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定年帰農の成れの果て https://blog.goo.ne.jp/110ta30

定年で帰農し、「都市近郊における露地野菜経営の確立」を目指した20年弱の体験をもとにしたエッセイです。<br>

一郎
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2020/03/09

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  • あれから4年の成れの果て

    2020年2月には「定年帰農の成れの果て」をまとめ、あれから4年が経ちました。2020年12月には、特例農地の納税猶予期間が過ぎたことから、2021年からは、水田を委託に出した。さらに、市街化区域内の畑は農地を宅地に転用し借地とした。2022年度は、誰も役員の成り手がいなく、20年ぶりに再度町内会長を引き受けました。わが町内会は、1975年(昭和50年)365世帯でしたが、現在ではおよそ1500世帯程となっています。近年では社会環境の変化もあり、近所の付き合いも薄れ、町内会の意義も理解されにくくなっています。そこで、この意義を明確にしようと考え、「町内会のコンセプト」を作りました。内容は、昔のように、距離の近い付き合いだけでなく、少なくとも顔見知り程度、顔があったら、挨拶する程度の、「面識社会」を目指す。...あれから4年の成れの果て

  • あらすじ2

    大規模化、高生産性農業の推進を目指した北海道農業の一端に、公務員として携わった一郎は、定年を迎え、退職後は民間に再就職する道もあるが、自分にそのスキルがあるかとよく考えてみれば、自信がない。自分の資質、今までの職場環境、実家の農業設備など、今置かれている状況を棚卸した結果、「都市近郊における露地野菜経営の確立」を目指して、水田30a、畑20aの零細経営の実家を継ぐことにした。このエッセイは、その20年弱の体験を綴ったブログhttps://blog.goo.ne.jp/teinennrakunouを再編集したものです。目次1北海道農業の発展2退職3北海道を離れる4実家に戻る5どんな農業をしようか6就農に農地確保は高い壁か7都市近郊における露地野菜経営の確立8農薬の使用9水田の畦草刈10グリーンアスパラガス11はな...あらすじ2

  • 一人はみんなのために、みんなは一人のために

    「OneforAll,AllforOne」といえば、ラグビーワールドカップで有名になりましたが、この言葉は、ヨーロッパの30年戦争(1618~1648年)の発端となった「プラハ窓外投擲事件」における決起集会でこの言葉が出てきているそうです。この意味は、「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」だそうです。例えば、ラグビーですと「一人はみんなのために、みんなは一つの勝利のために」となります。しかし、町内会は、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」といきたいところです。ここが、まさしくコミュニティ(町内会)とアソシエーション(会社の様な組織)の違いなんです。一人はみんなのために、みんなは一人のために

  • あらすじ

    大規模化、高生産性農業の推進を目指した北海道農業の一端に、公務員として携わった一郎は、定年を迎え、退職後は民間に再就職する道もあるが、自分にそのスキルがあるかとよく考えてみれば、自信がない。自分の資質、今までの職場環境、実家の農業設備など、今置かれている状況を棚卸した結果、「都市近郊における露地野菜経営の確立」を目指して、水田30a、畑20aの零細経営の実家を継ぐことにした。このエッセイは、その20年弱の体験を綴ったブログhttps://blog.goo.ne.jp/teinennrakunouを再編集したものです。あらすじ

  • 目次

    あらすじ目次1北海道農業の発展2退職3北海道を離れる4実家に戻る5どんな農業をしようか6就農に農地確保は高い壁か7都市近郊における露地野菜経営の確立8農薬の使用9水田の畦草刈10グリーンアスパラガス11はなさん12農業大学校での公開講座を受ける13コマツナの栽培14JA女性部への加入15正月菜の初出荷16稲刈り17正月菜に病害虫18正月菜の防除19お日待ち20サトイモの栽培20-2煮味噌21みどりくん222002年収支23JA女性部の役員を要請される24やわた旬鮮の開店25ホウレンソウの播種26播種で気をつける事27農事組合副組合長28おくみどり29東三河青果市場30ホームページ作成31昭子の勤めるスーパーが閉店32町内会区議員33農業簿記34町内会長35法性寺ネギ36初めての年金37確定申告38過去の経営の反...目次

  • 1 北海道農業の発展

    1999年秋、どこまでも広い空は、真っ青というより、ちょっと薄い青という感じ。一郎はこの薄めの青が好きだ。真っ青だとなぜか重圧感を受けてしまう。ミズナラの群生した茶色の葉がまたいい。地味だが見ていると落ち着く。ここは札幌の中心部から東方約12kmの野幌森林公園の一角にある北海道百年記念塔の前です。この塔は、北海道開道百年を記念して1971年に一般公開された。一郎は、ちょうどその年に札幌で就職し、よく独身寮の連中と、ここに来たものだ。当時、開道百年と聞くと、長い間かかって発展してきたと感じていたが、それからもう30年弱も経ってしまっているのだ。塔は、鉄骨でできているのだが、その錆が目立つ。一郎は、公務員として北海道で公共事業の面から農業の開発に携わっている。この30年の北海道農業の発展はすさまじく、酪農、水稲をは...1北海道農業の発展

  • 1 北海道農業の発展 2

    1999年、秋、どこまでも広い空は、真っ青というより、ちょっと薄い青という感じ。一郎はこの薄めの青が好きだ。真っ青だとなぜか重圧感を受けてしまう。ミズナラの群生した茶色の葉がまたいい。地味だが見ていると落ち着く。ここは札幌の中心部から東方約12kmの野幌森林公園の一角にある北海道百年記念塔の前です。この塔は、北海道開道百年を記念して1971年に一般公開された。一郎は、ちょうどその年に札幌で就職し、よく独身寮の連中と、ここに来たものだ。当時、開道百年と聞くと、長い間かかって発展してきたと感じていたが、それからもう30年弱も経ってしまっているのだ。塔は、鉄骨でできているのだが、その錆が目立つ。一郎は、公務員として北海道で公共事業の面から農業の開発に携わっている。この30年の農業発展はすさまじく、酪農、水稲をはじめ、...1北海道農業の発展2

  • 2 退職

    一郎は2年後、55歳で定年を迎える。公務員に定年はないが、50歳前半で後進に席を譲る慣例になっている。公共事業は、予算は役所でつけるが、工事等の実施は、主に民間事業者が行い、一体となって事業の効果を発揮している。定年後は、現職の時の能力を生かせる民間事業者に再就職する道もあるが、よく考えてみると、自分にそのスキルがあるかと問えば、自信がない。なるほど、職場の和を乱さず、組織としてそれなりの貢献はしているつもりだが、今の組織を離れて自分で何ができるかと問われれば、心もとない。そんな折、2000年2月、愛知県の実家から、82歳の父親の急逝の知らせが入る。実家は、20年前に母親を亡くしており、父親が1人で水田30a、畑20aの農業を営んでいた。実家に戻って農業を始めるのもハードルが高い。年金は、60歳からしか出ない。...2退職

  • 3 北海道を離れる

    2001年7月。一郎と昭子は、小樽港発23時30分、敦賀港行きのフェリーのデッキに居た。小樽の夜景が、どんどん小さくなっていく。思えば、18歳の年、将来北海道で酪農をやろうと思い、上野駅から特急「はつかり」、真夜中の0時から青函連絡船「摩周丸」、5時函館発特急「おおぞら」に乗り次いで、初めて北海道に渡った。あれから途中中抜けはあるものの、通算30年の間、いい人や環境に恵まれ、当初の夢はかなわなかったものの、楽しい人生を送ることができた。昭子とは同郷での見合い結婚だった。赴任先の稚内に嫁いできた。結婚してから25年間に9回も引っ越しをした。その他、単身赴任1回。昭子は、慣れない土地で出産、子育てなど、苦労したと思う。今は、子供達も独立し、夫婦2人だ。夜景が見えなくなり、船室に戻っても次々と思い出がよぎってくる。し...3北海道を離れる

  • 4 実家に戻る

    2001年7月15日、夜遅く、北海道から持ってきたカローラで、敦賀から愛知県の実家に帰る。敦賀港でフェリーを降りた時は、雨が土砂降り、ワイパーを最高速度にして慣れない高速道路の運転にひやひやした。実家に戻ったのはいいが、年金は、60歳からしか出ない。公務員には失業保険はない。当然のことではあるが、預金通帳への給与の振り込みはぴたりと止まった。当面は貯えを切り崩す。故郷は、西に標高300m程度の山々が、北には標高700mまでの山が連なり、東は標高200mまでの山々が続き、南は開けており、その20Km先は太平洋です。山々は、小中学時代に遠足で登った山々です。北海道ではいい人々に出会い、多少の心残りはあるが、ほぼ満足のいく仕事と生活ができたと思う。しかし、故郷はまた別のなつかしさがある。サケが元の川に戻ってくる心境か...4実家に戻る

  • 5 どんな農業をしようか

    組織にいた時と違い、自分の思ったことは何でもできる。決裁をもらう必要はないのだ。夢はどんどん広がる。退職数年前から、将来農業に携わるのであれば、露地野菜という、おぼろげながらの気持ちは持っていた.まず、県の農業改良普及所を訪ねた。状況を話したところ、職員の方は「イチゴのハウス栽培なら収入が安定しますよ」と推奨してくれた。しかし、イチゴは春のものと思っていたが、今は暖房を使って冬のものとなっている。収穫は秋から5月までです。イチゴのハウス栽培は、まわりの農家が栽培しているが、多くは、液肥による高床栽培で、作られたマニュアル通りに管理しないとならない上に、規格に合わせるなど、収穫出荷作業が大変です。昭子は「あんたは人の言うことを素直に聞かない性格だから、マニュアルは性に合わないじゃないの」一郎は、それもあるけど、ハ...5どんな農業をしようか

  • 6 就農に農地確保は高い壁か

    よく就農するに当たって農地の確保が困難と言われている。具体的には、「一定以上の面積を耕作する農家でないと農地が取得できない」、「農業者の認定が難しい」など、農地取得に関して、農地法のハードルが高いと言われている。農地法は、戦後間もないころに作られた法律で、その第1条には、「・・・・・耕作者自らによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏まえ・・・・」とあり、施設園芸や、大規模化が進んで、必ずしも土地の所有にこだわらないような、農業や社会の状況が大きく変わったにもかかわらず、いまだに、耕作者自らの所有をうたっている。これに象徴されるように、随所で現状にあわない条項が多くある。それでも情勢の変化に合わせて、一部を改正したり、別の法律を作ったりして、その場をしのいでいるのが現状であろう。しかし、現場から見ると、現...6就農に農地確保は高い壁か

  • 7 都市近郊における露地野菜経営の確立

    一郎は、まず、コンセプトを決めようと考えた。現職の時の一郎は、高生産性の農業を目指して仕事をしてきたが、退職数年前から、高生産性農業に対する陰の部分の手当てにも生きる道があるのではないかと考えるようになった。大規模経営による高生産性農業の進展は、産地化の推進、流通のシステム化に都合の良い、形の均一な、見場のよい野菜が生産の基準となった。また、消費者ニーズといいながら、高値で売れる、時季はずれの野菜が出回り、野菜から旬の感覚を無くしてしまった。旬の野菜は、おいしく、栄養価も高く、季節を感じさせてくれる。所有する農地は、水田30a、畑20aであり、水田は今のままでいいが、畑は借りればもう少し広くできる。一郎は、昭子に「露地野菜を作って、JA直売所のグリーンセンターに出そうと思う」と打ち明けた。昭子「グリーセンターは...7都市近郊における露地野菜経営の確立

  • 8 農薬の使用

    農薬の使用について、無農薬栽培は理想ではあるが、高度な技術がいることから当面は無理なため、農薬の使用は、示された基準に甘んじることなく、たとえ野菜の見栄えを多少犠牲にしても、最小限の使用に止めようと思う。農薬は、農薬ごとに「適用病虫害の範囲及び使用方法」(適用作物名、希釈倍数、総使用回数、使用時期(野菜出荷までの期間))が示されている。これは、製薬会社が実証実験を行い、国がその内容を審査し、安全と認めた値です。私は、この範囲内であれば一応安全と考えている。「一応」というのは、以下の2点に若干不安を抱いているから。実証実験の方法、結果を100%信じられるか。昨今、随所に露呈している一般的な科学技術の危うさからか、それを農薬にも感じる。たとえ、実証実験が100%安全だったとしても、服用中の薬との関係や個体差など、そ...8農薬の使用

  • 9 水田の畦草刈

    帰郷して、すぐ待っていた作業は、水田の畦草刈です。父親が体調を崩し、亡くなってから2年にわたり、義兄が30aの水田を管理していてくれていた。義兄は、車で10分ほどのところで農業を営んでいる。畦草は、肩掛けの刈払機で刈るのだが、すぐ腰が痛くなる。休み休み行うので、なかなか終わらない。刈払機の燃料がタンクにもなくなったので、JAのガソリンスタンドに買いに行った。一郎「刈払機の混合を5リットルください」店員「ちょっと待っててください。今作りますから」一郎「え、ここで混合するんですか」店員「自分でガソリンにエンジンオイルを混合している人が多いですよ」一郎「トラクターは、軽油ですか」店員「そうですよ。農業を始められたんですか」一郎「親父がなくなったもんで、わからんことだらけですよ。今後ともよろしく」混合ガソリンの作り方も...9水田の畦草刈

  • 10 グリーンアスパラガス

    北海道から持ち帰ったアスパラガスを植え付けたいが、トラクターによる圃場の耕起が間に合わない。とりあえず、鍬で、野路圃場の一部を除草し、帰郷1週間後に1畝だけ植えつけた。実は退職3年ほど前、札幌の住宅地の空地をグループで借り、家庭菜園を行っていた。そこには、キュウリ、トマトなどを栽培していた。将来郷里に帰って、農業をする場合も考え、アスパラを播種して株を作っていた。3年目に入ったばかりのアスパラガスの株30株を持ち帰ったのだった。畑は、南北16m、東西50mの長方形の圃場です。南側で東西に排水の側溝があった。植え付けは、作業効率を考えて、東西に長い畝とした。昭子「北海道のアスパラだからおいしいかもね」一郎「アスパラの品種は、全国どこでもできるメリーワシントンだからどうかね」トラクターのエンジンがかからない。故障し...10グリーンアスパラガス

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