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自燈明・法燈明 https://blog.goo.ne.jp/jitou_houtou

日蓮をきっかけとして仏教への考察。またこの世界への考察についての「備忘録」として、このブログで自分の思考内容をまとめてみたいと思います。

斉藤 単己
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2019/11/04

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  • 五重の相対の考え方①

    前回の記事では立正安国論について、少し考えている事を書かせて貰いました。今回は「五重の相対」について考えている事を少し書いてみたいと思います。私は創価学会で活動していた頃には、教学は青年教学一級で、一応、青年部当時は「教学部長」なんてものもをやっていました。また創価班では「広宣部」もやっていたんですが、いずれも「創価学会の教義」という事について、自分自身、大きな信頼を置いていたのです。でも壮年部になり、実際の組織運営とその活動内容に疑問を持ち、組織とも軋轢があった中で活動を止めた訳ですが、活動を止めて組織に気兼ねなく教学関係を学び直してみると、この創価学会の教学がけっこう「グズグズ」である事が理解出来たのです。壮年部になると青年教学1級は教授という教学部の呼称になるのですが、私の場合、当時の幹部に活動を止...五重の相対の考え方①

  • この時代に立正安国論について考えてみた⑦

    さて、立正安国論についてここまで考察を交えながら書いてきました。一つ言える事ですが、日蓮の立正安国論とは鎌倉幕府に対する諌暁の書ではありますが、そのままその内容を読み解いても現代には意味が無いと言う事です。また立正安国論とは諌暁の書ではありますが、日蓮の教学を明かしたものでもありません。だから教学として学ぶには、少し異質な御書だと私は思うのです。鎮護国家の仏教とは、平安時代までの公家や朝廷の仏教観であり、日蓮が生涯、人々の間で布教する鎌倉仏教の考え方とは異なるものなのです。考えても見て下さい。日蓮が立正安国論で仁王経、金光明経、法華経を多用したのは何故なのか。それはこれら経典が「鎮護国家三部経」であるからです。つまり日蓮の立正安国論は鎮護国家の考え方に基づいて、そこに天台教学の考え方である法華経最大一によ...この時代に立正安国論について考えてみた⑦

  • この時代に立正安国論について考えてみた⑥

    立正安国論を読み返していますが、ここで一番大事な事と思うのは「日蓮に拘泥しない」という事でしょう。日蓮正宗では日蓮を「末法久遠の御本仏」と呼び、釈迦よりも「根源仏」として捉えています。また創価学会では近年になり、日蓮を「本仏」とは呼ばなくなりましたが、永遠の指導者の池田大作氏の言葉を「金言化」する為の裏付けの様に考えています。しかし考えても見て下さい。日蓮が生きた鎌倉時代は、現代とは比べ物にならない位に世界観は小さく、日蓮が当時参照出来た資料というのは現代に比較すると、極めて偏っています。何が偏っているかと言えば、彼の人が参照出来たのは、せいぜい当時の日本国内にある仏教関連の資料程しかなく、そこから紡ぎ出される考え方というのも、それ相応の範囲でしかありません。その日蓮の言葉を「御金言」として崇めたとして、...この時代に立正安国論について考えてみた⑥

  • この時代に立正安国論について考えてみた⑤

    さて立正安国論に話を戻します。日蓮が「経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す」と言った「正・悪」について書き連ねていきます。日蓮正宗もそうですが、創価学会もこの「立正安国論」の講義集を出版しています。しかしいずれの講義集についても「我田引水」の内容で、自宗派の正統性を述べるだけの講義であり、何らこの立正安国論を換骨奪胎するに至っていません。これはとても残念な事です。これでは日蓮が誤解されても致し方無いと言う事です。立正安国論の中では、この「悪」の権現として「法然」を取り上げています、曰く。「誰人を以て悪比丘と謂うや委細に聞かんと欲す。主人の曰く、後鳥羽院の御宇に法然と云うもの有り選択集を作る即ち一代の聖教を破し�く十方の衆生を迷わす」この悪人の理由としては、法然の著した「選択集」では「法華経」について...この時代に立正安国論について考えてみた⑤

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