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播磨・美作・備前の守護職として君臨した赤松氏とその一族の城跡と赤松氏の宿敵山名氏をはじめ毛利氏・尼子氏等の戦国大名の城跡を紹介していきます‼
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117回 / 27日(平均30.3回/週)

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タケネットさんの新着記事

1件〜30件

  • もみじ情報11月12日(火)

    もみじ情報11月12日(火)宍粟市山崎町ここ1週間でかなり色づいてきました。プレイベント11月16(土),17日(日)はいい状態と思います。▲もみじ山登り口付近もうそろそろ▲池から見たもみじ山西斜面▲もみじ山中心部(ベンチ付近)少し色ずく▲▼日当たりのよい上部南斜面いい感じになりました。▲▼もみじ山頂上部の東屋付近少し色ずくもみじ情報11月12日(火)

  • 地名由来 「塩山・大沢」 

    地名由来「塩山・大沢」宍粟市山崎町閲覧数4,385件(2010.1.25~2019.10.31)山崎町土万地区内■塩山(しおやま)千種川支流の支流志文川の上流域、播但中央山地南西部。【近世】塩野村江戸期~明治12年の村名。元禄(1688~1704)以前に銀山村を分村。慶長国絵図に「塩之町」「塩之村」がみえる。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、播磨国宍粟郡のうち。元和元年(1615年)宍粟藩領、慶安2年(1649)年幕府領。明和6年(1769)尼崎藩領、文政11年(1828)幕府領となり幕末に至る。幕府領となってからは、同じ宍粟郡内の安志の塩野村(現安志の塩野村(現安富町)との混同を避けるため「三河塩野村」と注記された。旧高旧領取調帳には西塩野村とみえ、幕末から明治初年の間に村名の改称があった。...地名由来「塩山・大沢」

  • 地名由来 「土万・葛根」 

    地名由来「土万・葛根」宍粟市山崎町閲覧数1,163件(2010.1.21~2019.10.31)土万地区内■土万(ひじま)播但中央山地の南西部、千種川の支流志文(しぶみ)川の中~上流域に位置する。地名の由来は、播磨風土記で伊和大神の神衣が土(地面)に着いたことによるという。※泥のことをヒジといい、泥の多い湿地帯であったとされる【中世】土万中世は土万郷に含まれていた。【近世】元禄(1688~1704)以前に今出(いまいで)村を分村。慶長国絵図に村名がみえる。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)山崎藩領、慶安2年(1649)幕府領、元禄10年(1697)三日月藩領となり、幕末に至る。神社は松尾神社。【近代】土万村明治12年(1879)今出村を合併。明治22年~現在の大字。はじめ...地名由来「土万・葛根」

  • 地名由来 「土万、菅野」

    地名由来「土万、菅野」宍粟市山崎町閲覧数2,992件(20090.12.7~2019.10.31)土万(ひじま)村と菅野(すがの)村の地名由来■土万:播但中央山地の南西部、千種川の支流志文(しぶみ)川の中・上流域に位置する。【古代】土万郷奈良期~平安期に見える郷名。「和名抄」播磨国宍禾郡(しさわのこおり)八郷の1つ。東急本は、「土方」とする。高山寺本の訓は「比知末」。「風土記」宍禾郡七里の1つ柏野里(かしわのさと)のうちに「土間村」が見え、地名は神衣が土(地面)に着いたことによるという。※この説明はわかりづらいが、泥のことをヒジといい、泥の多い地であったとされる。【中世】土万村鎌倉期~室町期に見える村名。宍粟郡佐用(さよ)荘のうち。建長2年(1251年)11月日の九条道家惣処分状に「播磨国佐用荘内東庄・西庄・本...地名由来「土万、菅野」

  • 秋の播州 清水寺を歩く

    11月11日(月)播州清水寺を訪れました。午前中は時折晴れ間も見られ、色づき始めた紅葉に映える古刹をゆっくり見て回りました。播磨の古刹播州清水寺中世の播州は室町初期南北朝の時代、赤松円心とその息子等の活躍がありましたが、このお寺には、円心の4男氏範の墓が残されています。南北朝期、赤松円心の息子の氏載のみが南朝方に組みし、幕府方の細川頼元や山名氏の追悼により、氏範の子息と一族郎党100名余りが、この寺で自害しました。そして氏範の甥の惣領家赤松義則によって厚く葬られたという。このことについて少し探ってみると、この義則の姉又は妹が討伐軍の細川頼元の正室になっているので、細川頼元は正室の叔父を討ったことになります。応安4年(1372)義則は、父則祐の死により家督を継ぎ、元中3年/至徳3年(1386)南朝方に固執し討伐さ...秋の播州清水寺を歩く

  • 昭和の風景 「林業試験場」

    昭和の風景「林業試験場」山崎町鹿沢閲覧数1,110件(2011.8.18~2019.10.31)昭和40年(1965)頃の林業試験場兵庫県立林業試験場(山崎町鹿沢)現在は、五十波に移転写真:「やまさき十周年記念号1965」より昭和の風景「林業試験場」

  • 昭和の風景「営林署」

    昭和の風景「営林署」山崎町今宿閲覧数1,083件(2010.1.17~2019.10.31)昭和40年(1965)頃の山崎営林署現在は、兵庫森林管理署と改称されています。昭和の風景「営林署」

  • 地名由来「上ノ・小茅野」

    地名由来「上ノ・小茅野」宍粟市山崎町閲覧数1,823件(2010.1.17~2019.10.31)山崎町蔦沢地区内■上ノ村(かみのむら)揖保川の支流伊沢川の上流域。伊沢川の中流以北の地域を都多谷と呼ぶが、中世の都多村でもあって、地形上からも一地域を形成している。地名はこの地域の最北部を占めることによる。【近世】上ノ村江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。江戸期は都多上ノ村・上野村とも書いた。慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)では「阿波田村」とも見え、当村の別称とも思われる。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領(姫路藩預り地、京都代官所支配、三日月藩預り地、大坂谷町・生野各代官所各支配)、明和6年(1769)摂津国尼崎藩領、のち再び幕府領(大坂谷町、生野、再び大坂...地名由来「上ノ・小茅野」

  • 地名由来 「中野」

    地名由来「中野」宍粟市山崎町閲覧数1,533件(2010.1.19~2019.10.31)山崎町蔦沢地区内■中野(なかの)揖保川の支流伊沢川の中流域。地名は、伊沢川中流以北の都多谷(都多保)と称する地域の中央部に位置することによる。【近世】中野村江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。江戸期「都多中ノ村」とも書いた。慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)では、「末友」と見える。当村内に「実友株」と呼ぶ地があり当村の別称と思われる。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは山崎藩領、延宝7年(1679年)からは幕府領(林田藩・姫路藩預り地、京都代官所支配、三日月藩預り地、大坂・生野・倉敷各代官所支配)。地内の隣保名の一つに紙屋が現存し、紙漉きが行われていた名残と思われる。紙漉き業3軒。元禄6年(1693)の宍粟郡...地名由来「中野」

  • 地名由来 「大谷・東下野」

    地名由来「大谷・東下野」宍粟市山崎町閲覧数1,303件(2010.1.28~2019.10.31)山崎町蔦沢地区内■大谷(おおたに)竹ノ内とも称する。揖保川の支流伊沢川中流左岸に位置する。【近世】大谷村江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは宍粟藩領。延宝7年(1679年)幕府領、元禄10年(1697)からは三日月藩領。竹ノ内村とも記される(「下村家手控帳」下村家文書)。当村は、上牧谷村の項に本村分(上牧谷村)と大谷村分が記載され、当村は上牧谷村からの分村であることがうかがわれる。神社は、須賀神社。明治22年蔦沢村の大字となる。【近代】大谷明治22年~現在の村名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和40年県道塩田一宮線改修に伴い。大谷橋が完成。■東下...地名由来「大谷・東下野」

  • もみじ情報11月10日(日) 

    もみじ情報11月10日(日)最上山もみじ(宍粟市山崎町元山崎)もみじ山の頂上部の日当たりの良いところが色づきましたが、頂上部の奥の東屋付近、南斜面のベンチのある周辺がまだ緑のの状態です。PM13:00もみじ情報11月10日(日)

  • 昭和の公共機関 「保健所・診療所」

    昭和の公共機関「保健所・診療所」閲覧数982件(20108.20~2019.10.31)昭和40年(1965)当時の県立山崎保健所と国保直営診療所◆兵庫県山崎保健所◆蔦沢診療所◆土万診療所昭和の公共機関「保健所・診療所」

  • 昭和の公共機関「福祉事務所」

    昭和の公共機関「福祉事務所」閲覧数962件(2011.8.18~2019.10.31)昭和40年(1965)頃の宍粟福祉事務所兵庫県の出先機関平成の合併により宍粟市ができるまであった。この跡地は宍粟防災センター北駐車場となっている。昭和の公共機関「福祉事務所」

  • 地名由来 「片山・下牧谷・上牧谷」

    地名由来「片山・下牧谷・上牧谷」宍粟市山崎町閲覧数2,596件(2010.1.18~2019.10.31)山崎町蔦沢地区内■片山(かたやま)揖保川の支流伊沢川の中流左岸に位置する。【近世】江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。もと下牧谷の一部。下村氏手控帳(下村家文書)に「下牧谷ノ内片山村」とみえ、下牧谷本村の項には「寛文八戊申ヨリ村二ツ成」とあり、寛文8年(1668)下牧谷から片山村が分村したことが記される。寛文8年以降山崎藩領として幕末に至る。当村では紙漉きが行われた家は5軒ほど。神社は、片岡神社。寺院は、日蓮宗法蓮寺。明治22年蔦沢村の大字になる。【近代】片山明治22年~現在の大学名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。■下牧谷(しもまきだに)揖保川の支流伊沢川中流右岸に位置する。【近世】...地名由来「片山・下牧谷・上牧谷」

  • 地名由来 「生谷・下町・宇野」

    地名由来「生谷・下町・宇野」宍粟市山崎町閲覧数1,338件(2010.1.15~2019.10.31)山崎町蔦沢地区内■生谷(いぎだに)揖保川の支流伊沢川の下流域に位置する。生谷の生を「いぎ」と発音するのは事の始まりを意味し、蔦沢村の始まる地に立地するのが村名の由来といわれる。【近世】生谷村江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは山崎藩領。安政年間(1854~60)から紙漉(かみすき)が行われ、藩に御用紙を納めている。職人は伊予国から招いたという。神社は、岩淵神社。明治初年生谷温泉開設。明治22年蔦沢村の大字となる。【近代】生谷明治22年~現在の大学名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和30年生谷温泉を再開したが、のち不振で閉鎖。平成9年山崎町が主...地名由来「生谷・下町・宇野」

  • 地名の由来 「杉ケ瀬・木ノ谷・母栖」

    地名の由来「杉ケ瀬・木ノ谷・母栖」宍粟市山崎町閲覧数3,446件(2010.1.13~2019.10.31)山崎町神野地区内■杉ケ瀬(すぎがせ)「すいがせ」ともいう。揖保川の中流左岸に位置する。同川の支流母栖谷川(もすだにがわ)が本集落で本流に合流する。【中世】杉瀬室町期に見える地名。播磨国宍粟郡のうち。中世には神戸庄(神戸郷)に含まれていた。永禄・享徳(1429~55)頃のものとみられる年月日不詳の神戸本所・半済各々注文(伊和神社文書)に、「一、杉瀬」と見え、当地は伊和神社領であったが、伊和神社と地頭とで半済が行われていた(伊和神社文書)。【近世】杉ケ瀬村江戸期~明治22年の村名。宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領、元禄元年(1688年)からは三日月藩領...地名の由来「杉ケ瀬・木ノ谷・母栖」

  • もみじ情報11月9日(土)

    もみじ情報11月9日(土)最上山公園(宍粟市山崎町元山崎)午前10時好天気風もなく暖かい。登り口の正面の紅葉が色づき始めました。出店のテントの設営が始まりした。午後5時過ぎライトアップが始まりました。もみじ情報11月9日(土)

  • 長源寺の紅葉

    宍粟市波賀町引原音水湖(引原ダム)の湖畔にある真言宗長源寺に立ち寄ってみました。秋の深まりとともに、もう少し楽しめそうです。長源寺の紅葉

  • 一枚の写真「精霊流し」

    一枚の写真「精霊流し」揖保川十二ン波にて閲覧数1,302件(2012.11.17~2019.10.31)▼昭和初盆に揖保川に小舟を浮かべて死者の魂を弔い送る精霊流し▲平成写真:F氏より提供一枚の写真「精霊流し」

  • 昭和の風景「山崎インター南」

    昭和の風景「山崎インター南」宍粟市山崎町下広瀬閲覧数929件(2011.8.11~2019.10.31)昭和37年国道29号線工事中。現在の昭和自動車前から南を望む。道は左にカーブし山崎大橋に続く。枠内下部の写真は昭和59年のもの山崎大橋昭和40年4月10日開通(昭和38年10月着工)「山崎町議会200回のあゆみ」より昭和の風景「山崎インター南」

  • 地名由来 『与位・清野』

    地名由来『与位・清野』宍粟市山崎町閲覧数1,759件(2010.1.12~2019.10.31)山崎町神野地区内■与位(よい)揖保川の中流右岸に位置し、集落を揖保川支流の頃谷(ころだに)川と高尾川が流れる。式内社の与位神社がある。【近世】与位村江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領、元禄10年(1697年)からは三日月藩領。永禄-享徳(1429~55)頃のものとみられる年月日不詳の神戸(かんべ)本所・半済(はんせ)各々注文(伊和神社文書)に、本所として、「ころたに」と「与位」がみえる。特産物は茶・楮(こうぞ)・紙・薬草。地内高尾山では木材の伐採やたたら製鉄が行われた(播州宍粟郡誌)。天保7年(1836年)当村と田井・清野・岸田・...地名由来『与位・清野』

  • 地名由来 「五十波・田井」

    地名由来「五十波・田井」宍粟市山崎町閲覧数2,111件(2010.1.8~2019.10.31)山崎町神野地区内■五十波(いかば)播但中央山地の通称宮山の南麓、揖保川と支流梯川の合流付近。地名の由来は、揖保川の川波の多いことによるとも考えられるが、「風土記」石作里の条に伊加麻川(いかまのかわ)がみえ、イカマがイカバに転訛したとする説がある。【中世】いかは戦国期に見える地名。天正8年(1580年)頃と推定される正月28日の丹波守澄忠書状は「五ミやう・〈河東〉とう田・〈川西〉いかは・いせ・石作、此外所々惣御門徒衆中」に宛てられており、これは石山合戦の際に石山本願寺から宍粟郡の真宗門徒に寄せられたものである(願寿寺)。【近世】五十波村江戸期~明治22年の村名。宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)山崎藩...地名由来「五十波・田井」

  • もみじ情報11月8日(金)

    今日から、最上山公園もみじの紅葉情報をお届けします今年は、10月の冷え込みが弱く、11月3日(日)に宍粟市波賀町の紅葉まつりがありましたが、残念ながら紅葉の色づきはあまり良くありませんでした。最上山公園のもみじは、昨年に比べて、4・5日遅れているようです。しかし11月になり、冷え込みが始まりましたので、イベントの11月23日(土)、24日(日)には間に合うと思います。ここ3日の間の冷え込みで、日の当たる部分が色づき始めました。もみじ情報11月8日(金)

  • 長水城主 宇野氏の最期

    長水城主宇野氏の最期宍粟市山崎町閲覧数5,279件(2014.4.14~2019.10.31)羽柴秀吉軍により長水城が落城し、城主宇野祐清(すけきよ)と父政頼は美作方面に逃げたと『播州宍粟守令交代記』『播磨鑑』はじめ軍記物等に書き残されている。その理由は宇野祐清の弟が新免氏の養子になっていることから、その血縁を頼って美作にある竹山城(美作市下町)に向かったというのである。▼宇野氏一族の落城後の逃走ルート(推定)しかし、美作の竹山城主とされる新免弾正左衛門は天正5年(1577)12月にすでに人質を秀吉に差し出している。『新免文書』。これにより新免氏は信長より吉野・佐用・八頭郡の所領が安堵されたという。長水城が落城した天正8年(1580)頃には、織田方につき、宇喜多氏とともに毛利氏と戦っていたとある。『美作古簡集』...長水城主宇野氏の最期

  • 昭和の風景「須賀沢3」

    昭和の風景「須賀沢3」宍粟市山崎町閲覧数1,712件(2011.8.12~2019.10.31)昭和40年頃の山崎家畜市場(山崎町須賀沢)この市場で多くの牛が取引されてきました。現在は、やすらぎホール山崎があります。写真:「やまさき十周年記念号1965」より昭和の風景「須賀沢3」

  • 地名由来「須賀沢2」

    地名由来「須賀沢2」昭和38年須賀沢の今昔右に曲がると津田ストアーがある写真:「写真で見る郷土史やまさき」より平成初期現在地名由来「須賀沢2」

  • 昭和の風景「須賀沢1」

    昭和の風景「須賀沢1」宍粟市山崎町閲覧数1,661件(2011.8.12~2019.10.31)昭和38年(1963年)頃の須賀沢国道の整備前の須賀沢(安志峠を望む)約50年後写真・説明:「写真で見る郷土史やまさき」より昭和の風景「須賀沢1」

  • 昭和の風景「町営住宅(横須・段」

    昭和の風景「町営住宅(横須・段」宍粟市山崎町閲覧数903件(2011.8.22~2019.10.31)山崎町の横須町営住宅昭和41年横須町営住宅15戸が建設されました。段町営住宅昭和32年段町営住宅が20戸建設されました。写真・説明:「やまさき40周年記念号1965」より昭和の風景「町営住宅(横須・段」

  • 地名由来「三津・梯」

    地名由来「三津・梯」宍粟市山崎町閲覧数1,383件(2010.1.7~2019.10.31)山崎町神野地区内■三津(みつづ)揖保川中流右岸、同川とその支流伊沢川との合流点北側に位置する。【近世】三津村江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)には、「水須村」と見える。年月未詳の播磨国石作庄年貢・段銭等算用状(九我家文書)に「ミツ丶」の名主の名がみえ、「上ミツヽ」とも記されている。当村の特産物は木綿・薬草(※茯苓)。なお願現寺とみられる官弦寺(かんげんじ)の小字が今も残る。寛保年間(1741~44年)~宝暦年間(1751~64年)にかけて対岸三谷村の志ゆうせん川原で砂鉄の採取が行われ、当村の官弦寺でそれを原料として蹈鞴(たたら)製鉄を行った(山崎町史)。今も製鉄跡を物語る鉄滓の撒...地名由来「三津・梯」

  • 地名由来「岸田・野々上」

    地名由来「岸田・野々上」宍粟市山崎町閲覧数1,542件(2010.1.6~2019.10.31山崎町河東地区内■岸田(きしだ)揖保川中流左岸に位置する。地名の由来は、沖積地の耕地化以前は、河岸段丘上が主たる農地であったため、岸(段丘)の田という意で命名されたと伝える。天正8年(1580年)頃と推定される正月28日の丹波守澄忠書状は「五ミやう・〈河東〉とう田・〈川西〉いかは・いせ・石作、此外所々惣御門徒衆中」に宛てられており、これは石山合戦の際に石山本願寺から宍粟郡の真宗門徒に寄せられたものである(願寿寺)。このうち、とう田は現在岸田の小字名として残る。【近世】岸田村江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。慶長国絵図に村名が見える。神社は、八幡神社。同社は文政11年(1828年)隣村五十波村から勧請したとい...地名由来「岸田・野々上」

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