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2019/08/22

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  • 御成街道ウォーク、最終日のイントロ

    日光御成街道のゴール、日光街道との合流点までの約4キロを残して6日目を終わったのには2つの理由があった。1.鎌倉街道中道(ナカツミチ)の高野の渡しなどへの寄り道2.15年ぶりに極太の手打ち蕎麦屋「一茶」を再訪する今朝は、2.を紹介して最終7日目のイントロとしよう。10時半、日光伊勢崎線の和戸(ワド)駅に着く。蕎麦屋一茶の11時開店に合わせるためである。15年前とは違いエレベーター棟が増えた和戸駅を眺める。県道85号に出て、6日目のゴール、和戸の交差点へとは逆の南へと右折。一茶までは数百メートルのはずだ。曲がってすぐの酒屋の店先、「末廣」は地酒なのだろう。二つ目の交差点手前の一茶に着くと開店10分前。既に先客二人が椅子に座って待つ。同年配と思われる男性は地元、隣の若い男性は春日部から車で来たという。駐車場...御成街道ウォーク、最終日のイントロ

  • 埼玉県、75歳以上増加が全国一

    総務省から昨年10月1日の人口統計が発表され、埼玉県では転入者と転出者の差「社会増減」は約0.5%増となり全国2位。都内に比べ割安な地価やマンション価格の影響と思われる。しかし、出生と死亡の差の「自然減」が少し上回り全体では約0.1%の減少となった。この減少幅の「低さ」は全国3位だが、75歳以上の増加率が5%近くで、これは全国1位と言う。我々団塊の世代が2年前から75歳を越えて来たことが要因であろう。「かつて地方から東京に就職し、広い土地などを求めて埼玉に移り住んだ団塊の世代が多いのだろう」と県の関係者は言う。広い土地ではないが東京(板橋)から埼玉(三郷)に移り住んだことは間違いない。また、県内総人口では日本人が減ったのに対し外国人が8%強増加しているという。我が三郷市でも、今歩いている街道沿いの街々でも...埼玉県、75歳以上増加が全国一

  • 翔平、大リーグ176本目を打つ

    今朝は小雨、BSでドジャースの中継を観ていると大谷翔平が2ランホームランを打って先行した。松井秀喜の175本を超えた。これをきっかけにドジャーズ打線が大暴れし現在10ー0。さて、御成街道ウォーク6日目。岩槻宿の「おさらい」を終えてゴールの幸手に向けて出発。渋江の交差点から間もなく「浄安寺」。石畳の奥の山門は「槍返しの門」と呼ばれる。元々は、ここから少し先にあった岩槻城下「田中口」の木戸門。八代将軍の吉宗一行が日光に向かう時、槍を返さない(倒さない)と通れないので槍頭が門を倒せと岩槻藩に要求したが、藩主は頑として拒否。結局、槍を返して通ったという謂れがある。ここには初代藩主、高力清長の墓もあるが、藩校「遷喬館」を興した儒学者、兒玉南柯(ナンカ)の墓もある。何故か「南柯兒玉先生」と彫られる。東武野田線の高架を...翔平、大リーグ176本目を打つ

  • 日本語の学び手から教わる日本語

    今夜、NHKBSのドラマ「舟を編む」が最終回(10回)を迎える。ある中堅出版社が広辞苑のような中型辞典を新たに発刊するまでの十数年もの苦労を描いたドラマである。今朝の朝日「日曜に想う」で、オックスフォード英語辞典の改訂に際し23の日本語に由来する単語を新たに収録したと書かれる。その一つが「kintsugi(金継ぎ)」。「器のひびは人生の困難、挫折のようなもの、金継ぎは以前より強い自分になれることを思い起こさせる」(オーストラリア人)。「修復された器は、壊れる前の脆弱性と壊れた後の強さを教えてくれる」(ルーマニア人)。これらは、朝日新聞の記者を48歳で辞めた大森和夫氏(83)と妻の弘子さん(83)が私財を投じて続けて来た外国人を対象とした「日本語作文コンクール」からの引用である。「日本語の学び手から教わる日...日本語の学び手から教わる日本語

  • 岩槻宿を舐め尽くす

    昨日はブログを休み日光御成街道ウォーク6日目へ。武蔵野線の2番電車で出発。東武線春日部駅での乗り換えは待ちゼロの僥倖。岩槻駅に6時半前に着く。御成街道ウォークで初めての早朝出発は、岩槻からゴールの幸手(サッテ)まで16キロを一気にの思惑もあるが、本陣跡、一里塚など岩槻宿の「おさらい」が目的。元荒川を歩いた時、綾瀬川を歩いた時の中継駅、そして今月岩槻城址の桜見物、前回のゴール、出発の今日と7回目となる岩槻駅も見納めかも知れない。駅前通りを約三百メートル先の街道筋に向かう。右手少し奥まって「人形の町」岩槻で大手の東玉本店。街道筋〈市宿通り)へ出て間もなくの埼玉信用金庫岩槻支店が本陣跡という説もあるが、昔の街道絵では日光に向かった左手に本陣とあるので、右手のここは違うようだ。前回「このあたり」と書いた高札場跡。...岩槻宿を舐め尽くす

  • 東京15区補選、9人乱立

    長崎3区と共に自民党が立候補を見送った東京15区(江東区)の衆院議員補欠選挙に9人が立候補しそのうち4人が女性。下馬評は混沌としている。誰も法定得票数に達せず「再投票」の可能性も。不倫王(国民民主、都民ファースト)、極右保守党、公判中の元自民党、立憲を離党した参院から鞍替えの元ボクサーなど男性の候補には問題児が多いので女性陣から当選者が出る可能性は高い。投票は連休直前の4月28日。 久々の明け方散歩、日の出は不発街中の小菊三軒東京15区補選、9人乱立

  • 信州・武州、桜の競演

    故郷信州、長野市に住む高校の同級生から桜の便りが届いた。四季折々、プロ級の腕前で北信濃の風景を届けてくれている。善光寺の裏山にある雲上殿長野市街の眺望須坂市の臥竜公園そして母校の桜、昔の校舎は今は同窓会館今の校舎、昔は男子校、今は男女半々の共学一方、自宅近くの三郷早稲田公園では八重桜が咲き出した。信州・武州、桜の競演

  • 「ナッジ」ってなあに?

    埼玉県東部の8市町村が参加する東埼玉資源環境組合の広報誌「リユース」の今月のトップ記事が「ナッジってなあに?」。ゴミ箱の上にバスケットボールのゴールリングを付けたらゴミのポイ捨てが少なくなった、という例を引いている。またゴミ容器を透明にして中が見える様にしたら分別廃棄が進んだともいう。ナッジ(Nudge)とは、(注意を引くため)軽く肘で突っつくことを意味する英語。それとなく行動を促す、と言うことだろう。行動経済学ではナッジ理論という専門領域もあるほどの「学問」にもなっている。八王子市の例では、大腸がん検診の受診促進に応用され効果を挙げた。「受診すれば来年も検診キットを送ります」と「受診しないと来年は検査キットを送りません」の2種類をテストしたところ、損失を強調した後者の方が6ポイント受診率が高かったという...「ナッジ」ってなあに?

  • 忍者アイス

    信州・蓼科山の頂上近くから湧き出す水を採氷池で凍らせて1月下旬に切り出す。それを日本刀で切り付け、グラスの内側に沿ったカーブにすると氷が消える。岸久(キシヒサシ、58歳)が2000年に銀座一丁目に開業したバーのカウンターで造る「忍者アイス」である。31歳で創作カクテルの世界一に日本人で初めてなった。43歳で「日本の名工」に。今春「オーセンティックバー」が日本標準産業分類に入った。日本バーテンダー協会の会長を6年務めた岸の功績である。日本のオーセンティックバーは今、インバウンド客で賑わう。(4/13朝日土曜版「フロントランナー」より) 日光御成街道ウォーク5日目の後半である。中間点の上野田の交差点から1キロ半、徳川将軍たちが休憩したという光徳寺の先、膝子一里塚(東塚)跡に着く。前の一里塚が場所も名前もわから...忍者アイス

  • 小雨の御成街道、それもよし

    日光御成街道ウォーク5日目の続き。大門(上)の交差点を過ぎた大興寺あたりが大門宿の北の外れだろう。ここから左にカーブして、切通しを走る東北道と側道の国道122号を渡る。昔は大興寺の塀に沿ってもう少し北進してから曲がっていたらしい。東北道を跨いで少し歩くと大手運送会社「センコー」の大きな倉庫。広い門から出て来る大型トラックをやり過ごしながら見上げると、お、運転手は女性だ。前の道路にトラックが出てから写真を撮る。門の先のフェンスにドライバーと並んで保育士募集が掛かる。この敷地内に保育所があるのかも知れない。実はここは出身会社の配送センターだった。都内及び近隣県への配送拠点としては最高の立地。現役時代ここのリニューアル計画を担当して、今その通りの大型倉庫などが建っている。しかしその建設は数年後、運送を請け負って...小雨の御成街道、それもよし

  • 日光御成街道、大門宿

    この土日は各地で「夏日」になるというので、昨日花曇りの下、日光御成街道5日目を歩いた。曇りから晴れと言う予報が外れて途中のほとんどは小雨あるいは強めの小雨の中。「明日の天気も当たらないのか」とブツブツ言いながら歩いたが、逆に薄手のブルゾンも脱ぎ忘れるほどの涼しさは超ラッキー。というのも、今回の東川口ー岩槻間は鉄路の駅が無く、御成街道ウォークで初めて10キロ超を歩く日だったからである。ここまでは街道筋の距離で4,4,5,7キロと小刻みに歩いて来た。出発した武蔵野線東川口駅前の大きなモニュメントはシールド・マシンのカッターヘッドのレプリカ。ここで武蔵野線と直行する「埼玉高速鉄道」はほとんどが地下を走る。北口から線路沿いの急坂を上って御成街道に出るとちょうど10時。まずは約2キロ先の大門宿を目指す。狭い2車線、...日光御成街道、大門宿

  • 岸田訪米でトリプル安

    岸田首相の訪米中は(礼儀として)日本の財務省は介入しない、と円が急落。日経平均、10年物国債と併せトリプル安。岸田君のお土産は日米安保の日本負担増に違いない。米上下院合同会議で「下(原稿)を見ずに」演説する岸田君。やれば出来るじゃないか。尤も日本語(国内)でも抽象論ばかり、英語ならもっと抽象的だから「滔々」と喋ることが出来る。 三郷中央「にほどり公園」の桜風景(4/10)岸田訪米でトリプル安

  • 三郷中央でチェアリング

    チェアリング椅子を持って外に出て、好きな場所に置いて酒を飲むこと 2016年、雑誌「酒場人Vol.2」に載ったチェアリングの定義である。2018年の「Hanako」でも「チェアリング、新しいカルチャー」として紹介された。昨日三郷中央の「にほどり公園」で、前日の嵐に耐えた桜並木を見ながらチェアリングを楽しんで来た。今まで江戸川の土手などで時折楽しんだが、今回は久々である。ただし私の場合、携帯椅子を持ち歩くのではなく現地調達が原則。土手の石段、寺社境内の石垣やベンチなどでチェアリングを楽しむ。今回も第二大場川沿いの遊歩道の石段を選んだ。対岸の「にほどりコミュニティプラザ」のカフェにコロナビールが置いてあったのでテラスでチェアリングの二次会。花見チェアリング、オツである。三郷中央でチェアリング

  • あの「プロジェクトX」が還って来た

    今月から「新・プロジェクトX」が始まった。18年4か月ぶりの復活である。72歳になった中島みゆきもテーマ曲「地上の星」を新たに吹き込んだ。語り手は田口トモロヲが継続。事前のPR番組では、名司会だった国井雅比呂が熱く語った。彼も75歳になっている。そして司会者は新しくなった。復活第一回は「東京スカイツリー天空の大工事」。前のシリーズでも21作目で東京タワー建設が取り上げられたが、半世紀以上前とはいろいろな面で様変わりである。完成から12年の東京スカイツリー、過去色々な角度からドキュメンタリー番組が放送されたが、「主題は人なんです(国井)」のプロジェクトXでは、設計者、施工監理者、鳶(トビ)職人たちを取り上げた。中でも鳶職人たちの奮闘ぶりがメインとなった。 3本の脚部の組み立てはそれぞれ3つの会社の鳶たちが...あの「プロジェクトX」が還って来た

  • 岩槻城址公園も桜満開

    裏金問題で「国民の声を聴く」はずの車座対談。実際には自党の県連幹部など身内ばかり。街に出たら大変なことになる、賢明だと身内も評価。国民の財布を持って国賓で訪米、を最後にしてくれ。幸手権現堂堤に続き岩槻城址公園へ桜見物のハシゴ。東武日光線と東武アーバンラインを乗り継ぎ、次回の御成街道のゴール予定である岩槻駅に着く。8年前にリニューアルされた岩槻駅はやはり「お城」のイメージ。城下町岩槻は「人形の街」でもある。岩槻駅から1キ半の城址公園入りロの交差点を曲がると渋滞した車の列が長く続く。桜満開の日曜日、賑わう城址公園が見えて来る。以下、菖蒲池と八つ橋を中心とした岩槻城址公園の桜を。桜を撮る外人さんを撮る戻り道も依然として渋滞が続く。岩槻城址公園も桜満開

  • 幸手権現堂堤、満開の桜

    御成街道沿いには桜の名所が多いと書いた。見沼代用水路沿い、岩槻城址公園、そして何と言ってもゴールの幸手(サッテ)権現堂。桜の開花情報を見ると「今が見時」。ゴールの幸手に着くのは少し先になりそうなので、花見だけ先に済ませることにした。あとはゆっくりと好天日に歩けばいい。東武日光線の幸手駅に着くと、駅舎がリニューアルされている。一昨年2月、日光街道を歩いた時は400メートルほど離れた幸手駅に寄らず次の栗橋橋宿に向かったから、その数年前以来である。そう言えばその時、駅舎や駅前は工事準備の仮囲いで迷路みたいだったことを思い出した。満開の日曜日ということで駅舎も駅前も大混雑である。途中で寄った寺社仏閣は後回しにして早速「幸手権現堂堤」の桜並木を紹介しよう。1キロ続く桜並木の入口から。往復すると間違いなく1時間はかか...幸手権現堂堤、満開の桜

  • 地震対応、台湾と日本の違い

    台湾・花蓮市などを襲った地震で避難所設営のスピーディーさがニュースになっている。地震1時間後市や支援NGOのグループチャットが立ち上がる2時間後避難所に個室テント設置3時間後被災者受け入れ開始4時間後設備がほゞ整うこのスピーディーさは6年前の地震の教訓だと言う。デジタル大国台湾ならではなのか。いや、もっと違うところがありそうだ。 日光御成街道ウォーク4日目の最後である。市神社(イチガミシャ)の小さな祠の前から地蔵院の入口に戻る。山号は箱崎山。山門までの長い参道は一般道になっているようだ。この道を含む五差路である。参道入口の石碑の正面には新四国霊場の五十九番札所と刻まれる。右側面は五差路を北東に向かう越谷道の道標になっている。新四国八十八ヶ所は現地に行かなくても廻れるようにまず北海道で始まり、その後全国各...地震対応、台湾と日本の違い

  • 鳩ケ谷の由来は「発度郷」

    花曇りの日が続く。どうも桜が開花してからというものパッとした晴れ日が無い。昨日は花冷えと言ってもいいような低気温。昨日、大阪造幣局の「通り抜け」が始まった。大阪には2年半、電車で30分の京都にも6年住んだが一度も行っていない。キタやミナミに出没しても花鳥風月とは縁遠い生活の時期だった。 御成街道鳩ケ谷宿、一枚だけ見つけたカラーマンホールだが、どうしてもカメラを構える自分の影が入ってしまう。今は川口市に編入合併したがこれは「はとがやし」時代のもの。鳩ケ谷の地名由来はいくつかある。まずは発度郷(ハットゴウ)と呼ばれた時期があったこと。台地の先端部、端(ハシ)がなまってハトとなった。また窪地を示すホトが「鳩」になった、などだが、いずれも周りが谷状になっていたので「谷」が付いたらしい。本陣跡や高札場跡がある本町...鳩ケ谷の由来は「発度郷」

  • 翔平、誠也の競演

    ドジャースの大谷翔平が1号ホームラン、カブスの鈴木誠也も2試合連続のホームランの「明るい」ニュース。次のドジャース・カブス戦では二人の競演が見ものだ。一方、暗いというよりも茶番なニュースは「コップの中の処分」(朝日二面の見出し)。自民裏金問題の39人処分だ。埼玉県では4人の安部派議員に党役職停止、戒告の処分。次の選挙への立候補に全く問題はない軽い処分である。 さて、日光御成街道ウォーク、4日目の続き、鳩ケ谷宿である。見沼代用水路東縁(ヘリ)を渡る吹上橋からの上り坂は「御成坂」。小公園に立つ「からくり時計」の口碑を見ると5分後の12時に開演と書かれる。次は3時だから何とい僥倖。御成行列の壁画を見ながら待つ。鐘突き坊主や三ヵ所の窓から出て来た街道旅姿の人形たちのユーモラスな動きに思わず微笑んでしまう。御成公園...翔平、誠也の競演

  • 英霊とは英国の幽霊?

    朝日朝刊「言葉季評」(穂村弘)から。歌人である穂村弘が、若者の言葉感覚のズレを詠んだ短歌を三つ紹介しているが、そのうちの二つ。 英霊を英国の幽霊と問う若者の顔まじまじと見つ(吉田鱒石)定年まで勤めて退職することを「寿退社」と思う若者(臼井慶子) 英霊はともかく、結婚しても辞めない女性が増え、定年まで勤め続けるのも大変な時代、「寿退社」の誤用は解らなくもない。 御成街道ウォーク4日目はSHR(埼玉高速鉄道)の南鳩ケ谷駅から。国道122号の地下深くを走る埼玉高速鉄道は、地上には小さな入口があるだけだが駅前(上)ロータリーは広く立派である。数分で新芝川を鳩ケ谷大橋で渡る。少し上流で3日目に渡った芝川から分かれ、ここから5キロ下流で荒川に注ぐ放水路である。この先の鳩ケ谷変電所前の植え込みにあるのは「松原晴嵐」碑。...英霊とは英国の幽霊?

  • 松本清張と森村誠一

    民主主義下の権力の犯罪は巧緻をきわめる。なぜなら民主主義という政治形態の基本は、政治の公開であるからである。公開原則の下に政治の不正は理論上ありえない。しかし国民から権力を預けられた者は、それを委任されている間にありとあらゆる手を駆使して権力を独占しようとする。教育を歪めて国民を権力者の都合のよいように洗脳し、法律を枉げ、司法を政府が支配し、国会の議決を得ないで国家の重要事項を決め、国民の目から政治を目隠ししてしまう。 上の文は最近読んだ森村誠一「死海の浮流」(1986)の作者あとがき(1986年)からの抜粋である。「死海の浮流」は、国家機密法成立のゴリ押しが絡んだ殺人事件のサスペンス小説。頓挫した国家機密法は「特定秘密保護法」として「ゴリ押し」で最近成立したばかりである。現在も38年前と何も変わっていな...松本清張と森村誠一

  • 日光御成街道、川口宿

    先月のウォーキングは一日平均7千歩弱、換算距離約140キロ。24年前の伊能ウォーク隊の足跡を辿るバーチャル日本一周は最終の第Ⅴステージ(名護ー東京)に入った。沖縄本島の名護ー那覇の約90キロを歩き終わり、鹿児島市を出発したところである。下図の日付は2000年の伊能ウォーク隊の足取り。約4ヶ月で踏破しているが、私は少なくとも1年はかかるだろう。 日光御成街道3日目の続きは荒川を渡り川口宿に入ったところ。本陣跡の「旧永瀬家」は「街道から路地を少し入ったところ」という先達の記述を元に「適当に」路地を選ぶが空振り。川口宿の入口近くまで戻ると早先の彼岸桜が咲く公園に出る。ここで遊ぶ家族連れに訊くと、パパさんが「この近くで見たことがある」と言うが、詳細にはわからないとのこと。公園を出て通りすがりの年配の御婦人に訊くと...日光御成街道、川口宿

  • 機動破壊、健大高崎初優勝

    3回の1点が決勝点となるとは・・・。初回、それぞれの好投手が集中打を浴び2点ずつ取り合った。解説者も「予想とは違った展開になりそう」と打撃戦を予想した。3回に健大が2連打で1点リードした時も、まさかこのまゝで終わるとは思わなかった。だが、このまゝ終わった。さすがに好投手の健大の石垣と報徳の今朝丸。ともに初盤以降ピタッと押さえた。攻守も続いた。そして女神は、強打と俊足の「機動破壊」を謳った健大高崎に微笑んだ。創部以来23年間、監督を務めている青柳監督は「優勝を狙える」チーム作りが出来たという。有言実行である。 御成街道ウォーク3日目の続き。T字路の突き当りの宝憧院に戻り先に進むと赤羽岩淵の大きな交差点に出る。王子駅で別れた国道122号が右から来て右折し新荒川大橋へ向かう。十数年前、荒川沿いを河口から遡って歩...機動破壊、健大高崎初優勝

  • 御成街道ウォーク再開

    一昨日の「桜開花」を受けて御成街道ウォークを再開。御成街道沿いには桜の名所が多い。芝川や見沼代用水路沿い、岩槻城址などだが、何と言ってもゴールの幸手(サッテ)宿の権現堂がメッカ。1、2日目と同様にあちこち寄り道しながらののんびりウォークをのんびりと紹介して行こう。前回2日目のゴールの赤羽駅に降りる。御成街道はこの赤羽駅を南西から北東へと斜めに通っていた。東口の少し先から斜めに伸びる道が御成街道である。この道は間もなく宝幢(ホウドウ)院というお寺さんに突き当たり右折して荒川に向かう。左から来る道が鎌倉街道中道(板橋道)で、門前に道標が立つというので渡ろうとするが、おや横断歩道がない。信号は左右とも100㍍ほど先。ミニパトをやり過ごしてからガードレールの隙間で渡る。今日は土曜なので少ないが、平日は荒川を渡る...御成街道ウォーク再開

  • サイタサイタサクラガサイタ

    昨日、嵐のような風雨が収まって陽射しが出た午後、2日ぶりに散歩に出ると早稲田団地の並木で桜がポツポツと咲き始めた。昨年「桜が開花」と書いたのは3月15日だった。三郷駅前からの中央通りを挟んで東西2本ある桜並木を右往左往して咲き始めた花弁を探す。仁王立ちで上空にカメラを向ける私を見て、通りすがりの人々が「おっ」「あらっ」などと声を挙げる。東京・靖国の標準木と同日開花は多分初めて。このぶんでは各地で一斉に咲き出す(咲き出した)ことだろう。「桜が咲くまで」と中断していた御成街道ウォークに早速出掛けよう。サイタサイタサクラガサイタ

  • 全て好試合、選抜準々決勝

    昨日の選抜甲子園、じっくりとベストエイトの対決を堪能した。中でも雨中の第4試合、近畿勢対決の報徳学園ー大阪桐蔭戦は最後まで気の抜けない接戦となった。2点先行した報徳を追う桐蔭打線は、今朝丸投手の好投や好守備に阻まれて7回まで無得点。それでも迫力ある打線がいつ爆発するかと息詰まる試合となり、早目の晩酌をしながらの観戦となる。ようやく8回に連打で1点返したときは、さすが桐蔭と「逆転」を予感したが、どっこい今朝丸投手が踏ん張り、逆にその裏の追加点で桐蔭を突き放した。昨秋の近畿大会のリベンジだった。今日は予備日で明日準決勝。星稜ー健大高崎、中央学院ー報徳学園の組み合わせ。決勝は健大高崎ー報徳学園と予想するが、実力伯仲で星稜ー中央もあり、星稜ー報徳、健大ー中央もある。(これでは全組み合わせとなって予想にならないな)...全て好試合、選抜準々決勝

  • スーパーフード「コウゾの芽」

    午後からの天気が心配だが、今日の甲子園はベストエイトが揃う選抜準々決勝。東北1、関東3、北信越1、近畿2、四国1の8校。唯一の県立高校、徳島の阿南光と石川・星稜の第一試合が始まった。その後は東北・関東の東日本対決が2試合続き、第4試合は近畿の隣県同志、大阪桐蔭と報徳学園が闘う。テレビの前を離れられない一日となりそうだ。 とは関係なく今日も埼玉のローカル話題を地方版から。楮(コウゾ)と言えば和紙の材料だが、使うのは幹の樹皮だけで8割は廃棄される。安価な海外産に押され国内の楮の栽培は減少の一途。栽培を維持するためにも捨てる部分に価値を見出せないかと活用策を探って来たのは「細川紙」で知られる和紙の里、埼玉県小川町。着目したのは「芽」。幹を太くするために春から夏にかけて新芽を間引く。これを天プラとして食べるとい...スーパーフード「コウゾの芽」

  • 花は咲けども

    花は咲けども春をよろこぶひとはなし毒を吐き出す土の上うらめしくやしと花は散るこの「花は咲けども」は、復興支援ソングとして定着している「花は咲く」のアンチテーゼ曲。原発事故で故郷を追われた被災者の怒りや嘆きを表そうという山形のフォークグループ「影法師」の歌。その「影法師」が呼ばれて歌う場所は川越市の自動車板金工場跡の「JUNホール」。オーナーは小林順吉さん(77)。JUNは順吉の順。10年前、「みんなに利用してもらおう」と義兄の工場を改装。その「みんな」の中に福島から自主避難して来た人々もいた。順吉さんは避難者同士の交流会を開く場所がないと聞き、自由に使ってもらうことにした。避難者向けの冊子を編集する部屋もある。順吉さんの妻、ますみさんが事務局を務めるNPO「PEACEやまぶき」は「一年に一度だけでも福島の...花は咲けども

  • 救急車寄贈社長のジョーク

    社会人になって最初の任地は朝霞市。その朝霞市の倉庫会社が県南西部消防局に高規格消防車を寄贈したと地方版に載る。コロナ禍に伴って全国で創設された「日勤救急隊」。朝霞、志木、新座、和光の各市に出動する県南西部消防局にも日勤救急隊が1隊組織されたが、救急車が足りず活動が制限されている。これを知った倉庫会社の社長が車両、装備代で4千万円にもなる高機能救急車を寄贈したもの。贈呈式で「地域の安全・安心を少しでもお手伝い出来たら嬉しい」と挨拶した倉庫会社の社長が続けて、「タクシー代わりに救急車を呼ぶ人もいると聞きます。そんな方に費用を請求できるよう料金メーターを装備しておきました」。もちろんジョークである。実に愉快な丸沼倉庫の須崎勝茂社長は昨年もトイレトレーラーを寄贈しており、今、珠洲市に派遣されているという。丸沼倉庫...救急車寄贈社長のジョーク

  • 香取海から利根川へ

    縄文海進で現在の霞ケ浦や利根川一帯が「香取海」と呼ばれる海だったことを昨日書いたが、下図左側、江戸川、中川、荒川も一体になって東京湾の入江だった。その入江の東縁(ヘリ)、流山の〇の左側が我が三郷市あたりだから完全に入江の中であったことになる。長い時を経て大地の隆起や砂の堆積で少しずつ海部が後退し、江戸時代の「利根川東遷」でほゞ現代の状態になった。利根川の水運を生かした物資輸送で江戸との行き来が増えると共に利根川を使った観光も盛んになった。JR東日本の広報誌から、利根川を下り成田山新勝寺へ大絵馬を奉納する歌舞伎役者の一行の「御礼参り贔屓絵船之図」をお借りする。成田街道を歩いた時に「木下(キオロシ)街道」の道標があったが、利根川の要衝「木下」から出る観光船は「木下茶船」と呼ばれて、新勝寺や東国三社(香取神宮、...香取海から利根川へ

  • 「香取海」について

    モスクワの劇場の銃撃テロ、大谷選手の通訳の賭博送金疑惑など「世間を揺るがす」事件が続くが、ノー天気に「香取海」について。下図は縄文時代の関東平野内部の「海」だったところである。いわゆる「縄文海進」で、海面が上昇し関東平野の多くが入り組んだ海になっていた。赤丸を付けた大宮と久喜の中間あたりの蓮田市に通っていた頃、事務所の近くを散歩すると「黒浜貝塚跡」という小公園があった。「え!何でこんな内陸に?」と思ったが、こうして見ると確かに海辺だったのである。小さな黒点は貝塚跡を示す。現在の霞ケ浦、北浦、印旛沼、利根川などが一体になったあたりは、7世紀頃にはやや海面が縮小したものの「香取海」と呼ばれた。香取海では舟を使って人や物資が行き交い、外部との交流が多く、大和朝廷が掌握し切れなかった王国を築いていた。龍角寺古墳群...「香取海」について

  • 昭和38年の「山中(温泉)会談」

    久しぶりに朝日土曜版「歴史のダイヤグラム」(原武史)から。昭和38年6月、自民党幹部(組織調査会長)の三木武夫は夫人と共に夜行急行で金沢に着いた。前夜に上野駅を出て11時間もの旅であった。金沢市内を観光した後。車で山中温泉に向かった。一方、この日、当時は名古屋空港経由のため2時間半かかった空路で小松空港に特別機で着いたのは、吉田茂、佐藤栄作などの自民党のお歴々。直行の特別機なので1時間のフライトだった。彼らが小松空港から向かったのも山中温泉。参院の自民党議員会長、林屋亀次郎(石川県選出)の喜寿を祝う会のためだった。片や11時間の列車旅、片や1時間の空路。この差は当時の権力構造の現れだった。しかし、喜寿祝いの陰で行われたのは、当時の首相、池田勇人の後継首相を佐藤栄作とする密議、所謂「山中(温泉)会談」と言わ...昭和38年の「山中(温泉)会談」

  • 反動校長の「お詫びと訂正」

    韓国でのMLB開幕戦、打者大谷翔平はまずまずのスタートだが、投手山本由伸は手痛い洗礼を浴びた。投手と打者の違いはあるが、かの長嶋も国鉄の金田投手に4打席4三振のスタートだったから由伸よ、ドンマイだ。 さて、自宅隣の三郷市立丹後小学校は今日卒業式。そんな予定が書かれる「丹後小だより」3月号にあるお詫びと訂正が載っている。では、「正しくない記事」(1月号)にはどう書かれていたのか。何と「陸海空軍の皆さんが来られました」という校長の挨拶が載っていたのである。写真付きでこの校長の挨拶が載った「学校だより」を見た父兄からの抗議で「止む無く」お詫びと訂正を約束したようだ。小学校に自衛隊を呼んだ主旨は判らないが、敢えて「軍」と呼んで迎え、そのまゝ記事でも訂正しない。これはもう校長の意図的、恣意的な「間違い」と言っていい...反動校長の「お詫びと訂正」

  • 新宿騒乱(1968)と武蔵野線

    我が三郷市の市政施行と武蔵野線の開業がほゞ同じ半世紀前のことという広報誌の特集から主に旅客列車として三郷市との関連について2回書いたが、貨物線としての特徴を少し補填する。昭和42年、新宿駅で山手貨物線から中央線に入ろうとした下りタンク列車と上り貨物列車が衝突。タンク列車は米軍立川基地へジェット燃料を積んでおり爆発炎上した。翌年の国際反戦デー(10/21)にはベトナム反戦、「米タン阻止」を叫んで「新宿騒乱(闘争)」が起きた。この「米タン」が米軍向けのジェット燃料を積んだタンク列車のことである。武蔵野線はまさにこういった都心(山手貨物線)での事故、騒乱やテロ防止のため全線立体交差(あるいは地下)となっている。武蔵野線の西の終点は旅客列車としては「府中本町」だが、貨物線としては鶴見までの「武蔵野南線」がある。東...新宿騒乱(1968)と武蔵野線

  • 武蔵野線と三郷市(2)

    三郷市の広報誌3月号の特集から「武蔵野線と三郷市」の続きを。元々は都内を通る山手貨物線の代替線として計画された武蔵野貨物線だったが沿線の要望で旅客列車も運行することになった。都内に行くには数少ない路線バスで常磐線の松戸か金町に出るしかなかった三郷市は「陸の孤島」と呼ばれていたが、昭和48年に待望の「鉄路」が出来、「街は大騒ぎ」いや、盛大な祝賀式が行われた。武蔵野線は開業当初から当時は珍しかった自動改札、自動精算機など置かれたが、車両は中央線のお下がりの101系(オレンジ色)。その後増両、増便が相次ぎ首都圏各線のお下がりが入り混じった。三郷ー吉川(5キロ)間には国内最大級の広大な操車場があったが、後にこの間に新三郷駅が出来ると、上下線のホームが300メートルも離れたためギネス記録となった。今この操車場跡は大...武蔵野線と三郷市(2)

  • 「飛ばないバット」で選抜始まる

    春の甲子園、選抜大会が始まった。開幕日の3試合中2試合が延長タイブレークという好試合続き。第一試合は二度追いついた八戸光星がタイブレークの十一回に3点を挙げて逆転勝ち。第三試合の近江ー熊本国府戦も1点を争う好勝負。2年前の選抜準優勝の近江のエース西山が14三振を奪うもタイブレークの十回裏、ワイルドピッチで甲子園初出場の熊本国府にサヨナラ負け。今大会から採用された「飛ばない」低反発バット。確かに外野手の頭の上を超す長打が少なく、いずれも1点を争う投手戦となった。単打とバントの懐かしい高校野球の復活となるか。 散歩から花たち「飛ばないバット」で選抜始まる

  • 武蔵野線と三郷市

    今日のタイトル「武蔵野線と三郷市」は三郷市の広報誌3月号の特集タイトルで、副題は「市と共に走り続けた半世紀の歴史を振り返る」。市制施行が昭和47年、武蔵野線開業が昭和48年であった。開業時の運賃表を見ると、初乗り(南流山など)が30円、一番遠い府中本町までは240円。現在は950円だから約4倍となっている。昭和48年に社会に出た私の給料が確か数万円だった。現在の初任給がおよそ20万円くらいだから、これも約4倍である。開業時の三郷駅の乗降者数は約3千人、現在は2万5千人というからこれは8倍である。また、当時の時刻表を見ると朝夕の通勤通学時間帯で1時間4本、昼間は1本ないし2本。このダイヤは、私が昭和54年に三郷市に転居し武蔵野線で通い始めた頃もほとんど同じであった。帰りの北朝霞発の終電は10時20分。当時、...武蔵野線と三郷市

  • やはり遅い日本のSAF対応

    SAF(SustainableAviationFuel)、持続可能な航空燃料のこと。聞きなれない言葉だが、航空機のCO2削減の切り札で、EUでは2050年に航空業界に70%の使用を義務づけている。SAFには、バイオ燃料、藻類や古紙、廃プラ、ゴミなどから取り出した油分、二酸化炭素と水素の合成などがあるが、コスト的には廃食油から再生されるものが「今は」一番である。それでも普通の航空燃料に比べれば割高で、これで飛ぶ航空機の運賃は割高になる。飛行機を利用することは脱炭素に反するとして「飛び恥」と言われている欧州では、食廃油混合比率による3段階のオプション料金のチケットが売られる。例によって世界に遅れる日本でも、このSAFが供給できなければ日本に飛来する航空機がなくなるとの危機感で「そろり」と国産のSAF開発が始ま...やはり遅い日本のSAF対応

  • 今日、北陸新幹線延伸だが

    金沢までだった北陸新幹線が今日、敦賀まで延伸する(した)。テレビニュースでは福井駅を出発する上り列車を見送る祝賀風景が実況中継された。思えば金沢までも乗ったことがなく、唯一叔父の葬儀で富山まで乗ったことがあるだけ。それでも大宮を出ると長野に停まるだけで富山まで2時間弱。ずいぶんと便利さを感じたものだ。そして今回の延伸で、曹洞宗の大本山、永平寺のある福井までは大宮から2時間半となった。年末の結婚五十年(金婚式)を祝って福井、金沢などへの旅行もアリか。やはり能登にも寄りたいが・・・。さて、北陸新幹線の仕上げは新大阪までの延伸であるが、湖東(琵琶湖の東)経由の敦賀ー米原の延伸で十分と思う。北陸住民の新大阪直行要望が強いとしたら、米原駅で乗り換えなしに東海道新幹線へ乗り入れるようにすればよい。しかしながら、湖西の...今日、北陸新幹線延伸だが

  • ブギウギに学ぶ昭和の歴史

    もうじき終盤を迎えるNHKの朝ドラ「ブギウギ」は、ブギの女王、笠置シズ子の生涯を描いたドラマ。主役の趣里が水谷豊と伊藤蘭の娘、淡谷のり子役が「ハリウッド女優」菊池凛子などキャストの話題性もあるが、昭和歌謡ファンにとっては「歴史」を学ぶドラマでもある。BSテレ東の特番「服部良一と笠置シズ子」は更に勉強となった。関東大震災によってジャズメンが東京から大阪に移ったことにより音楽少年服部良一に火を点け、これが後に笠置シズ子のブギシリーズや淡谷のり子のブルースシリーズの元となった。また昭和12年、日中戦争の勃発で上海租界に出入りするようになった服部良一がチャイナソングの渡辺はま子を産んだ。中国各地で慰問興行を続けていた渡辺はま子は現地で終戦を迎えしばらく捕虜となる。昭和12、13、14年と立て続けに淡谷のり子のブル...ブギウギに学ぶ昭和の歴史

  • 英郵便局冤罪事件、救済法成立へ

    以前ここでも取り挙げた英郵便局の大量冤罪事件は、ほゞ完全な救済を目指した法案が発表された(朝刊記事から)。富士通の英子会社「ホライゾン」が作った郵便局会計システムの不具合で実際の現金とシステムの計算が合わず、700人を超える個人経営などの郵便局長が不正をしたとして有罪となった。これを取り挙げたドラマがきっかけとなって詳細な調査が行われ、システムの不具合が立証された。これを受けた英政府は被害回復を決定し、有罪判決の取り消し、救済金支払いの法案を発表した。1.ホライゾンを使用していたこと2.対象期間が1996~2018年であること3.罪名が窃盗、詐欺、不正会計であることを満たせば全員が無罪となり、約1億1千万円が補償されるというもの。また差額を自分で穴埋めして有罪とはならなかった場合も、1千4百万円が支払われ...英郵便局冤罪事件、救済法成立へ

  • 越谷市は国保発祥の地

    世界に類を見ない日本の国民皆保険制度、その開始は困難を極めた。昭和9年に要綱案は出来たものの減収を危惧した医師会や売薬業者が大反対し、政府内でもうまく機能するかの懸念が大きかった。これを救ったのが埼玉県越谷市(当時越ケ谷町)の「順正会」。元々は納税組合から発展した共済組織で、その資金の使い道として当時町財政の重荷になっていた伝染病対策として医療費の共助を計画。しかし治安警察法に抵触するとして頓挫しかけた。この情報が内務省保険部長の川西実三の耳に入ったことが順正会と国の双方に幸運となった。内務官僚として最初の赴任が埼玉県庁だった川西は「異常なる熱意」を持って越ケ谷町と順正会にテコ入れした。要綱案が出来たものの誰も法案化する自信と勇気がなかった国民健康保険制度の後押しとなればと、川西は頓挫しかけた越ケ谷町の順...越谷市は国保発祥の地

  • 3.11、失敗を伝承する

    今朝の気温は真冬並みの0℃。あの日も雪が舞い寒かったろう。13年前の3月11日。その寒さの中で9日間も祖母と津波で崩壊した家屋の中で過ごし救出された石巻の高校生(当時)の「失敗談」が今朝の社会面に載る。救助隊に担架で運ばれる時、警察官の後ろに多くの記者が見えた。大津波警報にも大丈夫だろうと避難しなかった「マヌケな高校生」と書かれるだろうと思った。ところが「祖母を救った高校生」など英雄扱いの記事に戸惑った。英雄なんかじゃない、避難の失敗者なんだとの思いが長く続いた。大学を出て地元石巻の街づくり会社に就職。「あの時の安部君?」とすぐバレた。やがて誘われるまま語り部として当時のことを話せるようになった。毎日毎日遺体を収容していた救助隊が9日ぶりに生きた人間を発見し「奇跡」と語った警察幹部の講演も聴いた。昨年、地...3.11、失敗を伝承する

  • 今日は東京大空襲79年目

    久しぶりにブログを休もうと思ったら天声人語の東京大空襲の記事を見て思い直した。今年は戦後79年、昭和では99年である。もう十数年前になるが江東区北砂の「東京大空襲資料センター」を訪れた。民間の施設である。国も東京都も東京大空襲についてはまともに調べていないから貴重な施設である。当時は幼女だった語り部さんに聞く東京大空襲の悲惨さ壮絶さは息をのむほど。木造の日本家屋用に開発した焼夷弾、当日の時間と進入コースも最大限の殺戮を狙った米軍の周到な計画だったと、怒りに震えながら語り部さんは話す。多くの貴重な資料が展示されるが、幼女だった語り部さんがあちこちの公園でみたというこの風景で十分かも知れない。明日は東日本大震災13年目、能登半島地震から2ヵ月と10日。今日は東京大空襲79年目

  • 菜の花満開の江戸川の畔

    これらの歌はいずれも古い歌、懐かしい昭和の歌という「くくり」である。今月末、近くの三郷市文化会館で行われる「昭和歌謡コンサート」の共催者の一つに「認知症予防財団」があると言えばお判りだろう。壇上の歌声カルテット(ヴォーカル、ピアノ、バイオリン)と一緒に客席で歌うコンサートの曲目である。一つだけよく知らない「広い河の岸辺」はスコットランド民謡、あの朝ドラ「マッサン」の挿入歌でもあったと言われて何となく・・・。皆さんはご存じだろうか。それ以外の33曲は歌えそうである。と言っても歌いに行く訳ではない。 一昨日の江戸川散歩から、北風は冷たいが陽射しは春である。土手下の旧家跡、一反(300坪)に7軒の分譲住宅が建つ土手の菜の花の密度が増している筑波山の上、船団のような雲が好い大きく手を振って颯爽と歩く若い女性、老若...菜の花満開の江戸川の畔

  • 今日は国際女性デー

    今日は国際女性デー。朝刊の一面は天声人語を含め、女性関連4本の記事で埋まる。1.単身高齢女性の4割が貧困、男性と14ポイント差2.20代から全産業で男女賃金差、年代進むと拡大3.元国連女性機関事務局長「日本は女性進出で変わる」4.映画草創期の女性監督アリス・ギイもシカトされた 予報通り関東南部の平地でも夜半から明け方に雪が降った。横着して玄関先とベランダから撮る。今日は国際女性デー

  • 三郷市の小学校事情

    下は三郷市の全19の小学校の生徒数を並べたグラフである。最下位がこの春、近くの前間(ゼンマ)小学校(左から4番目)に統合される後谷(ウシロヤ)小学校。統合後の前間小学校の生徒数は右から6番目になる。右端に突出した2校(新和、幸房)はつくばエクスプレス(TX)の「三郷中央駅」の近くの小学校である。三郷市の若い世代の人口重心が、東京都に隣接した南部(戸ヶ崎など)やJR武蔵野線三郷駅周辺の北部から、まさに市の「中央」にシフトしていることがよくわかる。2,3日前にこの後谷小学校の近くを散歩すると、校舎の前に河津桜が満開であった。「勇太郎君の樹」の由来はわからない三郷市の小学校事情

  • 公明党の武器輸出承認の理由

    殺傷能力のある武器(戦闘機)の輸出について「躊躇」して来た公明党が一転して承認の意向を示した。日英伊で共同開発中の戦闘機について、生産数を増やしてコストを削減するため、開発国以外の第三国へも販売することになったという昨日の岸田首相の答弁は「丁寧な説明」だったという理由である。参院予算委員会での質問者は公明党議員、衆院解散、選挙へ向けた「貸し」作りの匂いがプンプンである。4月に訪米して米議会での演説、公式晩さん会を花道に解散、辞任という噂は否定した岸田首相だが・・・。散歩から公明党の武器輸出承認の理由

  • 3月4日は一里塚の日

    一日遅れだが、昨日の3月4日の「何の日?」。よく知られている?のは、ミシンの日、雑誌の日、更科蕎麦の日など3と4の語呂合わせだが、その他にも三姉妹、差入れ、サッシ、三線(サンシン)、作法、酸蝕(菌)の日などもある。元々はご婦人たちが教会のミサの時に被る布を忘れないように首に巻いた三角や四角の布、スカーフの日もある。街道ウォーカーとしては記念日として、江戸幕府が東海道、東山道などに一里塚を築いた日(1604年の旧暦2月4日)を挙げたい。当時の旅人にとって一里塚は何とも有難い道しるべだったのである。 くたびれたやつが見つける一里塚(江戸時代の川柳) 徳川嫌いの薩長明治政府は、明治9年(1876)に全国の一里塚廃毀令を出した。地元の保護などで生き残った一里塚も幹線である街道の拡幅工事でほとんどがなくなってしまっ...3月4日は一里塚の日

  • 勇気ある国際的な日本女性

    「セクシャルハラスメントと説明責任を国民的議論に押し上げ、伝統的な日本社会でタブー視されて来た問題に光を当てた。性被害を受けた無数のサバイバーたちが、沈黙の中でこれ以上苦しむことがないよう自らの体験を名乗り出ることを後押しした」この文はアメリカ国務省がジェンダー平等や女性の地位向上に貢献した女性に贈る今年の「勇気ある国際的な女性賞」の受賞理由。これを授与されるある日本人女性と言えば・・・。そう陸上自衛隊で性被害を受けたことを実名で訴えた元自衛官の五ノ井里奈氏である。 五ノ井氏が「勇気をもって」訴えた、陸上自衛隊のある部隊でのセクハラの実態は、それはそれはヒドイものである。自衛隊内部で訴えても揉み消され「勇気をもって」社会に訴えた。セクハラだけではないがアメリカ軍の中での腐敗を描いた映画に「将軍の娘エリザベ...勇気ある国際的な日本女性

  • 地方だけ「がんばれ」はおかしい

    社会工学博士の真田純子氏(東工大教授)は、徳島大学助教時代に段々畑の石積みを経験した。美しい棚田を残そうと言うのは簡単だが、残す方は大変である。いわゆる「空石積み」は文化財(お城など)修復では認められても農地(段々畑)では違う。万一崩れた時の責任を問われることを恐れ業者は尻込みする。自分たちで積むしかないのである。段々畑を上るだけで息切れしたが「師匠」について石積みを習う。全ての作業になるべく「労力をかけない」工夫がされていた。手を抜くわけではなく、環境にどう自分の身体を合わせていくかの知恵。無駄なく最短でやること、それが持続可能ということと学ぶ。この真田氏、今では一般社団法人「石積み学校」の代表理事で石積みの先生である。「一ぐり、二石、三に積み」という師匠の極意を伝えている。裏に詰めるぐり石が表の石を固...地方だけ「がんばれ」はおかしい

  • もう一つの被爆国

    昨日3月1日は、ちょうど70年前にマーシャル諸島ビキニ環礁で「ブラボー」と名付けられた水爆実験により、住民と近くで操業していた第五福竜丸の乗員が被爆した日である。ビキニ環礁での核実験は敗戦の翌年、1946年7月1日から始まった。昨日の「天声人語」によれば、この4日後にパリでに行われた水着コンテストで肌の露出が多い水着が「ビキニ」と名付けられた。核実験のニュースに心ときめかした水着デザイナーも無神経極まりないが、ビキニ環礁の住民が小さな水着を着ていたからビキニという名になったのだろうとずっと思って来た私も無神経というか、極めてノーテンキであった。 マーシャル諸島共和国の被爆者は、被爆のトラウマや差別を経験し口を閉ざす人が多い。8歳で被爆し甲状腺異常や乳がんを患い7回もの流産をした母を持つ、核問題委員会の教育...もう一つの被爆国

  • 「光る君へ」題字が好い

    今年の大河ドラマ「光る君へ」の人気は今のところイマイチのようだが、その題字は実に好い。今月の県の広報誌「彩の国」によれば、この題字の揮毫、かつ「光る君へ」出演者に書道指導をしているのが「書道学」の博士根本知(サトル)氏(40)。埼玉県は越谷市の出身である。中学の時の家庭教師が仮名文字の作家だった。小筆で絵のように仮名を描くのに憧れ、小学校で止めていた書道の道に戻るきっかけとなったという。「手書きの文字は言葉以上の思いを載せることが出来りんです」という根本博士。近著に「平安かな書道入門古筆の見方と学び方」がある。先月のウォーキングは一日平均で6千歩にも届かず、換算距離は約100キロに留まった。上旬の雪、その後の寒さ、下旬の天候不良、言い訳はたくさんある。伊能ウォーク本隊(1999-2001)の足跡を辿る、バ...「光る君へ」題字が好い

  • 能登震災と日本の未来

    政治思想史、政治哲学者の宇野重規氏(東大社会科学研究所教授)が「能登地震から考える人口減少と持続可能な社会とは」と題して、最近の雑誌掲載の論文などから8つのジャンルの識者の意見を紹介している。(今朝の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」より)1.日本海交易の要塞であった奥能登の歴史的意義2.十津川村の減災活動と能登復興・国づくりへの応用3.東日本震災の復興を能登に生かせ、選択と集中4.人口減少への危機意識が薄い現状を憂う5.クマ出没と農業衰退の関係6.能登断水長期化と全国的なインフラ更新の遅れ7.避難所での女性の負担大とジェンダー問題8.女性賃金の低さと人口減少の関係それぞれの詳細は省略するが、単に能登復興だけでなく多くの課題を抱える「日本再生への道」への提言とも思える。裏金脱税問題が露呈した今の政府・与党...能登震災と日本の未来

  • 翔平、初オープン戦で2ラン

    早朝5時からの生中継を観ていたわけではないが、ニュースで大谷翔平の初オープン戦でのホームランが伝えられた。昨年8月以来、半年ぶりの実戦でのホームランはさすがである。試合開始時、ドジャーズファンはスタンディング・オベイションで大谷翔平を迎えた。その期待に応える3打席目の一発は今シーズンの新天地での活躍を期待させる一振りである。とは関係なく政府は経済安保上の重要情報を扱う人の「適正評価」(セキュリティークリアランス)制度を法案化するという。どの情報が対象になるのかなど不明点も多く、人権侵害の恐れも指摘される。その前に、それを審議する国会議員、特に自民党議員の適正評価を実施するべきではないか。裏金問題など多くは「不適正」となろう。 一昨日の強風の中の江戸川散歩の続き。潜った流山橋、歩行橋の塗装改修が始まりそうで...翔平、初オープン戦で2ラン

  • 一番より強い春三番

    昨日は「春三番」が吹き荒れ、今日は更に強くなるという。今月中旬に春一番が吹き、2,3日後に二番が吹いた。風は強いが約一週間ぶりの晴れ。午前中に確定申告を発送し、午後から江戸川の土手を散歩。当然街中より土手の上の風は強い。春めく風景を撮ろうとカメラを構えた瞬間、突風にあおられて二三歩よろめくほど。今日のスナップは流山橋の上流側の風景。一番より強い春三番

  • ドラマ「舟を編む」

    辞書と言う船に乗り暗い海面に浮び上がる小さな光を集める。最も相応しい言葉で正確に思いを誰かに届けるために。もし辞書が無かったら私たちは盲漠とした大海を佇む他ない。辞書は言葉の海を渡る舟、大海を渡るに相応しい舟を編む。これが私たちの仕事です。NHKBSで始まったドラマ「舟を編む」(原作三浦しおん)。中堅出版社の辞書編集部が十数年もかけて国語中辞典を生み出す苦労を描いたドラマである。因みに辞書の名前は「大渡海」。冒頭の言葉はその第1回で柴田恭兵演じる顧問編集長が、新人のファッション誌編集部から移って来た若い女性社員に語る言葉である。「舟を編む」は実は、2013年に松田龍平と宮崎あおいの主役で映画になっている。今回のドラマはその最後の3年ぐらいを描くようだが、映画では十数年の長い苦難の年月を描いている。その最後...ドラマ「舟を編む」

  • 栗よりうまい十三里

    20日からさいたま新都心駅前、スーパーアリーナのけやき広場で「さつまいも博」が開催され、地元埼玉をはじめ鹿児島、長崎など全国から45店が出店し、焼き芋や芋菓子が売られているという。川越藩主となった柳沢吉保は関東ローム層の痩せた土地を落ち葉堆肥で熟成させて畑地とすることを奨励した。その結果、所沢市、三芳町、ふじみ野市、川越市にかけて「さつまいも」の産地になった。「武蔵野落ち葉堆肥農法」は7年前に日本農業遺産になり、昨年世界農業遺産になっている。歌川広重の名所江戸百景の「びくにばし雪中」は今の銀座一丁目付近を描いたもの。「山くじら」は猪などの獣肉を扱う店の看板で、「十三里〇やき」は焼き芋屋の看板。「江戸から十三里」の川越の焼き芋は当時でも有名だったことがわかる。「九里、四里(栗より)うまい十三里」、江戸の洒落...栗よりうまい十三里

  • ウクライナ2年に想う

    ロシアのウクライナ侵略開始後間もなく(2022年4月)掲載された朝日新聞の論説「ロシアの友たちへ」を侵攻の1年目に「再びロシアの友たちへ」と題してここで紹介し、ロシア国内の反プーチン運動の高まりに期待した。そして、東アジアへの侵略戦争を止められなかった日本国民の末裔として恥じつつ、と加えた。その侵略戦争は2年が経ち戦線は膠着、国際的な支援に「息切れ感」がある。ロシア国内では反戦、反プーチンの動きが圧殺され続けている。しかし獄死したナリワヌイ氏は言った。「ロシアで真実を話すことが、危険ではない日が必ず来る」。今日の「天声人語」ではウクライナの作家、クルコフ氏が著書の「侵略日記」で、自分たちの歴史は戦前、戦中に分けられると書く。そして、「もちろん私たちは皆『戦後』という時期が生まれるのを願っている」とも書く。...ウクライナ2年に想う

  • 宇都宮LRT、西口延伸計画

    昨年8月、国内では75年ぶりの開業となった路面電車、宇都宮LRT(ライトレール、約15キロ)は斬新なデザインもあって人気上昇中。今春、2編成増、快速運転などが予定される。(写真は開業時の様子、通りの奥が宇都宮駅東口)一方、表玄関とも言える西口にも延伸する計画が発表された。JR宇都宮駅の在来線の上、新幹線の下を潜り、二荒山神社、県庁、裁判所などを通り教育会館前までの約5キロ。更に大谷(オオヤ)観音、大谷石博物館(石切り場跡の地下洞窟)入口までの約3キロも検討されるという。 さて、一昨日の散歩、江戸川の土手の帰り道。開通してそろそろ3ヶ月の三郷流山橋、まだ(ずっと?)閑散流山側の袂、土手道へのネットがまだ取れない、理由は?24℃のポカポカ陽気  宇都宮LRT、西口延伸計画

  • 超ローカル、三郷市北部の散歩

    今日(21日)から雨が続くと言うので、昨日の午後、家の北方向の郊外を散歩。スナップを交えてその様子を紹介しようと思う。が、極めてローカルな話(地名)になるのでご勘弁を。昨日はこのあたり(三郷市)の気温も夏日寸前の24℃。シャツ姿で腕まくりしても暑かった。家から約1キロ、大きな早稲田団地の北の端、七丁目交差点の名物。この先、最後のマンションと小学校の脇を歩い「成田通り」へ。振り返る前間(ゼンマ)小学校は改修工事が終わりキレイになった。この春、三郷市で一番新しい後谷(ウシロヤ)小学校を吸収する。このあたりの地名は前間、丹後、小谷堀などだから、成田通りの「成田」は成田山(新勝寺)への道ということかも知れない。確かに江戸川を「前間の渡し」で渡れば方向的には成田山へ向かっている。成田通りから特養への道は新しい橋へ...超ローカル、三郷市北部の散歩

  • 昭和38年のエンタメ

    昨日は11℃、そして今朝は16℃。そんな異常高温も今夕からは平年並みかつ雨勝ちと言う。まさに三寒四温で春が近づく。とは関係なく「昭和38年」の続き。今日はスポーツやエンタメ。大鵬が6場所連続優勝(5月)、国鉄スワローズの金田投手が311勝(6月)、南海ホークスの野村捕手がホームラン52号(10月)と新記録ラッシュ。しかし年末にプロレスの力道山が刺殺されるというショッキングな出来事が起きる。鉄腕アトムのアニメドラマがテレビで始まったのがこの年の1月。年末には梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」がレコード大賞。この年にヒットした歌謡曲を挙げると、見上げてごらん夜の星を(坂本九)、恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)、出世街道(畠山みどり)、霧子のタンゴ(フランク永井)など。星空に両手を(守屋浩・島倉千代子)、いつでも夢...昭和38年のエンタメ

  • 昭和38年と言う年

    武田鉄矢が司会する「昭和は輝いていた」というテレビ番組(BS)がある。主に昭和の歌謡曲を主題とするが、昭和のある年の出来事をまとめた「青春グラフィティ」シリーズが面白い。先日の放送は「昭和38年」。昭和22年から24年までの3年間、毎年250万人が生まれたいわゆる団塊の世代。その先頭の昭和22年生まれが中学を卒業した年が昭和38年である。下の写真は番組で紹介されたある中学校の朝礼風景である。もちろん体育館には入り切れない人数である。当時の長野市内でも多い中学校で一学年十六組という時代であった。この年の高校進学率は66.7%だったというから、約1/3は「金の卵」と呼ばれた就職組であった。約70万人とすれば何と今の出生数である。この年の主な出来事は、2月熊本大学がチッソ水俣工場の廃液から有機水銀を検出3月吉展...昭和38年と言う年

  • H3悲願の成功の陰で

    いい話とそうでない話。まずはH3ロケット打ち上げ成功。初号機の失敗から1年近く、悲願の成功だった。JAXAの女性技師の安堵の涙も印象的だったが、双眼鏡を手に打ち上げを見守った小学生が「満足です」と満面の笑みで興奮するニュース映像に思わず微笑んだ。よくない話はロシアの反体制派、ナワリヌイ氏の獄中死である。哀悼の意を示し花束を捧げる人々が次々と拘束されるニュースは、プーチンの心底の怯えを象徴する。「ロシアで真実を話すことが、危険ではない日が必ず来る」(アレクセイ・ナワリヌイ)。戦時中に獄死した日本の反戦派に思いを馳せつつ、享年47歳の勇気あるロシア人に心から哀悼の意を捧げる。 散歩から弔いの花たちをH3悲願の成功の陰で

  • 京大吉田寮に存続判決

    一高(東大)駒場寮、北大恵迪寮と共にバンカラな学生寮の代表(日本三大自治寮)とされて来た三高(京大)の吉田寮が老朽化を理由に居住中の寮生の退去を求める訴訟で、居住継続の判決が出た。築110年、国内最古の学生寮(旧棟)に住む学生14人は大学との「確認書(入寮手続きは寮生自治会の管理)」を理由に明け渡しを拒否し、京都地裁判決もこの確認書を有効と判断したことになる。東大駒場寮は1995年の廃寮決定以降、寮自治会との紛争を経て、2001年に強制執行が行われて廃寮となり、北大恵迪寮は1982年に鉄筋コンクリートに建て替えられている。紅萌ゆる丘の花草緑匂う岸の色都の花に嘯けば月こそかかれ吉田山・・・(旧制三高寮歌「逍遥之歌」)の吉田山(神楽岡)に建つ吉田寮、十年以上前になるが出身者である後輩の案内で京都赴任時代に訪れ...京大吉田寮に存続判決

  • 「折々のことば」連載3000回目

    朝刊(朝日)一面で「天声人語」と共に必ず目を通すコラムが「折々のことば」(鷲田清一)である。今朝で連載3000回を迎えた。単純に365日で割ると8年強となるが、少し休んだ期間があるのでもう十年近い長寿コラムである。連載3000回を記念して鷲田清一氏がアナウンサーの山根基代氏と対談して「ことば」を語っている。「震災などの後、おはよう、おかえり、といったシンプルな言葉が宝物のようにしみる場合があって、あまりごちゃごちゃ言わない方がいい時もある。過剰であったり足りなかったり、言葉ってなかなか難しいんですよ」 確かに「口は災いのもと」という格言もある。過去を振り返ってみて「言ってはいけなかった言葉」をいくつか思い出す。 そして、3000回目の今朝の「折々のことば」は、「過去は過去、今は今、今日からはじまる思い出だ...「折々のことば」連載3000回目

  • タカラトミー創業100周年

    先月月面に着陸した月探査機「SLIM」、エンジンが上になった姿を撮影したのが、直前に放出された小型ロボット「LEV-2」で、愛称SORA-Q(ソラキュー)。LEV-2はタカラトミーとJAXAが共同開発したもので、直径わずか8センチの球体。月面で変形して球体が左右に開き、2枚の外殻が両輪となり月面を走行する、まさにおもちゃの発想である。そのタカラトミーの創業者、富山栄一郎(1902-1978)の生まれ故郷が、我が三郷市の隣りの吉川市。今月タカラトミーが創業100周年を迎えるのを機に、このLEV-2の同サイズの模型を市役所1階に展示中と言う。朝日デジタルより展示中の写真を借用する。尚、この模型は昨年タカラトミーから発売(27,500円)されたが、今はプレミアがついてネット通販は62,000円。展示品は吉川市の...タカラトミー創業100周年

  • オヤオリ、オヤカク?

    朝刊社会面にオヤオリ、オヤカクという見慣れないカタカナが並ぶ。就職内定者の保護者(親)向けオリエンテーション、親への内定確認のことというからビックリである。入社式に親が付いて行くという過保護の代名詞のような話が「昔」あったが、時代は進んだのである。親が反対して内定者(子供)が辞退、というきっかけで始まったというオヤオリ、オヤカク。景気持ち直し傾向の中、売り手市場となった最近の就職戦線を象徴する現象とは言え・・・。子供の就職失敗が親の老後の生活にも多大な影響を及ぼすリスク低減のためという親側の事情もあると言うが、「親御さんも同意されましたよね」とブラック企業が悪用する恐れもあるという。今や親離れ出来ない子、子離れ出来ない親の時代なのだろうか。いずれにしても団塊の世代にはアンビリーバブルな話題である。 春のよ...オヤオリ、オヤカク?

  • 三日間の疑似隠遁生活

    3日間ブログを休んでみた。メールやLINEも見ず、食事時のテレビニュース以外は外界と没交渉で部屋に閉じ籠っていた。やったことは、放り出していた難解数独への挑戦、司馬遼太郎「日本のかたち」(全5巻)の再読だけ。突然の「疑似隠遁生活」の理由は特にないが、なかなかいいものである。 母校の高校同窓会幹事から86人目の物故者の便りが届いた。併せて「消息データ」が更新されている。同級生でもある学年幹事のS君は極めて律儀な性格で、データに遺漏はないだろう。団塊の世代、まさに卒業数、クラス数(10組)は最大だった。6人に一人が鬼籍に入り、ほゞ同数と連絡がつかず、連絡がつく同窓生の半数がメールをやるという「メガデータ」がわかる。卒業数連絡可不明者物故者   メール有467人304778615465.1%16.5%18.4%...三日間の疑似隠遁生活

  • ドラッガー「現代の経営」

    優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである。一度も間違いをしたことのない者、それも大きな間違いをしたことのない者をトップの地位に就かせてはいけない。間違いをしたこのない者は凡庸である。そのうえ、いかにして間違いを発見し、いかにしてそれを早く直すかを知らない。P.F.ドラッガー「現代の経営」 以前参画していたNPO失敗学会の知人が「老朽化する日本の組織・人・社会」と題してある産廃問題を論ずる資料の中で最近引用したものである。知人は自らもシステム会社を運営しながら経営コンサルタントとして活躍する。日本の行政(官僚)や大企業に跋扈する東大閥の弊害の本質を、冒頭のドラッガーの言葉が鋭く突いている。間違い(失敗)を間違いと認めない今の日本の自民党政治家たちはそれよりも更に低次元の輩である。あぁ、...ドラッガー「現代の経営」

  • 2018年、総社市の出来ごと

    2018年の西日本豪雨災害の時、総社市長あてにあるツイートが届いた。「私たちに出来ることはありませんか?自宅待機はもう嫌です。岡山県総社市高校一年生」市長は即刻「市役所に手伝いに来て下さい」と返信。すると翌朝、1,000人の中高生が市役所に集結した。市長は「市政への不満でデモが起きたか」と慌てた。歌手のさだまさしが「さだの辞書」の中で紹介するエピソードである。2018年だからコロナの自宅待機ではなく豪雨災害による自宅待機であろう。「偽善活動」と言われようと、大災害の度に支援物資を積んで現地に歌いに行くという歌手さだまさしならではの情報である。でも、集まった1,000人の中高生は何をしたのだろう。下衆の疑問である。(参考:今朝の「折々のことば」鷲田清一) 昨日、霧の朝と昼間2018年、総社市の出来ごと

  • 政治家ゴミの処分

    解散命令を請求する相手に実は全面支援を受けて議員当選していた。言語道断、笑止千万、何たる茶番・・・。その盛山文科相を更迭出来ない岸田首相。今や自分の更迭時期である。能登半島地震による廃棄物が石川県のゴミ排出量の約7年分に相当するという。被災自治体別に見れば数十年から百年分以上となるが、この処理には相当な費用と時間がかかるだろう。今の日本に溜まりに溜まった「政治家ゴミ」の処分に長い時間がかかるとしたら、その分だけ「失われた日本」の期間が伸びることになる。だから一時も早く処分しなければならない。 御成街道アラカルト(御成街道1日目、2日目の歩行記から漏れた写真を幾つか)駒込吉祥寺にあった学門所は「旃檀林」であった(1/29に書いた栴檀林は間違い)。栴檀は二葉より芳し、の「栴」と微妙に違うが、当時(明暦3年、1...政治家ゴミの処分

  • 首都圏、雪で大混乱

    このあたりでは2年ぶりの積雪、予想の5cmを上回り8cm位。そして夜半の落雷にビックリ。首都圏の混乱ぶりをテレビのワイドショーが報じる今朝、雨がシトシト降り続ける。家の前、早朝の道路の轍は近所の車ではなく、少し先の赤信号を避けた県道からの迂回車。交差する一本轍は新聞配達のバイク。雨が上がったら簡単に雪掻きだ。首都圏、雪で大混乱

  • 前橋市長選、自公敗け女性市長に

    市議会では自民、公明が7割を占める前橋市。昨日の市長選は4期目の現職、山本氏が(自公推薦)が市民派の小川晶(アキラ)氏敗れた。小川氏は前橋で初めての女性市長となる。一方、京都市長選は自公に立憲、国民まで相乗りした元民主党副幹事長の松井氏が、共産党推薦の福山氏に辛勝した。立憲が福山氏を支持すれば間違いなく勝っただろう。いずれにしても、裏金問題で自民離れが進むのは間違いないが、4月の衆院3補選で野党共闘がモタモタするようなら自民が息を吹き替えすだろう。 冬の花たち前橋市長選、自公敗け女性市長に

  • 御成街道、赤羽駅に着く

    日光御成街道歩きの2日目も終盤。地福寺(薬師尊)の一本松が見事。境内には紅梅が咲く。西音寺の門前には珍しい六角仏塔。仏像の上に仏像が彫られるのも珍しい。省スペースに徹しているようだ。檀家祖霊の菩提寺で観光寺ではない、心静かに参られよと言いながら、しっかりと柵を巡らす。やがて環七(環状七号線)に差し掛かる。断続的に続いた拡幅工事もここまでのようである。歩行者は歩道橋を上るしかない。年に二、三回は走る環七を上から見下ろす。環七を突っ切った御成街道は長い下り坂になる。このあたりの切通しの崖から水が湧き出していたので清水坂。昔は十条の長坂と呼ばれたらしい。埼京線の高架を潜ると赤羽駅までは数百メートル。このあたりも拡幅されたのかやけに広い歩道である。やがて片側2車線の車道に代わるのかも知れない。左手高台にある香取神...御成街道、赤羽駅に着く

  • 御成街道、王子から東十条へ

    昨日、本郷通りが終わる交差点を「西ヶ原」と書いたが間違い。正しくは「音無橋」交差点である。確認のためチラっと見た地図が一枚隣りの地図だった。その音無橋交差点を右折して王子駅のガードに着く。昔の街道は広い明治通り(国道122号)を斜めに下って石神井川の畔に出たが、今は高架の裏側の歩道橋を渡らなくてはならない。京浜東北線王子駅の下が都電王子駅北口の自由通路で石神井川沿いに出る。王子は戦前結婚間もない両親が住んだところ。戦火激しくなって故郷信州に疎開した。かつて石神井川は飛鳥山の丘陵に遮られて南へ折り返すように流れたが、今は飛鳥山の下を通って北へ流れる。王子神社の山裾の親水公園を少し散策してから街道に戻る。奥に微かにえる白いアーチ橋が音無橋。本郷通りの延長、直進した都道455号が渡る。王子駅前の御成街道に戻り、...御成街道、王子から東十条へ

  • 御成街道2日目、西ヶ原一里塚

    滝野川消防署前からスタートした日光御成街道ウォーク2日目。滝野川公園の隣の「国立印刷局東京工場」の前には警官のような恰好の警備員が立つ。「建物は撮らないで下さい」。国立印刷局は造幣局とは違い、日本銀行券(お札)の他、切手、証券、旅券や官報などの印刷を行うところ。港区の本局と全国に6工場1研究所がある。この先に見えるのが「西ヶ原一里塚」。都内で東西両方の塚が残るのはここと中山道の志村一里塚だけである。1日目の出発点、本郷追分からやっと一里(4キロ)である。日光御成街道の起点は日本橋ではないが一里塚は日本橋基準となっているのでこの西ヶ原は二番目の一里塚。大正時代、都電(当時市電)の延長にあたって撤去されることになったが、渋沢栄一などにより反対意見が出て残されたものである。当時の塚木の榎は枯れたため植え替えられ...御成街道2日目、西ヶ原一里塚

  • 能登半島地震1ヵ月、如月に入る

    2月に入った、今年は閏年である。能登半島地震から1ヵ月、下旬にはウクライナ侵攻2年目を迎える。繰り返される政治とカネ問題は予想通り派閥が政策集団と名を変えるだけの決着で終わりそうである。先月のウォーキングは一日平均で8千歩弱、日光御成街道を2日(と言っても各半日)歩いたので1月としてはまァまァか。バーチャル日本一周は約160キロ進んで鹿児島県に入った。第Ⅳステージのゴール、指宿までもあと160キロ、2月末での到着を狙おう。日光御成街道ウォークの2日目、昼からの4時間で約5キロとスローペース。前回のゴール、京浜東北線の上中里駅から急坂の蝉坂を上り、本郷通り(御成街道)に出る。最初の寄り道の「無量寺」の本堂は前回寄った旧古河庭園の西側、本郷通りから150メートルほどだが、参道入り口はその倍ほど入る必要がある。...能登半島地震1ヵ月、如月に入る

  • 聴く力

    声っていうのはね、耳に届くんじゃないんですよ。肌から心に滲み込むんです。(山根基代元NHKアナウンサー)そして、聴く側の「聴こう」という姿勢があってはじめて、相手から言葉が零れ落ちて来る。言葉の肌理(キメ)がこちらの「肝(ハラ)の底」に沈む。と、今朝の朝日「折々のことば」で鷲田清一が解説する。となると「聞く力」を標榜した岸田君は、やはり「聴く力」が無かったのだろう。 昨日の午後、御成街道の二日目を歩いて来た。今回も4時間で街道沿い5キロと超スローペース。詳細は明日から。湯島の白梅ならぬ、無量寺のシラウメ聴く力

  • 御成街道、旧古河庭園

    寒々しい六義園を出て本郷通り(御成街道)に戻ると間もなく駒込駅、急に飲食店が増えて来る。このあたりの山手線は切通しを走るので線路や電車は見えない。駅舎を過ぎたところに古い「駒込橋」の欄干が一部残される。上り切った坂が大きく右カーブしながら下り始める「妙義坂」。西方にある妙義神社が由来という。「やしろへ半丁」の道標や地蔵尊は見逃してしまった。右手に滝野川小学校、左手に旧古河庭園の重厚な石塀を見ながら西ヶ原の交差点を左折。今日は少なくとも「西ヶ原一里塚」を通って、飛鳥山公園、王子駅までと思っていたが、既に午後4時近く。予定外の旧古河庭園に寄って、一つ手前の上中里駅から御徒町へ向かうことにする。旧古河庭園の土地は陸奥宗光の邸宅だったが、宗光の次男が古河家の養子となったことから古河家の所有に。当時の建物は現存しな...御成街道、旧古河庭園

  • 駒込の吉祥寺と六義園

    御成街道一日目の続きは「吉祥寺」。江戸の初期には水道橋の北側にあったが明暦三年(1657)の大火で類焼してこの地に移転。門前町の住人が移り住んだのが今の武蔵野市吉祥寺となった。駒込吉祥寺町(現本駒込三丁目)となった現在地に建つ吉祥寺は大きな寺である。本郷通りから本堂まで100メートル以上ある長い参道に、犬の散歩と「スポーツ」禁止と書かれるのも頷ける。境内にあった曹洞宗の梅檀林(学問所)には千人もの学僧が集まり、今の駒沢大学の元になった。参道の両側に広がる墓所には二宮尊徳、榎本武揚など墓があるらしい。このあたりの本郷通り(御成街道)は片側3車線の広い通りで緩やかな上り坂になって来た。根津で別れた不忍通りが大きく回り込んで来てこの本郷通りと交わる交差点の角、昭和小学校の最上階には大きな体育館が載る。多分、校庭...駒込の吉祥寺と六義園

  • 御成街道、寄り道三昧

    本郷追分から1キロほど、向ヶ丘一丁目、二丁目あたりは街道の両側にお寺さんが多い。街道から300メートルほど奥まったところにツツジで有名な根津神社があるがほとんどは寺である。そんな「卍」マークの中で目立つ「∴」は高島秋帆(シュウハン)の墓。秋帆は江戸末期の砲術家で、幕府命で行った西洋式調練の中で大砲を試射した。その徳丸ヶ原が今の「高島平」(板橋区)である。砲術は佐久間象山などにも影響を与えたが、諫言により一時岡部藩(深谷市)預かりとなって幽閉された。弟子たちの嘆願やペリー来航で赦免となり講武所奉行などを務めた。子供時代の渋沢栄一が秋帆の幽閉先を訪れて言葉を交わしたという大河ドラマ「青天を衝け」のエピソードは史実かどうかは不明。ちょっと脱線してしまったが、向ヶ丘高校の裏手にある秋帆の墓に最初の寄り道。御成街道...御成街道、寄り道三昧

  • 日光御成街道を歩き始める

    徳川歴代将軍が初代家康の聖地、日光東照宮へ詣でる日光御成街道の最初、江戸城大手門から中山道と合流する神田昌平橋あたりまでの旧道は概ね消滅している。加えて日本橋からの中山道は以前歩いているので、スタートは御成街道が中山道と別れる東大農学部前の「本郷追分」とした。本郷通りの真下を地下鉄南北線が通っていて「東大前」がすぐ近くだが、三郷から一回乗り換えで着く千代田線根津駅から歩く。地上に出ると不忍通りと言問(コトトイ)通りの交差点。赤札堂を背にして言問通りを西へ。急坂の途中からの左手には東大工学部、右は農学部。数少ない歩行者のほとんどが農学部の通用門に入って行く。上り切って中山道の本郷通りに出て右折すると農学部の正門前。左に中山道が折れて行き、御成街道は本郷通りを道なりに進む。この角にあるのが江戸から続く老舗の酒...日光御成街道を歩き始める

  • 本郷駒込、梅たより

    徳川家康の聖地、日光東照宮へ向かう日光街道には下図(左)のようにいわゆる脇往還が幾つかある。昨秋の成田街道の次はどこを歩こうかと種々検討していたが、とりあえず家から一番近い「日光御成街道」と決めた。中仙道と別れる本郷追分から日光街道(奥羽街道)に合流する幸手(サッテ)まで十三里(52キロ)。川口宿と岩淵宿は荒川を挟む合宿(アイシュク)で一ヵ月交代で宿当番となるから実質六宿である。昨夕、都内で学生時代の仲間との新年会があり、昼に家を出て本郷追分から一日目を歩いた。詳細は次回からとしてお寺さんや公園で咲き始めていた街道沿いの梅たよりを。本郷駒込、梅たより

  • 埼玉高速(SR)延伸計画足踏み

    23日の東京ー大宮間の新幹線停電事故に関連して、明治時代に東北線の浦和分岐案が岩槻の住民の大反対で大宮に変わったことを昨日ここに書いた。赤羽から地下鉄南北線に乗り入れている埼玉高速鉄道(通称SR)の「岩槻」までの約7キロの延伸計画が一時中断された。理由は資材高騰による建設費の増大(760億円から1300億円)と、人出不足による工事期間の延長(7年から18年)。このため、累積黒字転換点が30年以上となり、国庫補助の適用が望めない。このため、さいたま市は今年度中と言っていた延伸要請手続きを当面見送ると発表。(鉄道整備)支援機構やSR、県とも連携して建設費縮小、工期短縮など計画を見直す。しかし、何年後かに開通したとしても今以上にかなり割高な運賃になるだろう。東武野田線での大宮経由でなく、直接都内に向かうようにな...埼玉高速(SR)延伸計画足踏み

  • ボトルネック、東京ー大宮

    3系統の新幹線が一日近く止まった。大宮駅を出て東京駅に向かった上りの北陸新幹線が、弛んだ架線に突っ込んだため停電となったらしい。復旧には終日かかった。この東京ー大宮間は東北、上越、北陸とJR東の三つの新幹線が走る区間で、「テロ」で狙われる可能性が高い区間と言われる。今回の事故で改めてその影響の大きさを知らしめた。大宮は在来線、新幹線とも3方面への乗り換え駅。明治の頃、東京寄りの浦和が分岐駅と計画されたが、浦和からの東北線が通る岩槻が「陸蒸気で家が燃える」と猛反対。止む無く大宮が分岐となったが、鉄道のない岩槻の発展は遅れ、後に東武野田線が通って何とか「陸の孤島」を脱した。大合併で今は「さいたま市岩槻区」、東京のベッドタウンである。 冬の散歩からボトルネック、東京ー大宮

  • 自民、怪しげな自浄能力案

    「派閥が問題なのではなく金権体質が問題だ」一見、本質的と思わせるが、派閥こそ金権体質の温床である。政策集団と名称を変えたとしても「本質」は変わらない。党刷新本部の改革骨子案は、一政治家として自立することなく、徒党を組まないと何もできない卑怯で弱い人間の集まりでしかないことを露呈した。会計責任者と議員の連座制も、いざ問題が起きれば会計責任者が「知らなかった」と言い出すだろう。「どうとでもいい訳出来るよ」と言いながら議論した様子が浮かぶ。最大派閥の安倍派の解散表明について五人衆が、国民にではなく「安倍先生に申し訳ない」と口を揃えるのもおぞましい限りである。シカトされた日本国民に「怒る」元気はあるのだろうか。 三郷中央にほどり公園、園児たちの散歩おや、ここでも小規模に 自民、怪しげな自浄能力案

  • 長野、佐久長聖力で3連覇

    都道府県対抗の男子駅伝は、コロナ中止を挟んで長野が3連覇。2区、6区の中学生区間を除き、佐久長聖出身大学生、佐久長聖の高校生の計5人の「佐久長聖力」が大会新の優勝を生んだ。近年、何度か優勝している我が地元埼玉も上位をキープし続け、千葉とのデッドヒートを制して2位。埼玉栄高から二人出場したが、他はバラバラの出身や経歴である。先日の女子で見ると、優勝した宮城もやはり高校駅伝を制した仙台育英勢が中学2区を除く7区中6区を占める。男女とも高校駅伝と都道府県対抗がセット優勝となった。 散歩から長野、佐久長聖力で3連覇

  • まずは着陸おめでとう!

    世界5ヶ国目となる「SLIM」の月面着陸成功。太陽電池が使えない姿勢の着陸だったようだが、それでもまずはおめでとう!それを祝うかのように近所のお寺さんの庭先に蝋梅が咲いた。まずは着陸おめでとう!

  • 派閥解消ほど楽なものはない

    今朝の「天声人語」には思わず笑ってしまった。「派閥解消と禁煙ほどたやすいものはない、どちらも何度でも出来る」という笑い話が永田町には昔からあったそうだ。私も「禁煙ほど楽なものはない、何度でも出来る」と言いながら60年近くタバコを吸っているから思わず笑った訳である。かれこれ十数回は禁煙し、その都度無事?「復活」している。自民党の派閥解消は1970年代の福田政権時、1994年の下野時に次いで今回で3回目だが、1988年のリクルート事件では派閥解消の「決意」がされているから4回目とも言える。確かに「何度でも出来る」楽チンな派閥解消ではある。 つくばエクスプレス三郷中央駅周辺の街路樹派閥解消ほど楽なものはない

  • 人出不足の根底にあるもの

    新年から朝日朝刊で始まったシリーズ特集「はちがけ社会」は、2040年以降の15歳から64歳までの「働き手が8割」になる社会を展望する。今朝は自然人類学・行動形態学者の長谷川眞理子氏(総合研究大名誉教授)へのインタビュー。例によって超独断編集である。 人出不足は、何でも自分でやった狩猟時代以降は分業が進み、職業が細分化し、貨幣の登場で自分が出来ないことをサービスとして買うようになったことに起因する。そしてこの半世紀ほどで介護も育児もお金で買うシステムになってしまった。人出不足の根底にあるのは、資本主義が生み出すサービスへの欲望である。しかしこの30年の日本で育った若い世代は、車は持たずカーシェアで満足できるなど欲望の持ち方が変わって来ているので(人出不足も)落ち着くところに落ち着くのではないかと楽観する。 ...人出不足の根底にあるもの

  • 活躍する女性、3題

    朝刊の一面と三面から女性活躍の話題を三つ。まずは日本航空の次期社長に初めて客室乗務員出身の女性社長が決まった。鳥取美津子氏(59)で入社は御巣鷹山事故の年という。現在はグループ最高顧客責任者(CCO)。「安全運航の大切さを次世代に継承する強い責任感をもつ」と語る。二人目は、23年間在位した志位委員長に代わり、新たに共産党の委員長に就任予定の田村智子氏(58)。副委員長、政策委員長を務める実力派である。長野県小諸市出身、野沢北高、早稲田一文卒。高校、大学ではオペラや合唱をやっていた。三人目はちょっと若くなるが、「東京都同情塔」で芥川賞受賞の九段理江氏(33)。小学校6年の時に作文で賞を取った。「この頃も今も同じことをしている。言葉で何が出来るかという好奇心が私に言葉を使わせている」と語る。 新三郷ララポート...活躍する女性、3題

  • 「ともに 1・17」阪神淡路29年

    阪神淡路地震から29年の今朝、神戸市長田区の公園には「ともに1・17」のキャンドル文字が浮かび上がった。石川能登と「ともに」である。「がんばろう神戸、頑張ろう石川能登」の燈篭もある。29年を隔てているが「ともに」厳寒期の大震災を受けた。その間には、あの東日本大震災や熊本震災など「地震列島」という言葉を生んだ多くの震災がある。 その29年前の年末に「神戸ルミナリエ」が始まった。震災からの復興を勇気づける企画は「その年限り」のはずだった。それを毎年の行事にしたのは太田敏郎(故人)の奮闘だった。姫路から神戸に来て「能率風呂工業」を起こした。地震で瓦礫の街になった真っ暗な神戸にバーンと光が現れた。涙が出た。これは大事にしていこうと思って継続に奔走した。その結果継続が決まったのは1996年7月、それから資金集めに奔...「ともに1・17」阪神淡路29年

  • 富士通「頬っかむり」か

    システムの不具合が700人もの冤罪を生んだという英国の事件がドラマ化をきっかけに再び脚光を浴びている。日本ではなく英国の話だが、そのシステムは日本の富士通が作ったもの。英国の郵便局は個人経営が多く、国有の郵便当局に業務の申告を行う。残高の差異が出ると、システムは間違うはずがなく人間側の間違いとして個人経営者が補う。その補填額が大きくなり廃業や破産が多くなった2015年、当局は個人経営者700人以上を不正会計の罪で訴追した。しかし、富士通のシステム「ホライゾン」の欠陥の疑いが出て集団訴訟となった。2019年、和解により約100億円が支払われたが、有罪の取り消しは93人に留まり、補償額も被害金額には遥かに及ばない。改めて正式な調査が始まり、ドラマ化以降富士通の責任を問う声が大きくなった。富士通は「調査には全面...富士通「頬っかむり」か

  • 能登半島地震、2週間

    元旦以来、半月ぶりに江戸川の土手から日の出を眺めて来た。江戸川に架かる新しい三郷流山橋の袂から2024年の初日の出を大勢の人たちと眺めた9時間後、能登半島で大地震が起きた。それから2週間、まだ2万人近くの被災者が寒い避難所暮らしを強いられている。細い半島の道路寸断を理由に自衛隊、消防など公的機関の初動対応の遅れが指摘される。救援物資の配布、医療体制の人出不足に全国各地から支援部隊が駆けつけている。先日、阪神淡路、東日本などの大地震を経て成熟した「ボランティア活動」の特集番組があった。最近ではボランティア支援の全国組織「JVOAD(ジェイボード)」が出来ている。海外の大地震にも駆けつけて、ボランティア活動の組織化や技術支援をするという。ネパールでは石積みやレンガに日本式木造を混合した建築構造を提案して技術教...能登半島地震、2週間

  • ダークマター(暗黒物質)を見る

    今朝のテレビニュースで「宇宙」を勉強した。宇宙を構成する物質で現在わかっている陽子や中性子は全体のわずか5%に過ぎないという。その数倍(27%)ある物質は光や赤外線などでは観測できないのでダーク(暗黒)マター(物質)と呼ばれる。更に残りの2/3を占める「ダークエネルギー」については全く正体不明という。何もなかった(ように見えた)宇宙にある時「ゆらぎ」によってダークマターの密度差が出来て、密度の濃いところに重力が発生し、チリやガスを引き寄せて目に見える星や星団となった。光が曲がる「重力レンズ効果」などによって間接的に存在が立証されて来たこのダークマターを「直接」観測する試みが日本を先頭に進んでいるというニュースであった。昨夕降り出した雨が夜になって雪になり今季の初雪となった ダークマター(暗黒物質)を見る

  • 人材、人財とは言うが

    企業30年説という言葉がある。創業当時の情熱が薄れマンネリ化が進み、いろいろな弊害が出て来るのが30年くらいという。NPO失敗学会の畑村洋一郎会長によれば、始めのうちは社員も少なく組織的にも未成熟で、一人一人の業務が多岐にわたり互いの業務領域が重なり合うので仕事に「隙間」がない。会社が大きくなり社員が増え組織も複雑になるとテリトリー意識が強くなり、業務に「隙間」が出来るようになる。そんなところに出て来るのが、不正や不正を誤魔化す風土である。日本にも世界にも創業30年を超えた企業は山ほどある。そんな企業を支えるのが、事業改革、組織改革、そして何よりも毎年のように採用する新しい人材、いわゆる新入社員である。しかし、そんなフレッシュな人材を旧態依然の風土に押し込めようとする守旧派の先輩たちも多い。電通の高橋まつ...人材、人財とは言うが

  • ぬる燗で八代亜紀を偲ぶ

    学生時代に初めて買ったカセットテープは藤圭子だった。社会人になって買った唯一の歌謡曲のLPレコードが八代亜紀だった。一ヵ月ほど前に「歌謡曲にみるジェンダーフリー」のタイトルで、女が唄う男歌の一つに八代亜紀の「舟唄」を挙げた。♪お酒はぬるめの燗がいい肴はあぶったイカでいい♪女は無口なひとがいい灯りはぼんやり灯りゃいい♪・・・この唄で酒呑みなったというのは大袈裟だが、まんざら嘘でもない。暮れに電気式の酒燗器を買った。人肌、ぬる燗、上燗、熱燗、ヒレ酒と5段階の燗が出来る優れものである。埼玉・蓮田市の「神亀(シンカメ)酒造」監修という謳い文句で即ネット注文した。神亀酒造は日本で初めて全グレードを純米酒にした酒蔵で、代表的ブランドの「神亀」は2年貯蔵のやや癖のある味だが、ぬる燗がメチャいける。今夜あたり、その神亀の...ぬる燗で八代亜紀を偲ぶ

  • 紅白ふりかえり

    大晦日のNHK紅白歌合戦は過去最低の視聴率だったという。ジャニーズファンの集団ボイコットが理由の一つと言われるが、長期低落傾向の延長線上とも言える。早寝の私は前半(第一部)しか見ていないので語る資格はないのかも知れないが、今までよりは良かったのではないだろうか。個人的には朝ドラ「らんまん」のスエ子役、可愛らしい浜辺美波が司会の一人だったこともある。若者に不人気の歌謡曲系の歌はかなり絞られ、ジェンダーフリーもあって紅白(男女)対抗を前面に出さず、早いテンポで進行したのも良かったのではないだろうか。若者のテレビ離れもあり、紅白の存在、必要性そのものが問われているが、年寄りの大晦日には欠かせないお楽しみ番組である。 小さな花シリーズ、第2弾紅白ふりかえり

  • やはりそうだったか羽田事故

    「あんたが一番(の離陸機)」と管制官に言われて離陸許可と思ったと海保機のパイロットが言う。やはりそうだったか。しかも、被災地に向かうということで予定の「一番離陸機」の外国機の前に割り込ませた結果であった。結果としてのことだが、能登半島地震の関連事故ということになってしまった。国交省は、今後は一番機、二番機という交信を止めることにした。先日のブログにも書いたが、管制官の一番、二番という交信に何か違和感を覚えた。レーダーや高所からの目視で状況を「俯瞰」できる管制官と、個々の航空機のパイロットでは状況把握が違うはずである。改めて海保機の犠牲者に哀悼の意を表そう。 令和6年に入ってから撮った下弦の月を順に並べてみる。今朝の二十九夜の月も肉眼では見えているような気もするが、カメラではピントが合わず撮れない。月が超細...やはりそうだったか羽田事故

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