ぶらりふるさと地名考「河東」河東地区は播磨国風土記にある石作里にあたる。石作里は地区最南部の須賀沢を除く北部(揖保川西側沿いの神野地区を含む)一帯を指すと考えられている。同風土記には、安志川流域(現在の姫路市安富町)に安志(師)里は、もとは須加ともいい、安志里の一部として須賀沢があったようである。中世には、石作庄と呼ばれ安楽寿院領鳥羽分があったが、早い段階で宍粟郡の武将広瀬宇野氏により横領されその権益地の一つであったとされている。河東地区図河東村のこと江戸期以前より河東道(揖保川東岸)が北部に通じており、一宮町までに二カ所(釜ケ岨、高岨)に川と断崖にはさまれ洪水の被害を受けやすい難所があった。江戸時代初期に山崎中心部から揖保川西岸を通る道路(現在の国道29号線とほぼ同じ)が作られた。明治22年(1889)...ぶらりふるさと地名考「河東」