先週土曜日に突然襲った右ひざの痛み。「魔法の注射」の効果もほとんどなく、日常生活がギリギリできるぐらいの生活が続いている。いったん膝を曲げ、それを延ばそうとするとき、激痛が走る。これもワニの祟りか、人をワニ呼ばわりした祟りなのか。膝を曲げる行為すべてで、
36年間のサラリーマン人生を定年退職(2020年3月末)。その後しぶとく短時間再雇用で仕事していますが、いつまで続くことやら。読書、音楽、釣り、旅行、定年その後などについて書いていこうと思っています
(寒くなって裏庭ネコちゃんがなかなか遊びに来ない。久しぶりに姿を見せたカメちゃん。)3年ものの定期預金の満期が来た。今の預入先は店舗型銀行(M信託銀行)なので、今度満期が来る優遇金利よりはかなり劣る金利しか見込めないだろう・・と思っていた矢先に「担当者」か
原題は「かわいいファディット」。私がドイツ系作曲家(バッハ、モーツアルト、ベートーベン、ブルックナーなど)以外の天才と認める数少ない作曲家ショパンの愛人として知られるジョルジュ・サンド。いったいどんな小説を書いたのであろうか。これが意外とポカポカする暖か
高血圧/3週間ぶりに医者にかかったのだが、思いもかけぬ展開に
(博多座で「第三十回博多をどり」を鑑賞する)「第1次自然療法」のかいもなく、とうとう観念し高血圧治療のために医者にかかって3週間が過ぎた。医者から処方された降圧剤を飲んで気分が悪くなり、5日で降圧剤を飲むのをやめた。そして「薬に頼らない」、「第2次自然療
12月15日にやっと初めての年金が振り込まれた。若い時は年金などもらえるなど思いもよらなかったものである。仕事や人間関係に深刻な悩みを抱え、どこかで早期リタイアし、世界を放浪し、お金が尽きたところで行き倒れ・・みたい捨て鉢の将来像を思い描いていた時期があ
「二都」とは、もちろんロンドンとパリのことである。ドーバー海峡をはさんだこの二つの国の首都で、フランス革命真っただ中に繰り広げられる生と死をかけたドラマが繰り広げられる。私は、もともとフランス革命には特別な興味があって、これまでさまざまな歴史書を読んだの
11月末の水・木で甘木(福岡)を小旅行した。そのときも、実は体調が悪かったのだが、その翌日の出勤日の金曜日は異常ともいえる体調の悪さだった。体が怠かっただけではない。へたすれば失神するのではないかと思われるほどの体調悪化だった。そこで翌日土曜日、ある実験
コロナ禍以前の定年前現役時代は、少なくとも年2回以上のペースで海外旅行へ行っていた。定年後のコロナ渦中では、京都や奈良などに少なくとも年1回は3~4泊程度の旅をしたものだ。それが・・これが老化ということか・・旅へ行く気力、それ以前に旅の計画を練る元気を次第
この小説の原題は「Great Expectations」である。これはむしろ「大いなる期待」とも訳すべき言葉で、そして、この物語から感じるとる意味合いは「大いなる幻影」とも言うべきものである。この小説に登場する多くの人物が「大いなる幻影」を抱いている。我らが主人公、ピップ
ここ1、2か月の高血圧の「自然治癒」がほとんど効果がなかったことが判明したことは前に書いたもう命を守るためには、医者、クスリに頼るしかない・・そう観念し近所の循環器・内科に見てもらうことにした。私が内科系の病院に行くのは、30年ぶりぐらいではなかろうか?
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先週土曜日に突然襲った右ひざの痛み。「魔法の注射」の効果もほとんどなく、日常生活がギリギリできるぐらいの生活が続いている。いったん膝を曲げ、それを延ばそうとするとき、激痛が走る。これもワニの祟りか、人をワニ呼ばわりした祟りなのか。膝を曲げる行為すべてで、
驚愕の人事異動のころから痛み出した足と右ひざの痛み。タイミングから考えて、もしかしたらストレス性のものかも知れない。その後GWからの有給休暇消化に入り実質リタイア生活。時間のほとんどを読書に費やすなど、安静にしていたのだが、この日は右ひざの痛みで目が覚める
退職届提出、退職面談も4月中に終わった。GW半ばの5/2は久しぶりの出勤日。この日はワニ上司が休みで、いわば留守番としての出勤。何と伸び伸びとした職場環境だろう。改めて私の大きな退職動機がワニ恐怖症によるものであることを実感する。さて、今後の事であるが・・
退職届を出した翌週明け、所属する部所のボスとの面談があった。直属の上司であるワニのN氏は、その爬虫類性を遺憾なく発揮して、感情をほとんど表さず淡々と私が手渡した「退職届」を受け取り、それをさりげなくボスであるM氏に手渡したのであった。N氏がワニなら、その上に
前の記事に書いたとおり、4/28(金)の昼前11時半頃「退職届」を直接の上司であるワニのN氏に手渡した。そして、その日は午後は半休を取り、職場近くの福岡市の中心街を彷徨する。正に彷徨(もしくは徘徊)であった。何を目的とするわけでもない「うろつき回り」。その
昨日4/26(金)、朝起きたらとても体がだるい。しかし今日午前中は外せない仕事があるのだ。例によってカウントナインで立ち上がるボクサーのようにベッドから立ち上がり、仕事に向かう。与えられた仕事を何とかこなした後、また仕事の方向性が掴めない虚無感が襲う。「
再雇用最終年で夢にも思わぬ驚天動地の人事異動。何とか自分をごまかしごまかし、爬虫類上司N氏のワニ・スペシウム光線攻撃をのらりくらりとかわしながら、4月分の異動後初の給料をもらった。この間、途中退職や高齢者雇用に関するYOUTUBEなどを随分見てきたが、(本当かどう
来年3月下旬までの再雇用期間最後の1年を迎えようとしている64歳のジイサンに対しての、明らかに異例な理不尽極まりない人事異動の言い渡し。その言い渡し直前まで、私のリタイアまでの道筋は何と見通しがよく、なんと平坦な道が連なっていたことであろう!残り1年、4年
発作的に「退職願」は書いたものの、これを何時提出したらいいかなかなかタイミングが掴みにくい。法律的には2週間前までとか、1か月間前とか、出来れば3か月間前とかいう情報もある。私の理想は9月5日で退職することだが、だとすれば3か月前の6月上旬に同日付けの退職願を
この新しい呪いのような職場に来て約1週間が経過した。時がたてば経つほど、早期退職の決意は固まる一方だ。この決断に至った要因は複合的なものである。しかし、たった一つの要因さえなければ、その他の理由を昇華して目をつぶって、もしかしたらあと1年頑張って、晴れて5
(ドナル・ライアン『軋む心』)4/1に新しい職場に初出勤。職場の近くに桜が咲いている。しかし、今年の桜ほど心ときめかないサクラは見たことがない。サクラの花は見ようによっては、寂しいものだ。それは、まもなく散ってしまうことを予感させる寂しさを裡に内包してい
(4年間、通勤で苦楽を共にしてきた自転車)私の理不尽極まりない人事異動の原因らしきものは分かった。もうこうなったら、転勤先で1年頑張りとおすしかない。何しろ私に与えられている雇用期限は、あと1年なのである。木曜日に転勤先の前任者から電話があった。最低限のすぐ
(今年は桜の開花が本当に遅い。3/27近くの公園でたった1本だけ花開いていた。)64歳の再雇用期間があと1年しか残っていないこのよぼよぼの老人に、なぜこの理不尽極まりない異動が言い渡されたのか・・この数日間胸塞がれる思いであった。心には、さまざまな疑念が
前の記事で「人事異動の荒波」について、第3者的立場で、サラリーマン人生の過ぎ去った回想として、やや上から目線で書いた。その「人事異動の荒波」が、まさかこの定年後再雇用4年を過ぎ、残り1年の64歳の老人を襲うことになるとは夢にも思っていなかった。職場の同僚の誰
多くの会社・組織が正に今、人事異動の季節に突入していると思う。我が職場も来月4月にかけて人事異動や昇任などの発表が控えているところだ。辛いことも多いサラリーマン生活で、私にとって特に辛い時期がこの人事異動の時期であった。サラリーマン生活も40年が過ぎようと
最近職場で驚いたことは、Y氏の突然の入院である。Y氏は私より1年先輩(65歳)、定年後5年の再雇用期間が今月末で切れる。そして以前書いたように、さる団体に再就職が決まっている。今Y氏は私と同じ短時間(週3日休)であるが、氏の再就職先はフルタイム勤務。「今更フ
あと1年と3週間ほどで定年後の再雇用5年を終え、晴れて仕事から解放されてリタイア生活に入ることができる。それを「解放」だと素直に感じるようになったのは、昨年ぐらいからだったと思うが、特に朝仕事に行くときにベッドから立ち上がるのが毎日とても辛く感じるようにな
私の職場では、60歳定年後65歳の年度末までの5年間は、普通に勤めていれば(1年ごとの契約更新はあるが)、再雇用がほぼ保障されている。しかし、それを過ぎれば全くのフリーとなり、こちらから何らかの行動を起こさなければ直ちに無職となるのである。私の場合、先日
ときどき私は同僚らに尋ねられることがある。「海外旅行で一番良かった場所はどこですか?」と。私は「ウイーンですかね」と答えることにしている。本当は「それはウイーン・中央墓地のベートーベンのお墓」と声を大にして言いたい所であるが、ベートーベンの本当の偉大さを
来年度も今の条件で働けることが決まった。再雇用最後の年、そしてサラリーマン人生最後の年になるのだが、振り返ってみて定年退職後この4年間、いったい私は何を成しとげてきたのだろう、・・という疑問に捕らわれることがある。家族がいれば、何らかのイベント・・例えば
(木曜日)朝体温を測ったら、久しぶりに37度割れ、36.9度であった。ところでこの「風邪」に罹って毎朝体験することは、大量の「タン」が出てくることだ。朝起きてティッシュ軽く5枚分ぐらいはこの排出の儀式が続く。熱は下がったが、足の痛みは相変わらずだ。足を引き
定年後再雇用として働き初めて3年あまり。この間、コロナ(だったと思う)による発熱、私の持病である季節性の足回りの関節痛などに襲われたが、仕事に支障をきたしたことはほとんどなかった。今回(月曜日)は最悪の事態となってしまった。体の異変の兆候は土曜日の朝、鼻の
今年度に入って、月2日ほど年休を取るようにしている。なにしろ定年後再雇用が保証されているのは来年度までの2年間なのだ。それまでに年休を使い切るためにはこれぐらいのペースで休みを取らないと消化できないのだ。基本毎週水曜日と土・日曜日が休みなので、丁度月の半
私の大きな人生の目標は、リタイア後の世界大旅行であった・・と過去形で書くべきか。58歳あるいは60歳でリタイアし、世界中を彷徨することは夢というよりは、確とした人生の最終目標とでもいうべきものだった。(だからこそブログタイトルは「HOUKOUの彷徨人生」なので
これまで読んできたオースターの作品は、総じて「個の悩み」を中心に描き出されていた。この作品は、複数の個性が、あたかも陰影に富んだ室内楽のように、葛藤を抱えあいながら、ぶつかり合い、時には和解し、微妙なハーモニーを響かせつつ展開していく。一つのグループは、
(「志摩の四季」隣にできた「グリーンピクニック糸島」のとてもきれいな花壇)若い時、そして少なくとも定年前までは、ゴールデンウィークという貴重な連休を少しでも有意義に過ごそうと務めていたものだ。国内旅行は宿泊代が高騰するので、基本車中泊で2~4泊の旅をしな
チェコの国民的作家・詩人でありノーベル賞を期待されながらも1938年に短い生涯を終えたカレル・チャペックの作品。とある病院での外科医とその友人である詩人、それにその病院に入院している「千里眼」氏の会話中に突然、重症患者が運び込まれてくる。外は大変な嵐・・
以前の記事で、財産を残すべき人がいないこの私が、いかにして生前お金を使い切ることができるのかについて考えたことを書いた。その方法としては、年間支出目標というものを決めて、それを期間内に使い切ろうというものだった。実はこれは今まで何回かやっていて、そのこと
いわゆる「ロリータコンプレックス」の語源となった『ロリータ』で有名なロシア出身の初期の作品。初期の作品であるが、すでに『ロリータ』(これは日本のノーベル賞候補といわれるM氏の作品に比べれば、その〇〇〇性も低く、文学的により純粋な作品と感じる)の緻密で装飾的
ネコ好きになって1年以上がたった。この間、家の裏庭には入れ替わり立ち替りいろんなネコちゃんたちが姿を見せた。孤独な一人暮らし老人にとっては、このネコちゃんたちは心を和ませてくれる良きお友達である。この間、裏庭に遊びに来た薄いサバ毛のネコちゃんが我が家裏庭に
(1)からの続き引き伸ばしに引き伸ばした「社会からの退出」の時期。「退職届の撤回」、定年、そして一年も続けばと思い再び始めた「定年後再雇用」の仕事も3年が過ぎた。我々の職場では65歳の年度末までは、一応「再雇用」としての仕事はほとんど保障されている。再雇
「訳者あとがき」で作者モディアノ(2014年ノーベル文学賞受賞)が語っている。<(幸福な思い出は別として)幼い時の思い出は、いつも断片的で奇妙なものです。>まして19歳の 孤独な女テレーズにとっては。彼女は小さい時、母親から「かわいい宝石」と呼ばれていた
4月の乗っ込みチヌシーズン(産卵のためクロダイが岸近くまで寄ってくるのだ)がやってきた。この間、お手軽釣り場でチヌを狙ったのだが不発に終わった。(そのかわりコノシロ大漁)ここはやはり、1回だけでもじっくりと本格的にチヌを狙いたい・・とやってきたのは、2年前ま
私の50歳代後半からの人生は、モラトリアム人生であった。「モラトリアム」・・今の若い世代には聞き覚えがない言葉かもしれない。本来は借金などの「支払い猶予」を意味する言葉であるが、我々の世代(60代前半)が学生だったころ、この言葉がその時代の社会現象を批判
ここしばらくオースターの「どん底からの再生」とも言うべき小説にはまっている。この小説はその数冊の本の中で最も感銘を受けた本だ。主人公ジンマーが落とし込まれた地獄は、愛妻ヘレンと二人の幼い息子が航空機事故であっけなく命を落とすという最悪の出来事だった。大学
(左からツワブキの葉、ツワブキの茎、ワサビ葉漬け)ワサビ葉漬けは懐かしい父の味である。父がどこから素材を手に入れていたものか、時々自分で作っていた。噛んだ瞬間、ピリッとする味わい。大人の味であるが、まだ小学生のころではあったのだが、その「大人の味」を嚙分
読了したその日、その部分を思い返すごとに何回も涙がにじんできた。それは219ページ、「青い目」をあれほど欲しがっていた黒人少女ピコーラが半狂乱の頭の中で自己と会話するシーンである。音楽で言えば人類最高峰のピアノ曲であるベートーベンピアノソナタ第31番第1楽
私自身の人事については、晴れて希望通り留任となったことは以前書いた。そのことを知ったとき、体調は芳しくなかったのだが、満開の桜のように晴れ晴れしさを感じたものだったのだが・・。(今は亡き父と母も心配そうに見守る)年度当初の仕事始めの日に必ず行っている儀式
若いころは、暑さ寒さもなんのその、ミゾレ降る中釣りをしていたこともある。しかし63歳ともなれば、そうはいかない。真冬はもちろん、この季節の気温上昇の天気予報にも、途中から寒風が吹くかもせれない・・ベッドで読書していたほうが快適ではないか・・歳を重ねるとと
私は独り身の63歳男性である。このまま生涯孤独であり続けるであろう。数十年間決定的な出会いがなく、還暦を過ぎたて今更「決定的な出会い」を期待するほど私は〇〇ではない。これは宿命だ。一つ残念な事は、使い残した資産を残してやりたいと思う人がいないということで