今回はこれまでの1234回分の記事の中から、アクセス数で多い物から10本をラインナップすることにしました。この記事がなぜ??と思うようなものもあったりしますが、自分が思うものと、人が思うものとの違いというのはあるものですし、そこから見てくるものもあるのですね。
毎日更新! ”旅”って、見方を変えるとまだまだこんなにも面白いことがあるのか!王道ではなく、あえてわきみちを行くことで、こだわりの旅が見えてきます。世界遺産?百名城?食?カレー?こだわりを追求する旅あれこれblogです。
まだまだ日々改善中です。少しずつ、より見やすいblogを目ざしていきますので、末永く宜しくお願いします。
1208【大阪紀行】大阪から奈良へ抜ける最短ルートの街道であった『暗越奈良街道』
大阪市中央区にある高麗橋からスタートして、暗峠を越えて奈良の平城京に至る街道がありました。その街道こそが、暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)といいます。直線で結ばれたこの街道なのですが、奈良時代では平城京まで訪れるための最短ルートとして、多くの人々に利用されました。
1207【沖縄紀行】映画のセットかのような街並みが広がる『アメリカンビレッジ』
今回紹介しているのはアメリカンビレッジ(正式名称は、美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジと言います。)という施設です。ここは、ショッピングができる店舗や、エンターテイメント施設が集まった巨大なエリアなのです。
1206【タイ紀行】2023年6月開通。バンコクがさらに便利に!!『MRT イエローライン』
バンコクの鉄道網なのですが、2023年6月にもとある鉄道網が開通しました。その鉄道網を、イエローラインと言います。モノレール式の鉄道で敷設されたこのイエローライン。バンコクの中心と、バンコク東部郊外とを結んだこの鉄道網。これまではなかなか訪れることが難しかった東部エリアへと簡単にアクセスすることができることになったため、人の動線が大きく変わる可能性をもった路線なのです。
1205【人物あれこれ】2025年大河ドラマの主人公。だけど。。。どんな人物なの??『蔦屋重三郎』
突如発表された2025年大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」。このお話の主人公となるのが蔦屋重三郎という人物。江戸時代に生きた人物だったのですが、恥ずかしながら全く聞いたことがありませんでした。調べてみたところ、江戸のメディア王と呼ばれるこの人物。町人文化が華開いたこの時代に、一体どのような足跡を残した人物なのでしょうか??
1204【タイ紀行】タイ北部の少数民族によって栽培されている幻のコーヒー『Akha Ama Coffee』
今回紹介しているのはタイのコーヒーです。タイでコーヒー??意外なことにあまり聞いたことがないかもしれません。それもそのはず、今回紹介しているコーヒーは、近年注目されるようになってきたタイのコーヒーなのです。そのコーヒーとは、Akha Ama Coffee(アカアマコーヒー)といいます。
1203【タイ紀行】アジアで急拡大中!!おなじみの曲が流れる店内『DON DON DONKI』
今回はそんなタイのドンキに実際に行ってみたのでその記事になります。ちなみに、海外のドンキの名称は、ドン・キホーテではありません。なぜなら、同一名称のお店があるのだとか。そのため、海外で展開する際には『DON DON DONKI』となるのです。
1202【タイ紀行】アユタヤ王朝の創成期の宮殿跡。その後は寺院となり、時代を越えた建造物が残る『ワット・プッタイサワン』
アユタヤの地元の人の聞いてみると、とある寺院の名前が出てきました。『ワット・プッタイサワン』。はて?それってどこにあるのでしょうか?実は、アユタヤの観光の中心であるアユタヤ島から、チャオプラヤ川をはさんですぐ南にある寺院です。
1201【滋賀紀行】こここそが百人一首の聖地。漫画・アニメでも幾度となく登場した場所『近江神宮』
天智天皇といえば、百人一首の歌番号の1番、「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」を詠んだ歌人でもあります。このつながりから、ここ近江神宮では毎年1月に競技かるたの名人位決定戦、クイーン位決定戦が行われている、まさしく百人一首かるたの聖地なのです。
1200 第24回『わきみち ぶるじゃらん』アクセス数調査(1126~1175)
Blog更新1200回達成しました。今後ともよろしくお願いいたします。3年を超えた当ブログですが、あっという間にそこから1200回も更新が過ぎました。今回もいつもと同様に50本の記事の中から、アクセス数の高い記事をピックアップしました。日本
1199【タイ紀行】アユタヤに残るかつてのポルトガル人たちの居住地跡『ポルトガル人村』
今回紹介するのは、アユタヤに残る、かつてポルトガル人が住んでいたポルトガル人村です。ツアーでここが入ることはないアユタヤの中でもレアな史跡であるポルトガル人村について今回は紹介していきたいと思います。
1198【タイ紀行】2021年オープンの、バンコクで今最もホットなナイトマーケット『ジョッド・フェアーズ』
タイで有名なナイトマーケットの一つに今回紹介しているジョッド・フェアーズナイトマーケットがあります。このナイトマーケットがオープンしたのは2021年。つい最近オープンしたばかりのナイトマーケットなのですが、駅徒歩2分でアクセス抜群。オシャレな雰囲気も漂うこの新しいナイトマーケットは、観光客はもちろん地元の若者にも大人気なナイトマーケットなのです。
1197【大阪紀行】大阪の中心三光神社で毎年11月上旬に開催される『三光神社の真田まつり』
以前紹介したこともある大阪市にある三光神社。かつて真田丸があったとされるこの地域にあるこの神社なのですが、真田ゆかりの神社として、毎年のように開催されているとある祭りがあるのです。その祭りとは、真田まつりという催しものなのです。
1196【奈良紀行】郡山城の広大さがこの外堀と、城の中心との位置関係からわかるかも『郡山城外堀緑地』
かつて郡山城の周囲をぐるっと取り囲んでいた、外堀の跡が残されているのです。そこは郡山城外堀めぐりとして、要所要所に石碑が残され、散策ルートとなっているのです。1時間弱歩くことで一周できるほどの広大な散策ルート。かつての郡山城の大きさがよくわかるものになっています。
1195【奈良紀行】この名称からは、奈良の中心地にあると思われがちだけど・・・!!?『奈良駅』
日本全国どこにでも駅が置かれているJRが中心ではないの?と思うかもしれませんが、奈良県では、観光の中心である東大寺や興福寺、奈良公園やならまちといった場所に訪れるには圧倒的に近鉄奈良が便利な場所にあります。では、JRの奈良駅はないのか?もちろんありますよ、JR奈良駅が。
1194【大阪紀行】最優秀賞を受賞したこだわり卵である匠のたまご直売の養鶏場『辰巳悦司養鶏場』
「わざわざたまごのために・・・」と思う人も多いと思いますが、一度試してみてはいかがでしょうか。全ての人がそれに合致するとは思いませんが、養鶏場にまで足を運ぶほどの価値ある体験ができるかもしれませんよ。そんな直売しているたまごの中で、今回紹介しているのは大阪の富田林市でたまごの生産と販売をしている辰巳悦司養鶏場です。この養鶏場が販売しているたまごは、「匠のたまご」といいます。
1193【大阪紀行】なかなか珍しい!?たまごサンドの専門店『ここ助。のたまごさんど』
シンプルに卵フィリングを挟んだだけで作られるたまごサンドですが、シンプルであるがゆえに奥が深く、なおかつ人々をいつの時代もとりこにする味で愛され続けているサンドイッチですよね。しかし、そんなサンドイッチですが、意外とないものなのです。専門店が。ところが今回、大阪でそんなたまごサンドの専門店を見つけてしまったのです。それこそが今回紹介しているここ助。のたまごさんどなのです。
1192【大阪紀行】もともと小学校だった建物をそのまま使った新時代の複合施設『いくのパーク』
小学校の建物をそのまま利用した新たな複合施設を、「いくのパーク」といいます。たしかに、教室が多数ある小学校という建物。その一つ一つを店舗として利用することができるのであれば、理にかなっているのかもしれませんよね。
1191【タイ紀行】タイの人々はみんなもっている!?タイ伝統の嗅ぎ薬『ヤードム』
タイの人々の鞄の中には必ずと言っていいほど入っているものがあります。一見すると、「リップクリーム?」と思ってしまうかもしれませんがそれは無理もないことでしょう。完全に形はリップクリームなのですから。しかしこれはリップクリームではありません。日本語で言うと、"嗅ぎ薬"と言います。そして、タイではこれをヤードムというのです。
1190【大阪紀行】韓流ブームの追い風もあり、大阪の一大観光スポットにもなった『大阪コリアタウン』
韓国文化を堪能できるエリアが生野です。生野の中でも御幸森天神宮から伸びる一本の通り。ここは大阪コリアタウンと呼ばれています。通りの両サイドに韓国料理の店や食料品店。韓流アイドルのグッズ店が所狭しと並び、驚くほどの観光客が訪れるエリアとなっているのです。
1189【神奈川紀行】鎌倉の閑静な住宅地に建つ、ひときわ目立つランドマーク的な邸宅『加賀谷邸』
甘縄神明神社につながる小道を歩いていると、その途中にふと気になる住居がありました。訪れたときには改修工事?を行っていたようなのですが、それであってもまわりの家とはかなり趣の異なるこの家。実は、鎌倉市景観重要建築物に選ばれている家なのです。その家を加賀谷邸といいます。
1188【神奈川紀行】ここにかつて若宮大路を代表する大鳥居が存在していた『浜の大鳥居跡』
源頼朝が鶴岡八幡宮を現在の場所に遷座したときに鳥居も造られました。その時代、一の鳥居は、最も南側の海岸寄りにあった鳥居であったこともあり、浜鳥居と呼ばれていました。浜鳥居はその後何度も再建が繰り返され、現在の一の鳥居へとつながっていますが、実は過去の濱鳥居は現在の一の鳥居とは異なる場所にあった痕跡が発掘されているのです。それこそが浜の大鳥居跡なのです。
1187【神奈川紀行】鎌倉幕府の創設に多大な貢献を果たした伝説の武士 畠山重忠の邸宅があったとされる場所に残る碑『畠山重忠邸址』
今回はとある人物の邸址の史跡となります。その人物とは畠山重忠。鎌倉幕府創設期の有力御家人として活躍したものの、北条時政の計略によって謀反の疑いをかけられ、一族が滅ぼされることになってしまった人物です。大河ドラマの鎌倉殿の13人での好演も印象深いこの人物なのですが、その畠山重忠の邸宅があったとされる場所が鶴岡八幡宮のすぐ東側に残されています。それが畠山重忠邸址の碑なのです。
1186【神奈川紀行】なぜここにこれらの人物の墓が!?『大江広元の墓・毛利季光の墓・島津忠久の墓』
大江広元は大河ドラマの鎌倉殿の13人でも登場した源頼朝の側近として、頼朝亡き後も文官として鎌倉幕府を支え続けた人物であったため、この地にその墓があるというのは納得ですよね。ところが、そのすぐ横に毛利氏の墓があったり、島津氏の墓があったりするのはなぜなのだろう?となるかもしれません。
1185【神奈川紀行】かつては鎌倉幕府を支える鉄壁の一族だったが・・・『三浦一族のやぐら』
鎌倉幕府の創設期から幕府を支えてきた三浦一族なのですが、最後には北条一族と争った結果敗れてしまい、一族もろとも自刃するわけなのです。そんな三浦一族を法務経ったとされる場所が今回紹介している三浦一族のやぐらなのです。 皮肉にも、北条義時を祀っている法華堂があったとされる場所のすぐ裏手にあるこのやぐらと呼ばれる場所。鎌倉散策では必ず訪れておきたい場所ですよね。
1184【人物あれこれ】吉宗の跡を継いだ9代将軍。しかし、障がいをもっていたとされるこの将軍はいかなる人物だったのか『徳川家重』
今回紹介しているのは九代将軍徳川家重です。徳川吉宗の息子ということで、あれだけ輝かしく名前を残した将軍の息子なのだから!!と思うかもしれませんが、この家重、かなりの特徴を持っている将軍なのです。大河ドラマの八代将軍吉宗でも登場したこの家重。中村梅雀氏が演じたことで印象に残っている人もいるかもしれませんが、言語不明瞭。体が弱く、将軍に相応しくない人物として演じられていました。
1183【神奈川紀行】かつての大倉幕府にあった4つの門の一つ。東門があったとされる場所に残る碑『東御門』
鎌倉にかつてあった大倉御所というものは影も形も残っていません。御所の中心は現在は清泉小学校という小学校の敷地になっています。そしてその御所の東西にあった門は、東御門そして西御門というものがありました。これらは現在は地名などでしか残っていません。
1182【神奈川紀行】フランスに伝わるルルドの奇跡。その願いを鎌倉の地にも『ルルドの洞窟』
ルルドの洞窟とは、フランスのピレネー山脈にあるルルドという町にあるとある洞窟です。この場所で、聖母マリアがとある少女の前に何度も現れ、お告げを与えたことによって数々の奇跡がおこったという場所とされています。そのため、現在でもなお、心身の癒しを求めて、世界中から多くの人々がルルドを訪れています。
1181【ニュースあれこれ】カンタス航空が発表した、19時間もの超長距離のニューヨーク-シドニー間フライト
今回はそんな飛行機に関する記事を見つけました。このカンタス航空が、オーストラリアのシドニーと、アメリカのニューヨークとを結ぶ超長距離直行便の就航を2025年に控えているのです。この距離となると、その搭乗時間はなんと19時間!?現在であれば、乗り換えが必要なこの路線に対して、直行便で結ぶこのフライトでは、何よりも時間そのものを節約することができる移動手段になるのです。
1180【神奈川紀行】 鎌倉十井の一つ。鉄の観音像の伝説が残る『鉄の井(くろがねのい)』
今回取り上げているのは、鉄の井といいます。"てつのい"ではなく、"くろがねのい"と言います。鎌倉十井の中でも、とにかく人通りの多い小町通りの北の端にあるため、おそらく見かけたこともある人は多いのではないでしょうか。この井戸が"鉄"と呼ばれるのは、ここの井戸からとあるものが掘りだされたことに由来するのです。今となっては真偽はわからないその出来事。では、この鉄の井に残る伝説とは何なのでしょうか。
1179【旅ノウハウ】旅には様々なスタイルがある『旅の手帖』
旅の雑誌の中でも、今回紹介している雑誌は古くから書店で見かけてことがあるものではないでしょうか。それは『旅の手帖(てちょう)』といいます。独特なレトロなフォントで書かれたタイトルは、どこか懐かしさを感じるもの。それもそのはず、1977年に創刊されたかなり歴史のある雑誌なのです。
1178【神奈川紀行】力餅家のすぐ近く。ここには、これを求めて訪れる人がいるほどの秘伝のソースが!?『三留商店』
ただの食料品店かなあという印象をもってしまうこのお店。しかしその創業は明治15年。すでに100年を超える歴史をもつお店なのです。そのお店の名前を三留商店といいます。こちらのお店、様々な食料品が販売されており、街の食料品店だなあ、という第一印象なのですが、実はそれだけではにあ食料品店なのです。
「ブログリーダー」を活用して、うぃさたさんをフォローしませんか?
今回はこれまでの1234回分の記事の中から、アクセス数で多い物から10本をラインナップすることにしました。この記事がなぜ??と思うようなものもあったりしますが、自分が思うものと、人が思うものとの違いというのはあるものですし、そこから見てくるものもあるのですね。
このマーケットを外して、タイを語ることはできません。そのマーケットとは、チャトゥチャック・ウィークエンドマーケットといいます。ウィークエンドマーケットというので、その名のとおり週末の土日のみしか開いていないマーケットなのです。土日だけなのですが、おそらくタイのバンコクを観光で訪れる人たちにとっては、このチャトゥチャック・ウィークエンドマーケットはほぼほぼマストな場所ではないでしょうか。
全長1kmほどの混みあったサンペーン市場の通りを抜ける、その先には人工的に作られた運河が見えてきます。実はこの運河の両岸が、ここのところホットになってきている定番スポットなのです。その名を、オンアン運河ウォーキングストリートといいます。それまで歩いてきたサンペーン市場とは対照的な雰囲気を見せるこのオンアン運河ウォーキングストリート。その対照的な光景がここの面白さだったりするのです。
チェンマイには、土曜日限定のナイトマーケットもあるのです。それが、城壁の南側、チェンマイ門から南西に向かって伸びるウアラーイ通り沿いで土曜日限定のサタデーマーケットが開かれる『ウアラーイ歩行者天国ナイトマーケット』なのです。チェンマイに行ったからには、週末に開催されるこの2つのナイトマーケットはマストですよね。
今回紹介しているのは日本人村と同じく、当時のアユタヤで独自のコミュニティを形成してたとある町のあった場所に残る史跡です。それをオランダ人村といいます。以前、同様にこの地にあったポルトガル人居住地であったポルトガル人村について紹介をしましたが、ポルトガル人村、そして日本人村よりも北にあるのがオランダ人村です。このオランダ人村には、かつてアユタヤに存在したオランダ人居住区の痕跡が残されているのです。
チェンマイからは北に50kmの位置にあり、車でも約1時間かかるこの場所。メーサエレファントキャンプに比べると、交通の便では不便だなあという場所にはなります。そのため、このメーテーンエレファントパークを訪れる場合は、ツアーを申し込んで訪れることがほとんどになるのではないかと思います。
今回紹介しているのはそんな地元密着型のナイトマーケット。場所は、タイの古都アユタヤです。アユタヤにもナイトマーケットは数々あります。観光客向けには、曜日限定のナイトマーケットが存在するわけなのですが、今回紹介しているナイトマーケットは、夕方から21時ごろにかけて、毎日開催されているナイトマーケットなのです。その名前をバンランナイトマーケットと言います。
全世界いたるところで活躍する日本人。世界のどこに行ってもそういった日本人が密集して暮らしている地域があったりします。そういったところは、『日本人村』などと言ったりすることがあるのですが、実際に日本人村と呼ばれる場所がアユタヤにあるのです。その場所は正式に日本人村(Japanese Village)というのですが、現在日本人が多数住んでいる場所というわけではないのです。
アユタヤにある『ワット・パナンチューン』は、今もなお地元の多くの人々の信仰を集める寺院です。他の遺跡群とは異なり、今もなお寺院として現役で活用し続けられているこの寺院。実はすでに700年近い歴史がある寺院なのです。そのわりには、現在も現役で利用されていることからか、非常にきれいに整備されており、特に本尊でもある黄金の仏は、今もまばゆいばかりの輝きを放っています。
水上マーケットなのですが、タイの古都アユタヤにもあるのですよ。その水上マーケットを『アヨタヤ水上マーケット』といいます。アヨタヤ?そう。アユタヤではなくアヨタヤです。アヨタヤというのはアユタヤの古い言い方らしく、そんな名称がついている水上マーケットですのでさぞかし歴史と伝統があるのだろう!!
チェンマイに行ったからにはここを訪れなければチェンマイに行った意味がない、とまで言われるほどの有名な寺院があります。しかしこの寺院。チェンマイの市街地にはありません。チェンマイ市街地から北西に約15km。そして、山頂へと通じる道を登り、標高1080mもあるステープ山の山頂にある寺院なのです。その名を、ワット プラタート・ドーイステープと言います。
シーナカリン鉄道市場なのですが、タイで一番最初に開かれた鉄道市場なのだそうです。郊外にあるため、これまではタクシーなどでしか訪問することができなかったこのナイトマーケット。しかし、2023年6月にイエローラインが開通したため、なんと公共交通で訪れることができるようになったのです。
回紹介しているのはそんなアジアンな料理を取り扱っているお店です。『台風飯店』というお店なのですが、名前だけ見ると、"台"風??ということなので台湾料理なのかなあと思うのですが、半分正解です。台湾料理もこのお店の主力メニューの一つなのですが、それだけではありません。
アユタヤの観光の中心はアユタヤ島になるので、なかなかそれ以外は・・・、となっている人が多いかもしれませんが、アユタヤにももちろん現代人の生活があります。あるところにはあるんですよ!アユタヤの中心地から南東に向かって5kmほど。タイを南北に走る高速道路沿いにあるんですよ。巨大なショッピングモールが!!その名を、アユタヤ シティーパークといいます。
カオソーイ。食べられる店が日本国内でも増えてきていますが、さすがに専門店は・・・という状況でした。しかし、とうとう見つけてしまったのです。そのお店の名前とは、『泰式香辛麺商店 仲吉』という大阪市にあるお店なのです。大阪といえばスパイスカレーの聖地でもありますが、そんな中にいよいよカオソーイもお目見えすることになったのです。
今回紹介しているのは、ベトナムフェスティバル。日常の生活の中で、ベトナムの人々を見かけることが増えてきたのではないでしょうか?以前に比べると日本とベトナムとのつながりはかなり強くなってきている中で、このベトナムフェスティバルというのは、今後ベトナムカルチャーをより身近に感じていくきっかけとなるフェスティバルとして、大きく育っていく可能性が高いフェスティバルではないかと思います。
今回紹介するのは、大阪府堺市にあるとある神社です。その名前を『方違神社(ほうちがいじんじゃ)』と言います。堺市にある神社の中でも大きな部類に入るこの神社。実はとあることで有名な神社なのです。それは、引っ越し、転勤、結婚での転居、海外赴任・旅行など、どこかに移動するときに、その行く先の方位についてお祓いをしてもらう神社なのです。
近江神宮なのですが、天智天皇を御祭神としていることからもう一つの顔をもっている場所でもあるのです。それは、時計の聖地であるということ。実はこの天智天皇という人物が、時計と非常にゆかりのある人物だったのです。それはなんと今から1350年も前のこと。そのような時代に時計が??と思うかもしれませんが、漏刻という水時計を設置して時間を都に知らせ始めたのです。
廃校舎を利用したキャンプ場が和歌山県橋本市にあるのです。そのキャンプ場の名を、『SHINODA BASE』といいます。このSHINODA BASEなのですが、かつてここにあった信太小学校が廃校となり、その跡地の校舎をそのままキャンプ場施設として利用しているのです。
ビーチというとどうしても海がまずイメージされますが、湖畔にあるこの琵琶湖のビーチ。そんな穴場で楽しむことができるマリンスポーツの楽しさに違いはありません。泳ぎから始まってボートやカヌー、ウインドサーフィンなどなどたくさんのマリンスポーツがあなたを待っているのです。そんな琵琶湖畔にあるキャンプ場の一つが今回紹介しているビワコマリンスポーツオートキャンプ場なのです。
『望郷の家 北方館』は、望郷の家という建物と、北方館という建物が連結した施設。ここでは、この場所を訪れた人々が北方領土に関する資料を閲覧したり、実際の島々を眺望したりということで、日本が抱えるこの問題を忘れず、そして正しく理解してもらうことにつながっていくのです。
場所は愛媛県の北宇和郡。その城の名前は河後森(かごもり)城といいます。この城は、鎌倉時代に築城されたという山城。その後、江戸時代の一国一城令まで機能し続け、廃城となった城でした。その規模としては、愛媛県に残る中世の山城の中では最大のもの。まるで馬の蹄鉄のようなU字型をした山と谷の地形を巧みに用いて造られた河後森城は、自然の要害を最大限に活かした鉄壁の山城なのでした。
見晴らし亭は、1921年に建てられた建物。1921年というと時代は大正。そこから100年以上の歴史をもつ建築物なのです。そして、尾道に残る空き家の再生プロジェクト第一弾として実行に移された物件でもあるのです。そんな歴史的な建物に宿泊することができる。それは素晴らしい体験ができることでしょう。
歴史的な清須会議の様子を映画化したものが、2014年に三谷幸喜によって書かれた小説を基にして同氏が映画化した『清須会議』なのです。この映画 清須会議の主人公が役所広司演じる織田家の筆頭家老であり、五人の宿老の一人であった柴田勝家。そしてそれに相対するのが、同じく宿老の一人である、大泉洋演じる羽柴秀吉です。
今回紹介している岡豊城は、続百名城に選定されているお城なのですが、高知県の歴史民俗資料館が併設されている城跡。国分川沿いにあり、小高い山の一帯に建てられた自然の要害に囲まれた岡豊城は、非常に整備状況がよく、案内も充実しているため、見ごたえのある城跡なのです。
今回紹介している満点☆青空レストランもそういったグルメ番組の一つです。宮川大輔をはじめ様々な料理を紹介するこの番組。それぞれ日本各地にある農家や牧場、漁業で働く両市などの元を訪れて、そこで採れる絶品な食材を使って料理を作っていきます。地の素材を使っているのでその味は保証付き!そんな日常ではなかなかできない体験を毎週土曜日に提供してくれるのがこの番組なのです。
スパイスというとどうしても"辛い!"というイメージが付きまといますが、このカルダモンというスパイスはそういったスパイスではありません。料理やお菓子などに甘いような爽やかな香りが欲しいなあ、というときにカルダモンというスパイスが役に立つのです。
今回紹介しているものは、三重県のとあるお土産です。三重県といえば伊勢神宮。この伊勢神宮に参るお伊勢参りに行ったならば、このお土産を買わないわけにはいかないでしょう。それは何だと思いますか?おそらくもうすでに頭に浮かんだことだと思いますが、もちろんそれは"赤福"です。
北海道の中に数多くある道の駅ですが、その中でも遥か北にある浜頓別 クッチャロ湖にあるのが、今回紹介している道の駅 北オホーツクはまとんべつなのです。浜頓別の町は、自然豊かな場所を楽しみたい人にはぴったりだと思いますが、それ以外の楽しみ方はというと、ほとんど見つからないのが実際かもしれません。そんな町に誕生したのが道の駅 北オホーツクはまとんべつなのです。
道後温泉は楽しみたいけど、宿泊は安く抑えたい。ぜひともそんなお宿を探してみたいですよね。ありました。それも道後温泉の超近く。そのお宿を『ふじや』といいます。愛媛だけど”ふじ”?まあそんなことはどうでもいいですが、このゲストハウスのふじやですが、一般家屋を一軒まるまるゲストハウスにした建物です。
前回愛媛県のダムということで石手川ダムというところを紹介しました。石手川ダムは、松山市の中心部に近いダムということで、慢性的に水不足になりがちな松山市に対して安定した水資源の供給を目的として造られたダムだということは紹介しました。今回はその石手川ダムから北東に行ったところにある玉川ダムというダムです。
今回紹介している大洲城は愛媛県大洲市にある城です。実はこの城の天守は明治に各地で廃城が行われた際には生き残ることができていたのです。しかし、残念なことに、明治の中期に建物の老朽化が原因で解体されるに至ってしまったのです。
北海道の道の駅の中で今回紹介するのは、網走にある『道の駅 流氷街道網走』なのです。こちらの道の駅なのですが、施設的に見てみるとそれほど特筆すべきところはないのかなあ、という気もします。しかし、この道の駅、まあ他にはないであろう特徴をもった道の駅なのです。しかも季節限定。冬の期間になるとこの道の駅は、ただ単なる道の駅だというわけではなくなるのです。
豊臣秀吉の四国征伐、そして江戸時代となるに従って、こういった時代を平定するために必要な城というものは山城ではなく、平地に建つ平城、平山城でした。今回紹介している徳島城は、そんなかつて阿波と呼ばれていた現在の徳島の地に設けられたのが城でした。
北海道の東の端にあるのが根室です。この根室には、かつて開拓使根室出張所というものが置かれていました。この根室に出張所を置くことによって、根室だけではなくこの辺りの花崎や野付と呼ばれる地域が管轄されていました。その出張所があった場所に、現在は標柱が建てられており、『開拓使根室出張所跡』として残されています。
『I have a dream.』このフレーズから始まる歴史的な明演説を御存じでしょうか。おそらく、中学校などの英語の教科書によくその文が載っていたと思います。シンプルでわかりやすい演説だけど、そこには強い強い思いが秘められている。そんな歴史的な演説を残した人物こそがキング牧師です。
滋賀県の長浜市。浅井家と縁の深い土地であり、数々の史跡や資料館などがある観光名所なのです。そして現在の滋賀県の長浜市にある道の駅が、『道の駅 浅井三姉妹の郷』なのです。どストライクにこの地域に縁ある三姉妹をその名称にもってきた道の駅。実際この道の駅を訪れると、浅井三姉妹の像が訪れた人々を迎えてくれます。
まるで昭和初期にタイムスリップしたかのような、レトロな長屋を改装した店内。そんなお店で出されるボリューム満点のスパイスカレーを味わいに行ってみませんか?店内もそうですが店内に置かれているものもどこか懐かしさを感じるものばかり。
巷で大ブームを起こしていた食べ物。パンケーキ。ホットケーキではないの??と思ったりもしますが、ブームがやってくると、様々な人々が試行錯誤を凝らし、それまでになかったようなパンケーキがいろいろと登場してくるわけです。
台ダムがあるのは、愛媛県今治市。この市に属していますが、瀬戸内海に浮かぶ島、大三島にあるダムなのです。島にダムがあるというのもなかなか珍しいのかなあと思いますが、実際このダムが設けられている台本川なのですが、それほど長い川ではありません。全長3.7kmほどしかなく、はたしてここにダムが必要なのか?とも思われるのですが、全長が長い川というものはえてして危ない川になってしまうことがあるのです。