桜をはじめ色んな花が開花し、暖房からも解放されて、息吹を感じる季節になって来た。5年前のこの時季、桜の咲く烏山線に「しらかみ」が現れた。未掲載の写真があったので、掲載する。今も現実離れの感じがするのは全くの想定外だったからだろう。
鉄道写真を撮っています。 きっかけは、今のうちに撮っておこうと思った北斗星やキハ40。 鉄道にもカメラにも特に興味がある訳でもないのですが、なぜか今も日常生活の中で撮り続けています。
昨日10月30日、「華」の営業運転が終了したとか。初めて「華」を見たのは、桐生市内で車を運転中だった。前方の両毛線のガードの上を、栃木方面に通過して行った。帰宅して、検索して「華」だと知った。その後、臨時列車として何度か宇都宮線を走るのを知り、できる限り撮り
10月は、身近な所では撮りやすい時間帯には臨時列車が走らず、やむを得ず、鉄道開業150周年にかかわるブログを中心に書いた。そんななかで、わずかに貨物の定期運行で通過するEF66を 何度か撮った。
上毛電鉄は前橋と桐生を結ぶ路線で、昭和3年に開通した。渡良瀬川橋梁は、157メートルの鉄筋コンクリートの橋だが、平成19年に国登録有形文化財になった。写真を撮ったのは平成17年。文化財になるとわかっていれば橋をメインの写真を撮っていたかもしれない。この時は橋には
駅舎の開業は1921(大正10)年だという。検索したが改築の記載がないので、おそらく開業以来の駅舎なのだろうと思う。あちこちで見かける感じの駅舎なので、写真は撮っていない。駅の近くの倉庫が、廃屋として存在感がある。周りは関東平野の穀倉地帯なので、米俵が積まれてい
隅田川にかかる総武線の鉄橋。長さは172m。総武線を両国からお茶の水に延長するときに架けられた。1932年竣工。橋の近くの両国駅。1929(昭和4)開設。それまでターミナル駅だった両国橋駅が、昭和6年に両国駅と改称された。そんな訳で、この駅舎は鉄道開業以来のものではない
1929(昭和4)年、東武日光線開設に伴い架橋された。長さ652m、14スパン。利根川は埼玉県と群馬県の県境を流れているが、ここは両岸とも埼玉県になっている。北岸も埼玉県になっているが、そこにある駅名は茨城県古河市にちなんだ新古河駅。利根川鉄橋北岸の築堤(埼玉県北川
修学旅行の臨時列車を撮ろうと陸橋の北側にいた。通過して間もなく宇都宮に向かうEF66の貨物列車が来る。EF66狙いの撮影者が陸橋の南側に待機している。陸橋を行き交う車の合間を縫って南側の狭い撮影ポイントに移る気にもなれなかったので、変なアングルだが、しかたがない
1920(大正12)年、寄居への鉄道延伸開業に伴い架設された。1929(昭和4)年、電化の際に橋脚に架線柱が追加された。橋付近は玉淀と呼ばれる場所で、深い渓谷になっている。2017年10月撮影
烏山線の荒川橋梁も開業以来のものだろう。烏山線の鉄道唱歌にも登場している。「森田に聞こえし発電所 小塙をすぎて荒川の ながれにわたす鉄橋に かかれば音のかまびすし」発電所はたぶん今は無くなっているのだろうが、この近くでクジラの化石が出てきたことがあるらし
明知鉄道の岩村駅は、1934(昭9)年に開業した。駅の沿革に改築の記載がないので、おそらく駅舎は開設当時の姿をとどめているのだろう。鉄道模型にしたくなるような風景だ。島式ホームが駅舎とずれた位置にあり、構内踏切で結ばれている。廃止した腕木式信号機が操作できる状
撮影地の陸橋の反対側にはEF66狙いの撮影者が5~6人。相変わらずの人気だ。こちら側はたいていは誰もいないのだが、今回は珍しく先客が1人。やはり団臨狙いなのだろうか。前回空ぶったのでちょっと不安だったが、やって来た。コロナ禍で奪われていた修学旅行が復活したのは喜
長良川鉄道の郡上八幡駅。1929(昭4)年、越美南線開通と同時に開業した。本屋、跨線橋、玉石積みプラットホーム、ホーム待合所が国の文化財に登録されている。はるばる訪れたのだが、運悪く小学生の団体と一緒になってしまった。落ち着いて撮影できる状況ではなく、タイミン
真岡鉄道の五行川橋梁。1894年竣工と推定される元々は幹線で使っていた橋だが、1913年に真岡線に転用された。ほぼ開設以来と言っていいだろう。我が国の鉄道草創期の歴史的価値のあることから、土木遺産に選奨されている。・2015年6月撮影
手持ちの写真の中で鉄道開業以来のものを探してみる。東武伊勢崎線の煉瓦台橋梁があった。正式名称は備前前堀川橋梁と言うらしい。宮代町の街歩きマップによると「東武鉄道の鉄道橋の橋台や橋脚に煉瓦が使われた。この煉瓦は東京駅の煉瓦と同じもので、渋沢栄一が設立した日
今日は鉄道記念日なのだそうだ。鉄道唱歌にも歌われている新橋を、汽車が発車してから150年の歳月が流れた。鉄道開業にかかわる手持ちの写真が何かないか探してみた。昔ながらの駅舎の写真を当たってみたが、すべて改築されたものだった。トンネルなら開業以来だろうと探して
この日は、久し振りに四季島を撮りに行った。通過するだろう時刻を見計らって出向いたのだが、空ぶった。予想以上に早く、通過していたらしい。そうとは知らずに待っていると、機関車の前照灯が見えた。やってきたのはEF81。EF81の単行はあまり見かけなかったので、空振りに
東京方面への団臨を待っていると、宇都宮方面への貨物列車が来た。この貨物列車は、たいていFE66かEF210がけん引している。撮影地の陸橋の反対側には、このEF66狙いの撮影者が数人いた。こちら側でひとり団臨を狙うつもりでいたが、空ぶった。
今日の朝刊にも出ていた。もうすぐ鉄道開業150年になるそうだ。撮り鉄の真似事を始めてまだそれほどの年月ではないが、手持ちで一番古い写真は何か確かめてみた。数年前に何かの本からスキャンした烏山駅の写真が、最も古そうだった。特別な日ではなく、日常の通勤風景。降車
昨日宇都宮線沿いの道を走行中、ミュートレインが後ろから来て下って行った。ゆっくりした走りだったので、写真に撮りたい誘惑にかられたが、運転中なので自重した。情報に疎いので、ミュートレインの写真は偶然撮ったものばかりで数少ない。その中から秋のものを1枚。
今年は鉄道開業150周年なのだそうだ。鉄道開業の38年後に開設されたJR宇都宮線の白岡駅は、昨年111周年を迎えたということで、白岡駅舎の鉄道模型が展示されていた。大正から昭和30年頃までの白岡駅の姿だそうだ。全景がうまく映らなかったので、3分割で。右側が上野方面。タ
毎日宇都宮線を行き来している電車。この電車の運行は、日常風景そのものになっている。沿線の風物が季節の色どりを添える。撮影地・白岡陸橋
秋の田園を往く特急きぬがわ。コロナ禍でもずっと走って来たが、客足は戻ったのだろうか。ちょうど逆光で画面が暗くなってしまった。
EF66。撮影地では時々この列車狙いの撮影者を見かける。少し前までは、修学旅行列車とすれ違っていたが、最近はE257系を見かけなくなった。修学旅行の季節はもう過ぎたのだろうか。EF66ー100番台。前灯、標識灯が角形の2次車。検索すると、2019年ダイヤ改正以降、宇都宮貨物
東武伊勢崎線と言えば真っ先にこの車両が頭に浮かぶ。長年馴染んできた車両が、廃車回送されるのには惜別の情が湧く。
いつも宇都宮線を行き交っている金太郎。見かける確率が最も高いのは、この金太郎の貨物列車か。その気になればいつでも撮れる貨物列車ではあるが。EH500-60。仙台からやってきたのだろうか。
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桜をはじめ色んな花が開花し、暖房からも解放されて、息吹を感じる季節になって来た。5年前のこの時季、桜の咲く烏山線に「しらかみ」が現れた。未掲載の写真があったので、掲載する。今も現実離れの感じがするのは全くの想定外だったからだろう。
先日の東洋経済に「久喜周辺には何があるのか」という記事があった。「東武スカイツリーラインの電車に乗ると、終着駅は南栗橋か久喜、寝込んでしまうとそのどちらかの駅まで行ってしまう。東武動物公園駅から伊勢崎線に入ると久喜になる。どちらがマシかというと、久喜のほ
令和5年8月26日宇都宮ライトレールが開業した。交通渋滞緩和などの必要性から、何もないところから計画し開業した日本初のLRTだ。開業以来数件の交通事故が発生したものの、平日利用者は1日平均1万3千人で、予測を上回る順調さだという。開業初日に早速撮り鉄し、ある程度
東北線・高崎線・宇都宮線と王子を走る在来線電車が出そろった光景。こちらは新幹線。E4系とE5系か。そしてこちらは金太郎けん引の貨物列車。
今朝の東洋経済に標記の記事があった。首都圏屈指の通勤路線東武東上線は、池袋・寄居間の75㎞。ただし、都心からの直通は小川町駅まで。さらにその先10㎞は単線となって寄居まで続く。途中、鉢形城、玉淀などを経て終点の寄居駅に着く。この駅は、秩父鉄道、JR八高線の駅で
今朝読んだ「東洋経済」の記事に「寝過ごすと大変な駅・南栗橋」があった。南栗橋は首都圏では意外と知られている。通勤電車の多くが、車両基地のあるここを行先としているからだ。周りは住宅や田畑なので、「寝過ごすと大変な駅」としてエピソードも多い。その駅の近くに車
今年は高崎線開業140周年だとか。開業時は上野・熊谷間で、駅は上野・王子・浦和・上尾・鴻巣・熊谷の6駅だけだったという。なぜ王子なのかについては、日本初の洋紙工場があったからだそうだ。現在の王子駅。右の森は飛鳥山。左遠方にスカイツリー。飛鳥山には渋沢栄一の邸
犬山城の天守閣から東方面を眺めると、名鉄の鉄橋が見えた。結構電車が行き交っている。時々、電車が橋の手前で信号待ちで止まっている。近くに駅があるという雰囲気。赤い電車は6000系か。こちらは快速特急1200系?もう少しじっくり撮りたかったが、他の客の迷惑になりそう
烏山線は今年開業100周年に当たる。キハ40撤退を知ってから、何度も撮り鉄に行った馴染みの路線でもある。その都度、四季の移り変りを実感させる光景を現してくれた。4月、山桜が咲いていた。、
先日205系「いろは」解体の記事を見た。「いろは」は2018年から2022年3月までJR日光線で、観光客用に運行されていた電車だった。臨時列車として宇都宮線も何度か走ったので、その時撮り鉄した。臨時列車として身近なところを走った電車が、ここのところ立て続けに消えていく
コロナ以前と比べるとイベント列車の運行も車両の種類もだいぶ減ってしまった。
雨が降ったりやんだりで、撮り鉄する気はなかったのだが、いつの間にか日差しが出ていた。ならばと家を出て撮影地に向かう。途中の踏切で下り電車が去ったあと、すぐに同じ方向からの矢印が出て、遮断機が下りた。もしかしてと思ったら機関車が見えた。
本当はもっと菜の花を入れて撮りたかったのだが、出遅れて人垣の後方になってしまったのでやむを得ずの構図。ついてすぐSLがきて、ピントも合わず。撮れただけラッキーの写真。
2019年の今日、リゾートしらかみが烏山線を走った。アキュムとの並び。こんな光景は思ってもみなかった。沿線は、キハ40のラストラン以来の賑わいとなった。烏山線は今年開通100周年を迎えるという。こんなサプライズが実現するといいのだが。
以前名古屋駅に降り立たのはいつだったかはっきりした記憶がない。その時の駅舎がどうだったのかも覚えていない今の駅ビルが完成したのが1999年なので、少なくとも20数年以上来ていなかったことになる。完成から数年間は、世界一背の高い駅ビルだったということだけあって、
どの駅だったかはっきりした記憶はないが、写真を撮った順序からして、神宮前駅のような気もするが、あるいは鳴海駅で乗り換えたのかもしれない。車両番号3608、急行豊橋行、という表示に見える。
少しでも速い電車に乗り換えようと降り立った鳴海駅。もうここに来る機会はないかもしれないと、電車を待つ間、撮り鉄した。ちょっと遠すぎて、車両番号も読み取れず、正確には何系だか分からないのだが。
車両番号3609。名鉄3500系。鳴海駅発車の後ろ姿。
鳴海は歴史小説にも出てくる地名で、昔を偲ぶものもあるのだろうが、時間と体力の制約で、乗り換えだけとなった。そうは言っても撮り鉄はできる。車両番号2207。
名鉄名古屋本線で名古屋に向かう途中、山王駅で下車した。近くに温泉があるという。散々歩き回った疲れを癒すための途中下車だった。駅に戻り電車を待つ。名鉄名古屋本線と並んでJR東海道本線が走っているので、頻繁に電車が通過する。スマホで撮り鉄したが、暗くてうまくい
犬山城の天守閣から東方面を眺めると、名鉄の鉄橋が見えた。結構電車が行き交っている。時々、電車が橋の手前で信号待ちで止まっている。近くに駅があるという雰囲気。赤い電車は6000系か。こちらは快速特急1200系?もう少しじっくり撮りたかったが、他の客の迷惑になりそう
烏山線は今年開業100周年に当たる。キハ40撤退を知ってから、何度も撮り鉄に行った馴染みの路線でもある。その都度、四季の移り変りを実感させる光景を現してくれた。4月、山桜が咲いていた。、
先日205系「いろは」解体の記事を見た。「いろは」は2018年から2022年3月までJR日光線で、観光客用に運行されていた電車だった。臨時列車として宇都宮線も何度か走ったので、その時撮り鉄した。臨時列車として身近なところを走った電車が、ここのところ立て続けに消えていく
コロナ以前と比べるとイベント列車の運行も車両の種類もだいぶ減ってしまった。
雨が降ったりやんだりで、撮り鉄する気はなかったのだが、いつの間にか日差しが出ていた。ならばと家を出て撮影地に向かう。途中の踏切で下り電車が去ったあと、すぐに同じ方向からの矢印が出て、遮断機が下りた。もしかしてと思ったら機関車が見えた。
本当はもっと菜の花を入れて撮りたかったのだが、出遅れて人垣の後方になってしまったのでやむを得ずの構図。ついてすぐSLがきて、ピントも合わず。撮れただけラッキーの写真。
2019年の今日、リゾートしらかみが烏山線を走った。アキュムとの並び。こんな光景は思ってもみなかった。沿線は、キハ40のラストラン以来の賑わいとなった。烏山線は今年開通100周年を迎えるという。こんなサプライズが実現するといいのだが。
以前名古屋駅に降り立たのはいつだったかはっきりした記憶がない。その時の駅舎がどうだったのかも覚えていない今の駅ビルが完成したのが1999年なので、少なくとも20数年以上来ていなかったことになる。完成から数年間は、世界一背の高い駅ビルだったということだけあって、
どの駅だったかはっきりした記憶はないが、写真を撮った順序からして、神宮前駅のような気もするが、あるいは鳴海駅で乗り換えたのかもしれない。車両番号3608、急行豊橋行、という表示に見える。
少しでも速い電車に乗り換えようと降り立った鳴海駅。もうここに来る機会はないかもしれないと、電車を待つ間、撮り鉄した。ちょっと遠すぎて、車両番号も読み取れず、正確には何系だか分からないのだが。
車両番号3609。名鉄3500系。鳴海駅発車の後ろ姿。
鳴海は歴史小説にも出てくる地名で、昔を偲ぶものもあるのだろうが、時間と体力の制約で、乗り換えだけとなった。そうは言っても撮り鉄はできる。車両番号2207。
名鉄名古屋本線で名古屋に向かう途中、山王駅で下車した。近くに温泉があるという。散々歩き回った疲れを癒すための途中下車だった。駅に戻り電車を待つ。名鉄名古屋本線と並んでJR東海道本線が走っているので、頻繁に電車が通過する。スマホで撮り鉄したが、暗くてうまくい
3700系と表題にしたが、正直3500系なのか3100系なのかよくわからない。名鉄名古屋本線を利用するのはたぶん初めてなので、とにかく初見の電車を精力的に撮った。撮影場所は岡崎公園前だと思うのだが。
八丁味噌蔵から名鉄の岡崎公園前駅に。隣のホームに入ってきたのは3300系か。愛知環状鉄道の線路が交差しているのが見える。直前にお世話になった路線だ。
伊勢八幡宮からバスで東岡崎駅に着き、ホームにたどり着いたとき来た電車。
足助から豊田経由で岡崎に行くことにして、考えていた駅よりも前に、他の駅を通ることが分かった。少しでも早く電車に乗ったほうが時間の節約になると思い、その駅でバスを降りた。駅名は忘れてしまったが、駅舎はなく、ホームは高架にあった。改札は見当たらず、そのまま階
東京駅で電車を降りると隣のホームに初めて見る電車が止まっていた。撮り鉄している人がいたので,それに加わる。サフィール踊り子。2020年3月のダイヤ改正で運行についた特急だが、コロナ禍の自粛もあって、お目にかかる機会は今までなかった。サフィールとはフランス語でサ
岡崎に向かうため、豊橋駅へ。駅前に咲いていたのは桜なのか。折角なので、この花を入れて豊橋の駅舎の写真を。そして岡崎駅に到着。この電車はJR東海の313系。岡崎駅は、東海道本線と愛知環状鉄道の駅で、ホームは単式1面1線と島式2面2線の地上駅。島式をJRが、単式を愛知
豊橋駅から路面電車で吉田城へ向かう。豊橋の市電にはいくつかの特徴がある。日本で終電の執着時刻が最も遅い路面電車。東海地方で唯一の路面電車。現在、国道1号線上を走行する唯一の路面電車。街中を歩行中、外国人の若者をよく見かけた。この地方の産業の一部を担っている