあるのが今回紹介している布目ダムです。淀川水系の木津川につながる布目川に設けられたダムであり、木津川上流ダム群の中では、竣工から30年ほどとまだ比較的新しい部類のダムです。増え続けていた関西圏の水需要を満たすために非常に重要な拠点にあるダムなのです。
909【北海道紀行】世界遺産知床の入り口にたたずむ、大人気の道の駅『道の駅 知床らうす』
北海道は、知床半島の中ほど。そんな場所に、北方領土の国後島に日本で最も近い道の駅があります。その道の駅とは、『道の駅 知床・らうす』。不思議な名前をしているなあと思いますが、地名です。羅臼という町にあるこの道の駅は、この道の駅を過ぎると世界自然遺産である知床の自然の光景を眼前に眺めることができる知床横断道路の羅臼側の起点となります。
908【ニュースあれこれ】これから観光大国として世界に台頭してくれであろうサウジアラビア。そんな同国の観光の現状とは!?
日本のパスポートであっても入れない国はあります。中東のとある大国にも簡単に入ることができませんでした。その国とは、サウジアラビアなのでした。この国は、過去50年間一般の観光客に対して国を開いてはいませんでした。サウジアラビアを訪れることができたのは、同国にある聖地メッカへのイスラム教巡礼者でなければ入ることができなかったのです。
907【北海道紀行】サッポロビールの歴史はここから始まった。見学観でその歴史をたどってみよう『札幌開拓使麦酒醸造所』
日本のビール製造が始まったのは今から約150年前。そして、その伝統は現在のサッポロビールへとつながっているのです。そんなサッポロビール発祥の地にあるのが札幌開拓使麦酒醸造所なのです。元々はビール製造工場であったこの建物。現在は無料で見学できる見学館となっています。
906【旅ノウハウ】いくつになっても、 男は心に 隠れ家を持っている。が合言葉のハードな雑誌『男の隠れ家』
旅や、旅につながる趣味を取りあげた雑誌は数多くあります。その中でもディープな男の趣味に向けて作られている情報誌があります。その情報誌の名前は、男の隠れ家といいます。趣味は趣味でもなかなかに深い趣味。大人の男たちがもつ多彩な趣味に特化して、毎回一つのテーマに絞って一転突破で紹介する切り口をもった情報誌なのです。
905【北海道紀行】屈斜路湖ではないよ。似ているけどその語源はやはり同じだった『クッチャロ湖』
北海道の有名な湖といえば?マリモで有名な阿寒湖?サミットが行われた洞爺湖?道東の巨大な湖の屈斜路湖?どの湖も独特な名前で有名な湖の数々ですよね。これ以外にもたくさんの湖があります。その中には、よく知られていない湖もたくさんあるわけで。今回紹介しているのは、北海道の北にあるクッチャロ湖です。
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今回はこれまでの1234回分の記事の中から、アクセス数で多い物から10本をラインナップすることにしました。この記事がなぜ??と思うようなものもあったりしますが、自分が思うものと、人が思うものとの違いというのはあるものですし、そこから見てくるものもあるのですね。
このマーケットを外して、タイを語ることはできません。そのマーケットとは、チャトゥチャック・ウィークエンドマーケットといいます。ウィークエンドマーケットというので、その名のとおり週末の土日のみしか開いていないマーケットなのです。土日だけなのですが、おそらくタイのバンコクを観光で訪れる人たちにとっては、このチャトゥチャック・ウィークエンドマーケットはほぼほぼマストな場所ではないでしょうか。
全長1kmほどの混みあったサンペーン市場の通りを抜ける、その先には人工的に作られた運河が見えてきます。実はこの運河の両岸が、ここのところホットになってきている定番スポットなのです。その名を、オンアン運河ウォーキングストリートといいます。それまで歩いてきたサンペーン市場とは対照的な雰囲気を見せるこのオンアン運河ウォーキングストリート。その対照的な光景がここの面白さだったりするのです。
チェンマイには、土曜日限定のナイトマーケットもあるのです。それが、城壁の南側、チェンマイ門から南西に向かって伸びるウアラーイ通り沿いで土曜日限定のサタデーマーケットが開かれる『ウアラーイ歩行者天国ナイトマーケット』なのです。チェンマイに行ったからには、週末に開催されるこの2つのナイトマーケットはマストですよね。
今回紹介しているのは日本人村と同じく、当時のアユタヤで独自のコミュニティを形成してたとある町のあった場所に残る史跡です。それをオランダ人村といいます。以前、同様にこの地にあったポルトガル人居住地であったポルトガル人村について紹介をしましたが、ポルトガル人村、そして日本人村よりも北にあるのがオランダ人村です。このオランダ人村には、かつてアユタヤに存在したオランダ人居住区の痕跡が残されているのです。
チェンマイからは北に50kmの位置にあり、車でも約1時間かかるこの場所。メーサエレファントキャンプに比べると、交通の便では不便だなあという場所にはなります。そのため、このメーテーンエレファントパークを訪れる場合は、ツアーを申し込んで訪れることがほとんどになるのではないかと思います。
今回紹介しているのはそんな地元密着型のナイトマーケット。場所は、タイの古都アユタヤです。アユタヤにもナイトマーケットは数々あります。観光客向けには、曜日限定のナイトマーケットが存在するわけなのですが、今回紹介しているナイトマーケットは、夕方から21時ごろにかけて、毎日開催されているナイトマーケットなのです。その名前をバンランナイトマーケットと言います。
全世界いたるところで活躍する日本人。世界のどこに行ってもそういった日本人が密集して暮らしている地域があったりします。そういったところは、『日本人村』などと言ったりすることがあるのですが、実際に日本人村と呼ばれる場所がアユタヤにあるのです。その場所は正式に日本人村(Japanese Village)というのですが、現在日本人が多数住んでいる場所というわけではないのです。
アユタヤにある『ワット・パナンチューン』は、今もなお地元の多くの人々の信仰を集める寺院です。他の遺跡群とは異なり、今もなお寺院として現役で活用し続けられているこの寺院。実はすでに700年近い歴史がある寺院なのです。そのわりには、現在も現役で利用されていることからか、非常にきれいに整備されており、特に本尊でもある黄金の仏は、今もまばゆいばかりの輝きを放っています。
水上マーケットなのですが、タイの古都アユタヤにもあるのですよ。その水上マーケットを『アヨタヤ水上マーケット』といいます。アヨタヤ?そう。アユタヤではなくアヨタヤです。アヨタヤというのはアユタヤの古い言い方らしく、そんな名称がついている水上マーケットですのでさぞかし歴史と伝統があるのだろう!!
チェンマイに行ったからにはここを訪れなければチェンマイに行った意味がない、とまで言われるほどの有名な寺院があります。しかしこの寺院。チェンマイの市街地にはありません。チェンマイ市街地から北西に約15km。そして、山頂へと通じる道を登り、標高1080mもあるステープ山の山頂にある寺院なのです。その名を、ワット プラタート・ドーイステープと言います。
シーナカリン鉄道市場なのですが、タイで一番最初に開かれた鉄道市場なのだそうです。郊外にあるため、これまではタクシーなどでしか訪問することができなかったこのナイトマーケット。しかし、2023年6月にイエローラインが開通したため、なんと公共交通で訪れることができるようになったのです。
回紹介しているのはそんなアジアンな料理を取り扱っているお店です。『台風飯店』というお店なのですが、名前だけ見ると、"台"風??ということなので台湾料理なのかなあと思うのですが、半分正解です。台湾料理もこのお店の主力メニューの一つなのですが、それだけではありません。
アユタヤの観光の中心はアユタヤ島になるので、なかなかそれ以外は・・・、となっている人が多いかもしれませんが、アユタヤにももちろん現代人の生活があります。あるところにはあるんですよ!アユタヤの中心地から南東に向かって5kmほど。タイを南北に走る高速道路沿いにあるんですよ。巨大なショッピングモールが!!その名を、アユタヤ シティーパークといいます。
カオソーイ。食べられる店が日本国内でも増えてきていますが、さすがに専門店は・・・という状況でした。しかし、とうとう見つけてしまったのです。そのお店の名前とは、『泰式香辛麺商店 仲吉』という大阪市にあるお店なのです。大阪といえばスパイスカレーの聖地でもありますが、そんな中にいよいよカオソーイもお目見えすることになったのです。
今回紹介しているのは、ベトナムフェスティバル。日常の生活の中で、ベトナムの人々を見かけることが増えてきたのではないでしょうか?以前に比べると日本とベトナムとのつながりはかなり強くなってきている中で、このベトナムフェスティバルというのは、今後ベトナムカルチャーをより身近に感じていくきっかけとなるフェスティバルとして、大きく育っていく可能性が高いフェスティバルではないかと思います。
今回紹介するのは、大阪府堺市にあるとある神社です。その名前を『方違神社(ほうちがいじんじゃ)』と言います。堺市にある神社の中でも大きな部類に入るこの神社。実はとあることで有名な神社なのです。それは、引っ越し、転勤、結婚での転居、海外赴任・旅行など、どこかに移動するときに、その行く先の方位についてお祓いをしてもらう神社なのです。
近江神宮なのですが、天智天皇を御祭神としていることからもう一つの顔をもっている場所でもあるのです。それは、時計の聖地であるということ。実はこの天智天皇という人物が、時計と非常にゆかりのある人物だったのです。それはなんと今から1350年も前のこと。そのような時代に時計が??と思うかもしれませんが、漏刻という水時計を設置して時間を都に知らせ始めたのです。
廃校舎を利用したキャンプ場が和歌山県橋本市にあるのです。そのキャンプ場の名を、『SHINODA BASE』といいます。このSHINODA BASEなのですが、かつてここにあった信太小学校が廃校となり、その跡地の校舎をそのままキャンプ場施設として利用しているのです。
ビーチというとどうしても海がまずイメージされますが、湖畔にあるこの琵琶湖のビーチ。そんな穴場で楽しむことができるマリンスポーツの楽しさに違いはありません。泳ぎから始まってボートやカヌー、ウインドサーフィンなどなどたくさんのマリンスポーツがあなたを待っているのです。そんな琵琶湖畔にあるキャンプ場の一つが今回紹介しているビワコマリンスポーツオートキャンプ場なのです。
旅の目的によってさまざまなガイドブックがありますよね。でも、どれも広く楽しみたい、という欲張りな旅をしたいのであれば、定番のガイドブックがありますよね。それが『るるぶ』と『まっぷる』の2つではないでしょうか。主要な日本国内の都市や、海外の国であれば、この2つはほぼカバーしているのではないかと思います。
『望郷の家 北方館』は、望郷の家という建物と、北方館という建物が連結した施設。ここでは、この場所を訪れた人々が北方領土に関する資料を閲覧したり、実際の島々を眺望したりということで、日本が抱えるこの問題を忘れず、そして正しく理解してもらうことにつながっていくのです。
場所は愛媛県の北宇和郡。その城の名前は河後森(かごもり)城といいます。この城は、鎌倉時代に築城されたという山城。その後、江戸時代の一国一城令まで機能し続け、廃城となった城でした。その規模としては、愛媛県に残る中世の山城の中では最大のもの。まるで馬の蹄鉄のようなU字型をした山と谷の地形を巧みに用いて造られた河後森城は、自然の要害を最大限に活かした鉄壁の山城なのでした。
見晴らし亭は、1921年に建てられた建物。1921年というと時代は大正。そこから100年以上の歴史をもつ建築物なのです。そして、尾道に残る空き家の再生プロジェクト第一弾として実行に移された物件でもあるのです。そんな歴史的な建物に宿泊することができる。それは素晴らしい体験ができることでしょう。
歴史的な清須会議の様子を映画化したものが、2014年に三谷幸喜によって書かれた小説を基にして同氏が映画化した『清須会議』なのです。この映画 清須会議の主人公が役所広司演じる織田家の筆頭家老であり、五人の宿老の一人であった柴田勝家。そしてそれに相対するのが、同じく宿老の一人である、大泉洋演じる羽柴秀吉です。
今回紹介している岡豊城は、続百名城に選定されているお城なのですが、高知県の歴史民俗資料館が併設されている城跡。国分川沿いにあり、小高い山の一帯に建てられた自然の要害に囲まれた岡豊城は、非常に整備状況がよく、案内も充実しているため、見ごたえのある城跡なのです。
今回紹介している満点☆青空レストランもそういったグルメ番組の一つです。宮川大輔をはじめ様々な料理を紹介するこの番組。それぞれ日本各地にある農家や牧場、漁業で働く両市などの元を訪れて、そこで採れる絶品な食材を使って料理を作っていきます。地の素材を使っているのでその味は保証付き!そんな日常ではなかなかできない体験を毎週土曜日に提供してくれるのがこの番組なのです。
スパイスというとどうしても"辛い!"というイメージが付きまといますが、このカルダモンというスパイスはそういったスパイスではありません。料理やお菓子などに甘いような爽やかな香りが欲しいなあ、というときにカルダモンというスパイスが役に立つのです。
今回紹介しているものは、三重県のとあるお土産です。三重県といえば伊勢神宮。この伊勢神宮に参るお伊勢参りに行ったならば、このお土産を買わないわけにはいかないでしょう。それは何だと思いますか?おそらくもうすでに頭に浮かんだことだと思いますが、もちろんそれは"赤福"です。
北海道の中に数多くある道の駅ですが、その中でも遥か北にある浜頓別 クッチャロ湖にあるのが、今回紹介している道の駅 北オホーツクはまとんべつなのです。浜頓別の町は、自然豊かな場所を楽しみたい人にはぴったりだと思いますが、それ以外の楽しみ方はというと、ほとんど見つからないのが実際かもしれません。そんな町に誕生したのが道の駅 北オホーツクはまとんべつなのです。
道後温泉は楽しみたいけど、宿泊は安く抑えたい。ぜひともそんなお宿を探してみたいですよね。ありました。それも道後温泉の超近く。そのお宿を『ふじや』といいます。愛媛だけど”ふじ”?まあそんなことはどうでもいいですが、このゲストハウスのふじやですが、一般家屋を一軒まるまるゲストハウスにした建物です。
前回愛媛県のダムということで石手川ダムというところを紹介しました。石手川ダムは、松山市の中心部に近いダムということで、慢性的に水不足になりがちな松山市に対して安定した水資源の供給を目的として造られたダムだということは紹介しました。今回はその石手川ダムから北東に行ったところにある玉川ダムというダムです。
今回紹介している大洲城は愛媛県大洲市にある城です。実はこの城の天守は明治に各地で廃城が行われた際には生き残ることができていたのです。しかし、残念なことに、明治の中期に建物の老朽化が原因で解体されるに至ってしまったのです。
北海道の道の駅の中で今回紹介するのは、網走にある『道の駅 流氷街道網走』なのです。こちらの道の駅なのですが、施設的に見てみるとそれほど特筆すべきところはないのかなあ、という気もします。しかし、この道の駅、まあ他にはないであろう特徴をもった道の駅なのです。しかも季節限定。冬の期間になるとこの道の駅は、ただ単なる道の駅だというわけではなくなるのです。
豊臣秀吉の四国征伐、そして江戸時代となるに従って、こういった時代を平定するために必要な城というものは山城ではなく、平地に建つ平城、平山城でした。今回紹介している徳島城は、そんなかつて阿波と呼ばれていた現在の徳島の地に設けられたのが城でした。
北海道の東の端にあるのが根室です。この根室には、かつて開拓使根室出張所というものが置かれていました。この根室に出張所を置くことによって、根室だけではなくこの辺りの花崎や野付と呼ばれる地域が管轄されていました。その出張所があった場所に、現在は標柱が建てられており、『開拓使根室出張所跡』として残されています。
『I have a dream.』このフレーズから始まる歴史的な明演説を御存じでしょうか。おそらく、中学校などの英語の教科書によくその文が載っていたと思います。シンプルでわかりやすい演説だけど、そこには強い強い思いが秘められている。そんな歴史的な演説を残した人物こそがキング牧師です。
滋賀県の長浜市。浅井家と縁の深い土地であり、数々の史跡や資料館などがある観光名所なのです。そして現在の滋賀県の長浜市にある道の駅が、『道の駅 浅井三姉妹の郷』なのです。どストライクにこの地域に縁ある三姉妹をその名称にもってきた道の駅。実際この道の駅を訪れると、浅井三姉妹の像が訪れた人々を迎えてくれます。
まるで昭和初期にタイムスリップしたかのような、レトロな長屋を改装した店内。そんなお店で出されるボリューム満点のスパイスカレーを味わいに行ってみませんか?店内もそうですが店内に置かれているものもどこか懐かしさを感じるものばかり。
巷で大ブームを起こしていた食べ物。パンケーキ。ホットケーキではないの??と思ったりもしますが、ブームがやってくると、様々な人々が試行錯誤を凝らし、それまでになかったようなパンケーキがいろいろと登場してくるわけです。